歪められた歴史: 悪名老中・田沼意次の真実

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古き日本と癒しの旅

古き日本と癒しの旅

Күн бұрын

「白河の清きに魚も棲みかねて」――この有名な狂歌により、田沼意次は腐敗政治の象徴と語られてきました。しかし、本当に彼は私腹を肥やすだけの政治家だったのでしょうか?その答えは「否」です。
田沼意次が目指したのは、江戸幕府の安定と未来の繁栄でした。経済政策の大胆な改革や、浮世絵や歌舞伎といった江戸文化の発展を支える政策を実現。
『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』の舞台は田沼時代です。
その基盤が後の日本に大きな影響を与えたことが、現代になって再評価されています。
それでも、彼が「賄賂政治家」と呼ばれるようになったのはなぜか?腐敗と批判されながらも改革を推進し、孤独の中で耐え抜いた田沼の人生にはどのような背景があったのか?
現代に通じる先見の明を持った政治家としての田沼意次。その隠された真実と功績に迫りながら、狂歌の裏に隠された彼の真の姿を深掘りします。
#田沼意次 #べらぼう #大河ドラマ #蔦屋重三郎 #江戸時代 #浮世絵
BGM:魔王魂
資料ご協力:一般社団法人まきのはら活性化センター様
いろいろな資料を見るにあたり、出典が漏れていることがあります。
記載させていただきたいので、お気づきの際にはご一報いただけましたら幸いでございます。

Пікірлер
@HKase
@HKase Ай бұрын
村上元三著作の田沼意次(上中下)を若い頃読んで私も意次公の素晴らしさをしりました。噂や誹謗中傷だけではその人の本筋は判りません!大変よく勉強され判りやすく解説され感謝致します。意次が嫡男意知を殿中の殺傷事件で亡くなった場面を小説を読んで当時は衝撃を受けました。上る坂が高ければ下りは急なもの?人生も同じと驕る平家久しからずの格言を想わせる田沼親子の生涯でした。
@qp7614
@qp7614 Ай бұрын
「白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき」のうたがあるけどこれが一般庶民の評価なんだろうなぁ〜
@なん-l5i
@なん-l5i Ай бұрын
失脚当初は「田や沼やよごれた御世を改めて清くぞすめる白河の水」なんて言ってたのに掌くるくるですよ庶民は^_^
@ポンタ-e4b
@ポンタ-e4b Ай бұрын
大変勉強になる良い動画を拝視させていただき有難うございます。心底驚く内容で震えました。今までずっと信じられてきた内容がかなり異なりショックを受けています。動画を信じれば何とも気の毒な善良な政治家です。忠臣蔵の吉良さんも実はいい人で浅野がどうしようもない愚鈍だったとこととか、幕末の英雄視されている坂本竜馬の功績も疑問視されています。歴史はそんなことが多すぎますね。歴史は権力者が作るとはよく言ったものですが、少なくとも善良な方が悪人とされ極悪人が英雄とされることは無くなってほしいものです。
@山田有鮮
@山田有鮮 Ай бұрын
自分がならったころの教科書では「汚職」の部分をさらっと撫でてるだけで、例の風刺くらいしか表記がなかったので、何をしていたかのを知ることができて良かったです。日野富子なども、経済音痴の旦那の代わりに財政立て直しに奔走したのに「悪女」としてのレッテルを張られてその功績については語られることはあまりなかったし、こういう動画でただ表で流布される情報だけで判断することがいかに本質から目を反らす行為であるか考えさせられました
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
大変励みになるコメントありがとうございます。 そうなんですよね、学校で習った時よりも、歴史は面白いと思っている今日この頃です。 日野富子・・私もまた勉強してみたいと思います。
@石田-y5z
@石田-y5z 25 күн бұрын
浅野内匠頭しかり吉良上野介しかり坂本龍馬しかりですね
@正木茂雄
@正木茂雄 Ай бұрын
風雲児たちでは、心ある人が「田沼様の政治が続いていれば…」と嘆いていた。田沼失脚の時、減封され居城は徹底的に破壊された。少なくても松平定信のやり方は褒められない。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
田沼失脚ごの冷遇は、私もやりすぎだと感じました😢 相良城が壊されたこと、5万7千石から一気に減らされたこと・・・
@tronfun
@tronfun Ай бұрын
松平定信は、大奥にも嫌われるくらい不評で、最後は江戸不在の時に老中を解任された。
@正木茂雄
@正木茂雄 Ай бұрын
@@tronfun まあ倹約はいいけど、相手はあの百戦錬磨の大奥。徳川吉宗だったから太刀打ちできたけど、松平定信や水野忠邦がそれぞれ寛政の改革や、天保の改革をしたけど大奥に潰されたからね。
@髙田良
@髙田良 Ай бұрын
風雲児たち、かえすがえすも未完がおしまれ😂る。
@kpo1870
@kpo1870 Ай бұрын
今なお伝説的なテレビ時代劇としてファンも多い「天下御免」(NHK,1971-72)では、田沼を仲谷昇が演じたが、この人物の従来の汚職政治家というプロトタイプに一石を投じ、源内、玄白らを積極的に擁護する革新的・開明的なリーダーとして描いたのは、早坂堯脚本のこの作品が最初だったのではないか。
