実朝が御家人にしなかったせいで鶴丸の子孫が幕府を壊す? 平盛綱の生涯 子孫のその後 【鎌倉殿の13人】

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Жыл бұрын

北条氏の忠実な家人として、吾妻鏡にもたびたび登場する平盛綱。
吾妻鏡上では、泰時との深い絆で結ばれている様子も見て取れますが、盛綱は御家人ではなく、御内人という北条氏の一家臣でしかありませんでした。
しかし、北条得宗家の権力が高まるにつれて、御内人の筆頭となった盛綱、その子孫たちの権力も高まっていき、ついには北条氏を操るまでの力を手にします。
ですが、御家人ではなかったゆえに、鎌倉幕府を完全に支配することはできず、御家人の身分になろうと朝廷を利用した結果、後醍醐天皇の倒幕の遠因を作ってしまいました。
今回は、平盛綱の生涯、御家人になれなかったがゆえに、幕府の形さえも歪めてしまった子孫のその後について紹介します。
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参考文献
細川重男『鎌倉北条氏の神話と歴史―権威と権力』
amzn.to/3ELevms
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#鎌倉殿の13人 #大河ドラマ #歴史

Пікірлер: 108
@Phaonia
@Phaonia Жыл бұрын
大河ドラマの『鎌倉殿の13人』で孤児から北条泰時の幼馴染として育てられた鶴丸(きづき演)が平盛綱の名を与えられる場面で、過去の大河ドラマの『太平記』の長崎円喜(フランキー堺演)と『北条時宗』の平頼綱(北村一輝演)の顔が瞬時に脳裏によみがえり、戦慄しました。『鎌倉殿の13人』の鶴丸は八重の源頼朝との間の最初の子供で伊東祐親に殺害された千鶴丸の身代わりというメタファーを背負わされており、その子孫が結局は鎌倉幕府を牛耳って滅亡に導くという伏線を張っていることになりますね。
@kazsteinkreis8570
@kazsteinkreis8570 Жыл бұрын
当時子供だったこともあり、長崎円喜を演じるフランキー堺さんを嫌いになるぐらい憎たらしかったです(^^;(役者としては誉れでしょうが) 源氏を傀儡にして鎌倉を乗っ取った北条氏が、世話して取り立てやった者の子孫によって同じように乗っ取られやがて滅亡するのは歴史の因縁としか言いようがないですよね。
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u Жыл бұрын
北条得宗家の内管領(御内人)は最終的に唯一の後家人勢力の安達泰盛を滅ぼし 鎌倉では傀儡将軍や執権北条守時(勝野洋)、更に得宗家北条高時(怪演片岡鶴太郎)も凌ぎ実権を手にした長崎円喜(フランキー堺) 最後に鎌倉と滅びます
@osaosachannel
@osaosachannel Жыл бұрын
盛綱が御家人になってしまうと、孫や曾孫が御内人として幕府を牛耳る展開も無くなってしまうので、結果オーライだったのでしょう。
@user-tr9sm9rp4y
@user-tr9sm9rp4y Жыл бұрын
素晴らしい。きちんと日本史を学べます。大河ドラマがより以上面白くなっています。今後ともよろしくお願い申し上げます。
@tosioimaoka9983
@tosioimaoka9983 Жыл бұрын
時の流れというものはその都度イレギュラーを生むもので、未来は常に分からないものだ。
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u Жыл бұрын
大河「太平記」では北条泰時の御内人平盛綱の子孫で内管領、長崎円喜(フランキー堺)は北条高時を越えるほどメチャクチャに権力を持っていて鎌倉幕府そのものに描かれ最後は北条氏と滅亡しますね
@harunatakao
@harunatakao Жыл бұрын
