日露戦争の謎!!国力10倍の国になぜ勝てたのか...【ゆっくり解説】

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にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】

Күн бұрын

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歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願いします。
osigotoiraihakotira@gmail.com
#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説

Пікірлер: 153
@user-Yohane564
@user-Yohane564 10 ай бұрын
伊集院信管と下瀬火薬の話すき
@強欲で強欲な壺-4drawcard
@強欲で強欲な壺-4drawcard 11 ай бұрын
黄色人種が当たり前に冷遇・差別されてる時代に親しくなれたり信頼されたりってなかなかできないよね
@マーク3-y9r
@マーク3-y9r 11 ай бұрын
東郷提督のやっている事がまんまトラファルガー海戦のネルソン提督とほぼ同じと言う事実、恐ろしいですね。
@xapaga1
@xapaga1 9 ай бұрын
敵ナポレオン軍は海戦の最中にネルソン提督狙撃に成功したが、ロシア軍は東郷提督を討ち取ることができなかった。東郷の強運よ。その豪胆さが強運を呼ぶのであろう。
@meromaro7464
@meromaro7464 4 ай бұрын
>まんま >ほぼ同じ ?
@veryvery525
@veryvery525 9 ай бұрын
すごくわかりやすい。 当事国だけではなく、関係各国の情勢や思惑まで解説されている動画は初めて見た。 細かい戦闘の経緯より、こういう、当時の人々が何に直面してどう行動したかが知りたかったのでとても嬉しい。
@日比野光宏-y1w
@日比野光宏-y1w 27 күн бұрын
特にイギリスが日本と締結した日英同盟が、日本有利に導きました ロシア以外の参戦国が現れて一方の国が攻撃されたら、もう一方の締約国が参戦する……というものでした イギリスが事実上日本の味方となったので、フランスやドイツは下手に介入出来なくなりました
@silktrooper
@silktrooper 9 ай бұрын
わかりやすくありがとうございます。 政治的な戦いも含めた 「世界史で最初の総力戦」と言われたのがわかります。
@トトメス-p1k
@トトメス-p1k 11 ай бұрын
政治家や外交官や軍人など、結局は「人」の振る舞い方が信頼や好感につながり、のちの「戦勝」という大きな成功の布石になるってことか。 俺なんかなんの影響力もない下々の庶民に過ぎないけど、外人・日本人関係なく親切に接するよう心がけようと思えた動画だった。
@高田耕作-i3b
@高田耕作-i3b 9 ай бұрын
@ウイスキー大好き-m8k
@ウイスキー大好き-m8k 5 ай бұрын
厳しい時代だったんだろうけど大臣や役人が何と言うか生き生きとしてるように感じる。成長期って感じ。
@breezecaller
@breezecaller 11 ай бұрын
「戦費調達に成功した」という、「これがなければ戦い以前の問題に終わる」要素を除けば、 ・長期戦になると不利であることを自覚していたこと、 ・そのために戦争を早期に終結させるための外交的努力があったこと(開戦が1904年2月、7月頃には仲介役を探し始めていたことを考えれば相当早いし、戦闘が有利な状況でも講和を模索していた)、 ・このため、賠償金等で妥協してでも「戦争の目的を果たすこと」を重視して講和に持ち込んだこと、 ・帝政が末期を迎え、ロシアの民衆の側にいまいちやる気がない状態のまま戦争が終わった 以上の4点が大きかったでしょうね。 逆にいうと、「仲介役を探すことをすっぽかして戦い続けた」「戦闘が有利な状態に甘んじて戦争を継続した」「講和するに際して賠償金等の欲をかいて破談する」というミスをやったら、国力の限界を超えて敗北一直線だったのではないでしょうか。 むろん、「やる気があるのはツァーリとその周辺だけ」という帝政ロシア末期でなければこれもやはり危なかったでしょう。 --- もっとも、日本国民の間でこれが受け入れられたかというと別で、その答えが日比谷焼打事件だったわけですが。 この「大勢を見ずに熱狂しやすい」性質が最悪の形で噴出してしまった、更に、「外交的努力を尽くし、戦争の目的を明確化させ、国力の限界を認識する」ということを完全に忘れてしまい、「戦闘で勝ってれば何とかなる」風に解釈してしまった結果が第二次世界大戦の敗北でしょうね。
@user-tk9sb6gt9s
@user-tk9sb6gt9s 8 ай бұрын
すごいわかりやすい
@ウイスキー大好き-m8k
