5 32:23 🟡君主(王様)を,世襲で選ぶというのは、珍しいいことではない。 🟡しかし,なぜ,それがウマイヤ朝(Umayyad Caliphate)なのだろう。32:30 🟡世襲にするなら,ムハンマド直系のハーシム家(Hashemites)ではないか?26:35、16:35、29:06 🟡アリーの息子の, フサイン(Husayn ibn Ali)が、ウマイヤ家など認めないとし,ついに内戦(Civil war)がおきた。32:42 🟡カルバラーの戦い(Battle of Karbala)32:56 🟡カルバラー(Karbala)は,現在のイラクの辺り。33:08 🟡この周辺に住んでいた,アリー(Ali)の支持者たちが,立ち上がれと呼びかけた。33:11 🟡フサイン(Husayn ibn Ali)は,自分の信頼できる家族と,部下だけを連れて、マディーナ(Medina)を出発し,カルバラーへ向かった。 🟡数は、僅か70人。33:28 🟡それを知った,ウマイヤ家(Umayyad Caliphate)は, 5,000人の兵士を率いて, フサイン軍を迎え撃った。33:31 🟡フサイン軍は、砂漠で包囲され、水,食糧を断たれ, 渇きと,飢えに苦しみながら戦ったが,全滅した。 33:38 🟡カルバラーの戦い(Battle of Karbala)33:56 ……… 🟡これで,ウマイヤ家(Umayyad Caliphate)の支配は固まったが、話は,まだ終わらない。34:05 🟡フサイン(Husayn ibn Ali)の子供が,生き残った。34:11 🟡代々、フサイン(Husayn ibn Ali)の直系男子を,指導者と呼び、ウマイヤ家(Umayyad Caliphate)に抵抗をつづけた。34:16 🟡アリー,フサイン一族の支持者のことを、シーア派(Shia Islam)という。34:29 🟡シーア派は、預言者ムハンマドの後継者を,アリー(Ali)と考えている。34:54 🟡初代正統カリフの,アブー・バクル(Abu Bakr)も,正統カリフとは認めない。25:17、35:00 🟡第2代正統カリフの,ウマル(Umar)も,正統カリフとは認めない。35:04 🟡ウマイヤ家から選出された,第3代正統カリフの,ウスマーン(Uthman)は,絶対に認めない。28:56、35:06 🟡アリーに害をなしたかもしれない,ムアーウィヤ(Mu'awiya I)は,論外。30:57、35:09 🟡シーア派の血統、預言者ムハンマド、ムハンマドの従兄弟アリー、アリーの息子フサイン……という繋がり。35:15 🟡シーア派は,指導者のことを,カリフ(Caliphate)とは呼ばない。35:22 🟡シーア派の指導者のことを,イマーム(Imam)と呼ぶ。29:06、35:32 🟡スンナ派の指導者のことを,カリフ(Caliphate)と呼ぶ。35:37 🟡カルバラーの戦い(Battle of Karbala)35:42 🟡カルバラー(Karbala)は,シーア派の聖地となっている。35:45 🟡殉教の地。35:47 🟡シーア派は,現在でも、カルバラーの戦い(Battle of Karbala)を悼み,儀式をおこなう。35:50 🟡アーシューラー(Ashura)35:57 🟡この宗教行事を,スンナ派の人々は冷めた目でみている。37:06 🟣世襲 - Wikipedia 支配者の地位が、血縁関係に継承によって独占占有される事 🟣ウマイヤ朝 - Wikipedia 世襲イスラム王朝,7~8世紀 🟣ハーシム家 - Wikipedia メディナ地域の豪族 🟣フサイン・イブン・アリー (イマーム) - Wikipedia 🟣カルバラーの戦い - Wikipedia 第二次内乱 🟣アブー・バクル - Wikipedia 預言者ムハンマドの妻の父親 🟣Line of hereditary succession - Wikipedia 🟣Umayyad Caliphate - Wikipedia 🟣Hashemites - Wikipedia 🟣Husayn ibn Ali - Wikipedia 🟣Battle of Karbala - Wikipedia 🟣Abu Bakr - Wikipedia 37:16 🟡神の,お言葉を,啓示(Revelation)という。 🟡おろかな人間は,神のお言葉を,直接-聞き取ることができない。37:21 🟡特別な能力のあるもの以外、神の啓示(Revelation)を,聞き分ける37:27 🟡特別な能力を持つ,人々のことを、預言者(Prophet)という。