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Japanese Onsen | 2 Day Trip At Karuizawa & Kusatsu Onsen!
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What Was It Like In Japan During WW2?
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Suit Travel
Күн бұрын
Пікірлер: 394
@SuitTravel
Жыл бұрын
下記URLから、全セットを初回購入時に2,000円オフ、2~4回目購入時に1,000円オフの総額5,000円オフでご購入いただけます。 nosh.jp/lp/influencer/suits?KZbinr&PR& ※本クーポン施策はナッシュを購入したことがない方にのみ適用されます。 ※「総額5,000円オフクーポン」の有効期限は、初回購入日から12週間です。 ※割引金額は事前の告知なく変更になる場合がございます。 質問回答動画はこちら kzbin.info/www/bejne/nXXPqY2VgJp1rNE
@ブリジット-s7c
5 ай бұрын
ねおたな
@森原孝之
Ай бұрын
1:51:06 😅
@たこいか-h7g
Жыл бұрын
ありがとうございます。50年ほど前の話ですが、大阪の小学生でしたから近鉄あおぞら号で伊勢方面に修学旅行に行きました。もうほとんど覚えてませんが二見浦に宿泊し赤福餅とペナントをお土産として買って帰りました。
@YouTube.User.3325
Жыл бұрын
同じく。ほぼ同じ行程でした。 帰りの「あおぞら」では車端部の平屋席でした。クラスの悪餓鬼と近い席でしたが、その餓鬼が赤い握り玉の付いた紐を見て「これ何やろ〜」と言って引こうとしたので、慌てて「触るな!」「それ非常ブレーキやから引いたら電車が急停止する」と行ったら、悪餓鬼はビックリして手を引っ込めた記憶があります。
@mgtpa6-
Жыл бұрын
僕は橿原神宮前駅が最寄りで古墳や神社があるのを当たり前のように思っています。でもこうして当たり前のように日本の歴史に触れることができるところにいることへの感謝を忘れてないけないとこの動画を見て改めて実感しました。
@たなぽゆ
Жыл бұрын
電車は単なる移動手段であったのに、スーツさんの動画で知識を得たお陰で何だか電車に乗るのが楽しくなってきた自分に気がつく☺️
@デニ500
Жыл бұрын
コロナと修学旅行の切り口に感服しました。
@user-rurouni45408
Жыл бұрын
1:55:37 若草山は大和三山ではありません。大和三山は藤原京を囲っている山の事で耳成山、畝傍山、天香久山を総じて「大和三山」といいます。
@morgenyuichi2333
Жыл бұрын
日本が世界に誇る零戦の名前の由来も、帝国海軍に正式採用された年が皇紀2600年の下二桁のゼロをとって、ゼロ戦となったのですよね。また以前のハワイの回のパールハーバーの時に出て来た97式艦上攻撃機は、零戦の3年前の皇紀2597年に採用されたのでした。 前回のハワイと今回の伊勢と、どちらも約80年前の目線で見る事が出来る、戦争という時代に生きた人々の事を少しでも知る事の出来る、素晴らしいテーマでした。
@ootakas
Жыл бұрын
さすがの企画力ですね いい歳の中年ですが知らないこともたくさんありました 3時間近い動画でもまったく飽きなくて一気に見てしまいました 元気に動ける年齢のうちに日本のいろいろなところ見ておきたくなりました
@choro_channel
Жыл бұрын
日本史の中でも戦時中の歴史に興味があって小さい頃から独学で学んでいますが、戦時中の修学旅行については正直詳しく知りませんでした。とても興味深く勉強になりました。ありがとうございます。
@SuitTravel
Жыл бұрын
僕も聞きかじっただけなので話半分でお聞きください
@タチャンカ-j9n
Жыл бұрын
日米開戦陸軍の勝算という書籍をお勧めします。少し難しいかもしれないですが興味があるなら読み切れると思います。
@めーぷるチャンネル-k1m
Жыл бұрын
昔の時代を探す旅良いですね 中山道で江戸時代を求めたのも素晴らしかった 今後もこのような企画楽しみにしてますね
@hanahana--
Жыл бұрын
大儀と言えば、昭和の時代ですが田舎の嫁が堂々と旅行に行ける機会がありました。それが参宮ツアーでした。一生に一度厄年(たぶん30代)だったと思いますが参宮に行かせるという習わしがありました。(うちの田舎だけかもしれません)うちの母も伊勢神宮、明治神宮等大儀を持って10日間くらいご近所の方々と周遊旅行に行きました。昭和の終わり頃の話です。子供を置いての長旅だったので覚えています。戦後もその感覚は同じだったんですね!
