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ゆっくり歴史ばんびぃ
うぷ主が興味を持った日本史(中世多め)エピソードを紹介する、ゆっくり解説動画です。
少々(?)フィルターが分厚い魔理沙と、少々ツッコミが激しい霊夢が、
親しみやすく、分かりやすく、愛情を持って。を、モットーに、気ままに解説していきます!
【楽曲提供】
DOVA-SYNDROME
【効果音提供】
効果音ラボ
【画像提供】
いらすとや
illust AC
てがきですのβ
ニコニ・コモンズ
イラストバンク
ダ鳥獣ギ画
【アイコン】
CHARAT(キャラット)
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Пікірлер
@ANDOHSOHON
Күн бұрын
「山塊記」と言う史料では新田義重は平宗盛の命で、京都から頼朝を打つべく下向していた。ところが関東の情勢が平家方に不利、しかし頼朝が盤石とも言い難いというので、結局日見よりになったよう。
@yukkuribanbii
Күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、最初は頼朝打倒を命じられて、義重は下向しているんですよね。でも、坂東に戻ってみたら、平家方不利。でも、反乱軍はまだそれぞれ小粒。それなら自分も!と、思ったまでは良かったんですけどねえ。兵を集めた以上は、何かしら動くべきだったのに。。。
@user-rq7tw4by5s
2 күн бұрын
すごいおもろい! 霊夢同様、納得してしまっていく恐怖が。。((( ;゚Д゚)))
@yukkuribanbii
Күн бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんでいただけて光栄です。そして、霊夢同様、納得していただけて嬉しい限りです!(笑)
@user-rq7tw4by5s
2 күн бұрын
ここまで来ると、キモいほどの兄弟愛。北野武監督の映画になりそう。 てか、同腹でも兄弟の仲がいいって、あんまり歴史上ない気がする。
@memejiro7147
2 күн бұрын
日和見義重さんたら 何気に頼朝さんの邪魔にはなるけど、信頼する義兼くんの幼子たちの保育をするなら 頼朝さんもむげには出来ないよね 結果、合戦中の自分の幼子と 義重伯父も守ることになる 義兼 グッジョブ👍
@yukkuribanbii
2 күн бұрын
コメントありがとうございます! 義兼が幼子たちを義重に預けた正確な時期は分かっていないのですが、おっしゃるとおり、そうすることで我が子も義重も両方守っているんですよね。 頼朝に対しても、我が子を使ってまで義重を説得すると言う形を取れますし、義兼の政治的センスが垣間見えます。
@user-hu3zj1tv6g
3 күн бұрын
あまり焦点当てられないけど、以外と清盛はいい人なんですよね。 小姓が居眠りしてたら、起こさないように毛布かけてあけだり。 維盛にも、気を配ったつもりなんだろうけど、頼朝といいもう一人いい相手が相手が悪過ぎる。
@yukkuribanbii
2 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、清盛は悪役で描かれることが多いですが、実はかなり優しい人なんですよね。居眠り小姓の件もそうですし、頼朝を助命しちゃったり、今回の維盛についてもそう。 ただ総大将に任じるだけでなく、伊藤忠清を補佐につけたりと、かなり配慮しているのですが、おっしゃるとおり、相手が悪過ぎましたよね。。。
@user-hg6cw6kw5w
3 күн бұрын
なんか清盛が気の毒になってくる···😅あと義兼が義重に送りつけた太郎と次郎が将来の誰なのか気になる! 通信手段が限られているこの時代、ほんのちょっとのことで明暗が分かれますね。清盛だって彼が得ていた情報からしたらしっかり対応できていたと思うし、義重にしてもそう。偉人とか無能とか、結果論でしかないなーと、多面的な視点を持てるのがこちらの動画の素晴らしいところだと思います。次回も楽しみにしてます!✨
@yukkuribanbii
2 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、このあたりの清盛は色々不憫過ぎて可哀想になります。問題山積みなのに、飢饉がくるわ、反乱起こるわ。何もこんないっぺんに来なくてもと。 そして、これまたおっしゃるとおり、清盛の対応はあの段階ではかなりしっかりしたものだったと思います。結果的には失策となってしまいましたが、その後の度重なる不測の事態を思うと、単なる失策で片づけるのはあまりに酷。。。 義兼が義重に送りつけた太郎と次郎ですが、この二人も後々しっかりと出てきますので、どうぞお楽しみに!
@tttkkk9762
3 күн бұрын
有能だけど扱いづらいチラシの裏(玉葉)書き込みおじさんこと九条兼実も結構好きです この人のチラ裏書き込みのおかげで地味にこの時代の客観性が保ててるのがまた面白い 幕府成立を考えるとそのうちまた出てきそう
@yukkuribanbii
2 күн бұрын
コメントありがとうございます! 九条兼実さん、いいですよね!「玉葉」も大好きなんですが、惜しむらくは現代語訳本がない。すっごくほしいです。 九条さんは今後、後白河ツッコミ役含めて、登場してもらおうと思っていますので、よろしかったらお付き合いいただけますと幸いです!
