斜陽の零戦(零戦が零戦でなくなっていく!)

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TheGyspsw24

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Күн бұрын

Пікірлер: 199
@鯛が好き-d7j
@鯛が好き-d7j 8 ай бұрын
凄く詳細に各機種の特徴や開発経緯、その後に辿った過去が解りやすく作成されている思いました。面白かったです。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&あたたかいコメント有難うございました。
@3uno757
@3uno757 8 ай бұрын
零戦正式採用の1940年には後継機(烈風)の開発内示は出ており、海軍も零戦で当分戦えるとは流石に思ってなかった。 ただデビューしたての零戦の不具合対処や雷電の開発で三菱もそれどころじゃなかった。 結局開発能力も生産能力も足りなかったのが零戦酷使に繋がった。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。
@田中一朗-s2c
@田中一朗-s2c 8 ай бұрын
あとは大出力のエンジンも
@黑き史
@黑き史 8 ай бұрын
【見通しを誤った】 ・・・とありますが... 結局出力が向上した発動機が開発されない限り、後継機を計画したくてもできなかった。 事実として「十七試艦上戦闘機」として「烈風」の開発が動き出したのは「誉」発動機の実用化に目処が立った頃からですね。 海軍がモーターカノン装備可能な液冷式発動機の開発に一時期熱中した悪影響が大きな要因でもあるようですが... 戦後「評判が悪い」と云われた「零戦52型丙」ですが、零戦の各型の中で「一番良かった」と評価していた搭乗員がいたのも事実。戦争末期ともなると旋回を伴う「格闘戦」は殆ど発生せず、一撃離脱―敵機を発見したら素早く忍び寄り一瞬のチャンスに一発でも多く弾丸を叩き込む―が主流になった空戦では時宜に適った強力な武装だったと喜んだそうです。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。なるほどそういった意見もあったのですね。参考になります。
@黑き史
@黑き史 8 ай бұрын
@@TheGyspsw24 此方こそ偉そうな物言いで申し訳ありません。 ついでなのでもう少し付け足すと... 戦後に元搭乗員の坂井某氏の「零戦は21型が一番良かった」という主張は、ひろゆき氏の言い方だと「それは貴方の感想でしょ?」となるはずなのですが、何故か多くの航空機研究の識者の方々が「其れ」を無批判に鵜呑みにして、零戦「後期型」を「改悪」だと決め付けて紹介し続けたのか不思議でならない。 昭和18年末から19年始め頃になると、ラバウル上空で激戦を繰り広げた204空航空隊は中央へ「21型は要らない。22型か新型(52型)を寄越せ」との要望書を送ったことからも、当時の現場では戦闘機に何を望んでいたのかが分かると思います。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
零戦後期型が今ひとつ活躍できなかった原因の一つに、搭乗員の練度の低さもあったでしょうから、どこに真実があるかはなかなか難しいところかもしれませんね。
@岡本博志-o3x
@岡本博志-o3x 8 ай бұрын
@@黑き史 ロール性能を評価して32型をほめる人もいますし、岩本哲造さんみたいに52型を評価するエースもいるし、性能が低下しまくりだ!とバカにされがちな52型丙の防弾と武装を評価する谷水氏の様なエースもいます。飛行歴や主に戦った機体や投入時期によってこの感想が変わるはずなんですが21型最良説の声の大きさに負けてますよね。私もなんだかんだ改良は戦争の推移にマッチしていたと思ってます。あと21型最良説は、ノンフィクションドキュメント作品「零戦燃えゆ」下巻「八幡隊の硫黄島防空」で52型に乗ったベテラン搭乗員より21型に乗った新人たちの方が帰還率と戦果が上だったという藤田伊与蔵大尉の証言も補強材料にされていると思います。私はただの未熟な搭乗員の戦果誤認と21型が性能を発揮できる低空低速戦闘がたまたま多発する状況だったかだろうと思ってます。  (雲の上の中空で52型とF6Fの空戦が起きてここでは高空高速で勝る米軍が圧倒して、52型との空戦でエネルギーを失い速度と高度を落としたF6Fに雲の下で待機してた21型が低空で仕掛ける体制が偶然できてしまったということです)
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
興味深いコメント、大変勉強になります。
@izakayatairyou1880
@izakayatairyou1880 8 ай бұрын
良く出来た飛行機て事ですよね。色々あっても傑作機て事は不変です。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@kii1053
@kii1053 8 ай бұрын
こんにちは、私は今齢60歳のジジイですが、父親が海軍軍人で、母親が昭和18年から学徒動員で、最後は零戦62型を製造するラインにて組み立てを行っていたそうです。主にリベット打ちや接合部の位置決め等を行っていたそうです。戦前、戦争初期の航空機と違い、女学生が作る飛行機は左右でつばさの傾きが違っていたり捻じれていたり昇降舵や方向舵に対する入力棒が逆に 取り付けられていたりで低能力で予定能力の出ない散々な飛行機ばかりだったそうです。 こちらの動画もそうですが、ほぼ全ての動画は設計者たちと軍からのやり取りを上げて槍玉にされていますが、そもそも実際に飛行機を製作する人間がスペシャリストでは無くなっていた事を書いていません。ですので、こういう事からも日本が敗れた事は必然だったのでしょう。 陰りが見えて来たのは、飛行機搭乗員ばかりでは無いのです。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&大変参考になるコメント有難うございました。仰る通りその視点が抜けていました。
@kii1053
@kii1053 8 ай бұрын
⁠ 追伸 私の母親曰く、女学生たる私達が航空機を組み立てなければ飛行機が作れないとは、この戦争は負けだなと思ったそうです。それまで日清、日露、第一次世界大戦と勝ち続けていた誉れ高き日本と喧伝され、学生達の間でも負ける訳が無いと話しがされていたそうですがね。 話しが逸れてしまいました。いずれにしろ有る意味日本は年功序列、上位解脱が徹底されすぎており、下の者からの意見具申は中々通らない組織自体が既に駄目であったと思います。せめて、物を設計製作する時位アメリカのような柔軟さが有ればと思ってしまいますね。
@南条英機-n5c
@南条英機-n5c 6 ай бұрын
熟練工を戦場に送ったからではないか。現場をよく知る者が各工程にいれば末端は小学生でもなんとかできる。私の叔父は昭和2年生まれの大工見習いだったが軍需工場にかりだされ熟練工は兵隊にとられ、昭和20年18の誕生日を迎える頃には約50人をあずかる立場になっていたそうだ。半分以上女学生。工場が焼けてすぐに終戦の日をむかえたそうだ。いっしょに工場から逃げた女学生らのひとりとねんごろの一夜をすごしたそうだ。巨大な工場の周囲は畑山で囲まれそりゃ楽しい思いもあったと話してたよ。
@岡浩幸
@岡浩幸 8 ай бұрын
相手は右手でドイツ、イタリアと戦い左手で日本を相手にした超大国!銃後の兵器生産に枢軸国同様に女性も参加したが、その生産性は衰えるどころか増すばかりで初めから敵う相手じゃなかった。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。
@理重蒔田
@理重蒔田 8 ай бұрын
確か52型甲の改良点は、もうひとつあるはずです。 20mm機関砲の弾数を52型までのドラム型の弾倉(100発入り)からベルト給弾式に変更することで125発に増加されたこと。 小さくは無い改良だと思います。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメントありがとうございました。仰るとおりでした。
@mititdoll_sugarland
@mititdoll_sugarland 8 ай бұрын
太平洋戦争がたかが5年そこらの話と考えると現場や技術者は良くやった方だろうよ、合衆国の合理性と物量が異常だっただけで
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通り日本の技術者は頑張ったと思います。
@弘行稲川
@弘行稲川 8 ай бұрын
物量ではなく搭乗員を使い捨てにした結果、必要な技量を持った搭乗員が居なくなって負けた。機は在るのに搭乗員がいなかった。米ではパイロットは士官で大切にしたが、海軍は兵か下士官で不時着してもまともに救出しなかった。海兵出身者は救出したのに!
