写真の言語化って必要ある?

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ジェットダイスケ/JETDAISUKE

ジェットダイスケ/JETDAISUKE

4 ай бұрын

写真・カメラ雑談の動画です。「言語化する」ということをよく見聞きするようになっています。「写真を言語化する」なんてことも目にする機会は増えましたね。昨日もそういった返信をいただいたので、今思っていることをこの動画にて話してみました。この動画で紹介した書籍や今回の話題に関連する書籍およびWebページは以下にリストアップしました。購入リンクはAmazonのアフィリエイトリンクです。※購入により収益を得る場合がございます。
※※訂正とお詫び:林田新さんのお名前の読みは「あらた」でした(www.kyoto-art.ac.jp/info/teac...
"写真で何かを伝えたいすべての人たちへ" 別所隆弘 2024 amzn.to/3IXrnXl
"イメージ 視覚とメディア" ジョン・バージャー 著, 伊藤俊治 訳 2013 amzn.to/4ahU1ia ※この動画では冒頭の一節を引用
写真集 "The Americans"(アメリカ人) ロバート・フランク(Robert Frank) 2008年版 amzn.to/3THmHKa
Webページ "写真を見ること-ロバート・フランク『The Americans』を中心に(林田 新/写真論・写真史・京都造形芸術大学専任講師)"
robertfrank2017kobe.tumblr.co...
アンリ・カルティエ=ブレッソン 20世紀最大の写真家 クレマン・シェルー 著 伊藤俊治 監修2009 amzn.to/49fEZYU
Webページ "生活者は1秒当たり、いくつツイートをみるのか?~Twitterの場合~ | 読売広告社 YOMIKO ADVERTISING INC." 2020
www.yomiko.co.jp/special/2186/
"たのしい写真 よい子のための写真教室 " ホンマタカシ 2009 amzn.to/4a5lVh7
"Uncommon Places(アンコモンプレイシズ)" スティーブン・ショア(Stephen Shore)2014年増補改訂版 amzn.to/3VFjU6R
「写真」Sha Shin Magazine フェイス Faces (vol.5) 2024 amzn.to/3TAyNF3 ※この動画での引用箇所はp86 大山顕氏の寄稿より
#写真の言語化 #写真論 #写真 #カメラ #別所隆弘 #写真で何かを伝えたいすべての人たちへ #ロバートフランク #アンリカルティエブレッソン #ホンマタカシ #スティーブンショア #ジョンバージャー #大山顕 #趣味 #photography #沼より深い話

Пікірлер: 85
@nnconstruction7172
@nnconstruction7172 4 ай бұрын
面白いですね。私は映画にしてもそうなんですが、まずは自分なりの経験、想像、知識と紐付けた中で得られたインプレッションとキャプションとで後に答え合わせするのが楽しいんですがね。
@zenzo7023
@zenzo7023 3 ай бұрын
何でもかんでも言葉で説明しろっていうけれど、作品はISO規格じゃないんだから、見た人が想像したら良いんやないの?!そう言う自由度を最近は認められないのかよって思う。
@tulsabirbhum4534
@tulsabirbhum4534 4 ай бұрын
写真に限らず映像やダンス、インスト楽曲等、言語を用いない作品の、最もプリミティブな言語化・一番短い説明/解説がタイトルの付与。タイトルを付けなければ、検索でその作品に到達することもできないし(厳密にはできるがかなり手間)、ネット/検索サイト以前でも、作品を識別するのが大変困難に。作者名+ナンバリングなんて無機質なタイトルの付け方もできるが、それよりもやはり作品をより連想しやすいタイトルを付けるほうが、合理的。 芸術やアートというのは、作家性や作品の背景まで含めて作品だし、それらを説明しないことを作家が選んだとしても、その意味で言えば、あえて説明しない、というのも0文字/0単語の言語化かもしれない。
@Toru.I
@Toru.I 4 ай бұрын
明確にしないと気がすまない方が多いのかな〜“わからない”ってことで伝わることだったたり、考えたり、感じたりが大事なことも多いと思う。 少なくとも自分はそういうものが好きです。
@spcp4633
@spcp4633 4 ай бұрын
「写真を見る=15秒、キャプションを読む=もっと長い」 あっはっはこれは面白いですね。正直、納得してしまいました笑
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
他人ごとではなく嗚呼そうだなあと納得してしまいましたよ(笑)
@luci_hiko
@luci_hiko 4 ай бұрын
元々、文章から表現の世界に入ったもので、1枚画だけで成立するインパクトのある写真と、キャプションも含めじんわりと良さが伝わる写真の、両方とも「あり」だと感じています。 音楽アルバムで言えば、インパクトのあるシングルカット局と、地味だが味わい深いアルバム曲の両方があって、バランスの良い作品集になるわけで。 となると、普段から写真展や写真集を想定しておくのが良いトレーニングになるのではないでしょうか?