@なん-l5i
@なん-l5i Ай бұрын
自分の田沼像も天下御免が元になっているから悪い印象が無いですね。
@TReizei
@TReizei Ай бұрын
すっかり現在では「カノッサの屈辱」歴史学者&岸田今日子のダンナさんとして知られてますわね。 「草燃える」源(土御門・久我)通親役もやっていらして、「鎌倉殿の13人」で同じ役やってる関智一が「仲谷先生からバトン託されたつもりで」と意気込んでたくらいですし。
@kpo1870
@kpo1870 Ай бұрын
@@TReizei 小沢昭一、加藤武、フランキー堺、内藤法美と麻布中学で同級でした。同じ中学の同学年にこれだけ物凄いメンツが揃っていたのはもはや奇蹟ですが、今はもうどなたもいなくなりました。
@asaichban9842
@asaichban9842 Ай бұрын
栄花物語 1953年 山本周五郎 のほうが先です ただし映像作品になったのは1983年なので 小説発表当時はあまり話題にもならず
@ソフトクリーム-j5l
@ソフトクリーム-j5l Ай бұрын
田沼意次さまの治世の評価を掘り返していただいてありがとうございます。 動画内で写真に使ってもらっている相良城のお膝元で生まれ育ちお城の跡地で勉強をしていました。 町民たちに慕われていた痕跡はあちこちにあります。 取り上げていただいて本当にありがとうございました。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
相良城のお膝元にゆかりのある方に見ていただけて大変ありがとうございます!!町民の方に慕われていらしたのですね。貴重なお話を教えていただきて本当にありがとうございます。
@ソフトクリーム-j5l
@ソフトクリーム-j5l Ай бұрын
信憑性はともかく相良の町には獄中に入れとくにはもったいないとの田沼さまの意向で相良の町に秘密裏に住まわせた平賀源内生存説が根強く郷土歴史家のお爺さんが平賀源内のお墓だという本を書いたりしていました。 その影響かはわかりませんが平賀さんという苗字もちらほら見かけます。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
@ なるほどですね!生存説があるというのは、生きていて欲しいという希望の表れだと思いますし、平賀の苗字が多いと言うのもそのような歴史的な背景がある可能性があるというのですね。大変面白いお話、ありがとうございます!
@はな-s2j
@はな-s2j Ай бұрын
当時としては画期的な株仲間など現代の株式会社の様な組織を作ろうとして貨幣経済を意識した政策を推し進め年貢による不安定な幕府財政を立て直そうとして努力したという話を聞きました。後3年老中でいれたら年貢経済の幕府の財政は劇的に変わったらしいです。
@小野澤親
@小野澤親 Ай бұрын
今で言えば、所得税、法人税みたいなものです。100年後の日本からは当たり前になり、現在にも続いています。
@tohwmsa8843
@tohwmsa8843 Ай бұрын
一種の”金本位制”な経済が、「年貢経済の幕府の財政」であったわけで、なぜだか批判の多い信用創造を可能にしたのが、「(田沼意次の)貨幣経済を意識した政策」であったとのことのようです。(この辺は某経済で読み解く日本史の受け売りですが…)
@スミヨンデットーリ
@スミヨンデットーリ Ай бұрын
田沼意次の評価は現代ではかなり変わって来ているが、驚くべきは山本周五郎の『栄花物語』である。書かれたのは1953年。昭和28年の事である。この時代、誰も田沼意次を悪の賄賂政治家としか捉えていなかった。
@kaza9052
@kaza9052 Ай бұрын
私も田沼の歴史での扱いに不満を感じていたところにこの動画に出会いました。 ただ功績を並べるだけでなく意表を突くばかりでもない素晴らしいまとめ方だと思います。 チャンネル登録させていただきました。今後も動画の投稿を期待しております。
@蔵田天然
@蔵田天然 Ай бұрын
清濁併せ持った田中角栄を想像したけど、清しかない😂
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
田中角栄・・たしかに清濁ですね☺
@咲良民都
@咲良民都 Ай бұрын
@@蔵田天然 農業から商業への過渡期に、政治の中枢にいた人ではある。田沼意次が、失脚しなければ明治維新がなかったかもしれない。そして、日本の開国も早まったかもしれない。ただ、現在の国際情勢を考えると最初に米国と条約を結んだ事はよかったとは思います。
@ルヴァン賢一
@ルヴァン賢一 Ай бұрын
​@@咲良民都 徳川幕府が崩壊して明治維新の後に現代に繋がる訳ですから結果的に良かったと思いますよ。 徳川幕府が後、50年以上続いていたら 封建主義は継続して近代化は遅れて西洋列強の植民地になっていたかもしれない。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
田沼の失脚がもしなければどのように歴史が変わっていたのか面白そうだなぁと私も思います。そうですね、米国と最初に条約を結んだこと、そんな縁が現代に繋がっているのかもしれないと思うと、それも面白いですね!