日本の政権の独特な形ですね。血が流れることを忌み嫌うくせに血統を信仰する。天皇をしのぐ権力を握った藤原一族はそれでも天皇になろうとはしない。天皇と名乗っても誰もそれを認めない。藤原氏は天皇家あっての摂関家であるということを知っていた。日本の権力構造は下へ下へと移っていくんです。鎌倉政権もご多聞に漏れず、将軍から御家人トップの北条得宗家へ移り、北条得宗家から内管領(身内人)へと権力はうつっていくんですが、決して身内人は得宗家にはなれない。北条得宗家あっての身内人だからです。 不思議な国ですよ。天皇家がどんなに弱体化しても滅亡させてしまおうとはしない。お飾りとしてあがめるのです。その後に続く、鎌倉政権、室町政権、江戸政権全部そうです。
@sasaakih
@sasaakih Жыл бұрын
泰時の側近中の側近が平を名乗り長崎円喜の祖先であったとは驚きました。  泰時が名執権と言われているようですが、大河ドラマに出てくるようなキャラで   本来の執権としての威光等なく形式的なものだったのかと感じてしまいます。  もっと主導権を握って判断・決定をしていかないとしかも時を間違わずにだ。  それが泰時や泰時以降の執権に不足していたように感じてしまいます。  執権そのものが2重権力構造なのに後々に長崎円喜のような存在を出すに至り  3重、4重権力構造となり、乱れに乱れ過ぎている。   この複雑な権力構造が源氏子孫の御家人、足利や新田の謀反に繋がるのは無理が ないようにも見える。 執権の座から何とか将軍の地位迄北条家が上がっていけば  鎌倉幕府の延命や安定に繋がったような気もする。   そもそも執権なる2重権力構造に長く依存してはいけなかったのではとも 思える。 あくまで将軍を支える臨時職というのがよかったような気もする。
@tsuru6118
@tsuru6118 Жыл бұрын
長崎円喜について知りたかったので勉強になりました。ありがとうございます。
@mikionakata7921
@mikionakata7921 Жыл бұрын
知らなかった‥ 長崎円喜は平盛綱の子孫だったのですね‥ 忠義に熱く長年働いてくれている氏姓を持たぬ家人にその忠義を報いてやるため‥ 都で平氏の公家の猶子先を見つけてやり平の性を与えてやったその家人が後の世で幕府で絶大な権力を握るまでになるとは‥
@user-rj8iv1zi1s
@user-rj8iv1zi1s Жыл бұрын
ありがとうございます、勉強になりました
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Жыл бұрын
今大河で、鶴丸(後の平盛綱)がみなし児であるのを巡って金剛(後の北条泰時)と安達弥九郎(後の安達景盛)が喧嘩する場面がありましたが、これは北条時宗の死後に起きた「霜月騒動」の伏線に違いありません。 ちなみに、騒動の当事者である平頼綱は鶴丸=平盛綱の孫、頼綱に攻め込まれて一族と共に自害した安達泰盛は安達弥九郎=景盛の孫です。
@rekishock
@rekishock Жыл бұрын
絶対それですね。忘れていました。 幼少時に伏線が張られていたとは…
@user-ff2gg3me6n
@user-ff2gg3me6n Жыл бұрын
俺以外にもこれに気づいた人がいるとは。嬉しい。
@kazsteinkreis8570
@kazsteinkreis8570 Жыл бұрын
他にも様々に伏線が張り巡らされてそうですね。それも物語内に収まらず、それぞれの子孫や後の歴史を知っている人だけが気付き得る伏線が。(脚本の三谷氏はクリスティを筆頭にミステリー系大好きですからねぇ。)もしこのコメント欄を読めば「してやったり」と喜ぶに違いありません。 完結後に最初から通しで見直すのが今から楽しみです😁
@giantnioinoba2023
@giantnioinoba2023 Жыл бұрын
きづき→北村一輝→フランキー堺→西岡徳馬 何という系譜の流れw
@user-cw9yw1nm8x
@user-cw9yw1nm8x Жыл бұрын
徳馬さん・・・、渋すぎ・・・。