@arare1994
@arare1994 4 ай бұрын
なんでしょう、、、写真とか画像、映像を目で見て認識する、写真から受け取る圧や感情、違和感なんかも受け取って、受け取った感覚を、キャプションを読むことで、見た自分の中で整理したり、答え合わせしたり、もっと感情を大きくしたり、小さくしたりするんじゃないかなー、私ならそうするな〜なんて思いながら聞いていました。 目で見てるんだけど、どこか心で見てて、心で見てるから、言語化することで作品への解像度をあげるために、キャプションはあくまでも写真の補助だと、私の中では位置づけています。 なんか、ズレたコメントしてたらすみません。
@user-gj1lm7mq7z
@user-gj1lm7mq7z 4 ай бұрын
とても腑に落ちる理解だと思いました。
@yasushikimata5144
@yasushikimata5144 15 күн бұрын
写真の時間が短いのは映像の伝える力が文章より速くて強いからだと思います。
@user-78ikfug8a
@user-78ikfug8a 3 ай бұрын
分野ちがいですが、料理とかでもあるあるです。産地や農法とか品評会でどういう賞をとったとかを言うのは野暮なので、それを伏せて販売しても値段にかかわらず売れないですが、「これいまいちじゃん」っていうものでも能書きが書いてあると高くてもあっという間に売れます。あえて言語化すれば「多くの方が能書き(キャプション)にお金を払っています」。若い方はSNSで見たのでという方が多いです。でも、自身の感覚だけで素直に味わってくれる人を大切にするための(店舗維持のための)は必要悪と思ってますキャプションは。
@nex3movie
@nex3movie 4 ай бұрын
大勢を動かしたり、たくさんお金が必要だったりの作品?には説明する言語は必要になりますよね。何も言わずに任せてくれるパトロンがいるときはそうでもないでしょうけど。
@user-be5gc1dv2i
@user-be5gc1dv2i 4 ай бұрын
「題名」も言語化の一種なんだろう。 桜を撮って「桜」とかリンゴを撮って「りんご」じゃつまらない。 写真に「タイトル」をつけるのが難しい。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
他の方のコメントにも書きましたがいつもとは真逆のワークフローに挑戦してみてはいかがでしょうか。テーマ、コンセプト、ターゲット、タイトル、展示・掲載方法、可能ならイメージボードも描いて、そうした事前準備のあとに撮影
@user-be5gc1dv2i
@user-be5gc1dv2i 4 ай бұрын
@@jetdaisuke ari ありがとう。 「今日は神社に行って撮ろう」とか 漠然としか考えていませんでした。
@investmentbild9532
@investmentbild9532 4 ай бұрын
絵を教わっているとき、講評で指導者が端的な言葉でダメ出しをしてくるのが(ダメ出しなのに)小気味よく感じつつ妙に納得できたり、美術館の企画展の図録の説明が絶妙に関心を誘いそれでいて説明しきらない(しきれないのだろうけど)文章を面白く感じたりしてました。学芸員は実際その匙加減に心を砕くようです。 とはいえ、カルティエ・ブレッソンの企画展では大衆向けにどういうプロモーションをすればよいか困ったみたいな話もありますね。
@user-mb7vh7lr2n
@user-mb7vh7lr2n 4 ай бұрын
もやもやしますね。🤔 百聞は一見に如かず・・・ならキャプションは不要な気もしますが・・・無いと何か物足りない気もしますね。 作品の解釈は鑑賞者に任せるのが良いのかもしれませんし、見る方は自分の感じた事の答え合わせをしたいのかもしれませんし。 ただ、伝えたい事、表現したい事があるとして、使えるものは全て使い切るのも悪く無い気はします。 写真だけで伝わる写真撮れればいいんですけどねぇ。
@pine-village
@pine-village 4 ай бұрын