@頬予大橋
Жыл бұрын
戦前の参宮線は、今とは違い国家神道の総本山である伊勢神宮のための重要な路線でした。1940年の時刻表では、東京直通の夜行列車が臨時含めて2往復・湊町~鳥羽の快速列車が2往復(夜行の湊町→鳥羽も別にあった。又普通列車の湊町~鳥羽・山田もあった。)・名古屋~鳥羽の快速列車が2往復・姫路~鳥羽の快速列車が2往復(1往復は食堂車の連結あり)・大阪・京都~鳥羽の臨時快速列車がそれぞれ1往復・宇野~鳥羽の夜行普通列車が1往復もあり、多くの地域からの直通列車が存在した。
@頬予大橋
Жыл бұрын
@evis 戦後には名古屋~鳥羽の快速列車2往復(1966年3月改正で岐阜(美濃太田)・名古屋発着の急行いすずに格上げ→1968年10月ダイヤ改正で廃止)・姫路~鳥羽の快速列車1往復(1965年3月改正で京都~鳥羽に短縮され、準急志摩(後の急行志摩)に統合される)・東京~鳥羽の夜行急行大和(1950年10月改正で設定させた。鳥羽行は付属編成扱いだったが、1953年11月改正で夜行急行伊勢として独立。後に新宮方面の夜行急行那智と併結するようになるが、1968年10月改正で3つの夜行急行は急行紀伊に統合され、鳥羽行は1972年3月改正で廃止された)が設定されましたが、戦前の勢いを取り戻すことはできませんでした。又湊町方面の優等列車が設定されなかったのは、1940年の時点で大軌・参急連合(後の近鉄)が上本町~宇治山田(伊勢中川での乗換あり)の急行列車を終日30分間隔で運行しており、所要時間も2時間14分しかかからなかったからです。(同区間の省線の快速列車は約3時間40分かかっていました)一方、名古屋~宇治山田の急行列車は30~1時間間隔で所要時間は約2時間5分でした。(同区間の省線の快速列車は約2時間30分だったので、まだ勝負ができました)。しかし戦後に善光寺カーブの改良や標準軌への改軌を果たした名古屋線には太刀打ちすることができませんでした。又名阪国道の開業や新幹線が開業したことで夜行の需要も低下し、東京直通の夜行列車は廃止されました。京都方面や中国・四国方面の需要も新幹線の開業や奈良電を買収した近鉄が京伊特急の運行を開始したことで奪われるようになり、1972年3月改正で急行志摩は2往復→1往復に削減されました。
@yuko-eq9np
Жыл бұрын
戦前~戦時中の修学旅行、大変興味深い内容でした。 祖父母が戦前にこのような修学旅行の経験があったかもしれないと思い、存命中に話を聞いておけば良かったと後悔しています。 伊勢や京都が好きで何度も旅行していますが、まだ訪れたことのない地も多いので(御陵や護王神社等)いつかゆっくり巡ってみたいと思います。
@ashigeron72
Жыл бұрын
こういうことしてくれるスーツ君が大好きだわ
@s21k58
Жыл бұрын
戦時において人々がいかに変わらぬ日常を守ろうとしていたかを具体的に知れた。これからも日本人について深堀を続けて欲しい。
@tacchan126
Жыл бұрын
学生時代に非常勤で来ていた先生が今自分の研究室に近ツーの元社長が大学院生として在籍し戦前の修学旅行について研究していてもうすぐ論文が学術雑誌に掲載されるという話をしていた。 今回の動画タイトルを見て真っ先にその人と論文が思い浮かんだ。そして、その著者と論文こそまさに冒頭で紹介があった太田孝さんとその論文だった。
@みすと-m8j
Жыл бұрын
大和三山は、橿原市の香久山、畝傍山、耳成山で、若草山は違いますよー。 いつか、藤原京を囲む大和三山に登り、飛鳥時代を想像する動画やってください〜
@_haru12295
Жыл бұрын
戦時中にも修学旅行があったのは知らなかったです。興味深い内容でとても勉強になりました!
