学校では教えない平家物語の真実|小名木善行

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むすび大学チャンネル

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2 жыл бұрын

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#平家物語#源平合戦#小名木善行

Пікірлер: 159
@poction
@poction 2 жыл бұрын
小名木先生の小芝居最高です。私は昭和時代に農家のせがれでした。田んぼの水の話よく分かります。上流で水をせ占められると下流はな~~~にも出来ません。実体験です。昭和になっても同じです。何百年前の人たちの気持ちがよくわかります。
@yuukaperito
@yuukaperito 2 жыл бұрын
中華史では勝者を美化して敗者を酷く書くのが常識ですが、敗者にも同情する。実に日本人らしい感覚だと思います
@user-pk1oi5mv5b
@user-pk1oi5mv5b 2 жыл бұрын
相撲にもそれは現れてますよね😃 投げた相手に必ず手を差しのべます。
@shinzaemongolf6753
@shinzaemongolf6753 2 жыл бұрын
平家物語は勝者が書いてないからね
@yadonihonTV
@yadonihonTV 2 жыл бұрын
子孫として拝聴いたしました。 大変よい学びの時間となりました。
@user-yh8vt2gy5u
@user-yh8vt2gy5u 2 жыл бұрын
大変、ためになりました。戦いの哀愁、日本の心を感じました。ありがとうございました。
@user-dq9hl5wj2q
@user-dq9hl5wj2q 2 жыл бұрын
私(76歳)は水飲み百姓の生まれ!父の真夜中に起きて自分の土地への水の調整をやってる姿を何度もみました。それに関する実感のある先生だからこその今日の動画です。歴時好きだけど分かっていないことが今日いくつかわかりました。先生ありがとうございました。源氏と平家、源氏の家臣が平氏、平家の家臣が源氏というテレコも良く理解できました。
@namio6086
@namio6086 2 жыл бұрын
「源平絵巻物語」という絵本を息子に読み聞かせせておりまして、何度読んでも息子がどちらが源氏でどちらが平氏か理解しないのでなぜなのか(頭が悪いのか)不思議に思っておりましたが、複雑にテレコになってたんですね!息子は深いとこまで感じとってたのかもと思いました‼︎(子供ってすごい‼︎) 今回も大変勉強になりました。
@tamesanfc
@tamesanfc 2 жыл бұрын
平家物語の新しい側面に触れられて、感動しました😳! ここにも日本の美しさが込められているのですね!😄日本、かっこいいですね!😄
@user-rf3in5gg8k
@user-rf3in5gg8k 2 жыл бұрын
争いの歴史 勝った側の事を良く負けた側を悪く都合の良い様に書かれる中で 平家物語の面白い興味深い発見としてとらえさせて頂きました。 源平合戦 平家が勝っていたらまた日本はどう変わっていた事か興味がわきます。 日本各地 源氏に追われた平家の残党が山奥深い 人知れずに逃げ隠れくらした白川郷や九州椎葉村も歴史ですね。
@user-ms9kg5zr2t
@user-ms9kg5zr2t 2 жыл бұрын
平家物語は好きで何度も読みました。今でもこんなことあるよねって言う人間模様が丁寧に描かれ、やがて破滅に向かって突き進んでいくくだりは見事です。勝った義経も滅び、清盛の娘が独り残って物語を締めくくりますが、なぜ最後に残るのがこの人なのかずっとぎもんでしたが、今回のお話で疑問が解けた気がします。 ありがとうございました。☺️
@tulip03good
@tulip03good 2 жыл бұрын
楽しい講義ですね。こんな講義を一度受けると歴史好きになるはずです。 一応、須磨海岸・屋島・壇ノ浦と決戦があった場所は見てきましたが、赤間神社の耳なし芳一の話は有名ですね。 驕る平家は久しからず!