タイトルが無いと何を表現したものかわからないですよね。 単に花を撮りました、景色を撮りました、きれいでしょ、だけの写真ならべつにタイトルもいらないのでしょうが、伝えたい何かがあって撮ったものなら(たとえば「幸せ」だとか「理不尽」だとか「希望」だとかなんでもいいけど、何かしらテーマを持って撮ったものなら)、そのタイトルやキャプションなどを付けないと作品として完成しませんよね。 芸大時代(自分は造形でしたが)に作った作品をみんなで合評するんですが、必ずそのテーマを聞かれました。というかテーマをまず決めてそれを表現して作品を作るので、タイトルがあって当たり前でした。 写真にしても何にしてもタイトルが無いと何を表現した作品か見る人はわからないので、少なくともタイトルは付けてほしいです😅
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
芸大生はわりと鍛えられていますよね。こういうのは考えるまでもなく当たり前
@oldlens
@oldlens 4 ай бұрын
タイトルがあればキャプションはあっても無くても良いかなと思ってます。フォトコンや展覧会等は作品の説明があった方が見る人に理解させやすいですが、日常的にスマホやスナップで撮った写真は見る人に理解を求めるかは、撮った人次第かなと思います。答えの無い問題ですね。
@kiiroinde8722
@kiiroinde8722 4 ай бұрын
はじめましてこんにちは。youtubeは動画、インスタグラムは写真、Xは言葉?かなと思ってます。インスタグラムをしていますが、最近投稿している物に音楽が付いています。 自分には「これ聞けって事?」と思って身内以外はイイねを押さずスルーしています。引き込まれて何秒も見る写真もありますが、ほぼ数秒な作品がほとんどです。 音もミュートしていますし、ほぼ聞いた事がありません。言語以上の話でデータの無駄だと思うんですがどう思いますでしょうか?
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
動画・インスタレーション的なものとしておもしろいと思います。滅多にやらないけど、雪が降ってる動画に「粉雪」つけてみました(笑)
@max-accel
@max-accel 4 ай бұрын
HAYASHIDA, Arata さんですね
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
ありがとうございます。説明欄に書き加えておきます
@zz-tama
@zz-tama 4 ай бұрын
AI生成などコンピュータ全般では「言語」によって命令を与えるのが一般的なので、作成時はどうしても言葉は必要だと思いますね。 逆に、鑑賞するのは人間なので「見ることは言葉より先に来る」が人間の機能的に自然になるのではないでしょうか。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
Photoshopの生成塗りつぶし機能は画像からの推測になっているのでグラフィックソフトとして極めて自然だと思うのです。大規模言語モデルであっても自然言語以外のコマンドやUIを模索してほしいですね。あるいはスタートレックのコンピュータのように完全に音声対話でできてしまうようになるか?楽しみです
@shomwoys
@shomwoys 3 ай бұрын
究極的には「あなたの赤とわたしの赤はおなじものか?」というクオリア問題になるんじゃないですかね 「見る」ことは頭の中にクオリアを生じさせ、「話す」ことは「私の中のクオリア」を言葉で表現したもの 同じものを見せたとて、同じクオリアを生じさせられるかはわからない ので、足したり引いたり作ったり強調したりする 「キャプションを見ないとわからない」というのはある意味表現の敗北だけれども、「キャプションによって同じものから違うクオリアを生じさせられる」というのも、また面白い
@user-uv4cm8nh6c
@user-uv4cm8nh6c 4 ай бұрын
言語化しなくても見ただけで理解できる写真とそうじゃないものがある。理解しづらいものに対しては、説明文を加えるものもあれば、理解されなくても見た人になんだこれと自分で考えてもらうことを含めて、敢えて言語化しないという作品もある。要はその写真の種類、性質、撮った人がどう見てもらいたいかなどで決まってくるものであり、写真作品全てに対して一概に言語化が必要か否かを論じるのは答えが出ないのではないかなと思った。 あと、撮る前から考えていたことを言葉にするのはしっくりくること多いけど、図らずともいい写真がとれた時みたいに撮った後に後出しで考えると説明文は悩みがち(笑)
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