37:33 🟡モーセ(Moses)、イエス・キリスト(Jesus)、ムハンマド(Mohammed)は,預言者だった。37:39 🟡一種の超能力は、預言者(Prophet)の,直系の子孫しか持っていない。37:45 🟡系図をみればわかるが、預言者ムハンマドの,直系子孫は……37:59 🟡ムハンマドの娘,ファーティマ(Fatima)24:15、38:08 🟡ファーティマのお婿さんの, アリー(Ali)4:56、38:11 🟡アリー(Ali)の子孫だけ…38:14 🟡アリー家の人々だけが、ムハンマドの超能力を,受け継いでいるはずだ。38:17 🟡だから,アリー家だけが、イスラム教の指導者-イマーム(Imam)である。38:26 🟡これが,シーア派(Shia Islam)の考え。38:36 🟡シーア派は,アブー・バクル(Abu Bakr)を認めない。25:17、38:46 🟡第2代正統カリフの,ウマル(Umar)も,正統カリフとは認めない。26:35、38:53 🟡ウマイヤ家から選出された,第3代正統カリフの,ウスマーン(Uthman)は,絶対に認めない。28:56、38:53 🟡アリーに害をなしたかもしれない,ムアーウィヤ(Mu'awiya I)は,論外。30:57、32:23、38:55 🟡ムハンマドの後継者は,アリー(Ali)であり、アリーの子孫が,代々の指導者(Imam)4:56、38:59 🟡これが,シーア派の考え。39:06 ……… 🟡アリー(Ali)は,ムハンマドの従兄弟。4:56、39:11 🟡ムハンマドは,幼いころ父親を亡くし、おじさんに引き取られた。39:25 🟡おじさんの家に住んでいた従兄弟が,アリー(Ali) 預言者ムハンマドと,アリーは,同じ家で,兄弟のように育った。39:32 🟡つまり,アッラー(神)は,ムハンマドを預言者に選んだときに、アリーも一緒に選んだ。7:15、39:39 🟡神は、ムハンマドとアリーを選んだ。39:47 🟡シーア派においては、預言者ムハンマドと,アリーは同格に扱われている。39:53 🟣ヤハウェ - Wikipedia 旧約の神 🟣シーア派 - Wikipedia 🟣ハーシム家 - Wikipedia メディナ地域の豪族, ムハンマド直系 🟣ウマイヤ朝 - Wikipedia 世襲イスラム王朝 🟣アブー・バクル - Wikipedia 初代正統カリフ,ムハンマドの妻の父親 🟣Yahweh - Wikipedia 🟣Shia Islam - Wikipedia 🟣Hashemites - Wikipedia 🟣Umayyad Caliphate - Wikipedia 🟣Abu Bakr - Wikipedia
@minto5603 Жыл бұрын
7 50:18 🟡私は、アブー・アル=アッバース(Abu al-Abbas)は,預言者ムハンマドの叔父(伯父)の一族。 🟡アッバース家(Abbasid)は、ムハンマドの直系一族-ハーシム家(Hashemites)の,分家にあたる。50:31 🟡血統にあたるため、ウマイヤ朝(Umayyad Caliphate)とは違う。28:18、29:04、50:37 🟡イラン人-諸君、諸君の不満はよくわかる。ウマイヤ朝は間違っている、もし私がカリフ(Caliphate)になったら,必ず,改宗者マワーリー(Mawla)に,免税特権を認めよう。46:46、50:49 🟡イラン人よ,手を組もうではないか。51:05 🟡シーア派の諸君、諸君と,我々(Sunnah)は立場が違うが、ウマイヤ家-打倒と言う目的では,手を組めるはずだ。51:15 🟡敵の敵は味方だ、ウマイヤ朝の都-ダマスカス(Damascus)を攻撃しよう!51:28 🟡シーア派のアッバース家と、イラン人改宗者マワーリー(Mawla)の同盟ができた。51:38 🟡一斉に,ウマイヤ朝の都-ダマスカス(Damascus)を襲撃。51:44 🟡ウマイヤ朝(Umayyad Caliphate)は敗北し、皆殺しにされた。31:30、51:48 🟡アッバース革命(Abbasid Revolution)という。51:53 🟡西暦750年から,アッバース朝(Abbasid Caliphate)が始まる。51:59 🟡アッバース朝、2代目カリフ(Caliphate)の時代に、イラクのバグダード(Baghdad)に,新しい都をつくった。52:09 🟡ダマスカス(Damascus)から、バグダード(Baghdad)に都を移した。52:15 ……… 🟡その後、シーア派(Shia Islam)と,アッバース朝(Abbasid Caliphate)の争いがおきた。