【感動】自分の名も漢字で書けぬまま75歳を迎えた中国田舎に生まれ育った壮絶な人生物語り

  Рет қаралды 32,685

【OUR LIFE】Japan & China

【OUR LIFE】Japan & China

Күн бұрын

Пікірлер: 114
@yu8930
@yu8930 11 ай бұрын
泣いてしまいました… 今の自分を反省。もっと身近な幸せを感じなければ。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 11 ай бұрын
そう感じて頂けたのなら、こちらとしても嬉しい限りです。^^
@masadonna1984
@masadonna1984 Жыл бұрын
涙が止まりません・・ 自分はなんて幸せに何不自由なく過ごしてるんだなと もっと感謝して生きていかなくてはと思いました おばちゃま末永く長生きしてください!
@yuzu9100
@yuzu9100 Жыл бұрын
Yuzuです。 叔母さまの壮絶な人生、胸を締め付けられるような思いで見させて頂きました。 きっとその時代は、同じような経験をした方が、特に農村部にはたくさんおられたんだと思います。 辛いお話をしてくださった叔母さまに感謝です。 NHKのドキュメンタリーみたいでした。
@ねんざ25
@ねんざ25 Жыл бұрын
今の世代が何不自由することなく、過ごせているのは、この方々が必死に努力して生きられたからだ。感謝を忘れてはいけない。そう感じた動画でした。、
@xianghou-r8o
@xianghou-r8o Жыл бұрын
xianghouです。私も齢72。同世代として「涙・涙・涙」で軽々にコメントできません。言い難いお話を拝聴させて頂き有難うございました。
@user-kororo-i3n
@user-kororo-i3n 11 ай бұрын
そんな苦労をされたとは思えないおばちゃまの笑顔に癒されます。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 11 ай бұрын
そうですね。あの笑顔からは想像できませんよね。^^
@mema2251
@mema2251 Жыл бұрын
涙が出ました。 素晴らしい動画をありがとうございます
@hanamomonohana9963
@hanamomonohana9963 Жыл бұрын
泣いた。おばちゃまは本当の幸せを知っている人なのかもしれない。 震える中帰宅した釜戸から湯気。 極端すぎるけど、本当の幸せってそう言う事なのかな… これほど迄にご苦労された方に尊敬の念しかありません。 うまく言葉に出来ない。😢 いつまでも健康に気を付けて下さいませ。😢
@yaji8148
@yaji8148 Жыл бұрын
すごい時代を生き抜いてきたのですね。 旦那がうるさいだの、1人の時間が欲しいだのと毎日贅沢言ってる自分が恥ずかしくなりました。 同時に具合悪ければ見てくれる病院はあるし薬局にいけば、ある程度の薬は揃う。 今日のごはんは何にしようかと悩める、基本的な生活に感謝の気持ちが沸きました。
@ATSUSHI-g5v
@ATSUSHI-g5v Жыл бұрын
やっぱり年取ったなぁ~、まさかKZbin動画で涙腺が崩壊するとは😭 私も今年70歳になりますが、身近におばちゃまの様な究極な話は聞いた事もありません。 ただ、北朝鮮では同じ様な暮らしを今も続けていると言う話は聞いていますが・・・。「天はその人に乗り越えられない試練は与えない」とか、誰かが言っていましたが、 おばちゃまの人生は、普通の人に乗り越えろ!と言っても無理な苦難だった・・・と思います。残った人生を穏やかに暮らせます事を、ただ願ってやみません🤗🤗
@遠藤栄子-y4n
@遠藤栄子-y4n Жыл бұрын
おばちゃま😢大変な時代を生き抜いてきたんですね💦今 毛さん夫婦に囲まれて幸せな時間をたくさん過ごして下さい😊
@futian0515
@futian0515 Жыл бұрын
涙、涙。 よく挫折せず、ここまでの人生を過ごしてこられましたね。 もっともっと長生きして欲しいです。
@marusyo-kimura
@marusyo-kimura Жыл бұрын
おばちゃまは今考えれば大変な時代を過ごしてこられましたね。 私の父も生きていれば79歳ですが61歳で病気で亡くなりました。 亡くなる前に死に急いだかもしれないけど悔いのない人生を送れたから良いや!と言ってましたが その事を考えつつ毎日感謝の日々です😊 おばちゃまもまだまだ長生きしてほしいですね😊
@藤井秀-p4j
@藤井秀-p4j Жыл бұрын
このかたの出ている動画を繰り返し見ています。 高校生の時、パール・バックの大地を読み、とても感銘を受けました。特に第一部、オーランの描写には作者の愛情と共感、尊敬が感じられると思います。 私がこの方に感じるのも同じ気持ちです。 こうした画像を残してくださりありがとうございます。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina Жыл бұрын
ありがとうございます。2月に入ったら中国は旧正月を迎えますが、そしたらまた、おばちゃまの家に行くと思いますので、動画をお楽しみに~!!