まるごと私も同じように感じております
@JA-vt2nx
@JA-vt2nx 4 ай бұрын
対象に関するコンテクストを押さえていないと何に注目すべきか分からないですね。 コンテクストを他人と共有するには言語を介しますが、言語はツールとして欠陥だらけです。 その言語で動かす画像生成AIはプロンプトエンジニアによる試行錯誤で言語の不完全性を補完している状況。 最近ではAI自身がプロンプトを自動生成で追記してイメージを補完する研究が記事になっていました。 情報の循環とは面白いものです。
@KG-oc4zo
@KG-oc4zo 4 ай бұрын
最近の写真集の傾向として、抽象的なものが爆増していると思います。 抽象絵画は鑑賞するのにまったく抵抗ないのですが、今様の写真集は困りますね。 見てありのままで鑑賞に堪える作品が無いことが大きいと思います。なので、まったく買いたくならない書籍です。 この違いとして写真はどうしても写っている対象が具体的なものになってしまう点があると考えます。 ジェットさんの新宿の作品展はそうしたストレスが皆無の作品で楽しめました。 分かりやすい極致の写真集で『張り込み』というのを見つけ、最強な分かりやすさ・リアリティ―なので、注文しました。 ・・・見ることは先にくる・・・⇒ 一目見て「これ、わからないワネェ~!」。WWW !。
@johseb
@johseb 4 ай бұрын
音楽史、美術史の分野とかそんな感じですよwいや、もちろん必要な学問なんですけどね。時代背景や作者を知り、作品を観る聴くのはそれを深く理解する上で必要なんだ思いたいですね。自分は美術館に行ったら半日はいる人なんでどちらの意見もわかりますが。AIの深化で人間の理解度も変化がありそうだし注視しています。オジサンの話が長いのは仕方ないですw
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
写真て絶妙に美術芸術から外れたものが圧倒的多数になる分野なので食い違いや勘違いがいろいろ起きてそうで興味深いですよね
@katsukiy122
@katsukiy122 4 ай бұрын
凄い人って、何か、他の人と違う、感心することを言いませんか? 長嶋茂雄さんだって、喋らせても、打撃のもとになる感性が現れてると思います。打撃の価値が、言語に現れて、言語化されてるのではないでしょうか。言うことに関心をもてないけれど、専門とする、打撃とか、作品とかだけに関心をもつということは、少ない気がします。関心をもつ写真には、関心をもつ言語が伴うのではないでしょうか。
@YsRecords1969
@YsRecords1969 4 ай бұрын
言語化すると、失われるものもある気がします。言語化においては良いと思いますが、表現できないもの、言語化できない人もいます。言語化するとその言語に縛られる場合もある気がします。良いのかしなくても良く無いのか、、、気が向いた時にすればい良い気がします。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
それはまた別のことでしょうね
@user-rj4jn5tt5q
@user-rj4jn5tt5q 3 ай бұрын
写真 カメラの知識は貧しいながらも興味深く見させて頂きました。 見る事は言葉よりも先の話は、まるでレンズからセンサー エンジンまでのカメラの中身の様ですね。 画像AIの話はその逆?で、映写機を想起しました。 学生時代、seeは俯瞰でlookが注視すると習った記憶があります。 言葉が必要かどうかは表現者が個々に考えて判断したらと思いますし、〜しなきゃいけないというよりも、料理が美味しいか口に合わないかの様に 好き か 興味がないか で観たらいいのではと思いました。 おっしゃられる通り、見る側は理解したいのでしょう…。作品の向こう側を見ている自覚がありつつも、よくガラス作家に作品を見てくれと叱られました…。 長文失礼しました。
@user-ms7dl2nu3p
@user-ms7dl2nu3p 4 ай бұрын
「見ることは言葉よりも先に来る」。見ることは直感的判断。「言葉により作動する」言葉は論理的判断。 ものごとを理解する判断するうえで、子供ではない限りどちらも必要でどちらが先と言うことではない様な気がします。 ただ、写真や絵画に長文を添えるのは作品としてはどうかなと思います。(写真集の解説文は別) でもフイルム時代には「写真は事実を写し、タイトルは真実を語る」と言われました。 作者が唯一自由に語れるタイトルの部分を大切にしたいです。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
