MACF礼拝映像2025年2月2日

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MACF礼拝説教要旨
2025年2月2日
「生きることはキリスト。苦難も想定内」
フィリピの信徒への手紙1章
21わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
22けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。
23この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、
キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。
24だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。
25こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、
いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。
26そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せるとき、キリスト・イエスに
結ばれているというあなたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることに
なります。
27ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。
そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、
わたしは次のことを聞けるでしょう。
あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、
28どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。
このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。
これは神によることです。
29つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、
恵みとして与えられているのです。
30あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いを
あなたがたは戦っているのです。
*****
牢獄に捉えられ、年齢も進んだパウロは不思議なことを言い出します。
「わたしにとって生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。
キリストを伝え、それによって迫害を受け、現に投獄されているわけですが、それで
死がもたらされたとしても私にとっては益となるというのです。
「死に至るまで従順に生きた宣教者として、神様からの褒め言葉を受け取ることができる
のは幸せなことだとパウロは考えています。
ところが、死んでしまったら残されているフィリピの人たちにとっては大問題になるので
今は生かされているとパウロは理解しています。
「あなたがたのために、生かされているのだ」と言われるとちょっと重い感じがしますが、
パウロにとっては「生きているからこそ、文通もでき、それによって指導や分かち合いができる
ことの大切さ」を感じているのだと思います。
読み方によれば、パウロは強いて「生きる」を選んでいるとか「生かされている」ことの
意味を見つけ出している感じがします。
生かされているのは「このことのためだ」とパウロはわかっているのです。
それは投獄されていても、意味を感じながら生きられるような「応答」が感じられるからです。
最近、私は3年ほど前に制作された映画「パーフェクトデイズ」を、観ました。
心に深く残る映画でした。
みなさんの中でもご覧になった方々はおられると思います。
主人公は公衆トイレの清掃員です。この映画にはセリフは極端に少なく、その主人公の
朝起きるところから、仕事をし、銭湯に行き、飲みに生き、夜寝入るところまでが淡々と描かれています。それが淡々と続く映画です。
そして、それがパーフェクトデイズ(完璧な日々)だと監督は伝えるわけです。
心からお勧めできる映画です。
そして、その映画がパーフェクトとして、伝えようとしていることの中には、その人のほぼ変わることのない日常の中に言葉による説明ではなく、彼の表情のなかに見える「人への笑顔」「生きている自然、木々への笑顔」「人への暖かく丁寧な応答」「熱心な仕事」こそが「人生を完全なものにする要素」なのではないかと言う問いかけがなされています。主人公はこれと言って大事な品物や財産を持っている
わけではなさそうです。でも、そこに笑顔があり、温かい眼差しがあり、音楽があり、見事な朝日があり
美しい木々があって、その木を彼は毎日お昼休みにカメラに収めるのです。
この主人公が生きている意味や生かされている意味を知っているかどうかはわかりませんが
彼の生き方自体が人を安心させる生き方に通じていると言うメッセージはとても大切な何かを
心に残してくれました。
パウロの言い分は少し独善的に聞こえることがあります。牢獄からの手紙で、
私が生きているのはあなた方を助けるためだと言われたら、あなたはどう感じるでしょう。
しかし、パウロは本気でそう考え、それを思いつつ手紙を書き、生きているのです。
だから、「みなさん、しっかり生きてください」という言葉は思いを込めた重要な言葉です。
そして、彼はこう言うふうにまとめています。
29つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、
恵みとして与えられているのです。
これはとても大切な言葉です。
キリストを信じることは素晴らしいことです。そこに救いがあり赦しがあり、祝福があるからです。
しかし、信じた私たちは神様から社会にキリストに連なるものとして派遣され、考え方や
価値観の違う人たちの中に生きることを余儀なくされています。
ですから、意見の衝突や、私たちの生き方に違和感を感じる人たちも当然おられます。
そこに衝突が、迫害が、嫌がらせがおきても不思議はありません。
つまり、そういう苦難は必然的にもたらされるのだとパウロは言い、そこで自分は練られ、
整えられ、新しく再生されていくのだというのです。
イエス様のことを語り、イエス様の命じた互いに愛し合いなさいという言葉を語ったりすると
「そんなの夢だ」「甘い」「損する」とかさまざまな意見が出てくるのでしょう。
パウロはそれさえも、神様は用意してくれている、想定の範囲内の出来事だと教えているのです。
私たちの手の祈りの説明文の中にも書かれていますよね。
「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」
私たちにとっていちばんの誘惑は、自分の弱さ、 不甲斐なさに絶望すること。
やりなおす努力を放棄することです。また、何事も争わず、対立せず、
波風を立てずに収めたいという思いも大きな誘惑です。
私たちの優しさが、不正に満ちた体制を支えることになりませんように。
私たちが互いに絶望することなく、この世の中で生きられますように
**
実は私たちにとっても生きることはキリスト。なのです。
このお方にすべて支えられ教えられ、助けられ、守られて生きているからです。
そして、このお方のおかげて平安のうちに「たんたんと笑顔と愛の応答と命への感動を味わいながら
生きられる道」を歩めるのです。
そして苦しみに出会った時、それは神様から与えられた「根を深く育てるチャンスだ」と
考えることができたら、良いのかもしれません。

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