@恵津子-u9h
@恵津子-u9h Жыл бұрын
恵津子です、やっとゆっくり見れました。素晴らしい動画でした、、おばちゃまこれからは健康で穏やかな暮らしが出来るよう願っています。
@晋司泉谷
@晋司泉谷 Жыл бұрын
おばちゃまの人生本当に大変だったんですね。 youtube見て初めて泣いてしまいました😰 ただその人生に恨みを持たないおばちゃまは凄く素晴らしい人だと思います。 私には何も出来ないですが、これからのおばちゃまやおじちゃんの人生が少しでも幸せな毎日になるように、心から祈ってます。 感動しました、ありがとうございました
@songan_thinsu0212
@songan_thinsu0212 Жыл бұрын
凄く涙が出る話で貴重な話でした。うちの親父の苦労話も聞いてましたが、それ以上の苦労話でした。色々な人に観てもらいたい映像です。 今は、幸せだと感じていてくれたら嬉しいですね。
@aatyaaty290
@aatyaaty290 8 ай бұрын
チンムー様、いつも素晴らしい動画をありがとうございます。 チンムーさんの動画を観始めてから、今まで自分の中にそっとうごめいていた、中国批判が無くなりました。今までごめんなさい、と言う気持ちです。 田舎シリーズ観るたびに、自分のばあちゃんちに行った気持ちになります。 心からの癒しありがとう。 そして中国と日本の心の架け橋 ありがとう🎉感謝いたします
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 8 ай бұрын
そう言ってもらえて光栄です。もちろん、中国の悪い部分もありますし、悪い人もいます。でもそれって、客観的に見ると、どこの国にもあることだと思いますしね。^^
@あいうえ-y1m5c
@あいうえ-y1m5c Жыл бұрын
泣いた😢生まれた時代と場所って大切
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina Жыл бұрын
そうですよね。そういう意味では感謝しないとですね。^^
@花梨-d3i
@花梨-d3i Жыл бұрын
素晴らしい動画を有り難うございます🙇 私も涙が止まりませんでしたよ😪可愛いおばちゃまのこれまでの人生が壮絶過ぎて。。中国の時代背景や過酷な家庭環境にも、恨むこともなく、とても働き者で病気の家族にも尽くし、養子息子さんも大学まで進学させ、生き抜いてきた人生に心から拍手を送りたいです😊🙏 おばちゃまたちは、実の姪の毛さんや優しいチンムーさん息子さん、お姉さんたちが頻繁に訪問してくれたり、病気の時も支えてもらったりがとても嬉しく感謝していると思いますよ😊 中国の老後の事情がよくわかりませんが、おばちゃまが健康で穏やかな老後を過ごせますようにと願ってやみません😊
@モモンガ-k4s
@モモンガ-k4s 10 ай бұрын
はじめまして。「大連」という地名に懐かしさを感じいくつかの投稿を見させていただきました。 私の祖父は旧満鉄職員だったのかな?(そういうかどうかはわかりませんが)家族で満州に渡り父は幼い頃に何年か過ごしたそうです。 父は晩年、幼い頃を過ごした中国に何度か訪れていました。その時に「大連」という地名を聞いたように記憶してます。私が幼い頃、祖母は満州で教わってきた餃子を皮から作り、包むのは女手全員でせっせとしていたのを思い出されました。他にも教わってきた料理があったと思うのですが思い出せません。。おばさまのお話を聞かせて頂き、時代は違うけど祖父母もこうやってその時を生きてきたのかなあって、想像でしかありませんが、亡き自分の先祖に思いを馳せました。とっても感謝します。懐かしさ、忘れていたことを思い出させていただけたことにとても嬉しく思います。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 10 ай бұрын
はじめまして。既に幾つかの動画をご覧頂いたとのことですが、お父様家族が感じていたかもしれない大連の古き街並み動画は、こちらの再生リストにまとまっていますので、他もご覧ください。何か発見があるかもしれません。→ kzbin.info/aero/PLn6LpTMIwUYqQm-Gzct1aYOJ1-8Ug_jsy&si=qIdKQhPxacXHQcAI