@user-xt4fg8ln4z
3 күн бұрын
平維盛は平家とはいえ、幼い頃から公家として生活していて、武芸も最低限しかやらなかったからいわゆる優男。史実によれば線の細いイケメンだったらしいです。平家方の武将も末端の武士はゴリマッチョもいるけど、大将クラスの武将は京産まれの京育ち、生活も安定していて久しく戦をしてない平和ボケ集団。対する坂東武者(&頼朝)は毎日が不安だらけ、いつ自分の領地が権利者に取られるか分からない緊張感MAXの世界。相手より強くないといけないから日々肉体を鍛えるマッスルな生活。都の公家(平家も)と違って狩りで仕留めた鹿さん猪さんをパクパク食べて、玄米も沢山食べて元気モリモリなゴリマッチョ達…兵士の戦闘能力だけで言えば確実に坂東武者に軍配です。ただ平家も清盛さんがちゃんと状況を楽観視せずに腰を据えて頼朝討伐していれば…歴史は違っていたんでしょうね。あとさ清盛さんやっぱり優しいです。あれだけ迷惑行為しまくってる後白河院を何だかんだ言って殺さず、島流しにもせずに生かしてる…後白河院は兄の崇徳院を島流しにしてるんですけどね。
@yukkuribanbii
2 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、坂東は清盛が頑張って治安を維持していた京と違い、ほとんど無法地帯状態でしたから、鍛え方が違いますよね。維盛は血気盛んな性格だったっぽいですが(以仁王の乱でも、突っ込んでいこうとするのを諫められていますし)まあ、お坊ちゃんですよね。。。 清盛が一度でも坂東を訪れ、坂東とはどういうところか知っていたなら、この時の判断は変わっていたんでしょうね? 清盛が優しいと言うのは同感です。だからこそ、平家はあんなに円満だったんだとも。後白河、私も最初は島流しにもしないで優しいなと思いましたが、調べていくうち、手放すと何しでかすか分からなさ過ぎて、逆に手ばなせなかったのでは?!と、最近思っていたりします(笑)
@babotaro12
3 күн бұрын
5人張りで引き尺1mなら発射エネルギーは750Jくらい。
@yukkuribanbii
3 күн бұрын
コメントありがとうございます! 為朝の戦闘能力を具体的科学数値に直していただけると、為朝がどれだけとんでも超人か改めて分かりますね!
@user-lt5rl3ii9g
3 күн бұрын
渋谷氏がでるなら、そのうち義朝や義経と縁のあった金王丸もいつかやって欲しいです。
@yukkuribanbii
3 күн бұрын
コメントありがとうございます! 金王丸!この人が土佐坊昌俊なら、とても劇的ですよね。この人は義経の人生を劇的に変えた人だと思うので、取り上げるつもりです。その時はお付き合いいただけますと幸いです!
@user-vm2fr3jn8x
4 күн бұрын
安房国に逃れる理由として、当時安房国の知行国主であり、都にいた頃に上西門院の側近同士で知り合いだった吉田経房の影響もありそうですね。 動画には出てきてませんが、石橋山の戦いの飯田家義(渋谷重国の子)とのエピソードも好きです。
@yukkuribanbii
3 күн бұрын
コメントありがとうございます! 吉田経房については、伊豆に居た時に北条時政と交流を持ち、繋がりがあったため、頼朝はこれを頼った。という説もありますね。ただ、時政との繋がりは後世のねつ造では?という説があったり、経房は当時「治承三年の政変」でも失脚することなく、平家と良好な関係を築いていたので、あえて平家と敵対するようなことはしなかったのでは?という説もあるそうなので、今回は除外しました。 飯田家義!この人のエピソードも面白いですよね!入れようかどうか迷ったのですが、尺の都合等でカットに。 渋谷さん周りは佐々木家関連といい、面白いエピが多過ぎて本当に困ります!一度、渋谷さんで動画一本作ってみたいものです(笑)
@harigane4773
4 күн бұрын
天に二つの太陽はいらないだろ? 中国の帝位争いとかでよく聞くワードをこんなところでも聞くとはw でも事実なんですよねぇ😅他から神輿、旗頭、御旗を持ち込んで権益を増やす…。 冷戦期のどっちの陣営に入るのか、やら現代まで末永くみんなに愛されるコンテンツ…😱
@yukkuribanbii
3 күн бұрын
コメントありがとうございます! 天に二つの太陽はいらない。この言葉、大河「独眼竜政宗」で聞いたのが初で、ずっと印象に残っていたのですが、もとを中国の皇帝争いに使われるワードなんですね!中国史は不勉強なので初めて知りました。ありがとうございます! とはいえ、おっしゃるとおり、これって日本、中国に限らず全国共通なんですよね。たとえ、神輿本人にその意志がなくても、担ぎ手たちが自分の神輿しか認めない。悲劇と言いますか、何と言いますか…
@user-df2ob1lz5v
6 күн бұрын
キモい位の兄弟愛、史実なのにギャグマンガみたいなすごくたのしかった。逃げ上手な若君かわいそう😅こんな変な兄弟に勝ったり負けたり😂
@yukkuribanbii
6 күн бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんでいただけたなら幸いです!コメディ風にしてはいますが、ここ。実はかなり重要な歴史の分岐点だったりします。とはいえ、真面目な歴史書においても「天皇か弟かという究極の選択で、彼は弟を選んだのである」などと書かれる尊氏が、私は大好きです!