@ウイスキー大好き-m8k 5 ай бұрын
次は上手くやるために振り返る事は大切です。ただ当時の人たちが必死にあれこれもがいた結果だと思いますし、何なら現代よりもよっぽど神懸かり的な人材がいた時代です。負けたら奴隷、戦わなくても奴隷になる世界で果たしてどこまで客観的に国の舵取りができるものでしょうか。
@hirokane6308
@hirokane6308 2 ай бұрын
これくらい普通に客観的に、歴史を見れる人はいつの時代も1割くらいしか居ないと悟っている。 常に歴史は9割の愚者に引っ張られると見てるよ。 最悪の安倍から、コロナのヒステリ。 今頃、ピーピー抜かす奴の多い事。 これだけ80年前より情報が「圧倒的に」手に入れれる時代でこれだからね。 いくら情報があっても、知ろうとも、考えようともしない動物園には同じ事だよ。 物事が分かり過ぎるのも、不幸なのかも知れないな、どちらにしても大半のチンパンジーが押し切る訳だから。
@せみまる子
@せみまる子 9 ай бұрын
戦争は政治の延長の手段って聞いたことあります。たとえ相手が強大でも拙いながら戦略的に勝てる布陣を取っていた政治力に驚嘆させられます。当然現地将兵の皆様の奮励努力あっての結果でもありますが、どうやら戦勝の教訓を曲解した後世の人達によって、「戦ってから勝ちを求める決戦第一主義」に塗り替えられてしまったのは残念
@MasatoAoki-z7q
@MasatoAoki-z7q 9 ай бұрын
ロシアでは血の日曜日事件を契機に絶対王政打倒という民衆動きが活発となり、日本との戦争より王政の維持の方が急務の課題であり10割の戦力を使うことが出来なかった。
@xapaga1
@xapaga1 9 ай бұрын
ロシアの革命勢力を裏で支援したのが日本だ。ドイツもその10年後には同様にロシアの革命勢力を裏で支援した。ところが更に30年後にはドイツも日本もソ連のスターリンに国もろとも凌辱されてしまうのだから皮肉な話よ。
@ウイスキー大好き-m8k
@ウイスキー大好き-m8k 5 ай бұрын
当時日本はロシアに対して盛んに工作を仕掛けていたんだよね。今の日本はどうかな?🤔
@meromaro7464
@meromaro7464 4 ай бұрын
民衆動き ➡ 民衆の動き
@MasatoAoki-z7q
@MasatoAoki-z7q 4 ай бұрын
@@meromaro7464 さん 御指摘ありがとうございます。
@長尾英徳
@長尾英徳 10 ай бұрын
現在の日本人の日露戦争感に大きな影響を与えたのが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」です。この作品で敗戦によって忘れかけていた明治時代の日本の偉業(敢えてこの言葉を使用します)を戦後生まれの多くに周知させた功績は大きいです。唯、あくまでも小説という形態を採った為、著述上の制限から特定の人間に功績が偏ってしまった傾向が無きにしも非ず。この司馬症候群を是正すべく、近年日本ではこの戦争に関わった多くの人々の功績を表した著書や記事が随所で見受けられます。個人的には別宮暖朗氏の「坂の上の雲では分からない旅順攻防戦・日本海海戦」の二冊の著作が、この司馬症候群への最良の処方箋と考えております。
@awayasumio
@awayasumio 8 ай бұрын
既に司馬氏が無くなって30年。もう影響は少なくなっています。ですがドラマ・映画の影響はまだまだ残っていますね。 司馬文学は元々が小説(フィクション)です。事実ではないと認識すべきですが、事実と思っちゃう方が 一時期増えたため、こころよく思わない方々が「司馬症候群」とか言って全否定に回った気がします。 司馬史観の重要ポイントは「愚かな大東亜戦争」ということ。そう言われるのが困る勢力が司馬先生の 亡くなったあと、活発にケチをつけ始めたと思っています。
@大東亜解放神-d8p
@大東亜解放神-d8p 7 ай бұрын
しかし司馬史観は明らかに間違ってたんだから批判されるのは仕方がないと思う。 だいたい旅順攻防戦にしたって、司馬は日本軍の死傷者はロシア軍の三倍と書いてあるが実際は日露でほぼ同数だ。 乃木の塹壕やトンネルを駆使した合理的戦術があったればこそ、その程度の損害で済んだ。 司馬の事実誤認は指摘されても仕方ないよ。
@イカタコ-k8h
@イカタコ-k8h 9 ай бұрын
何故か…火薬だったり塗料だったり枝葉的なことはいろいろあると思う。もし戦さの神さまがいるとしたらこのときニッポンに微笑んでくれたんだと思う。主力が対峙したシベリア方面が記録的な暖冬だったから…冬将軍がロシアに味方しなかったのが私らに幸運だった。
@lionheart191
@lionheart191 7 ай бұрын
敵も知らず己も知らざれば完敗避け難しとは結果が示してるね😱
@リックの店
@リックの店 11 ай бұрын
明石元次郎には全く触れないのね! ビンヒ暗殺に絡む疑惑には全く触れないのね! 素晴らしい内容だ!