@モモンガ-k4s
@モモンガ-k4s 10 ай бұрын
@@OURLIFE-JapanChina ありがとうございます。またいくつか見させて頂きました❤️
@さやこ-b4e
@さやこ-b4e Жыл бұрын
こんばんは…田舎動画はずっと好きで見てます。コメントも何度かさせてもらっていますがこの動画は特別ですね… 貴重な話しをありがとうございます。チンムーさんの動画はやはり大好きです。 これからのおばちゃまが穏やかに過ごせますように 心から願っています。
@rococo9342
@rococo9342 Жыл бұрын
おばちゃま苦労されたとは聞いていましたが、詳しい事が分かって目頭が熱くなりました。 お金があれば薬を買う事も、家庭教師を付ける事も出来たでしょう。 しかし、それだけでは幸せになれない。目に見えないモノの方が大切なんです。 養子さんに沢山の愛を与えて、ご主人から愛されて 幸せを感じたおばちゃまは本当に心が豊かです。 自分の人生を恨んだり全くされていない。おばちゃま人生はこれからです。 おばちゃまこれからもお元気でお過ごしくださいね。
@yanzi-life-in-japan
@yanzi-life-in-japan Жыл бұрын
燕子の日本生活です。 ドキュメンタリー番組みたいで、昔の事がよくわかって感動しました🥹 おばちゃまの笑顔が好きなのでこれからも支えてあげて下さい😊
@ゆっこ-e1s
@ゆっこ-e1s Жыл бұрын
おばちゃま 強い方ですね❗️ 涙が止まらなくなりました😭
@yonyonlight
@yonyonlight Жыл бұрын
拝見させて頂きました。大変な時代に翻弄されて壮絶な人生があったことになんとも言えません。 そんなことがあったにもかかわらずおばさまは地道に生きてこられたことは尊敬に値します。 不思議なことですが、この動画を見終わった後、中国大陸の広さが脳裏に浮かんできました。おばさまの心の広さもあるでしょうか。 中国の農業の神様(神農帝)が温かく見守っています。 おばさまが残りの人生を穏やかに過ごされることを祈っております。
@todaboy3116
@todaboy3116 Жыл бұрын
お疲れ様です おばちゃま同様に先人の苦労があって私達の命は受け継がれています。命を大切にすること、利他の精神を忘れずに生きていきたいですね。
@ちとせ-y9p
@ちとせ-y9p Жыл бұрын
私はおばちやまより少し年上ですが、苦労知らずに来ました おばちやまの明るくて素敵な笑顔😀今が一番幸せでしようね。
@yhayashi505
@yhayashi505 Жыл бұрын
確かに、大変な人生ですね。・・・と簡単には言えないと思います。 チンムーさん達が一番近い親戚ですから、支えてあげてくださいね。
@baronred237
@baronred237 Жыл бұрын
私も還暦を過ぎた者ですが、改めて人間に、苦労しない者はいないと、再認識しました。 壮絶な人生を歩んで来られて、涙と言うよりは、ご苦労様でしたと、頭が下がります。 叔母さんが、如何様に思うかも知れませんが、残りの人生、出来る限り安寧に過ごして欲しいと思います。
@KM-iu3ld
@KM-iu3ld Жыл бұрын
おばちゃまの壮絶な人生と同じような環境が、昔の日本にもあったと思います。 おばちゃまのこれからの人生が穏やかに過ごされる事を希望します。 それにしても、お姉さんの存在感が凄くて、まるで牢名主に見えました😅
@三浦愛-v3l
@三浦愛-v3l Жыл бұрын
おばちゃまシリーズは特に好きで拝見させていただいいます(^^) ナレーションの心地よさ、言葉一つ一つへの思い入れ。 宮崎駿様のようにストレートに伝えない重き思い。 ノイズの入るタイミングなど全てすきです! 今後も皆様に有るべき幸せが続きますように
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina Жыл бұрын
気に入って頂きありがとうございます!! 田舎シリーズは当チャンネルの柱的な存在ですからね。ただ、そんなに頻繁に行けないことから、動画がコンスタントに出せないことと、いつ行ってもそんなに変わらない動画しか出せないことが気になっています・・・😅
