武田家を裏切った小山田信茂は本当に卑怯者だったのか?隠された深い理由とは?

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Introduce Japan's "Sengoku period" history carefully

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4 жыл бұрын

武田家を裏切った小山田信茂は本当に卑怯者だったのか?隠された深い理由とは?について紹介しています。
~目次~
■若年で小山田家を継いだ信茂
■数多の戦陣を駆け抜ける信茂
■長篠の戦い~崩壊の序曲~
■武田家滅亡!その時、信茂は?
■小山田信茂裏切りの真相とは?
■まとめ
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Пікірлер: 351
@user-mv7zn3yc2c
@user-mv7zn3yc2c 2 жыл бұрын
真田丸でのぬっくんのヘタレぶりの演技はなかなか良かった。
@dxspex2292
@dxspex2292 2 жыл бұрын
「内応」と土壇場での「寝返り」は全く意味合いが違うと思う
@user-dr6fy8fi9p
@user-dr6fy8fi9p 2 жыл бұрын
小山田信茂の裏切りは、穴山や木曽の寝返りとは、全く意味が違う。 小山田氏は甲斐国人衆筆頭として、甲斐守護の武田氏から、特別な待遇及び配慮を代々受けている。 これはいざという時のためであり、御恩と奉公は、乱世であろうが泰平であろうが、武家の本文だ。 小山田信茂は、フリーハンドだったわけでは無い。 この契約を一方的に反故にして、武田勝頼を見捨てた小山田信茂を放置しては、武士として敵味方問わず周りに示しが付かない。 国人衆の扱いは、戦国大名最大の悩みで有り、小山田信茂の行動はあまりにも都合が良すぎる。 織田信長は織田氏の中でも成り上がりだからこそ、この手の問題には異常に神経質だった。 小山田信茂は、高を括ってたのが、モロにでてしまったのだ。
@twelvetwelve7874
@twelvetwelve7874 4 жыл бұрын
真田丸だとザ・卑怯者みたいな役でしたよね...
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
真田が忠臣扱いってのも、どうなのよ。景虎方の沼田を火事場泥棒したから北条がキレて同盟が反古になったんでしょう。それじゃ忠臣どころか滅亡のA級戦犯だよ。
@twelvetwelve7874
@twelvetwelve7874 3 жыл бұрын
@@user-dv2lt8gb5d そうですね。悪いところは少なからずあるのにそれを全て排除して完全に美化するのはどうかと思います。大体の人達はその悪いところを“表裏比興の者”だからと言って許容しますがね。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
そんな事だから勝頼は岩殿に行く事にしたんだよ。多分皆が思ったんじゃない!?あいつ絶対裏切る気だろ、って。どっちに行くべきかじゃなく、どっちに行ったら、体裁の整った死にかたが出来るか。謀殺されたら、御家再考なんか出来るわけ無いからね。
@user-my9tr2ln3k
@user-my9tr2ln3k 3 жыл бұрын
織田からしたら、この時期に裏切ってもメリットはないし、主君を裏切るのだからこうなるよな。上手く最後まで武田に従う忠臣のふりでも出来れば、たとえ死んでも子孫は取り立てられて生かされただろうな。降参の仕方が下手すぎる
@pontarou01
@pontarou01 2 жыл бұрын
実際に、勝頼を最後まで守った土屋の子孫は家康によって栄えたし。
@user-cw6js1zv4l
@user-cw6js1zv4l 2 жыл бұрын
​@@pontarou01 さんそうなんだぁ~ 考えたら最後まで忠節を尽くす者しか、自分の部下にしたくないよねぇ~
@pontarou01
@pontarou01 2 жыл бұрын
@@user-cw6js1zv4l さん シーザーも、ビスマルクも、 寝返りは嬉しいけど、裏切り者は嫌いだと言ってますね。
@user-cw6js1zv4l
@user-cw6js1zv4l Жыл бұрын
@@pontarou01 さんへ武田氏滅亡(平山優著)という本を読んで少し分かりました~家康の召し出しを受け家臣となり、後に秀忠の小姓として仕え(忠)の偏諱を与えられ忠直と名乗り慶長7(1602)二万石で久留里藩主になったのですね~🐞
@daichi246
@daichi246 2 жыл бұрын
残された資料から推察するしかなく、確かに当時の事情を汲むと同情すべき点もあるのかと思いますが…結果だけ見ますと、末代までの恥というのは本当にあるのだなと、自らの襟も正したくなりますね😢
@user-ct1zg6bh8n
@user-ct1zg6bh8n 4 жыл бұрын
勝頼の選択を批判等出来るはずもないけど、それでもやっぱり唯一の味方上杉景勝の元へ逃げ込む為にも、真田昌幸の岩櫃城へ行くべきだったな。 なんとか自らの家名と領地を守ろうとした小山田信茂だったけど、結局は一家全員処刑。世の中上手くいかないもんだ…
@nao-kf3xz
@nao-kf3xz 4 жыл бұрын
木元西 その後はご存知の通り、間も無く織田親子も消え、やりたい放題やった森長可も消え...果てない戦国ですわ
@a.tanigoooo1008
@a.tanigoooo1008 4 жыл бұрын
逆に、勝頼を招き入れなかったが為に、安房守は生き延びたのかもしれないね。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
どうかな。武田家滅亡の動き方の巧みさから考えても、しっかりと周辺国と内通していたと思う。多分謀殺された可能性が高い。その首を信長に献上するだろうなぁ。そんな感じがする。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
いや、岩殿でよかったと思うよ。もう勝頼は天目山で自害することで心が定まっていたと思うから。それと引き換えに信勝を匿って貰うつもりだったと思うよ。それが亡き信玄への、信勝への親孝行になると思っていたと思う。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
@用顔 何かご不満ですか⁉️
@th-eq9wp
@th-eq9wp 3 жыл бұрын
最後の最後で寝返るのはどうしたってイメージ悪くなる
@user-sz7sr6ig7p
@user-sz7sr6ig7p 4 жыл бұрын
良い動画ありがとう。
@rosan6179
@rosan6179 4 жыл бұрын
同じ裏切り者でも穴山信君は狡猾で、小山田信茂は小心者のイメージがある 二人とも悲惨な最期だったが、早くから内応していた穴山は信長から許されているので、小山田はどうしても決断が遅い優柔不断な武将にしか見えない
@user-xm3he3cr6l
@user-xm3he3cr6l Жыл бұрын
織田の計略で寝返りをした穴山と、最後の最後で主君を裏切った信茂では、信忠の印象がまったく違うでしょうね……
@-msc
@-msc 3 жыл бұрын
裏切るタイミングと相手の問題だね。小山田の領地は北条に近いんだから木曽が離反するか高遠城が落城した段階ですぐ 北条に使者を送って北条の兵を甲斐に引き入れるから傘下にしてくれとか信忠か家康に使者を送って勝頼から離反すれば、 ワンチャン生き残れたと思うよ。あまりにも裏切るタイミングが遅すぎて北条にとっても家康にとっても、ましてや信忠に とっても何の利益ももたらさないんだもの。「見苦しい裏切り者の最後はこうだぞ」って見せしめくらいしか信忠にとって 役に立たないんだから、まあしょうがないね。