@user-df2ob1lz5v
7 күн бұрын
鎌倉殿のドン引きするほどの殺意を見て、鎌倉時代も好きになったのですが、動画新鮮で楽しく拝見し、虜になりました。歴史って楽しく、奥深いですね!😊
@yukkuribanbii
7 күн бұрын
コメントありがとうございます! 大河鎌倉殿、面白いですよね!私も好きです!とはいえ、尺の都合なり何だりでカットされているエピや改変されている箇所も多かったりします。本シリーズは鎌倉殿では全カットされている足利義兼を中心に、鎌倉殿とは違う視点で解説していけたらと思っておりますので、よろしければこれからもお付き合いいただけますと幸いです!
@user-df2ob1lz5v
7 күн бұрын
@@yukkuribanbii 切り口新鮮で、とても面白くてツボってます。本当に楽しいです。まだ少ししか動画拝見してませんが、全部知りたいです。これからも、期待ウズウズしますので、動画作成お願いします🙂🤗巷は暑いですのでご自愛下さいませ
@user-ph8ij1lt9v
8 күн бұрын
新田義重と聞いて、歴史好きならば新田義貞のご先祖と思う人も多いのでは。
@yukkuribanbii
8 күн бұрын
コメントありがとうございます! 新田義重はまさに、あの新田義貞のご先祖様。新田氏の祖となるお方でして、義貞は義重の仍孫。七代目の孫にあたります。
@user-ph8ij1lt9v
6 күн бұрын
足利義兼も足利尊氏のご先祖ですよね。
@yukkuribanbii
6 күн бұрын
@@user-ph8ij1lt9v さん コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、足利尊氏は義兼の昆孫。6代後の子孫となります!
@tttkkk9762
8 күн бұрын
義経は戦術の人で、大局観が弱くて下級の将まで 義兼は戦略までできる人で、帥までやれる人って印象です 頼朝先生は政治家がたまたま武家の家に生まれただけなので変異種ということでひとつ
@yukkuribanbii
8 күн бұрын
コメントありがとうございます! まさに!私もおっしゃるとおりの印象です! 義経は戦術の天才。義兼は戦術は義経に及ばないまでも、戦略もできる大将タイプ。そして、頼朝の意向を正確に理解し、動くことが出来る。だから、頼朝は重宝したのではないかと。 頼朝はやはり、武将と言うより政治家ですよね。で、そのことをしっかり自覚していて、軍事は得意な人に任せられるところはさすがだなと思う次第です!
@real.23_ko
9 күн бұрын
頼朝が義兼を信頼した理由は、早い時期から従った事もそうですが、母方の親戚である事が大きいのではないでしょうか? 父方の兄弟や従兄弟は相続で揉める可能性があるけど、母方だとその心配は少ない 頼朝にとって義兼は、無条件に親しみや懐かしさを覚える存在だったのかもしれません 二人が共に熱田で生まれていたとすればなおさらですね
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 頼朝が義兼を信頼した理由。おっしゃるとおり、今回の参戦の時期よりも、それまでの義兼との繋がりも大きかったと私も思います。 父親たちは盟友で母方の従兄弟(これまたおっしゃるとおり、母方ってのが大きいですよね)というのも、子どもの頃から培ってきただろう付き合いの長さも。一番気心が知れていて、信頼していたのではないかと、頼朝の義兼への待遇を見ると思ってしまいます。
@user-ns1qi6wb6x
9 күн бұрын
頼朝戦下手云々言われてるけど 奥州合戦では勝ってるし言われるほど下手とは 仮に流人時代は下手でも後々に兵法を勉強したりしてるだろうし
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、決起後に兵法の勉強をした可能性も勿論あると思います。頭のいい人ですし、戦のセンスがなかったわけじゃないので勉強すればかなりの軍略家になっていたとも。 ただ、個人的には戦については義兼たち御家人に任せていたと考えています。戦に関しての命令で「あれ?」となるものが、結構多かったりするので。
@user-qz3go1ft3p
9 күн бұрын
面白い歴史の面白い解説。 またまた神回に感謝
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 初めてこのエピを知った時は、「尊氏、何してんの?!」と思わず呟いてしまったのを今でも覚えています。何を思ってこの和歌で応募したのか、できることならぜひ聞いてみたいです!