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
仰る通りです。人を大事にしなかったことも敗戦の大きな要因だと思います。
@e-justice3752
@e-justice3752 8 ай бұрын
いや、元々勝ち目は無かったやろ。こうしてたら勝てたとかアホらしいと思うが。
@tk2pene655
@tk2pene655 8 ай бұрын
​@@e-justice3752みんな催眠状態でマトモな思考が出来てなかったからな
@葉介麻浪
@葉介麻浪 8 ай бұрын
これこそが堀越二郎先生が恐れた凡庸な戦闘機。安定して高馬力のエンジンを量産できない工業力である以上、大戦初期の運動性へと振り切った方向性は、やはり仕方がないところであったと思います。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。工業力が悲しいですね。現在もある意味同じかと思います。
@jx6004
@jx6004 6 ай бұрын
工業力の問題だけではない。熟練の工員を兵隊にして戦場に送り、学生に工場で働かせるようなバカなことやってればまともに作れなくなるのは当たり前。
@八意思兼神
@八意思兼神 8 ай бұрын
このような現実を見ること無く、ただ零戦の総生産数だけを以て当時の日本が工業大国だと言い張る輩がいるのが悲しい。 それはそうとして、当分の間は戦えるという考えは間違いではなく、対米戦は早期講和という考えで始めてしまったから…。絶対防衛圏を越えられても止めずに、総特攻まで突き進んだ日本人気質に恐怖を感じます。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメントありがとうございました。
@和田逸幸
@和田逸幸 8 ай бұрын
零戦自体が千馬力級の軽量戦闘機として登場した時から既に完成度が限界に到達した機体だったということ。改良という小手先で延命させたことが特別攻撃という末期の使い方にも繋がった。本来なら後継機に第一線を譲り後進の育成の練習機とし終わり傑作機の名前を欲しいままにしたかった。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。
@黑き史
@黑き史 8 ай бұрын
零戦『53型丙』に関して「水メタノール噴射」は技術的に巧く行かなかったから(駄目だった)という説明は従来の通説ですが... 実は地上運転では水メタノール噴射は「絶好調」で非常に期待が持てるものだったから、零戦53型丙は最高時速580km/hを狙っていた。しかし此処に来て、工場から部隊へ送られた「実戦投入間近」の零戦の中に搭載された「某工場から出荷された発動機」に重大な欠陥が露見し、事態を重く見た海軍が至急「発動機関係者」を現場に召集・対応に当たらせたため、栄31型水メタノール噴射付き発動機の開発がストップしてしまった。だから『53型丙』の試験飛行すらできなかったと思われる。何故「失敗作」という説明が成されたのか不思議だ。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。貴重な情報ありがとうございます。
@岡本博志-o3x
@岡本博志-o3x 8 ай бұрын
そもそも栄系列に水メタ組み込んだキ43Ⅲ型が快調に飛んでいたのに零戦の水メタががダメてオカシイですよね。 ちなみに私の知る説では比島決戦までに実用化は無理そうなので現行生産型の増強を優先して資材 人員がとられて、開発が停滞した説を見たことがあります。
@陣風-f8h
@陣風-f8h 8 ай бұрын
@@岡本博志-o3x キ-43IIIでの例で言えばそのとおりですね。
@jx6004
@jx6004 6 ай бұрын
@@岡本博志-o3x 隼三型も当初は現場の整備が水メタ装置に対応できずに稼働率の低下があったそうですが、結局はやって良かったのでしょう。陸軍と海軍の仲が悪いと言ってもエンジン作っているのは同じ中島でしょうになんで隼の経験が生かせなかったのか不思議です。
@陣風-f8h
@陣風-f8h 8 ай бұрын
金星換装はでていましたが試算でで航続距離の大幅な低下がわかったため見送られてきたという経緯はある。当時は金星5x型だったかな? 当時はまだ航続距離が重要な守りに入る次期ではなかったというのも大きい 絶妙のバランスで成功した機体ではあるけど用兵事情と噛み合わず金星換装が遅れたことが零戦が発展性に乏しいとか汚名を着せられた要因じゃないかな? オリジナルの量産型で部品単位にグラム単位で神経質な重量計算を行い高性能を出したのはどんぶり勘定で強度計算を誤った結果過強度となった陸軍の三式戦とは好対照とも言える。 後年足し算の補強で急降下制限速度引き上げを行った零戦に対し設計急降下制限速度を大幅に上回り音速に迫る速度域でも壊れなかった三式戦はその事例が過強度による重量増の証明でもある。飛行機って余分な重量は害悪でしか無いから急降下制限速度を超えたら壊れないといけないんですが三式戦擁護の人には理解できない模様。 実際三式戦とかハー40や金星、完璧な製造管理で完璧な整備された(無理だけど)のハ-140があっても意味がないくらいの鈍重な機体ですが、過強度な機体から引き算で強度を剥がして軽量化ってのは無理な話で最初から設計をやり直したほうが早いってことになる。 必要最小限の強度と重量で設計し足し算で重量増と引き換えに強度を上げるのはまだ容易なこと。 零戦の場合欧米の機体と比べて発展余地がないとか言われていますが、ヨーロッパの機体って零戦の1~2割ほどしか航続距離性能を求めてられていないんで、それと比べて零戦の発展余地がないって考えるのはおかしいと思う。 ギリギリまで軽量に設計することが可能だった機体は航続距離を犠牲にすれば補強して発展可能な証でもある。用兵側が航続距離の低下を嫌ったってのが零戦の発展能力否定の最大の要因。 軽いだけでなくギリギリまで小さく(細い胴体)作った以上燃料タンクの追加スペースには限りがある
