Рет қаралды 3,841
源頼朝。そして、足利尊氏のご先祖様にして足利家二代目棟梁・足利義兼をはじめとする「源氏」視点で、『治承・寿永の乱』を解説していくシリーズです。
第三回は、頼朝絶体絶命の「石橋山の戦い」。頼朝視点。
山木館襲撃後に行った頼朝の政策、絶体絶命の「石橋山の戦い」を経て、足利義兼との合流に至るまでを解説していきます。
* 足利義兼の合流時期は不明のため、うぷ主の独自解釈となります。ご注意を。
訂正:9:03「義朝」ではなく「義明」です。
前: • 【山木館襲撃】源氏と『治承・寿永の乱』【ゆっ...
次: • 【頼朝再起・新田義重の決断】源氏と『治承・寿...
【参考文献】
呉座勇一「頼朝と義時 武家政権の誕生」
細川重男「頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」」
#ゆっくり解説 #治承・寿永の乱 #源平合戦 #石橋山の戦い #源頼朝 #足利義兼 #大庭景親 #平清盛 #和田義盛 #畠山重忠 #日本史