@naonao7767
Жыл бұрын
厳格な行程での修学旅行。それでも当時の児童や生徒達は内心ワクワクしていたのかなと思います。新幹線とバスが充実し自由行動(若干の制限はありましたが)ができた自分自身の時の修学旅行は恵まれていますね。 スーツさんの鬼のような行程···お疲れさまでした。
@kawabata2088
Жыл бұрын
51年前の小学校の修学旅行は伊勢でしたよ。中学ではソ連の集団農業は素晴らしいと習いましたね。 近代史は習った記憶がない。 国鉄スト、教師もスト。 学生運動が盛んな時期。 浅間山荘はリアルタイムで テレビ放送されてた。 今は平和ですね。 あの修学旅行では蒸気機関車見たよ。
@ふじっち-d8l
Жыл бұрын
かなり昔の話になりますが、1980年に小学校の修学旅行で神戸から伊勢まで修学旅行専用の団体列車に乗って行きました。三ノ宮駅から乗車しましたが、EF58が牽引する12系客車の6両編成だったと記憶しています。京都か草津でDE10に機関車が交代し、東海道本線→草津線→関西本線→紀勢本線→参宮線というルートで、伊勢市駅で下車しました。
@2h2o
Жыл бұрын
東海道の旅、中山道の旅、そのほか、スーツさんの旅動画はすばらしいものばかり。
@松室耕一
Жыл бұрын
東の山(音羽山)119mの山上までロープウェイがありましたが、第二次世界大戦の際に浮揚不急路線として廃止されました。また、朝熊山上には麓の朝熊町からケーブルカーが通り、伊勢市内(当時は宇治山田市内)から路面電車が来てました。これも不要不急線として供出されました。
@naoko381K
Жыл бұрын
次々に面白い企画を考えてくれますね。これは楽しみ…。
@nito_kirisaX
Жыл бұрын
神社神道の高校に行っていたため、学校行事として伊勢神宮に参拝した経験があります。動画でも話題にあがっていましたが、私語厳禁で参拝した記憶があります。また、参拝前は御裳濯川とも呼ばれた五十鈴川で禊をし、清めてから参拝した記憶があります。当時の思い出を思い出す動画でとても楽しく拝見しました。主に禊の際に、冷たい川に浸かった思い出ですがw
@月光仮面-b1w
Жыл бұрын
40年務めた会社員時代は京都や奈良に毎週行きましたが、この動画では懐かしい場所とともによ行っていない場所が多くありました。 70歳を過ぎたら、ゆっくり訪れたいと思います。素晴らしい動画を有り難うございます。
@pepomaru
Жыл бұрын
野暮な話かもしれないけど、 この工程を全ての生徒がしてたというより「班別行動」とか「クラス別」で行く場所が違ってたりするパターンもあるからそこまで過酷ではなかったかもしれない。 それっぽいのがスーツ氏が持ってる工程表に「一班」「一組」みたいな表現が入ってるし。 学校に帰ってそれぞれが見てきた物のレポートを書いて発表する機会があったんじゃないかなぁ? 今でもそういうパターンはよくある。
@kyokookada7641
Жыл бұрын
グループ別行動なんてのが取り入れられたのは平成以後の事です。人数の多い学年のクラス別行程はあったとおもいますが。
@pepomaru
Жыл бұрын
なるほど、今より移動や連絡手段が乏しい中で細かく分散しすぎると安全や時間の管理ができない問題がありますね。 せいぜい「クラス別」ぐらいまでが先生の目も届きやすいかな。
@のんのん3
Жыл бұрын
江戸時代には、お伊勢参りは一生に一度のイベントだったらしいですが、戦前の修学旅行に引き継がれていたんですね😊
@nao59635963
Жыл бұрын
スーツ交通チャンネル、いつも見ています。戦争中、庶民がどんな感じで暮らしていたのかよくわかります。これからもタメになる動画配信をお願いします🎉。
@manyouish
Жыл бұрын
江戸時代といい戦中といい、お伊勢参りは唯一無二の旅行ですね
@逸子八木
Жыл бұрын
またまた、次々、素晴らしい企画の旅をレポートして下さってありがとう😊😂 単に紀行文でなく、内容の深さに感銘を受けます😂😊
@MCN-official23
Жыл бұрын
着眼点が神!!