@かわぐち川口晶寛
@かわぐち川口晶寛 5 ай бұрын
1:00
@高田健一-l7l
@高田健一-l7l 6 ай бұрын
シベリア鉄道の単線一本で大兵力を維持するのは無理。 最初に運んでいた物資が底をつけば戦争継続はできなくなる。 日本海の制海権をとって日本の補給を絶とうとしたがそれに失敗したらやめるしかない。
@joemax6916
@joemax6916 9 ай бұрын
軍事的に勝ったというより、ロシア内の上下で厭戦気運が高まっていた時にタイミングよくアメリカに講和の仲介をさせた「外交を含めた長期展望による戦略」の勝利と言った方がいいだろう。
@user-tk9sb6gt9s
@user-tk9sb6gt9s 8 ай бұрын
その通りです クラウゼヴィッツの「戦争論」通りの展開です
@kousok-through
@kousok-through 11 ай бұрын
日露戦争時秋山支隊には確か牽架機関銃配備されてたと記録には有りますよね
@上原隆則-l9k
@上原隆則-l9k 11 ай бұрын
10倍の 国力でも 何割ぐらいまで 実力が 出たのか疑問
@breezecaller
@breezecaller 11 ай бұрын
これ、せいぜい20%出てればいい方なんじゃないですかね‥。 国内では専制体制がゆらぎ、国民の暮らしはよろしくなく、軍制にもガタがきていた上、ロシア国民が「戦争に関心がなくやる気もない」状態と、「死にかけ」というに相応しい帝国末期でしたから。 更に、日露戦争の戦場が欧露から遠くの「辺境」であり、兵員等の輸送も兵站の維持もひと手間どころではない(例えばバルチック艦隊は超長距離航海の末、戦場到着時点でボロボロになっていた)等々、ロシア側にとっては悪条件が山積みだった感あります。 (日本は逆に、国力を100%を超えて絞り出した感じ。だからこそ早期決着狙いだったとも。)
@satootto
@satootto 9 ай бұрын
アメリカと違って、国力を全力投入して来なかった一面はあるな。海軍は全力投入して、ほぼ全滅したが。
@森本輝夫
@森本輝夫 7 ай бұрын
ヨーロッパ70% 日本   30%😂😂
@user-lx1ns2hz4n
@user-lx1ns2hz4n 6 ай бұрын
​@@森本輝夫日本単独で30%のリソースさかせるとかすげぇな
@ポイフルアポロ
@ポイフルアポロ 5 ай бұрын
@@user-lx1ns2hz4n 20%くらいは清帝国との長い国境警備用だと思うけどな
@すくも丁
@すくも丁 11 ай бұрын
噂によると諜報活動や根回しに莫大な戦費を使ったと聞いています。 あと、日露戦争の戦費の返済が最近まで続いていたとか。。。
@xapaga1
@xapaga1 9 ай бұрын
日本は1980年代のバブル直前まで払い続けて完済した。借金を完済する国は国際的にも信用される。ちなみにイギリスも第二次大戦直後にアメリカから借りた巨額の借款を21世紀になって完済した。期日ギリギリの完済だった。
@クアン-q3p
@クアン-q3p 9 ай бұрын
諜報活動については、当時の金額で1000万位円つかって、ロシア諜報部を買収した。て、話があるんですが!(詳しくは、みなもと太郎氏の「松吉伝」を!)
@すくも丁
@すくも丁 9 ай бұрын
わたしも、松吉伝を読みました^_^
@fuugetsukachou4797
@fuugetsukachou4797 9 ай бұрын
常に背水の陣で士気が高い日本軍と 余裕があるが士気が高くないロシア軍との差 クロパトキン大将が慎重派で撤退を即決する戦略にも助けられたと思う もし負けていたら現在の日本はないだろうと思うと感謝しかない ただこの勝利が後々慢心となって悲惨な敗戦に繋がったようにも思う
@satoshuji236
@satoshuji236 9 ай бұрын
ロシアからの戦後補償をほとんど取れずに当時の日本国民が激怒し暴動が起こったんだから戦争に勝ったんじゃなくて有利に講和しただけだったが、もし負けていたら日本は悲惨な歴史を歩むことになっただろう。
@にあみんと
@にあみんと 6 ай бұрын
この時の日本の外交力はピカイチだったのに、太平洋戦争のときはどうしてああなってしまったのか
@のわんのわん
@のわんのわん 9 ай бұрын
ポーツマス講和を用意してくれたのに 満州の利権を米国に分けてヤらなかったのは失策 高くついた
@ウイスキー大好き-m8k
@ウイスキー大好き-m8k 5 ай бұрын
大陸に進出したがっているアメリカを鉄道利権や商業開発で巻き込めたら対中対露戦略が抜本的に変わっただろうね。 正直アメリカの物量に支えられた日本兵の忠実で果敢な攻勢がどのようなものか見てみたかった🤔
@SuperFour-ng6im
@SuperFour-ng6im 9 ай бұрын
日露戦争でどうにか勝利できたのは周到な根回しと情勢分析があって、ロシアにロシア革命が起こりつつある国内事情もありました。 203高地や日本海海戦の後にロシアが戦争継続を決意していれば、日本に勝ち目がなかった事でしょう。 周到な根回しもそうですが、僥倖もかなりの部分あった勝利でした。 この成功体験が太平洋戦争で悪い方に働いて、根回しや情勢分析もデタラメな落とし所のない戦争に入り込んでしまったのかも知れません。
@hana-ye9wi
@hana-ye9wi 4 ай бұрын
そういえば昔の軍歌に旅順とか、敵の将軍ステッセルってセリフがあったね これって日露戦争の歌だったんだ~
@中村嘉雄
@中村嘉雄 2 ай бұрын
水帥営の会見ですね😊
@lionheart191
@lionheart191 7 ай бұрын
