【図解】室町時代の三河「松平一族の出自の真相を暴く」【中山十七名の征服と岩津の戦いの実態】

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よしふじ戦国チャンネル

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Күн бұрын

南北朝時代から室町時代までの三河(現在の愛知県東部)における
抗争と守護権力の移り変わりを3Dで描く詳細な地図で解説
徳川家康の祖である松平一族についてその起源と
中山十七名の征服や岩津城の攻略の伝承、
幻となっている大平城の戦いについて詳細な地図を使って図解
松平氏とはいったい何者であったのか?その真相について
従来説や近年の新説に加え、新たな解釈によってその真相を暴く
オリジナルの地図を使って分かりやすく解説しております。
グーグルマップに詳細に描いたリアルな地図が特徴です。
河川の旧流路や街道に城などは詳細にマッピングしており
拡大や回転、上下左右の移動にも対応してます。
3Dマップを評価していただけたらグッドボタンをお願いします。
この動画を見て動画の舞台となった地に旅行に行ってみたいと
思ってくれたら幸いです。そうだ三河に行こう!
【図解】室町時代の松平氏の実態・実は伊勢氏の家来だった【三河・寛正の額田郡一揆】
• 【図解】室町時代の三河松平氏の実態・実は伊勢...
この動画の続編はこちらの動画になります。
00:00 室町時代の三河
08:14 松平氏の起こり
13:43 中山十七名征服
19:41 岩津進出
27:30 松平氏の真相
【おすすめの参考文献】
平野明夫「三河松平一族」(2002、新人物往来社)
amzn.to/3udkP3d
徳川家康以前の松平氏を語るなら必ず読まなければならない必読書。
ただしあまりにも良書なので中古市場で価格が高騰しており、
購入するのが非常に困難になっている。正直、5,000円以下なら
買う価値はあると思ってます。単行本版と再販された新書版がある。
とにかく「松平」好きならなんとしても買え!(笑)
柴裕之「青年家康 松平元康の実像」(2022、KADOKAWA)
amzn.to/3SerhPp
徳川家康以前の松平氏について書かれていて、
まともな値段で買える貴重な本w
松平氏に興味を持ったらまずはこの本をおすすめします。
村岡幹生「戦国期三河松平氏の研究」(2023、岩田書院)
amzn.to/3Uf0cy8
松平氏に関する最新研究論文をまとめたものですが、
定価が1万越えで早くも絶版なので入手がすでに困難になっている。
論文なので一般的ではなく、価格も高騰してるので買えとはいえないw
桜井哲夫「阿弥衆」(2023、平凡社)
amzn.to/4bddtNE
ようやく阿弥衆に同朋衆や客寮、時宗について学べるよい本が出た。
阿弥衆などに興味を持ったら是非読んで欲しい。
ただし内容は難しいので一般的ではないかな、値段もちょい高め。
ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」(2018~、小学館)
amzn.to/3vSyxZI
政所執事の伊勢氏に興味を持ったらまずはコレ!
マンガだけど最も伊勢氏が理解できるのがこれなんです。
「松平」の名前も一か所だけ一コマ出てるよw
当チャンネルの動画を継続作成するために
メンバーシップの加入でご支援よろしくお願いします
/ @yoshifuji-sengoku
地図引用元:Google社「Google Earth」、地理院地図等を加工して作成
使用楽曲:「 銀の意志 金の翼 Instrumental Ver. / 空の軌跡FC & SC スーパーアレンジバージョン / Copyright © Nihon Falcom Corporation 」
#室町時代
#松平一族
#図解

Пікірлер: 223
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
この動画の続編はコチラになります 【図解】室町時代の松平氏の実態・実は伊勢氏の家来だった kzbin.info/www/bejne/iYTPdpybp7SAn9E
@user-gv6yl2mp8j
@user-gv6yl2mp8j 5 ай бұрын
三河人です。日本で一番 忠臣蔵が盛り上がらない元吉良町の辺りの人間です。 岡崎市の信光明寺、岩津天神にも参詣したことあります。 難しいけど面白い動画でした。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
三河の忠臣といえば吉良家の富永さんかな、松平広忠編までやれればまた出てきますけど
@user-sz1or6un2g
@user-sz1or6un2g 5 ай бұрын
国じゃなくて郡とか細かい地名で解説してるってすごい調査力
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
てきとーな地図だと見えてこないものが、旧河川とか旧街道とか地名から見えて来るものもあると思って詳細な地図を作り込んでいたりします。
@GUNSAKU
@GUNSAKU 6 ай бұрын
これ無料で観れるの凄くね…。 有難い…。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
メンバーシップの加入で支援してくれる人がいるのでなんとか頑張れておりまする
@ficinocampanella5785
@ficinocampanella5785 5 ай бұрын
渥美半島や西尾・蒲郡の辺りって風光明媚な良い所だよね。
@engawanoneko2435
@engawanoneko2435 6 ай бұрын
元々松平家自体が室町バブルで成り上がった有徳人の家で婿入りした親氏は京周辺から招かれた芸能技術の徒(同朋衆は納得)なんだろうなと思った(新九郎奔るに出てた広沢尚正みたいな人物で最初から伊勢氏から派遣された事務員みたいな人かも) そして伊勢氏の被官となって後ろ盾を得て積極的に領地の横領に勤しんでたといった所が実情なのかも? 一番の皮肉は浪人からの成り上がりとされてた北条早雲がちゃんとした幕府の奉公衆出身で彼の本家筋が出自が怪しい事が分かってきた家康の先祖の主家だったという辺り
@tigerion9275
@tigerion9275 6 ай бұрын
伊勢氏も辿ればかなり怪しい出自だけどね
@engawanoneko2435
@engawanoneko2435 6 ай бұрын
@@tigerion9275 それはそう 長崎氏もその疑惑がある様に(下手すりゃ執権北条氏自体も)鎌倉時代は平家の末裔を名乗る事が流行ってたみたいですからね ただ研究が進む事で早雲と家康の出自が逆転するぐらい変わるのは面白いという事です
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
伊勢氏の系図の頭にある藤原俊経と平俊継はまず間違いなく実在していて 平俊継は一級資料の「経俊卿記」と「滝山寺縁起」に名が見られるので、 仮冒じゃない正式な豊前守だと思います。伊勢平氏の後裔はまずウソですが、 恐らくどっかの公家やら国司あたりの子孫だと思われ、そのうち どっかに繋がるんじゃないかと思ってますw 1200年以前からの最初期の足利氏の被官(御内人)でやっぱ伊勢氏すごい 北条早雲こと新九郎もマジ名家
@user-iq9oq4mi7r
@user-iq9oq4mi7r 4 ай бұрын
まあ戦国時代は基本的に下剋上が当たり前で、最後には百姓出身の秀吉が天下人になったわけだが。
@user-iz8qr6bu2t
@user-iz8qr6bu2t 6 ай бұрын