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
コメントありがとうございます。そうですね、私も以前そのように意考えておりました。ただ、幕臣にも優秀な方が多くおり、、もしよければ、『小栗忠順』という動画も見ていただければ幸いでございます。
@sonchuzan
@sonchuzan Ай бұрын
定信が清かったかは怪しい。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
定信もやってるじゃないか!と思いました☺
@松本一利-i1k
@松本一利-i1k 18 сағат бұрын
田沼意次はもっと評価されてもいい人物だと思います。 良い動画をありがとうございました。
@ツーサム
@ツーサム Ай бұрын
自分が日本史を初めて習った時は、田沼意次は賄賂政治家の大悪人でその後に老中になった松平定信は清廉潔白な政治家と言う印象だった。しかし米を経済の中心とする江戸幕府の政策は吉宗時代には既に限界に達しており、田沼の重商主義は画期的な政策であり彼はもっと評価されてもいい人物である。 今年の大河ドラマでどう描かれるか楽しみだ。
@彩雲雷鳴
@彩雲雷鳴 Ай бұрын
儒教的価値観から松平定信が評価され、対比として田沼意次が意図的に貶められた感がありますね。 側用人からの異例の出世も古来からの徳川譜代の臣から見れば面白くない存在だったでしょう。 徳川家重も田沼を重用する様に遺言していたし、家治も政治には無関心とされたけど、田沼意次がいればこそだったと思う。 柳沢吉保の様に豪華な庭園を造園した訳でもないし、贅沢とは程遠い人物だった思いますね。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
そうですね、儒教的価値観というのは大きいのかもしれませんね。そして、おっしゃる通り、古来からの臣にとっては目の上のたんこぶですね。 たしかに、柳沢吉保はもっと華やかな印象ですよね。
@unithouse1
@unithouse1 Ай бұрын
今の財務省も儒教的価値観で経済政策を決めているような……
@kazuoka1143
@kazuoka1143 Ай бұрын
江戸時代を通じて、徳川家康の保守的・緊縮財政路線に強く支配されてきたことが、 田沼意次にとって一番の不運だったと思います。 そして、残念ながら、日本人は未だに倹約を美徳とする精神が根強く残っています。 ただ、そんな時代でも時折、財政積極派が出てくるのだから、せめて現代日本人は 彼らの政策を正当に評価できるようになりたいですね。
@戸次伯耆
@戸次伯耆 Ай бұрын
問題は幕府のたかり体質 きちんと商人に税を課して利益から税を吸い上げる体制だったら良かったのに。 臨時での徴発を乱発して計画的な経済発展を阻害してたのが。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
そうですね、現代の私たちも同じようなこと価値判断をしがちだと思います。歴史に学びたいなぁと個人的に思っております。
@shinichi9821
@shinichi9821 24 күн бұрын
高度成長からバブル期へ至る(途中色々ありましたが)好景気が日銀等の政策ミスで潰えなければ、そこから現在に至るまでの30年間で、さしもの日本的倹約精神もかなりの変容を見せていたのではないかと残念に思っています。すでに高度成長期「消費は美徳」という風潮もありましたしバブル期(実際バブルだったのは資産価格だけだったそうですが)のあの雰囲気を見てもその感を強くします。そして田沼時代にもそうだったように、さらなる文化・芸術の発展が見られたのではないかと。 難しいのは、表面的に美しいものが、必ずしも庶民の生活向上と一致するとは限らないという認識上のギャップですね。
@游芸舎
@游芸舎 Ай бұрын
すべて何十年も前から思っていたことを正確に要領よくまとめて下さり、製作者に感謝の念しかありません。どんな方が制作しているのか多変興味があります。
@今井栄一-k9v
@今井栄一-k9v Ай бұрын
素晴らしい歴史解説です。ありがとうございます
@大源貴広
@大源貴広 Ай бұрын
歴史は勝者によって作られるとはよく言ったもので、敗れ去った人にはまったく弁明が許されないとは酷い話です。吉良上野介義央もその1人でしょう。私は忠臣蔵は大嫌いです。
@hhh-oj1ip
@hhh-oj1ip 15 күн бұрын
昔NHKで放送された「歴史ドキュメント 幻の日本開国計画田沼意次の挑戦」がすべてやと思う。 もう一度見たい!
@咲良民都
@咲良民都 Ай бұрын
剣客商売にも、登場している。ほかほか蕗ご飯によれば、家斉の父よって、失脚されたなどという話になってもいる。そもそも、当時の出世競争には、上司に付け届け(賄賂)をしないといけないとされていたという。根回しをするには、それなりの金額が動いた時代だと思われる。
@ohgmen6168
@ohgmen6168 Ай бұрын
剣客商売の田沼は主人公側の善玉として描かれてますよね 対照的に佐伯泰英著の居眠り磐音江戸草紙では従来のイメージの完全な悪玉でラスボス的な立ち位置でした
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
そうなんです。家斉の父=治斉が黒幕だったという話に、ちゃんと歴史が盛り込まれている感じがしてワクワクしました。根回しが必要な時代だったんでしょうね。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
コメントありがとうございます。 佐伯泰英著の居眠り磐音江戸草紙、存じ上げませんでした、また勉強してみます!