@drassaco
@drassaco 2 жыл бұрын
私の氏の開祖は桓武平氏なのに源頼朝の下についていました。 それが不思議でならなかったのですが、なるほどと思いました。
@golden-freeza
@golden-freeza 2 жыл бұрын
源平合戦は人間模様が複雑過ぎて挫折しましたが、なるほどそういう流れだったんですね!改めて勉強するきっかけ作りありがとうございます!
@user-kk5rc5ex4z
@user-kk5rc5ex4z 2 жыл бұрын
門司出身ですが、関門海峡の流れを人力や風力でさかのぼるのは今でも無理です。
@mayukoichihara1980
@mayukoichihara1980 2 жыл бұрын
わびさびの原点、異文化の衝突による寂寥感、心に響くお話をありがとうございます!
@user-tj1ln9gu7p
@user-tj1ln9gu7p 2 жыл бұрын
非常に面白かったです。これからも情報発信よろしくお願いします。
@user-ey4pu1dx1k
@user-ey4pu1dx1k 2 жыл бұрын
大変よいお話しを聴き勉強になりました。
@Koa2447
@Koa2447 2 жыл бұрын
面白い!歴史がこんなに面白く聞けるとは!感動です!
@KIKOYATAKARA
@KIKOYATAKARA Жыл бұрын
小名木先生の、最後の辺りでお話しされている言葉に感動しました。ありがとうございます🤲🏽日本人に生まれその文化を継承できる事を、誇りに思います。
@thomas3fd6
@thomas3fd6 2 жыл бұрын
素晴らしい知識と、考え方の説得力!ありがとうございます♪
@kryokl2938
@kryokl2938 2 жыл бұрын
平家は一族の絆を大切にしていたので栄える時も滅びる時も皆同じ。 文化や教養にに優れていた。 それに比べて源氏は身内同士で醜い争いを繰り返し、みんなロクな死に方をしていない。 ほとんど知られていない水島の戦いでは金環日食を予測していた平家がそれを利用して勝利を収めた。
@quadruprum
@quadruprum 2 жыл бұрын
源頼朝とかそうですね。自分の子供には甘いが、義経その他には厳しく、自害に追いやっている。そうやって、一族を衰退させ、その挙句が、頼家が討たれ、その子公暁に実朝も討たれ、公暁自身も誅され…結局、頼朝の血は絶えてしまったんですから。
@metya_t888
@metya_t888 2 жыл бұрын
父が昔、父の家のルーツは、源氏、母の家のルーツは、平家、だから、仲が悪いんだよって、言ってました。 確か、中国の楊貴妃のお墓が、山口県にあり、回りに、平家のお墓が、沢山あると、KZbinrの服部さんが、言ってたが?
@user-up5us3ss4f
@user-up5us3ss4f 2 жыл бұрын
特に特に、今回は面白い。 最後のまとめが、日本人らしくて感激しました。 日本語と古典は、無くしはいけませんね。
@user-kn4rk2yh1t
@user-kn4rk2yh1t 2 жыл бұрын
学生の時は一部分だけしか習ってなかったので大人になって全文読んでみて改めて感動しました。勝った源氏より負けた平家の肩を持つような部分が多くて不思議に思っていましたが謎が解けました。
@user-ff8cs2oz6f
@user-ff8cs2oz6f 2 жыл бұрын
めちゃくちゃ面白かった!!自分高校生で世界史選択なんですけど見入ってしまいました!笑
@Izumi-fe1x
@Izumi-fe1x 2 жыл бұрын
目から鱗が落ちるとはこのことでした。 ありがとうございました。
@rerepopo663
@rerepopo663 2 жыл бұрын
戦の才能はまさに義経級の木曾義仲を海上戦で叩きのめしたり 平安末期で戦離れしてたとは言え平家のこの海上戦の上手さは流石だよね。
@user-vv3ew5nb5q
@user-vv3ew5nb5q 2 жыл бұрын
とても良く分かりました。ありがとうございます。
@SCP--zu6ib
