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定子死後の清少納言の動向については確定していませんが、かつて捨てたはずの夫の元にいる際に一条天皇から便りを貰ったり、藤原公任や和泉式部、赤染衛門と和歌のやり取りをするなど、世間とも関わりを持ち続けていました。
枕草子も、定子の死後10年経っても書き続けられており、彰子が2人も皇子を産み、藤原伊周が亡くなるなど敦康親王の後継者の座が危うくなり始める中でも自身の彰子サロンを間接的に貶めてくる清少納言に、紫式部は怒りを露わにします。
清少納言は、敦康親王の元に参上していた形跡があり、定子だけでなく一条天皇も亡くなり、後継者の座まで失った敦康親王を陰ながら支える後半生を送ることとなりました。
今回は、女房として直接仕える道は選ばなかったものの、定子の墓の側で静かに余生を送ったわけではない、枕草子で定子とその子供たちを照らし続けた清少納言の戦いについて紹介します。
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参考文献
後藤祥子『平安文学の謎解き:物語・日記・和歌』
amzn.to/3zX1s0F
山本淳子『枕草子のたくらみ』
amzn.to/3STfuaF
萩谷朴『清少納言の晩年と「月の輪」』
(大東文化大学日本文学会編『日本文学研究』20 1981)
cir.nii.ac.jp/...
下玉利百合子『枕草子周辺論: 続篇 (笠間叢書 283)』
amzn.to/3Rm4i5u
山本淳子『紫式部日記と王朝貴族社会』
amzn.to/4bTtk3l
加藤静子『王朝歴史物語の方法と享受』
amzn.to/4dCscT1
三田村雅子『月の輪山荘私考ー清少納言伝の通説を疑うー』
(並木の里の会『並木の里』6号 1972)
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【目次】
01:20 定子死後の清少納言
08:30 枕草子の執筆再開
14:56 清少納言と紫式部の対立
#光る君へ #清少納言 #定子 #大河ドラマ