日露で上手くいったから大東亜でも同じ方針で始められたわけか😱
@金ぴか70
@金ぴか70 8 ай бұрын
私の知識は教科書レベルだったので、詳しいありがとうございました。 小さな島国で、開国して間もない日本。だか、日本は強かっし、開戦前の根回しも天才的だし、運もいい。沢山の犠牲も出て、聞いててとても悔しく胸熱でしたが、兵力、国力もはるか上のロシア🇷🇺に勝てて、本当に先人日本は昔っからずーっと強く誇り高かったのだと改めて思いました。
@慎吾堀-r7w
@慎吾堀-r7w 4 ай бұрын
陸軍の奉天会戦は両軍合わせて60万の将兵。史上最大の会戦。 日本軍スゴイ。
@枯れ木-c3r
@枯れ木-c3r 3 ай бұрын
「もう一つの対馬」でロジェンスキーの視点でみたら、東郷いなくても壊滅してたと思う それよりも、陸軍の砲弾備蓄量があと何回戦もロシアと戦えるほど備蓄があったから講和できた 司馬せんせーがいうほど、日本軍に砲弾がなけりゃ露軍は反転攻勢でせん滅してたよ それができないからこそロシアは日本と講和した、、、陸軍の理性の勝利よ
@グリーンアイ-q5l
@グリーンアイ-q5l 11 ай бұрын
この時は事前に終わらすまでの見通しがしっかり練られ根回しできてたのは大きい 後の太平洋戦争と比較すると戦争前段階から違う 負けに不思議の負けなしってね
@オーデンス
@オーデンス 10 ай бұрын
まさにその通り。太平洋戦争時には東條英機が、いまは竹中平蔵が居るので予断は許されない。
@kenjimakabe2928
@kenjimakabe2928 10 ай бұрын
太平洋戦争は完全にアメリカ(正確にはF.D.ルーズベルト)のやらかし。むしろ無条件降伏(日本はほとんど要求されていない状態)での終戦と戦後(冷戦)における戦勝国の立ち位置を確定させる勝利パターンに入れた政治家たちを高く評価するべし。
@uuuun-i1b
@uuuun-i1b 8 ай бұрын
やはり大英帝国と同盟関係にあったことが大きい。日本も英国の後ろ盾がなければ戦えなかったと思う。
@hirokane6308
@hirokane6308 2 ай бұрын
バルチック艦隊など、どんどけの長旅をしてきたか、しかも係留地でイギリスの嫌がらせで物資の補給もママならない。 勝って当たり前の海戦を情報少ないとは言え、多数の無知な庶民が信じたのが、太平洋戦争でボロカスにされる前置きね。 国でも、マスコミでもなく、無知な庶民が熱狂してたのが真実だろうよ。 そしてあのザマ。 ウヨは、すぐにマスコミだの今でも言うが、自分で考える頭が無いんだろうね。 ま、イギリスが味方してたのも確かに明治頃からそうだが、一種、日本を裏から操る為と陰謀論的に考えるのも当たりに近いと思うな。 今はイギリスの子供のアメリカに置き換わってるが。
@TASUKU.M
@TASUKU.M 7 ай бұрын
日露戦争の頃の日本人は幕末アガリの人達が多数いて喧嘩の仕方を知っていた なので開戦前から各国へ外交根回し、そして開戦当初から露と和平交渉を進めていたそうだ 時は過ぎ太平洋戦争においては…
@花坂寿郎
@花坂寿郎 11 ай бұрын
ロシア側も革命前夜で日本の相手してる場合じゃなかったしね…… 戦術面でも旅順落とした乃木第三軍を過大評価し過ぎた……
@TheBikkuri
@TheBikkuri 9 ай бұрын
シベリア鉄道の兵站が兵力×1/10未満にしたと言える。当時の輸送単位は列車1本800t程度。単線ネットダイヤだとの場合駅間距離が輸送密度を決定する。シベリア鉄道は駅が30km以上に1駅しかなく、この場合2時間おきで一日片道12本、1万tの輸送力となる。 これが複線化されると待ち合わせの必要無く10分おきに運転することも可能でその場合は1日144本11万tと単線の10倍からの輸送も可能にします。日露開戦が急がれたのはロシアが当時複線化を進めていたという事情もあったのです。開戦後、日本の参謀本部の見積もりよりロシアは3倍多く輸送をしたのだが、これは日本の知らない片輸送、単線を一方通行で使うことで日本を驚かせたのです。定説によるとシベリア鉄道沿線で貨車を作っては満州へ送り、木造部は兵舎や燃料に使い、機関車と貨車の車輪など鉄製部材のみ反対方向へ送り返して逆行列車を節約したということです。 満州南部は森林資源が薄く、製材を使えた露軍は守備側でもあり有利さを増したと思われますが、日本は黒溝台など厳寒期の戦いで有利に進撃し敵はさぞ驚いたでしょう。
@kazudnt31
@kazudnt31 3 ай бұрын
戦記のベースが坂ノ上の雲っぽい
@blacktsar
@blacktsar 10 ай бұрын
米英 ユダヤ財閥の支援のおかげ😊
@39yamaha-pop
@39yamaha-pop 11 ай бұрын
いまでは当たり前の天気予報ですが、当時は戦局を左右するので機密情報とされてました でも、コレが日露戦争に含まれるかどうかが定かでないので聞きかじりのコメントして流して下さい
@竜涎香-g9o
@竜涎香-g9o 7 ай бұрын
気象台は毎日聯合艦隊に気象予報を送っていました。 動画にある「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」は、当日の予報 「天気晴朗ナルモ波高カルベシ」 を秋山真之が出動に当たって 「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 聯合艦隊ハタダチニ出動 コレヲ撃滅セントス」の後に付け足し大本営に送ったものです。 この予報があったために、霧が晴れることを予測していました。
@whjb50bf82
@whjb50bf82 9 ай бұрын
明治の父祖たちは実に偉大であった!実に誇らしい!
