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【武田騎馬隊】戦国時代の馬の真実【長篠の戦い】

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それいけ! れきしクンTV

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4 жыл бұрын

山梨日日新聞の連載企画で武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)を訪れたれきしクン
武田信玄のお宝巡りで数々のお宝を見てきた中で、ほぼ完全な形で見つかった戦国時代の軍馬の骨に注目!
武田家の有力人物が乗っていたらしいというこの軍馬の骨から戦国時代の馬にまつわる数々の伝承の真実のお話に展開!
数々の肖像画や銅像では描かれない意外な事実とは一体!?
・武田氏館跡歴史館(信玄ミュージアム)
www.city.kofu....
※現在は臨時休館中です
#武田騎馬隊
#歴史
#れきしクン

Пікірлер: 420
@user-cz3gs7uk4c
@user-cz3gs7uk4c 3 жыл бұрын
木曽馬 平均体高(肩までの高さ)は雌で133cm、雄で136cm。体重350kg-420kg。確かに小さく見えるが体重に注目。小さくても350KGが時速40㌔で突っ込んで来たら人間ではとても止められんよ。並足6㌔、速歩12㌔、駿足20㌔、襲歩40㌔、速足でも人間の3倍のスピード、駄載150斤(90kg)その機動力と輸送力も脅威だわ。
@otokko
@otokko 3 жыл бұрын
ポニーサイズという言葉に騙されないほうがいい。 この言葉はシェトランドポニーのような体高71cmから107cm程度の極小サイズの馬を連想させるが、実際木曽馬など日本在来馬はこんな小さいものではなく、体高130cm程度あり、これはユーラシア大陸を広く征服したモンゴル帝国の馬に同じ程度のサイズ。これで戦闘できないならモンゴル軍が戦えなかったということになり、全くあり得ない。また記録上も騎乗戦闘の記述は多くあり、絵画を見ても騎乗で戦う武士たちが描かれている。
@ryu_sagami
@ryu_sagami 3 жыл бұрын
2:08 体高1.3m と言ってますよ
@kou7960
@kou7960 4 жыл бұрын
この前実際に在来の木曽馬見たら、意外にでかくてスピードもあって驚きました。
@yasuyukitakeda
@yasuyukitakeda 4 жыл бұрын
アラブ馬と同じくらいですよね。足も太く頑丈です。
@user-wz3bm7ld7y
@user-wz3bm7ld7y 3 жыл бұрын
結構威圧感ありますよぬ
@Seaza_Sr1
@Seaza_Sr1 3 жыл бұрын
日本の原産馬は、欧州でよく使われてたアラビア馬と比べて二回りほど小さく、蒙古馬(モンゴル帝国や支那の歴代王朝の軍隊で使用された大陸の馬、日本に輸入された物は駄馬や農耕馬、食用とされた)よりも一回り大きい。 足の速さは原付くらい、その代わりに不整地走破能力は非常に高く長距離走に長ける。 それでも平らな所を短距離しか走れない欧州の騎馬よりは(小規模、中規模くらいの)戦争向きだと思う、大陸と日本では騎馬に求めてる性質が違ったからね(日本で求められた騎馬は単に戦闘用だったけど、欧州では牛と同規模の搭載量があり、よりも速く物品を輸送できる高速の家畜としての需要があった)
@Seaza_Sr1
@Seaza_Sr1 3 жыл бұрын
日本の原産馬は、欧州でよく使われてたアラビア馬と比べて二回りほど小さく、蒙古馬(モンゴル帝国や支那の歴代王朝の軍隊で使用された大陸の馬、日本に輸入された物は駄馬や農耕馬、食用とされた)よりも一回り大きい。 足の速さは原付くらい、その代わりに不整地走破能力は非常に高く長距離走に長ける。 それでも平らな所を短距離しか走れない欧州の騎馬よりは(小規模、中規模くらいの)戦争向きだと思う、大陸と日本では騎馬に求めてる性質が違ったからね(日本で求められた騎馬は単に戦闘用だったけど、欧州では牛と同規模の搭載量があり、よりも速く物品を輸送できる高速の家畜としての需要があった)
@user-xc1bi7mn3s
@user-xc1bi7mn3s 4 жыл бұрын
kzbin.info/www/bejne/p6jUipyCn8-re6c 鎌倉時代の実際の木曽馬の映像です。 鎌倉時代の甲冑は戦国時代の甲冑よりも10キロ程重いのですが、スピードガンでは48キロも出てます。サラブレッドとほとんど変わりません。 ポニーサイズだから騎馬隊がないというのはあまりにも軽薄な感想だとおもいます。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
騎馬隊という概念定義を語って見るといいよ  たった10騎程度でも隊列をなしてれば騎馬隊と言い張れる定義なら、騎馬隊はあった、といえるかもしれんが、制式化し、運用戦術も制度化し、戦功評価にも体系化された、などの軍事的認知がないなら、それは騎馬隊と呼ぶ必然性はない、と思うけどな 逆に言えば、たった50騎でも、運用思想・戦術が制度化していたり、戦功が大きく謳われていた「象兵」「ラクダ兵」は少ないながらも兵科として史実性を認める一般傾向を鑑みれば、君の見解は、「君がそう妄想するならそれでいいんじゃね?それに説得力を感じる人がどれだけ存在して説得力を有する道理があるんだい?」と言われるだけだろうね
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
@@user-jj4iv2dc6p 誰も君の軍事専門家気取りの勝手なうんちくとかしょうもない戦術論を聞いていない。戦国の合戦の単位の中の数百の長槍で戦う集団、鉄砲を使う集団を槍隊、鉄砲隊と言うのと同じく騎馬武者が数十の集団で戦う編成を騎馬隊と言ってるだけ。
@ericyujidurandal3094
@ericyujidurandal3094 4 жыл бұрын
日本だけじゃなく、モンゴルもヨーロッパも当時軍馬は小さかった
@user-js3kd7fe4h
@user-js3kd7fe4h 3 жыл бұрын
サラブレットのような馬は耐久性もなく、餌ばかり喰って燃費が悪い。さらに体高が高いと敵方から標的にされやすく、馬に当たっただけでも振り落とされて負傷する可能性もある。
@user-pk4ge2yl9c
@user-pk4ge2yl9c 3 жыл бұрын
サラブレッドは競争に特化していった種類ですからね。
@user-sl8ne2ke4b
@user-sl8ne2ke4b 3 жыл бұрын
@@user-js3kd7fe4h サラブレッドが出来たの最近だよ。まだ作られてから、200年程度の歴史しかないから。
@user-yr6yb3lw3u
@user-yr6yb3lw3u 3 жыл бұрын
モンゴル帝国から喧嘩吹っ掛けてきて負けるんよね
@user-mp2tz9rr7g
@user-mp2tz9rr7g 2 жыл бұрын
他の動画で木曽馬に乗った武者を再現してるのを見た。幕末の古写真とかも 確かにサラブレッドなんかよりは小さいけど乗った姿はそれなりに様になってる。 ポニーっていう字面が余計に小さいイメージを持たせてるだけだと思う。
@user-wn8rb4jc6b
@user-wn8rb4jc6b 4 жыл бұрын
中央アジアや東欧迄も荒らし回ったモンゴル帝国の蒙古馬も随分小型の馬だよ。 一人4頭程度は連れて遠征したそう。
@jdotsystem
@jdotsystem 4 жыл бұрын
日本在来馬は特に木曽馬は古くから軍馬として使われていたそうな それなりに馬術も発達していたので戦えないって事はなかったそうな
@hiro00a
@hiro00a 3 жыл бұрын
宮崎県串間市の都井岬に群生する御岬馬(みさきうま)も戦国の馬のリアルな姿に近いのではと考えます。凸凹・斜面の多い場所で生活している様を見ると、サラブレッドでは無理であろう昔の戦場での活躍がより鮮明に想像され、果ては源義経が行ったとされる一ノ谷の逆落しの逸話も本当にあったのではと思わせます。
@hiro00a
@hiro00a 3 жыл бұрын
さらに言うと、当時の日本人の体格からすれば現在の日本人男性がサラブレッドに乗るのにある程度近かったのではないかとも考えます。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
そうだね・・在来性の強い御崎馬なら・・って思うなら、実際にその馬であの崖を駆け下りてみるといいよw一度でも見学してみれば、自分の考えのバカっぷりを恥じれるから 御崎馬が乗馬可能になるほど馴致してきた歴史があるとは思えないし、相当都合良い馬でないと軍馬にはなれないだろう。まぁ、山羊なら可能だと思うし、貴方のような無知な人には、騾馬(らば)を馬と誤解しがちな歴史の話で簡単に処断できると思うぞ
@user-qc7dm7up4p
@user-qc7dm7up4p 4 жыл бұрын
蒙古馬もポニーサイズなので、それで乗れない戦えないなんて言ったらチンギス・ハンも歩いて戦ってたことになりますね。 漢の時代にすでにアラブ馬が中国まで連れてこられているので、大きい馬が居なかったわけではないでしょうし、 小さい方が扱いやすいから小さいの使ってたんでは。
@straydad
@straydad 4 жыл бұрын
我々の想像より、規模は小さかったという事はありそうですね。 ただ、鎌倉時代から、流鏑馬等の騎乗で戦う手法は存在していたのですから、馬が単に輸送用で、降りて槍で戦った、騎馬隊は無かったというのも、極論に思えます。 他の大名と比較して、武田は騎馬兵で有名だったが、昨今言われているほどの、大軍団というわけでもない、といったところでしょうか??