@masudaya1966
@masudaya1966 Ай бұрын
なんとなく,現代とそんなに変わっていないなと思えます。不思議
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
現代においても被るなと思えること、歴史って多いですよね。
@スージーS-u4f
@スージーS-u4f Ай бұрын
重農主義から重商主義への転換で幕府の経済改革を図ったが、旧来の既得権益を守ろうする抵抗勢力の巻き返しにより失脚。結局、幕府は家康以来の米に頼る財政基盤からの脱却が出来ず 幕末には財政が破綻状態となり、薩長に政権を奪われる事になった。
@pontarou01
@pontarou01 Ай бұрын
ふぐすま出身です。 小学校の時に先生がこの話してました。
@wester-b3q
@wester-b3q Ай бұрын
株仲間の公認などをやったのは田沼ではなく吉宗。田沼がやったのは公認ではなく”推奨”田沼が初めて商業に税をとったわけではない。アワビなどの俵物の輸出も新井白石が始めたこと。ロシア貿易も田沼政権崩壊前から田沼自身が割に合わないと切って捨てている
@田中一郎-h7q
@田中一郎-h7q Ай бұрын
昔は天災が政治家のせいにされたわけだけど今の感覚だとありえない、政治家が気の毒だ。こんな風にいわれのないレッテルで悪人にされた人物は結構いるのでは。戦後のTVドラマなど悪人、敵役にされたイメージもあるのでは。他にもこの時期だと吉良上野介なんかがそうなるのでは。忠臣蔵の話は仇討ちとしては成立しておらず破綻しているのにいまだに美談として語られていることに疑問を感じる。
@kazuoka1143
@kazuoka1143 Ай бұрын
現代でも阪神大震災や東日本大震災における時の政権の不手際は長く批判の対象になりましたし、 宗教的権威が強く、農業への依存性が高い時代だと、なおさら、 天災と為政者の徳は強く結びつけられたのは仕方ないと思いますよ。 田沼意次と同時代だと、ヨーロッパでは天候不順からの不作が続いていて、それがフランス革命に繋がったと言われていますね。
@guillotinethegreat
@guillotinethegreat Ай бұрын
「天命」論といって、 「君主とは、天が地上を治めさせるよう、使命を託した存在」 「君主の徳が失われ統治が行き詰まった時、天が彼を見放しその体制が転覆されるのは、避けようもない天命」 っていう古代中華由来の思想があって。 その際の政権交代を「易姓革命」って言う。日本語の「革命」の語源。 で、その理論によると 「天災とは、地上の為政者の統治手腕・人徳の無さに天が怒り、彼を見放して天が下した裁きである」 って理屈になる。 儒教が“国教”だった江戸武家支配社会では、広く信じ込まれていた。 五代将軍綱吉も、宝永大地震&宝永富士山大噴火はヤツのせいだ!と民衆から怨嗟の的だったそうで。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
ほんとうにそうですね、天災が政治家のせいにされていますね。ただ、現代もまだそれがある気がします。その時の政権の対応が後手後手になっていたのはその通りだったとしても、野党が批判するだけで何もやってないのをみると、もっと動ける人がいて欲しいものだなと思ったりします。 忠臣蔵、そうですね、美談として語られるものも、違った目で見ると面白いものがありますよね。私も改めて見直してみたいと思います。
@ざますなまず
@ざますなまず 25 күн бұрын
現代でも叩かれますよ
@アフサラールジャラル
@アフサラールジャラル Ай бұрын
立場と政策は少し違うがフランスのルイ王朝に仕えたコルベールが同じ重商主義政策して、こちらは成功してフランスは欧州大陸一の大国になったのを見ると田沼意次は不運だったと思う。
@schimitch3277
@schimitch3277 Ай бұрын
あっちは革命で潰れてます
@小野澤親
@小野澤親 Ай бұрын
どちらとも自然現象にも泣かされました。1783年にアイスランドのラキ火山、グリムスヴォトン火山、そして日本では岩木山と浅間山で噴火が起こり、この4つの火山の火山ガスが成層圏まで達して、日射量の低下を招き、数年間にわたる北半球の低温化、冷害の原因となったと言われています。
@schimitch3277
@schimitch3277 Ай бұрын
@@小野澤親 ただ、ルイ王朝はそれで10年しない間に倒されたのに、江戸幕府はさらに80年以上持ちましたからね。「何かあったらすぐデモで意思表示する」フランス人と、「許容範囲を超えるまでは我慢する」日本人の違いではないかと(どっちの政治体制が上とかは思いません)
@梶龍磨
@梶龍磨 Ай бұрын
江戸時代は米本位制、鎖国、封建的身分など経済原則とはかけ離れた施策を取っていたから。😵
@山中達雄-j3p
@山中達雄-j3p Ай бұрын
@@梶龍磨 その割に産業とか文化が発展していた
@user-ub8jh8bp3s
@user-ub8jh8bp3s Ай бұрын
今の政治家も、田沼意次みたいに、企業献金を、福祉や困っている人たちに回せよ。
@ざますなまず
@ざますなまず 25 күн бұрын
使用目的が違う
@ヒストレイン
@ヒストレイン Ай бұрын
渡辺謙の意次、楽しみだ。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
私も楽しみです!