@giantnioinoba2023
@giantnioinoba2023 Жыл бұрын
@@user-cw9yw1nm8x 徳馬さんは、「北条時宗」では足利泰氏なので、ちょっとややこしいですなw
@user-ld6po2ul1z
@user-ld6po2ul1z Жыл бұрын
権力も、いつかは腐敗します。そして、新しい権力者がでます。これが、歴史です❗️ で…関係ありませんが🙏 令和の権力は、いつまでも?😣
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u Жыл бұрын
@@giantnioinoba2023 どちらかと言うと巧みな陰謀家だよね
@user-ot4sx2ud2p
@user-ot4sx2ud2p Жыл бұрын
あの長崎一族になるとは…
@user-ff2gg3me6n
@user-ff2gg3me6n Жыл бұрын
軍師官兵衛でも官兵衛が孤児を拾って後藤又兵衛にしてたよな。この展開に似てる。
@user-ry3du7we4k
@user-ry3du7we4k Жыл бұрын
結局、盛綱は御家人にならなかったんだな。義時が実朝にねじ込んでいたけど
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Жыл бұрын
最終的には盛綱の玄孫に当たる長崎高資が、それまで北条一門や有力御家人からしか就任できなかった「評定衆」に就任しますから、この時点で長崎氏は「御家人」と同等の扱いになったのだと思います。
@kazu-k1947
@kazu-k1947 Жыл бұрын
(゚∀゚) 平盛綱が長崎円喜と関係有るって、初めて知った!
@user-ld6po2ul1z
@user-ld6po2ul1z Жыл бұрын
同感❗️
@user-mh6gj6yk9g
@user-mh6gj6yk9g Жыл бұрын
非常に勉強になりました
@user-tm9vx8sv1g
@user-tm9vx8sv1g Жыл бұрын
フランキー堺、緒形拳をはじめ、太平記にご出演されていた故人の方々を蘇らせて、もう一度現代の大河に出演して頂きたい。
@user-ld6po2ul1z
@user-ld6po2ul1z Жыл бұрын
懐かしいですね❗️ いまの大河(勿論草燃ゆるも )→「北条時宗」→「太平記」と、皆繋がっているのですね。 だから、歴史はやめられない‼️
@user-ld6po2ul1z
@user-ld6po2ul1z Жыл бұрын
令和のメンバーで、「太平記」のリニューアル版を‼️ 前作藤夜叉の(宮沢)りえちゃん、リニューアル版では、花夜叉かな? もしくは、後醍醐帝の側室、阿野廉子(あのうれんし)か? スミマセン🙏
@hironobushi
@hironobushi Жыл бұрын
桜井の別れの場面やり直しやね。 放送当時は、台風情報で雰囲気が台無しになったので… 武田鉄矢さん出番ですよ… そういえば、『草燃える』では安達盛長、 『太平記』では、楠木正成を演じてたような(笑)
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u Жыл бұрын
@@user-ld6po2ul1z 阿野兼子は頼朝の弟(義経の同母兄)の阿野全成の末裔だよね
@user-dp7jh6dl8x
@user-dp7jh6dl8x Жыл бұрын
@@user-ti1gj2xg2u 正確には全成の血脈じゃないけどね。全成を庇護した阿野家の末裔でしょう。
@user-rt9rt4rc6v
@user-rt9rt4rc6v Жыл бұрын
仏敵、平左衛門尉頼綱💢 大河ドラマ「北条時宗」では北村一輝さんが平頼綱役に成ってましたね。 同じく大河ドラマ「太平記」でフランキー堺さんが長崎円喜役に成っていたそうですね。「左衛門尉」の官職名の言われがそんな経緯だと初めて分かりました。ありがとうございます☺️
@user-pm9tv3wm8m