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
で、その流鏑馬の的って5mもないんだけど、そんな近距離騎射が戦争で使い物になるのかな? ぜひ、そういう射程距離で運用できる事例や史実上の局面を提示してほしいんだわ そして、現在存在する流鏑馬が完全に神事・催事として興行されるだけで、実態に軍事教練のマニュアルにも存在しない現実も 犬追物は単なる狩猟の延長線であって、大人数で近距離に追い込んで狩る、という動物虐待でしかないんで、論外ですよw
@straydad
@straydad Жыл бұрын
@@user-jj4iv2dc6p あんたね…ネットでストレス発散するタイプなのだろうけど、元寇の頃、世界史的にも稀な『重装弓兵』が日本に存在したのは知ってるよね? 甲冑着た武者が流鏑馬風に敵陣に突っ込み、攪乱していたわけだけど、どうせ史実云々ではなく、ストレス発散の反論したいのだろうね(笑) だから、レスはここまでにしてあとは無視させてもらう!
@user-xg7ps4sk2c
@user-xg7ps4sk2c 3 ай бұрын
​@@user-jj4iv2dc6p 集団に遠距離で弓を射るなら訓練での距離が近くても関係ないです。流鏑馬は走る馬の上で矢を当てる訓練で、訓練していない木曽馬でも40キロは出るので、それの近くを通る的は動きがとてもはやく揺れる馬上では相当難易度が高いです。それに日本は山が多いので遭遇戦や接近戦も多い。1つの訓練で色んな技が習得できるのでそう考えると合理的ですよ。 犬を的にしていたのは予測できない動きをする獲物に対し矢を当てる訓練だと思います。狩猟の練習というのもあると思いますが、戦国武士が恐れた室町武士の先駆けとなる鎌倉武士ですら蹴散らしたエミシは狩猟で生活していたので、そうなるのは仕方がないです。鎌倉武士は人間を的にし、その死体を庭先に飾っていたのでそれと比べるとマシです。
@hiro10001jp
@hiro10001jp 4 жыл бұрын
ただしその当時の男子の身長は平均150cm馬がポニーサイズでも合うのでは
@rodeschild8968
@rodeschild8968 4 жыл бұрын
その発想なかったは
@user-hv2ov2gi4w
@user-hv2ov2gi4w 4 жыл бұрын
ポニーといっても木曽馬は平均体高135cmなので大人は余裕ですね(同年代のスウェーデンの馬はもっと小さい)。
@user-mt8jf1lk9r
@user-mt8jf1lk9r 4 жыл бұрын
お主天才か!天才過ぎて尊敬するなぁ
@gmailj.6690
@gmailj.6690 3 жыл бұрын
チビがチビに乗れば大丈夫
@user-gq4wf3uo5l
@user-gq4wf3uo5l 3 жыл бұрын
武田信玄が身長153センチだからね。
@福猫-r8p
@福猫-r8p 4 жыл бұрын
ポニーサイズだと言っていますが、他の動画では在来種の馬が、かなりの迫力で速く駆けていました。騎馬が無理とは思えないです。
@Aegisjapan
@Aegisjapan 4 жыл бұрын
本田忠勝 三国黒 4尺9寸 148.5 武田信虎 鬼鹿毛 4尺8寸 145.4 織田信長や上杉謙信 4尺7寸から5尺以上 絶滅した南部馬とか中型馬らしいけど 背中が150センチなら 普通の馬だと思うが 716年 新羅に送った馬が、五尺五寸 165センチ紫の驃馬2匹
@user-le4zx7sv7e
@user-le4zx7sv7e 4 жыл бұрын
この話とリンクする感じで(今は文献でしか残されていないけど)南部馬やそれに関する歴史上の人物の話もしていただきたぁ~い
@shikigamihagun1
@shikigamihagun1 4 жыл бұрын
在来木曽馬でも速度はサラブレッドとほぼ変わらんしそんなに小さくもないから、映画で見るようなのとは違えどやっぱり騎馬隊は脅威だったんでしょう
@siramine_ittosai
@siramine_ittosai 4 жыл бұрын
小さいっても体高130cmって事は、身長170あったとしても、肩ぐらいの高さに背中があるわけで。 それに乗ったら頭は2m超えた場所にあるわけだから、そんなに小さいって感じじゃないよね。 実際木曽馬の動画を見たけど、しっかりした体格の馬だし。 ただそんな馬も個体差があるから、デカイ馬は高値で取引されたりしたんじゃなかろうかと思うわけです。
@SuperHentaiShichowshar
@SuperHentaiShichowshar 2 жыл бұрын
馬使い分けただろ 日本も世界も 強く言うならば 戦に使う馬が小さい訳ないだろ
@user-js4mm4gf3g
@user-js4mm4gf3g 3 жыл бұрын
そもそも、その頃は世界中にポニーサイズしかいねぇんだわ。世界最大のアラブ馬でさえ現代の基準ではポニー。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
ダウト もう競馬界隈のデマ吹聴さんが跋扈するから面倒くさいね そもそも馬の歴史的には、現代に存在するドラフト種という重種馬は、古代から存在している 特に有名なのが、農耕及び馬車引きなどで用いられたペルシュロンで、これは体高は軽く160cmに到達する(重種の歴史は先史時代にある) まだまだ現役の農耕・馬車馬はいるので、知見の狭い日本人には馴染みのない話で、競馬や明治以後の馬の歴史しか知らない系がデマを振りまいてるのが本当に厄介な話になっている そもそもアラブ馬って概念が勘違いの産物なんだけどねw
@user-gc6yb4kn1o
@user-gc6yb4kn1o 3 жыл бұрын
宮崎県の都井岬の野生馬は、高鍋藩の軍馬が野生化したものなんですが、ポニーよりは全然でかいですよ それに、仮に現代のサラブレッドを軍馬として使ったら、重労働と環境の激変に耐えられないのではないでしょうか
@ODOKUMIYAKU
@ODOKUMIYAKU 3 жыл бұрын
まさしくその通りでテンポイントなんてちょっと鞍を重くされただけで脚を骨折して安楽死処分だからサラブレッドが如何に華奢か。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
ポニーよりデカい=147cm以上の馬ってことですねw(大爆笑
@user-pd1lq3gc6o
@user-pd1lq3gc6o 4 жыл бұрын
むかし、さんまの何でもダービーという番組でポニーが走っていて早かった記憶がありますね。ナリタブラリアンとかナイスネエチャンとか
@user-qp7go9yz4p
@user-qp7go9yz4p 3 жыл бұрын
でも、一つおかしいと思うのは蒙古襲来を描いてある鎌倉武士が乗っている馬はそんなに小さくないぞ?
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
その絵画が、実寸大・写実主義だった保証もないんですけど、そこを考えられません? それとも当時の絵画は全て写実主義でデフォルメ技術はないと?
@user-nr5qq7hx3st
@user-nr5qq7hx3st 8 ай бұрын
人間のサイズもポニーサイズだったのではないでしょうか😅
@zettaiouja
@zettaiouja 6 ай бұрын
​@@user-jj4iv2dc6p ないことは証明出来ないんだよカス、黙って絵画がデフォルメだという証拠を出せ。
@zettaiouja
@zettaiouja 6 ай бұрын
​@@user-jj4iv2dc6p ないことは証明出来ないんだよ、黙ってデフォルメである証拠を出せ。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p 6 ай бұрын
@@zettaiouja 低能は、存在することを否定できる事実を理解できないようだ こっちは、ないことの証明など試みてない 存在するという話を全否定できているだけの話だ 日本語不自由なのかね? 論理の基本も理解できない義務教育の失敗作はまずは基本の物理法則から学習して出直そうw ない、という証明など実施するつもりもないし、その必然性すらないのだw 必然性もないことも理解できてないようだが、それは君が無能が故の話でしかないw
@user-yh3qh2hs7m
@user-yh3qh2hs7m 3 жыл бұрын
よく、騎馬隊はなかったという話を聞きますが私はその説には否定的です。というか日本に騎馬がないということはありません。日本の侍の装備は基本騎馬隊をベースにしたもので刀もその一つです。 刀と聞いて思い浮かべるのは腰に指しているあれを思い浮かべると思いますが、戦国時代の刀は基本、大太刀と呼ばれるもので地面に立てると肩くらいまであります、それを馬の突進を利用して振り回します。 刀が曲っているのは馬の力を利用したときその方が切りやすいからです。そのため多くの騎馬民族の武器は曲刀です。また侍の鎧の肩の部分が長く四角になっているのも騎馬の時に盾が持てないので肩に着ける盾としてあの形になっているそうです。 他にも侍の装備には騎馬前提のものが多くあります。調べてみると面白いですよ
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
そうだね・・神事や催事向けの騎馬専門の獲物がいっぱい奉納されているよねw 戦闘向けではなく、神事催事と思えるようなものがねw そもそも論すれば、日本の騎馬武術ってのが当時の馬具の技術進歩に即応してないんだよね・・つまり時代錯誤な記述ばかり 伝承で時代錯誤が当然になっていることは、馬具の歴史から断言してもいいよw ちなみに、流鏑馬みたいに5m射程の騎射技術みたいなネタもあるんだけど、それでも騎馬技術は戦闘向けだったと思えるわけ?w 更に突っ込むと、当時の軍馬の価格なんてガン無視しているでしょ? 侍が維持できるほど軍馬は安くないんですよねw そこらの実証に関する知識が絶無で、奉納・寄贈された刀剣みて、語ってるのが痛々しいと思うんだけど、自覚ない?