@新宿鯖
@新宿鯖 9 ай бұрын
明治は政治と軍がタッグをしっかり組んで国難に当たっていたが、昭和は軍を政治が制御できなかった。
@ねこもどき-l8f
@ねこもどき-l8f 4 ай бұрын
日露戦争時に無敵の赤や白の軍服を着た日本兵が居たとの噂があるから不思議だよね😮
@monchan1954
@monchan1954 8 ай бұрын
本当に薄氷の上での勝利だったのね 詳しい説明をありがとう だから日露双方は早急な幕引きだったからロシアは革命が起こり日本は戦後賠償が少ないと不満を溜めてその後に続いた
@二本延長
@二本延長 9 ай бұрын
アルゼンチンも日本に戦艦を提供しているんだよね。
@竜涎香-g9o
@竜涎香-g9o 7 ай бұрын
戦艦ではなく、装甲巡洋艦「日進」「春日」です。 6隻の戦艦のうち2隻が機雷で沈没した後、主力艦隊に組み込まれたいへん苦労しました。
@39yamaha-pop
@39yamaha-pop 11 ай бұрын
賠償金がないのは完全な勝ちであるとは思えません。 この裏付けは🇷🇺側の考えなので、負けたと思えないから第二次世界大戦終了間際に条約破って日本進行していますしね (まぁ、当時の🇯🇵が疲弊して詰んでいたのもあるが😵)
@THE.Everestlist
@THE.Everestlist 11 ай бұрын
とりま🅰️ℹ️に絵を描かせたらへんになる
@amac5057
@amac5057 8 ай бұрын
あるフランス人「錬金術師が見つけて染料に使ってるピクリン酸。鉄匙について変化するとすぐ爆発するから爆薬に使えるんじゃね?」 別のフランス人「でも、爆薬にしてみたら化合塩が砲弾や薬莢に反応して、超危険&超高温で爆発炎上するとか、戦場で使うのは危なすぎて無理だわ。」 賢いフランス人「とりあえず爆発力が黒色火薬より大きいから工業用・工兵用爆薬として特許だけとったれ。」 日本人の下瀬技師「ピクリン酸を金物に触れさせたくないなら、金属器用の漆塗り技法を使えば良んじゃね?・・・実験で指無くなったけど上手く行ったので報告、報告」 大日本帝国大本営「ピクリン酸の戦場使用兵器転用技術は秘匿して、爆薬では無く火薬として下瀬の名前を付けて量産許可しよう。」 こうして、金属と化学反応して超敏感な爆発性化合塩が生じやすく、揺動する艦艇での砲弾使用など世界中が思いつかなかったピクリン酸こと秘匿兵器「下瀬火薬」が帝国海軍の砲弾炸薬&焼夷爆薬に採用・備蓄されていたのも知らず、連合艦隊と日本海海戦に臨んだ事が、ロシア海軍がワンサイドゲームで負けた最大の敗因でしょう。 日本海海戦で使用された下瀬火薬・ピクリン酸運用の為の「金属容器からの非接触充填」という日本の独自技術は、漆塗り技術の未発達だった他国に隔離材としての「合成樹脂」の発明・開発を促し、現在の「プラスチック汎用社会」を産む事になりますね。
@いっぬ-s9h
@いっぬ-s9h 8 ай бұрын
佚を以て労を待つ
@asaichban9842
@asaichban9842 7 ай бұрын
国内情勢が不穏になってきたロシアにとっては 負けてない、妥協して 樺太の南を渡しただけ 日本も本音では引き分け ロシアの南下をとりあえず止めさせただけと考えていた しかしその後の世界情勢が変わってしまった
@雷電-n4c
@雷電-n4c 11 ай бұрын
現在は国力より 核兵器を保有している 方か強い。
@リベラル-j2l
@リベラル-j2l 7 ай бұрын
満洲国がなかったら今頃は、ロシア領になっていたのかな?
