思ったんですけど、Vision Pro で見える世界で、人間が「現実と変わらないと思って、感動する、だからこのくらいでいいのではないか」というのは、間違ってる気がしたなあ。たった今、目の前にある最高の画質の「映像で見せられる現実」は、過去にあった「それ」より確実に解像度が上がっている。それは当たり前のことなんですけど、その…「人が『解像度を上げていく(というか、上がった結果、過去を振り返ると、ああ、やっぱ改造度が高い〜現実感がもっとあったほうがいいなあ』と思うこと、を…「音」「音楽」で実感したことがあります。 ヤマハのDX7で作ったと思われる「琴の音色」を1983年に聞いた時「ああ、これ、まさしく『琴』じゃん!」と思ったのですが、同時期(というかそれ以前からあった)のサンプリングの「琴の音色」は、まさしく「琴」。比べれば、DX7の「琴」の音色は、現実(サンプリング)の「琴」の音色とは、くらぶべくもなく「琴ではない」と思ったのですが、でもそのDX7の音は、バーチャルでまさしく「琴の音」だった。時が下って、機材のレベルが上がり、あらたな生成法(サンプリングではない)で作った「琴の音」は、かつてのDX7の「琴の音」より確実に「解像度が上がって」いた!その時点で、念の為に DX7で作った「琴の音」を聞いたらやはり「解像度が低くて、チープ(音楽的には問題なし!)」だった。ことほどさように、人間は高い解像度を求めるのだなあ、と。コンテンツの内容、は、解像度に依存はしないけれど、ですが。