@user-yu6ok8gf5b
@user-yu6ok8gf5b 3 жыл бұрын
それか穴山と連絡とりあって穴山が徳川に寝返った時に一緒に寝返るとか……
@Fahrenheit76
@Fahrenheit76 2 жыл бұрын
@@user-yu6ok8gf5b 確か穴山も武田の存命を願って調略していた。せめて織田に調略して、降伏するから勝頼を生かすように試みるとかがあったらまだ主君への忠誠のために一生懸命だったと思われるが、主君が苦しんでるときに見捨てて、我が身だけの保身に走るような卑怯者への同情の余地はない。まして最近武田に仕え始めたわけでもないのに、武田が強かったころから武田に従い、武田が苦難にあるときにそれを裏切るというのはただの恥知らずでしかない。織田からすればそんな薄っぺらな忠誠心の武士に生かしてやる価値はない。
@user-cw6js1zv4l
@user-cw6js1zv4l Жыл бұрын
@@Fahrenheit76 さんへ梅雪は武田の存命を願ってたんだぁ〜
@kurita1201
@kurita1201 2 жыл бұрын
高校3年生の3学期 温水洋一演じる小山田信茂が 首を斬られる寸前のシーンが印象に残ってます。
@user-mv7zn3yc2c
@user-mv7zn3yc2c 2 жыл бұрын
冷酷に小山田信茂の首をはねた滝川一益を演じた段田安則の演技も良かった。
@kurita1201
@kurita1201 2 жыл бұрын
@@user-mv7zn3yc2c 真田丸から20年前の秀吉でも滝川一益を演じてます。
@user-qq1ds8ly9w
@user-qq1ds8ly9w 4 жыл бұрын
小山田氏の居城だった岩殿城に行って見て下さい 稚児落としと言われる鎖場とか悲しい伝説がありますがスリル満点で面白いですよ
@user-ed7wk6gm6o
@user-ed7wk6gm6o 3 жыл бұрын
武田家親族衆でありながら裏切った穴山梅雪・小山田信茂・木曽義昌は裏切り者「不忠の臣」
@dxspex2292
@dxspex2292 4 жыл бұрын
大丈夫、穴山も木曽も評価は散々だからw
@user-mo5bt1ru4t
@user-mo5bt1ru4t 2 жыл бұрын
いいねしたやつ何を歴史を見ているのか
@user-gr3zv1sy4y
@user-gr3zv1sy4y 2 жыл бұрын
穴山梅雪と木曽義昌は信玄公の娘婿だったりして血縁的にも武田の身内でありそれぞれ対織田、対徳川として西と南の要所を任されていながら自らの意志で織田徳川と通じた彼らは小山田信茂より叩かれても文句は言えない、
@user-ql8ct9zj4w
@user-ql8ct9zj4w 2 жыл бұрын
根回しで帰服した木曽、穴山と、進退窮まって主君を見殺しにした信茂では、敵側の対応は明らかに違いますよ(笑) 関が原でも同様です。 戦場の情勢を見て根回し無く裏切った赤座、小川などは功を賞せられる事も無く、お家取潰しの憂目に遭ってますから
@alexale4074
@alexale4074 Жыл бұрын
老兵は死なずただ去るのみを実践したのか 小説では正満は散ってしまいました 残念でした
@user-cm2vl2im2g
@user-cm2vl2im2g 7 ай бұрын
確かに。穴山家はその後、滅んだし、木曽氏も息子の代に改易されたのでは?いずれにしても、ろくな目にあってはいない。
@se7499
@se7499 4 жыл бұрын
岩殿山付近の駒飼で勝頼一行は一旦待機して信茂の迎え待ったが、一向として迎えがなく使者を信茂に遣わせたところ予め築いた柵から鉄砲を放ってきたというあたり、もしそのまま勝頼が迎えを待たず急行したなら。。と考えると。 信茂の進退自体の評価は別として、鉄砲を用意し放った動きは解釈の余地にも些か限りがあるかなあ。と個人的には思えてしまうなあ。
@CX-EURO400
@CX-EURO400 Жыл бұрын
小山田にしても穴山にしても、ずっと武田家と対立していたのが、信虎の時代になって和睦した後に武田家が嫁を出してなんとか取り込んだというくらいの薄い縁でありながら、家中で一族扱いされて上席が与えられたため、いざとなると宗家を守り立てるより自立を指向するようになったのでしょう。 その点、真田家は家臣としての位置付けのままだったことと、武田家 当主を引き取ることで周辺の豪族より一段高い立場に立つことができるという目論見もあったように思います。
@user-me4td6hp3s
@user-me4td6hp3s 3 жыл бұрын
裏切ったからこそ、有名になったとも言える。
@pontarou01
@pontarou01 3 жыл бұрын
小山田領に逃げ込む時に、勝頼は色々と物資や兵力を出すように指示したんで、それ見てもうやってらんねーって思ったのかも。
@nao-kf3xz
@nao-kf3xz 4 жыл бұрын
信茂のみかたが深まりました。それにしても、昌幸の慧眼。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
慧眼と言うか、無節操と言うか。恥もへったくれも無いと言うか。
@深海魚-o1i
@深海魚-o1i 3 жыл бұрын
俺の城へ籠れと言って、恩を売る気満々。下手したら武頼の首切って織田への手土産にする算段かも知れず、真田の進言にはとても乗れない。
@user-cw6js1zv4l
@user-cw6js1zv4l 2 жыл бұрын
​@@深海魚-o1i 武頼?
@miyakoshim.4443
@miyakoshim.4443 Жыл бұрын
信長の横死と、その後の混乱を見越していたとすれば慧眼ですね 天正壬午の乱で織田、上杉、北条、徳川など主君を変えましたが、累代の主君が滅んでしまった小領主としては、生き残りのための当然の行動です 勝頼を岩櫃に迎えた状態では、その後の表裏比興と呼ばれた行動は始まっていないので、裏切る可能性もありますが、実際に岩櫃という天険に依って勝頼を守り通して、情勢の変化を待った可能性が高いでしょう
@ice414
@ice414 Жыл бұрын
おいおい、松永久秀や斎藤道三、石田三成と小山田信茂を一緒にするな。 確かに国人衆の連合体が武田家を構成していたのは確かだが、反目するのが遅すぎるよ。 木曽義昌や穴山梅雪みたいに織田・武田から勧誘されてた訳でもないし。
@shirow5
@shirow5 4 жыл бұрын
「真田丸」では岩殿城入城を進言したのは信茂自身になってましたね。こういう重要な史実はねじ曲げてもらいたくないものです。
@深海魚-o1i
@深海魚-o1i 3 жыл бұрын
自ら岩殿城に籠ってはと進言しておいて、隘路の木戸を閉じ鉄砲隊で追い返すなんて。各地転戦して先陣切ってた勇将が、あり得ない。
@soba_soba_soba
@soba_soba_soba 3 жыл бұрын
所詮、ドラマ。
@深海魚-o1i
@深海魚-o1i 3 жыл бұрын
@@soba_soba_soba さん、まったくその通りなんですけど。 「それを言っちゃあ、おしまいよ」by 寅さん、とも思っちゃうんです。
@soba_soba_soba
@soba_soba_soba 3 жыл бұрын
@@深海魚-o1i まぁ、司馬遼太郎の歴史小説を、史実だと勘違いしている方もいます。 私は基本、商業メディアに載るものは、フィクションだと、思っています。
@arminiusherman4783
@arminiusherman4783 3 жыл бұрын
@@深海魚-o1i 誰が進言したの?