@com5792
@com5792 Ай бұрын
亀梨版大奥では、暇さえあれば栗山千明氏と裏でコソコソやっていて、大物感皆無と酷い脚色だったけど、某大河ドラマでは大河主演経験も2回もある渡辺謙氏が演じるだけにそれらしい立ち回りを見せてほしいものです。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
@@com5792 渡辺謙さんの田沼、とても楽しみですね!☺️
@一介の百姓見習い
@一介の百姓見習い Ай бұрын
ある歴史講座だったかと思うのですが田沼意次が参考にしたのは・・・よく徳川吉宗公の宿敵みたいな ある意味誤解されてた 徳川宗春公であって・・ 以下引用 「仁」「慈」「忍」の精神を軸に政治を行う決意を表明し、仁政を志しました。 宗春は、1731年に藩主として初めて国入りした際に、倹約至上主義や規制強化などの性急な改革を批判する施政方針をまとめました  ・・・田沼氏はこの人の影響うけてたのではないかと思います
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
コメントありがとうございます。徳川宗春公、勉強不足でした。また調べてみたいと思います。田沼がこの人物の影響を受けた可能性もあるのですね。
@一介の百姓見習い
@一介の百姓見習い Ай бұрын
@@古き日本と癒しの旅 様 URLは貼れないので表題で検索かけてみてください 4/6 「徳川吉宗と徳川宗春」 ~'16.01.31 黒田裕樹の歴史講座 ~6/6まで あと同じ 黒田裕樹の歴史講座チャンネル では何度か 田沼時代の文化・化政文化  田沼意次と松平定信 などというところで取り上げています
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
ありがとうございます。また検索して拝見してみます☺️
@hideyoiiyama9774
@hideyoiiyama9774 Ай бұрын
当時の賄賂・付け届けは常識であり、松平定信ですら田沼意次にみみっちい賄賂を渡し出世の糸口にしていますから
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
そうですね、私は調べていて松平定信も賄賂を送っていたことにびっくりしました!
@舐め犬-j5s
@舐め犬-j5s Ай бұрын
在住の長崎出島のオランダ人が田沼の失脚を残念がっていたようです、彼らは忖度ないだろうから信じられる
@田所浩吉
@田所浩吉 25 күн бұрын
見方で変わるものですね、勉強になります
@わびすけ-m8c
@わびすけ-m8c Ай бұрын
勉強になりました。重商主義のその後を、作って下さい。
@猪狩寿明
@猪狩寿明 Ай бұрын
遠州相良 郷土の殿様/英雄の事は全て知ってます
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
故郷の方でいらっしゃいましたか。見てくださってありがとうございました☺️
@明神下の八五郎
@明神下の八五郎 Ай бұрын
積極財政派は、潰されます。
@mura5349
@mura5349 Ай бұрын
コメントしようと思ったら、既にされてた…😂
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
そうですね、思い切ったことをやろうとすれば、予算が・・と言って潰されているのはよく見る気がします。もちろん、予算は大事ではありますが・・
@tohwmsa8843
@tohwmsa8843 Ай бұрын
ほんとそれ。松平定信と現在の財務省と自民(事項)税調の共通したものを感じざるをえません。
@姫生姜
@姫生姜 Ай бұрын
荻原重秀にしろ田沼意次にしろ 経済が解っている有能な人物は その後の思想しか無い人物に完全否定されるのが 江戸時代のお決まりパターン。
@kazuoka1143
@kazuoka1143 Ай бұрын
そもそも江戸時代が、保守性と倹約思考を重視した徳川家康の思想を強く反映した時代なんですよね。 それは拡大路線が失敗した豊臣政権を反面教師にした故だと思いますが、 せめて現代人はもっと客観的な視点で見るべきでしょうね。
@戸次伯耆
@戸次伯耆 Ай бұрын
重農主義というか 米を重要視し過ぎたのがねぇ。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
そうなんですよね、有能な人が後の人に完全否定されるパターンは多いですよね。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
そうですね、今は本当にそう思います。当時は年貢=米以外の発想がなかったのかもしれないですね。
@tohwmsa8843
@tohwmsa8843 Ай бұрын
@@戸次伯耆 米を重要視 ≒ 金本位制 (極小声
@藤川成子
@藤川成子 Ай бұрын
ワイロ政治と言うが時代的に色々な分野が花開いた面白い時代とも言えますね 変わった人物達が活躍したと思いました
@謎の地球人よっちゃん
@謎の地球人よっちゃん Ай бұрын
お役目は基本持ち出しで賄賂貰わないと回せないとも聞いたこと有ります
@二三又次郎
@二三又次郎 Ай бұрын
そもそも元服して官位を貰うときにも、常識として中宮様や朝廷、関係する公家さんたちにも金銀を送るのが一般的でしたからね。今とは賄賂というものの見方が全く違っていたんですね。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
確かに、給与が増えるわけでは無いから出世してもいいことないと読んだ覚えがあります。
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
なるほどですね。官位をもらった時には、関係者に贈り物をするのが一般的だったのですね。
@二三又次郎
@二三又次郎 Ай бұрын
@@古き日本と癒しの旅 さん 従五位下を頂く時はそうらしかったですね。講義で教授から教えてもらった受け売りですけどね。
@宮城和也-q6o
@宮城和也-q6o Ай бұрын
身分制度と家格自体究極の縁故採用。
@山本山-p9j
@山本山-p9j Ай бұрын
田沼失脚の最大の理由は天明の大飢饉です。浅間山の大噴火や相次ぐ天候不順での不作。浅間山の大噴火は日本だけでなく北半球の多くに影響が出てフランス革命の遠因になったとも言われています。←有名な話です!
@宮城和也-q6o
@宮城和也-q6o Ай бұрын
財界人が裏で結託してメディアを使って民衆煽動…アレレェ?