@日本愛國
@日本愛國 Жыл бұрын
日本のことわざに若い時の苦労は買ってでもしなさいと有りますが、本当の苦労とは何かと考えさせられます。私の奥さんのご両親や家族も日本では考えられない苦労をしたと思います、オバ様やモ~さんの話しは心に染みます。(苦労知らずで育った私の妄言です)
@eri_waka8889xx
@eri_waka8889xx Жыл бұрын
おばちゃま苦労されてるんだなと心が痛みました😩💦 お母様の癲癇、、😢 画面越しですが、おばちゃまはニコニコされて本当優しい方なんだろうなといつも感じています😁 おばちゃま苦労された分、今後は、自分の時間も作られて欲しいですね😊おじちゃまが、体調がよくなられたら、2人で旅行とか楽しい時間を過ごされますように🙌
@user-OishiiYodaredori
@user-OishiiYodaredori 2 ай бұрын
17:49 私の祖母の話です。 祖母が子供の頃、祖母のお爺さんは、まだちょんまげをしてたそうです。 家にお客が来るとお茶を出すのだそうですが、後日、出がらしのお茶っ葉を、やはり天日干しにし、醤油で煮て、家族皆んなで食べたのだそうです。 お茶はお客に出すご馳走であり、薬( 体にいいもの )でもあったみたいです。 今、計算してみると、祖母は 1894( 明治27 )の生まれ。 午年でした。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 2 ай бұрын
それは凄く貴重なお話ですね~ 色々と昔のことを聞き出していたというのが凄いです!!
@user-OishiiYodaredori
@user-OishiiYodaredori 2 ай бұрын
@@OURLIFE-JapanChina このチャンネルこそ素晴らしいです。 いつか貴重な資料になると思います。 ^^
@rentajima410
@rentajima410 Жыл бұрын
おばちゃまの近くには、ずっと誰かしら病と戦う方達がいて、それを介助する生活が人生の大半であると…農作業や家事も並行してとなると、なんと過酷な… でも、おばちゃまの助けによって生きられた人達が少なからずいる(いた)のですから、 おばちゃまは、徳を積み重ねた大変立派なお方ですね! この先も、まだまだ元気に長生きしていただいて、幸せで温かな毎日を送っていただきたいです。
@アラレ-f5c
@アラレ-f5c Жыл бұрын
長くこのチャンネルを観て来ましたが、今日程涙が出た事はありません。ご主人がカンの上では死ねないから場所移してって話は、胸が痛かったです。 養子の息子さんが数年前まで全く寄りつかないってはなしでしたが、 旧正月顔出してくれたとは、おばちゃん的に嬉しかったでしょうね
@leilani8601
@leilani8601 11 ай бұрын
同い年ですが、戦後生まれで、餓えに苦しんだ記憶はなく、 祖母や両親からも戦時中以外はそこまで食糧がなかった話は聞いたことがありません。 当時の中国は共産党の支配と采配でまだまだ大変だったのですね。 今のなんでもある世代の人たちと違って、心温まる小さなことで幸せを感じるのは 心優しく、むしろありがたいことなんでしょうね。 お穏やかなお顔をされてますね。 これから少しでも長い時間お二人で過ごせますように。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 11 ай бұрын
そうですか~ 地域によっての違いもあったんでしょうかね。都会の方よりも、農家の方が食料は豊富でしょうし。優しいお言葉、ありがとうございます。^^
@ok-tomato
@ok-tomato 10 ай бұрын
いいや、戦後も食事にはかなり日本も困っていましたよ。お腹をすかせて犯罪に手を染める人があとを立ちませんでした。それが少年法ができた理由です。どの国も大変でしたよ。
@majimaji382
@majimaji382 6 ай бұрын
たまたま見たら今日はおばちゃまの誕生日ですね。 76歳お誕生日おめでとうございます!
