【ゆっくり解説】田油津媛と邪馬台国の終焉??

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れーしch【歴史】

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Пікірлер: 39
@YO-high
@YO-high Жыл бұрын
これはアリ。 神功皇后が「神功天皇」っていう話にも繋がる訳だし、実際天皇に即位してるっぽいしなぁ。 が、この時代だと「倭人」はまだまだ朝鮮半島南部にいたはずだし、倭人としては新羅は海の向こうではなく、隣人だったはず。 次回も期待しております。
@shou-sho
@shou-sho Жыл бұрын
前回仲哀天皇は神の声に逆らって熊襲を攻めたから亡くなったのに、結局神功皇后が熊襲征伐してるの仲哀天皇が可哀想すぎる(笑)
@7ShanTen_Arena
@7ShanTen_Arena Жыл бұрын
中臣氏の役を物部氏に演じさせる、れーしチャンネルさんの発想力
@kooota7455
@kooota7455 Жыл бұрын
隋書には倭国には筑紫国とヤマト国に分かれている・・・ってな感じの記述がありますからね。 田湯津媛は筑紫国の女王だったのかもしれません。
@ru945
@ru945 11 ай бұрын
時代も背景も全く異なりますが、孝謙天皇の意にそぐわない神託を受けた和気清麻呂(わけのきよまろ)が別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)に改名させられたように、 この田油津媛も本当は、「人々を導く」とか「教え諭す」みたいな意味合いの綺麗な名を持っていたんだろうなあ、などと妄想しています。
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon Жыл бұрын
土蜘蛛の娘らしいですが、誰が考えたのか田油津媛と書いて「たぶらつひめ」と読むのは面白いですね。 「たぶらかす」からすると「たふろつひめ」、「あぶら」で考えれば「たなふらつひめ」なのでしょうか。 あと国書データベースで見られる日本書紀には「小門縣」とありますが、これが「山門縣」になるのは何か理由があるのでしょうかね。 追記:西の宝って仏教的ガンダーラ的な何かの可能性もあるのでしょうかね。 当時の世相的に。
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon Жыл бұрын
「たふらつひめ」は田油津媛と汚らしい水と油の関係になっていますが、田浦津媛と書くと水一色できれいな関係になりますね。 悪意を持って田油津としたりして。
@nekozame_history_fan
@nekozame_history_fan Жыл бұрын
筑紫君磐井「九州は大和に従ったんじゃない。同盟関係になっただけだ! なのに大和は主人のようにふるまいおって、許せぬ、戦じゃっ!」 葛子「父上、さすがに無茶ですよ。我々は歴史の学習漫画にも載らないことの多い知名度の勢力……。倉を明け渡して降伏しましょう。」
@yskztkhs7986
@yskztkhs7986 10 ай бұрын
時代が違う
@nekozame_history_fan
@nekozame_history_fan 10 ай бұрын
フライングをしてしまいました。継体天皇の時代をれーしチャンネルさんがどう描くのかも楽しみです。
@ブランカマーチン
@ブランカマーチン Жыл бұрын
羽白熊鷲が居たとされる朝倉市ですが 地名に荷原(いないばる)矢野竹(やのたけ 戦時にはえていた矢を刈ったところ) 角枝(つのえだ→戦で敗れた熊鷲軍の血が木の枝にこびりついたところ…血の枝)等があり激しい闘いがあったとの伝承があります。
@hwainkim6101
@hwainkim6101 Жыл бұрын
この頃の地名や人名には間違いなく古代中華や統一前の朝鮮の漢字が影響してる。 日本の歴史も殷の武丁のように文字の創造を命令する盟主が居ればここまで面倒なことはなかったのにと思う。
@よごれ-f6e
@よごれ-f6e Жыл бұрын
田油津と聞くと日南市油津が浮かんでしまう。絶対違うと分かってはいるのですが。
@osamuarima1118
@osamuarima1118 10 ай бұрын
倭の五王は神功皇后以降にたてられた九州の王朝の王であるという九州地方の言い伝えがある。そこら辺にも踏み込めると面白いと思う。
@user-Godai_Yoshio
@user-Godai_Yoshio Ай бұрын
神功皇后の香椎宮からの旅程は次のようになります。香椎→駕与(糟屋郡粕屋町)→宇美(糟屋郡宇美町)→御笠(太宰府市)→中宿(朝倉郡筑前町砥上)→松峡(筑前町栗田)→目配り山(筑前町)→荷持(朝倉市秋月・野鳥)→美奈宜(朝倉市三奈木)。層増岐野(そそきの)は羽白熊鷲を討ち取った場所ですが、それが雷山であるわけがない。秋月から三奈木にかけての地域と思われます。美奈宜の「宜」は喜ぶという意味で、羽白熊鷲を成敗して勝鬨をあげ、皆が喜んだことから「美奈宜」というとあります。ちなみに、羽白熊鷲の墓は朝倉市三奈木の「水の文化村」にあります。寺内ダム建設時に、矢野竹にあったものが水没するために現在地に移設されたということです。また、筑前町の西側の旧町名は夜須町ですが、その元になったのは、この地域の旧郡名の夜須郡(やすのこおり)からです。その元になったのは神功皇后の「熊襲を平らげ、我が心安らかなり」からきています。その範囲は東は朝倉市上秋月から秋月、安川、筑前町全域です。
@KeCN
@KeCN 9 ай бұрын
裂田の溝の逸話など福岡県には神功皇后の逸話は多い。山口、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎の6県にはゆかりの地や伝承の逸話が3000あると言います。武内宿祢も佐賀県の祐徳神社の主神であることから彼らは北部九州を根拠とする一族であり、半島遠征後は畿内に進出し、息子が応神天皇になったのではないかと空想します。
@マッチ-x1y
@マッチ-x1y Жыл бұрын
翼を持つ強健な肉体。…セフィロスかな?
