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信玄とともに戦国の世を駆け抜けた武田家臣団の中にあって、地味ながら武勇と知略に秀でた武将がいました。
その男の名は『内藤昌秀』。
昌豊(まさとよ)とも呼ばれますが、武田の副将格にして四名臣、また四天王とも謳われた重鎮でした。
若くして甲斐から追放され、辛酸を舐めますが、やがて信玄にとってなくてはならぬ存在となるのです。
~目次~
1:13 苗字は『内藤』ではなく『工藤』だった
2:55 流浪の日々を送る工藤兄弟
5:51 武田晴信無二の忠臣となる
9:41 大出世を遂げる昌秀
11:58 昌秀最後の奮戦
17:13 まとめ
~関連動画~
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脚本・監修:歴史じっくり紀行
#歴史じっくり紀行 #内藤昌秀 #内藤昌豊