@silktrooper
@silktrooper Ай бұрын
もともと田沼の政策そのものは評価されていましたしね。 吉宗のような増税はせずに税収を増やし、活気もある時代でしたね。 北海道の開発は水産品の中国への輸出の他にロシアへの対策でもありました。 内緒で日本とロシアの商人での取引もあったみたいですね。 エレキテルの平賀源内も解体新書の杉田玄白も田沼の時代。 印旛沼の干拓も成功していれば幕府、商人、一般庶民全員が得していたんですよね。 ただ商人から受け取る運上金は当時の人には「法人税」でなく「賄賂」に映ったようで。 天明の飢饉の対策は確かに後手でしたね。
@柿田国広
@柿田国広 24 күн бұрын
この様な検証がなければ 私も暗黒の田沼という認識であった いろいろなカウ度からの見方がある 飢饉や災害という外的要因で つぶれて行く政治家も多くいたでしょう近代的な発想の政治家であったことを知り 目から鱗
@一介の百姓見習い
@一介の百姓見習い Ай бұрын
松平定信の白川と 日銀のデフレ元白川総裁とよく比較されますねw
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
白川総裁ですか^^ 確かに今は懐かしい、ものすごいデフレでしたね。
@macauktv
@macauktv Ай бұрын
5:31ここでAIがビッグデータからフィーチャーしたのが何故か加藤剛!?
@電気係-j6r
@電気係-j6r 24 күн бұрын
なんとなく山本周五郎の小説、晩秋を思い出します。
@KazunariKawashima
@KazunariKawashima Ай бұрын
まぁ~、刑法に賄賂が犯罪行為と記載してあれば犯罪になるだけだからな~、、、受け取った賄賂も幕府の財政に入れていたから、斡旋料や紹介料というのが現代の感覚にちかいのかな?
@Ayaki6166
@Ayaki6166 Ай бұрын
In my opinion, Okitsugu Tanuma was intelligence person.
@スコブル-u9n
@スコブル-u9n Ай бұрын
後世に評価が上がったり下がったりする人物だけど、江戸で田沼時代や定信改革をリアルタイムに体験した杉田玄白の回顧録(後見草)が一番実際に近いと思う。もちろん田沼邸の内情までは分からなかったでしょうが、世間がどう見てたかは生々しく伝わってきます。
@asakazefuji
@asakazefuji Ай бұрын
むしろ最近の歴史研究では 「田沼も肯定しすぎない、松平も否定しすぎない」だと思いましたけどね というか田沼意次も緊縮財政であり松平元信はその路線の継承である 松平は田沼政策を全否定などしておらず数多く継承している だったと思ったけどまた変わったの?
@mitism889
@mitism889 Ай бұрын
もし、石炭や石油を大量に消費する社会が誕生してたら、浅間山以外の災害は防げたと思われます。これはIPCCの推測からの過程ですが。 IPCCが正しいとしたら産業が未発達だったのが、田沼意次の政治生命を奪った原因ですね。 当時の日本では知られていなかったけど、太陽黒点の数が少なくなってたらしいです。でも災害の原因は産業が未発達だった事のようです。
@山中達雄-j3p
@山中達雄-j3p Ай бұрын
それは(当時)日本に限った話ではなかったのでは
@古き日本と癒しの旅
@古き日本と癒しの旅 Ай бұрын
なるほどですね、産業が未発達でなければ、また違った未来もあったと考えると面白いですね。その産業を発達させようとしていたのが田沼でもあると思うので、もし災害が来るのがもっと後であれば。。。なんてことも考えられるのでしょうか。
@tronfun
@tronfun Ай бұрын
太陽黒点 気象の変動は太陽の活動。CO2じゃないね。
@yahootaroo
@yahootaroo Ай бұрын
早すぎた重商主義者・田沼意次
@山田隆夫-u6i
@山田隆夫-u6i Ай бұрын
五代将軍・綱吉と老中・柳沢吉保の元禄時代と田沼意次の文化・文政は江戸時代における庶民文化が大きく興隆した時代ですね。享保・寛政・天保の三大改革全て重商主義→重農主義に戻して、所謂「発展・発達」の機運が萎んだ時代ですね。定信(白河藩主)の寛政の改革時の「白河の水の清きに・・」とは、庶民には「一定以上の自由を満喫出来た」時代だったと思っています。元禄年間もそうですが、江戸文化のひいては日本文化の発達に大きく寄与した時代のようですね。講談・小説更には映画などで悪役にされた歴史上の人物は沢山いますね。忠臣蔵の吉良上野介義央や幕末の小栗上野介忠順など。この二人が上野介というのも何かの廻り合わせでしょうかね、どちらも討たれていますし。良い動画をありがとうございました。
@井上勝雄
@井上勝雄 Ай бұрын
商人たちの無税と言う既得権に手を付けたことが失脚の要因と説明されていましが、後の政権で革命家は悪人にされることはよくある。忠臣蔵の場合でも起きている。
@ghjustice_2860
@ghjustice_2860 Ай бұрын
剣客商売、、」私とって、衝撃的な内容です。入手方法ありますか
@星-r6n
@星-r6n Ай бұрын
昔の人って誠実だったと思うよ。
@Masato0308
@Masato0308 Ай бұрын
歴史て作り上げられた小説とは違うんだな
@ybb4295
@ybb4295 21 күн бұрын
家治は子供のころから秀才で知られていて吉宗も期待していたが、将軍になると田沼意次に丸投げして詰将棋作家になった。 超秀才だからこそ田沼の天才を見抜くことが出来て全権を任せたのでしょう。
@かじか蛙
@かじか蛙 15 күн бұрын
専売等行き過ぎた資本主義で貧富の差が凄まじい事になってたんじゃないかな? 幕府の財政は上向きになったんだろうけど、貧困層の側はたまったものじゃなかったんでしょうね。
@フォード-i1w
@フォード-i1w Ай бұрын
田沼時代の財政政策は「積極財政」…とはよく言われるけど、実際のところは田沼時代は享保の改革で行われた様々な緊縮政策を復活させて禁裏財政への支出削減等で、財政赤字に対応してたとこあるし「●●に予算使うより〇〇に金使え」とか「予算削減」という発想自体が「緊縮」…(ネットでよく見かける「積極財政」の言ってることは実は「緊縮」肯定なんてのも多い) 元経済官僚の「作家」の八幡氏とかが発祥の説が多いから田沼評価は難しい→中曽根政権時代の世相を無理やり定信とあてはめて批判のタネに田沼祭り上げた動きもある
@ooikuu101
@ooikuu101 11 күн бұрын
平成元年頃に、故石ノ森章太郎先生が 平賀源内視点で田沼意次の政策を描いた「解國新書」という作品があります。まだ所有していますが、版元の双葉社さん 復刻しないかな?