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 6 ай бұрын
そうでしたか~ 偶然ですね!! でも、おばちゃま世代は旧暦で誕生日を考えますので、新暦目線でいうと、「毎年誕生日が変わる」って感じなんです・・・💦
@藤田雅久-j2j
@藤田雅久-j2j Жыл бұрын
おばちゃまは、筆舌に尽くし難い大変な毎日を過ごされてきたのですね。 私の母より年上なのにしっかりされているのは、幼い頃から苦労されて生きる力が途方もなく強いのでしょう。  今はすっかりボケてしまった母の面倒を看ながら日々を過ごしていると、 「さぞかし大変なご苦労を重ねてこられたのだなぁ…」と生い立ちから現在迄のお話を拝聴しながら まるで自分の事のように感じて胸が締め着けられる思いがしました。  生前、祖母に聞いた満州開拓時代の話では、初めは荒れ果てて栄養の無い大地の土作りから始め、 共に同じ大地を耕すに連れ少しづつ豊かになってゆく大地の変化と、何も育たないと言われた土地からやがて様々な作物や果物が育つ様になり、 それに連れ共に働く農民達も少しづつ豊かになってゆく様子に仕事のやり甲斐や手応えを感じて、それが随分嬉しかったという事でした。  なので、私の中での勝手なイメージでは、中国は作物が育つ豊かな場所でしたので、今回のお話は結構ショックな内容でした。 勿論、戦前の一時代とおばちゃま達が苦労されたいわゆる文化大革命前後の何ともいえないどんよりした日々のお話とは、 時代も環境も異なるのですから比べる迄も有りませんが、まるで時代が逆回りした様な厳しい現実を堪え日々を過ごされて来た現実には ただただ頭が下がる思いです。  しかし、実の親や兄弟とそういう経緯が起こるのって、本当に辛いし悲しいですねえ…
@阿部正-o8p
@阿部正-o8p Жыл бұрын
私は1956年生まれでそこそこ貧しい少年時代を経験しましたが、山に行けば山菜やマッタケが沢山ありましたし、家の側の小川にはドジョウやナマズ、フナ、シジミが採れました。少しばかりの野菜も作っていましたし、おばちゃまに比べたら恵まれていたと感じます。特に文革で経済が滞る時代は辛かったと思います。実は私の母も養子に出されていて亡くなるまであまりその時代のことは話しませんでした。 今回、おばちゃまは辛いファミリーヒストリーをよく話してくれましたね。きっと毛さん姉妹、チンムーさんがいつも親身になって気にかけてあげるからですね。これからもおばちゃま、おじちゃまのことを大事にしてください。
@けいこ渡邊
@けいこ渡邊 11 ай бұрын
おばちゃまと私は同じ歳です私も苦労してきましたがおばちゃまの様に優しい心は何処かに置いてきたのか面倒なことから逃げてしまいます。何故?私にも色んな虐められて来たからかな?優しい人になりたいけど、優しい心どこに置いて来てしまったのかなおばちゃまと仲良くなって優しい心❤️半分下さい😢
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 11 ай бұрын
いやいや、ご謙遜を。 「贈る言葉」っていう歌の歌詞にありましたけど、「人は悲しみが多いほど~♪ 人には優しくできるのだから~♪」って、本当にそうなんだと思いますよ~^^
@星空宇宙-q1w
@星空宇宙-q1w Жыл бұрын
星空宇宙です。 自分と比べて聞くと自分は幸せなんだなあとかんじました。 まだ独身ですが。‥‥‥‥‥車もある食べ物もある、なにが幸せなんだろう一番‥‥‥‥‥
@filipinpinya3618
@filipinpinya3618 4 ай бұрын
日本で言えば私と同じ団塊の世代、コルホーズ(集団農園)の時代ですね。本当に壮絶な人生だったのでしょう。女の人は強い! 戦後の日本も似たようなものでしたが、幸い中国と違い敗戦国ということで配給もありました。今の中国も、おばちゃまの生活を見ていると豊かとは見えませんが、生きるという楽しさが満ちているようです。 世界には恵まれぬ人々が沢山います。我々も、できることを、できるだけ・・
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 4 ай бұрын
そうですね。今では想像もできない時代だったようです・・・💦
@髙木智恵子
@髙木智恵子 Жыл бұрын
You Tubeって残酷だわと思った😢カメラの前でこんなに切なく辛い話を全世界に配信しなくちゃないなんて😢叔母さんは心根が優しく、そして。強い方なんだなぁと改めて思いました。辛く悲しい過去を感じさせない笑顔と姪姉妹家族への思いやり有り難うございます😢 思い出させて本当にごめんなさい🙇くれぐれも身体を大切にして長生きして下さい。
@keikoosaka1
@keikoosaka1 Жыл бұрын
おばちゃま、大変苦労されましたね。上手く言えませんが、あー、これ以上言葉出ません。
@公平青木
@公平青木 Жыл бұрын
おばちゃまは、家内の三姐と同い年なんですね。瓦房店の田舎で同じ様に他の人の畑仕事を請負って暮らしていました。今は年金で暮らしています。コロ前の年に日本に招待して我が家で二ヶ月暮らして貰いました。もちろんだけど外国は初めてですし、当然ですが飛行機も初めて。一番心配した事は、無事にイメグレから出て来られるかでした。😅 我が家ではのんびりと暮らして貰いました。その間大阪・奈良へ旅行に連れて行きました。日本に居る時は夏でしたので、毎日シャワー浴びてエアコンの中で過ごして貰いました。三姐にとって人生で一番良い暮らしだった様です。
@nobuyaogino9892
@nobuyaogino9892 Жыл бұрын
薄々は聞いていましたが,壮絶過ぎますね.