@稲福-k2u
Жыл бұрын
2:18:14 茅葺きではなく檜の皮を葺いた檜皮葺です。 神社や皇族貴族の私的な空間などの屋根によく使われます。 (紫宸殿は公的な空間だが清涼殿はそれにあたる)
@cocorinn6516
Жыл бұрын
テレビなどと被らない別の視点でのスーツさんの動画は、歴史と風俗の説明にスーツさんの感性と考えが決して押し付ける感じではなく控え目に込められていて、見応えがあります。勉強になるし、その土地や歴史に興味が出てきて、世界が広がります🗾
@ばみやん-n6e
3 ай бұрын
コメント欄を含め全く触れることのなかったことを知ることができ、大変興味深い動画でした。ありがとうございます
@松室耕一
Жыл бұрын
伊勢神宮内宮は宇治橋を渡った後次の小さな橋である火除け橋まで、現代のおはらい町の様に、茶店等がありました。そのあとがスーツさんが見た真ん中の石が昔の参道を現わしてました。明治になった時、神宮を火事から守るため移転させられました。
@tomo_otakup
Жыл бұрын
なんかいろいろと観光列車乗れてるの羨ましい…今留学中で日本にいないのでこういう動画で日本を思い出せます。ありがとうございます
@hana-lk7iz
Ай бұрын
ありがとうございます 以前伊勢参りしまして見させて頂いて 光栄です。 丁寧な解説。本当に素晴らしいです。 また 見させて頂きます。
@ana-toshi7891
Жыл бұрын
今回の旅のテーマはとても興味深く、なる程そんな感じだったのかと当時の時代背景を辿りながらの旅、堪能させて頂きました😊 戦争で兵役にも就いて居た亡き父が祝祭日に国旗を掲揚してたが、晩年〈国賊〉と勘違いされると嫌だな、、と気が引けてたみたいです、
@まろ-g4y
11 ай бұрын
伊勢出身の地元民ですが、知らないことだらけですごく楽しめました!さすがスーツさん
@mmhiga4850
Жыл бұрын
伊勢、鳥羽から先は海がさらに近くなっていいですよねぇ
@水野直樹-t8m
Жыл бұрын
伊勢参拝の修学旅行で全国各地の学校お抱え列車を留置する、広大な空き地が旧山田駅に残っていたのは驚きです。戦前戦後の外宮内宮参拝事情の対比も面白い。昔の修学旅行に沿った丹念な取材ですが、折を見て巡ってみたくなりました。伊勢のほか橿原神宮、鹿寄せの行事、桃山御陵等々新鮮でした。修学旅行の「心」も伝わる旅動画ありがとうございます。
@ゆり-s8n
Жыл бұрын
過去に配信された動画も興味深く拝見しています 夫が伊勢市の出身なので、お伊勢さんを取り上げていただく動画は特に嬉しいです。 外宮前は以前はさびれた雰囲気でしたが、最近はきれいに整備され観光客も増えたように思います、若松屋さんは伊勢では老舗の蒲鉾屋さんなんですよ
@滋野井逍洋
Жыл бұрын
地下鉄になる前の京阪の琵琶湖線をかろうじて知っている。京阪三条から分岐してえらい急勾配を上がってた。三条大橋を起点とする東海道五十三次の最初の峠である粟田口やね。
@野比のび太-w1w
Жыл бұрын
スーツプロデュース修学旅行見てみたいです。
@aburaage2023
Жыл бұрын
この間まで受験生でした。そういえば共通テストに戦時中の修学旅行の問題がありましたね
@uzu1536
Жыл бұрын
日本史ですね。
@和貴-h7r
Жыл бұрын
第6問のやつか
@uooooooyossyaaaaaa
Жыл бұрын
@Jarod Ernser 上手く動いてないで
@みっちゃん-u3t
Жыл бұрын
皇紀2600年といえば日本海軍の零戦の正式名称が零式艦上戦闘機で零式が皇紀2600年に正式採用されたみたいで零式になったみたいですね。 旧軍の名称が皇紀の下2桁から取っているみたいです
@toshimatsu7618
Жыл бұрын
36:43 自動車道となってから橋脚保護の為に造った防護壁では?劣化具合も50年は経ていないと思います。 あと、砂利入ってないとコンクリートとは言わず、モルタルと言います。
@げそげそお
Жыл бұрын
スーツ氏と鹿🦌のコラボ最高❤www
@000tim3
10 ай бұрын