今回も驚くほどの情報量でした。 勢力図の見やすさ、分かりやすさは当時の状況を感覚的に把握できて本当にありがたいです。 また、街道図のおかげで街道の要所を抑えていた(抑えに動いた)松平氏が強かったことも納得できます。 よしふじさんの自説も思わずうなづいてしまう説得力があります。 待っただけの価値のある動画で大満足でした! さて、もう一周して見落としたり把握しきれなかったところを見直さなきゃ。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
一回見ただけで完璧に理解できる動画がつくれれば最高なんですが、 なかなか難しいですね・・・情報量のハッタリで押す感じですいませんw 街道でいうと「道根往還」の解説はそういえば割愛しゃったんですよねぇ 足利氏や高氏が鎌倉時代から歩いたすんごい道なんですけど
@user-iz8qr6bu2t
@user-iz8qr6bu2t 6 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku 一回見ただけで完璧に理解できないのは私に知識が足りないだけです(汗) 分かり難いとしたら、特定個人一人または特定氏族一つの説明だと思って見たのに、 あっちこっちの個人や氏族に話が飛ぶのと、時代が前後して話が進むので、 動画タイトルから松平氏(だけ)の話だとイメージを先に作ってしまった方々には混乱しやすい構成だからかもしれません。 でもこれがよしふじさんの動画の個性とも思っています。 街道の話など追加で動画作成があれば嬉しいですが、街道動画を希望してる私ですら、さすがにマニアックすぎて再生数取れそうな気がしませんw
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
あー冒頭だけだと松平詐欺動画になっちゃうのかーw 三河と特に中山十七名の舞台になる額田郡の時代背景の説明だったんですけどねぇ・・・
@js-fd1ri
@js-fd1ri 6 ай бұрын
三河は室町幕府と江戸幕府の要人の出身地ばかりで面白いですね ちょっと車を走らせれば歴史好きには見覚えのある名字の地名がある
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
三河地方はもっと観光地として賑わってもいいと思うんですけどね
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 5 ай бұрын
地形図と地図がやはり面白い。 田舎暮らしなので色々リアルに感じられますし、主さんも苦心する川の流路と河原の範囲なども想像して楽しんでます。素晴らしい出来だと思います
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
地図はかなり手間かけて作ってますので褒められると嬉しいです。最近やっと旧海岸線の色の塗り方のコツが掴めました。
@user-qw7rl3hs5r
@user-qw7rl3hs5r 5 ай бұрын
終盤の独自見解がとても興味深い!
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
今のところ大した根拠はないので妄想あつかいにしといてくださいw
@piccadillylily
@piccadillylily 6 ай бұрын
毎度とても興味深く拝見しています。 歴史知識は完全に素人ですが色々と考え直しとかさせて暮れて楽しいです。 今回観ていますと、在郷の居城が割りと平地に在ったりして未だこの時代は在地農民の避難施設的な役割に至って無いものと感じました。 むしろ戦いの戦力動員状況が小規模で各土豪の私兵レベルで留まっていて、農民兵の動員にまで規模が進んでいない様に視えます。 つまり未だこの時代は支配層が各郷の支配権を争うばかりで、郷地の農民の自治と一体化して居ない段階ではなかろうかと。支配権の売買も今回初めて知ることができました。 またそして各地域の支配層も朝廷・幕府からの任命とその隙間を埋めるような在地の有力土豪のモザイク関係が推察されます。 それで以ってまたワタリや牢流の存在が支配層の様相を追加している様に感じられて興味深いです。 私も愛知の田舎ですが、村の郷土史家の研究で地元土豪の由来が元々は長野の山奥だったことが分かり、二百キロ以上も離れた地からどうして移動して来たのか牢流の類いだったのであろうか興味をそそられたりしています。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
まだ戦国時代に突入してないので荘園制が生き残ってるんですよね。 荘園領主に代官に又代官やら年貢請負人やら郷主なんかが土地の上に乗っかてる感じですねえ。同じく戦国以前なので城じゃなくてまだまだ居館タイプばかりですね。奇襲し放題に夜襲し放題ですw
@akanyankoi
@akanyankoi 5 ай бұрын
郷名とその領域、旧道の筋まで表記していただいて、大変勉強になります
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
三河の旧道は資料が少なくて苦労してますが褒められて頑張った甲斐があります
@nykoike
@nykoike 5 ай бұрын
今回の松平氏のお話は、矢作川の歴史と組み合わせると岡崎城をに本拠地を変更した理由が想像できて面白かったです。 当時の河川図をつけていただいてる親切な対応もうれしいです。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
今回はちょっと河川の旧流路があまり影響しない戦いばかりでしたが、 旧街道や旧海岸線なんかもかなり力を入れて作ってますので、 これからも3Dな地形図で頑張って解説しますので引き続き 応援よろしくお願いします。ルパン3号さん再びのスパーサンクス感謝です。
@user-hb2qb9jv9k
@user-hb2qb9jv9k 5 ай бұрын
あなた何者?って叫びたくなる位の詳しさ!数々の資料や通説を引用しての見解。マジで勉強になりました。てゆうかyoutuberてすごい(笑)
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
名乗るならガチ系歴史KZbinrかなw
@mr.color-sd3ok
@mr.color-sd3ok 5 ай бұрын
成る程…だから三河には一色って地名があったんですね😊 勉強になります😮
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
鎌倉時代に一色さんは吉良荘から幸手に拠点を移していて戦国時代まで幸手を維持してたりします
@O-mega51
@O-mega51 5 ай бұрын
三河・岡崎か私の地元なので興味深い動画です 真福寺は仕事場、自宅は酒井忠次の誕生地、井田でございますw しかし松平(徳川)と伊勢(北条)の因縁は早雲と道閲(松平長親、家康の高祖父)以前から主従と言う型で既にあったのですね〜😂
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
松平vs伊勢新九郎も次の次あたりでやる予定です 次は井田ではないけど井ノ口の予定
@user-cu6qu7bu1i
@user-cu6qu7bu1i 6 ай бұрын
三河って足利の本拠地のはずなのにいつの間にか松平ばっかになってるの不思議だなとずっと思ってた
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
松平ばっかになるのはこの動画のあとからで、松平一族(十八松平)の実態という動画を需要があるなら作りたいと思ってます
@user-cu6qu7bu1i
@user-cu6qu7bu1i 6 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku めちゃくちゃ興味あります!もしまとめて作ってくださるならば楽しみにしています!
