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ナレーション「中原街道は、港区虎ノ門を起点として、品川区域内を南北に縦断し、大田区、川崎市、横浜市を通り、平塚市の中原まで、およそ60キロをつなぐ幹線道路です。中原街道の成立の詳細は不明ですが、古代、東海道の道筋とも重なる可能性もあり、古代から中世にかけて重要な役割を果たしたことが想定されます。今回の品川歴史探訪では、この中原街道の歴史を紹介します。それでは、品川の歴史を辿ってみましょう」
ナレーション「品川区立品川歴史館。平成22年10月10日から11月23日までの期間、特別展『中原街道』が開催されました。特別展を企画された経緯について、学芸員の白石さんにお聞きしました」
学芸員「中原街道は古代・中世から続く道とされ、徳川家康が江戸入府した際に通ったともいわれています。また、江戸時代初期には、街道沿いに2箇所の将軍の御殿が建てられ、鷹狩りなどを行った際の宿泊地などに用いられました。東海道と共に重要な道であった中原街道は、近年スポットを浴びる機会は少なく、人々にあまり知られていませんでした。この中原街道をより多くの人達に知っていただきたいと思い、特別展を企画いたしました。中原街道全体を体系的に知ることができる展示となっています」
ナレーション「中原街道に関する資料が多く展示された特別展は、中原街道の歴史を知る機会になったと、ご好評をいただきました」
ナレーション「それでは、中原街道の歴史を辿ってみましょう」
学芸員「中原街道が絵図や文書の中に姿を現すのは江戸時代に入ってからです。それ以前の古代・中世の中原街道の姿はあまりよく分かっていませんが、わずかに残された資料からその姿をうかがうことができます」
ナレーション「後三年合戦絵巻(ごさんねんがっせんえまき)は、平安時代後期に東北地方で起こった後三年の役(ごさんねんのえき)が描かれています。こちらの絵は、京にいた新羅三郎源義光(しんらさぶろうみなもとのよしみつ)が、後三年の役の鎮圧に向かった兄義家(あに よしいえ)を助けるため、馳せ参じて対面した場面です。品川の中原街道沿いの平塚。源義光の兵は、後三年の役の帰路に盗賊に襲われ多くが命を落としました。付近の村民は、亡くなった兵を埋葬して塚を築きました。平塚の地名は、その塚に由来すると言われています。古代、中原街道が京から奥州へ向かう交通路であったことが想像できます」
ナレーション「江戸幕府は、東海道などの五街道(ごかいどう)を主要幹線として整備しました。五街道以外の街道は、脇街道(わきかいどう)、脇往還(わきおうかん)と呼ばれていました。中原街道は脇街道と位置づけられていました」
学芸員「徳川家康をはじめとする徳川将軍家は鷹狩りを好みました。鷹狩りの目的は遊楽といわれていますが、むしろ地域の実情把握や在地土豪への支配、家臣団の統制、逸材の登用などの政治的な要素が強かったと言われています。中原街道にも小杉(現在の神奈川県川崎市中原区)と、中原(神奈川県平塚市)の二か所に鷹場が設置されました」
ナレーション「鷹場の近くには、休憩所として御殿(ごてん)が設けられました。中原、現在の神奈川県平塚市御殿(ごてん)にも、慶長元年(1596年)、中原御殿が造られました。しかし、明暦3年(1657年)に取り壊されてしまい、御殿跡には松が植林され、中原御林(なかはらおはやし)となりました。小杉御殿は、慶長13年(1608年)に、現在の神奈川県川崎市中原区小杉御殿町(ごてんちょう)周辺に造られました。寛文12年(1672年)に御殿は無くなりました。この絵図は御殿が無くなった後に描かれたものです。御殿地跡(ごてんちあと)と書かれた敷地の中には家康も休憩をとった『御主殿御休憩之間』(ごしゅでんきゅけいのま)がありました。そして、中央より上を東西に鍵形に走る道が
中原街道です。現在の中原街道もこの鍵形が残されています」
ナレーション「中原街道は、人々の往来だけではなく、物資や商品輸送の道として利用され、沿道からの農作物を江戸に輸送する重要な道として、江戸の人々の生活を支えました。また、中原から幕府に献上される酢が運ばれたことから『御酢街道』とも呼ばれていました。中原街道は、関東での山岳信仰の霊山・大山に向かう大山街道に繋がる道でもあったことから、江戸庶民の大山詣(おおやままいり)の際に利用されました」
ナレーション「江戸時代、中延八幡宮(なかのぶはちまんぐう)、現在の旗岡八幡神社(はたがおかはちまんじんじゃ)は、源氏に縁のある神社ということで、武家の信心が篤く参拝が堪えませんでした。参拝者の多くは中原街道を通ってきたといいます。現在この周辺の地名は、源氏の白旗に由来する『旗の台』という名が付けられています。境内には絵馬殿があり、神社には奉納された貴重な絵馬が保存されています」
ナレーション「明治38年に、雉子神社を南側から撮影した写真があります。真中に通っているのが中原街道で、当時は砂利が敷かれていました。曲がりくねっていた道も、現在は直線の道路となっています。こちらの写真は、昭和3年に、西五反田にあった星製薬の屋上から撮影したものです。中央に走る道が中原街道です。現在、中原街道はその姿を大きく変え、昔を偲ぶ姿はあまり残っていません。しかし、街道沿いに残る史跡や、歴史を伝える資料などから中原街道が歴史ある道であったことが分かります。品川区には、昔を偲ぶ史跡が数多くあります。みなさんも、身近にある史跡を訪ねてみてはいかがですか?次回も品川歴史探訪をお楽しみに」