家族で行った鳥羽旅行を思い出しました。よい動画ありがとう。母との懐かしい思いでです。
@ef6434
Жыл бұрын
昔、ヘルニアになった時に祖父から貰ったお守りが、和気清麻呂の神社のお守りでした。 見覚えのあるお守りに、驚きました😂
@prettykoala1979
Жыл бұрын
別に根拠があるわけではないですが、行程表を見た感じ班別行動なんかもしているようですし、奈良市内や京都市内は必ずしも記載された全てを回ったわけではないんじゃないかなあと思います。実際にはその中のいくつかをピックアップして見学したと考えるのが自然なような。 そういえば私は中学のときの修学旅行が奈良・京都でして、確か興福寺だったか、解説役の若いお坊さんのお話が爆笑連発の面白さだった(ただし内容は全く覚えてない笑)のが印象的です。当時はなんでこんなに面白い人がお坊さんやってるんだろうと思ってましたけど、今思えば、説法も仕事のうちの僧侶なら、巧みな話術があっても不思議ではないなと。 話が逸れましたが、実際に見学すると現地での解説の時間などもあってもおかしくはなく、それを考えると全部を強行軍したのは考えにくいかなと思います。 ていうか、昭和〜平成にまたがる時期に東京台東区で小学生だった私ですが、当時の修学旅行先は日光でしたよ。ちょうどバブル経済真っ只中にも関わらず関東圏から出ていない…😢 対して戦前の足立区の小学生は関西まで行っているというのも面白いところです。
@road-pq7xj
Жыл бұрын
ス−ツさん、若干25歳なのに歴史知識と鉄道のからみの解説がすごすぎて、驚嘆しかありません!すっごく勉強になるし、茶目っ気もかわいいですね。チャンネル登録させていただきました☺楽しませて頂きます
@アラン-v2n
Жыл бұрын
あのねぇ君、若干は年齢に使う言葉ではないのよ。弱冠だとしてもそれは20歳を指す言葉だから誤用だゾ。それに25歳なのにすごいねぇは無意識的な上から目線だから気をつけた方がええで
@road-pq7xj
Жыл бұрын
@@アラン-v2n 貴重なご指摘を頂き大変ありがとうございます。コメントにも言葉に気をつけなければいけないと痛感しました。
@なな-r2s3s
Жыл бұрын
1:53:40 若草山は大和三山の一つではないですね。畝傍山、耳成山、香具山が大和三山です。
@NT-hk1vs
Жыл бұрын
幼少期に明治天皇陵の近くに住んでいたので2:07:15からの映像をとても懐かしく拝見しました。大階段を何度も登り降りしたり砂利道を駆け回っていたので足腰鍛えられました(笑) 今は関東住みで京都を訪れた際に時々足を伸ばしますが、いつ行っても人がほとんどいないので、京都で静かに観光できる貴重な場所だと思います。
@maru_trip
Жыл бұрын
兵庫県民ですが、4月に修学旅行で長崎に行きます。やっぱり平和学習が多いですね。
@ProjectATrainShinkansen
Жыл бұрын
戦時中の修学旅行、戦時中にも修学旅行ってあったんだね
@anges3438
Жыл бұрын
面白いこと、次から次へと考えるな スゴ😊
@チビネコ-m5g
Жыл бұрын
後半の京都•奈良、中学校の修学旅行思い出しました。 昭和50年代、3年生の春に3泊4日で集団行動とグループでの自由行動が半々。 事前勉強を兼ねた自由行動計画を立てたのですが、当時は徒歩のみで時間が足りなくて昼食もそこそこことを走り回ったものです。
@sendytownlife1261
Жыл бұрын
まじ3月おもろい動画多すぎて困るわ
@carpallin
Жыл бұрын
すごい勉強になる旅行でした
@ご視聴ありがとうございます
Жыл бұрын
仰る通り😊👌
@人生アド損グループ確認用デュ
Жыл бұрын
戦時中ですら修学旅行あったのにない世代…😢
@人生アド損グループ確認用デュ
Жыл бұрын
西大寺駅 もう今はだいぶ変わってますね
@kimagure-na
Жыл бұрын
我が子 コロナ世代😢
@tomohikoo8949
Жыл бұрын
コロナ禍で修学旅行を止めたのは悪手だったと思う。
@金澤華
Жыл бұрын