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。貴重なご意見ありがとうございます。参考になります。
@jx6004
@jx6004 6 ай бұрын
5式戦と、同じエンジン積んだ零戦54型丙では武装は同等、5式戦の方が重いのに速力も上昇力も運動性も上で(当然機体強度や急降下制限速度も)、零戦が上回ったのは航続距離だけだったとか。結局零戦は1000馬力級に特化した設計で伸びしろがなかったということだと思います。 スピットファイヤやメッサーシュミットはスタートは1000馬力級で、のちに2000馬力級になりますが、主翼や機体を大幅に設計変更していたと思います。零戦でそれができなかったのは結局技術力や工業力の不足でしょう。組織的な人の使い方も三菱よりは中島の方がうまかったのかなと思います。隼は零戦より遅れたのに鐘馗もやりつつ疾風は間に合わせましたからね。
@52364
@52364 8 ай бұрын
52丙は遅すぎた登場といえます。武装の強化と防弾強化は戦時では当たり前の改造であり、現にF4Fは飛行性能大幅の悪化を承知で武装強化と防弾強化の4型に珊瑚海海戦直後から移行してます。これは大反対を呼び、ゼロに一方的に殺されると。しかし海軍上層部はこれは必要不可欠である!とこれまた一方的に断じて一切の反対を弾圧したそうです。結果はキルレシオ1:2でF4F4型の勝ち。戦争はなにが重要でなにが必要なのか先見性とは?・・考えさせられる事実です。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&貴重なコメント有難うございました。おっしゃる通り真実は藪の中という感じがします。
@離人彷辺
@離人彷辺 8 ай бұрын
アメリカ側のキルレシオなんてほとんど手前みそですから当てにはなりません。勝ったから通用しているだけですわい。だいぶ前、空母ナトマベイから発艦して戦死したコルセアのパイロットが輪廻転生してアメリカの少年に生まれ変わるというドキュメントがあり、今もYOU TUBEで見られますが、子供の父親が、息子に生まれ変わったパイロットの戦死状況を調べていくうちに、この空母から出撃して戦死したパイロットの名簿が出てまして、こんなにたくさん日本機に撃墜されたのか、と驚くような人数でしたわい。
@erikuwahara5930
@erikuwahara5930 3 ай бұрын
1930年代設計の戦闘機としては傑作機ですが 設計の基本が 三菱瑞星エンジンだった事が足かせになりましたね
@mady_game_channel
@mady_game_channel 8 ай бұрын
動画大変興味深く拝見させていただきました、ありがとうございます。 後半部分は光人社FN文庫「海軍予備学生 零戦空戦記」よりの引用でしょうか? 私も読んだ事があり、同じく引用部分等が大変興味深かったです。 確か鹿屋では翼の13ミリと席後ろの防弾板は基地で撤去していたと記述されていた記憶があります。 空戦でも「珍しく20ミリが当たった」等と、動画で表現されている様に実際の空戦時には命中弾を当てるのはとても難しいという緊張感がよく表現された戦記だと思います。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。今回参考にしていますのは、光人社NF文庫の「ゼロ戦の栄光と凋落」碇義朗著ですが、その本の中で土方さんの「愛機零戦の泣きどころ」という本から引用しているようです。土方さんの講演を聴いたことがありましたが、自分の零戦をすべらすことで、敵機の追随から逃げられたと仰っていたのが印象的でした。
@comete5d361
@comete5d361 8 ай бұрын
金星は本当に人気がありますね。 でも期待される1500馬力級の金星六〇型は44年後半の時点においてすら技術的な課題があり、まともに稼働していません。信頼性が好評だったのは主に四〇型での話。 六〇型がまともに立ち上がらなかった状況については当時、三菱発動機部門の曽我部正幸氏が手記で述べている通り本社のエンジニアが南方に張り付かされたり、陸軍に供給した先の第244戦隊では45年の時点でも国内の移動で大量の落伍機が生じて大問題となりました。 水メタ噴射を用いない金星五〇型ならそれなりの稼働は期待されるとしても離昇1300馬力とせいぜい15% でもって直径は誉よりデカく燃費も悪い。何より当時既存の栄製造ライン終息と機種切替の間、主力戦闘機の発動機供給停止と、金星の大増産はどう成立させるのか?といった面でやはり現実味は薄いと思いますね。おそらく首無し零戦が大量に生まれ、太平洋の戦局は史実より酷い様相を呈していたでしょう。 カタログスペックだけでは実相は見えない。でもその背後の生産能力、供給側の問題が見えにくいためにこうした空論がまかり通ってしまうのも無理はないのですが、当時の国力が残念ではありますね。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&大変貴重なコメント有難うございました。
@tgat5755
@tgat5755 8 ай бұрын