@SCP--zu6ib 2 жыл бұрын
わびさびの原点。目から鱗でした。
@Kage3200
@Kage3200 3 ай бұрын
私は頼朝様に仕えたある御家人の子孫です。 小さい時は先祖がその人と言われてもピンときていませんでしたが、大人になって鎌倉殿の13人に登場している事を知ってから、鎌倉時代や源平合戦にはまってしまい、今猛勉強中です。 最近こちらのチャンネルを知って、小名木先生のお話が1番聞いていて面白く、分かりやすかったのでチャンネル登録しました! これからも楽しみにしてます😊
@user-vm7kt2xi5o
@user-vm7kt2xi5o 2 жыл бұрын
日本の文化は深いですね。勉強になりました。
@user-wo9oy8vb2r
@user-wo9oy8vb2r 2 жыл бұрын
なるほど。 瀬戸内の海を熟知している筈の平家側が、一ノ谷で敗走し壇ノ浦で敗れた理由が分かりました。 幕末に、戦力的に圧倒的有利だった幕府軍が新政府軍にあっさり負けたのと、何だか似て居ますね。
@user-qh5hb2gj5b
@user-qh5hb2gj5b 2 жыл бұрын
大変楽しく聞かせて頂きました。清盛公は本当に大好きな偉人です。ありがとうございました。
@kiyoshinomizu8529
@kiyoshinomizu8529 2 жыл бұрын
本日のお話で源氏と平家の関係が分かりました。有難う御座います。明治以降、政権が源平で入れ子になっている原因がわかった様に感じました。
@user-zr4ly1pw9e
@user-zr4ly1pw9e 2 жыл бұрын
初見です。 本当に素晴らしい! 勉強になりました。ありがとうございました
@winfield226
@winfield226 2 жыл бұрын
正にランドパワーvsシーパワーの戦いですね
@tami6931
@tami6931 3 ай бұрын
深い‼️地元壇ノ浦の話、安倍総理の愛した赤間宮のをまた違う捉え方になりました。立体的に歴史を感じることができました!先生に感謝🙏
@ltsintuition8247
@ltsintuition8247 2 жыл бұрын
深いお話ありがとうございます。某神道研究家のムー大陸の話より断然おもしろくためになりました。
@user-ko8by6rb6k
@user-ko8by6rb6k 2 жыл бұрын
素晴らしい
@user-hj9fz3zh9o
@user-hj9fz3zh9o 2 жыл бұрын
すっきりしました。ありがとうございました。
@user-gz4nv3pm6x
@user-gz4nv3pm6x Жыл бұрын
素晴らしく分かりやすい、目から鱗な講義でした。
@perobskeit
@perobskeit 2 жыл бұрын
それで室町時代には伊勢平氏が政治中枢にいても問題なかったんだ
@holy007rattleback
@holy007rattleback 2 жыл бұрын
私の母方は平家の子孫です。。
@holy007rattleback
@holy007rattleback 2 жыл бұрын
大きな8つのグループを引き連れて逃げて来た総大将家系だと聞いています。ボロボロになった鎧がどこかにあるはずです。4歳ぐらいのときには祖母に鶯色の短刀を腰にさしてもらったのを覚えています。日本が本当に危機にひんしたときには、全国の平氏に呼びかけて立ち上がれるだけの、人間的魅力をみにつけておくために、いろいろなことを若い時に勉強しておくように、生活の中でさとされました。もう68歳になりましたが、その精神は子孫に伝えていきます。
@taihan5971
@taihan5971 2 жыл бұрын
小名木先生はストーリーを上手に話されます。 理解しやすいお話で感謝申し上げます。
@fukuiti1940
@fukuiti1940 2 жыл бұрын
素晴らしいな。ありがと。
@beancurdog_2
@beancurdog_2 2 жыл бұрын
無学な私には驚きの内容でした。ありがとうございました!