疾病の感染経路を考慮すれば仕方ない 財政難を理由にして補償無しだったのが問題 防疫関連事業は中抜きし放題で補償は審査がザルだったが…
@sakuradabinvei
11 ай бұрын
タモリは地質だけが切り口だが、この人は複数のテーマを提案できて、切り口が新鮮。真似をするのは、なかなか難しいね。
@RM-8358
Жыл бұрын
何とも言えない感動がありました……… 有難うございました
@ケンチャン-f3o
Жыл бұрын
大阪南部出身の昭和39年生まれなのですが、当時小学校の修学旅行は全市内の学校が伊勢で、宿泊先は二見ケ浦でした。映像にある海岸沿いに大きな宿がたくさんあってそこに泊まったのを覚えています。 当時は伊勢に行ったら「赤福餅」買ってこい!と親たちからも依頼を受けるほど。 ところが移動中のバス(ひょっとしたら列車?)内で配布されるのは「赤福餅」と「御福餅」(後発類似品)の注文袋。 (恐らく商標争いとかがあったのか?) 2日目の帰りの集合場所で商品を渡されました。 誤って「御福餅」を持って帰った友人は親から罵倒されたそうですw
@shu6809
Жыл бұрын
そうそう、それぞれの沿革を見るとどっちもどっちという感じですが圧倒的に赤福のほうが知名度が高い。小学生の感覚からしたら御福餅はパチモン扱いでしたからね。 高校の修学旅行でも山陰・山陽コースだったので「もみじ饅頭」の申込書が配られました。おそらくどちらも引率教員には何かしらのマージン的なものがあったはずです。現代では考えられないでしょうけど。
@YouTube.User.3325
Жыл бұрын
@@shu6809 私の出身校では、出発数日前に御福餅の事前注文の袋が配られました。 赤福は当日現地購入できました。
@masahiro_kondo
Жыл бұрын
2:21:42 ・・・ 何が出るかなと楽しみにしていたらネクタイピンだったのですね。モノがよさそうですね。 修学旅行生は、両親にお土産とか、買っていったのだろうか・・・その時代・・・ (その当時の事は不明だが、今は今ですね、今を楽しむ面白い構成だと思いました。) 貴重な行程旅行ありがとうございました。
@米澤誠-g6e
8 ай бұрын
新しい視点で伊勢観光を再発見させてくれる、素晴らしい企画動画!
@takomita_mad
Жыл бұрын
小学生の修学旅行で日光に行く予定でしたが、 コロナの影響でその予定はなくなりました。 一生の思い出になるはずだったんだけどなぁ…
@junesunshine417
Жыл бұрын
興味深い企画、ありがとうございます。通しで見てしまいました。御所の建物は茅葺きではなく檜皮葺ですね。皇室や神社は檜皮が一般的、というか最も格が高いとされていて、瓦葺きは仏教寺院の象徴でした。ただ江戸時代の絵図を見ると伊勢神宮は茅葺きであったようで、なぜそうだったのかは謎です。
@桜梅桃李-i4c
Жыл бұрын
見応えのある動画で楽しかったです。 あまりにも面白かったので夕飯を作りそびれてしまいました💦これからはナッシュを常備しておかないとだめですね😁
@ニッキーナウス
Жыл бұрын
数日投稿がないだけで落ち着かなくなってきた
@yoricat8
Жыл бұрын
ははは😅私も…ソワソワしてた
@bambiy2495
Жыл бұрын
京都在住なのですが、小学生の修学旅行はお伊勢さんでした。伊勢神宮へ行って二見浦で宿泊して早朝に夫婦岩の日の出をみて、鳥羽にいくという、まるまるこの日程です。懐かしい🤭 京都の人は絶対経験してると思います!
@日本製一番
Жыл бұрын
私も一緒です。私の班は近鉄ビスタカーのグループ席に乗りました
@まるこめ-x3z
Жыл бұрын
私も京都市の小学校でしたが名古屋城とリトルワールドでした。周りの小学校は伊勢志摩、和歌山、四国バラバラでした。1番多かった印象は広島ですね。
@ohin-rikkun
Жыл бұрын
自分は名古屋でしたが、父は伊勢方面で、卒業アルバムに夫婦岩が描いてありました
@bambiy2495
Жыл бұрын
@@日本製一番 ビスタカーだったのですね。私は貸切バスだったので、知らない間に到着してました…!