いくつか書いておきます。 戦闘機の機動性で一番大事なのはパワーウエイトレシオ。 翼面荷重はそれに比べて大した要素ではない。 零戦が強かったのは、徹底した機体軽量化と一瞬だけ世界水準に追いついたエンジン出力によるパワーウエイトレシオが高かったせいです。 パワーウエイトレシオが高いというのは推力重量比が高いという事を意味します。 しかし、エンジン出力の向上が追い付かなければ機体重量を増やすわけにはいかず、機体重量だけ増やしても機動性は低下するだけです。 エンジンというのはぶっちゃけ技術力が最も出る分野で、開発にしても生産にしても機体よりはるかに高いレベルが要求されます。 生産に関しては機体は正直素人が適当に作っても、ある程度何とかなりますが、エンジンはそうはいきません。 機体よりはるかに精密な生産技術が要求されます。 機銃については、アメリカの12.7mmM2が少なくとも戦闘機同士の戦いでは圧倒的に有利。 長射程で弾道が低伸する(つまり長距離でも落下が少なくまっすく飛ぶ)事に加えて発射速度が高い。 日本側の20mmでは敵の後ろに付いて至近距離で撃ちこむしかなかったのに対して、アメリカ側は未来位置を予測するジャイロコンピュータ照準器(まあ今と比べれば原始的)もあいまって遠距離から見越し射撃が可能。 現場の生の声である当時の戦闘詳報とか読むと、それに対しての恐怖とかよく書いてあります。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。大変参考になります。
@TO-tz8rf
@TO-tz8rf 8 ай бұрын
比較対象のヘルキャットの折り畳み翼は天才的発想だし、折り畳み機構があるのに強度も十分で故障しない。総合的な性能差は烈風程度じゃ挽回できんかったはず。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。そうかも知れませんね。
@miyamiya2237
@miyamiya2237 8 ай бұрын
烈風の場合、注文と干渉が大きすぎた。発注側がアホだとまともなものは作れない。
@十蘭コメント
@十蘭コメント 8 ай бұрын
配信を、ありがとうございます。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。これからもよろしくお願いします。
@zubizuberpapa
@zubizuberpapa 8 ай бұрын
確かに。7.7mm弾は威力不足で20mm弾は弾不足で弾道が異なると。 下手すればF4Fのように12.7mm機銃4丁で揃えて弾数も多い方が良かったかも。補給も楽だし。F6Fの12.7mm機銃6丁は、さぞ羨ましかったでしょうね。
@岡本博志-o3x
@岡本博志-o3x 8 ай бұрын
反面ブローニング式の機関砲は重い(M2より99式20ミリの方軽い)ので飛行性能に悪影響がでたと思います。一応対艦攻撃もしてくるB17やB24の排除を考えると 大口径機関砲は必要だったと思います。対戦闘機戦闘に専念していいなら13粍でよかったでしょうが。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。20ミリ搭載の思想は良かったのではないかと思いますが、現実は厳しいものになりました。
@jx6004
@jx6004 6 ай бұрын
雷電なんてせっかく20ミリ×4なのに、外側に1号銃、内側に2号銃って弾道の違うものを混在させるという愚行。2号銃の生産が追い付かなかったんならしょうがないですが、1号銃が余ってたからなんて言うんだったら・・・。12.7ミリで揃えるにしても日本の場合は右側用と左側用で作り分けるような無駄なことしていましたし。まあその程度のレベルでしかなかったんだから負けてもしょうがないっていうか。
@つかっちへっぽこぴー
@つかっちへっぽこぴー 8 ай бұрын
他国より数年遅れの航空技術で当分戦えるって見通しなんか立ててたとは思えませんが、結局は年度だけ考えても一年だけ半世代優勢な性能を無理やり確保しただけの飛行機ではないでしょうか(短期間優勢確保出来るだけでもすごいですが)。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。そうですね、短期間であっても優勢ということが当時の希望になったのかな・・・と思います。
@離人彷辺
@離人彷辺 8 ай бұрын
徳川300年のチョンマゲのサムライから50年を経ずして、たばさむ太刀を風切る翼の日本刀の零式戦闘機に取り換えて、欧米の植民地空軍を叩き斬り、一時的にですが西太平洋の大空を制して、そののち敗れたとはいえ、世界無比の特攻隊を以て、全世界に日本人の精神力の恐ろしさを刷り込んで、戦勝国アメリカの占領政策を緩やかなものにさせ、かつまた憲法9条は空文であったにもかかわらず、80年も間、周辺のならずもの国家どもに手出しをさせなかったわけですから、我々の先人たちは、真に、すごかったと思いますね。しかし、その刷り込みの効果は大東亜戦争を戦った世代がいなくなったいま、急速に薄れつつあり、日本は周辺諸国のあなどりを受けて危殆に瀕しているとライダー1号藤岡弘氏は警鐘を鳴らしています。好むと好まざるとにかかわらず我々の番がやって来たのです。
@鶴田浩-u9d
@鶴田浩-u9d 8 ай бұрын
52型丙は武装としては各種零戦の中では最大ですが、やはり口径が違うので弾道特性が違ってしまうのは当然と言えば当然ですよね。 命を懸けた必死の戦いの最中に7・7mmを撃って13mm、ここぞという時に20mmへと切り替えていく・・ そんな冷静な対応は非常に難しいと思います。 20mm機関銃での発射訓練をやらなかったのは、単純にもったいなかったんだと思います。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。そうですねー、私ももったいなくて20mmの訓練をできなかったという説を聞いたことがあります。
@jx6004
@jx6004 6 ай бұрын
紫電改に20ミリ4門分の弾丸装填するとそれだけで現在の貨幣価値で4000万円近くかかったという話ですから、もったいなくて訓練には使えなかったんでしょう。
@古家武史-f5d
@古家武史-f5d 5 ай бұрын
実際末期にはムスタング乗りは増槽を落とさずに零戦と戦う舐めプな戦闘をしてます
@sighd8321
@sighd8321 8 ай бұрын
ありがとうございます!