@user-qz3go1ft3p
9 күн бұрын
めっちゃ面白いめちゃくちゃ面白い 9:10ここ最高。ワンコンセプトをちゃんと4話通底させる手腕に完敗しますた。素晴らしい出来ですね。感謝
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! ワンコンセプトで4話引っ張れたのは、ひとえに足利兄弟のおかげです!ホント、こんなに兄弟エピがある兄弟ってなかなかいないと思います。そして、実はまだ紹介していないエピもあるので、いつかまた紹介したいです!
@user-qz3go1ft3p
9 күн бұрын
車運転しながら聞いてて 笑い過ぎて事故りそうになりますた 軽やかで実に面白い解説 才能が弾けてますね 新説について考えさせられるところも気に入りました。面白い。感謝
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! この回は特に勢いよく作った回です(笑)実を言うとまだまだ色々な説があるので、機会があればこの戦いは、「兄弟愛」とは別視点で作ってみたいです。
@user-yb5md7gh5p
10 күн бұрын
この合戦、詳細わからなかったのでありがたいです。
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 多々良浜の戦いは「太平記」も投げちゃうほど謎が多い戦なので、私のサーチ力ではこれが限界でした。それでもそう言っていただけますと、頑張って調べた甲斐がありました!嬉しいです!
@user-wt5nb2sj9w
10 күн бұрын
いつもありがとぅ〜 日曜日唯一の楽しみ😅
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
いつもコメントありがとうございます! そう言っていただけますと、ホント励みになります!
@AI-DOROMI
10 күн бұрын
画面愉快ですね〜 手かかってますね〜グッジョb
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! まだ、動画づくりを始めて程ないので、拙いところが多いかと思いますが、そのように言っていただけると大変嬉しいです!
@user-hu3zj1tv6g
10 күн бұрын
今週も楽しく拝見させていただきました。 渋谷さんはマジで、言うレベルの聖人なんですよ。 だって、落ち延びきた佐々木兄弟たちが来て次男がいないのをみて、出陣する時引き留めたりして帰って来にくい状態悪かったとか、探してくれと言う人ですよ。
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、調べれば調べるほど渋谷さんって聖人のような人ですね!他にも、佐々木四兄弟の妻子を引き渡せと大庭景親に詰め寄られても突っぱねてますし……つくづく、佐々木家はいい人に寄生……いえ、よしみを結んだと!
@RM-ih9qj
10 күн бұрын
今回も面白かったです! 軍事の差配は義兼がしていた!なるほど僕も鎌倉軍の指揮官といえば義経と思っていましたが、まだ合流するのは先ですしね。 義兼は都で育ち軍事教育を受けたのは、今でいう士官学校卒のエリート軍人みたいなものでしょうかね。これは頼りになりますね。 知らなかった足利義兼の活躍が見れそうで楽しみです。 そして義重さんアチャ~……新田家の扱いはこれで決まってしまったわけですね
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 軍事の差配は義兼がしていた!と、はっきり書いている史料はないのですが、「総大将」だとか「目付け役」だとか目立った役についていないにも関わらず、頼朝が遂行した戦のほとんどに参戦し、その都度相当な恩賞をもらっている人なので、かなりの働きをしていたのは事実だと思います。 また、義経とは違うタイプの指揮官とも思っていて……そのあたりも今後解説していけたらなと思います! 義重さん、実はまだチャンスはあるんですが……それについても、どうぞお楽しみに!