@菅沼域雄
@菅沼域雄 7 ай бұрын
そもそも、大清王朝の帝国は、満洲民族によるモンゴル民族との連盟による、 中華世界征服王朝。 中華民族による帝国ではありません。
@菅沼域雄
@菅沼域雄 7 ай бұрын
満洲民族には、民族自決、民族主権国家独立の權利は、 無いのでしょうか?
@坂田火魯志
@坂田火魯志 9 ай бұрын
この戦争の後の日本の大変さは有名ですが大学時代講義を受けていた教授は日本はこの戦争で戦争は儲かると錯覚したとか言っていました、藤原彰とかいう歴史学者の弟子だったそうですがこのレベルで歴史学者がつとまったのが戦後日本の近現代史ですね。この教授関西の国立K大学の教授で慰安婦もあったとか言ってファシズムとはとか丸山真男の名前やたら出していました。
@澄川弘樹-v6j
@澄川弘樹-v6j 9 ай бұрын
機関銃は、秋山好古の騎兵旅団が、保有していました。
@pjmbqhjtw
@pjmbqhjtw 4 ай бұрын
ロシアは 物資(ポンコツ)と兵隊(アル中)が多いだけ
@さくらサクラ-s7r
@さくらサクラ-s7r 8 ай бұрын
日露戦争は、WWゼロだったという人も居るのと、 ロシアと戦った事により…モンテネグロとも戦争状態だったと。 モンテネグロとは、リアルな戦争は行われ無かったですけどね🥹。 大国ロシアと戦われた方々と、外交で奮闘された方々に感謝致します m(_ _)m
@南田有摩
@南田有摩 11 ай бұрын
日清戦争も日露戦争も、相手が革命で滅亡する寸前で全盛期よりかなり弱っていた状態だから、文明開化から半世紀程の日本でも勝てた ( =Φ人Φ=)
@xapaga1
@xapaga1 9 ай бұрын
1914-18の日独戦争、1941年12月8日~1942年2月15日の日英戦争マレー戦役も同じ。前者(日独戦争)ではドイツ帝国が崩壊寸前。後者(日英戦争マレー戦役)でもイギリス帝国は風前の灯火だった。
@知花信
@知花信 9 ай бұрын
​@@xapaga1 ブリテン島の空に海に鉤十字の飛行機や船が暴れているのになぜわざわざインドよりもはるか先のシンガポールへ大規模派兵せなあかんの? 大英帝国の落日は大戦後やし
@hayamiseo4467
@hayamiseo4467 9 ай бұрын
日露戦争の戦死者は、銃弾で斃れた者に近い数の将兵が、病死している。 この主要な原因は脚気によるものだ。 兵士の糧秣を、ドイツ軍の方式に盲目的に従っていたことが挙げられる。 当時の陸軍軍医総監森林太郎(森鴎外)の責任は非常に重い。
@酒呑童子-m6g
@酒呑童子-m6g 9 ай бұрын
あの頃のロシアって思ったより戦争をやってないからなぁ。日本は10年前に日清戦争やってるし、15年ぐらい前に西南戦争やってる。 南下してきた歩兵も当時なら極東部隊が主力だったろう。サンクトペテルブルク当たりの主力とは明らかに劣ってた
@渡部幸代-r3z
@渡部幸代-r3z 9 ай бұрын
昔から向かって西の国には勝利する。また北と南では北が勝つ全部そうなったよ🎉
@yukinobunagata2042
@yukinobunagata2042 6 ай бұрын
戊辰戦争では、南西の薩摩・長州が、東北の列藩に勝っていますが。
@渡部幸代-r3z
@渡部幸代-r3z 6 ай бұрын
@@yukinobunagata2042 まあれは地方の戦いだけど天下分け目の戦いとか国と国の戦いなんかはだいたい当てはまります。日本は西側諸国には勝つがアメリカには負けた😣💦⤵️
@ばんばん-m6m
@ばんばん-m6m 4 ай бұрын
日本とロシアの国力10倍は嘘、ロシアを大きく、日本を小さく見せてるだけ、ナポレオンや、ドイツがロシアに戦争を仕掛けているが、ドイツやフランスは日本と同じか日本より小さい、遠い極東で日本と戦うロシアも難しい戦争だ。
@toshiakinouchi8386
@toshiakinouchi8386 7 ай бұрын
203高地の映画を見たことがある
@lionheart191
@lionheart191 9 ай бұрын
この当時は他国の使い方が上手かったのに襟の正し方を知らずのぼせ上った結果が大東亜だよ😱
@cozyA
@cozyA 9 ай бұрын
国力100倍といっても過言ではない😅