@oto1668
@oto1668 2 жыл бұрын
目から鱗でした。深いですね~ しかし世界や日本の現在も文明の戦いじゃないでしょうか。 庶民の暮らしとハイクラス社会は、価値観を共有出来るほど言葉が通じてると思いませんね。 グローバル勢力にすり寄る政治家や政商どもは、庶民の生活なんてどうでもいいでしょう。
@user-bh2vb2uk8o
@user-bh2vb2uk8o 2 жыл бұрын
義経贔屓の先入観ありで、中学生の頃読んだので、源氏のための軍記物だと思ってました😰
@hikick49
@hikick49 2 жыл бұрын
これもまた眼から鱗でした。特に以下の三点。 1)源氏VS平氏でなく、平家、しかもそれぞれの実働隊は入り混じっていた 2)源氏政権下における平家物語の伝承は、負けた側の怨霊鎮魂かと思ってましたが、そうでは無い 3)陸軍VS海軍の捉え方 ただ、いつの時代もやはり争い事の発端は当然と言えば当然ですが、食い扶持の確保なんですよね。 余談ですが、井沢元彦氏によると、三度にわたる源平合戦は全て源氏側の逆転サヨナラ満塁ホームランだったとのこと。 全ては戦の天才、義経の功と運が為せた業。 ただし、義経には政治的センスがなさすぎたことがその後の不幸を産んでしまう。
@user-sj1ob5fq2j
@user-sj1ob5fq2j 2 жыл бұрын
勉強になります。 新田義貞は平家物語の源平合戦ではなくて太平記です。
@yamato3228
@yamato3228 2 жыл бұрын
私もビックリしました。 歴史好きでなくても常識ですよね。
@user-xt5dc7hv3y
@user-xt5dc7hv3y 2 жыл бұрын
追伸平家の方々は大変美しい方々がですね。心が清く情け深い方で高貴で食品を大切になさり口数が少なく思慮深くとてもご拝察させていただいた時先祖が至らなかった事を反省しました。
@mitis9feel
@mitis9feel 2 жыл бұрын
関東の平氏は平将門の流れをくんでいます。平清盛は将門との戦いに敗れて伊勢に逃れた平氏の流れですね。平将門が敗れて戦死した後、新たな頭領として迎えられたのが清和源氏と言う話聞いています。
@user-dh2kb2yv7r
@user-dh2kb2yv7r 2 жыл бұрын
深くて軽い驚愕でビックリでした。諸行無常を感じる事が出来る日本人は文明人である事が許されたのは、島国だからでしょう。
@user-wr5ey6xb2b
@user-wr5ey6xb2b 2 жыл бұрын
生徒の頃、歴史が嫌いだったのですが、動画の解説のすばらしさに感動し、もっと学びたいという気持ちになりました。ありがとうございます。平家のすばらしさをもっと教科書にも入れてほしいと思いました。たとえば清盛が僧に対して横暴な事をしたのではなく、むしろ僧の横暴さを防ごうとしたことを知りました。 わび、さびの原点も知ることもできました。朝廷が平家に対して「平家は大事な家だから戦うな。」と言ったことについてですが、朝廷側が、「権力を増大してきた平家」に油断させるためにだました、ということを聞いたことがありますので、その辺のことも聞きたいです。
@newecsystem5016
@newecsystem5016 2 жыл бұрын
陸軍と水軍の戦いを文明の衝突だと解説して下さり有難う御座います…しかしながら外国の様に文明の対立が対立相手を亡ぼす事無く🗾はどこに妥協点が有るかを探す事で「わび」「さび」の原点に成ると纏めて下さり有難う😆💕✨。
@user-lp4jo7ge8h
@user-lp4jo7ge8h 2 жыл бұрын
深いですね!