@toku206
@toku206 5 ай бұрын
猿投山の「東の宮」に足利氏の痕跡がありますね。「西の宮」は建物の裏手の奥に日本武尊の双子の兄が埋葬されてるとか。
@shintenhou229
@shintenhou229 5 ай бұрын
足利氏には、藤姓足利氏と源姓足利氏がある。藤姓足利氏は、藤原秀郷流で、由緒正しい。藤姓足利氏の入り婿の男が源姓足利氏を名乗ったのは、後ののこと。秀郷だって都の悪党だったが、関東持ちの娘を与えて藤原氏になっちゃった。秀郷は、将門退治で、関東に名をはせ多数の関東の名族の祖となった。因みに上泉伊勢の守も藤姓足利氏だよ。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 4 ай бұрын
​@@shintenhou229眉唾物だけど田沼意次も自称末裔の1人。
@user-cz7je6qd1g
@user-cz7je6qd1g 6 ай бұрын
新作待ってました!今回も素晴らし過ぎます。並みの歴史本より詳しくて良い…
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
松よしさん前回動画に引き続き、今回も高く評価して貰えて嬉しいです! 今回はかなりマニアックにやったのと詰め込み過ぎてしまった感があったので、 ウケが良くないかと思いましたが、とりあえず楽しんで貰えているようで ひと安心してます。応援に感謝して次もガンバリマス
@Kaito5327
@Kaito5327 6 ай бұрын
たいへん興味深く拝見いたしました。 近年の研究では松平親氏は「樵(きこり)の親方」とするものがあります。 ですが、親氏が相当の教養人だったことを考慮すれば「客寮」だったとするお説は尤もと思われます。 まさか、この出自さだかではない親氏の200年後の子孫が武家の頂点を極めるとは・・・・ だから、歴史は面白いものですね。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
近年の研究の主流は「土木技術者」ですかねぇ 下手すれば被〇別層なんて説もあったりしますが 出自はアレかもしれませんが松平・徳川の飛躍は伊勢氏のおかげと思います
@recordam
@recordam 6 ай бұрын
すごい調査です 水野氏が土岐氏の流れなんて全く知らかった 得川新田流うそん子説は有名ですが、代替えの有力説も初耳で 松平が有力氏族になる過程が詳細に解説されてて有難い
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
ああ分かりにくくてスイマセン今回の動画の水野さんは尾張源氏なんで 美濃源氏の土岐氏の流れではないです。土岐氏にやられた方です。 すんごい分かりにくいんですが実は土岐氏の家臣の本家水野氏も居て、 今回の動画の織田信長の同盟者の水野信元さんは、 土岐氏にボコられた小河氏の後裔のなんちゃって水野氏だったりします
@recordam
@recordam 6 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku おろっΣ 聞き違えでしたか>< も一回見直してみます^^
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
何回も見てくれたら嬉しい♪
@user-em5rh1zk5j
@user-em5rh1zk5j 5 ай бұрын
刈谷水野氏はわからないけど尾張水野氏は将門の叔父の平良兼の血筋だって聞いたな
@user-rb1wn6gt8z
@user-rb1wn6gt8z 4 ай бұрын
室町期、特に「中央と地方がどのようにつながっていたのか?」は歴史を紐解く肝のひとつっぽいですものね・・。 いいチャンネルですね。登録させていただきました<>
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
中央との絡みを重視するのは最近の研究の成果ですね。大分通説が変わってるので作ってて面白いです。新説追いかけるの大変ですがw
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 5 ай бұрын
面白い。さすが
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
お詫びはもうちょっとお待ちを
@GRB4590
@GRB4590 6 ай бұрын
昔仕事でお会いした方の名前が高村と書いてコウムラと読む方でした。 由来を教えていただいた際にかつては高一文字でコウという一族だったと聞きました。 なるほど。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
高氏は元は「高階」姓だったりします
@konegi5308
@konegi5308 4 ай бұрын
三河人です 三河は昔から風待ち港が有り、情報の交差点でもあった。 だから、大浜村(現在の碧南市大浜地区)は各宗派の寺が有りはす。 吉良では塩がとれ、忠臣蔵は塩製造の利権争いの面もあります。 現在は、江戸時代に掘られた矢作川でとうあさになっていますが当時の矢作川はもっと東側にあり、衣浦入り江は深い良い港だったそうです。(下に断層があるらしい)
@tigerion9275
@tigerion9275 4 ай бұрын
良いコメント
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
ころもがうら呼びしたらきぬうらデスと連呼された苦い思いでがあるw昔は衣ヶ浦なのに…
@motoyasushimizu7107
@motoyasushimizu7107 4 ай бұрын
グーグルマップと照らし合わせながら見ました。興味深い考察ですね。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
現代地名は入れてないから分かりにくいかなぁ
@motoyasushimizu7107
@motoyasushimizu7107 4 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku 現代の地名は無くとも地形と照らし合わせて考えながら見るので、地名があるより確り頭に入ってきます。
@honda10102004
@honda10102004 6 ай бұрын
『交名』をキチンと『きょうみょう』と読んでいて偉い
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
もう完全に死語なんですけどね
@user-kd9ld9wz4x
@user-kd9ld9wz4x 6 ай бұрын
面白かったです😊 通説、新説、独自見解も有って、資料根拠もキチンと出してて、丁寧な動画作成で良かったです(((o(*゚▽゚*)o)))
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
根拠史料はあまり動画内で連呼すると話の流れを阻害するので難しいところではありますね。偉い先生方の論文はまあ割愛させていただきましたw 興味ある人は概要欄のおすすめ参考資料など見て頂ければなぁと思いますが 多分ほとんどの人が見てない(涙 ガチの参考資料は要望があればメンバー限定で作ろうかとも思ってます。
@shintenhou229
@shintenhou229 5 ай бұрын
百姓の出の秀吉が関白に成り上がり形式的に「藤原氏」を称して「五七の桐紋」を使ったから、家康は、源氏の流れを称したのだ。源平藤橘のどれかじゃないと棟梁にはなれないという観念があった。
@user-kd9ld9wz4x
@user-kd9ld9wz4x 6 ай бұрын
ありがとうございます!