@user-bk3qf4xg8s
@user-bk3qf4xg8s 4 жыл бұрын
確かにサラブレッドに比べると見劣りするけど、個人的にはサラブレッドは長距離走れないし、脚も細くて怪我しやすいので、脚は太い方が移動や戦闘向きと思います。
@maejimadaigo43
@maejimadaigo43 4 жыл бұрын
むしろ、サラブレッドは直線的な動きしかできない。戦に駆り出せば、骨折しまくりだろうね
@sanyuujin
@sanyuujin 4 жыл бұрын
木曽駒は馬体がサラブレッドより低いから扱いやすい。スピードもサラブレッド50Kmにたいして木曽駒は48KMで遜色ない。持久力も高い木曽駒のほうが騎馬隊に向いている。馬の産地であった武田に騎馬隊があったのは自然な流れである。
@fuyugaki
@fuyugaki 4 жыл бұрын
軍用馬に馬体の大きさは関係ないからね 日本軍が採用した軍馬もポニーサイズに毛が生えたたていど。 持久力があり丈夫で神経質過ぎない事が何より重視された。 サラブレッドみたいに体はデカイが持久力がなく臆病で病気に弱い品種は軍用には向いてないとされてた。
@user-mx8np4nr3y
@user-mx8np4nr3y 4 жыл бұрын
サラブレッドは持久力が無いだけではなく力も無いから 軍馬や農耕馬の様に重い物を乗せたり引かせると 足を痛める危険が大きいあくまで短距離走に特化した品種  サラブレッド最強論みたいに思ってる人が多過ぎだよね
@maejimadaigo43
@maejimadaigo43 3 жыл бұрын
サラブレットなんてレース場でのみ速度を発揮できるように人工的作られている。 戦場だと骨折しまくりでしょうね。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
されてた・・・というが、その証拠は実在しない なぜなら、サラブレットという概念が運用当時の日本に存在しないからw 実際には西洋馬みたいな認識なんだろうけど、サラブレット以外でもアラブ馬がいるわけで、そこらを区別できずに西洋馬として扱ってた日本軍が「サラブレット」なんて認識はないのは間違いない したがって、君の語りは、妄想でしかないよw ちなみに、ポニーは体力がある、という話には根拠はないw 極めて簡単なことで、小型化すればその分だけ運動量の限界は早い。ポニーにとっての2kmとサラブレットの2kmではどうやっても、ポニーの方が厳しいのが道理で、2kmを走りきれるポニーは相当稀有だろうw 更に、ポニーが神経質ではない道理もなくて、これは完全に馬種以前に育ちの問題。農耕・馬車馬供用の専門馬であっても育ち次第でいくらでも凶暴になるし、馴致も結局は育成次第でしかない ちなみに、ポニーはサラブレットよりも病気に強いなどという事実もないw 妄想炸裂して楽しいかね? いい加減な軍事知識で日本軍がいい加減な運用していた事実を知らんと、いい加減な知識を鵜呑みにするんだろうな・・・バカの再生産とは見事なものだ
@fuyugaki
@fuyugaki Жыл бұрын
​@@user-jj4iv2dc6p いやぁ、バカはお前だよ笑 まず、『サラブレット』じゃなくて、サラブレットみたいな『デカい馬』な。 そして、『持久力がなく臆病で病気に弱い品種』ではなく、持久力がなく臆病で病気に弱い品種は軍用には向いてないと『されてた』な。 何年も前の書き込みにピント外れの反論ご苦労さん笑
@user-mp6ji1cd7m
@user-mp6ji1cd7m 3 жыл бұрын
チンギス・ハンなどの遊牧民族の馬も、そのくらいのサイズです それでユーラシア大陸席巻したり、中国は万里の長城みたいな、とんでもないものを作ってまで防ごうとしてたんですよ なのに日本だけ馬上で戦っていなかった、という理論が良く分からん⁉️だいたい、あの頃の人間の身長今と全然違うの加味してないの理解できない…
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
だって、モンゴルが大陸を席巻したのは、長距離を疾駆して奇襲展開するだけの戦術的ノウハウが蓄積しているから 要は、相手が防備を整える時間がないまま、奇襲できたから世界を席巻できたんですw 大陸でも馬が展開できない地域になると、柔軟な戦術運用で馬に依存しない展開が可能になったのは、優れた軍制が故でしょうけどね 別に騎乗戦闘がなかった、とは言えないが、それを行う戦場や戦闘場面が稀有とは言えるでしょう 当時の日本の地形構造を考えれば、疾駆できる地形が非常に稀有で、平地も整地された場所でしか騎射運用は無理な話 そんな騎馬運用が可能な地形が少ないからこそ主力になりえてないし、優れた軍功・論功の話もない そもそも、日本の武士の騎射は、ヘボです。流鏑馬を見れば一目瞭然で、たった5mの的への射撃が戦場訓練として意味あると思えますか?w しかも、その5mの距離さえ今の騎射技術では真っ当に実践できない。その程度の話ですよw
@user-kt3rd4tm6s
@user-kt3rd4tm6s 4 жыл бұрын
武田騎馬隊、カッコイイので個人的には存在していてほしいです。 れきしくんの連載、メッチャ読みたい!
@yasuyukitakeda
@yasuyukitakeda 4 жыл бұрын
東京都新宿区の人間なので、「伊賀百人町鉄砲隊(火縄銃試射)」と「高田馬場流鏑馬(流鏑馬)」を毎年観れる恵まれた環境にあるのですが、どう見比べても、火縄銃では騎馬にかなわないどころか、弾は命中しないでしょう。 事実、日露戦争でも秋山騎馬隊が100%小銃装備で、数も多いロシア軍を崩壊させていますし、 第一次大戦でも各国騎馬隊は活躍し、騎馬隊が戦力外になったのは WW2でのドイツ軍の電撃戦でのスピード&機銃掃射が確立された時であり、ようやくポーランドやコサックが惨敗しました。 長篠の戦いで武田方が負けたのは 数の問題と退路を断たれたためです。
@yasuyukitakeda
@yasuyukitakeda 4 жыл бұрын
長篠の戦いでは関ケ原の様に調略によって、動かない武将が武田に数隊いたと思います。 著名な戦武将も戦死こそしていますが、梅雪なんかは布陣場所が後方ではありますが、まともに戦っていないと思います。
@sanyuujin
@sanyuujin 4 жыл бұрын
NHKで火縄銃の命中精度を特集していましたが、100m離れると相手が小さすぎて、また玉がまっすぐに飛ばないので命中しません。25mまで接近しないと相手を倒すことができません。打ち損じると騎馬武者に蹂躙されて勝負になりません。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
だって、騎馬相手なら命中しなくても、不自然な大きな音で無効化しやすいからねw  命中前提の運用論は、ちょっと視野狭窄じゃね?w 君の論説だと大砲の命中率が重要になるけど、現代戦なら当然としても日露戦争時代じゃまだまだ命中率以前に騎馬隊には轟音効果が重要だと思うぜ それほど騎馬運用は難易度が高いから兵科として世界では珍重されてきた経緯もあるんだしねw むしろ、騎馬隊が戦力外に近い歴史が圧倒的だと断言するね。極めて運用限界が近い騎馬兵が有意だったのは中世以前であって、それは騎馬戦術展開が可能な地形・戦術環境が極めて特殊かつ稀有だから、と断言しておくよw 騎馬が花形兵科になったのはその破壊力ではなく、権威性に依拠するのは、王室と近衛から引用して説明可能だしねぇ
@kskipc4542
@kskipc4542 3 жыл бұрын
人によって話が違うのも歴史の面白い所だと思う 僕は別の動画でこの動画と同じ様なコメントを書いたら「嫌悪感が募る」とか「見た事あるのか?」等メッチャ叩かれました (>д
@user-fv8gu6ih1x
@user-fv8gu6ih1x 3 жыл бұрын
君に賛成、歴史自体一人の解釈により作られたものだしそれがすべての人の立場から正しいなんて断言できない。だから面白いし、考え方が多様になるよね、
@compaqshishido
@compaqshishido 4 жыл бұрын
騎馬隊に関して「100%ウソ」ではないと思う。例えば5〜10名程度の小規模な "騎馬グループ" が、いつの間にか "大騎馬隊" というストーリーに変わっていった。大規模な「武田騎馬軍団」となれば、江戸時代に小説や芝居なんかも大いに盛り上がり、商売繁盛・売上倍増といったところでしょう。
@adolfhitler-tu9hq
@adolfhitler-tu9hq 4 жыл бұрын
他の戦国大名よりは 騎馬の軍勢が凄かったのは 確か
@chevalier0316
@chevalier0316 Жыл бұрын
@@adolfhitler-tu9hq 軍役帳見る限り少なくとも同じ兵数で見たときの騎馬兵の数は確か北条のが多かったはず
@asiankids001
@asiankids001 2 жыл бұрын
体高が低くて安定しているし、下半身もしっかりしているから戦には向いたんじゃないかな。 当時は整備していない獣道を遠征したりもありそうだし、サラブレッドより安定感がありそうですね。
@mshima2579
@mshima2579 3 жыл бұрын
1:30 ポニーめっちゃかわいいですねw かつて織田信長が金ヶ崎の死地から生還したとき 「馬に乗りながら敵兵に射殺されかけた」といわれていますが こんなかわいいポニーサイズにのっていたのでしょうか(笑)
@sanyuujin
@sanyuujin 4 жыл бұрын
織田方の鉄砲の運用は、3000丁の鉄砲をズら―っと並べて、指揮官の号令で順序だって入れ替わりながらうっていたのでは間隔があきすぎて威力を発揮できなかった。そのため鉄砲隊は小隊に分けて土塁の内側から3人一組で準備ができた者から自由に打ちまくったというのが正しい。NHKで実験していた。
@1hirozen
@1hirozen 3 жыл бұрын
当時の屏風絵みるとそこまで違和感無いから、やっぱり上に乗ってた日本人が小柄だったんだろう
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
その理屈は、当時の絵画が実寸に対して忠実に描写されている、という写実主義に基づく、という妄想を前提にするわけだが、義務教育を履修していればば、当時に絵画がデフォルメしていたものが大半なのは言うまでもない。
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