@user-pd7vy9tu7u
@user-pd7vy9tu7u 4 жыл бұрын
私の地元、町田市小山田は甲斐小山田氏とゆかりがあり、鎌倉時代まで遡るそうです。なので、勝手に親近感を持っています!! 当時はそれぞれ、自身のお家存続のため、致し方なかったのでしょう。。
@kzbangkok7596
@kzbangkok7596 4 жыл бұрын
小山田一門は坂東平氏の一族で甲斐源氏直流の武田とは同盟を結んでいた国人。武蔵から富士構の参道を支配し経済的にも強い力を持ってたからね。
@user-bl9zl6pe4i
@user-bl9zl6pe4i 3 жыл бұрын
小山田氏を現町田市から追いやったのは江戸城を築城したでお馴染みの太田道灌。他にもゆかりの伝説が伝わってたり八王子に出れば北条氏照、淵野辺あたりには北条氏政の右腕板部岡江雪斎の所領があったりと、ニュータウンだけど意外に面白い歴史がたくさんありますよ。
@user-gj2lx7mx9d
@user-gj2lx7mx9d 8 ай бұрын
信茂だけ裏切り者ってレッテル貼られるのはおかしいというか、裏切りすらまともに出来なかった意味でレッテル貼られそう。結局信長に処刑された事が無くならない限り評価変わらない気がする
@user-py9ou5kr5c
@user-py9ou5kr5c 4 жыл бұрын
明石全澄お願いします!
@user-rv8yg5fw3l
@user-rv8yg5fw3l Жыл бұрын
一般的には小山田も木曽も武田を裏切ったには変りないが、武田ファンからは穴山が1番嫌われているのは一門集というところが大きいのだろう。
@ktro9771
@ktro9771 4 жыл бұрын
一族親類 って戦国時代では厄介な存在だよね それより武田勝頼にとって、高坂弾正が病死したのが痛いよね 弾正が生きてればなぁ・・・
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
どうかねぇ。その御親類衆たちで戦ったのが仁科盛信だけでは‥‥弾正が生きていたとしても、滅亡が防げたとは思えない。
@ju6522
@ju6522 2 жыл бұрын
高坂はうえすぎ
@ju6522
@ju6522 2 жыл бұрын
失礼。高坂は信玄から川中島の上杉の抑えを命じられてたから、武田中央の改革を支える気は無かったでしょ。
@user-ws5ow3ug8j
@user-ws5ow3ug8j 4 жыл бұрын
まぁ……家臣と言うより武田家は完全に国人領主の集合体だったからね。長篠の合戦も長篠城を押さえられて挟まれてる状態だったから前に出るしかなかったのが今の通説だから。勝頼の慢心が1番の問題って言われるけど国人の集合体だったからこそ版図を広げて褒美をやらないと誰も付いてこないし……信玄程のカリスマもないし……1番の原因は世継ぎをしっかり決めず世継ぎの為にしっかり準備しなかった信玄が武田家滅亡の原因だと思う。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
しかも息子に後を継がせる為の陣代扱い。それに愚直に応える勝頼。もう少し信玄が勝頼の気持ちを考えていたらと思うのは、俺だけか!?
@corjioono7463
@corjioono7463 3 жыл бұрын
しかも既に信玄時代に約束やぶりまくりに同盟破棄とかやらかして信頼失ってるし、長男義信粛清で団結ヒビ入ってるし、同盟破棄で織田信長怒ってるし
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
@@corjioono7463 まさに袋小路、 四面楚歌の状態。しかも陣代 なので野戦指揮権しかない 状態だったので、どうにもなりようがない。
@user-ws3gs8zu9g
@user-ws3gs8zu9g 3 жыл бұрын
勝頼は、諏訪家に出した子だから信玄自身も家臣達も世継ぎとみてなかったんでしょうね。 義信が死んでからちゃんと世継ぎを改めなかったことに問題があるんだと思います。
@user-xd4uf9gh6s
@user-xd4uf9gh6s 3 жыл бұрын
しかも躑躅ヶ崎館なんて守備に不向きな館しか置いてないから 勝頼が新府城造らなきゃいけねーしw
@mkat2087
@mkat2087 2 жыл бұрын
やはりおすすめは新田次郎の「武田勝頼」ですね。
@monaka104
@monaka104 Жыл бұрын
どんな理由があったにしろ、小山田は同時代の武士達から卑怯者裏切り者と みなされたわけで、彼もそのことは当然自覚していたはずです。 彼の評価は卑怯者として後世までその評価は変わらないでしょうね。 彼もそれを受け入れると思いますよ。同じような推定される理由があったと しても断固戦い裏切らずに最後まで勝頼に付き従った武士達と比較すれば 彼の評価を変えることは、付き従った武士達を侮辱することです。
@hieton32
@hieton32 2 жыл бұрын
木曽はちとアレやが、そもそも小山田も穴山も、、、独立した豪族 今の価値観やとアレだな、、、 とはいえ、小山田だけ粛清されたのは事実 頭領として判断出来るだけの器量は無かったんちゃうかなぁ 中間なら活きるタイプ
@user-tv1ue7ly3l
@user-tv1ue7ly3l Жыл бұрын
私は山梨の郡内地区に生まれ育った者です。そう、信茂の地元ですね。確かに幼いころから「小山田信茂は裏切り者だ。」と聞かされて育ちましたが、いつのころからか「信茂は自分の首と引き換えに郡内地区が戦火にまみえるのを防いだ功労者だ。」という意見も現れはじめました。戦国の世の当時の信茂の真の狙いは、今となっては想像するしかありませんが、結果論としては、自分の首とひきかえに、この郡内地区を戦火から守ったことになります。まぁ、いろいろな意見がありましょうが、私は信茂に対し、「この郡内を守って下さってありがとうございました。」と手を合わせて感謝している次第です。
@user-sr8fy3bw2f
@user-sr8fy3bw2f Жыл бұрын
1.25か1.5倍速がちょうどいいな
@user-ph8td4ut3e
@user-ph8td4ut3e 2 жыл бұрын
色々と取り方はあると思いますが、寝返るにしてもタイミングというものがあるのでしょう。最後の最後、自らの手を汚すことまではできずに、木戸を閉めるという中途半端な妨害をして主君の寿命を縮めた小山田はどの時代でも潔しとはされないでしょうね。
@user-zs8fr2sc2l
@user-zs8fr2sc2l 4 жыл бұрын
武田勝頼を裏切ったのは小山田だけではない。ただ投降を許されず首を跳ねられる時は「こんな事なら戦って死んだ方が良かった」と思ったのでは
@user-bm1sf6wi1t
@user-bm1sf6wi1t 4 жыл бұрын
もともと、小領主の連合体だったのが武田家。 それに、信繁と勝頼の関係も見るべき。 実際、勝頼の行動は武将としては結構優秀だったけど為政者としては非常にまずかった。 特に、租税面では重臣からの反発もあったしそのやっかみもあったかもしれない。 まあ、最後に反意したせいもあるだろうけどね。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