@世界の変化
@世界の変化 4 ай бұрын
203高地攻略は児玉源太朗の功績で奪い、旅団長の乃木希典をこの戦いで息子失い喪失して戦争に勝つ戦略思い着かない情けない将官だった
@武田賞司
@武田賞司 8 ай бұрын
有坂ライフルの長距離での命中率の高さと、シベリア鉄道の輸送能力の低さが日本の勝因ですよ。
@amiga4000jp
@amiga4000jp 7 ай бұрын
閔妃の写真は別人の可能性が非常に大きい。閔妃の写真として紹介しているモノはソウル市内の写真館で撮影したもの(写真館で撮影した妓生の写真と同一の椅子等の小物が写っている為)。 王族の写真は写真屋が王宮に出向き撮影するハズ
@ふらぶら
@ふらぶら 9 ай бұрын
第3軍の編成で 退役し帰農していた乃木希典を抜擢した問題点も解説してほしかった
@天才ゲーマーY-w3z
@天才ゲーマーY-w3z 6 ай бұрын
サムネのイラストなんだこれ
@コギンザント
@コギンザント 2 ай бұрын
人間が描いたイラストじゃないかも知れません…。
@パコぴぃ金髪爺ぃ
@パコぴぃ金髪爺ぃ 5 ай бұрын
セオドア・ルーズベルトは人格者だが、孫のフランクリンはクソだな。
@tetupasoful
@tetupasoful 7 ай бұрын
これほど内容じゃなくて勝利そのものが重要だった戦いは日本では無いかもしれないですね。 内実はギリギリ判定勝ちで、しかも負けた方が余裕があったくらい。 それでも形式的には相手にも認めさせる文句なしのジャイキリを成し遂げた日本は、アジア唯一の列強に押し上げると共に第二次大戦の破滅的な敗北の遠因と、良くも悪くも歴史を変える戦いでした。
@takashiishida
@takashiishida 11 ай бұрын
甘すぎる見解。イギリスやアメリカは単に日本を利用したかっただけ。その後の歴史を見れば良くわかる。世迷いごとですね。
@kenjimakabe2928
@kenjimakabe2928 9 ай бұрын
ナイーブだな。大人の世界では何らかの形で相互利用するのは当然のこと。 日米英での理想が当時は嚙み合っていたので、この「事業」が起こったのだが。 この勝利で、日本が世界的な信用を持つ列強国であることの宣伝になった。 この恩恵は現在に続いている。
@tom65192002
@tom65192002 7 ай бұрын
これは今のウクライナ戦争に類似しますね
@猫遣い
@猫遣い 9 ай бұрын
今のウクライナと似ているところがあるな
@xapaga1
@xapaga1 9 ай бұрын
9:00 おいおいベトナムはイギリスの殖民地になったことなんか無いぞい。当時はフランス領インドシナだ。
@tyoku-
@tyoku- 9 ай бұрын
お金のやりとりがあったんでしょうね。 それを裏で操った奴が・・・。
@村松ごりぽん
@村松ごりぽん 9 ай бұрын
まぁ日露戦争で勝ったってのは日本と一部の国でロシア的には痛み分けらしいからなんとも、、、
@tsushima0527
@tsushima0527 11 ай бұрын
だから『勝った』『負けた』という表現を使うから誤解が生まれる!勝てなかったけど!負けなかった!というのが正確なんとちゃうの?日本が賠償金をロシアから取れなかったんやから!日本人は外交、国防はホンマに苦手やな!たから日本はアメリカの植民地で外交、国防をお任せにしているのはある意味で正解やと思わざる負えないわね!
@kenjimakabe2928
@kenjimakabe2928 10 ай бұрын
「勝った」でいいですよ。日露戦争はロシアの東アジア・太平洋進出戦略を崩壊させることが目的でしたので、目的は達成しています。 あと、アメリカに第二次世界大戦後に植民地なんてありましたっけ?www
@tsushima0527
@tsushima0527 10 ай бұрын
@@kenjimakabe2928 日本があるでしょ!日本が!自国軍よりも強力な外国軍駐屯させてる国なんて日本くらい。LGBT法アメリカ大使の命令で作られたでしょう!静岡県で交通事故を起こした米軍士官は本国送還で釈放でしょうが!現実を見なさい!現実を!日本がアメリカの植民地以外のいったい何だって言うですかね!