見ることが論理的でも良いと思いますよ。むしろ作品であればこそ感性でも論理でも見ていけば良いかと
@user-ms7dl2nu3p
@user-ms7dl2nu3p 4 ай бұрын
@@jetdaisuke さん、ご返信ありがとうございます。見ることは感覚の部分なので見ることを論理的に行うには教育が必要かなと思いました。または受け手の経験値を想定していろいろなレベルの発信ができる作品も必要なのかもしれません。などとぼんやり考えました。
@user-od8zr3od4p
@user-od8zr3od4p 4 ай бұрын
飲みながら見ていたので聞き逃したかも知れないけど「キャプション」という言葉はあったが「お題」はなかったように思う。 写真の言語化というのは説明文のことではなくてお題の有無じゃないかと自分では思っている。 適切なお題という言語または企画があってこそ写真が生きる、でもインスタなんかではそんなものいらないというような。 あと「見ることは言葉よりも先にくる」は昭和か平成までなら100%その通りなんだけど、令和の時代と技術がありえへんほど進んでしまったということかと。
@solo-vg6er
@solo-vg6er 2 ай бұрын
なんとなくやった、と答えてほしかったwww 「見ることは言葉よりも先に来る」時を経て技術が進歩して「画像生成AIは基本的に言葉によって作動する」になる。 無条件であれば人類社会でのこの逆流、言葉から見る事ができるようになる現象は起こりえない様に思います。だが、そこに条件が付くと逆流が起きる。そうさせるエネルギーは対価(経済的利益、承認欲求、政治的利益、イメージの共有流布など)でしょうね。 AIが人類にとって吉とでるか、凶とでるか。対価のエネルギーで左右される「言葉から見る事ができるようになる現象」は選挙・戦争のプロパガンダにも使われているようです。 従来の写真の意味・言語化ついては、利用価値のない陳腐なものになり果てていくのでしょうか?
@shigyaslv
@shigyaslv 4 ай бұрын
言葉にしないと、お金にならない 言葉にしないと、商品化できない 言葉が先か、作品が先か 主観を客観視して評価してもらう センスも経験値も無いから、難しい話です SNS は、大衆文化 難しい話しましたねぇ
@leikayuri
@leikayuri 4 ай бұрын
写真は時間と空間を超える普遍的なものだと思います。 私が感動した写真に、ナショナルジオグラフィックの アフガンの少女 があります。万の言葉より、彼女の瞳が心に刺さりました。
@user-rp7nk6dy3v
@user-rp7nk6dy3v 4 ай бұрын
受け手によって、感じるモノが違うかも。 作成者の意図と違う物に、主観が行く? それこそ説明文だらけで、画像よりでかい説明板になる? エアショーと一緒、説明しなくても機動で分かる! G強そうとか。
@user-we8yv1dl2r
@user-we8yv1dl2r 4 ай бұрын
人間は本質を探ろうとするときにその成り立ちを分解し理屈で再構築する生き物だと思いました。それが個性で枝分かれして多様な価値を産みだし、衝突しあって。。。画より説明に注視するのは、自分(個性による理解)で再構築した理屈と、著者や作者の意図(価値観やセンス)とをすり合わせして答えを出したいから、なのかなぁと。与える側と受け取る側との駆け引き。大人になればなるほど、自身の考えと相手の考えを比べるようになりますよね、そういった体質が自然と身につくので、見た目のビジュアルよりは相手の説明に注視したがるのは人生経験による性(さが)が自然とそうさせているのかも、だと思います。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
分解して再構築で思い出したのですが、解という字の成り立ちがまさに刀で牛の角などをバラしていくことらしいんですよね。いちどステートメントに書いたことあります。作っている段階でもよく感じることですね
@user-ez5pl3zn5q
@user-ez5pl3zn5q 3 ай бұрын