@user-sm4uy6ut7x
@user-sm4uy6ut7x 2 жыл бұрын
単純におもしろい! 戦国時代の話もっと聞きたいです。
@toyo156
@toyo156 2 жыл бұрын
戦国時代ではないですよ🥳
@user-bo6xq5xy3v
@user-bo6xq5xy3v 2 жыл бұрын
水軍と陸軍の文明の戦い❗其の視点が無いと平家物語は解ら無い‼️そりゃそうですよね⁉️小名木先生大事なポイントですね🎵、、、🐒
@yamato3228
@yamato3228 2 жыл бұрын
源平で文明の差が在ったのでしょうか? 坂東武者は剛弓使いが多かかったでしょうが、当時は鉄砲のような火器は無いですね。 舟を操る能力は、平家に分があるでしょうね。 ま、文明?の違いで、源氏が平家の舟の舵方を射殺しましたけどね。
@user-tz5yp4de1u
@user-tz5yp4de1u 2 жыл бұрын
なるほど🤔 福原京.大輪田泊.宮島! 大陸との貿易も含めて何故平家が海にこだわったのかが解りました。 アリガトウ御座いました😊
@reoiwakawa1484
@reoiwakawa1484 2 жыл бұрын
源氏には親王から平家潰せと出てて、平家には戦うなと後白河から詔が出されたんだね。それで平家に戦わせずにワンサイドゲームを源氏にさせたんだね。可哀想…。つくづく皇室って黒いわ。
@user-fc9sy5cf9u
@user-fc9sy5cf9u 2 жыл бұрын
私は茨城県ですが、桓武天皇からの系図がある一族が複数近くに住んでますからね。佐竹氏が茨城県南部に進行するに従い、主家が滅亡するなどして、帰農したようです。つまり、鎌倉時代は、落人ではなかった(笑) ということになりましょうか。
@ystszk9901
@ystszk9901 2 жыл бұрын
平将門も関東に君臨してましたね、北条政子も平氏の娘、関東は平氏が多くいたのですね。 てれこになっていたのは初めて知りました。
@user-qz3bu6oj2o
@user-qz3bu6oj2o 2 жыл бұрын
ありがとうございます。 素晴らしい!
@japones_com_yuriko
@japones_com_yuriko 2 жыл бұрын
「わびさび」と平家をもっと知りたいです🙏🙏🙏🙏🙏
@user-cy4qe8zr8r
@user-cy4qe8zr8r 2 жыл бұрын
なるほどなあ、
@maronnkuririnn
@maronnkuririnn 2 жыл бұрын
舟の漕ぎ手を本来攻撃しては、いけないという暗黙のルールがあるのですが?源義経が、お寺に幽閉されていた関係でそのルールを知る由もなくて漕ぎ手を攻撃して無茶苦茶して勝ったという事を聞いたことがあります。
@user-kv9jc9uz6x
@user-kv9jc9uz6x Жыл бұрын
よく、わかりました、そう言うことだったんですね✨
@dassiemeeling1429
@dassiemeeling1429 2 жыл бұрын
日本の古典は歴史観だけで無く、「艶っぽい」。女子に非常に好まれる。私はそう考えてます。
@310johnny7
@310johnny7 2 жыл бұрын
新田の地に生まれた者ですがそう言う事だったのですね( ´・ω・`)だから新田氏は冷遇されてたのですね!勉強に成りました(^-^)
@user-qz8oz1er3c
@user-qz8oz1er3c 2 жыл бұрын
そういえば、那須与一が扇の的を射抜いたときに、平家の方は船端をたたいてほめそやし、扇の的の小舟に乗っていた老武士が見事なりと舞を舞ったのに対して、それを見た源氏の武士たちはあれも射てしまえとけしかけて、那須与一は舞を舞う老武士にも矢を射かけて殺しました。これも戦いに関わる文明の違いなのでしょう。源氏=陸軍の方が、戦いに対して真面目なのです。
@yamato3228
@yamato3228 2 жыл бұрын