@@user-jj4iv2dc6p 合戦図屏風は多少盛られたりしても、当時では絶対あり得ないことが書かれたりはしない。なぜなら自分の活躍や自軍の活躍をアピールするのに、そもそも当時あり得ないことを書けば嘘だと簡単にばれるから。例えば論功行賞のために竹崎季長が書かせた蒙古襲来の絵巻に単騎突っ込む竹崎季長の背後から騎馬突撃する騎馬武者達が書かれているがそもそも騎馬が集団で戦うことがないならこんな描写は書かない。現代をテーマにした作品の漫画や映画で、登場人物がちょんまげや着物をしてないのと同じ。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@@hume218 絶対にないことが書かれている事例は数多あるw 例えば、慶長合戦。存在しえない艦船と存在しえない甲冑と存在しえない海域が記述されてる 絶対にありえないことがない、と思い込んでいる時点で馬鹿・無能が確定している 義務教育の失敗作のホラ話を信じてくれる無能がいるといいなw
@user-qz8oz1er3c
@user-qz8oz1er3c 4 жыл бұрын
上杉謙信が馬上から武田信玄に切りつけた時にも、ポニーの大きさならば、十分に剣が届きますね。
@pochicancan55
@pochicancan55 3 жыл бұрын
戦国時代にモンゴルから馬を輸入したという話を聞いたことがあります。兵器は命に 係わるから、特に戦国時代は丈夫でより速く走れるものが求められたと想像します。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
モンゴル馬の導入はもっと古くから確認できてます・・・情報を更新しましょう そもそも、日本の在来の馬がバリバリのモウコウマの派生ですから、そこを履き違えないようにねw  本当に根本的な理解がクソすぎる
@user-tc4dg5nd1h
@user-tc4dg5nd1h 3 жыл бұрын
普通に馬が小さいって言うのはプロバガンダ。ジブン絵を描いてるけど、本当に馬が小さいのがポピュラーで当たり前だったのならば、そのサイズ感で馬も描く。(漫画チックならともかくダヴィンチの様に絵描きなら極力等身大で描こうとするのが心理)絵を描く人なら同じ事思うと思う ところがどの絵を見てもそんな小ささで描いている絵を一つとして見ていない。当たり前でそれが常識だったのならわざわざ馬を大きく描く必要だってない。どうだ!!俺の馬はデカいだろ!!ってする必要もない
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
必要があるね だって、軍馬を維持することは、ステイタスなんでw さらに言えば、日本で写実主義化が始まるのは江戸後期。それ以前は、実寸を反映させる写実が重要視されておらず、描法に習って描くのが通例 絵画通史の前提知識がないキッズはデマ吹聴しないでほしいなw 日本では写実派扱いされている狩野派なんてのは初期は、どうみても実寸を完全無視している (狩野内膳 南蛮屏風なんぞは典型例)
@poti107
@poti107 3 жыл бұрын
義経の一の谷の戦いとか平安時代末期のハナシではありますが、騎馬隊かどうかはわかりませんが馬を戦に活用していたのは事実では? 当時の日本人の平均身長からして特段小さくもないのでは?という書き込みには鋭い着眼と思いました。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
その「一の谷」を見てくるといいよ・・見た上で馬で駆け下りた、と信じれるのは、科学的思考能力がない人間だって断言できるだろうね まぁ、馬じゃなくて、山羊・ロバに騎乗した、って話ならありえると思うよw
@ny8397
@ny8397 4 жыл бұрын
以前、戦国時代の映画、大河ドラマ等で「正確な時代考証にもとずいて・・・」なんて話を聞いていた時は いつも「馬こんなにデカクないだろっ」と常々思ってました。 まあ現代ではポニーを数多くそろえるのは難しいでしょうし、馬が小さいと絵にならないのも理由かと。 ただ、人間の身長もかなり小さかったでしょうからバランス的にはサラブレッドでも良いところなんですかね。
@katsumi-na1198
@katsumi-na1198 4 жыл бұрын
平均身長160代ならポニーでもイケるって事なんだろうな、現代人で考えるとちっさいって思うけど当時の大人ってマックス170くらいだもんなあ
@user-re9fy3wz7m
@user-re9fy3wz7m 4 жыл бұрын
wikiページにも載ってますが、日本に限らず、中世の軍馬は小型ですよ。 かつて、重装騎士を乗せ、チャージ(突貫攻撃)を盛んに行った大型軍馬デストリエ(グレートホース)ですら、122 - 142センチメートルくらいしかありません。 それでも当時は大型扱いされていたそうです。 余談ですが 長弓兵と重装騎士の突貫攻撃の連携を重んじたイングランド軍は、1314年バノックバーンの戦いでスコットランド軍に大敗を喫しました。 スコットランド軍の槍衾の前に、騎兵による突貫攻撃ができず、長弓兵は馬上の騎士が邪魔で戦線が見えず支援攻撃できなかったんです。 これを教訓に誕生したのがメン・アット・アームズ(下馬して戦う騎士)です。 この戦法を用いて1333年ハリドン・ヒルの戦いで、イングランド軍はスコットランド軍に大勝利を収め、以降、下馬騎士が主流になったそうです。
@user-xw5is1zy2g
@user-xw5is1zy2g 4 жыл бұрын
ナポレンもロバ?(ポニー?)に乗って山超えしたぐらい山野を移動するにはサラブレッドは不向き(笑)木曽馬他の在来馬は皆小さいですね。 武田騎馬隊の話もありますが、長篠の戦いの織田鉄砲隊も近年になって無かったとは言わないが、鉄砲の弾丸はわずかに発掘される程度だとか。
@user-er1nn4fs7b
@user-er1nn4fs7b 4 жыл бұрын
小柄でも、馬は馬ですから、きっとしっかり走ってたんでしょうね…、ポニーサイズでもばんえい競馬の脚ががっしりしたタイプとの中間だったりしたら、とっても力強く走ってくれそうですね…妄想ですけれど。以前競馬系の脚の細い馬に乗らせて頂いた事があるんですが、ああいう子は乗る人も細い方が良いんですって、やっぱり重いと脚の負担になるそうで…そうなると、甲冑付けて走るのなら、脚が太くて重心も低いポニーさんの方が適切だったのかも知れませんね…。 馬に乗ってる写真がすごい楽しそうですホクホクしました(*´ω`*) あと、思ったのですが、本丸とか二の丸三の丸に厩舎(馬のお家)ってあったんでしょうか…?その大きさから馬の数を予想出来たりしたら、戦の時の想像も捗りますね…。
@user-mx8np4nr3y
@user-mx8np4nr3y 4 жыл бұрын
騎手は体重制限が有って重いと乗れないもんね サラブレッドはデリケートで子供位の体重しかない 騎手を乗せていても骨折とか故障は良くある 骨折したらほぼ回復は望めず薬殺処分ですからね
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@@user-mx8np4nr3y 本当にこの動画のコメントするのは無知が多いと実感する 歴史的にサラブレットでも80kの斤量を背負った事例もあるし、背負える そもそも、ポニーとサラブレットで負傷の確率が異なるのは単なる競走馬という存在意義の違いだけの話で、両者に寿命的な格差は存在しない。競走馬であるサラブレットが事故で安楽死するようにポニーも安楽死する。この両者の違い速度云々じゃなくて体高であり、人為的利用法上の選別でしかない。 サラブレットだけが虚弱のような考えは単なる物を知らぬ間抜けの語りでしかないw
@mahoroba6332
@mahoroba6332 3 жыл бұрын
武田騎馬隊が脅威だったのは木曽馬を輜重隊に有効利用して戦場に於いて敵方の側面や後方に重武装で展開出来たからです。それには甲斐信濃の諜報網を巡らし、敵方の動静を得ていたと思います。武田騎馬隊が単独で脅威なのでは無く諜報網と展開力の両輪が脅威と思います。
@user-mu6ql7ch6z
@user-mu6ql7ch6z 4 жыл бұрын
武田騎馬隊は、フィクションか 伝説は伝説の方がよいかな
@user-uw3jl1yy6e
@user-uw3jl1yy6e 3 ай бұрын
映画のドラマに出てくる騎馬隊はなかったが家の長男以外の男子で構成された騎馬隊 勝ち戦の後半でよく使われたらしい ほっていても家を継げる長男と違い次男三男は手柄あげて出世しないといけない でも戦の序盤では使はない 終盤になってめぼしい家臣を先に取られたから敵陣の奥まで突っ込こんで重役家臣の首を取って勝ち戦を更に追い込むのが武田騎馬隊 武田の馬全部が騎馬隊では無く長男以降の一部の命知らずで形跡されたのが武田騎馬隊
@Nozy1978
@Nozy1978 4 жыл бұрын
例に上がっていた場合では 部将   騎馬 1名 下級武士 騎馬 2名 農民兵    25名(歩兵・弓兵・鉄砲の割合は不明) とすると、25名の農民兵の指揮監督は1人で十分、3名だとむしろ不効率。 余った騎馬兵2名を各所から寄せ集めて騎馬隊を編成することは十分可能。実際にやるかどうかは状況次第。 武士の鍛錬として必須とされた流鏑馬があるように馬の上では弓矢で戦う、接近戦になったら馬から降りて刀で戦うのが基本。 時代劇のサラブレッドも明治期に競馬用にイギリスがサラブレッドを持ち込んでんだからフツーに考えれば江戸時代以前にあんな馬いるはずがないってのは明白なんだけど、イメージって怖いな。サラブレッドは速く走ることと闘争心に特化した馬だから戦闘には向いていないわな。 時期によっては中国から買ってきたペルシャ種の大きいやつもいたかもしれないが・・・あとは前田慶次の松風みたいに突然変異でデカくなっちゃたりするか?ですな。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
で、流鏑馬の的までの距離が5mもないのに、その技術で騎射運営したんですか?  そんな兵科は世界中にどこにもありませんけどねw 現存する流鏑馬は、神事・催事に限定されてますよw
@qzlbux1688
@qzlbux1688 3 жыл бұрын
日本やヨーロッパの昔の衣服や鎧は、かなりの小柄だよ。日本の古い寺や屋敷の土塀の高さでも分かる。だから時代劇で現代人の俳優を登場させる場合、土塀を高くするんだって。比率からすれば正しい時代考証か?