俳句なんかも、字数制限のあるうえにまあ季語はいれないとされてるから、説明はできないんです。同じ俳句でもいろんな読者の思いがあるから。例えば 茎立や県を分かつ潮けむり って句だとこれは春の鳴門海峡の情景だけどこれにルックアップ構図で鳴門大橋の写真入れたらどちらもひきたつよね。そういうケミストリーをジャンルを組み合わせることで期待しても良いと思います。
@XODUSjp
@XODUSjp 4 ай бұрын
写真コンテストに応募する際に必須なことが多いタイトル付けが苦手です。 撮ってる時にタイトルを考えたりはしませんし、後付けでしかないのでタイトルって必要ある?と思います。 見る側のことを考えるとタイトルが欲しいというのもわかりますが。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
あえて真逆のワークフローにも挑戦してみてはいかがでしょうか?いまの時期ならテーマは桜並木、タイトルは「ほっこり」、あとは撮るだけです😊
@XODUSjp
@XODUSjp 4 ай бұрын
@@jetdaisuke それも楽しそうですね。ありがとうございます!
@tasdrum
@tasdrum 4 ай бұрын
言語化=理論。理論というのは専門用語を理解することになります。 自分の作品を自分に近い感性を持ってる人だけに理解してもらうだけでいいなら言語化(キャプション)は不要になります。絵画でも、絵から全てが読み取れるのなら歴史の勉強は不要になります。 言語化の1番の利点は完成が違う人同士が理解し合えるという事です。理論、言語が理解できると自分と違う感性を持った人の作品を理解できやすくなるので、特にアート系を勉強する人は、その分野の言語を理解する方が世界が広がりやすくなります。 音楽の分野で、譜面を読めないミュージシャンの話が出てきますが、自分の音楽をしたくて、それだけやってるのなら譜面は必要ないのと同じですね。それだけで食っていけるなら全く問題ないのですが、セッションミュージシャンになりたいのなら、譜面や理論がわからないとそもそも仕事ができないですからね。 アートの言語化もこれと同じという事になります。
@odoruwakusan
@odoruwakusan 4 ай бұрын
結局のところ、人間が人間に共有を行う時にどうしても言葉を使わざる得ないからですね。 なので、本来写真や絵そのものに意味があるものですので、それで完結しないなら、みんな俳句でいいわけです。 写真も絵画も、音楽も陶芸も全部俳句でよくなってしまうんですよね。 と言う上で考えると、人間が芸術に触れる行き先が、「他人に認められるため」になり、やはり言語化からは逃げられない仕組みになっていますね。
@KATS081802
@KATS081802 4 ай бұрын
写真教室の講師をしています。 「展覧会で写真を見るのは15秒。 キャプションを読む時間はもっと長い。」←これ衝撃でした。 教室を開いていて受講者さんから最も多く聞く質問が「先生、どんな写真がいい写真なんですか?」なんです。 ようは理屈で理解したがるんです。 「いい写真の定義はあなたの頭の中にあるんですよ。 私の定義を押し付けられても嫌でしょ? まずは気に入った風景なんかを頭にストックしておいて、それに近い/同じ風景を見たときにどう撮るかのイメージを考えてみましょう。 自分が写真を撮ろうと思った時にはそう思った理由があるのです。 それを強調してみましょう。」って言うと、「私って、どんな風景がすきなんですか?」←これが出てくるんですね。 理屈に頼り、他から与えられるまで待つという人が多すぎと思います。
@KG-oc4zo
@KG-oc4zo 4 ай бұрын
美術作品で言うなら、作者と鑑賞者間で質疑応答をやると鑑賞の仕方がガラリと変わるかもしれません。 梱包芸術のクリストについては、プレゼンのライブで製作の意図を聞たらガラリと見え方・見方が変わりました。 解説者がいろいろ推理説明しても作者当人に取材していなければ、混迷を深めるか、誤った理解に入っていしまいます。クリストの解説を新聞では、評論家曰く「無目的を繰り返すことで生命力を確認しているのか??・・」とのこと、当人は全く別でとても素朴な意図を語っていました。(笑) 意図を知らずにまたは誤解して鑑賞し、「つまらない」に、なってしまうとすれば、残念なこになります。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
質問になってしまいますが、教室では理屈に頼るほかにはどういった方法や方向性があるんでしょうか?