開き直ってたんじゃない!?生きれるならそれでいい、死ぬ事になりゃ仕方ない、って感じで。
@pontarou01
@pontarou01 2 жыл бұрын
信茂は槍をお尻から突っ込まれたそうです
@user-zu6tc9mb7s
@user-zu6tc9mb7s 2 жыл бұрын
もし語られる話しが真実としたら例として事前に相手と話をつけておく吉川広家が内応。当日の土壇場で寝返る小早川秀秋が裏切り。彼は寝返るのが遅過ぎた…
@user-wn8rb4jc6b
@user-wn8rb4jc6b 2 жыл бұрын
小山田氏は関東八平氏の分家だから、源氏の古流たる武田氏を裏切っても何ら不思議ではない。
@user-ds6gd1dn2v
@user-ds6gd1dn2v 4 жыл бұрын
木曽義昌や穴山信君は織田・徳川へ事前通告していたので、武田家滅亡後も生き残ったが、小山田信茂は土壇場での裏切りだったから、信長も彼を処刑してしまった。戦国の世でも裏切るには事前通告が必要なのである。土壇場での裏切りは「鍔下の返り忠」と言って、主君たちはこの手の裏切りを嫌っていた。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
あのねぇ。そんな事当たり前でしょうが!誰が勝手に寝返りしていけしゃあしゃあと白々しく本領安堵をお願いしますなんて奴を優遇せにゃならんの!?家臣からして見ればたまったもんじゃないよ。
@user-yu6ok8gf5b
@user-yu6ok8gf5b 3 жыл бұрын
事前通告というか木曾と穴山は織田と徳川に寝返るように調略されてたからね
@user-be7gf9rv2f
@user-be7gf9rv2f 4 жыл бұрын
そもそも、穴山、小山田は武田と対等な関係に近かったそうなので裏切りと言い切れないのではと思う。 武田信勝も小山田領を他国と呼んでるし。 にもかかわらずギリギリまで裏切らなかったのだからむしろ立派だと思う。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
信勝がこんな事言ってる時点でアウトだよね。誰が当主になったって滅亡するよ。
@umakara55
@umakara55 2 жыл бұрын
まあ「裏切りの経緯が悪い」というのは表向きの理由で(処刑の良い口実にはなったけど)、実際はさほど利用価値がなかったのだろう。 交通の要衝である木曽谷を古くから押さえてきた木曽氏、武田の大きな財源であった金山の管理を司る穴山氏に比べると、小山田氏と谷村城の重要性は低い。
@chanyou9841
@chanyou9841 2 жыл бұрын
ここにでてる小山田、穴山、木曾以上にやばい大悪人とか言われてる宇喜多、松永、斎藤という方たちがいらっしゃってですね…まあ、まだましな方ですよ()
@user-vp5zq5hm4h
@user-vp5zq5hm4h 2 жыл бұрын
寝返るのが遅すぎた。なんでもっと早く寝返らなかったのだろう。むしろそこが知りたい。
@user-zw3rd5dt5k
@user-zw3rd5dt5k 4 жыл бұрын
ほぼ地元ですが、地元民は世間の評価をなんとか変えようと頑張ったます✋
@user-uy1sk3vh2e
@user-uy1sk3vh2e 4 жыл бұрын
穴山信君も名誉回復運動有るのですか?
@user-zw3rd5dt5k
@user-zw3rd5dt5k 4 жыл бұрын
@@user-uy1sk3vh2e さん 自分が知る限りはないですね。ただ城主だった江尻城は実はすごかったんじゃないかっていうのは聞きました。(穴山の改修のおかげで。)
@rururu4054
@rururu4054 4 жыл бұрын
いや、無理でしょw 裏切り者・卑怯者というとこの人と震災時の東電S社長の二人の名前が真っ先に頭に浮かぶ
@monoris2008
@monoris2008 4 жыл бұрын
裏切ったのに滅ぼされちゃダメだね
@user-ew1bc6iw3t
@user-ew1bc6iw3t 3 жыл бұрын
知りました。
@TIME273
@TIME273 4 жыл бұрын
小山田信茂は長篠合戦で将兵の半数を失う大損害を受けていますし、武田一門衆が早々に戦場を離脱する姿を見て、考えるところがあったんじゃないでしょうか。 それでも武田氏に従っていたのは、亡き信玄に心服していたからでしょうね
@user-py8jv1zg3w
@user-py8jv1zg3w 2 жыл бұрын
小山田信茂は、長篠に参戦していません。
@kirinaayato
@kirinaayato 2 жыл бұрын
甲州征伐の実質的な総司令官だった織田信忠は、小山田信茂の降伏を許さず、すぐに処刑した。 これは、信長の指示によるものかなのか? 信忠自身の判断なのか? かなり気になる論点。
@user-il4oc6nm6w
@user-il4oc6nm6w 2 жыл бұрын
穴山は徳川に調略されて木曽は小谷調略され寝返った。 小山田も織田に降るのではなくて北条を頼ったらまた流れは変わったのかも。
@user-nr9up4vj7q
@user-nr9up4vj7q Жыл бұрын
武田と北条は断絶状態だったのでそれは不可能です。
@user-nr8sx3ph2g
@user-nr8sx3ph2g 2 жыл бұрын
一度の失敗でたやすく評価が落ちる良い例でしょう。追い詰められたとき人間性が出るってことですかね。それまでは武田家の有力者でエリート、何もかも最後の失敗で無効と言っていい。勝頼は大敗を喫するまで連戦連勝、昔と評価は変わりつつありますが、おそらく小山田信茂は無理でしょう。大きな責任のある立場でありながらとそれを裏切った事実と、さらに一族が滅されたことで回復 ・挽回する手立てがない。織田方も裏切った人間を何人か徴用してる事を考えると、信茂の処刑は、彼に問題があった可能性が高い。可哀想だが仕方ないね。
@user-dn4sf9du2c
@user-dn4sf9du2c 3 жыл бұрын
まぁ小山田には勝頼公に対する義理は無かったということにつきる。
@softeasy9464
@softeasy9464 4 жыл бұрын
裏切り、寝返り、主家の渡り歩きは戦国の世なので、それ自体にどうこうはないですが、 信茂のイメージの悪さは、勝頼万事休すの土壇場で寝返ったその振る舞いと、 寝返り行為が実を結ばず処刑されてしまったことによる、計画性の無さ展望の無さなんだと思います。 よく家臣ではなかったとか、守るべき領民がいたから仕方ないとかって意見を聞きますが、 残念ながら言い訳に終始してしまうのかなと思います。 家臣ではなくて対等な盟友だったら、土壇場に寝返られても仕方ないって思える道理はよくわかりません。 守るべき領民がいたのは信茂に限らないのは当然の事で、 むしろ寝返り先に事前に約定していた木曽や穴山の方がよほど自身の力で自国の領民を守ろうとしたと言えます。 どうかすると信長に騙し討ちされたってのも聞きますが、 土壇場で勝手に寝返った者をどうするかは寝返り先の勝手で、 自軍や事前に寝返りの約束をした者の褒賞を無くしてまで助ける義理も価値も織田家側にはなかったのでしょう。 木曽や穴山の寝返りに関してはその後を保証しているので、信茂も事前に寝返りの連絡をとっていたのに騙されたということも考えづらいでしょう。 動画内の勝頼を殺そうとしなかったから云々も、 この状況で直接手を下すか下さないかの差に大した違いはありません。 それまでの功績から無能だ愚将だなんて事は絶対にないでしょうけど、 土壇場で寝返ろうした事のイメージの悪さは拭えないし、更に処刑されてしまった点は晩節の汚れとして否定できないのかなと・・・ 恐るべしは、包囲網と寝返りの連鎖の破壊力ですね。