@KyokoMorishita
@KyokoMorishita 11 ай бұрын
この動画は衝撃的でした。 一人で見ていたので、肩を震わせ声を漏らして泣きました。 おばちゃまは私より8歳くらい上ですが、 その当時中国の農村はこんなだったのですね。しかし、 日本もそんな感じだったかもしれません。 ただ、日本にはさつま芋が育ち、飢えを緩和できたのでしょうか。 ても、「ホタルの墓」という映画の中で主人公たちは、タイヤを食べていますから。 私の一人の祖母はペニシリンが出始めた頃に、それをうたれてショック死してます。 また祖父の一人も戦時中、中国に送られ肺病に罹り 自宅に帰され亡くなり、私の母や叔父さんも貧乏なまま 畑仕事に明け暮れました。 学校に行けなかった分私を大学まで出してくれました。 お陰で 孫二人は東大に行きました。嘘みたいに信じられない展開が待ってました。 私たち人間の歴史は不思議ですね。中国も日本も繋がってますね。 この動画で肩を震わせて泣きました。 人生の大切なことを思い出させてくれてありがとうございました。😢❤
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 11 ай бұрын
お孫さん、凄く優秀ですね。代々繋いできた血が素晴らしかったんだと思います。 私の動画で何か感じて頂くことができたのであれば、それほど嬉しいことはありません。ありがとうございました。
@manekineko0627
@manekineko0627 5 ай бұрын
おばちゃまは、本当に前の旦那様を愛していたんだね。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 5 ай бұрын
そうですね。生活は苦しい時代だったと思いますが、愛があったことと思います。^^
@piyaima
@piyaima Жыл бұрын
涙が止まらない・・・
@はせがわよしろう
@はせがわよしろう Жыл бұрын
私は72歳、日本国でも前後は食べ物がなかった、サツマイモ、サトウキビ、小麦粉を練って作るすいとん、米は一年に数回、タニシ、ドジョウ、野鳥、蜂の子、オカイコのサナギ、食べてましたよ、
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina Жыл бұрын
大変な時代を生きて来られたことに頭が下がる思いです。本当の意味で「生きる力」をもっている世代ですね。
@user-margea
@user-margea Жыл бұрын
かつての中国の大変な時代の中でも更に苦労の多い人生を歩んでこられたのですね。 当時の写真を見て私の父が満蒙開拓団でハルピンに行っていた当時の写真や話を思い出しました。 満州の冬は立小便が直ぐに凍ってしまうくらいに寒かったと言ってました。 終戦の少し前に軍隊に入る為に国内に戻ってきたそうで長い満州の生活ではなかったみたいです。 当時の中国の田舎は同じ頃の朝鮮よりも厳しい状態なのかもしれませんね。 今の中国はかなり変化しているのでしょうが 田舎の暮らしぶりはさほど楽になってないのでは? 頻繁とはいかなくてもおばちゃんに気を配ってあげてください。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina Жыл бұрын
満州に行っていた時の写真が残っているんですね~!? 興味あります~
@user-margea
@user-margea Жыл бұрын
@@OURLIFE-JapanChina 今は何処に片付けたやら😅
@昔のあだ名ポン酢
@昔のあだ名ポン酢 9 күн бұрын
動画を拝見させてもらい、心が震え、ただただ己の未熟さに落胆しております。おばちゃまには頭が上がりません。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 8 күн бұрын
ご覧頂きありがとうございます。おばちゃまの人生を知ってもらい、何かを感じて頂けたのなら嬉しいです。^^
@Rekisi.Wo.Tadase
@Rekisi.Wo.Tadase Жыл бұрын
壮絶な人生ですね。。。 毛沢東もよくしようと思ってやったはずですが、、、
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina Жыл бұрын
そうですね。結果として多くの人が大変な思いをしてしまいましたね・・・💦
@マシーンラブ-l7y
@マシーンラブ-l7y Жыл бұрын
おばちゃまは正に時代に翻弄されたんだなぁ。おばちゃまの後ろで横になってるトドは😆笑った
@遠藤正朗-k8o
@遠藤正朗-k8o Жыл бұрын
45年前、日本でも自分の名前も書けない60~70代くらいのお年寄りがいたことを思い出しました。(いろんな人生を歩んだ人です)たぶん、今でもそのような方はいると思います。今、あるのかわかりませんが都市部で夜間中学という制度があります。事情があって学校に通えなかった人が夜間に中学校で勉強する制度です。文字、名前が書けない人が夜間中学校に通っています。
@牧志千恵子-m5l
@牧志千恵子-m5l 11 ай бұрын
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 11 ай бұрын
ハートマークありがとうございます!!