@user-pm9tv3wm8m Жыл бұрын
日蓮宗の信者がやたらと目の敵にして憎しみを込めて「へいのさえもん」って呼んでる人ですね!😁
@user-dp7jh6dl8x
@user-dp7jh6dl8x Жыл бұрын
そういえば清盛の家人だった平盛国も位階は『左衛門尉』だったな… 位階が子々孫々受け継がれていくのは(世襲するのは)中世紀には普通にあるから、やはり盛綱は盛国の子だったかも…
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u Жыл бұрын
@@user-dp7jh6dl8x 鎌倉殿の13では義時が盛綱と名付ける時に「鎌倉に平家縁の者がいる」と平氏ではなく平家と言ってますから清盛流の平家に繋げたように描かれてますね
@user-dp7jh6dl8x
@user-dp7jh6dl8x Жыл бұрын
@@user-ti1gj2xg2u 一応、そういう可能性を匂わす様な展開にしてるのですね。 出自不明とはいえ三谷さんも、その辺が臭いと思ってるのかも知れませんね。
@kazsteinkreis8570
@kazsteinkreis8570 Жыл бұрын
歴史における出来事にはたいてい原因があっての結果であって、その結果が次の出来事の原因になって連鎖していくもの。それが非常によく分かる素晴らしい構成だと思います。 ただのクイズになっていた旧来の歴史教育なんかよりよほど解りやすいしためになります。鎌倉時代学習の導入の一つとしてこれを見せれば生徒の意欲は格段に上がるでしょうね。
@rekishock
@rekishock Жыл бұрын
細かく見れば端折っているところも多々ありますが、こういった流れがあるのが面白いですよね。
@jupiter6550
@jupiter6550 Жыл бұрын
フランキー堺さんの演技うまかったなあ☆彡
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Жыл бұрын
もともと進駐軍相手のジャズドラマーから、喜劇俳優の伴淳三郎氏と知り合い俳優になったから、重厚な演技の中にも軽妙さが混ざった演技で、他の出演俳優にはない味がありましたね。 司会として出演したクイズ番組「霊感ヤマ感第六感」は軽妙な司会進行で人気があり、7年半も続きました。 ちなみに、フランキー堺氏は歌手として紅白歌合戦にも4回出場しています。
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u Жыл бұрын
フランキー堺さんの長崎円喜は本当に強く印象が残ってますから演技力は素晴らしかったですね
@kazsteinkreis8570
@kazsteinkreis8570 Жыл бұрын
今BSPで再放送もしている『おんな太閤記』では家康役で出演、秀吉の天下統一の大きな障壁として憎たらしい策士を好演しました。一方で『赤かぶ検事奮戦記』に見られる軽妙な演技も得意でした。 さらにクイズ番組の司会者と、音楽以外でも存分に才能を発揮した本当に稀有なマルチタレントでしたね。
@user-pm9tv3wm8m
@user-pm9tv3wm8m Жыл бұрын
憎まれ役も演じてたけど、「私は貝になりたい」のかわいそうな主役を演じてたのも忘れられない😢
@user-wn2hl9wm6v
@user-wn2hl9wm6v Жыл бұрын
2:40の和歌:ことしげき 世のならひこそ もの憂けれ 花の散なん 春もしられず
@user-nm4bt2tq8t
@user-nm4bt2tq8t Жыл бұрын
内管領は『ないかんれい』と覚えておりましたが『うちのかんれい』とも読むのですね。
@user-pm9tv3wm8m
@user-pm9tv3wm8m Жыл бұрын
読み方いくつかありますよね。 『うちかんれい』というのもあるし。
@sophie222
@sophie222 Жыл бұрын
グッドタイミングです!