@user-ov3ol3cm2i
@user-ov3ol3cm2i 4 жыл бұрын
Soft Easy 密約を結んでいれば良かったね
@user-tq1zw8by2p
@user-tq1zw8by2p 4 жыл бұрын
Soft Easy さんの仰る通りだと思います。 裏切りの連鎖は信玄が他国を切り取る時に用いた手段。それを勝頼の時にそのまま返されただけです。 結局はイケイケの時は強い物になびき、落ち目になったら見捨てる、所詮武田家家臣団はその程度の人材しかいなかったのです。
@softeasy9464
@softeasy9464 4 жыл бұрын
自分のコメントへの補足です。 土壇場の寝返りとその失敗を指摘しましたが、 甲州征伐自体が約一ヶ月で終わるという急展開だったことから、 状況変化に対応できなかった事自体で信茂を責めようとも思わず、 寝返り行為自体も失敗したとはいえ、そういう手段は取り得るもので、 そもそも信茂本人の所業自体に良し悪しを思うことはありません。 ただ、信茂は寝返りはしてないとか、信茂にだけ理由があったとか、 信長は残酷だからという決め打ちありきで信茂はいわれもなく処刑されたとかって、 よくわからない評価のひっくり返し方が嫌だなと思ってます。 某歴史研究家の光秀再評価方法もそうですが、 評価対象を急に正義感がある優しくて領民思いの人に仕立て上げて、 権力者に対して一般民衆が持つ反感感情を利用するように、 信長、秀吉の評価を不要に陥す手法に気持ち悪さを感じます。 ※念のためですが、動画作成者への批判じゃなくて、昨今の一部の歴史再評価方法への思いです。 動画はいつも楽しみに見ています。
@user-gc8ct6ue5f
@user-gc8ct6ue5f 4 жыл бұрын
あさま神社じゃ無くてせんげん神社。
@isawisaw655
@isawisaw655 4 жыл бұрын
あながち間違いではありません。 神社の内部の人は「せんげん」 外部の人は「あさま」 と呼んでいます。 この呼び方の使い分けは、大体どこの神社でもあったかと記憶しています。
@user-gc8ct6ue5f
@user-gc8ct6ue5f 4 жыл бұрын
Isaw Isaw ありがとうございます。
@user-xd4uf9gh6s
@user-xd4uf9gh6s 3 жыл бұрын
陶晴賢も豊臣秀頼も小早川秀秋も今川義元も今川氏真も斉藤龍興も その他もろもろの武将さんたちも たくさん不当な評価を受けてますね
@kumosukeponsuke
@kumosukeponsuke 3 жыл бұрын
勝頼の評価がだいぶ変わってる昨今だから、小山田の評価も少しずつ変わっていくんだろうかな。 歴史の見方が多様的になってきて、一律に断定しない流れが出てきてるからね。 その評価の流れが興味ある。
@user-zr6go7gu5u
@user-zr6go7gu5u 3 жыл бұрын
温水さんが真田丸で演じてたが…。
@Hiko.Japanesehistory
@Hiko.Japanesehistory 4 жыл бұрын
末期武田家最強の武将が信茂なんだよなぁ… 信茂と昌幸は武田の双璧(どっちも裏切るけど)
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
本当に‥‥勝頼のせいで武田家が滅亡したとか言う奴は何を言うかって言いたいよ。
@user-fl7ug2ht5y
@user-fl7ug2ht5y 3 жыл бұрын
昌幸は織田に降伏していませんが 新田次郎の小説では進言し裏切ったが追い払う程度になってます。
@arminiusherman4783
@arminiusherman4783 3 жыл бұрын
昌幸は 勝頼が 自刃したとされるまで 裏切ってませんよ? あんな裏切り3人州と 一緒にシナイでくれ
@Hiko.Japanesehistory
@Hiko.Japanesehistory 3 жыл бұрын
@@arminiusherman4783 勝頼が死ぬ前から北条と連絡を取り合っていた書状が残っています。 これ勝頼にバレたら弁明できないんですよね、保険をかけてただけって解釈もありますが、岩櫃に本当に来てたらどうなってたか分からないのけど信茂や梅雪と同じ行動を取ると思いますよ。同じ立場と時代の二人がそうしたので
@Hiko.Japanesehistory
@Hiko.Japanesehistory 3 жыл бұрын
@用顔 「真田昌幸 北条」って調べたら資料出てきます。
@user-ql8ct9zj4w
@user-ql8ct9zj4w 3 жыл бұрын
石田三成は司馬史観で半世紀近く前には『義の人』とイメージが改められ、加藤剛演じる『関ヶ原』で世間にも広く『義の人』のイメージが浸透してますけどね。 実際『歴女』の好きな武将ランキングでも、常に上位にランキングされているはずですよ。
@TN..
@TN.. 2 жыл бұрын
でも裏を返せば、小説やドラマ、映画の脚本という史実に基づいたフィクションによって確立されたイメージだから実際はどうであったかというのはまた別物になりそうですね。
@user-mv7zn3yc2c
@user-mv7zn3yc2c 2 жыл бұрын
独眼竜政宗での奥田瑛二が演じた三成は秀次を死に追いつめるなどかなりヒール色が強くて憎らしかった。
@user-yq2we8st2d
@user-yq2we8st2d 2 жыл бұрын
大月の岩殿山城、 下から歩いて登りましたが、ハード
@user-cw6js1zv4l
@user-cw6js1zv4l Жыл бұрын
そうだねぇ〜 結構大変ですよねぇ〜🐞
@user-vl2po1lh9u
@user-vl2po1lh9u 4 жыл бұрын
戦国時代、卑怯も秘境もへったくれも無い時代、ただ後半になると、とは言っても厳しい面も有り得るんです
@user-im4ln4yo1l
@user-im4ln4yo1l 3 жыл бұрын
秘境だらけだったかと思いつつも、都市化と過疎化は、ある意味セットなので現在の方が秘境だらけなのかも知れませんね。 って何言ってんだろ、ワイ。
@toshichika720
@toshichika720 Жыл бұрын
小山田信茂かっこいい勇猛👍👍
@user-kn1gp5bw8u
@user-kn1gp5bw8u 2 жыл бұрын
町田市に小山田地区があります
@atago7603
@atago7603 4 жыл бұрын
山梨だと小山田・穴山・木曽は・・イマイチですね・・
@zunbero8070
@zunbero8070 4 жыл бұрын
木曽は信濃では?