@user-hg6cw6kw5w
10 күн бұрын
安定の目からウロコっぷり😳上総広常合力エピソードには疑問を感じていました。頼朝がそんな一か八かな対応するとは思えないので。この動画でスッキリしました✨ 乳母パワー、すごいですよね。頼朝って冷酷なイメージを持たれがちですが、実際はすごく可愛げのある魅力的な人だったのではないかと思います。だから政子はあそこまで惚れ込んだし、乳母達が一家を巻き込んでまで応援してくれたのではないでしょうか。弟達や対抗勢力の粛清も、この時代では普通のこと。なまじ可愛げのある人がやったから必要以上に冷酷な印象を受け、それが語り伝えられちゃったような気がしてきました。 次回も楽しみにしてます!暑いですがお身体に気をつけて、無理せず長ーく続けてください😊
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 上総広常合力エピ。「吾妻鑑」バージョンも好きなテイストなんですが、私も頼朝は基本熟考の末動くタイプだと思うので、最近言われている説のほうがしっくりきます。 私としては、頼朝は公私をはっきりと分けられる人なんだというイメージです。公人「鎌倉殿」として振る舞う時は、私人「源頼朝」を一切排除していると言いますか。そこが頼朝のすごさと勝手に思っています(笑)
@Guanlong_wucaii
10 күн бұрын
投稿お疲れ様です! 複雑怪奇な源平合戦こと治承寿永の乱ですが(もし可能なら背景理解のためにも)スピンオフで平家の解説(特に清盛の経済政策etc)も解説してほしいです。 なんだかんだ20年近く世の中を安定した治めた平家政権には、それなりに鎌倉幕府へ繋がることも多いですし……
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメント&リクエストありがとうございます! 本シリーズは源氏主体なのでかなりさらっと流していますが、清盛もまた傑物ですよね!彼の功績も、今後に大きな影響をもたらすものなので、いつになるかは明言できませんが、取り上げてみたいと思います!
@user-lw6gn7uu8r
10 күн бұрын
やっぱり頼朝って政治の天才やな〜 あとこうやって義兼の事を教えてもらえばもらうほど、鎌倉殿で夫婦共々存在を抹消されたのが悔やまれる!! いつか頼朝主人公のバチバチに源氏ばかりの大河ドラマ作ってくれないかな? 頼朝の兄弟や義仲、信義は当たり前として義重や佐竹、門葉の面々や頼隆など頼朝周りを坂東武者と同じぐらい源氏で固めた大河を作って欲しい! もちろん頼朝の妹(姉)夫妻の坊門姫と一条能保も出してね!!
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 源氏ばかりの頼朝主演大河!素晴らしい!話がややこしくなるせいか、源家以外の源氏ってほとんどカットされてしまうのがいつも残念だったのですが、いっそ「源氏」というものに主題を置いた大河があったっていいですよね!ぜひ見たい!
@omega-omega884
10 күн бұрын
日和見にもいろいろ理由はあったのだろうけど、今まで苦労して築いた立場やコネを捨てるなんてできるはずがない、 って言う年寄りの現状維持・安定志向が最大の理由になってそうな。新田の場合、結果的にはアレなことになるわけだけど
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、新田が動かなかったのは現状維持・安定志向が大きかったように思います。実は、現在の領土も平家に認めてもらってるものだったりもするので、余計おいそれと動けなかったのかと。
@user-xx9oe9fe8g
10 күн бұрын
19:54 ノルマ達成
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 最初は軽い気持ちで始めたことだったのですが、今やノルマになってしました(笑)毎回、どこでねじ込んでやろうか(!)と虎視眈々と狙っています!
@user-tx5ge2nw7t
10 күн бұрын
広常の二万は総兵力で実祭に連れていったのは半分の一万くらいかな?
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 「吾妻鑑」では二万って言われてますけど、おっしゃるとおり誇張でしょうね。とはいえ、半分の一万だったとしても飛びぬけた兵力ですから、仲間に引き入れるとしても、頼朝はかなり気をもんだでしょうね。
@user-xt4fg8ln4z
10 күн бұрын
この当時の朝廷の対応は「?」な状態で、普通に考えると政を司る平家に弓引く=朝廷に弓引く行為で正に「朝敵」でして、いくら以仁王の令旨があるとか言うても、帝を奉る平家一門や摂関家の方が遥かに立場は上なんですが… やはり後白河院が関係してますよね。かなり日和見な対応して周りを混乱させてます。朝廷や公家が平家を嫌っていたとは言われますが、実際はかなり複雑で、平家が好きな人もいれば嫌いな人もいる状態。後白河院がもう少し朝廷を上手く統率できればいいんですが、彼にはそんな能力はなく、一生懸命今様、女遊び、ポルノ雑誌編集(小柴垣草紙)をがんばってましたw実際、先の事とか考えてないと思います。朝廷の日和見主義の影響もあって、地方、特に関東の治安が荒れてます。まさに北斗の拳状態でした。あと新田さん挙兵の仕方が分からないとかメッチャカワイイ❤
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! そうなんですよね。本来、「王」でしかない以仁王の令旨にそこまで効力があるわけないのに、何でかここまでまかり通っちゃうのは、坂東が無法地帯なのと、後白河が原因でしょうね。 後白河。個人的に鹿ケ谷の陰謀で「清盛嫌い!」になっちゃったイメージです。でも嫌がらせするにしても、これまたおっしゃるとおり、それをしたら何がどうなるかよく分かってないままやっちゃうような人だから、余計カオスな状態に。朝廷も、サボり常習犯の九条さんですし……清盛の心労は半端なかったでしょうね。。 新田さん。やっちまったことは「あらら…」なのですが、なんか憎めないんですよね。
@user-mj7nh1cm2b
10 күн бұрын
信西エグい。
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 信西は頭のいい人なので、この仕置きは彼なりの理屈があると思うんですが、おっしゃるとおり苛烈過ぎますよね。個人的にこの仕置きが義朝を平治の乱に追い込んだと思っていたりします。
@user-gu7nb4iv5t
10 күн бұрын
初コメ失礼します!両統迭立の動画の頃に見つけてそこから毎週楽しみに見てます!めちゃくちゃ面白くてクオリティも高いしもっと色んな人に知ってもらいたいけど知る人ぞ知るチャンネルであってほしくもあります…w
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 両統迭立の頃から見ていただいているなんて嬉しい限りです! まだまだ歴史も動画作りも不勉強で拙いところもあるかと思いますが頑張って参りますので、これからもお付き合いいただけますと幸いです!