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ありがとうございます。励みになります。
@whitepandajp
@whitepandajp 8 ай бұрын
大戦後期、英米軍戦闘機は、ジャイロ照準器を当たり前に装備していて、数秒間機影を保持するだけで、自動的に見越し照準を行えました。7.7mmや13mmをスポットライフル的に使って照準を修正してから、20mmも発射に切り替えろ、などという悠長なことでは、高速化した空戦では勝ち目が薄かったと言わざるを得ません。分隊士の言うこともよく分かるし、同程度の訓練を積めば、米軍操縦士は予備射撃などなしに、容易に命中弾を得られていた、ということでもあります。もっとも、米軍でも12.7mm弾が非力なことは重々認識しており、イスパノ・スイザから技術導入して20mm航空機関砲の国産化を試み続けますが、ベトナム戦争においてさえ信頼性の低さに悩み、多銃身のM61でようやく20mm機関砲をモノにします。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。米軍の機銃の開発遅れも不思議ですね。
@whitepandajp
@whitepandajp 8 ай бұрын
@@TheGyspsw24 たとえばB-29の尾部銃座は、もともとは12.7mm2丁+20mm1門ですが、不具合が頻発したため、多くが12.7mm3丁に改造されています。朝鮮戦争で、F-86は、レーダー測距儀を付加されたジャイロ照準器で、射撃精度では圧倒的優位に立ちますが、12.7mm機銃では命中弾を与えてもMiG-15の致命傷にはなかなかならず、米軍操縦士を嘆かせています。ベトナム戦争で、F-8は、米軍機で最高のキルレシオを上げます。ただし「最後のガンファイター」と呼ばれたものの、固定武装の20mmコルト Mk12(4門)は信頼性が低く、機関砲のみによる撃墜はありませんでした。米海軍は、艦載用としては、日本海軍の航空機と同様、エリコン系を導入しますが、結局は航空機関砲(つまりイスパノ系)と同系に置き換えたので、結局米軍は、単砲身タイプの20mm機関砲をモノにできなかったことになります。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
詳細なご説明有難うございました。知らないことばかりでした。
@whitepandajp
@whitepandajp 8 ай бұрын
@@TheGyspsw24 どういたしまして。長文失礼いたしました。また書き込みしてしまうかもしれませんが、よろしくお取り計らいください。
@へいへしも-y9w
@へいへしも-y9w 8 ай бұрын
52型が一番好きな機体です。腕次第でまだまだF6Fとも渡り合えた(戦争は個人の技量や機体スペックなどより、防御縦深防空支援体制を含めた戦術と数です)。1つの機体を徹底してアップデートすること自体は悪くないと思います。bf109しかり、スピットファイヤ然り・・・あと堀越氏は元々栄よりも金星を乗せたかったらしいですね。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。そうですね~、なんとか性能を落とさないようなアップデートが出来なかったものかというところが惜しまれます。
@shinichi9821
@shinichi9821 8 ай бұрын
意味のあるアップデートできるだけの工業力がそもそもありませんでしたね。
@大祐綾田
@大祐綾田 8 ай бұрын
零戦(日本機全般)より欧米機とくにフォッケウルフのほうが百万倍カッコイイし。零戦の航続距離が長いのはミラクルでも何でもなく、被弾率が高い主翼にまでタプンタプンに燃料入れてたから。
@rinrin4903
@rinrin4903 2 ай бұрын
防御縦深防空支援体制??
@理重蒔田
@理重蒔田 8 ай бұрын
戦闘機の武装が7.7mm機銃が主流だった頃に計画された十二試艦上戦闘機=零式艦上戦闘機。(スピットファイアもメッサーシュミットも初期型は同程度です。)その中にあって装備したスイスのエリコン社製20mm機関砲の信頼性も未知数で弾数は初期型は、僅かに60発。(弾倉のバネに負荷をかけ過ぎ無い為に、更に減らすていた説あり)その為に7.7mm機銃も混合装備することなった、と推察します。 両者の弾道特性が異なることは百も承知の上で…… 射撃訓練の話は、恐らく訓練用の機体には始めから20mm機関砲は装備されていなかったものと推察します。理由は、『無かったから』でしょう。実戦部隊の使用機に装備する分で手一杯で訓練部隊の使用機にまで回せる機関砲が無かったのでしょう。機関砲弾も同様です。 それに少しでも重量軽減して血の一滴と言われた燃料の節約もしたかったのでしょう。 兎に角、何もかもが無かったのでしょう。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメントありがとうございました。そうですね、全てにおいて不足していたのでしょうね。
@whitepandajp
@whitepandajp 8 ай бұрын
零式練習用戦闘機は、零戦二一型を練習用に改修した型です。前席は練習生席で開放型(風防はあるが天蓋なし)、後席は教官席で密閉型で、複操縦装置となっていました。武装は7.7mm機銃が1丁または2丁でした。20mm機銃は装備しません。500機以上生産されました。 たとえば、戦車も、通常の訓練では主砲弾を節約し、内トウ銃(射撃訓練用に、主砲の腔内に据え付ける小銃)を使って、訓練機会を増やしていました。 そもそも、太平洋戦争中盤以降、現在の自家用ライセンスも取れない飛行時間で実戦部隊に配属され、いきなり最新鋭機を割当てられる現状がありました。新米操縦員は、長機を追って飛ばせるようになるのが精一杯で、射撃訓練の機会を与えられること自体、少なかったと思われます。実弾射撃訓練となれば、吹き流しを曳航する飛行機も要ります。 海軍での搭乗員の養成課程は、ざっくり、士官(兵学校卒)、予備士官(大学や専門学校の出身者)、下士官のどのクラスの搭乗員を養成するかで、課程が分かれていました。予備士官を養成する飛行予備学生出身なら、むしろ教育は手厚かったはずです。
@理重蒔田
@理重蒔田 8 ай бұрын
@@whitepandajp 様 私が申し上げた『訓練用の機体』とは『零式練戦』では無く、『訓練部隊に配備されている機体』のことです。実戦に使わないのが前提ですから、機体の尾部、主脚カバーの一部などが整備の簡便化を図る為に外されて運用されている写真を見たことがあります。
@whitepandajp
@whitepandajp 8 ай бұрын
@@理重蒔田 二式中練でも零式練戦(主脚車輪部のカバー省略)でもなく、単座の零戦が練習機仕様に改造され、訓練部隊に配備されていた、ということでしょうか。興味深いので、ご教示いただけますと幸いです。
@理重蒔田
@理重蒔田 8 ай бұрын
@@whitepandajp 様 資料のほとんどを処分してしまったので、何々の何ページの写真と申し上げることはできませんが、単座の21型に主翼下面に二桁の機体番号を記入された訓練機の写真、塗装図を見た記憶があります。(機体色の解説が実戦機の飴色だったか、練習機の黄橙色だったかは記憶が定かではありません。すみません。) 外見的には尾部、主脚カバーくらい?内部的には実戦機から、どれだけのものが外されているのかは判別できませんでした。
@川井ヒカル
@川井ヒカル 8 ай бұрын
203空戦闘303の土方中尉の証言は貴重ですね。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメントありがとうございました。一度お話を伺ったことがありますが、温厚なかたでした。
@離人彷辺
@離人彷辺 8 ай бұрын
@@TheGyspsw24 土方中尉は、戦後復員してから成蹊学園高校数学教師を務めた方で、故安倍晋三首相の高校時代の恩師でもあります。成蹊学園高校退職後は外務省帰国子女相談室長を最後に一線を退かれましたが、かつては小学校の算数教科書の編纂などにもたずさわられた立派な教育者でした。
@二見裕司-r6t
@二見裕司-r6t 8 ай бұрын
統一型増槽は陸軍では統一タンクと呼んでます。200リットルの二型。300リットルの三型。400リットルの四型。700リットルの七型が存在します。材料は木製もしくは竹製です。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。私も過去に、タンクは木製と聞いてビックリしました。
@ペン太郎-t7h
@ペン太郎-t7h 8 ай бұрын
零戦の設計思想・戦い方が後のソ連MIG-15とかなり近いとされている……。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&貴重なコメント有難うございました。
@daisuke5755
@daisuke5755 8 ай бұрын
比較の仕方が間違っている。大日本帝国はパイロットの養成計画がほぼなく、パイロットの練度が下がり続け、アメリカはパイロットの練度が上がり続けた。戦闘機の話よりもパイロットという兵士のレベルの差も考慮しないと意味がない。零式艦上戦闘機は最初からF4Fなどと互角の性能しかなく、キルレシオも最初から大きな差がない。零式艦上戦闘機はアメリカが新型戦闘機として警戒して交戦を避けただけで、アメリカの戦闘機に対しては成果か少ない。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメントありがとうございました。
@e-justice3752
@e-justice3752 8 ай бұрын
結局は52型が限界だったという事なんやろか。たしかに口径の違う機銃乗せるのは良くないわな。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。
@80fire71
@80fire71 8 ай бұрын
規格を増やして効率を悪くしてしまうのは、我々にも通ずる気質なんやろか… 物資が不足している以上、火力が絶対不足でも陸海軍全ての航空機の搭載機銃は7.7mmで統一し、銃身の長さでどうにかするとかしていたら…或いは?