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
スーパーサンクスでの応援感謝であります!はげみになります。 そういえば「石橋」は三河じゃないので名字の地として解説の機会がないですね。機会があれば鎌倉時代の足利一族とか動画にしたいと思ってます。 ちなみに中の人も足利一族の名字だったりしますがw
@user-kd9ld9wz4x
@user-kd9ld9wz4x 5 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku 福岡出身なので、戦国尾張の信長様に追い出された石橋氏とは多分全く関係ないのですが、なぜか縁あって、(九州の会社なのに)三河尾張東濃西濃飛騨を転勤で回っております。
@user-fk3qr2zz3w
@user-fk3qr2zz3w 5 ай бұрын
西条吉良と東条吉良氏の分岐は 満義、貞満親子からのイメージでした。 犬伏の別れみたいに父、満義が尊氏派に帰順、貞満が義直派になって争っていたので義満→吉貴の流れかと
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
前期吉良の郎党で東条に残ったメンツの独立志向から担がれた感じですかね
@user-yc1gr3xu4l
@user-yc1gr3xu4l 4 ай бұрын
初めて視聴させていただきました。 マニアックで メチャ面白い!! 室町時代の三河の状況はほとんど知らなかったので とても勉強になりました。 チャンネル登録しましたので 今後も宜しくお願い致します。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
マニアックなチャンネルにようこそ♪新作も室町の三河の続編になります
@user-ex9ym7wf7n
@user-ex9ym7wf7n 5 ай бұрын
三河西郷氏の事績が一番興味有りますね。会津若松に旅行した時、会津藩家老西郷氏の話も聞きましたし、薩摩西郷氏との関係とかもね。
@pianochandaisuki
@pianochandaisuki 5 ай бұрын
薩摩の西郷は菊地?😊
@user-ex9ym7wf7n
@user-ex9ym7wf7n 5 ай бұрын
@@pianochandaisuki らしいね。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
三河統一の動画で三河西郷氏はちょっとやってますね
@panyayou
@panyayou 6 ай бұрын
面白いし勉強になりすぎます(*'ω'*)
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
ありがとうございます、苦労して作った甲斐がありました
@fumi5399
@fumi5399 6 ай бұрын
よしふじさんのチャンネルは内容が濃くて見応えがありますね
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
ちょっと今回は詰め込み過ぎて情報量がパンクしちゃったかも(汗
@fumi5399
@fumi5399 6 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku ありがとうございます、よしふじさんのチャンネルは数ある歴史チャンネルの中でも貴重な存在です
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 6 ай бұрын
さて、明日は「新九郎、奔る!」 徳阿弥さん、半僧半俗の浪人姿が眼に浮かびます。のちの松平家と知恩院の縁を思えば、都の然る家の庶流だったとかはあり得る。 新九郎風に地方に根を下ろすというのは、このころから京の部屋住み連には、割とあった生計の道だったんでしょう。 後家さんのところに上がり込むか、甥っ子の後見に入るか買得かは、ケースバイケースで。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
阿弥衆の専門家が本気で調べていけばどっかにひょっこりと 徳阿弥さんが居るかもしれないと思ってますw 徳翁さんの金持ちの新妻を貰えたパターンはすごくうらやましいかもw
@Mr.Nobody-rk3eo
@Mr.Nobody-rk3eo 5 ай бұрын
知恩院って身分の高い家しか縁が出来ないような寺院なんですか? 松平家の祖先が同朋衆ならば、伝承通り、出自不詳の者ながら連歌などの教養で成り上がった者だったのでは?と思います。同朋衆には河原者もいたぐらいですし。
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 5 ай бұрын
@@Mr.Nobody-rk3eo 単純に筋の通った学芸武芸を身につけるには、人材のセンターである都で、資産とヒマがある家の出身。 というのが無理ない、と考えたまでです。存牛さんを知恩院25世に据えるには、朝廷にもコネが必要だし。
@bansheenorn2313
@bansheenorn2313 5 ай бұрын
歴史人物調べると、出来事と家系図まで気になり初めて、毎度情報の氾濫が起きるので このような動画助かります。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
なにげに系図もこだわって作ってますので、よければ一時停止してじっくり見て欲しいかな
@shintenhou229
@shintenhou229 5 ай бұрын
太田の「岩松氏」が新田の流れと言うことで「高家」の扱いにした家康。家系コンプレックスがあったに違いない。
@tmotchy93
@tmotchy93 5 ай бұрын
伊勢盛時の名が出てくるところで痺れました。そう言えば家康の爺さんの清康公と宗瑞様は今川の客将として戦ってましたね。しかし、伊勢氏の嫡流と主従の関係だったって知りませんでした。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
松平vs北条早雲の動画もやりたいと思ってるので、系図の伊勢盛時は予告編みたいなもんですw
@tmotchy93
@tmotchy93 5 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku さん 期待してます!
@user-dt5jp9qj7v
@user-dt5jp9qj7v 6 ай бұрын
最初は武家ごっこから始めて武具等を揃えていくのですか?
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
割愛したけど松平信重の十二道具に武具を加えた松平親氏(信武)の二十四道具というのが「松平氏由緒書」にあったりします
@yattaze-dededon
@yattaze-dededon 5 ай бұрын
伝頼朝と伝尊氏でめちゃくちゃわらったwww
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
観応の擾乱は実は怪しい肖像画対決だったんだよ!ですかねw
@user-ii3eg2oj7b
@user-ii3eg2oj7b 5 ай бұрын
父の里は松平橋の少し上流にあった、代々市川姓。この辺りでは言葉の最後に「そうじゃね」が付くことが多い。これは公家の言葉「そうじゃのう」が訛ったのではと考えられる。伊豆から横浜に「じゃん」という語尾がある。これは鎌倉幕府にいたる人の流れの痕跡か。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
三河以西はほとんどが新補地頭なんで関東者が多いですね
@CapitalFukushima
@CapitalFukushima 6 ай бұрын
いつも更新楽しみにしてます 伊勢氏の傍系では三河守をもらうことはできなかったんですかね? 新田源氏ってことにするより話し通しやすそうに思います 征夷大将軍を正当化するために新田源氏を名乗ったことが、揺るぎないように感じます
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
次回以降の動画のネタバレになりますが、松平さんは主家の伊勢氏との縁を切っちゃってるんですよね
@CapitalFukushima
@CapitalFukushima 6 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku 続編楽しみにしてます!
@shintenhou229
@shintenhou229 5 ай бұрын
秀吉が形式的に藤原を名乗ったもんだから、家康は源氏の流れと名乗って幕府開設の所以とした!
@CapitalFukushima
@CapitalFukushima 4 ай бұрын
​@@Yoshifuji-Sengoku誰より楽しみにしてました
@Ataruu
@Ataruu 5 ай бұрын
お疲れ様です。よしふじさんの動画は、資料の収集が大変であることは実感していたので、草臥れて止めてしまったのかと心配しておりました💦内容は、期待のとおり!説明もGood!。字幕があるのもGood!声も暑苦しくなく聞きやすくGood!