@user-mg8pn7ti9f
@user-mg8pn7ti9f Жыл бұрын
足利尊氏は長崎円喜の専横を目の当たりにして執事に権力持たせる危険さを実感していたはずなのに、自身は側近の高師直に軍事と内政を任せたため弟の直義と対立し、観応の擾乱を引き起こしてしまいました。
@user-kn6hl9ny6k
@user-kn6hl9ny6k Жыл бұрын
@Phaonia
@Phaonia Жыл бұрын
ここでどうしても直視しなければならないのが日本における取次役の重要性ですね。日本では権力者は直接支配下からの陳情を受けず、陳情をしに来たし配下の者と自分との間に取次役を設けなければならないことになっています。たとえば、朝廷の中枢が陳情を受けるうえで設けられていた取次役官職が、大納言、中納言、少納言といった納言官職です。多分ですが、日本における公共事業を現場で担当する孫請け、ひ孫請けの企業に本来の予算の本の一部しか回ってこずに、元請け、下請けが大部分をせしめてしまう「中抜き問題」の背景もここに発しているのではないかと思います。
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Жыл бұрын
@@Phaonia 江戸時代でも「側用人」という取り次ぎ役が「老中」よりも強い権力を持っていた時期がありましたね。 鎌倉時代に置き換えると側用人=御内人・内管領、老中=評定衆、といったところでしょうか。 5代将軍・綱吉→柳沢吉保、9代将軍・家重→大岡忠光、10代将軍・家治→田沼意次が代表例です。
@Phaonia
@Phaonia Жыл бұрын
@@toyo-rex4899 様 徳川幕府で面白いのは、こういう律令制や王朝国家制から引き継がれた構造に、さらに室町時代ぐらいから日本社会に芽生えてきた惣村共同体的な構造が合流している事ですね。豊臣政権における「大老」制とか徳川幕府における「老中・若年寄」制なんかは、惣村共同体の合議の最高意思決定機関が「年寄衆(としよりしゅう)」というだいたい40代以上の長老合議機関であったことの影響を受けています。そもそも幕藩大名の成立のベースとなった戦国大名という権力体は、それまでの武家が荘園と国衙領の統治に立脚していたのに対して、新興の惣村共同体の統治に立脚して強力な権力体制を樹立したものでしたから。
@user-ld6po2ul1z
@user-ld6po2ul1z Жыл бұрын
尊氏、痛恨の一事です😢
@user-ld6po2ul1z
@user-ld6po2ul1z Жыл бұрын
スミマセン🙏完全、余談😆 前朝ドラ「ちむどんどん」に、「太平記」の大役の型、三人も出ておられました、
@takuya11bn0818
@takuya11bn0818 Жыл бұрын
長崎盛綱と長崎頼綱は長崎円喜の祖先でありますからね~
@ginchan99
@ginchan99 Жыл бұрын
どうなんでしょうね 坂東武者のための幕府という構造が弘安の徳政によって崩れようとするのに対し、 それに対抗する勢力を糾合した平頼綱が権力を握ったことで坂東武者のための幕府が歪んでしまった、というのであれば 平頼綱や長崎円喜がなにをしようがしまいが、坂東武者のための幕府という構造自体がもはや無理だったのではないですかね・・・。 皇位継承問題(実質的には治天継承問題)についても、問題の元々は後嵯峨上皇が後継者問題を時宗にぶん投げたことから始まっているし、 頼綱が持明院統に接近する以前に安達泰盛が亀山上皇と訴訟改革で大々的な提携を行っているし、頼綱個人の問題ではなかったのでは・・・。
@vianeplus
@vianeplus Жыл бұрын
大河ドラマ「時宗」がいかに無茶な作品だったか判る今回の動画。
@user-fw9px7mv1p
@user-fw9px7mv1p Жыл бұрын