@user-ow2ey1oe1k
@user-ow2ey1oe1k 3 жыл бұрын
木曽は同じ源氏由来の家系で甲斐源氏との繋がりが強く、甲斐武田氏の支配(親類家臣)として存在していました。なので、山梨では評価が…ということなのでは。
@hiroshim9441
@hiroshim9441 3 жыл бұрын
裏切り者、卑怯者のレッテルと言われても、事実だから仕方ないよね。 主君を見限った上に処刑されたのだから、判断力の低さ故に評価が下がってしまうのも当然なのでは? 信玄の頃の信茂の活躍はそれはそれで評価されているのだし、現代の彼への評価は妥当だと思いますね。 武田がイケイケの時は、彼も才能を存分に発揮して優秀な武将だったが、主家滅亡時の振る舞いは武士にあらざるもの。端的に言えばこんな評価だよね。
@maniamm6656
@maniamm6656 4 жыл бұрын
概ね同意なのですが、「まとめ」に違和感があります。 動画の流れ的に”信茂は幼少から武田家に仕えた勇将であり、人生そのものであったため、武田家を見限る決断がしづらい事情があったのではないか。とは言え、小山田家の存続を図る必要があり、遅れて織田方へ寝返るも、既に時期を逸してしまっていたと考えられるのではないか。忠義とお家存続の狭間で苦しみ、最後の判断で誤ってしまった悲劇の武将であったのかもしれない。”ではないでしょうか。 後世に散々な評価を受けているのは信茂だけではありません(=だから良いのですか?) また江戸時代以降の評価を「不当」としてしまうのも言い過ぎな気がします。(正しいとも思いませんが) 卑怯者かどうかはともかく裏切ったのは事実であり、裏切るにしてもその「タイミングの問題」であったのではないですか。 じ後の織田方からの処遇を見れば当時であっても適切ではない判断だったのではないでしょうか。 と思いました。 いつも楽しい動画ありがとうございます。
@takashi-aoki
@takashi-aoki 2 жыл бұрын
小山田氏の居城の岩殿城は事実上北条氏との国境。小山田氏が裏切って北条氏に寝返ったら笹子峠あたりまで織田家の支配域が大きく後退してしまう。ここで改易みたいな秀吉的なことができなかったのが、織田信長、信忠の限界で、本能寺につながったと思う。
@user-ce3wm8nh7q
@user-ce3wm8nh7q 3 жыл бұрын
信長は弟や家臣に裏切られた経験が有るぶん例え敵将とは言え勝頼を裏切った小山田をどうしても許せなかったのではないだろうか
@user-xf7fy3dj3g
@user-xf7fy3dj3g 2 жыл бұрын
でも木曽や穴山は武田の御一門衆だけど許されてる… 裏切るのが遅すぎた…
@user-ce3wm8nh7q
@user-ce3wm8nh7q 2 жыл бұрын
@@user-xf7fy3dj3g 穴山だけは後に起きた本能寺の変後の京脱出の際に命を落としているけどね
@user-ms6kz9yl6t
@user-ms6kz9yl6t 3 жыл бұрын
タイミングが最悪すぎるんだよなぁ。
@user-lt6gb4kd4w
@user-lt6gb4kd4w 2 жыл бұрын
BGM邪魔!
@natu3791venefit
@natu3791venefit 3 жыл бұрын
小山田信茂の背信行為は許しがたい。
@user-gx6pq3pr9e
@user-gx6pq3pr9e 3 жыл бұрын
0:37 「綺羅星の如く」は元々は「綺羅、星の如く(きら、ほしのごとく)」でしたが、なういヤングの皆様は「キラ星(ぼし)の如く」として使っているようですね。意味が通じるからまあいいんですが。
@kinjisi
@kinjisi 3 жыл бұрын
勝頼VS信玄重臣の権力闘争の果てのような気が。長篠の大敗は先代重臣の整理という点で勝頼からすれば有益だったのかもな。
@user-nh1bh5wr8i
@user-nh1bh5wr8i 3 жыл бұрын
信茂殿、常に先陣のイメージがあり文武兼備かな。 勝頼殿の側近に問題があるのでは…
@user-ig3or6lz8n
@user-ig3or6lz8n 2 жыл бұрын
残念な武将でしたね。小山田信茂の部隊は常に先方を務め、三方ヶ原の合戦の時は、 家康は全軍退却したいのに、投石で徳川先方の石川数正の部隊を挑発して戦のきっかけを つくっている。少なくても後方にいて戦いには参加しない他のご親類衆より功績があります。 彼はもともと裏切るつもりはなかったのでしょう。岩殿山に着いた時、 おそらく家臣が穴山信君の調略にあっていたのか、それとも小山田一族・家臣が勝手に 裏切っていたのか、信茂自身が初めから裏切るつもりならば、やはり勝頼を打ち取るか 捕縛して織田に引き渡すはずである。 結局、織田・徳川に調略を受けてなく勝手に主君を裏切った不忠者として殺されてしまう。 もし岩殿山に籠城すれば簡単には落ちないでしょう。その後、都合よく明智光秀が裏切ってくれれば十分生き残るチャンスはある。将来の信茂の評価は逆転されるでしょう。
@MI-tf4vw
@MI-tf4vw 4 жыл бұрын
小山田だけでなく、親族衆だった穴山含めて甲斐の国人は家臣ではないのだろうが 信虎・信玄・勝頼に仕えていい思いは相当にしていたわけで、主家として仕えて居ながら 裏切るなんて言語同断と山梨の人は思ってるはず・・。 そして今でも現当主英信さんがいる市役所を信玄公の子孫をと見に来る市民がいるそうな・・・。 そういう方にとっては穴山、小山田の最後については同情しないのではないだろうか
@softeasy9464
@softeasy9464 4 жыл бұрын
最近は武田家旧温会に小山田氏末裔の方が入会したりして仲いいみたいですよ。
@user-ov3ol3cm2i
@user-ov3ol3cm2i 4 жыл бұрын
M I 主家ではなく利害関係のみの対等な同盟相手では??
@MI-tf4vw
@MI-tf4vw 4 жыл бұрын
@@softeasy9464 まぁ令和の時代になってまで子孫がいがみ合う必要は考えられませんね
@MI-tf4vw
@MI-tf4vw 4 жыл бұрын
@@user-ov3ol3cm2i そうは織田信長と信忠親子は思ってなかったのだろうね
@user-yf6xt4nm9s
@user-yf6xt4nm9s Жыл бұрын
確か大菩薩から関東に逃げようとする勝頼を待ち伏せしてるし 完全に討ち取ろうとしてるよ とはいえ、北条と織田に挟まれて岩殿で生き延びる術はないよね
@user-vo4vn9jc9j
@user-vo4vn9jc9j 2 жыл бұрын
真田丸の小山田信茂はかなり情けない最期だったからな
@miyabidw
@miyabidw 2 жыл бұрын
小山田氏の血筋の子孫は、今でも大月市に存在していて、大河での扱いに憤慨していた。 近い筋の方に会って話を聞いたけど、完全な負け戦に城下の民を巻き込めなかった、という大義があるらしい。 小山田信茂の研究家の方も幾人かいて、関連の書物が出ているので、読むと従来のイメージが変わる。
@user-yh9vh6is1c
@user-yh9vh6is1c 3 жыл бұрын
長篠の戦いは、背後の鳶ノ巣砦とかが酒井忠次率いる軍勢に奇襲により落とされて挟み撃ち状態になってしまって、前に出て織田徳川軍と戦うしかなかったのです。
@深海魚-o1i
@深海魚-o1i 3 жыл бұрын
それそれ。織田方の策に嵌まってしまった。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
仰る通りです。
@user-gn4iu1np5m
@user-gn4iu1np5m 3 ай бұрын
慢心していたから簡単な策にハマる勝頼
@yujitanuma6012
@yujitanuma6012 3 жыл бұрын
卑怯者、裏切り者の何者でも無い 自分の砦に誘って裏切るのは男として最低(家を守る立場としては?)勝頼の真田が自分の砦へを 考えての決断だが、目の悪い親の杖を奪い取るような奴の末路に言葉は要らない。それなりの活躍をした人物だが、、、、。
@ariue2011
@ariue2011 2 жыл бұрын
その通りかと思います。 みな勝頼のみを言うが、 信玄の遺言で、実は勝頼の息子・若き武田信勝が武田の頭領だった。当然、一族もろとも天目山で散る。小山田は信玄をも尊重はしていなかったのか、という推測も裏切り者の評価に含まれている。 つまり、根深いのだ。 もちろん、仕方がなかったり、選択を誤ることはひとりの人間として理解したい。 しかし、それと歴史上の評価は別。評価を見直すならせめて史学会にも通用する新史料を出して欲しい。
@user-wi4cz6zz8y
@user-wi4cz6zz8y 3 жыл бұрын
甲陽軍艦って歴史資料的にどうなの?