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
福束城の戦いが爆死して関ヶ原シリーズを続けるのに草臥れたのは確かですw
@noraneko7710
@noraneko7710 4 ай бұрын
よく調べてやるね。すごいですわ。
@yutty-dz5ki
@yutty-dz5ki 2 ай бұрын
マニアでなくともライト層や地理的な興味を持った方にも向いている動画ですね 無料ってのが信じられないほどのクオリティです
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku Ай бұрын
河川跡や海岸線に街道経路など結構こだわって作ってるので地理ファンにも見てもらいたいんですがなかなか難しい
@user-iq9oq4mi7r
@user-iq9oq4mi7r 4 ай бұрын
鎌倉幕府を開いた源頼朝と室町幕府を開いた足利尊氏の有名な肖像(1:27)が、最近の研究では実はお互い知人で犬猿の仲だった尊氏の弟・直義と尊氏の家臣・高師直の肖像だったというのが面白いね。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
作ってて皮肉やなぁとか思ってましたw
@rousiitubisi5294
@rousiitubisi5294 6 ай бұрын
詳しくてワクワクします。日本で一勢力となるには既存の権威の力を借りるのは鉄則だと思うので、当時の三河で伊勢氏とコネは必須と思うので説得力はあります。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
松平の伊勢氏被官は次回の動画がメインになると思いますのでがんばって作ろう
@user-zh4ms9qm7f
@user-zh4ms9qm7f 6 ай бұрын
「東西南北の者」って、仕官が決まらない時期の孔子が言った言葉だよね。教養があるから言えたのか、それともこの時期には一般的な言葉となっていたのか。そういうのを想像するだけで面白い
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
ほー孔子の言葉でしたかー、漢籍に疎くて存じませんでした。武経七書のたぐいなら読んだことがある武闘派ですw
@user-zh4ms9qm7f
@user-zh4ms9qm7f 6 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku 自分も漢籍を読んだわけではなく、作家さんのエッセイで紹介されたのを読んだだけですが(笑)室町時代の三河の動きがわかりやすい、良い動画をありがとうございます。
@tsukioka9643
@tsukioka9643 5 ай бұрын
伊勢氏すげーなと思いました。その先祖は元々は伊勢神宮に仕えていたみたいな話を聞いたことがあります。
@user-zn9ly8dp8i
@user-zn9ly8dp8i 6 ай бұрын
いつも大変勉強になります。個人的には◯阿弥で、秀吉の義父?の竹阿弥を思い出しました。 教養のある同朋衆、澤瀉紋、尾張水野氏で秀吉の出世譚の背景が見えてくるような気がします。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
秀吉の養父?は仲悪くてダメ親父なイメージがこびりついてるかも
@user-wz3vk7ip5o
@user-wz3vk7ip5o 4 ай бұрын
矢作川の西が碧海郡と表記されているが、この当時の表記と同じものなのか? 安祥がある地はその当時碧海郡という仕切りなのかどうか?
@user-yakisoban
@user-yakisoban 5 ай бұрын
少し前まで伊勢新九郎が無名の成り上がり扱いだったのが実は名門伊勢氏だったのが定説になったように、おそらくチャンネル主の方向性で合ってると思う
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
伊勢新九郎は予定どおり行けば次の次の動画かなぁ 伊勢伊勢守家の話は次でやるけど
@keiichikatoh9101
@keiichikatoh9101 4 ай бұрын
三河人として嬉しいです。
@user-lv3fi6ul8b
@user-lv3fi6ul8b 4 ай бұрын
今三河の知立市に住んでるけど 実際に住んでみるとわかる、こりゃ昔重要な土地だったのが 田畑が多い(石高が上がりやすい) 川がある(物流で三河湾までのアクセスがいい) 平地が多い(土砂災害とかが起きづらい) 高すぎないが津波の来ない標高 東海道沿い こりゃ強いっすわ
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
知立は鎌倉の頃は海があったので鎌倉街道は通ってっませんが、戦国の終わりには東海道が通りますね。室町期には池鯉鮒神社の移転とかもあった感じ
@user-ig2tp6wp2o
@user-ig2tp6wp2o 7 күн бұрын
素晴らしい! 最後のくだりは、非常に整合性が取れており、中世においては他の地域で同様な国人層の盛衰が見られるので、蓋然性も高い。 妄想などではなく、堂々とした仮説であり、僅かなエビデンスさえあれば、真説と言って差し支えないと思います。
@user-wz3vk7ip5o
@user-wz3vk7ip5o 4 ай бұрын
籔田氏を親氏が破った場所は 現在の籔田町とは違うんですよね?すこし北寄りのところですよね?縮尺がいままでの地図と 大部違うような感じですが。 大善はそんなにわるい人間だったのだろうか? また中根氏だったのだろうか? 今も中根名字は存するし、 市長になった人もいるわけだが。。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
薮田忠元館跡は愛知県豊田市林添町井ノ向
@user-wr7bu1nx8x
@user-wr7bu1nx8x 27 күн бұрын
前後という駅名が尾張三河国境にあるね
@friendthis
@friendthis 5 ай бұрын
家康の先祖(主張しているもの)を遡ると、家康の5代前の弟は広忠の代まで生きて攻めたらしい
@user-ik8yc9qq9s
@user-ik8yc9qq9s 6 ай бұрын
それと伊達政宗以前の東北の解説をお願いします!
@yoshii871
@yoshii871 6 ай бұрын
初代?藤次郎?伊達政宗って2人いるけど、、
@Miki_Nanase
@Miki_Nanase 6 ай бұрын
@@yoshii871 どっちも問題児
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
ショート動画の政宗の勢力図が全然回らなかったんで、東北はあと回しかなぁ・・・
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 6 ай бұрын
伊勢の狐舞いで東海道筋の戦国大名が成立したという説...ゆうきさん見てるかな?
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
今川も松平も斯波も「伊勢」のおかげか・・・
@user-bk4lx2xl1n
@user-bk4lx2xl1n 6 ай бұрын
伊勢氏は東海道を重要視していたのですかね?