@bambiy2495
Жыл бұрын
@@まるこめ-x3z うちの小学校が伊勢志摩縛りだったのかもですね!子供の時分には名古屋の方が楽しい気もしますね…!!
@のりのり-v1l
Жыл бұрын
太平洋戦争時ですら修学旅行はやってあげようとしていたのに、今の政府は子供たちの修学旅行を犠牲にしてまで、大人の旅行を優先させていたんだよね。
@もっちりもちもち-j5e
Жыл бұрын
動画にもあったけど、できるだけ修学旅行してあげようって文科省が言ってた。子供たちの命を考えたら中止は致し方ないよ。 政府が悪いと言うより、子供に我慢させといて平気で旅行行ったり飲み会してた大人が悪いと思うんだよな。
@真波けんち
Жыл бұрын
近鉄沿線民だったから普通に初代あおぞら号で小学校の修学旅行で伊勢に行きました 鳥羽の旅館に宿泊しましたが裏が日和山公園で栞に記載してあったの思い出し エレベーターも見たような記憶があります 昭和47年の秋でギリギリ乗れたんでしょうが行程には含まれてなかったので見ただけですが
@ごーすけ-f8w
Жыл бұрын
毎度思うのですが、今のコンクリートにも砂利は入ってますよ! 骨材がなければコンクリートは作れません。
@kiki-nx3if
Жыл бұрын
非常に勉強になりました
@Oyu8499
Жыл бұрын
また旅行の歴史を知るための旅行をやってほしいです。
@garyh5iz7
Жыл бұрын
二見浦駅に今年利用しましたが、視点が違いすぎる。勉強になります😊
@altitude-miyu95
Жыл бұрын
1:36:23 日本最長の路線バス、新宮〜大和八木を走る奈良交通は、さしづめ現代の八咫烏と言ったところかな。
@桑原裕司
Жыл бұрын
いい動画でした。楽しめました!
@サンダーもうたくサンダー
Жыл бұрын
2:32:08 平安神宮はじめ国立美術館や住友財閥の庭園、山縣有朋の別邸である無鄰菴など、近代になって作られた大規模施設はこの周囲にあることが多いですが、それは大政奉還により江戸幕府の時代が終わったことと深い関係があります。 江戸時代、幕府と繋がりの深かった南禅寺がこの辺り一帯の土地を持っており、今以上の規模の大寺院として権威を持っていました。しかし倒幕と同時にその権威も落ち、土地を次々に手放した(幕府との関係で広げた敷地を没収された?)のだそうです。一説によると現在の30倍もの土地を持っていたそうですが、そのような広大な土地が京都にいきなり現れたので、当時の権力者や天皇家にまつわる土地として大規模な施設を建てられたのだ、という内容でした。 京都は山が多いため「山を開拓して用地を確保すればいいじゃないか」となりそうですが、京都が他都市と違う要素としては、庭園の借景や五山送り火などをはじめとする山にまつわる文化が多く、山自体を所有して借景を守る寺院もあるほどだった、という点があります。山を開拓するという行為は京都においてはタブーのようなものであったのです。そのため現在でも五条通りや各鉄道のトンネル、琵琶湖疏水など、洛中からよく見える部分の山では必要最小限の開発しかなされていません。
@mitu4714
Жыл бұрын
日本人が「楽しみのための」旅行を普通にできるようになったのは、ずいぶんと最近なのだと思いますよ。 男性はともかく、女性は戦後も高度成長期にレジャーという言葉が生まれるまでは社会通念として遊びでの旅行は許されなかった。 しかし「●●様にお参りする」といった参詣の旅だけは女性でも自由に行けたと思います。明治生まれの祖母などもそうでした。 参詣は江戸時代から日本人が旅行をするための大義の一つだったと言えますね。 逆に考えると、元々は参詣の旅しかなかったのが途中で様々な物見遊山を加えるようになり、その部分だけが抽出されて遊びの旅行へと進化したのが日本の観光産業ではないか?と解釈しています。
@Boke新人おっさん
Жыл бұрын
現代で巡ると違った感覚になりおもしろい。
@1141_k-ichi
Жыл бұрын
昔の伊勢の旅館街の写真は良いですね。趣を感じます。
@上野浩紀-v4l
Жыл бұрын