高校の日本史では霜月騒動、平禅門の乱としか習わなかったので、どういう経緯で衝突に至ったのかが開設されていて、ありがたいです。
@hironobushi
@hironobushi Жыл бұрын
第39回で 中学生の国語の教科書に出てくる和歌が出ましたね。(今はどうかわかりませんが…) おおうみの いそもとどろに よするなみ われてくだけて さけてちるかも      源実朝『金塊和歌集』より 泰時の酒乱ネタくるのかなあ… そのフラグは立ったけど(笑)
@user-dc3yn5tw6g
@user-dc3yn5tw6g Жыл бұрын
北条が滅びたのは短命の得宗家が嫡流になったから。他の北条一門は長寿の人もいたが泰時の家系だけは20代や30代で死んでそれが弱体化につながった
@user-pm9tv3wm8m
@user-pm9tv3wm8m Жыл бұрын
血族結婚が多かったから短命の人が多かったんだと言われてます。 ドラマ中でも泰時と初はハトコ同士の夫婦ですが、この後の世代ではもっと多くなりますよ。
@user-kn4pq8ib2c
@user-kn4pq8ib2c Ай бұрын
引っ張りあいをすれば、三代前は同じ血筋ばかりですね。
@user-jw9te5db6v
@user-jw9te5db6v Жыл бұрын
フランキー堺の先祖さま
@user-gb3lk1wm5l
@user-gb3lk1wm5l Жыл бұрын
平 盛綱の孫、平 左衛門尉頼綱は本当に盛時の子だったのかねー…なんか大河ドラマ『時宗』の時にちらっと匂わせる場面もあったけど。 殊に日蓮門下の各宗派じゃ頼綱と極楽寺良観、頼綱の弟の飯沼判官資宗は三大悪人と言われるから余計に気になる。
@user-ti1gj2xg2u
@user-ti1gj2xg2u Жыл бұрын
昔は養子縁組が多いので家を継ぐ感覚が優先するのではないかな 泰時の家人、平盛綱と北条時頼の刺客役の頼綱(北村一輝)は親子ではなく親族のように扱われてるみたいですね
@user-gb3lk1wm5l
@user-gb3lk1wm5l Жыл бұрын
@@user-ti1gj2xg2u ぉお…なるほど(゜ロ゜)
@mattsong3975
@mattsong3975 Жыл бұрын
余り気が付かなかった視点をご説明下さり有難う御座いました。 平頼綱が近づいた持明院統とは、後深草上皇でしようか、伏見天皇でしようか。久明親王の鎌倉殿擁立にも関わるのでしようか。
@rekishock
@rekishock Жыл бұрын
直接擁立に動いたのは伏見天皇ですが、持明院統内で後深草上皇に近づいたのか伏見天皇に直接近づいたのかは参考文献からは分かりませんでした。。 惟康親王の排斥も合わせて久明親王の擁立には関わっていると考えられます。
@mattsong3975
@mattsong3975 Жыл бұрын
@@rekishock さま 恐縮です。平頼綱の動きとは、熙仁親王(後に即位、追号は伏見天皇)が儲君に就くことへの工作、というような感じなのですね(従弟である後宇多天皇、その後宇多天皇の儲君に就くという)。
@user-fl2lo4nt3q
@user-fl2lo4nt3q Жыл бұрын
平清盛の孫資盛の子孫が盛綱一族に繋がるため、平頼綱(平氏)が持明院統(北朝)を擁立し、その一族の長崎円喜(平氏)が持明院統の光厳天皇(北朝)を擁立… 足利尊氏(源氏)が後醍醐天皇(大覚寺統・南朝)と手を組み鎌倉幕府を滅ぼすという… ある意味源平合戦の再来だったんだなあ… しかも足利氏(源氏)は北朝の加護の元室町幕府を開くし… 源氏政権だった鎌倉幕府が平氏が実権を握るようになって再び源氏に滅ぼされるという皮肉… 足利尊氏(源頼朝)、長崎円喜(平清盛)、後醍醐天皇(後白河法皇)という図式も見れるし。
@Miki_Nanase
@Miki_Nanase Жыл бұрын
まさかの御家人却下の理由が「恋のさや当て」とは!