52:21 🟡シーア派(Shia Islam)は,預言者ムハンマドの直系しか認めない。52:28 🟡分家のアッバース朝(Abbasid Caliphate)は認められない。52:32 🟡次は、シーア派(Shia Islam)が倒され、アッバース朝(Abbasid Caliphate)弾圧をうける。52:39 🟡シーア派は,地下に潜った。52:48 🟡皆殺しになったウマイヤ朝(Umayyad Caliphate)は、男児の生き残りがいた。52:53 🟡男児は、地中海を渡り、イベリア半島(Iberian Peninsula)まで,落ち延びた。49:26、53:05 🟡イベリア半島の人々に救われて、後ウマイヤ朝(Caliphate of Córdoba)という亡命政権を立てた。28:56、31:30、51:38、53:13 🟡執拗な残党狩りを続けていたアッバース朝(Abbasid Caliphate)も、イベリア半島まで軍隊を送る余裕はなく,亡命政権は野放しになった。53:32 🟡のちに,後ウマイヤ朝(Caliphate of Córdoba)は,自分こそがカリフ(Caliphate)だと主張。53:39 🟡コルドバという街を都にしたため、コルドバのカリフ国(Caliphate of Córdoba)という。53:44 ……… 🟡西暦750年-アッバース革命(Abbasid Revolution)の翌年、アラブ軍が,中央アジア(Central Asia)に侵攻。53:50 🟡ここで,中国-唐王朝(Tang dynasty)の軍隊と決戦をおこない,アラブ軍の大勝利。53:57 🟡この戦いで,アラブ軍を迎え撃ったのは、唐王朝の玄宗(Emperor Xuanzong of Tang)皇帝。54:04 🟡西暦751年、タラス河畔の戦い(Battle of Talas)54:08 🟡この時、大勢の中国人が,アラブ側によって捕虜にされた。54:17 🟡捕虜のなかに紙職人もいた。この時はじめて,中国の製紙法が、西に伝わった。54:24 🟡製紙法の西伝(伝播)54:33 🟡紙が伝わる前は、羊の皮に,書いていた。54:36 🟡コーランなどは羊皮紙(Parchment)だった。54:40 🟣ウマイヤ朝 - Wikipedia 🟣アッバース革命 - Wikipedia 🟣アッバース朝 - Wikipedia イスラム王朝 🟣イベリア半島 - Wikipedia ヨーロッパ大陸の南西端 🟣後ウマイヤ朝 - Wikipedia 🟣唐 - Wikipedia 618ー907, 7世紀はじめー10世紀はじめ 🟣玄宗 (唐) - Wikipedia 🟣タラス河畔の戦い - Wikipedia 🟣Umayyad Caliphate - Wikipedia 🟣Abbasid Revolution - Wikipedia 🟣Abbasid Caliphate - Wikipedia 🟣Caliphate - Wikipedia 🟣Iberian Peninsula - Wikipedia 🟣Caliphate of Córdoba - Wikipedia 🟣Tang dynasty - Wikipedia 🟣Emperor Xuanzong of Tang - Wikipedia 🟣Battle of Talas - Wikipedia 54:50 🟡フランク王国(Francia)について。 🟡西暦751年-タラス河畔の戦い(Battle of Talas)がおきた年、フランク王国(Francia)で王朝交代があった。49:40、54:50 🟡メロヴィング朝(Merovingian dynasty)が倒されて、ピピン3世(Pepin the Short)の.カロリング朝(Carolingian dynasty)に変わった。55:01 🟡ピピン3世(Pepin the Short)の息子が、カール大帝(Charlemagne)55:11 🟡カール大帝が、ローマ教皇から戴冠されて,カトリックの帝国をつくった。55:15 🟡フランク王国(Francia)は、ローマカトリック(Catholic Church)55:25 🟡東ローマ帝国(Byzantine Empire)は、ギリシャ正教会(Eastern Orthodox Church)55:28 🟡キリスト教徒の内紛……55:31 🟡フランク王国(Francia)からみると、ローマ教皇を認めない,東ローマ帝国(Byzantine Empire)は敵。