@user-nu9kh2oi8c
@user-nu9kh2oi8c 4 жыл бұрын
騎馬隊に認識の差があるのかもしれないですね ドラマや映画で見る馬も戦術も西洋化された騎馬隊 現代人史観だと西洋化された騎馬隊を想像しますよね 少なくとも私にはそれしか答えがありません でも当時の日本人たちの概念にある騎馬隊もまた存在するのかもしれない 歴史の研究はその時代を生きた人たちの尊厳と価値観を守りながら進めなきゃいけないですね
@user-gg7cu2hz7p
@user-gg7cu2hz7p 4 жыл бұрын
発掘されたという馬の年齢が気になりますね。既に調べてるだろうし大人の馬だろうとは思いますけど、実は調べて無くても調べてみたら子供の馬でしたなんて話が出たらアレだし
@yasuyukitakeda
@yasuyukitakeda 4 жыл бұрын
発見された馬は 人柱ならぬ、馬による生贄だと僕は思っています。
@user-tb6zy7jk2y
@user-tb6zy7jk2y 3 жыл бұрын
戦国までさかのぼらなくても、幕末、明治初くらいまでは外来種の馬っていなかったはずですので、意外と写真なんか残っているんではないですかね?
@arminiusherman4783
@arminiusherman4783 3 жыл бұрын
信玄公 畠山の肖像画 じゃなくて 安心した
@user-ls4yx6bl1o
@user-ls4yx6bl1o Жыл бұрын
昔の人もフィクション好きだったんだなーとか思うと親近感わきますな
@user-np6mx8zk3i
@user-np6mx8zk3i Жыл бұрын
体高を頭までの高さだと思ってるようなのがテキトー吹きまくって知らない人が信じてまた吹きまくる悪循環
@takalazy6786
@takalazy6786 4 жыл бұрын
武田の騎馬隊は時速45km kzbin.info/www/bejne/aYDXeJ2Gf5ZoppI 木曽馬には荷物運搬用と早駆け用の二種類がいた
@user-gh8wu1bm9i
@user-gh8wu1bm9i 4 жыл бұрын
ウマは大きければいいというものでもない。モンゴル帝国の馬も小さかったしネイティブアメリカンの社会では小さい馬の方が小回りが利いて良いという意見もある。当時の日本は街道も狭く山がちだったから小さい馬の方が有利だったのではないでしょうか。 平安から鎌倉時代にかけては騎射戦闘がメインだったけど槍や鉄炮が活躍する戦国期に馬の重要性が低下してきたのは事実だと思う。
@user-uu7mz7rh1u
@user-uu7mz7rh1u 2 ай бұрын
私が知る古文書。武田軍は1万余の軍勢であり、その中で僅か数騎の馬に乗る武将がいた、馬は小型で歩くのみで武将は侍大将なのか不明である。それ以後も馬が走るのは見た事はなかった。 夏の武田軍は僅かに馬に乗る者、僅かに鎧を身に着けるもの、大半の兵はふんどし一枚であった。 馬は僅かで走れない、乗っていたのが信玄か勝頼か不明。
@oritsu6368
@oritsu6368 4 жыл бұрын
いつかは信玄公祭🌸行ってみたいです💖 熱いんだろうなぁ😃
@shinto2600
@shinto2600 4 жыл бұрын
長篠の戦いで最強の武田軍が敗れ、これまでの戦術は古く、織田鉄砲隊こそが先進的とされた。 と、教科書にはあるが、その数年後に上杉謙信槍部隊に織田オールスター部隊はボッコボコに殺戮されている。
@user-wn8rb4jc6b
@user-wn8rb4jc6b 4 жыл бұрын
それ歴史検証した人達が居て、戦場になった設楽原は極端に凹凸の激しい錯雑地なので騎馬武者が疾駆出来るような場所ではないそうです。 なので武田騎馬隊に織田の鉄砲隊が勝ったのは殆ど嘘、と言えるとの事。 武田勢敗北の原因は他に有りそうです。
@nonbiripoyapoya
@nonbiripoyapoya 4 жыл бұрын
ん?それ確かまともに戦った戦じゃなかったような。
@user-ud6lw9dc3u
@user-ud6lw9dc3u 4 жыл бұрын
長篠の戦いの兵力差が織田徳川の方が武田軍の2倍もあったと伺ってます。ちなみに当時の戦の常は兵力2倍も差がある場合は大抵籠城するのが定石と言われてます。
@user-es1de5th8x
@user-es1de5th8x 4 жыл бұрын
日露戦争や第一次大戦では鉄砲どころか機関銃相手に馬にも乗らず突撃して(強襲法)一定の戦果をあげてる。 戦国時代の前込め火縄銃にそんな威力があったのか疑問だな。
@YM-tn7wt
@YM-tn7wt 4 жыл бұрын
武田軍は長篠城の奪還で出陣したのであって総力挙げて出陣した訳では無い。 そこを信長は好機と見て自ら出陣したが武田軍はそもそも数で負けていたが正解でしょ。 更に地元の地形をよく知った人は長篠の戦いの内容など誰も信じてません。 旧暦のこの時期、柵を張った前面には水路を挟み水田の畦道しか馬は通れなかったでしょうね。
@naonao4414
@naonao4414 4 жыл бұрын
木曽駒調べてみたら?👀 子馬のポニーちゃんで全体を判断しちゃいけない‼️
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
ポニーの定義を学習できない無能のコメント・・この動画はアホ発見装置だなw
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
@@user-jj4iv2dc6p 馬の知識を知らずおかしなコメントをしまくる君が言う資格はない。
@dashiofthe5222
@dashiofthe5222 2 жыл бұрын
サラブレッドは優美で早いけど繊細でストレスに弱い。日本古来の馬は力持ちで足も丈夫だからサラブレッドより戦闘向きなんじゃない?
@oritsu6368
@oritsu6368 4 жыл бұрын
観賞用の白い馬‼️なわけないね😅いつも楽しくて、明るくて、このご時世、癒されてまーす😆💖
@user-tg5sh5rj6o
@user-tg5sh5rj6o 3 жыл бұрын
戦国時代の騎馬隊が無理だったのは「去勢技術」が無かったため気性の問題だと言われてるよね
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
馴致技術の問題もあるけど、集団運用するための訓練が困難すぎるんだよ そもそも、訓練にしても、戦場展開にしても、そんな戦場環境が稀有 今の時代の日本ですら馬が疾駆できるような平野部は限られているのに、戦国時代の平野部なんてもっと展開が無理すぎるからw
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
@@user-jj4iv2dc6p日露戦争前まで 明治日本軍の騎兵隊は去勢していない在来馬で日清戦争、義和団の乱を戦ってるし、秋山好古の数百の騎兵隊は日清戦争旅順攻略戦の前哨戦で清軍と戦ってる。そもそも日本の国土は結構広いしさまざまな地形があり、数十の騎馬隊が行動できる盆地や台地平地は日本各地に無数にある。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@@hume218  あっそ・・ で、なにをもってして、騎馬隊と定義しえるのか?って根本的な話出来ないの?