@ohjaga
@ohjaga Жыл бұрын
神功皇后の鮎釣りの舞台である玉島川は佐賀県唐津市浜玉町の玉島川です。
@uetotesshu
@uetotesshu Жыл бұрын
釣川説です。宗像大社の横の川です。すいれん石の名前はカチド姫。厳木の宮地嶽神社にはカチド姫が祭られています。本家宮地嶽神社は神功皇后です。
@s-yo
@s-yo 10 ай бұрын
楽しい🎶 たぶらかすって言葉が当時にあった証拠は一切無いけどね(笑) 神功皇后記が小説みたいなものって見解も有りますね。 ってか 神功皇后こそ鬼道を操っている(笑)
@寿くん-b1e
@寿くん-b1e Жыл бұрын
田油津媛って初めて聞いたなあ🙄 同一人物説って言ったら昔何かのテレビで当時の日本人の平均年齢から考えて天照大神=卑弥呼じゃないかなんて解説の人が言ってたのは見た事あるけど🤔
@岡村浩司
@岡村浩司 Жыл бұрын
リチャード・ウーのコミック 卑弥呼が面白いですよ😊
@寿くん-b1e
@寿くん-b1e Жыл бұрын
@@岡村浩司 リチャード·ウーって確か異邦警察でしたっけ🙄 一度見てみます😇
@zennin375
@zennin375 Жыл бұрын
田油津媛の「媛」を表意として「ひめ」と読むのはとりあえず良いとして、「油」を「あぶら」と訓読みするのには違和感を覚える。 「田油津」は固有名の音を漢字を用いて表した表音であろうから音読みとするべきではないだろうか? 訓読みは外来の表語文字である漢字を大和言葉の音に翻訳したもので当時は「漢字の持つ音」としては一般に認識されていなかったのではないかと思う。
@mian908
@mian908 6 ай бұрын
古代と今だと文字の読み方が違うだろうけど、語呂合わせするのって正しいんでしょうか?
@kanekodaisuke9920
@kanekodaisuke9920 9 ай бұрын
田油 たゆ とよ 台与
@岩井崇-n7c
@岩井崇-n7c 5 ай бұрын
ヤマト王権は騎兵隊を導入済みだったのかなぁ。実力に差が有り過ぎる。
@Kappa-Lub
@Kappa-Lub 5 ай бұрын
北九州市がないな。神功皇后にかなり関わりがある 仲哀峠というのは京都みやこ郡  ※北九y州≠福岡だから。 北九州に福岡界隈は含まれない
@wan6347
@wan6347 4 ай бұрын
田油津→たゆつと読むと 福岡県の豊津のこのなのかな?
@岡村浩司
@岡村浩司 Жыл бұрын
壹与=神功皇后 陵墓は箸墓古墳 卑弥呼=天照大神 仁徳天皇の舅葛城襲津彦の地盤は西都 何れにしても、藤原不比等による日本書記捏造が巧妙過ぎて、解釈が難しい😢
@s-yo
@s-yo 10 ай бұрын
新羅の王がスサノオで神功皇后がアマテラス(´・_・`) 攻めた側は逆だけどね。 もぉなんでもありだよね(笑)
@つぶやき鉄郎
@つぶやき鉄郎 18 күн бұрын
田油津媛がたぶらかす?
@宮成将晶
@宮成将晶 3 ай бұрын
そもそも覚えておかなければならないことは、神武東征は紀元前660年ではなく、紀元前70年頃(春秋年を考慮すれば)。すると卑弥呼の没年、紀元248年。衰退した邪馬台国の 最後の女王田油津媛が神功皇后に討伐されたのが約100年後。年代がピッタシ合う。大和王権が作った田油津媛の塚(蜘蛛塚。昔は女王塚と呼ばれていたらしい。)は、卑弥呼の墓の 目と鼻の先に建てられて今も現存している。
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