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
伊勢氏も元は三河の滝山寺あたりに居た感じです
@user-bk4lx2xl1n
@user-bk4lx2xl1n 6 ай бұрын
なるほどですね
@tsushima0527
@tsushima0527 4 ай бұрын
すごい分析力。大学研究者の学会発表レベルとちゃうの?この動画は!徳川家康の祖先は足利将軍家執事の伊勢氏の被官・家来だったのか?いずれにしてもこれの動画シリーズで文学博士の博士論文1本できあがりやね。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 3 ай бұрын
基本的には参考文献元に作ってるので先人の知恵借りてるだけです。自説は最後くらいですので
@user-hy4jj2dr8m
@user-hy4jj2dr8m 5 ай бұрын
ちなみにこの滝山寺には11世紀に守護神として山王権現(日吉山王社)が勧請されており、本殿は徳川家康が本殿を創建したと伝える また滝山寺本堂脇には徳川家光が創建した滝山東照宮がある 山王権現は徳川家の氏神であるが、なぜ徳川家氏神なのかは、天海が天台宗僧であった、江戸城の日枝神社云々ではなく、源氏との繋がりが濃厚な滝山寺の氏神が山王権現(日吉山王社)だった事に理由があるのではないかとも考えられる
@SPECIALASQ
@SPECIALASQ 5 ай бұрын
とても面白かったですヾ(゚∀゚)ノ ありがとうございます。三河は鎌倉い時代には既に’侍の里’みたいな武門の地だったと聞いたことがあるので、領地拡大は、他の地はどうあれ、三河では武力で行った( `・ω・´)/というのは’ありえる’と思います。それに、新たに’殿様’になった松平家は、’偉いさん’の血筋が欲しかったので、徳阿弥さんが、実は源氏の名家出身だとの正体を見破って( ・`ω・´)、婿養子にした方が’つじつま’が合うと思います。蛇足ですが、偽坊主の徳阿弥さんは、お坊さんの’しきたり’は、あんまり知らなかった(ヾノ・∀・`)と思います。追伸:足利直義公に肖像画を描いたのだが、その絵が素晴らしすぎて、「源頼朝公にしようヾ(゚∀゚ )!」となったの、私も聞いたことがありました。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
徳阿弥さんは偽坊主でもなく源氏の血筋でもなく客寮か阿弥衆だったというのが自説なのですが・・・まあ根拠は薄いですw伝源頼朝像が素晴らしい肖像画なのは間違いないですね、あれはいいものだ・・・
@shintenhou229
@shintenhou229 5 ай бұрын
源姓足利氏だって、藤姓足利氏の入り婿が「足利」を名乗って源姓足利氏の祖となったものだ。太田(源姓足利氏の根拠地)と足利(藤姓足利氏の根拠地)は、その後も数々の争いがあった。新田・世良田の出の徳川氏の祖。流れて三河に定着、松平氏となる。江戸時代は、佐野氏が藤姓足利氏の棟梁になった。後に改易された
@user-gx1ho2ts2r
@user-gx1ho2ts2r 6 ай бұрын
通説どころか新説も否定するようになったのか
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
あのセリフが使いたいだけというw
@user-zd5qu8lq3u
@user-zd5qu8lq3u 5 ай бұрын
松平一族が根を生やす以前の松平郷について、知らないことばかりで大変に勉強になりました。 新田源氏の末裔説が改ざんされているのは周知のことと思いますが、徳翁が松平氏の婿になった経緯もなんだか判然としないですね… 徳翁たちは伊勢氏に抱えられていた技術集団の筆頭のような存在で、三河に派遣されたのかな?と推測しますが、 わざわざ身分を明かさなかったという点も含めもうちょっと情報が欲しくなるなと 様々な史料を見られたと思いますが、よしふじさんでもこの経緯以上の確実な情報は無いものなんでしょうか…?
@pontarou01
@pontarou01 5 ай бұрын
家康は本多にも源氏を名乗れって言ったそうですが、本多は断ったそうです。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
山下氏説とか荒尾氏説とか松元説とかそれこそいろいろありますが、現状どれも説得力がないかなぁと思ってます。個人的には時衆の専門家あたりが、どっかの公家あたりで徳阿弥さんを見つけてくれないかと思ってますが
@user-ij9cf7yf6s
@user-ij9cf7yf6s 4 ай бұрын
我が家はかつて大給松平家に仕えた下級武士らしいので松平家の話には興味あります
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 3 ай бұрын
十八松平もそのうちやれるといいなぁ
@wakanekomaru
@wakanekomaru 5 ай бұрын
ちょっと前に知多半島にある源義朝のお墓参りしたら、お寺のご住職が水野氏のご子孫だった。
@Mr.Nobody-rk3eo
@Mr.Nobody-rk3eo 5 ай бұрын
1470年、安祥松平家の祖・松平親忠が松平氏の氏神として社を伊賀国より三河国に移したのが、愛知県岡崎市にある伊賀八幡宮だとされている。。。伊賀衆の服部半蔵は、徳川家康に仕えていて、本能寺の変の時の家康の伊賀越えでは、服部半蔵は大活躍している。この伊賀衆の服部氏は、伊勢平氏説の系譜として見た場合の伊勢氏の初期の支流だとされている。足利将軍家の同朋衆であり、能楽で有名な観阿弥は、伊賀衆の服部氏の一族だとされている。。。以上の事から、徳翁斎 信武(徳阿弥 親氏)は、伊賀か伊勢のあたりの同朋衆(阿弥衆)の人物だった可能性がある。信武(親氏)が伊賀者だとすると、彼が松平家の入婿になった後の勢力拡張が容易に想像がつく。彼は連歌・芸能などの教養に長け、政治家や武人やスパイとしての能力もあった。
@pianochandaisuki
@pianochandaisuki 5 ай бұрын
後の徳川と北条同盟に繋がったりする😂
@user-wr7bu1nx8x
@user-wr7bu1nx8x 27 күн бұрын
京と鎌倉府の距離的、地政学上の緩衝地点が三河あたりだから幕府需要人物が生まれたのかな
@pontarou01
@pontarou01 5 ай бұрын
うちは元々は、松平と一緒に賀茂神社の神職やってた。 武家になってからそのつてで一族あげて三河の松平に臣従した。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
松平信光が加茂姓を名乗ってますが松平の氏神は元は六所神社になるかな
@juuxlb9401
@juuxlb9401 5 ай бұрын
高氏(高家)←高階氏←天武天皇
@HasegawaNobutame
@HasegawaNobutame 6 ай бұрын
高校のクラスメートでひかえめな胸部を持つ松平さんは、「マッタイラさん」と呼ばれていました。 (若き日の過ちです。ごめんなさい、松平さん。)
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
うちの看板娘の「よしふじちゃん」が希少価値だステータスだ!といってますw
@user-wz3vk7ip5o
@user-wz3vk7ip5o 4 ай бұрын
岩津城があったのは最近知ったところである。 松平氏が攻めて岩津城を陥落させあらたな主になって三河全体を統治しだすことになったとのこと。その前の城主大善?は どんな人物だったのか知りたいところ。 また蔵前を過ぎて橋をわたり ちょっと南西にいったあたりは  矢作川の流れは変わっているのか知りたいです。 現在と違うのかどうか? 大善から松平氏の統治に周囲は 変化したのかどうか? 大河ドラマだと元康が大樹寺に 逃げ込むほどまわりはアンチ松平だったわけだから、 あまり松平氏はまわりに喜ばれていなかったことになる。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 3 ай бұрын
三河の中心は矢作、御津ですので岩津とっただけでは三河の制覇には繋がらないかと思います
@nattousenbei
@nattousenbei 5 ай бұрын
忘れられがちな一色さんの三河守護。いや、戦国時代あの地域に跡形もなくね
@lesista
@lesista 5 ай бұрын
得川氏ってどこから来てるんだろう⁉️
@user-zl8rv5uu3g
@user-zl8rv5uu3g 6 ай бұрын
三河の奥には熊谷家もあったんだけど◦◦◦南北朝期にはあまり大きな動きはしていなかったのか?熊谷家伝記も一次資料ではなく二次資料あつかいだし(買いそびれて後悔するも遅し) 残念。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
三河の豪族を全部は紹介しきれないかも 一応これからの動画でも出て来る連中メインと過去動画に出て来た連中の サービス的な紹介に近いので
@user-gv6yl2mp8j
@user-gv6yl2mp8j 5 ай бұрын
熊谷って平家物語の「敦盛」の熊谷直実の系譜?
