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昭和11年の暮れ、淡谷のり子がブギウギとルンバのリズムにのって歌うラテン歌謡の「ダーダネラ」(F・バナード・ショー/ブラック・共作曲)が発売されましたが、田部武雄はすでに大東京巨人軍を離れ、行く先は田部の第二の故郷、満洲でした。昭和モダンを妖艶に歌う淡谷のり子の活躍はアメリカ遠征中の田部武雄の耳目にも届いていたそうです。一方、国内では、大東京巨人軍帰国後、職業野球もスタートし、モダンな淡谷のり子が歌うポピュラーソングも流行していました。淡谷のり子は純歌謡曲では「別れのブルース」「雨のブルース」など服部良一のブルース歌謡をヒットさせ、戦前歌謡界の女王に君臨しました.
淡谷のり子のレコードの演奏は日本ジャズ史を彩るコロムビア・ジャズ・バンドです。明治大学マンドリン倶楽部を率いるテイチクの古賀政男に対抗しました。