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
甲陽軍艦に関しては、講談書というのが正しいと思います。未だに、歴史書と嘯く連中達は、頭がどうかしていると思います。
@user-xf7fy3dj3g
@user-xf7fy3dj3g 2 жыл бұрын
書いたのが武田家臣だから信長公記みたいに信頼性は高いんだけど,嘘も書いてあるからちょっと謎
@chiekoasai
@chiekoasai 2 жыл бұрын
『甲陽軍鑑』では、長坂釣閑斎が「岩殿なら武田遺臣の糾合地たりうる」と言ってたけど、だからこそ岩殿は「本気で潰すべきターゲット」にもなりやすかったんだろうな。背後は武田と関係がしっくりしてなかった北条氏だし、どん詰まり感もある。 必然的に織田方としては「勝頼には自害を許してしまったけど、織田の手で最後に武田の大物の首を挙げねば」という思いも湧いてくる。戦後の対北条外交を有利に進める事はもちろん、甲斐の武田遺臣たちの、反攻に賭ける心を根本から圧し折るために。 (つまり、小山田は織田の甲斐統治のための生贄にされた。仮に勝頼の逃亡が長引き、先に小山田が織田に降伏していれば、すぐ小山田が殺される展開は無かった) その点、真田の岩櫃まで勝頼が逃げ切れてた場合、織田が信濃・甲斐の統治の統治を固める上で「しばらく放置してもいいかな」とみなされていた可能性は高い。 仮に織田軍がすぐ岩櫃に侵攻してきても、甲州までのスピード感は維持できないだろうし、より奥の沼田城も真田が抑えてる。つまり、当時の友邦・上杉景勝の越後や、東北に亡命する路まで確保されている。 ただ、長坂に代表される武田の近臣たちの感覚として、宗家の親族で甲斐国内に拠点を持つ小山田家と、信玄の代からの外様たる真田家の間に、信頼度の隔たりが大きすぎたであろう事は理解できる。昌幸が勝頼への逆心を蔵していたか否か、今となっては検証する術も無い。 「『甲斐』源氏」の棟梁としての矜持のせいで、破滅に至る道程を選ばざるを得なかったのかもしれない。 好意的に観れば、長坂は「武田の甲斐」という枠組みに忠実で、真田は勝頼個人に親身であろうとした。
@Q45Mania
@Q45Mania 2 жыл бұрын
卑怯では無く裏切り者
@user-uo9rr3rj8t
@user-uo9rr3rj8t 3 жыл бұрын
小山田氏について やはり謎を解明せねばならない。と思う。 山梨県民として どうしても真相を知りたい。
@taroyosimoto2681
@taroyosimoto2681 3 жыл бұрын
小山田ももう少し早く 信長に降伏していれば 木曽のように助かったと思う。
@ju6522
@ju6522 2 жыл бұрын
徳川家が、勝頼と最後まで戦った土屋家の遺児を探した事からしても、 逆に勝頼に最後まで従った方が、敵からも信用されて小山田家は残ってたかもね。
@user-hw3hi4fm9q
@user-hw3hi4fm9q 3 жыл бұрын
山梨県民からすれば 小山田信茂、穴山梅雪 どんな事情であれ この2名 許す事できません
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
私も同感です。
@pontarou01
@pontarou01 2 жыл бұрын
信茂は勝頼に囚われてた人質取り返すのに成功してから裏切りやったそうで。真田のところに行かなかったのが悔やまれます。
@user-vy9lm4qh3d
@user-vy9lm4qh3d 2 жыл бұрын
山梨県民の気質が出てるんだろ 武田家関係の話でも良い話は聞かないし なんか山梨県に義理堅いエピソードがあるんですか?
@user-dz1uz3fi5z
@user-dz1uz3fi5z 4 жыл бұрын
山県からも武勇に優れた男と言われていますからね。木曽義昌や穴山梅雪より自分のかではだいぶ印象がいい。第一あの状況では裏切っても仕方がないと思う
@kt368
@kt368 4 жыл бұрын
勝頼長篠で負けなければ裏切らなかったよかな
@mmos.2417
@mmos.2417 3 жыл бұрын
戦う前の裏切りは戦略として認められるが、戦いが始まってからの裏切りは 単なる卑怯者の所業であって、これは許されない。
@user-wi4cz6zz8y
@user-wi4cz6zz8y 3 жыл бұрын
許されないんですか!?
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
@@user-wi4cz6zz8y そりゃそうです。自分が信長の立場だったらと考えて 見ればいい。勝手に寝返りして いけしゃあしゃあと本領を安堵 して下さいってヌケヌケと話す 奴をどう思うか。既にこの領地 の統治者を決めている可能性も あるわけだから。お前、ふざけた事言ってんじゃねぇ‼️で おしまいだよ。
@user-yf4sq2ie4l
@user-yf4sq2ie4l 3 жыл бұрын
織田軍による朝倉征伐の際、土壇場で裏切って主君殺しした朝倉景鏡の前例があるのに、ほぼ似たようなことやったら殺されるのは目に見えてたと思います。 時勢に目を向ければ直後に本能寺の変なので、織田家に寝返りせず小山田もろとも真田に避難していれば勝頼は助かってた可能性は高いと思いますし、一度放棄した甲斐しかも北条・徳川・寝返った穴山家など周りに敵しかいない岩殿城に留まるのは自殺行為です。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
@@user-yf4sq2ie4l その通りです。
@user-he5me7dl2h
@user-he5me7dl2h Жыл бұрын
@@user-yf4sq2ie4l あれ?景鏡は不遇に扱われてその後本願寺に討ち取られたというだけでノッブにぶっ殺されてないような?。
@kurobechan
@kurobechan 2 жыл бұрын
小山田圭吾
@user-rh5mb9ur8q
@user-rh5mb9ur8q 5 ай бұрын
小山田信茂の一族の末裔かな?