@sei-un
@sei-un 8 ай бұрын
陸軍はそれに近い事を考えていたので12.7mmをメイン搭載機銃としてその高威力化に勤めてます 戦争後半にはそれでも足りなくて機種によっては20mm導入もしてました 12.7の時点で開戦時に間に合ってませんけどね…というか統一規格に向けて動いてる最中に開戦する羽目になった陸軍…
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。そうですね、陸海軍で統一出来ればメンテナンス性も向上して効率が上がったと思われますね(素人考えですが)
@guugoosuka6909
@guugoosuka6909 8 ай бұрын
陸軍は軽戦の「隼」に重戦の真似事をさせなかった。軽戦として熟成されていったのと対照的だよなぁ
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。
@弐壱ニイチ
@弐壱ニイチ 8 ай бұрын
米軍機のように同じ機銃を、装着しなかったか?不思議ですね。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@西方秀則
@西方秀則 8 ай бұрын
零戦の元パイロットの人に話を聞く事が出来ましたそうしたら二十ミリ機関砲弾を100発しか使用するなと言われたそうです、出来る限り逃げろと言われたそうです、
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。逃げるが勝ち!?ですね。
@西方秀則
@西方秀則 8 ай бұрын
@@TheGyspsw24 日本は機関砲の弾は大切でしたから。
@wantanmen
@wantanmen 8 ай бұрын
他国もそれほど余裕を残した設計では無かったと思います・・・重量増加に見合う以上のパワーアップが出来ただけかと。 零戦二一型の時点でも下川少佐空中分解事故を受け、主翼の外板を0.1mm厚くしてます。 それまでは最高速度に近付くだけで、主翼に皺が生じるほど機体が脆弱だったのです。 栄一二型の生産整備に慣れ安定熟成して来たのと合わせて、最高速度がそれまで以上の(現在伝わる)533.4 km/hに。 なので余計に零戦三二型の存在意義が薄くなってしまいました。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@rinrin4903
@rinrin4903 2 ай бұрын
最近は「ゼロ戦最強」とか「英霊に感謝」みたいなコメントは減りましたね。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 2 ай бұрын
そうですね、戦争を美化するようなことにならないか、注意されているのではないかと思います。
@てて-m8i
@てて-m8i 8 ай бұрын
どうでもいい話だ 今となっては、後の祭りだ。戦争は無駄だ。負けたらひどい目に合う。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。まさに戦争は無駄以外の何物でもないですね。
@neiton-dl4dd
@neiton-dl4dd 8 ай бұрын
誉の技術で栄を進化させたら1500馬力出せただろうが資源が足りな過ぎたな。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。仰る通りだと思います。
@兼子嘉次
@兼子嘉次 8 ай бұрын
誉を作ったので、栄の改良型の話が飛んでしまったと聞きました。人も資材も不足していたんですね。
@korokekorosuke
@korokekorosuke 5 ай бұрын
日本では零戦が伝説化されていますが零戦はあくまでも航空母艦用なので空母が沈み始めてからは無力化していきます。米軍記録だとグラマンとの戦闘比較が23対3とかです。零戦23機とグラマン3機が互角というデータです。撃墜王の本がたくさん出ていますが、そもそも日本に撃墜王はいません。大空のサムライを書いた坂井さんは、お前嘘ばっかり書いてんじゃねえ!と海軍の集まりで胸ぐらを掴まれる事件が起きています。欧州戦線でも初期だけですよ撃墜王なんて。開発者の堀越さんも零戦が七面鳥みたいに次々と撃墜されるので終戦まで失敗戦闘機だったと心を痛めていたらしいです。清水政彦著「零式艦上戦闘機」を読むと驚愕です。零戦マニア沈黙の一冊です。もう少し事実を知った方がいい。
@かず-j1o
@かず-j1o 8 ай бұрын
空母、発着の艦上戦闘機だったしな。😅 制限多すぎでしたしよう。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@katayamamakoto
@katayamamakoto 8 ай бұрын
陸軍では一式戦から二式、三式、四式と次々に正式化されて行きました。20mmは発射速度が遅くて直ぐに弾道が垂れてしまったそうですね。爆撃機を仕留めるためだったんでしょうか。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。7.7ミリでは炸裂弾が使えなかったために20ミリへと関心が移ったのかもしれません。
@whitepandajp
@whitepandajp 8 ай бұрын