文化が相応しいですね。
@nekochankawaiine
@nekochankawaiine 2 жыл бұрын
平将門の孫の代の平忠常が千葉で反乱を起こしたのが河内源氏が関東に拠点を置いた理由でもあり、将門を討伐した平貞盛の子が伊勢平氏になった理由でもあるので、もっと先の歴史からずっと繋がってると考えると感慨深いものがあります。頼朝が安房で坂東平氏との交渉の成功を願掛けした神社の奥宮が将門ゆかりの神社で将門塚の隣にあった神田神社の元になる神社は実はそこの神様が祀られてたという噂があるのも興味深い話です。源平って紅白ですが紅白って縁起いいですよね。薔薇戦争のテューダー朝も同じような感じで面白いですね。
@tanakashigemitsu3029
@tanakashigemitsu3029 2 жыл бұрын
心の優しい人達が武器を持ったら終わりデス。武器を持ったケモノ達の恰好の餌食にされます。中途半端ではなく、やるならヤル、やらないならヤラナイで行かなければ。大切な話しありがとうございます。
@rerepopo663
@rerepopo663 2 жыл бұрын
源平合戦は後の戦国時代でも強かったけど、当時まだ未開の場所が多かった関東で 苦労しながら武の鍛錬に明け暮れてた、所謂源氏側の「坂東武者」が恐ろしい位強かった。 それこそ後の元寇でも元側から見れば十分強かった九州とか、西日本の御家人とか武士が 「いやいや・・・。鎌倉の坂東武者に比べれば拙者たちはまだまだ・・・」とか謙遜する位。 当時の坂東武者が当たり前に弾いてた弓の強さは、現代人じゃまず引くのが不可能な強さだそうです。
@yamato3228
@yamato3228 2 жыл бұрын
当時の弓の構造は、丸木弓ではないようですが、木を竹でサンドイッチしたようなシンプルな構造だったようです。 その後も弓の改良は進み、現代はひご弓が主流のようです。 現代の弓は、同じ引き重量でも、平安末期の弓より反発力が強く、逆に、源平合戦の頃の弓は効率(引き重量の割には矢が飛ばない)が悪いので、それを補う為に、より強力な弓にするしかなかったでしょうね。
@photokid1061
@photokid1061 2 жыл бұрын
むすび大学さんの趣旨は大賛成です。小名木さん中々良い事をおっしゃいますね。しかし、一の谷の合戦、屋島の合戦、そして壇ノ浦の戦いに於いて、義経の背後には、熊野水軍、瀬戸内海の水軍が義経を助けて居た事には触れてませんね。歴史的事実の詳細について正確に述べて下さい。
@user-jb5lp4lk4q
@user-jb5lp4lk4q 2 жыл бұрын
ラッパーに平家物語やって欲しいな❤かっこいいだろうなー
@user-ir5xo2qc2o
@user-ir5xo2qc2o 2 жыл бұрын
平氏ー1 (たいらうじ、へいし、へいじ)は 日本の平姓(たいらのかばね)を持つ氏族。「平」は皇孫三代目[1]が臣籍降下の際に受けた賜姓。 姓(カバネ)は朝臣(「平朝臣」(たいらのあそん))。 有名な桓武平氏を含め4つの流派がある。家紋は揚羽蝶を中心に使用した。 概説 姓の代表的なものの一つとして源氏・藤原氏・橘氏とともに「源平藤橘」(四姓)と総称されている。 平氏には桓武天皇から出た桓武平氏、仁明天皇から出た仁明平氏、文徳天皇から出た文徳平氏、光孝天皇から出た光孝平氏の四流がある。しかし後世に残ったもののほとんどは葛原親王の流れの桓武平氏であり、武家平氏として活躍が知られるのはそのうち高望王流坂東平氏の流れのみである。常陸平氏や伊勢平氏がこれに相当する。また、北条氏や坂東八平氏なども含めることがある。しかし、例えば北条氏は最近の研究では出自に諸説あり、系図も何種か存在するため、桓武平氏と判断するには困難なりつつある。ましてや桓武平氏を称する氏族が、通説から離れ桓武平氏と歴史学上で判断されるには、より多くの出典と文献が必要となる。 