@madllainebrel5815
@madllainebrel5815 11 ай бұрын
誰よりも尊い。このような方が中国を押しあげた。毛沢東でも習近平でもない。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 11 ай бұрын
そうですね。おばちゃま、がんばりましたよね~^^
@マメにゃんchannel
@マメにゃんchannel Жыл бұрын
BSのドキュメンタリーを観ているみたいでした📺𓂃🫧‪ 人に歴史あり…ですね🥹
@Byaamyaa
@Byaamyaa Жыл бұрын
そうか、そうか。としか言えません。 ぽよT。
@福田成行
@福田成行 11 ай бұрын
貴重な映像有難う御座います 思うのは人は必至に働き家族を育てる日本の姿と同じ 只残念なのはその後の社会の仕組みの違いにより両国が大きく変わってしまった事です
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 11 ай бұрын
そうですね。いつの時代も、基本は変わっていないですよね。その中で一般市民は、時代の流れに翻弄されてしまうこともあるんですよね・・・
@のぞむ本田
@のぞむ本田 11 ай бұрын
涙が、止まりませんでした 共産主義だろうが、民主主義だろうが、お腹一杯ご飯が、食べれる時代が幸せなんだとつくずく思いました 幸せになって欲しいです
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 10 ай бұрын
ありがとうございます。その通りですね。今の我々は多くを求め過ぎているのかもしれません・・・
@のぞむ本田
@のぞむ本田 10 ай бұрын
タンスの上に寝てたが?なぜ??それが?ちょっと解りません💦💦💦
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 10 ай бұрын
田舎は、料理時の熱が寝室に流れ、オンドル的になっているので、冬は暖かくていいのですが、夏も熱いんです・・・💦 その他の場所は土間的な場所なので寝転がれませんし、タンスの上で寝ていたんです。ちなみにタンスはこちらの動画の24分当たりからをご覧頂くと、どのようなタンスかお分かり頂けると思います。→ kzbin.info/www/bejne/sJasc4GBd5Jsjtk
@中島久美子-r1j
@中島久美子-r1j Жыл бұрын
你好 阿栄ヒストリー おばちゃま 淡々と語っておられましたね、、 笑みも、、 ご自分の名前は 阿栄と判っておいでですか、、 旧暦1949.7.19は新暦1949.8.13。 農業の申し子の誕生。 17歳で一回り上の29歳の優しいご主人と初婚。27年間。48歳で再婚。またも今年で27年、、おじちゃまも優しい方とお見受けしました。 私も ちよっびり?年長の同年代。 これからは健康に留意してお二人仲良くお過ごし願います。 追伸 935 9(久)3(美)5(子)😊
@ノンアルコール-j8h
@ノンアルコール-j8h 10 ай бұрын
私は、こう言った昔の中国の話を聞くと思うのは、改革開放路線に転換した鄧小平は偉い人だとつくづく思いますね。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 10 ай бұрын
確かにそういう見方をする方、多いと思います。^^
@ok-tomato
@ok-tomato 10 ай бұрын
ODAとかなんのためにしてたんやろーな。日本は。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 10 ай бұрын
なかなか末端まで行き届かないでしょうからね・・・^^
@ok-tomato
@ok-tomato 10 ай бұрын
政府が吸い取ってたからですよー。大体やる必要なかったですから。
@44home32
@44home32 Жыл бұрын
昔は本当に貧しかった様で、内でも外の風が入ってくる様な家だった天井から蛇が落ちてくる枕元にアオダイショウだけど昔は天井板が無いからだけど 俺が小さい時は山に行って食べられる物を取って食べたりしまた。貧しいからどうのこうのと、て無かった周りが同じだから服は兄弟のお下がりが当たり前今は幸せ過ぎる今子供はあれ嫌いこれ嫌だと言うが気ままですしょうがないです時代が違い過ぎます。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina Жыл бұрын