@kuwataku1
10 күн бұрын
楽しかったです。途中で挿入された広告がたまたまSDガンダムだったので盛大に吹きましたw
@yukkuribanbii
9 күн бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんでいただけて幸いです。そして、広告がガンダムとはなんと気の利いた計らい!
@omega-omega884
13 күн бұрын
旧2ちゃんねるの「やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです」でも足利義兼の合流については石橋山の敗戦直後と推測して大いに物語を盛り上げていたし、 確かにタイミングとしては遅くともここじゃないと以降の歴史の流れにそぐわない感じですよね。今後新しい資料が出てこないかなとかちょっと期待してしまいますね
@yukkuribanbii
13 күн бұрын
コメントありがとうございます! お察しのとおり、今回の合流のくだりは、やる夫さんのオマージュになります。あのくだり、あまりにも好きで! とはいえ、私も自分で調べてみて、やっぱりこのあたりしかないよなあと改めて思い至りました(このタイミング以降だと、新田と同じ日和見になってしまうし、山木&石橋山は戦上手の義兼が参戦していたにしては戦が拙い) でも、おっしゃるとおり、少なすぎる史料をもとにした想像なので、今後新しい史料が発見されることを切に切に願っております!
@user-lc4dw8vy9z
15 күн бұрын
源義平の生母は、尊卑分脈にある遠江国橋本宿(1498年の大地震と1510年の高潮で宿場町としての機能を失った、軍事的にも重視されていた幻の中世の宿場町、コトバンク参照)の遊女と思います。義平が〇ぬまで無位無官であったこと(波多野氏の娘の子の朝長と比較しても、三浦介の娘の子で義朝の長子が無位無官はおかしい)、平治の乱で負けた後、坂東に雌伏せずにすぐ京都に戻ってきて清盛の命を狙ったこと(義朝死後、後ろ盾となってくれる一族も無く、坂東に義平の居場所は無かったのでは?妻の実家の新田氏は平家寄り)など、三浦介の娘の子とするには辻褄の合わない傍証は複数あります。ネット上にも、渡邉浩貴「源義朝権力の地域基盤と武士拠点」(国立歴史民俗博物館研究報告 第245集2024年2月)という論文があがっておりますが、義平の母としては遠江国橋本宿の遊女説のみを紹介しております(もっとも論文の趣旨から言って当然ではありますが)。本当に義平が三浦介の娘の子なら、それこそ安房国に匿うとかできたと思います。実際、平治の乱への関与の度合いは不明ながら、熊野に地縁・血縁のある源行家は平治の乱から以仁王の令旨まで、潜伏することに成功しています。
@yukkuribanbii
15 күн бұрын
コメントありがとうございます! 源義平の生母についてですが、本動画では、大蔵合戦時の結びつきの強さなどから「清和源氏系図」説のほうを採用しました。「尊卑分脈」ではおっしゃるとおり遠江国橋本宿の遊女ですね。お恥ずかしながら、このあたりはあまり深く突っ込んで調べなかったのですが、今は橋本宿の遊女説のほうが主流なのですね。勉強になります。
@user-ho3cn2cv4v
16 күн бұрын
石橋山の戦いは、後年多々良浜の戦いで梅松論で直義がなぞられ得て言いましたからね
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! 梅松論で、直義が多々良浜の戦いで石橋山の戦いのことを言及していたというエピは、恥ずかしながら今回初めて知りました!ありがとうございます! でも、言われてみれば、石橋山の戦いと多々良浜の戦いって、結果的に圧倒的不利を短期間でひっくり返したってとこは似ていますね。ただ、神風起こして勝った尊氏もだけど、惨敗したのに状況をひっくり返した頼朝も訳が分からない(苦笑)
@tadasinakamura
16 күн бұрын
こうしてみると、頼朝も「高貴な血筋をかついで一発逆転!」っていうその後の武士ムーブにのっかったようにも見えますね。ここまでであんまり明確でなかったこの需要をつかんでものにしたのは天才的だなと思います。
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、後世の人から見れば、頼朝は時代の波に上手いこと乗っていると分かるんですが、当時はそんなもの不確かなわけで、それを的確に見極め、その波に乗れるよう策を巡らせた頼朝は本当に天才だと思います。