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
@@user-jj4iv2dc6p 騎馬に乗った騎馬武者が集団で戦う編成だって何度も言ってるが。槍を持った足軽集団が槍隊、鉄砲持った集団が鉄砲隊、騎馬武者の集団が騎馬隊と言ってるだけ。君の軍事専門家気取りの独自のうんちくは聞いていない。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@@hume218 日本語不自由だな・・本当に なにをもってして騎馬隊というのか?という命題がまだ理解できないようだ 11歳の姪っ子だって理解できたのに たまたま騎馬武者が偶然群れて”い集”した結果発生したのも騎馬隊と言える 軍事目的や意図もなくただ騎馬兵士がバラバラに各自に目的をもって集団を形成せず、統一意思すらなくても、群衆化していても騎馬隊になる 文献に騎馬隊と記述があれば騎馬隊とか幼稚園児レベルの話なら、幼稚園児同士でやってろw 小学生以下向けには最適だしなw 幼稚園児でも、湿地や荒野を馬が疾駆できないのはわかってるが、君は幼稚園児以下のようだがなw 知識が致命的に欠如していると都合良い妄想だけで語りだすなw まるで撮り鉄だなw
@user-le4ll9hi6x
@user-le4ll9hi6x 4 жыл бұрын
武田騎馬隊は時速45キロ、サラブレッドと遜色なし。体高がサラブレッドより低く持久力があるから扱いやすい。大河ドラマの騎馬シーンは絵空事ではない。 kzbin.info/www/bejne/aYDXeJ2Gf5ZoppI
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
絵空事だね だって、大河ドラマのシーンは、現代の整地された戦場の話 当時、大規模展開可能で軍馬が疾駆できる整地された戦場なんてのは稀有 君の知能は、当時の日本の地形事情なんて想定外なんだろうけどねw
@sasaki_tetsuya
@sasaki_tetsuya 3 жыл бұрын
そりゃそうだ。この時代にサラブレッドがいるはずが無い。つか、騎馬隊と言っても実際は乗ってたんじゃなくて引っ張ってたんだよ。
@SugarPieGuy1961
@SugarPieGuy1961 3 жыл бұрын
信長が京で行ったという「馬揃え」の実態はどんなものだったのでしょうか?
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
馬喰の歴史から遡って勉強するといいよ・・それがベースにないと説明しても理解できんからw
@user-jx4ou3ij1s
@user-jx4ou3ij1s 4 жыл бұрын
このサイズが基本なら。松風や黒王号がばん馬ならマンガ通りに相当デカいな。
@user-mx8np4nr3y
@user-mx8np4nr3y 4 жыл бұрын
八軒も最初 御影の馬見て覇王って言ってるしね
@obunowagaseha
@obunowagaseha 4 жыл бұрын
モンゴル馬もグスタフアドルフのスウェーデン騎馬隊もポニーサイズですね
@user-uw6be3hr6r
@user-uw6be3hr6r 4 жыл бұрын
一昔前の日本人は小柄だから走るのも力も大柄な欧米人にはかなわないって言っているようなもんですね。
@akakuro224
@akakuro224 4 жыл бұрын
ポニーだと160cmくらいなら乗れそう。振り落とされますよ、すげー元気。
@user-ip1fl7pz2o
@user-ip1fl7pz2o Жыл бұрын
山田先輩さんのところで動画貼っておられるので、あれを見たらいいと思います。
@azumam2427
@azumam2427 3 жыл бұрын
この馬って軍馬でなく輸送用の馬かもね。その当時は馬は農耕や輸送に使われていたのが主流だと思うよ。 でも、鎌倉時代かから伝わる流鏑馬や相馬野馬追が未だに伝わっているので軍事用に使われていたことは確か。元寇の絵巻物にもあるでしょ。日本古来種の木曽馬は結構脚が太くてデカイよ。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
5m程度の騎射の流鏑馬で軍事運用してたんですか?どういう戦場と環境であんな騎射が意味があるんですかねw(大爆笑
@yondoru-xc9sf
@yondoru-xc9sf 4 ай бұрын
馬が小さかった(当時としては別に小さくないけど)から下馬してたんじゃなくて銃が発達していて的になりやすかったからじゃないのかな 実際刀が曲がってるのはもともとは馬上から攻撃できるようにだと思うし
@user-sx4cn8rl2w
@user-sx4cn8rl2w 3 жыл бұрын
山岳地帯の騎馬だから小さいサイズの方が使い勝手はよかったでしょうね
@user-es6rw4db9h
@user-es6rw4db9h Жыл бұрын
武田騎馬隊といえば、ワーテルローの戦いのネイ元帥による騎兵5000騎突撃 なことをやってたと思ってたのですが、下馬して戦っていたのですね('ω') 信玄ミュージアム行きたいです('ω')
@yoshimacllan5754
@yoshimacllan5754 4 жыл бұрын
日本が馬の改良始めたのは明治(日露戦争前)からです。義和団の乱で日本の馬が一番小さく、 笑われたのと ロシア(コサック騎兵)に対抗には日本種では小さいので話しにならなかった。 畠山重忠がひよどりごえの合戦で馬を担いだのも品種的に小さかったので可能だった。 ここら辺をはっきり言う方が出ましたね。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
日本の馬の改良の歴史は、馬喰が登場する平安時代には確認されています 様々な在来馬をかけあわせて、日本在来馬を形成し、軍馬を提供していたのは確実です そもそも、明治政府が日本在来馬を全て淘汰し、西洋軍馬化を目指したのは、日露戦争以前の政策から明白でしょう(1901年馬匹去勢法) 良くミリタリ界隈で、軍馬についていい加減な話を見受けますけど、もう少し勉強してから語りましょう まぁ、靖国神社の顕彰で色々間違った史実が語られた影響でしょうけど、本当にクソですわ
@tn1881
@tn1881 4 жыл бұрын
日本の木曽馬は近代品種のサラブレッドより背は低いが足などががっしりしているので鎧を着た人間を平気で運べたようです ポニーという発想がどこからきたか疑問ですが朝鮮半島に生息した韓馬はポニーのようで荷運びしかできなかったそうです 韓馬は日本用の軍鞍を装着することができなかったと報告があったそうです
@upperrankfour_zohakuten
@upperrankfour_zohakuten 3 жыл бұрын
サムネの忠勝ww
@user-mx8np4nr3y
@user-mx8np4nr3y 4 жыл бұрын
その馬の年齢はいくつだったんだろう 骨から年齢は推定できると思う 馬の大きさでは長篠の戦絵巻は1670年頃に書かれたと有るので 絵巻通りで良いと思うサラブレッドなど見た事も聞いた事も無い時代の絵 江戸城でも下馬場が有り当然当時の武士も馬に乗っていたのだから 絵は当ってるどう見ても戦える大きさだし実際戦ってる もっと言えば元寇の時代の絵巻も馬に乗って戦ってる なんで小さくて人が乗れなかったとか 騎馬戦は無かったとか言いだしたのかが解らん 関ヶ原でさえ近隣の百姓は戦見物してたんだから絵巻きが嘘と考える方がおかしい
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
1670年じゃ、日本の絵画では写実主義は萌芽しかないので、実寸を反映している、と思うのが勘違いだぜw 騎馬戦ってのは、たった二人の騎馬武者同士の戦闘でも、騎馬戦って言えるんだけど、なにをもって騎馬戦と定義しているのか?って問題まで考慮できないと批判は幼稚だぜ・・幼稚さの自覚がないのがとても痛々しいしね 絵巻物が史実を反映している、と当時の絵画技術や表現法から考えるのが、異常だと断言しておくねw 異常だよ、異常
@user-hr2db5pc9c
@user-hr2db5pc9c 11 ай бұрын
見に行きたい!!
@user-te2yp7ed3l
@user-te2yp7ed3l 4 жыл бұрын
全然知りませんでした、逆に今のイメージに近い馬はいつ頃出てきたのでしょうね?
@user-oc2gm1fx2q
@user-oc2gm1fx2q 4 жыл бұрын
現代のサラブレッドは18世紀の英国から誕生した
@user-yv1ux6vj4i
@user-yv1ux6vj4i 4 жыл бұрын
でも木曽馬は最高時速48kmだからね めっちゃ速いよ
@yoshiofurukawa923
@yoshiofurukawa923 4 жыл бұрын
木曽御嶽山に行く途中で、木曽馬を観た。 木曽馬は、日本古来より生息してる馬だったと思う。 他のコメントにも有るけど、 木曽馬って、意外と大きい。 ポニーよりも、確か、大きかったと思う。 騎馬隊程の大部隊は無理だとしても、 重要武将が騎乗しての活用は、 有ってもおかしく無いと思う。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
君はまずポニーの定義から学習してから、コメントしようねw それが出来ない時点で、キッズ扱いは仕方ないよw
@user-sg7vo6qh7e
@user-sg7vo6qh7e 2 жыл бұрын
当時の平均身長はだいぶ低いだろうからちょうど良いサイズだったのかもしれませんね。
@xukane0103
@xukane0103 3 жыл бұрын
騎馬隊についてはココの考察が鋭いです→ "kzbin.info/www/bejne/aaesiHZ5nKqab5Y" "kzbin.info/www/bejne/gpnMep2LrNSZhpI" 単純に馬の特性だけなく、気候・地形・文化・技術などを総合的に見て「当時の日本では騎馬隊の集団運用は不可能」と結論付けてる。
@xukane0103
@xukane0103 3 жыл бұрын
ご指摘ありがとうございます。一定の納得感があったのですが、ちょうど逆の意見も欲しかったところでした。そういう話があるのなら注意するようにします。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@nobutoudo7117 騎馬隊の定義からやってみようよ・・存在した、って言う側がその定義を語り、その定義に対する真贋について審査を受ける覚悟はあるよね?w
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
@@user-jj4iv2dc6p 君のように馬のことをろくに知らず、史料やそれに基づいた話を自分の勝手な想像で自論を展開し、他人に難癖つけるだけの人間に他人を審査する権利はありません。
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
@nobutoudo7117 まさしく仰る通り。騎馬が集団で戦う編成、騎馬隊は史料に裏付けされた史実です。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@@hume218 ごめんな・・元馬主で今もポニー飼育してるぜw そんな人間がウマをロクに知らない、と言い張るのは相当な経験者なのかな? 詳しいなら具体論してみw こっちは具体論やってるんだわ 君みたいに具体的な話しないで知ってるふりする詐欺はオレにはできんよw
@aikiminomori2261
@aikiminomori2261 3 ай бұрын
アレキサンダー率いるマケドニア軍の馬も小さかったという話です。
@user-rb3bz1rh3y
@user-rb3bz1rh3y 4 жыл бұрын
なかなか面白い動画をかたじけない、「武田騎馬隊」。あったと思います。ただし、馬で闘うのではなくいち早く戦場に馳せ参じる手段、すなわち現代で言う「自動車」ですかね、川中島で闘う時も甲斐からは遠く、当時整備された「棒道」なる軍用道路を駆け抜けいち早く戦場に到着して、戦闘体制をとるためには、当時最速の「馬で行く」しか方法がないですかな、しかも当時は「甲斐の黒駒」なる優秀な馬があったようで、お館様の信玄晴信公もこれを愛馬としていたとの事、いやぁ、「戦国ロマン」良いですなぁ👍
@ffa4393
@ffa4393 3 жыл бұрын
昔の日本人中学生ぐらいの身長だからちょうどいいんじゃない?