零戦の20mm機銃は、エリコン社のライセンス品で、のちに日本で改良を加えたものです。最大の特徴は、当時としては大口径の機関砲ながら、APIブローバック方式であることです。 ブローバック方式とは、拳銃弾(つまり発射薬が少なく、弾丸のエネルギーが小さい弾薬)を使用する短機関銃で多用されます。おおまかに、薬莢内で発射薬の燃焼で生じた発射ガスは、弾丸を銃腔内で前方へ押し出しますが、薬室から薬莢も後方へ押し出し、その力で排莢と再装填を行う方式です。 通常のブローバック方式が薬室に薬莢が収まってから撃発するのに対し、APIブローバック方式では、完全に収まる少し前に撃発します。 利点は、薬室の閉鎖機構がないので、構造が非常に簡略になり、軽量化にも繋がること。 欠点は、薬室と薬莢の密閉度や薬莢の強度に依存し、各部の作動タイミングが難しいため、薬室の気密が不完全であり、腔圧を高くできない(発射薬は少なめにする必要がある)ことです。そのため、弾丸の初速は、どうしても遅くなりがちです。また、排莢や再装填に使える力が少ないので、発射速度を高めるのが難しく、また、重い弾帯を引っ張れず、装弾は基本弾倉式になります。後者は日本独自の改良で、ブローバック方式ながら弾帯装弾とし、装弾数を増しました。
@兼子嘉次
@兼子嘉次 8 ай бұрын
@@whitepandajp さま。ベルト給弾ができないと言われたエリコン20㎜でそれを実現し、2号20㎜5型で初速も発射速度も向上させた日本海軍は、変態かもしれませんね。5型なら、真っすぐ飛ばないとか、初速遅いとかは言われない気がします。量産できなかったので、残念ですが。
@whitepandajp
@whitepandajp 8 ай бұрын
@@兼子嘉次 さま。おっしゃる通り、ブローバック方式のエリコン機銃を延々改良し続けた日本海軍は、ある意味“変態”かもしれませんね。ただ、改良により、重量が五割以上増えてしまいました。イスパノ砲やMG151/20よりは軽いものの、初速や発射速度が、結局は総重量と相関するのが分かります。 零戦の武装の命中率の低さに、あまりに軽量化に拘ったゆえの構造の脆弱さが寄与しているだろうことは、堀越技師自身も認めています。軽量な零戦に軽量低反動の一号銃の組み合わせは、出現当時は、大口径砲搭載を実現しつつ、バランスが良かったとも評価できそうです。 零戦のような軽快な運動性を強みとする戦闘機では、B-17をはじめとする重防御機に対抗する武装強化と、それによる重量増とのジレンマが、特に深刻であったとも考えられます。実際、空戦では、五二型よりも二一型のほうが、圧倒的に強かった旨を語る元搭乗員もいます。陸上基地では、三二型以外の零戦各型は、特段の支障なく混用されていたようです。
@ブースカ-u2q
@ブースカ-u2q 8 ай бұрын
アメリカさんも学生パイロットを速成していたとは知らんかった。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。そうなんですね、学生からの予備士官結構いたみたいです。
@ささきまぢだ
@ささきまぢだ 8 ай бұрын
真珠湾の翌週には大学の講堂がガラガラになったらしいですね。
@秀樹佐藤-r3j
@秀樹佐藤-r3j 8 ай бұрын
当時の日本よりかなり、早いですよ。第二次世界大戦が始まった時点で多くの大学生が志願しました。だから1942年6月にはイギリスに第8空軍のB-17の大部隊が展開できたのです。
@ブースカ-u2q
@ブースカ-u2q 8 ай бұрын
@@秀樹佐藤-r3j 学徒出陣と志願ではだいぶ違いますね。アメリカの学生もいやいや戦場に向かったのかとただ漠然と思っておりました。厚顔無恥とはこのことですね~。もちろん国の大事に殉じた我が国の若者を毀つつもりはありませんので悪しからず。
@賢司-e1x
@賢司-e1x 4 ай бұрын
父ブッシュとかがその口だが。イェール大学総番wだったからな。
@70namachan
@70namachan 8 ай бұрын
烈風があれば 22型で有終の美を飾れたものを
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@理重蒔田
@理重蒔田 8 ай бұрын
52型は兎も角、52型丙は烈風の開発遅延の為、と聞きました。やはり14試局地戦闘機の開発まで堀越チームに!!が大きな間違いでしたね。
@unithouse1
@unithouse1 8 ай бұрын
零戦が性能面で劣勢になる見込みが立っていたのなら、零戦の性能を生かす戦技教育の方はどうなっていたんでしょうね 陸軍航空はノモンハンの戦訓と友邦ドイツ空軍からの情報提供から昭和14~16年前半頃には欧州式の編隊空戦の採用を始めていたらしいですが
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。戦技教育・・調べてみたいですね。
@sei-un
@sei-un 8 ай бұрын
開戦前にエンジニアパイロットというエンジニアとパイロットを融合させた人材の教育を決定しそれに力を入れたり テストパイロット専門の人材の育成をしたりと陸軍は新しいシステムの導入に結構積極的ですよね
@SuperTrumpMAGA
@SuperTrumpMAGA 8 ай бұрын
The jet, shooting stars were flying in US in 1944 already !!
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
Thank you for watching and for your comments.