そういう時代はまわりも皆同じだったから、当たり前のこととして、特別貧しさを感じることもなかったんですね。そう考えると、情報が溢れる今、「比較するものがある」ってのも、厄介なものですね。^^
@44home32
@44home32 Жыл бұрын
@@OURLIFE-JapanChina そうですね友達の誰々がゲーム持っている携帯持っているとか直ぐに周りと比べるからまぁ携帯は高校生になってから与えたけど色んな安全目です居場所や行動を監視してました。物騒なので
@prvdpodnzh7297
@prvdpodnzh7297 Жыл бұрын
国共内戦、大躍進時代、文革と正に激動の生き証人ですね・・おばちゃまの余生を楽しくする手助けをお願いしたいです。
@慈嘉桧耀佳
@慈嘉桧耀佳 2 ай бұрын
だろうね。文化革命後の中国に日本企業が進出した時(1970第年後半)にも、文盲の人がかなりの割合で居たと言う。農村部では当然だろう。日本の寺子屋の意義は大きい。一説では、日本が欧米列強に植民地にされなかったのは、日本の文盲率は列強国よりも低かった事が理由と言う。
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 2 ай бұрын
確かにそういった面で日本は凄いですよね。^^
@claudliu7550
@claudliu7550 Жыл бұрын
庄河银
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina Жыл бұрын
是的!\(^o^)/
@one-twoLock
@one-twoLock Жыл бұрын
おばちゃま素晴らしい。生きる力をもらいました。 🙏人生を謳歌して生き抜いている。苦労を苦労と思わずに生き抜く力は見習う処があります。 余生を今以上に楽しく過ごせるように末永くチンムー家族で支えてください。 、、、高齢者が今を生きる松川でした。
@youichikawasa
@youichikawasa Жыл бұрын
中共の歴史みたいな人生ですね。 おばちゃまの子供の頃がちょうど大躍進政策で多数の餓死者を出した時代。 大変な人と結婚したけど旦那さんが入院できたという事はお金が有ったか身内が党の有力者だったのかな。 おばちゃまが幼少期に過ごしていた所とか、訪れて見ておいたほうが良いかも知れませんね、時間的にも、、、
@南保博史
@南保博史 2 ай бұрын
待ってね。 おばちゃんは、毛さんの、父方の、おじいちゃんの妹なのよね! それで、毛さんの、お母さんは、おばちゃんと、仲が良かったのね? だから、毛さんは、おばちゃんの家に、訪問するわけよ! 血縁があるのか ごめんね、おばちゃんと、毛さん、血縁関係、あるかわからいね? でも、おばちゃんはさ、おばちゃんの料理の評価ね、毛さん、よりは、お姉さんを信頼してた、お姉さんは美味しいものは、美味しい! 毛さんは、皆んな 美味しいといってたのね? まあ、女性は、難しいのよ? 毛さん、おばちゃんの気持ち知ってる? ごめんね、チンムウさん、おばちゃんの家族と、上手くやってた? あまり、会話もないし、正直! チンムウさんは、面倒臭い。そうね、チンムウさんは、おばちゃんの家族と、接し方、悩みあったね? そうね、最近、お姉さんと話した?、姪御さんと話したことある? まあ、チンムウさん、不器用だね?
@OURLIFE-JapanChina
@OURLIFE-JapanChina 2 ай бұрын
そうなんですよ~ 私は不器用で、コミュ障なんです~!!(笑)
中国人姉妹の子供時代。キレたら最後!手に負えない女!
13:20
【OUR LIFE】Japan & China
Рет қаралды 18 М.
When you have a very capricious child 😂😘👍
00:16
Like Asiya
Рет қаралды 18 МЛН
“Don’t stop the chances.”
00:44
ISSEI / いっせい
Рет қаралды 62 МЛН
To Brawl AND BEYOND!
00:51
Brawl Stars
Рет қаралды 17 МЛН
Inside The World’s Deadliest Coca-Cola-Addicted Town
28:56
Bappa Shota
Рет қаралды 2,8 МЛН
再UP「母と子の50年ーアルゼンチン花嫁移民」
29:30
おきなわBBtv
Рет қаралды 86 М.
When you have a very capricious child 😂😘👍
00:16
Like Asiya
Рет қаралды 18 МЛН