@user-ly5wl2ig3i
@user-ly5wl2ig3i 4 жыл бұрын
サラブレッドは藪には恐れて入らないが国産馬は藪でもどこでも入る事ができる。
@azumam2427
@azumam2427 3 жыл бұрын
サラブレッドはスピードはあるが、長くは走れない。軍馬には不向き。 昭和30年始めまで我が家にいた農耕用の馬は脚が太くてデカかったよ。気性も荒かったね。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@@azumam2427 はい。都合良いシナリオおつ 軍馬として長く走る必要性がない場合では迂回展開や機動力展開によって細い軍馬も近世では活躍しているんだよねw 軍馬に不向きって断言したって、サラブレットは普通に軍馬にされてたし、現代でも儀仗隊みたいな典礼において普通に活躍しているけどねw もしかして、欧米社会で実在する警備騎馬隊は軍馬じゃないって認識?w あと、農耕馬で気性が荒いのは、君の家の育成が下手すぎるだけの話なw 一般的に農耕馬は躾やすいので、バカな馬主のせいで気性がダメになるんだわ バカな馬主は無知だって証拠を君の家の農耕馬が証明しているのかもねw
@toujousen
@toujousen 3 ай бұрын
ほうほう、なるほど 昔の当時絵巻に残ってる馬は全てわざとデカく描いたと言いたいわけですね 分かります(棒
@junjun5127
@junjun5127 4 жыл бұрын
全身鎧の武者が乗ってたら走れてもすぐ潰れちゃうでしょ
@user-mx8np4nr3y
@user-mx8np4nr3y 4 жыл бұрын
サラブレッドならね 馬には色んな品種が居るから北海道で行われてる ばんえい競馬の馬は最高1tのそりを引いてレースをする よろい武者位軽いと思うよ
@junjun5127
@junjun5127 4 жыл бұрын
@@user-mx8np4nr3y 引っ張るのと乗るのとじゃ違うかと
@user-mx8np4nr3y
@user-mx8np4nr3y 4 жыл бұрын
@@junjun5127さん やはりそうですよね^^;;そう来ると思ってました>< 検索してみました 荷駄の場合150㎏迄と言う話し guidance.city.yokkaichi.mie.jp/hakubutsukan/jp/3426.html こちらでは180㎏積めたが毎日なら半分の90㎏ detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14109181999 9㎞以上運べたなら直ぐにつぶれる事は無いかなとも思えます^^; 続日本紀では120kg を改め90㎏にすると記述 ja.wikipedia.org/wiki/駄獣 大鎧で完全武装すると重さは37.5kgと有ります detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1127457271 侍の体重が55~70kgだとすると総重量90㎏~110㎏ (´ヘ`;)ウーム…確かに微妙な重さですね^^;; 37㎏フル装備で馬にも乗らず戦うのも現実的ではありません 大鎧の時代の主戦武器は弓 激しく動かなくても良かった 戦国時代のイメージのような場合は当世具足は検索すると 15㎏~20Kg みたいですね弓から刀などに武器や戦術が変わり 軽量化はしたみたいですね stonewashersjournal.com/2016/05/11/armor/ stonewashersjournal.com/2016/05/11/armor/ 逆に武器も大太刀や薙刀から刀や槍に変わったのは 騎馬で戦うためだったのではないでしょうか? 刀と槍ならば5㎏程度 侍の体重も含め総重量80~100㎏ このくらいなら直ぐにはつぶれないと思うのですが如何でしょうか?
@haruhibouEX0
@haruhibouEX0 4 жыл бұрын
さとちん ボコボコにしてて草
@user-qt5ti9xk1v
@user-qt5ti9xk1v 3 жыл бұрын
自分も騎馬隊は無かったと考えており、理由はこの動画で出てきた内容とほぼ同じですが、それに加えると、基本日本の場合は、騎馬武者に対し、馬回り衆が5~20人程おり、 それと共に戦うのが普通であったこと、馬は貴重で(山内氏の妻の金で立派な馬を買い信長の閲覧式?での話は有名ですよね)あり、そんなに大量に導入出来ないし、乱戦の中突っ込ませるとか無謀な扱いは出来ない。最大の勘違いは、実は世界を問わず、「騎馬隊?騎馬武者?騎士?」の解釈が少し違っていると思うのは、基本馬に乗ってそのまま刀・槍で戦うことは少ない・・ということだと思います。ゲームなどでは歩兵より騎馬隊が機動力も戦闘力も高く設定されている場合が多いですが、実際に騎馬隊的な軍が役に立つのは、機動力をいかして、拮抗している戦いの側面をつく、それも奇襲的に弓・鉄砲で射撃することであり、刀・槍で武装した騎馬軍と長槍(長槍でなくても優位性は少し落ちるだけ)の歩兵軍では明らかに歩兵の方が強い。まず、馬も馬鹿じゃないし、槍を構えている所には突っ込まないし、漫画みたいに、馬上の人が周囲の歩兵を切れる様な優位な動きをすることは奇跡に近い。そこまでの操馬術も有ったとは思えない、特に日本は。更には馬上で刀・槍を振り回しても、馬上と言う足場では安定しないし、かつ踏ん張りも効かない。実際に武器で斬馬刀はともかく、熊手(現代の掃除用とは異なる)みたいな馬上から武将をひっかけて落とす武器などが多く使われたのもそのためであろう。 もちろん、騎馬武者対歩兵の戦いの図は有ったと思うが実際は、騎馬武者が戦いの中に突っ込み、馬を降りて戦おうと考えていたが、途中で敵兵の歩兵に襲われて、やむなく応戦した図であり、歩兵からすれば、ほぼ戦闘力の無い騎馬武者が近くに来たので、まず、槍や熊手で馬上から落として転ばさせてからそのまま襲い殺すという方式が一番楽だったからではないかと思います。モンゴルの騎馬軍もでもあんまり騎馬対騎馬という話は実は対ヨーロッパ線ではほぼない。ほとんどがモンゴル軍が城を攻める攻城戦いであり、かつ、自分が知っているモンゴル軍の野戦の戦い方は、荷馬車を半円形に陣地を作り、いわばゆっくり動く砦の様な感じで弓矢を射ながら戦うのが主体であり、日本は荷馬車は無いが、確かモンゴル襲来の時も馬を結構積んできたはずなのに、あまり馬に乗って戦うモンゴル軍が見れないのはその為なのかな?とも最近思い始めた次第です。
@user-qt5ti9xk1v
@user-qt5ti9xk1v 3 жыл бұрын
@nobu toudo さん その多数の資料は大体が軍記物の物語であり、脚色がされている場合がほとんどなのです。 平家物語で巴御前が最後に馬上同士で組合、首を引きちぎった〜みたいな話も有りますが、基本、無理なのです。 まあ、数十年後には「漫画 花の慶次」と言う資料をみても・・・と主張する程度なのです。 また、根本的に馬上で戦うことがあった〜は否定しませんが、中国や欧州の様に騎馬隊として戦ったのではなく、馬廻り衆と共に突込み、周囲を囲まれ、馬を降りるタイミングを損ねて、あぶみが有ったとしても殺傷能力の威力が有る槍の使い方は難しいし、相手の槍・刀を払う程度の戦い方だと自分は推測してます。
@user-qt5ti9xk1v
@user-qt5ti9xk1v 3 жыл бұрын
@nobu toudo さん それで、良いのでは? 貴方が最初に書かれた様に騎馬隊とは、どう言うものかと言う個人的定義部分には幅があるのは理解しました。 少し嫌味に聞こえてしまうかも知れませんが「馬に乗って戦っている武者が居ればそれは数騎だろうと騎馬隊」と言うのであれば層だと思います
@user-qt5ti9xk1v
@user-qt5ti9xk1v 3 жыл бұрын
@nobu toudo さん だからそれで良いのでは? 馬に乗って居れば騎馬隊だと定義している人と論じても平行線であると言っているのです。 それは否定している訳ではなく、相容れないと言うだけです
@user-qt5ti9xk1v
@user-qt5ti9xk1v 3 жыл бұрын
@nobu toudo さん あのしつこいのでじゃあ聞くけど、貴方が実際に主張されている騎馬隊の戦い、「〜ようです」とか、「〜と主張しているのは間違いで実際は戦っている」みたいなのを書いてますが、実際の軍記ものや戦略学的な話以外で確固たる活躍の記録はあるのですか? 馬に乗って居れば、騎馬隊で済ました方が良いのでは?、無理に戦った〜みたいな論をしても、(しかも西洋の騎馬隊みたいではなく〜、と言うのならどの様な戦い方?)無駄ですよ 専門家の話を良く読んでらっしゃるのなら戦略学的なものはいい加減(有名なのは関ヶ原の布陣図は実際は全然違う〜、等)なのは分かりますよね?