スーツさん。 はじめまして。 二見には昔三重交通の馬車があって、二見のバスセンターから二見浦まで馬車で行けてました。☺️
@ひーばあちゃん
28 күн бұрын
戦前戦中にも修学旅行があった事を初めて知りました。多分両親は行ってないのではないかと思います。 自分自身は59年前に伊勢と奈良を旅しました。二見館に泊まって朝日の当たる夫婦岩を見に行きました。まだ二見興玉神社が無かったので素晴らしい景色を見ることができました。 以来伊勢と奈良は何度か訪れました。 伊勢と奈良を修学旅行先に選んでくれた当時の小学校に感謝しています。
@千埴ちゃん
Жыл бұрын
戦前戦中の価値観(戦争観や天皇観)を、現代の自分には合わないと思いつつ、現代とは当然違うものとして決して否定しない様子が好感を持てた。 今の価値観からしてまずいことは、今やらないようにすればいいだけで、当時は間違っていたとか悪であるとか否定するものではない。 10年前20年前の価値観も今とは違うことは多々あるし、今の価値観も10年後20年後さらにその先の未来とはまた違うだろう。
@タチャンカ-j9n
Жыл бұрын
そりゃアメリカのプロパガンダで日本を好きにならないように義務教育でなされてきたからね
@0101reiwa
Жыл бұрын
Go=5(視聴前)、1:13:25伊勢中川スーツ様看板、1:48:38奈良公園鹿、修学旅行のよりみち😊好き
@般若-n4i
Жыл бұрын
私の時代は修学旅行専用列車「こまどり号」に乗って名古屋から東京、箱根方面へ行きました。当時、東京は憧れの街で、数日前からワクワクして眠れなかった思い出があります。
@jmicpiro8913
Жыл бұрын
皇紀2600年の式典で使用した建物が、江戸東京たてもの園の入り口で残っていますね こういう国の権威を確立するために作られた神社、御陵を見るのは大変面白いですね。作られた当時における「理想」が反映されているので 近代は、感染症あり戦争ありで「死」が身近にあったせいなのもあるのかもしれません
@バル-m3p
Жыл бұрын
実家の近くで撮影されていて、びっくりしました。 ロープウェイですが、戦中まで内宮近くの朝熊山に設置をされていた、当時東洋一と言われていたケーブルカーだと思われます。 紹介されていた路面電車も麓まで来ていたと聞いています。 今でもケーブルカーの跡地や駅跡も残っていますね。
@伊丸岡乱丸
Жыл бұрын
スーツさんも使う 流行語大賞!様々❕
@mitsutaka8592
Жыл бұрын
そうか‼️わかったぞ😆 ハワイ動画を見て思った😊 スーツ君は、鉄道系youtuberだけではなく、戦前・戦中の昭和系KZbinrとして、更なる進化を遂げようとしているのだな🤔
@megami8520
Жыл бұрын
こういう動画好き
@snowmonky7351
Жыл бұрын
コロナで修学旅行の行き先が台湾→三重県になりました! 伊勢神宮、伊勢志摩、ナガスパに行きました!
@kimagure-na
Жыл бұрын
我が子も東京→四国→地元😢(日帰り二日間)
@tabibito6330
Жыл бұрын
桃園線が走る三重ですか。新北市。
@aaa-j2y4w
Жыл бұрын
伊勢神宮に展示されていた兵器がどうなったか調べたら終戦になった八月に軍によって徹夜で解体されたらしい。日露戦争時代の兵器なんか隠滅しなくても大したことなさそうだけど伊勢神宮を戦争遂行の為に利用していたことをなるべく隠そうとしたのかな。
@hirera
Жыл бұрын
11:11 超低画質で見ると駅名が「?」に見えた。
@MT-nu1kv
Жыл бұрын
丸太町は三条より北なので、御池と今出川の間になりますね。
@nomade4x4
Жыл бұрын
路面電車の二見終点は、今のバス停部分にあり、再開発で駐車場とかになったためにほとんど痕跡がありませんが、ループ線状になって折り返しになっていました。平成の初期までは、バス亭としてループ線が残っていました。
@supe6020
Жыл бұрын
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