@user-hy4jj2dr8m
@user-hy4jj2dr8m 5 ай бұрын
岡崎市史によると、市内にある滝山寺の縁起に伊勢氏の祖たる伊勢俊継が平安期に藤氏と称して三河で活動していた記録が残る 俊継は足利義氏の被官であったが、伊勢氏と足利氏の繋がりは、伊勢俊継の父たる藤原俊経と足利義氏の父たる足利義兼が滝山寺(義兼母方菩提寺)を通じて縁が生まれた平安期まで遡るらしい 実は三河と足利氏、足利被官の歴史は平安期まで遡る必要がある
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
うん、次回のネタバレねw
@user-xz4lo6wy4z
@user-xz4lo6wy4z 5 ай бұрын
徳阿弥のやたら豊富なモテエピソード考えると時宗との関係は否定出来ないと思うんだよな
@user-mx2hu5jo5l
@user-mx2hu5jo5l 5 ай бұрын
松平親氏が婿入りする前の、松平氏について知りたいです。 またの機会によろしく。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
現状だとまったく裏付けのない説ばっかりで、信盛・信重2代の前については不明とするしかない状況です。信重以前には「松平」の名字もなかったと思ってます。
@user-em5rh1zk5j
@user-em5rh1zk5j 5 ай бұрын
刈谷水野氏って小川氏からの血筋だったのか 尾張の水野氏から別れた系統と思ってた
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
小河氏の血筋はまあ水野家がいいはってるダケとも言えますがw本来の水野氏である尾張水野氏は土岐家についていって美濃にいって、また尾張に帰ってきてますね
@toshis3972
@toshis3972 5 ай бұрын
いやいや面白く見させてもらいました。室町時代(幕府)の混乱はかなり過大に言われていて”そこまで”実力がもの言う社会でも無かったようですね。勿論、権力の空白地帯(時期)に一気に勢力を拡大確立したら追認するしかないと言うことも有ったのでしょうが、意外と短期間で周辺勢力にフルボッコにされてあっという間に現れてあっという間に去っていく方が圧倒的に多いですね。有名無実化しているとはいえ、信長の上京戦辺りまでは旧守護勢力が存外残って居ますしね 松平家の伸長は伊勢家と言う公権力に支えられてと言うのは、後の伊勢新九郎の伸長と重なって居ますね。後に長親が伊勢新九郎との戦いで松平家を三河の地侍の代表格へと引き上げるのは中々面白い巡りあわせですね
@Miki_Nanase
@Miki_Nanase 6 ай бұрын
伊勢被官というハナシを最近聞いたけど
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
松平信光が伊勢氏被官なのはもう完全に定説だったりします
@discovery-defender
@discovery-defender 5 ай бұрын
秀吉も家康の先祖も出自不明の者ということですね。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
9代は確実に遡れて元は伊勢氏の被官だからさすがに秀吉とは格が違うような気がしますが、いずれは秀吉も解明されたら面白いですね
@yuuisi9962
@yuuisi9962 5 ай бұрын
土豪とはいえ何の血縁も権威もない入婿に家督を譲って家臣や周辺が黙るはずないものなあ 親氏が伊勢氏の息がかかった人物で呼び寄せた泰親とは待機してた援軍の方が腑に落ちる 泰親の征服行動なんて軍事の教育を受けた武家のものに見えるし
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
最近の研究の主流だと松平信重なんかも土豪ですらなくて村長レベル以下とかにされちゃうんですよね・・・全否定が流行りなんだろうけど無理あるなーと
@user-rh7ue2vk6l
@user-rh7ue2vk6l 6 ай бұрын
松平氏が高氏なのか、賀茂氏なのか、岩松氏なのか、色々考えさせられる。 秋葉街道を押さえた土豪と考えると、塩と馬の確保と免税処置を得る為に、伊勢氏被官になったとも考えられないかな。 因みに、伊勢氏被官時代には、近江国の菅浦の代官として赴任して苦労していたとの話もあります。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
近江の話は次の動画のネタバレですw 秋葉街道は遠江と東三河がメインなんであまり松平のイメージはないかな? 三方ヶ原の戦いで散々マッピングしたんで秋葉街道に思い入れはありますがw
@user-ic8kq8xe7j
@user-ic8kq8xe7j 6 ай бұрын
その後、三河でブイブイ言わしてた松平氏は宗家を伊勢氏の伊勢新九郎に叩き潰される。今川家の家老としての三河入りだが伊勢氏の三河での所領の状態や奉公衆の同僚のことを思えば新九郎の私怨も多分にあったかもしれない。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
松平vs北条早雲の動画もやりたいと思ってます
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 5 ай бұрын
存牛さんの法統たどると、千葉氏、新田義貞女、増上寺…と関東に縁が延びています。 松平氏の都鄙に広がるネットワーク、ただの田舎豪族ではありませんね。
@gigabite1968
@gigabite1968 5 ай бұрын
本当に新田なら江戸期に新田神社(浄瑠璃「神霊矢口渡」で有名なところ)をもっと篤く奉るはず。
@user-vc7sk5cy5u
@user-vc7sk5cy5u 5 ай бұрын
松平氏って言葉は悪いけど乞食坊主が家中に入って家の中興の祖となったと何かの本で読んだ記憶がある
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
〇〇坊主はちょっと卑下し過ぎな感じがしますねぇ・・・松平中興の祖は次の松平信光だと思っております
@user-mf2jb3ht9m
@user-mf2jb3ht9m 2 ай бұрын
渥美半島には一色という地名が数か所ある。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku Ай бұрын
愛知県は一色の地名だらけですw多すぎて困る
@user-dp9rg7fg3i
@user-dp9rg7fg3i 5 ай бұрын
家康公のご先祖様は源氏ではないのですか!?😱
@Mr.Nobody-rk3eo
@Mr.Nobody-rk3eo 5 ай бұрын
徳川家・松平家がそう自称しているだけで、実際は分からない。
@t.hayama