@TV-jv5vs
@TV-jv5vs 8 ай бұрын
テストパイロットってどうゆう神経してたんだ
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@djtel-z3s
@djtel-z3s 8 ай бұрын
下川大尉🇯🇵
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@mituharukane
@mituharukane 8 ай бұрын
エンジン(組み上げの品質)の悪さに燃料の質も悪かったと。。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。そう思います。
@るるむ-r6d
@るるむ-r6d 8 ай бұрын
機関砲は対爆撃機用
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@離人彷辺
@離人彷辺 8 ай бұрын
52型以降の改造設計は堀越技師ではなく、養成工員として入社し、三菱社内の工業学校を出ただけで技師になった佐野栄太郎技師が担当したのが後半期零戦の性能低下の一因だと思いますね。佐野技師は堀越技師が三菱に入社した時はすでに技師として働いていた先輩技術者で、零式水上観測機の設計主務者でもありましたが、こんな複葉機でも、何回もラダーをいろいろ取り換えて、やっと所定の性能を得ているところから見て、空気力学理論などの数学的な解析力の乏しい、カンや経験に頼る部分が大きい、凡庸な設計者だったのでしょう。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。ご意見参考になります。
@e-justice3752
@e-justice3752 8 ай бұрын
52型以降も悪い進化はしてないよ。13ミリ機銃と防弾最低限しただけで十分。誉エンジン搭載も、量産性整備性考えたら、栄でも仕方なかったと感じる。空力特性としては、カンではなく現代のスーパーコンピュータで計算したら、空冷レシプロはエンジン後方に機体を絞り込み、機体付近の空気を排ガスで吹き飛ばすのが、理想的と判明している。52型は理想型だよ。ただアメリカの技術力生産量にかなわないだけ。負けたから機体設計が間違ってたわけじゃない。元々勝てない戦争。
@e-justice3752
@e-justice3752 8 ай бұрын
それに、52型以降は主に防空戦が多い。防空戦では一撃離脱も重要だが、旋回性能も必要だよ。数の多い敵をかわしまくって、隙に高度を取って一撃離脱や、高度を失った敵を返り討ち。これしか対抗出来ない。疾風はヘルキャットにやられた経緯も有る。零戦52型のように一撃離脱用に進化しつつも旋回性能を維持してる方が良い面も有る。疾風が良い機体ではあるが、無双出来なかった所を見るに、52型が悪い進化だったとは言えないと思うが。
@離人彷辺
@離人彷辺 8 ай бұрын
@@e-justice3752 飛行機の上昇率ωは余剰馬力ΔP(㏋)を自重w(㎏)で割って求められる。すなわちω=ΔP/Wである。2000馬力のプラット・アンド・ホイットニ‐R2800を入手できたアメリカは、装甲や自動防漏タンクを装備して自重Wが増加しても、この式の分子のΔPを大きくすることができたので、空戦の勝敗を決める上昇力を落とすことなくF4FからF6Fへ進化させることができたが、終始1000馬力内外のエンジンしか与えられなかった零戦は、最初から防弾装甲を廃し、その上でさらに徹底的な軽量設計を行って、この式の分母の自重Wを極限まで小さくすることで、開戦初頭F4FやP40を上回る上昇力を得て、太平洋の大空を制していた。21型のころはそれでやっていけたが、52型以降はΔPの増加はわずかでしかないのに、携行銃弾の増加や装甲の追加で加速度的にWが増加し、敵機に対する相対的な上昇力の優位が失われる悪循環に陥ってしまった。改造設計も堀越グループが担当すれば、十二試艦戦試作時以来の徹底的な重量管理を実施し、なおその上に、物理法則は変えようがないと、早期に金星換装以外に打開策なしを主張して、零戦は衰えたりといえども、なお戦局に多少の寄与は成し得たと想像する。優秀な頭脳をもっていても所詮職工あがりのノンキャリアの佐野栄太郎技師では、上からの指示に対してイエスマンでしかありえなかったであろうし、理論を押しすすめ、経験に基づかない部分まで踏み込む(例えば堀越技師が当時の強度規定を越えて行った操縦系統の剛性を計画的に引き下げて空戦性能を向上させる剛性低下方式)のような天才的な独創性で難局を乗り切ることは到底できなかったであろうと思われる。
@離人彷辺
@離人彷辺 8 ай бұрын
@@e-justice3752 空戦の勝敗を決める上昇力つまり、上昇率ωは、余剰馬力ΔPを自重wで割って得られます。 すなわちω=ΔP/w 二千馬力のR2800があった アメリカ は、装甲板や携行銃弾が増えて分母のWが増大しても、エンジンをF4Fの約千馬力のエンジンから、二倍の馬力のR2800に変えて、上昇力を落とすことなくF6Fを送り出せたが、終始1000馬力内外のパワープラントしか得られなかった日本は、上式の分母のWを可能限り小さく抑えることでしか、ωを大きくすることができなかったのです。この物理法則を把握したうえでの、東大航空学科主席の堀越流の、ナイフで切り裂けるほど薄い外板の限界軽量設計が生まれたのです。32型より後の零戦の改修設計は三菱社内の工業学校を出ただけの、零観の佐野栄太郎技師の手に委ねられましたが、零観のような複葉機でも、何通りも舵面を取り換えてようやくものにした彼の設計手腕は凡庸で、過去の経験に頼るアバウトなものでしたから、52以降の重量増加は、もし、引き続き改修設計を堀越グループが担当していたならば僅かな重量増加も見逃さない緻密な軽量設計となって、零戦はなお、戦局に多大の寄与をしたかと思われます。
@ささきまぢだ
@ささきまぢだ 8 ай бұрын
重戦闘機化していったのは現場が求めたからでしょう。20ミリの採用には賛否が分かれるところですが、当時13ミリは有りませんし、8ミリを6丁ってのは考えにくい。陸軍にアタマ下げてホ103を分けてもらいますかwま、隼や鍾馗に使う分も不足していたし、ナイですね。やっぱアレしかないのでは・・
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。20ミリ搭載の決定には山本五十六の意向もあったみたいですね。
@大祐綾田
@大祐綾田 8 ай бұрын
零戦(日本機全般)より欧米機とくにフォッケウルフのほうが百万倍カッコイイし。零戦の航続距離が長いのはミラクルでも何でもなく、被弾率が高い主翼にまでタプンタプンに燃料入れてたから。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。
@かちどき-r7b
@かちどき-r7b 8 ай бұрын
ホント20mmは要らなかったと思う。初期は主翼は7.7㎜2~4丁。後期は13㎜4丁で機首の機銃無しで良かったんじゃないかと思う。
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&コメント有難うございました。いろいろなご意見いただき感謝ております。
@二見裕司-r6t
@二見裕司-r6t 8 ай бұрын
零戦の20ミリ弾は、60発から100発、ベルト給弾の125発まで携行数が増えたけど、翼の設計でこれ以上弾を増やすのが無理だったとか。 ベルト給弾の話は雷電二一型以降、紫電一一乙型、紫電改のベルト給弾で200発になり、携行弾数の不満はあまりなかったらしい。
@保湿剤-e7f
@保湿剤-e7f 8 ай бұрын
b17を落とすにはどうしても20ミリクラスの機関砲は必要だったみたい ドイツに至っては軽戦闘機のメッサーにすら30ミリをつけるくらいには米爆撃機は硬い
@西方秀則
@西方秀則 8 ай бұрын
でも相手機はP~51ムスタング戦闘機でした、ですから小回りがきく零戦は宙が入りして7.7ミリ機関砲弾でP~51ムスタング戦闘機を撃墜出来たそうです、
@西方秀則
@西方秀則 8 ай бұрын
機関砲弾ですぐ火がつく零戦や戦闘機で敵艦に体当たりする作戦をする様になったそうです、
@西方秀則
@西方秀則 8 ай бұрын
その特攻隊員さんは失撃する前の日に終戦になったそうです、
@TheGyspsw24
@TheGyspsw24 8 ай бұрын
ご視聴&貴重なコメント有難うございました。
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