@TheBikkuri
@TheBikkuri 9 ай бұрын
@@kenjimakabe2928 アメリカは英仏など過去の植民地大国のやり方を批判している。「現地住民の生活に責任を負うのは馬鹿げている」と。米国は資本と宣伝で住民を支配する「新植民地」というやり方で現地の経済の依存性を高くさせることで自国の経営に資するという哲学を発展させています。国際連盟に場所を提供し参加を渋り、国際連合を作ったのは一貫した思考だと考えるべき。あなたは言葉の定義を古いままに置いているか自己で捉える世界を小さいままにしていると指摘できます。 アメリカは世界を自国資本の植民地にするやり方で世界企業が動きやすいように「世界標準」を自国の経済に合致させる戦略を貫き通していますね。世界を経済で植民地支配しようというもので植民ってのは金融資本自体の増えることですよ。植民地で増えるべき自言語話者や経済作物、地下資源を支配下に置くことは直接支配でなくとも肥大する金融とその支配力で成し遂げられるものなのです。
@tsushima0527
@tsushima0527 9 ай бұрын
@user-tadano-himajin じゃあなんで日本は米国債を売却できないの(橋本首相は米国債売るっての言った途端にクビになったの忘れた?)?なんで自衛隊の戦闘システムはペンタゴンからリモコンされてしまうの❓️なんで日本で交通死傷事故起こした米兵が本国送還、即釈放されちゃうの❓️なんでアメリカ大統領が来日する時に成田や羽田でなくて、米軍横田基地にくるの❓️なんで米大使がツイートしたことがすぐに日本の法律になっちゃうの?日本が『独立国』ならあり得ないことばっかり‼️誰か説明してほしいな‼️
@anti-communism_8613
@anti-communism_8613 9 ай бұрын
外交下手な部分が目立つだけで上手くやってることも多々ある そもそも安全保障を全てアメリカに押し付けて、カネかけて国防するよりそのリソースを全て経済に回すという当時の日本くらいしか出来ない利点を自民党が生かした結果の超経済成長なんだけど それも言ってしまえば上手く外交をやった結果なんだよ
@いでたかゆき-r8i
@いでたかゆき-r8i 11 ай бұрын
日本がロシアに勝てたのは根性と思うまたは火事場のクソカかも 知れない
@鶏肉のレモン和え
@鶏肉のレモン和え 7 ай бұрын
日本にとって総力戦で勝ったという感じだったが、ロシアにとっては局地戦で負けたようなイメージがある。血の日曜日事件で救われたが、もう半年戦争が長引いていたらおそらくは陸戦では負けていたと思う。
@gossythefinal5318
@gossythefinal5318 Ай бұрын
まあ日露は勝ったんやなくて、戦争目的を達成して、いいところで講和したのが真実で。 実際賠償金は取れなくて日比谷で焼き討ち起きたし。東アジア諸国にはしっかり立場を見せたというのは大事だったと思うが。
@gossythefinal5318
@gossythefinal5318 Ай бұрын
@ いや日本って国力的に勝つという意識は捨てないと思うのよね。有利な状況で相手に諦めてもらうのがベストだしマスト。 何故なら孤立状態から支那に南進に太平洋と国力めっちゃ超えて戦争してどうなったよ? 逆に日清日露と利害が一致した国が協力してくれたのは有利に講和出来たやん、日露は微妙だけど戦争目的は5割以上達成出来たから6:4で米巻き込んで講和に持ち込んだやん。 まあでも手前身内には勝った言わんと亡くなった方々の気持ちも晴れへんしなぁ…難しいね。
@gossythefinal5318
@gossythefinal5318 21 күн бұрын
@ 違う違う。 まず前提として勝つとは何だと言う話。 日清は賠償金も半島も抑えたから勝ちと見ていいと思う。その代わり金食い虫の半島見ないといけなくなったけど。 日露は所謂日本から見て緩衝地帯を獲得出来たので、最後まで叩きのめすみたいなこともしてないし、まず国力的にこれ以上無理だったので、日本がアメリカを連れてきてロシヤとポーツマス条約に至るのですが… あの時代は賠償金獲れないと日比谷の焼き討ちみたいな臣民ブチ切れみたいなことも起きちゃうので。 その代わり満洲を手に入れましたが、米は獲れないし、冬は雪だらけ。点在する町以外は管理も行き届いていない荒地だらけ。しかも律儀に土地買収まで日本はケアしている。まあやはりその後この地がまた戦争の火種にはなるんだけどもね。 実際戦争でお亡くなりになられた方もいるんだから、勝った言わないと臣民は納得しないと思うし、俺も当時なら納得しないと思う。ただ本質だけは捉えておかないと、我々は後世なんだから研究評価しておかないといけないし、出来ることはそれしかしてあげられないんだから良く角度を持って俯瞰するべきだと思います。 ちなみに私は大東亜戦争発生当時、帝国陸軍、帝国海軍に勝てる国はほぼほぼ無かった、同じ側のドイツぐらいかなとは思っています。いくら準備万端だとしてもあれは強すぎる。
@知花信
@知花信 9 ай бұрын
日露戦争は勝利とは言えないけど、白人帝国と対等に戦えるって示せた戦争やと思う。
@淫夢王に俺はなる
@淫夢王に俺はなる 5 ай бұрын
満州軍総司令官が『大山巌』でなく『山縣有朋』だったら・・・ 連合艦隊司令長官が『東郷平八郎』でなく健康体の『日高荘之丞』だったら・・・ 海軍は『西郷従道』『山本権兵衛』という2人が揃ってなければ・・・
@信一五十嵐
@信一五十嵐 9 ай бұрын
日露戦争は、戦死者は、断然日本が多い!
@anti-communism_8613
@anti-communism_8613 9 ай бұрын
死者の数と歴史的評価としての勝敗は関係ないからね
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