@KG-oc4zo
@KG-oc4zo 4 ай бұрын
@@jetdaisuke ご返信ありがとうございます。わけのわからない作品で作者が意図やコメントを残している物を探して、○○はこういうつもりで作品を制作したと、例をたくさん(ほとんど無いかも)提示して見せるのが最善の方法かと思います。  それほど熱心にやってませんが、ボロゥスキーのカウンテング、ロスコの無題、クリストは前述、・・当人の述べている意図・同機をできる限りの数で鑑賞者に伝えてゆくことで、自らの想像力の助けとなるはずで、訳の分からない作品についてより深く思索できるようになると思います。同じ「わからない」でもより次元の高い「わからない」になると思います。分からなものは分からないしかし誤解で理解しない、興味もてれば念頭に持っておけば、いつか分かる時がくるか、作者の意図にであうとかがあるかもしれません。  2Bチャネルさんに訳の分からない写真集の見方を質問したら、雲をつかむような答えでした。聞ける作者には意図を取材すべきです。そうすればもう少し違った答えになったのではと思いました。  残念ながら素人の見解です。哲学的思索を<徹底的に深めて>よりましな答えを見出して下さい。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
すみませんスレッド立てた方への質問です
@yasfuru4206
@yasfuru4206 4 ай бұрын
デジャヴ
@chikichiki0407
@chikichiki0407 4 ай бұрын
写真にしても絵にしても衝撃を受けた作品は一瞬な気がします 説明されて受けた印象は違う気がしました
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
ここで話したブレッソンとフランクテキストな違いですね
@yohji21
@yohji21 4 ай бұрын
深い… 何か気付かされた気がする…
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
じゃあ今度カメラ買いに行きましょ
@kabosu10
@kabosu10 4 ай бұрын
言語化は陳腐だというのは日本人ならではの逃げな気がする。 あ、ちなみに作品一つ一つに作品の意図を説明したようなキャプションはいらない。 テーマだけでいいかなぁ。。
@moonchai152
@moonchai152 4 ай бұрын
カメラ初級者ですが先週美術館に行ってきたので興味深い内容でした。画像生成AIが進化する中で、写真家に求められるのはクライマックスではなく、画家と同じようにその一枚で世界に何を伝えたいのかを持つことだと思います。機材系KZbinrがライカ買ってスナップ撮って写真家・フォトグラファーを気取っているのを見受けますが、あれはただのカメラフリークだと思います。女子中高生がスマホでやっていることと同じです。むしろ女子中高生の方がセンスのある写真を残しています。今は写真・動画が一般的になってスタイルが多様化しているので、ユーザーを分類してみると面白いかもしれません。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
多様化してると感じるなら二元論的な優劣を語らないほうがいいのでは?
@yaoyorozuch
@yaoyorozuch 4 ай бұрын
確か天才数学者、岡潔(今の人は知らんとは思いますが)は数学とは情緒だ、という名言がありますが、論理に偏りすぎる現代人に警笛を鳴らしてましたね。 いい写真ってなんですかね😅
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
数学はとても美しいものだそうですね。シンセサイザーの波形をオシロスコープで見たりするとそれもそうだなあと感じますね。プログラムした通りの数式でアニメーションが減速したりとかも。いい写真というのは私の場合ずっと20年以上変わらず、目的を達成できた写真のことですね
@yuzoaloha
@yuzoaloha 4 ай бұрын
私は【考える】より【感じる】を大事にしたいですね。 知らんけど。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
なにを感じるのでしょう?