55:36 🟡東ローマ帝国(Byzantine Empire)の向う側には、イスラム教のアッバース朝(Abbasid Caliphate)がいる。55:45 🟡敵の敵は味方となり、フランク王国のカール大帝(Charlemagne)は,イスラム教のアッバース朝(Abbasid Caliphate)と手を組んだ。55:50 🟡カール大帝(Charlemagne)は、アッバース朝の都-バグダード(Baghdad)に使いを送った。52:09、55:54 🟡この時のカリフは、ハールーン・アッ=ラシード(Harun al-Rashid)56:03 🟡この時が、アッバース朝(Abbasid Caliphate)の最盛期。56:12 🟡その後、カール大帝(Charlemagne)は,イベリア半島に出兵し、後ウマイヤ朝(Caliphate of Córdoba)と戦った。56:19 🟡同じイスラム教だが、後ウマイヤ朝(Caliphate of Córdoba)と、アッバース朝(Abbasid Caliphate)も仲が悪い。50:18、56:33 🟡敵の敵は味方ということで、イスラム教のアッバース朝は、キリスト教のフランク王国(Francia)を応援した。56:37 ……… 🟡中世ヨーロッパには、カール大帝の,イベリア半島-遠征をテーマにした,騎士道物語(Chivalric romance)がある。56:45 🟡ローランの歌(Song of Roland)57:13 ……… 🟡東ローマ帝国(Byzantine Empire)から、敵国のアッバース朝に,大勢の亡命者がでた。57:18、57:32 🟡キリスト教の内紛で、東ローマ帝国(Byzantine Empire)は、エフェソス公会議で,ネストリウス派(Nestorianism)を禁止した。57:49 🟡東ローマ帝国に住んでいたネストリウス派は、迫害を逃れ,アラブ側に亡命した。58:20 🟡イスラム世界は、人頭税(Jizya)さえ払えば、宗教はOk。44:44、58:29 🟡亡命者のなかに,有名な学者がたくさんいた。58:40 🟡東ローマ帝国の都-コンスタンティノープル(Constantinople)から,貴重なギリシャ語の文献を抱えて逃げてきた。58:47 🟡ギリシャ語で書かれた,プラトン(Plato)や,アリストテレス(Aristotle)などの著書が、アッバース朝の都-バグダードに運ばれた。58:55 🟡東ローマ帝国からやってきた亡命者たちの母語はギリシャ語だが、アッバース朝でアラビア語を習得した。59:05 🟡そしてギリシャ語の文献を、アラビア語に翻訳した。59:13 🟡アッバース朝(Abbasid Caliphate)は,この動きを奨励し,都のバグダードに,翻訳センターをつくった。59:21 🟡知恵の館(House of Wisdom)59:34 🟡古代ギリシャ文明を,そっくりと,アラブのアッバース朝(Abbasid Caliphate)が受け継いだ。59:38 🟡逆に,西ヨーロッパは、カトリック(Catholic)と,ギリシャ正教会(Eastern Orthodox Church)の対立によって、東ローマ帝国から学べない。59:49 🟡西ヨーロッパ(Western Europe)には,古代ギリシャ文明が伝わらなかった。59:59 🟣フランク王国 - Wikipedia 🟣メロヴィング朝 - Wikipedia フランク王国における最初の王朝 🟣カロリング朝 - Wikipedia フランク王国2番目の王朝 🟣ピピン3世 (フランク王) - Wikipedia 🟣カール大帝 - Wikipedia 🟣ハールーン・アッ=ラシード - Wikipedia アッバース朝第5代カリフ 🟣ローランの歌 - Wikipedia カール大帝のイベリア遠征 🟣エフェソス公会議 - Wikipedia 🟣ネストリウス派 - Wikipedia 🟣知恵の館 - Wikipedia バイト・アル=ヒクマ 🟣Francia - Wikipedia 🟣Merovingian dynasty - Wikipedia 🟣Carolingian dynasty - Wikipedia 🟣Pepin the Short - Wikipedia 🟣Charlemagne - Wikipedia 🟣Harun al-Rashid - Wikipedia 🟣Song of Roland - Wikipedia 🟣Council of Ephesus - Wikipedia 🟣Nestorianism - Wikipedia 🟣House of Wisdom - Wikipedia