@t.hayama 6 ай бұрын
親氏の父親・世良田有親が、信濃宮・宗良親王(1311~1385)の遺児・尹良親王を奉じて三河に入ろうとして起きた浪合合戦(1424)などは江戸時代の創作の可能性が高いということでしょうか。 大樹寺は後土御門天皇に寺号勅許得て創建されたとか(寺伝・1475年)、信光の孫・存牛は後柏原天皇綸旨による要請で知恩院門主に就任、浄土宗総本寺勅許される、後奈良天皇の勅額を大樹寺が受けるなど、家康以前から三河の一国人・松平氏が中央とあれこれ関係あるのは興味深く思ってました。当時、地方国人は松平氏だけでなく皆、中央との関係を重視しているのが普通だったのかも知れませんが。親氏は松平郷に浄土宗末寺・高月院を創建したとも伝わってますね。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
世良田政義は実在が確実でそのあとの政義・親李・有親を動画内の系図で囲って 怪しいとしてますが、そこがいわゆる「浪合記」に追加して盛られたものと思います。浪合記はまあ、めんどうなんで割愛しました
@user-gh8ui2jo4o
@user-gh8ui2jo4o 4 ай бұрын
1333年に新田氏により名字を承り松平氏の家来になったとウチの先祖に伝わりましたが🙄 歴史は長い😂
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 3 ай бұрын
代々受け継いでいくのも大変なことかとおもいます。700年は凄い
@rescue911usa
@rescue911usa 5 ай бұрын
うちの近くに安祥城跡地がある。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
安祥城奪取は次の動画でやる予定ですので期待して貰えればと思います
@rescue911usa
@rescue911usa 5 ай бұрын
@@Yoshifuji-Sengoku そうなんですか?期待して待ってます!
@user-fu4ji2gr8x
@user-fu4ji2gr8x 5 ай бұрын
松平氏は何処かで吉良氏から養子を迎えたのだろうか?
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 5 ай бұрын
松平のその後もやりますが、吉良の養子は無いかなぁ
@shintenhou229
@shintenhou229 5 ай бұрын
新田系の源氏だなんちゃって、本当は怪しいもんだ。世良田にも東照宮作っちゃって遺漏無いよう必死だよね!
@user-tq9jv1jf7i
@user-tq9jv1jf7i 6 ай бұрын
今回はあまりにもマイナーな話で、殆どついて行けませんでした。
@user-iz8qr6bu2t
@user-iz8qr6bu2t 6 ай бұрын
私も! 内容の99%くらい初めて見聞するようなものでした。 足利将軍家だって尊氏公なら略歴知ってる程度、歴代将軍だって名前もうろ覚えで ましてその時代の地方のことなんて想像の埒外です。 私程度の知識では1回2回見たくらいでは細かいことを理解することはできません(汗) でも、そういう大まかな流れだけでも知ることができるのが、癖になるというか快感みたいなものがあってたまらないんですよね。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 6 ай бұрын
マイナー過ぎてすいません(涙 でも超有名人な徳川家康の確実な先祖なので覚えておいて損はないと思うのです 足利氏の歴代将軍と管領やらと守護大名が解る勢力図による解説動画とか 作ったら需要があるかしら
@user-ww1gl9iw1v
@user-ww1gl9iw1v 5 ай бұрын
自分が興味のある説ですが、家康の先祖は朝鮮半島出自だそうです。家康の七代前。1413年今の北朝鮮に徳川という村が興ったそうです。そこの一族が渡来し最初、江川、江頭を名乗る。江川、江頭、徳川どれも川にちなんだ名。元は道教の教えから来てるそうです。その後松平に背乗り。徳川幕府成立後は李氏朝鮮王朝と密接な関係に。朝鮮通信使を用い半島と連絡を取り合う。日本の豊富な金、水銀、銅などの鉱物資源を盗掘し半島、中国経由で欧州に。今でも北朝鮮には徳川市という街があるそうです。
@user-ww1gl9iw1v
@user-ww1gl9iw1v 5 ай бұрын
そういえばパククネ元韓国大統領が、尊敬する歴史上の人物は?とインタビューを受けて「徳川家康」と答えたそうですね。同じ民族として誇らしいのでしょうか?
@user-hj5wo8cy4g
@user-hj5wo8cy4g 4 ай бұрын
松平氏は大和民族ではありません 何一つ大和文化を知らない事等あり得ないです。家系図も滅茶苦茶です
@user-zg4cz5im2t
@user-zg4cz5im2t 5 ай бұрын
このような立派なものを拝見する度に日本中の資料を渉猟する徳川光圀が 徳川の出自のことを疑わなかったのか不思議な気持ちになるのです。
@Yoshifuji-Sengoku
@Yoshifuji-Sengoku 4 ай бұрын
知ってたけど隠した感じでしょうか
@user-zg4cz5im2t
@user-zg4cz5im2t 4 ай бұрын
水子のはずだった彼の出自と荒れた青年期、常陸は佐竹という名門中の名門が長く地盤を持っていたことが、国史編纂だけでなく領内の寺社の整理・統廃合にも繋がっていたと考えれば、彼が怪しさを感じてなかったとは思えないですね。 徳川が新田に繋がるなら八幡太郎義家の八幡社は大事にされてもよさそうなものを光圀はむしろ是を遠ざけて鹿島神宮を持ち上げた。佐竹氏の影響力排除と言われてますが、源氏のスター義家よりもずっと遡った権威だということでしょう。領内に本宮が有る。光圀の前の頼房が既に領内の鹿島神宮に寄進をしているし、僧形八幡や八幡大菩薩というような神仏習合が気に入らなかった方が大きかったかもしれませんが。
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Lexa_Merin
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New model rc bird unboxing and testing
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鎌倉時代の足利一族 前編
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太田うしいち
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松代城の旅
5:01
オキシゲン漫遊記
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