@user-ql8ct9zj4w
@user-ql8ct9zj4w Жыл бұрын
平頼綱の系統も後の東勝寺の高時一門同様、ほぼほぼ全滅しましたね。 因果応報、自業自得、悪い事は出来ないものです。
@user-kn4pq8ib2c
@user-kn4pq8ib2c Ай бұрын
足利氏の、足利~細川~三好~松永。これを200年前にやっていたのか。
@useall1556
@useall1556 Жыл бұрын
出自は不明ですが、主様と同じく平氏の流れを汲む氏族の末裔であると自分も思っています。 理由は、以前も記載させていただいた通り、破壊と新秩序の構築期であった戦国時代ならばいざ知らず、まだ古い血筋、氏素性を重んじた平安末期、鎌倉期での系譜詐称、仮冒は相当困難な行為の筈。 ましてや、皇別氏族である平氏を勝手に称する事などほぼ不可能に近い。 頼朝時代には、御家人の官位叙任は、鎌倉殿から朝廷への推挙により、朝廷における除目で決定、任命されましたが、実朝時代になると、実権は北条氏が掌握しており、畠山騒動→時政追放後は、やりたい放題。 北条義時と時房の相模守、武蔵守の任官は、まだ将軍就任間もない実朝を操り、真っ先に執り行った自作自演人事。 和田義盛が、それなら自分も上総介にと、鎌倉殿へ申請するも、傀儡と化した実朝将軍に却下され、 ※同時期、義時が自分の郎党(平盛綱)の鎌倉殿直参の御家人へと推挙するも、これは却下。(←和田に対する北条の当てつけ、又は挑発😓) → 明らかに、義時以下北条の傲慢、暴挙以外の何ものでもないと思います。 ※御家人に列挙されなかった平盛綱以後、その一族末裔は、北条得宗家の御内人、のち内管領として、幕府滅亡まで絶大な勢力を持つことに… ※鎌倉期傍流平氏を扱う参考大河 ①平清盛‥‥平盛国(上川隆也) ②鎌倉殿の13人‥‥平盛綱(きづき) ③北条時宗‥‥平盛綱(宗近晴見)        平頼綱(北村一輝) ④太平記‥‥長崎円喜(フランキー堺)       長崎高資(西岡德馬)etc
@mikionakata7921
@mikionakata7921 Жыл бұрын
氏姓を名乗る権利を得ることはそれほど難しい問題ではありません。 勝手に名乗るということはもちろんできませんが‥ この当時は権勢を誇った平家₍伊勢平氏₎の生き残りが系図を売ることは多分にあったことだと思います。 平の性はこの当時はかなり安く名乗れたと思います。 ドラマでも義時が平の性には当てがあるようなことを言っていたのは猶子先を見つけることが難しくないという意味であると思います。 猶子として系図に名前をかきこんでもらったらその家の氏姓を名乗ることは問題なくできます。 平徳子が五摂家の娘でもなく皇族でもないのに中宮₍皇后₎となれたのは後白河法皇の猶子となっていたからです。 この最低限の慣例さえも壊れたのは東福門院が中宮となり禁中並公家諸法度ができて以降です。
@shu_goz3534
@shu_goz3534 Жыл бұрын
周りに本物の平氏ばかりいる環境で、仮冒は出来ないよ。戦国時代じゃあるまいし。
@tokusimaxx4325
@tokusimaxx4325 Жыл бұрын
本人が忠臣だが、孫の頼綱、長崎円喜はもうどうしようもない人物ですね、頼綱は万人恐怖ならぬ諸人恐怖と言われたとか。
@user-dp7jh6dl8x
@user-dp7jh6dl8x Жыл бұрын
平盛綱って大河ドラマの『平清盛』でも出自の分からぬ下人の様な描かれ方をしてましたが、本当に出自は不明なのか… 個人的には平家の家人の平盛国の息子と考えていました。平家滅亡後、鎌倉に引きつられ頼朝の家人になる様に口説かれたが、清盛への忠義を忘れず食を断ち餓死したといわれる盛国の子だと。
@rekishock
@rekishock Жыл бұрын
平を名乗るくらいですからおそらく平氏関係の流れは汲んでいると考えられますが、出自ははっきりしていないんですよね… 頼綱が家格向上に相当無理しているので、盛国の子だったらそのつながりを公然と名乗ればよかったのではないかなあとも思います。
@user-dp7jh6dl8x