@Eii-1681
@Eii-1681 29 күн бұрын
老中の田沼意次の再評価万歳。文化が最高になった時代で。文化が許された時代で。お金儲けが許されていた時代で。巧い政治だぞ!!コメは古く成るので共通のお金は特に金貨は巧いぞ!!
@晃宣武田
@晃宣武田 Ай бұрын
元の昭和の角栄恋しき
@2sozainari
@2sozainari 28 күн бұрын
失脚させられても、領民から慕われ尊敬されていた時点で、利己主義者でないことが判る。
@mousouya1
@mousouya1 Ай бұрын
要するに「董卓」にさせられてしまったって話か。 「彼のせいじゃない」のに「彼のせいにさせられてしまった」という。
@ドリー-b3u
@ドリー-b3u Ай бұрын
安倍派安倍派と連呼して悪者の印象操作をする自称公共放送の図式そっくりだ。^^
@宇田和博
@宇田和博 Ай бұрын
田中角栄を失脚、葬ったことで 経済的に日本が とてつもないマイナスとなった 昔から 男の嫉妬ほど厄介な物はないね 出世する人は ここに十分気をつけ 周りに配慮 優しくしてほしいね
@asaichban9842
@asaichban9842 Ай бұрын
オイルショックに対応できず 政敵であるはずの福田に経済を丸投げした田中にはムリであったと思われる 田中はあくまでも高度成長期におけるトリックスター あの時代は財源心配せずバラまけばよかった 実際、失脚後闇将軍とは言われたが 経済政策などは皆無
@navykz7713
@navykz7713 29 күн бұрын
いくら政治の悪人でも、自公には、勝てないでしょう。
@macauktv
@macauktv Ай бұрын
これは実話なんだけど、昔田沼さんという田沼意次の子孫だという年配の社員が退職して、その後を引き継いだ社員の元にサプライヤから相談がきた。今まで通りでよろしいでしょうか、って。まぁサプライヤーも表だった告発が憚られるので意図的にそういう相談を持ちかけたわけだが、社内では「血は争えなかったか」と噂がたった。
@papatakaken3790
@papatakaken3790 Ай бұрын
徳川幕府を間接的に滅ぼしたのが豊臣秀吉。秀吉自身は貨幣経済の重要性を理解する一方で石高による「米本位制」も定めた。経済音痴だった家康は豊臣政権の「米本位制」を中心に幕府の財政基盤としたため、時代が下るにつれて財政が苦しくなってゆく。田沼意次はこの状況を打開すべく貨幣による税収をもくろんだが、松平定信によって再び「米本位制」戻されてしまう。田沼意次の失脚後は、幕府は財政面で立ちゆかなくなり、やがて経済政策に成功した薩長により滅ぼされることになる。
@undefinedgyan2073
@undefinedgyan2073 Ай бұрын
田沼意次に対して正しい認識をしていた作家さんは池波正太郎だったと思う。むしろ将軍徳川家斉の方がよほど浪費家だったと描いている。
@ウエムラユーセン
@ウエムラユーセン Ай бұрын
田沼様は今の価値感では中々評価が低いお方ですが 政治とはどの時代も大変😢
@かもめあおい
@かもめあおい Ай бұрын
庶民はいつの世でも他人の財産を気にする。しかし、職務をより高いレベルで遂行してくれるなら、そのほかの私的なことはどうでもいいはず。令和になってもマスコミによって有能な政治家や官僚が取るに足らないようなことで失脚する。故意に作られたようなものもある。いつでも庶民はこのようなものに乗っかって騒ぐだけ。自分はどれほど高潔に生きているつもりなのだろう。
@asaichban9842
@asaichban9842 Ай бұрын
低い身分から成りあがったということでは 綱吉時代の柳沢とか その次の間部とかいるんだが なぜか田沼だけは悪評で・・・ なぜなんでしょうね
@鳥山友実
@鳥山友実 Ай бұрын
朱子学が原因ですな。
@user-0615oota
@user-0615oota Ай бұрын
”池波正太郎”の史観が正しかったということか?