@TakaponTokyo
@TakaponTokyo 4 ай бұрын
サムネとタイトルだけを見たとき「写真の言語化」は、「色弱や色盲など、目が不自由な方には必要でしょう!?」と思って動画を見はじめました。 そしたら違いました。 「なぜ山に登るのか?」→「そこに山があるから!」と言うようなお話でした。 桜が咲いているのを観たら嬉しい気分になるように、写真も同じだと思うんです。 例えば今暮らしている街の30年前、40年前の、自分が子どもの頃の街並みの写真を観ると懐かしく思いますモン。 木造の駅舎で改札員の方が切符にハサミを入れていて…。駅前にいきなり高校があって、その周囲はパチンコ屋・ゲーセン・本屋・レコード屋・コンビニはない時代でしたwww
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
HTMLのimgタグのalt属性みたいなことは議論するまでもなく必要ですよね
@utsuki_april_FE
@utsuki_april_FE 4 ай бұрын
don't think, feel.
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
可能ですかね?
@utsuki_april_FE
@utsuki_april_FE 4 ай бұрын
@@jetdaisuke 可能かどうか…っていうのとはまた違うかな?と。 ただ、写真の良し悪しと言うか、自分がその写真を好きかそうじゃないかはほとんど第一印象で決まるので、見た人が感じたままに受け入れれば、それがその人にとってその写真に対する素直な感想になるのではないかな?と、僕個人が思っているだけです。 例えば、ボジョレーヌーボーの出来具合?も毎年のように言語化されていますが、果たしてそれはそれを飲んだ人全てにとってそう感じる味なのか?的な。 正直、僕には分かりませんし、そもそもお酒が好きではないので飲んだ事もありません。 ただ、日本酒の熱燗だけはなぜか美味しいと感じるので好きです。 そういう付き合いで飲む席にでも行かなければ、お酒自体を普段は全く飲みませんけどね。 で、熱燗について「なぜ熱燗だけ好きなのか説明(言語化)してくれ」と言われても僕には出来ません。 ただ僕が美味しいと感じる。 それだけです。 あとAIの自動生成についてですが、作って欲しい写真や動画のテキストからそれっぽいものを作れるのかもしれませんが、その逆はどうなんでしょうね? 「この写真を言語化してくれ。お前(AI)はこの写真に何を感じる?」みたいな。 それをペラペラと言語化出来るAIが出て来たら人間の感性や感情を理解出来る機械が生まれた事になるので、ある意味怖いですがね。 なんか、長々とすみません。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
ChatGPTで画像を分析・講評してくれますね
@shiraishi_iori
@shiraishi_iori 4 ай бұрын
・作品→散らかった部屋 ・言語化(キャプション)→整理された部屋 散らかった状態でしか見えないものもあるが「どこの何でいつ何のためにあるのか分からないもの」がたくさんあり、 整理することによって「意味や役割」が与えられて「定位置が決まる」のだなと……そんなことをぼんやり感じました。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
キャプションというかタイトルっぽいですね
@user-ps2sg6lq6x
@user-ps2sg6lq6x 4 ай бұрын
見るのと生成するのは真逆のようで当たり前でしょ。
@leepatrick1959
@leepatrick1959 4 ай бұрын
エントロピーは。。。
@user-sq1jc9ow5u
@user-sq1jc9ow5u 4 ай бұрын
『カメラのおじさん』辞めたんですか?良かったのに。僕がもらっていいですか?(汗)。
@jetdaisuke
@jetdaisuke 4 ай бұрын
カメラの話してないですからね
@user-sq1jc9ow5u
@user-sq1jc9ow5u 4 ай бұрын
@@jetdaisuke カメラの話をされる時に、カメラのおじさんなんですね(汗)、失礼いたしました(汗)。
【雑談】カメラを“わざわざ”持って行く人たちへ捧ぐカメラ雑談
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