@user-dp7jh6dl8x Жыл бұрын
@@rekishock 確かに関係者ならばスンナリ名乗れるはずですよね…平相国の家人やで!ってね…🧐
@mikionakata7921
@mikionakata7921 Жыл бұрын
おそらくその血筋の猶子だったのではないかと思います。 猶子とは系図に名前を書き込んでもらいその家の氏姓を名乗る権利をもらうということです。 養子とは違い財産の分与の権利こそないものの氏姓を名乗る権利はあり身分が卑しいとはされず御家人に推挙しても問題はないと思っていたのでしょうが‥ 将軍に北条の力が増すことを警戒され断られたというところでしょう。 猶子は東福門院が中宮₍皇后₎に立てられ禁中並公家諸法度が出されるまで長らく公家の収入減となっていました。
@user-dp7jh6dl8x
@user-dp7jh6dl8x Жыл бұрын
@@mikionakata7921 猶子というのは考えてませんでした。確かにその可能性もありますよね。
@mikionakata7921
@mikionakata7921 Жыл бұрын
@@user-dp7jh6dl8x その他の可能性としては‥ やむなく滅ぼすに至ってしまった家の家名や氏姓を惜しんで後の世にそれを復活させることでしょうか‥ 当時の代表例は畠山氏ですね。 足利の一族の一人に畠山の氏を名乗らせ復活させています。 区別するため平氏畠山氏と源氏畠山氏と言ったりします。
@user-xm6kb4pz2p
@user-xm6kb4pz2p Жыл бұрын
こんばんは
@user-ub8jh8bp3s
@user-ub8jh8bp3s Жыл бұрын
平姓て、源氏や橘氏同様、普通は皇室から臣籍降下されて、名乗るものでしょう。
@rekishock
@rekishock Жыл бұрын
おそらく、北条氏同じく、伊勢平氏と何らかのつながりはあるのかなとは考えています!
@user-mm3ky9mh1e
@user-mm3ky9mh1e Жыл бұрын
僕ハ、無関係ダト思ウ。 北条側ノ 正統性ヲ 他に示す為に。 貴種ノ末裔ダト自称
@Taka-Musics-Labo
@Taka-Musics-Labo Жыл бұрын
何か、コメント蘭の皆さん、同時代を扱った過去の大河ドラマや中世史に詳しすぎますけど、 「ものの本」の受け売りですか?それとも歴史学者さんですか?
@hironobushi
@hironobushi Жыл бұрын
ヒトコトで言うと、オタクです。好きなものほど、突き詰める。その完成形が学者ですよ。(笑) 私は、職業学者にはなれませんでしたが( ´∀`)
@Taka-Musics-Labo
@Taka-Musics-Labo Жыл бұрын
@@hironobushi まぁ、それはそうなんですけど、オタクの域を越える位、詳し過ぎるコメントばかりなので、 私ごときは何もコメントできなくなってしまいます😅
@rekishock
@rekishock Жыл бұрын
自分も太平記や北条時宗などの昔の大河ドラマには疎く、皆様の詳しさにビビりまくっています。笑 面白いつまらないだけでいいのでコメント残してくださると投稿側としてはとても嬉しいです!
@user-ww7mo5gu5i
@user-ww7mo5gu5i Жыл бұрын
昨夜のドラマでは、義時が嫡男 朝時を艶聞により叱責していました。 廃嫡までしたのですかね? いくらなんでもやり過ぎだと思いますが😓 義時の人物がいまいちわかりません。
@rekishock
@rekishock Жыл бұрын
朝時については、義時との関係も含めて明日動画投稿しますので、よかったらご覧ください!
@coyama5108
@coyama5108 Жыл бұрын
平盛綱て清盛からしたら曽孫ということで祖父は重盛さんで父が重盛の次男である資盛さんで叔父は重盛の長男で富士川で大敗した維盛さんなんです
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