@user-lc4dw8vy9z
17 күн бұрын
頼朝は、検非違使をやったことがない、衛門府に勤めたことがない(門番をやったことがない)、わずか数え年13歳で蔵人、(平治の乱のどさくさの臨時除目だが)右兵衛権佐(尉ではない)だったので、母親の実家の後押しもあり、他の源氏とは歩いているコースがまるで違った、公卿になれるのはほぼ確実で、坂東武者たちとの比較ではもちろんのこと、他の源氏とも身分が隔絶してたのは事実。とはいえ、一時期は源義仲に迫られるなど、もちろん実力で源氏の棟梁の座を勝ち取る必要はあったのだけどね。ただ、今までの坂東武者たちの「神輿」とも明らかに違ったんだよ。
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、頼朝の任官コースは他の源氏とはまるで違いますし、この経歴が京との繋がりや朝廷への工作に大いに役立ったと思います。ただ、平治の乱後、頼朝は官位をはく奪され、無位無官の罪人として伊豆に流されているので(後で復位しますが)決起当初は官位よりは、「かつて坂東を従えた義朝の子」であることのほうが、坂東武者たちに響いたのではないかと、個人的には思ってます。
@user-lc4dw8vy9z
17 күн бұрын
そもそも良文流は桓武平氏かどうか怪しいので、本当は血筋がハッキリしている、伊勢平氏と同族であることがハッキリしている、常陸の大掾氏が平家についてどう言っているか、平家が大掾氏のことをどう扱ったかを見てもいいんだが、当時の大掾氏は常陸大掾に任官、世襲してたかどうか疑わしく、そもそもそんなに力がなかった様子(良文流の方がよほど繁栄していた)。頼朝が源義光流の佐竹氏を牽制するために大掾氏にテコ入れしたとすら言える。それも嫡流の多気氏ではなく庶流の吉田氏(馬場氏)に(これも頼朝得意の手口)。伊勢平氏、平家を含む平国香流の一門に常陸介、常陸大掾への任官者が多いのは事実と言ってよいと思いますが。
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、良文流が桓武平氏か怪しいですが、本人たちがそう自称しており、そのことで平家に対して悪感情を抱いているということで、今回のような解説としました。 常陸の大掾氏についてですが、お恥ずかしながらそこまでは不勉強で考察に組み込めませんでした。申し訳ありません。
@user-wt5nb2sj9w
17 күн бұрын
今回も面白い〜
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! 今回も楽しんでいただけたのなら幸いです!またお付き合いくださいませ!
@user-kl6fv1ss1g
17 күн бұрын
なぜ関東平氏が平家に逆らったかという長い間の疑問がとけました。 もう一つの疑問は、源氏の長者になれる可能性が高かった佐竹氏はなぜ平家と仲が良かったのでしょうか。
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! 佐竹氏についてですが、後日解説しようと思っておりますので、よろしかったらその回お付き合いいただけますと幸いです!
@user-yu1zy1jr4z
17 күн бұрын
一般にはあまり知られてないですが、治承・寿永の乱は「源平合戦」とはいえないこと、源氏の棟梁が頼朝と決まっていたわけではなく、勝ち残ったからこそ頼朝が源氏の棟梁になったというのは重要ですよね! 初期の頼朝軍、貴族とはいえ没落していた頼朝、源氏であること以外何もない足利義兼、伊東氏と対立する伊豆の武士、大庭氏に圧迫される三浦氏、下総目代と対立していた千葉氏など「負け組のかき集め」感がすごいんですが、そんな人たちが初の武家政権を作るんだから面白いですよね…
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、一般的には真の源氏の棟梁は最初から頼朝で、頼朝の家系が嫡流!みたいな認識ですが、全然違うんですよね。ここが理解できていないと、武田や木曽がポコポコ決起したかが謎なことに。 そして、これまたおっしゃるとおり、初期の頼朝軍は「負け組のかき集め」なんですよね。で、完全なじり貧状態で、このまま何もしなければ破滅しかないところまで追いやられている。そこからの逆転劇なんですから、ホント劇的ですよね!