葛原親王の流れの桓武平氏には高望王流の他に善棟王流と高棟王流があり、善棟王には記録に残る子孫はいなかったが、高棟王流の桓武平氏は公家として京都で活動した。 起源 「平」という名称の由来は諸説あるが[2]、有力な説は太田亮が唱えて藤木邦彦・佐伯有清らが発展させた説で、最初の平氏であった桓武平氏の祖である桓武天皇が建設した平安京にちなんで「平(和訓:多比良)」と名づけたとするものである。太田亮『姓氏家系大辞典』では、「其の名称は、平安京(京都市)の本訓タヒラより起る。蓋し桓武帝、此の都を建てられしにより、其の子孫、此の氏を賜ひしならん。」と述べられている。また、「桓武平氏の誕生」(林陸朗、『日本中世政治社会の研究』所収)において、「一世(親王代)、二世(孫王)の賜姓は源朝臣、三世王の賜姓の場合は平朝臣という区別があったように思われる」と述べている。しかし、第五十四代仁明天皇、第五十五代文徳天皇の曾孫王の世代にはあてはまるが、第五十八代光孝天皇の曾孫王の世代ではあてはまらない。そのために、平安京遷都後の桓武天皇の孫王の高棟王が、「平」姓が賜姓されたように、平安遷都後の一時期、天長年間から仁和年間(824年-889年)まで変則的に与えられたのではないかという説もある[3]。 平氏の拠点 「東国の源氏、西国の平氏」という俗説があるが、高望王流桓武平氏の始まりの地である東国は当然のことながら武家平氏の盤踞地であった。すなわち坂東平氏の一族がその後中央(朝廷)に勢力を伸ばし、西国にも平氏勢力が広がったとするのが適当である。武家平氏としては例えばその祖である上総介の平高望や、東国に独立政権を樹立しようとして失敗した下総の平将門、将門を倒した常陸の平貞盛などが良く知られるが、時代が下って平氏政権で台頭した平家(平清盛の家)を出した伊勢平氏も、貞盛の四男維衡の子孫が伊勢に移り住んだものであり、これを倒した源頼朝を支えた鎌倉幕府の執権北条氏や坂東八平氏も同じく坂東に土着した高望王流桓武平氏の末裔であった[4]。 結果的に北条氏や坂東八平氏などの東国の武家平氏は、源氏一門や藤原氏一門に恭順し家臣となるか、あるいは抵抗して追討されるなどして、史上華々しい成果を収めなかった。それに対し、伊勢平氏の平清盛は西国を制して中央政権を牛耳り、これに抗した河内源氏流の坂東源氏・源頼朝が平氏を追討して東国に鎌倉幕府を開き、さらに後醍醐天皇の意向を受けた新田義貞・足利尊氏が坂東平氏に乗っ取られた鎌倉幕府を倒して新たな中央政権樹立に貢献したこと、そして鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府揃って坂東源氏の政権(江戸幕府は、系図の捏造のため実際には違う)であったことなどが「東国の源氏、西国の平氏」と説かれる原因であると考えられる。征夷大将軍の源平交代思想と同様、俗説の域は出ない。 平家 武家平氏で平姓を残したのは伊勢平氏など数少ない。その伊勢平氏の傍流であったが、いわゆる平氏政権を打ち立てた平清盛とその一族を特に「平家」と呼ぶ。ただし、「平家」という言葉は本来、数多い平氏の中でも特定の家もしくは集団を指す言葉に過ぎず、初めは桓武平氏の中でも伊勢平氏が属する武家の高望王流ではなく、京の都で文官として活躍していた高棟王流の人々を指していた(『江談抄』(二))。また、平氏政権時においても清盛一族のみならず、彼らに仕えている家人・郎党らを含めた軍事的・政治的集団を指す用法としても用いられ、この場合の「平家」には清盛に従った藤原氏や源氏の武士も含まれることになる。勿論、本来の「平家」である高棟王流は明治維新まで存続したのであるから、その意味では、壇ノ浦の戦い以後も「平家」は存続していたとも言える[5]。 これに対して源氏は、源姓を名のった一族は多く、源家は複数になるため、通常は、源家総体という意味での源氏と呼び、源家という言い方はあまり用いない。また、平氏は源氏と同じく、皇子皇女の処遇として賜姓が行われたが、天皇の孫以降の代に賜姓を受けた例が多いと言われ、そのため源氏よりも格は下とみた向きもある。
@user-yk7jo2wr7z