@達の字
@達の字 9 күн бұрын
そもそも、幕府は旗本御家人に契約金を払って仕事させているので、仕事にかかるほぼすべての費用は自腹だった。特に金の必要な奉行職などは追加の石高が数千石とかついたが、基本は与えられた石高で衣装からなにからなにまで自腹。余裕はない。そのため、誰かに「お願いしてやってもらう」には贈り物が当然で、時候の挨拶にすら贈り物が当然の社会だった。地位を上げるためだけでなく、維持するにも金が必要だった。選挙の時だけ低姿勢な、日本国の政治家とは訳が違う。ドラマでお役人はみんなやってるみたいな台詞もあるが、庶民とて「つきあい」には金か物を贈り合っていた。
@ざますなまず
@ざますなまず 25 күн бұрын
断言してもいい、仮に現代に田沼意次が政治家として存在していたなら、皆から批判されて失脚するだろう
@yuiteru5
@yuiteru5 Ай бұрын
現代の政治・行政の諸問題にも生かしていくべきですね。新しいこと・革新的なことをしようとすると足を引っ張る悪徳集団があります。何を言いたいか、常識ある方ならお分かりだと思います。
@-kanon-7660
@-kanon-7660 Ай бұрын
田沼と松平定信のどちらが正しかったってことではないと思う。 それぞれが名政治家だったんだろう。 上手くいかなきゃ為政者のせいにするのは世の常なんだろうなぁ
@あべしんご-t8k
@あべしんご-t8k Ай бұрын
詐欺に気をつけて❤
@安田悦男-g1l
@安田悦男-g1l Күн бұрын
田沼は名君と思う。世界の動きをオランダより聞き鎖国の限界を悟り、開国を考えていました、ロシアは日本近海に現れ開国を求めたり幕府による蝦夷の開拓を考えいた事を知りました。 財政を考えるとジリ貧になる事は目に見えていた為、開国し外国と貿易をして幕府を富ませ様と考えていたと思います、それが気に入らない白河殿に失脚させられたと私は思います。
@安田悦男-g1l
@安田悦男-g1l Күн бұрын
江戸幕府の最大の失敗は田沼意次を調べもしないで失脚させた事にあり、此の後の将軍や老中の無能さが続く事になります。
@ニシノフラワー0
@ニシノフラワー0 Ай бұрын
剣客商売でおぼえたから気のいいおっちゃんという印象だった。経済がわかる宰相とか官僚からみたら目の上のたん瘤すぎるけどな
@雷蔵-s8m
@雷蔵-s8m Ай бұрын
松平定信が黒幕的な悪役である大江戸捜査網があった気がします。田沼意次の重商主義政策も時代に早すぎたのではと思います。定信も私怨だけで意次を貶めたとしか思えません。
@asaichban9842
@asaichban9842 Ай бұрын
テレビドラマ・紫頭巾では 田沼が悪役で 定信は正義の味方であった 自分はそのイメージが今でもある 田沼は賄賂政治家で 当時の田中角栄と重なったものです
@zen-chan9732
@zen-chan9732 25 күн бұрын
藩は版籍奉還で大名領が 天皇に返され その代わりに公称になった 旧大名領です。 江戸時代から藩があるように 思われてますが 江戸時代の公称は領です。 藩が公称になったのは 明治時代からで 2年くらいで終了し 府県が置かれます。 これが廃藩置県です。 江戸時代の藩は 学者が勝手に言ってた程度です。 元々藩は周の皇帝が 配下の王の別称として 使ってたものです。 それを儒教学者が 日本の大名に当てはめてただけ。 なので史実的には 薩摩藩や長州藩といった 江戸300藩はありません。 藩主や藩士なども造語です。 薩摩は国名、長州は国名の別称です。 山口県を例に解説します。 国は周防、別称は防州と 長門、別称は長州。 領は毛利家が萩領、後に山口領。 防長二州のほぼ全域。 長府毛利家が長府領、後に府中領。 長州豊浦郡のほぼ全域。 徳山毛利家が下松領、後に徳山領。 防州都濃郡の一部と長州阿武郡の一部。 清末毛利家が新田領、後に清末領。 長州豊浦の一部と長州厚狭郡の一部。 岩国吉川家が岩国領。 防州玖珂郡の一部と防州大島郡の一部。 藩は毛利家が山口藩。 長府毛利家が豊浦藩。 徳山毛利家が徳山藩からの山口藩。 岩国吉川家が岩国藩です。 これらの藩が廃藩後に それぞれ県となり 4県が合併して山口県となります。
@スーパー翁-r2f
@スーパー翁-r2f Ай бұрын
今の 財務省
@toyoki2002
@toyoki2002 Ай бұрын
似たことを紀元前に実施した始皇帝ってバケモノだな
@永井裕史
@永井裕史 Ай бұрын
その訛りはどこのヒト?
@tohwmsa8843
@tohwmsa8843 Ай бұрын
吉宗の改革で、現代風にいう ”日本の東西のロジスティック" が改善され、田沼意次の軽工業を中心にした経済が回っていれば日本は世界的にも最も早く産業革命のような状態に突入できたのかなぁ~と考えています。(この辺の動きは、動画でも解説があった「寛政の改革(いろいろ分かってくるとカッコ嗤レベル)」で著しく阻害されたようです。そのあたりは現在の財務省の日本衰退を誘発するような財政政策と似たような共通底層を感じるものです)
@straker1701
@straker1701 Ай бұрын
田沼は経済改革をしようとしたが既存勢力に潰されたと聞いた。
@ooamisannmu7690
@ooamisannmu7690 Ай бұрын
紫頭巾と隠密剣士が?
@狩野高朝
@狩野高朝 Ай бұрын
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@健二山田-e4n
@健二山田-e4n 26 күн бұрын
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