@user-hg6cw6kw5w
17 күн бұрын
私もここで義兼参戦ということにします!!😤ぎゃーーーこのシーン大河で見たい!!✨源氏遺伝子バグの頼朝と義兼、奇跡のタッグ!こうしてみると、旧タイプ「源氏ってる」義経や義仲が消えていったのも分かる気がします。 てか、治承じゅえいの乱の構図って実はこうですよね。通説ではほぼスルーされてますけど、源氏のトップ争奪戦、平氏間のモヤモヤがこの後日本を動かす。今回も核心を突いた考察に目からウロコです✨
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! 私の自説に賛同してくださって嬉しいです!ホント、どんなに遅くてこのあたりだと思うんですよね、今後のこと考えると! 義経も義仲も、大人物であることは間違いないとと思うんですよね。ただ、如何せん政治力が。。。 治承・寿永の乱については今後のために、一度整理しておくために今回の解説を入れてみました。ここを理解しておかないと、頼朝の言動が理解できなくなりますからね。こうしてみると、頼朝という人はつくづく大局が見えていたのだなと感嘆します。
@RM-ih9qj
17 күн бұрын
今回も面白かったです! 本当、頼朝は奇跡的に生き残っていますね。梶原景時に見逃されるとことか特に……やっぱそういう運命を持って生まれてきた人なのだろうか。 ここら辺で義兼参陣して忠誠を誓わないとその後の関係性が説明つかないというのに納得です。 源氏VS平氏と勘違いされがちなこの時代を、坂東平氏は平家は嫌いだし、源氏同士でも競争になったことの解説もわかりやすかったです。
@yukkuribanbii
16 күн бұрын
コメントありがとうございます! ここで頼朝を討ち取れなかったことは、景親どころか平家にとって致命的でしたよね。そのことを考えると、景時の決断はまさに歴史を動かしたと言っても過言ではない。 義兼は「吾妻鑑」で初登場する直後に合流したと言う説もみましたが、私としてはどんなに遅くてもこのあたりとしか思えないんですよね。そうじゃないと、頼朝の義兼好き好きっぷりは説明できない(笑) 治承・寿永の乱は「源氏VS平氏」という認識だと、このあとの展開が「???」になると思い、一度整理する意味で今回、あの解説を入れてみました。分かりやすかったのならよかったです!
@user-xt4fg8ln4z
17 күн бұрын
まだ自分の未来がどうなるか全く分からない時に国衛を襲撃して平家に立ち向かう行為は非常に勇気がありますね。ここまで思い切った行動を取れる人はなかなかいないです。個人的に平家の統治は割と良かったとは思います。ただ、それはあくまでも都の朝廷や平家一門から見た場合で、地方では都から来た権利者が一方的に搾取する無法地帯。平家の統治方法は完全に貴族の立場からの統治だったから武士から反感を食らったんでしょうか。(そもそも清盛さんは都産まれの都育ちだから地方とかあんまり知らないんですが)今回の動画ですが、脳内で鎌倉殿のシーンが完全再現されました。
@yukkuribanbii
17 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、常人にはとても真似できませんよね。ただ、頼朝は恐ろしく頭のいい人なので、一度決起してしまったら天下を取るまで勝ち続けなければならないからと、策を練ったのだと想像します。 平家の統治方法ですが、私も結構よかったと思っています。でも……おっしゃるとおり、京生まれ京育ちの清盛には見えないものがあったことは否めず。もし一度でも坂東の地を訪れていたら、聡明な清盛さんのこと。多くを学び、何かが変わっていたかも? 鎌倉殿、和田殿にいたっては肖像とドラマそっくりですよね。最初見た時は、よくぞここまで似せたものだとびっくりしました(笑)
@user-hu3zj1tv6g
17 күн бұрын
今回も楽しく見させていただきました。 愛嬌のある脳筋キャラこと和田一族もそうですが。 坂東武者は、漫画のヤンキーキャラみたいに竹を割った性格で信じたものは絶対に貫いたり、意外にかわいい一面があったり、北条政子の演説で感動して号泣して朝廷にカチコミ行く。ピュアな一面を持ち合わせた人たちなので、 頼朝いう恩義を感じたら、必ず返してるくれる棟梁はいい組み合わせだと思う。
@yukkuribanbii
17 күн бұрын
コメントありがとうございます! 義盛さん、愛すべき脳筋でいいキャラしてますよね! おっしゃるとおり、坂東武者は純朴と言いますか、感動屋と言いますか。可愛い一面もたくさんあるんですよね(舐めたら〇すマインドが色々帳消しにしてしまいますが(苦笑)) で、そんな坂東武者たちのもとで育ち、愛される大将軍になった頼朝。そうなるに至った過程も解説していけたらと思っています。
@user-zz9dr2ib5p
17 күн бұрын
氏は一緒でもライバル意識バリバリなのよね。関東の平氏からすれば清盛の一族だけが出世していくのを苦々しく思っていただろう。これは源氏も同様で同じ源氏だからと言っても仲間意識はない。
@yukkuribanbii
17 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃるとおり、同族だからこそライバル意識が燃え滾っちゃうんですよね。源氏がよくその引き合いに出されますが、平氏もなかなか……