@user-dg4lz4ws7p
@user-dg4lz4ws7p 4 жыл бұрын
元々小山田は対北条の窓口でしたから上杉への介入によって北条との関係が完全に破綻した事で既に面目が潰れていたという事実ぐらいは最低限触れるべきでしたね。 武田は国人領主の集合体だった事は周知されていますが、集権化に二度(信虎と信玄)も失敗して前者は晴信(信玄)が担がれて追放、後者が発覚して嫡男(義信)と重臣(飯富虎昌)を失う事態になっていましたから勝頼云々以前に甲斐武田氏生涯のジレンマになっていました。
@kami-kaze1230
@kami-kaze1230 3 жыл бұрын
真田のような弱小勢力と違い、小山田は穴山とともに武田に次ぐ強大勢力であり、親戚衆ではあるが同盟関係に近く、よって不義ではあるが不忠ではないのです。 そもそも真の裏切り者は、早々に離脱して前線を崩した挙げ句徳川に通じ離反した穴山の方でしょう。 しかしながら最後の最後で泣く泣く裏切ってしまった小山田は切腹滅亡、方や家康と共に信長の接待(接待役は明智で鮒寿司出して起こられるw)を受ける穴山。世の不条理これ如何にw ちなみにうちは小山田兵部の末裔だそうで、それ故贔屓目ですw
@user-pc7ve4io5f
@user-pc7ve4io5f 4 жыл бұрын
勝頼一行が越後にさえいけてれば
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
直江兼続がOKするかどうか。
@user-pc7ve4io5f
@user-pc7ve4io5f 3 жыл бұрын
@@user-dv2lt8gb5d 武田との同盟を景勝に進言したのは兼続のはず。謙信以来義の上杉なら勝頼も保護し織田との血戦に挑むはず。
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
@@user-pc7ve4io5f 新発田重家の反乱にてこずっている状態でわざわざ勝頼を匿うか!?景勝や兼続に何のメリットがある!?
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
@@user-pc7ve4io5f そもそも勝頼と同盟を結んだのは景虎の支援をされたくなかっただけ。景虎が敗死した後は完全に知らんぷり。織田、徳川に攻められて勝頼が苦境に陥って、200でもいいから兵力を送って欲しいと悲痛な書状を送ったにもかかわらず、何一つ支援をしなかったじゃないか。そんな奴らが義の人だと⁉️冗談が過ぎるでしょう。
@user-kf6fm1nd1i
@user-kf6fm1nd1i 3 жыл бұрын
勝頼の妹(菊姫)が景勝の正室になっている &滅亡後に信清(菊姫の弟)が上杉の高家筆頭家臣になっている ので匿ってもらえる可能性はあったと思いますが、3月にコソコソしながら越後まで行くのはキツイかもですね 菊姫の上杉家内の扱いはかなり良かったらしく、菊姫自身も朝廷のパイプ役として活躍したみたいです
@user-mz1vj5yi2j
@user-mz1vj5yi2j 2 жыл бұрын
義 これを汚せば日本人には受け入れられないのでしょうね やはり、謙信が大事にした義が一番(笑)
@user-to1bi8ul6s
@user-to1bi8ul6s 2 жыл бұрын
ぶっちゃけ江戸時代の愚民どもは手前勝手な批判ばっかりしてる 乱世がどれ程過酷なのか、当時の人たちがどれ程ギリギリの決断を迫られたのか知ろうともしない
@user-oh6zw7dl5e
@user-oh6zw7dl5e Жыл бұрын
木曽も穴山も小山田も裏切りという点は全く同じ 織田信忠のダブルスタンダードがおかしい 結果として旧武田家臣は徳川になびくことになった
@emt9302
@emt9302 2 жыл бұрын
穴山は調略の結果だし一緒に出来ない、信忠の判断が全てかと。
@user-ri1su1ga9ya
@user-ri1su1ga9ya 3 жыл бұрын
長坂なんたらが曲者だとおもいます 勝頼が長坂を重宝しなかったらよかったのに
@user-dv2lt8gb5d
@user-dv2lt8gb5d 3 жыл бұрын
長閑斎光堅ですね。確かに、あの御仁は何がしたかったのか、分からない所がありますね。 斎藤道三、義龍、龍興に仕えた 長井隼人庄道利になると、小沢一郎みたいな感じにしか思えないですね。
@user-gv9xm4mg5m
@user-gv9xm4mg5m 3 жыл бұрын
清水康英もやって欲しい!うちの親戚筋なんで あと、同じ裏切り者って言われてる高崎の和田城の和田氏もお願いします
@user-oh9jl1tp5f
@user-oh9jl1tp5f 2 жыл бұрын
真田に行けば生き延びられたという意見もあるが朝廷に東夷認定された地点で生き延びることは不可能だったと思う もし小山田信茂が絶対的忠臣であったとしても同様に不可能だと思われる 仮に本能寺の変後まで生き延びても勝頼を取り逃がせば朝廷の威信が傷つくわけだから織田家及びその後継政権は何があっても滅ぼす気がしますね
@yomoda_yomokure
@yomoda_yomokure 2 жыл бұрын
真田昌幸は「表裏比興の者」ですからね。小山田より怪しい。
@FukurouP38
@FukurouP38 4 жыл бұрын
江戸時代以降の価値観って言いますけど現実に織田はあっさりと織田に寝返った武田の重鎮クラスを次々と処刑してます。 穴山も家康に伊賀越の時に捨て駒扱いされましたし 織田徳川からすれば勝頼を支えなければいけない立場でありながら簡単に見捨てた様な人間は生かしておく価値はないという意味合いもあったと思います いくら戦国時代でも簡単に主家を見限る様な行為は許される物ではなかったと思います。 むしろ乱世だからこそ義理を尽くせる人間かどうかの信用は物凄く大事な事だったと思うんです。
@user-ov3ol3cm2i
@user-ov3ol3cm2i 4 жыл бұрын
体内30000度 許される行為だよ そんな者達は沢山いる それに江戸時代の主従関係ともまた違う 小山田が処刑されたのは密約がなかったから敵方として 武田方で事前に密約を結んでいた者は家を保証されている
@BronzyTetsuya
@BronzyTetsuya 4 жыл бұрын
体内30000度 穴山については家康と別行動をとってたという資料しかないし。捨て駒扱いされたとかいうコメントはこういう書き方をするべきではないよ。
@sugatakarino3123
@sugatakarino3123 4 жыл бұрын
まぁ穴山や木曽も親族衆だったのに寝返った訳だから小山田が特別に悪いということはないかと。 勝頼は側室の子だから家臣からの信任が薄かったのではなく、元々信濃諏訪家を継いだ身であり、しかも甲斐武田家に出戻る際には信濃の家臣を連れてきているので、甲斐の家臣団(指摘のように連合体のような側面が強い)からすれば気に入らないのは当然。 そもそも諏訪家は甲斐武田家が家臣団と共に打倒した相手であり、その打倒した連中がいつの間にか当主勝頼の側近としてデカい顔をしていたら気に入るはずもない。 それでも甲斐家臣団は、長篠の合戦で勝ち目のない戦いを強行した勝頼に従い、多数の忠臣が討ち死にした。この無謀な采配により家臣団に失望が広がったのは致し方ないことかと思う。 信玄なら絶対にこのような無謀な戦はしない。それを家臣団の中核、小山田信茂は良く分かっていたはず。見限ってしまうのも致し方ないかと。
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