@user-qt5ti9xk1v
@user-qt5ti9xk1v 3 жыл бұрын
@nobu toudo さん 話を変えているんじゃなくて貴方が主張したからでしょう?
@koji620
@koji620 4 жыл бұрын
歯がすり減ってないってことは大人の馬じゃないんですかね?
@user-rw2jt7yx4p
@user-rw2jt7yx4p 4 жыл бұрын
はみを余り使っていないという事かと
@koji620
@koji620 4 жыл бұрын
@@user-rw2jt7yx4p なるほど。昔は歯の磨り減り具合で年齢を確認していたとあったので仔馬なのかなと思いました。
@user-tg1ye7tn4k
@user-tg1ye7tn4k 3 жыл бұрын
こうなると、織田軍の鉄砲隊というのも怪しくなってくるなw まさか、豆鉄砲で戦ったんじゃないだろうなWw
@user-xp2dg2mf2o
@user-xp2dg2mf2o 3 жыл бұрын
良い推理ですね、実際に鉄砲の玉が数発しか出土してないのです。3段打ちもだから怪しい。小規模なゲリラ戦だったと言う説も有ったりします
@user-er6dd8io9j
@user-er6dd8io9j 4 жыл бұрын
日本には大陸のような騎馬隊が存在する理由は全くないのでは? 馬は荷馬や武士を運ぶ為に用いらり、早く戦場に着く為の足に過ぎなかった。 日本の地形を考えれば騎馬の大群が疾駆して戦うには向いていないと思うのだが。
@user-mx8np4nr3y
@user-mx8np4nr3y 4 жыл бұрын
武将が馬に乗っていても 殆どの兵が徒歩なんだから 戦場に早くつける訳ないただ楽なだけ 日本の地形では確かに騎馬の大群が疾駆して戦うと言うのは 無理があると思う 事実西洋や中国のような戦車が無いしね しかし大太刀等明らかに騎乗で使う武器や 当時山の上からの 戦見物などは普通に行われ落ち武者狩りとかしてたんだから 絵巻がまるで嘘と言うのも無理があると思う
@azumam2427
@azumam2427 3 жыл бұрын
その当時は山は森、平地は湿地と藪で田んぼは谷地田でぬかるんでいた。田んぼは昭和40年代始めまでそうだった。乾田になったのはその後の耕地整理の後なんだよ。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@@nobutoudo7117 溶岩石や山火事跡で切り株がゴロゴロしてたり、クズなどの生命力の強い草木が生い茂る荒野でも馬が疾駆できるらしいぜww どういう日本語の地形・風土の認識してるんだ?こいつw
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
@@azumam2427 ヤブでも馬は疾駆できるらしいぜw(大爆笑 大半の湿地や藪中、山火事跡の荒廃土でも馬は疾駆できるらしいぞw 全く持ってクズい認識だよなw
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
@@user-jj4iv2dc6p 田んぼの畦道でも、雑草生えまくりの原っぱでも多少の障害物あろうが馬の集団は普通に飛び越えてくんだが、馬に乗ったこともなければ馬の知識もなく、自分の思い込みを元にして勝手な自説を展開してる君はなんなんだ。数十の騎馬武者が展開し、突っ込む平地、盆地、台地は日本に無数にある。石、弓にしても鉄砲にしても大砲にしても、別に当たらなくとも陣形をみだしたり、威嚇したり、あらゆる目的で使える。史料や高麗、明、朝鮮の記録にも日本の騎馬武者が集団で突っ込んできたとか、日本の遊撃の騎兵達がとか記述があり、何を騎馬隊というかは君の主観にすぎず、騎馬武者が集団で戦う編成があるのは事実でそれを君みたいな専門家気取りの素人にもわかりやすく解説してあげてるんだが難しかったかな?
@so-su4591
@so-su4591 4 жыл бұрын
武田・北条のような有力東国大名においては、軍勢招集後の兵種別再編成により騎馬衆が再編成されていることが確認されていますので、少なくとも東国にはいわゆる騎馬隊が実在していたことは確かだと思います。また騎馬武者の多くは軍役衆等の身分の低い戦闘員と言われておりますので、身分の高い者しか馬に乗っていなかったということも無いかと。宣教師の記録の信憑性は、東国については活動拠点である西国から離れていることもあり、懐疑的に見るべきだと思います。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
騎馬衆が兵科として戦場ではなく補給・伝令で運用されただけの話でも、確認できるよね? 戦功論功において騎馬が兵科として評価された史実はないけど、それでも兵科として騎馬隊が戦場で活用された、というのは「単なる強弁」でしかないと思うぜ まぁ、補給後方において騎馬が活躍した戦功論功なら山程あるので、それはまず理解されたし
@hume218
@hume218 Жыл бұрын
まさしく仰る通りです。騎馬隊は史料に裏付けされた史実です。
@user-rl1ev9zq2t
@user-rl1ev9zq2t 3 жыл бұрын
長篠の戦いの60年くらい前に既にオスマン軍の鉄砲隊がサファヴィー朝の騎兵を破った戦い(チャルディラーンの戦い)があるんだよね。まあでも規模も違うし一概に同じわけではないが。
@togakushi6
@togakushi6 4 жыл бұрын
と...誰が言い出したのかよく考えた方が良い
@tostom3701
@tostom3701 4 жыл бұрын
速度重視のときや相手の意表を突くかく乱戦には騎馬隊は必要(今時の暴走プリウスみたいにスピードは人の恐怖心を煽ります) ただ長槍隊に真っ正面から突撃してばっこんばっこん叩かれたらまるで無力だし、落馬させれば戦闘力無効化できるし使い方が非常に難しいですね 自分がもし大勢の騎馬隊相手にするなら前もって穴掘ったりロープ張ったり地形をガタガタにします 偉い人が乗ってた説も言われてますがこの人たちただの弓や鉄砲の的ですね
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
で、指摘される戦術環境が日本に存在したのか?って問題については、まず返答がないんだよねw そもそも乱戦に突撃できるほど馬って馴致できないほど臆病だしね 集団運用で勢い任せで運用する方法なら馬の特性としては想定しえるけど、そんな戦場スペースは稀有だから そもそも論、日本に伝わってる馬術ってのが荒唐無稽の馬具を前提にしているオチとか理解したほうがいいよ 馬具の技術革新の歴史において日本は実に後進国だったことも知らないと、日本の運用は語れないと思うけど、そういう発想がない歴史認識論って日本では当然になってるよね・・本当に実証という意味で幼稚な研究ばっかりだわ・・認知する側も幼稚だけどw
@yasuyukitakeda
@yasuyukitakeda 4 жыл бұрын
馬も小さいが人も小さいので、現在の検証よりも 戦国時代は有益な乗り物だったと思います。有名な「ナポレオン画の馬はポニーだった」同じことを言われていますが、これも同じ。僕らの祖父たちでさえ、僕達よりかなり小さいです。これは海外でも同じで、栄養状態が良い現代は日本も世界も人間がどんどん大きくなっています。 馬は非常に高価なものなので、必ず降りて戦った! という意見も多々ありますが、 馬に乗っていれば、死傷率が違うなら、命よりも馬の方が3年もあれば新馬から再生できるので、安いとも言えます。 では馬はどういう位置かと言うと、今でいうオープントップの4駆(ジープ)と同じ扱いでいいと思います。 あくまで、高速な移動手段であり、普通は降りて戦います。敵の弾や弓からの盾にも使います。 それでも移動しながら戦った方がいい 殿(しんがり)や掃討戦とかは馬に乗ったまま戦ったでしょう。
@user-jj4iv2dc6p
@user-jj4iv2dc6p Жыл бұрын
まず基本情報ね ナポレオンのアルプス越えの馬は、ポニーなんて話は完全無欠の受け売りする側の間違いです あれは、馬ですらなく騾馬(ラバ)であり、騾馬というオチで有名な話です。 そして、騎馬武者のほうが致死率は高いようです。なぜなら馬を制御する技術が極めて困難かつ馬を破棄することが簡単な話ではないからです。兵科として馬を破棄することが許されない兵科ですのでw そもそも、殿とは、撤退戦において、味方の撤退を支援する戦闘態勢のことで、彼らには俊足は求められず、敵勢を削ぐ性質適には徒士である必然性が高いでしょう。仮に掃討戦となれば、少数の騎馬運用であれば弓兵の良い的になるだけです 馬は軽微な傷で戦線を維持できない弱い側面があるからこそ、その運用において相当な前提条件の整備があって運用されていたのは戦史を見れば明白です 有効な騎馬戦術は、モンゴル系のヒットアンドウェー・奇襲型がメインで、日本にはそれに適した地形も戦術環境もないとは断言できるでしょう
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