@user-yk7jo2wr7z 2 жыл бұрын
平家物語、アニメ化するそうですね。来年の1月頃でしたっけ? とても楽しみです。
@user-xt5dc7hv3y
@user-xt5dc7hv3y 2 жыл бұрын
東京にお住まいの宮川さまが喜びます。何せ平家の清盛さまの子孫ですよ。私は平家の落人河野通有の子孫です。
@kurukurubird9113
@kurukurubird9113 2 жыл бұрын
北条時頼の時代に平氏の公家が多くいたことが平家物語に関与しているのでは?それと土地問題が源平どちらかにつくかのキッカケと言われてますが後三年合戦の八幡は一切関係ないとでも
@user-tb5pi2is5u
@user-tb5pi2is5u 2 жыл бұрын
小名木先生、今回も有難うございました。お疲れ様です。 平家は落ち目で、滅びるのは時間の問題で行き着く先は檀ノ浦しかなかったように子供の頃から教えられてきましたがとんでもないですね。 海戦での水軍にはそんな潮の流れなんかあまり関係ないようですね。 そもそも、義経が海戦であの平家を破った戦術をいつ何処で学んだのか? 全くわけがわからない。 法皇の院宣を得た源氏の勢いで平家の滅亡は時間の問題だったでは説明がつかない。 ただ官軍というだけではね。 やはり義経がやった船のこぎ手を矢で狙うという卑怯な戦術で勝ったのが真相と思える。 本来は海戦術に優る平家が勝てる戦であった。 義経は目的のためには手段を選ばない最低の武将、武士道もへったくれもない男だったと思える。 英雄伝には鵯越の逆落としとか、檀ノ浦の八そう跳びだとか、カッコいいことばかり並べやがって。 後にあのような運命が待っていたのも当然である。 あんなのが平泉から逃亡し、北海道を経由して大陸に渡り、あのチンギス・ハーンになれるわけがないだろう❗️笑
@user-lt4bn2zo5t
@user-lt4bn2zo5t 2 жыл бұрын
平家物語は現在においても示唆にとんだ歴史観を思わずにいられません。人間のさがは昔も今も変わりないと思います。そのことを深く想うところです。
@kensiro8740
@kensiro8740 2 жыл бұрын
親戚同士のいざこざだったとは悲しい
@TKiatak
@TKiatak 2 жыл бұрын
25:45からが非常に心に残った。 小名木さん、この動画、むすび大学、 2万年前の~の動画をきっかけに、幾つか拝見させていただきましたが、とても面白いです。 イロイロ考えさせてもくれるし、一方的ですが知り会えて良かったと思います。 今後も、以前の動画も含め、全て拝見させていただきたいと思います。 末永く宜しくお願い致します(*-ω人)
@ssannhiro3686
@ssannhiro3686 2 жыл бұрын
田んぼのモグラって、そんな古くから問題になってたのか…。 田舎で小さいころ、かざぐるまの作り方を習うのって、そういう……。
@rokuemu114
@rokuemu114 2 жыл бұрын
フーセンガム。オレンジ味のものが良いらしい
@user-honey_candy
@user-honey_candy 2 жыл бұрын
今ではカミツキガメもだね。
@kalno3778
@kalno3778 2 жыл бұрын
なるほど! 本当は平家側は殺しあいを回避したかった、だから殲滅させられたという事なんですね 鎌倉時代が源が三代で終わっても継続した理由もなんとなく理解出来ました
@user-gh8ui2jo4o
@user-gh8ui2jo4o 2 жыл бұрын
源氏衆の家来としては感慨深い🙄
@user-yf7ul8fp3e
@user-yf7ul8fp3e Жыл бұрын
参考になったんだけど田んぼの話がなげえ!笑 初見ですが役を演じてお話してくださってる時が楽しそうで可愛いです。いろいろ動画見てみよ
@8823Orange
@8823Orange 2 жыл бұрын
そういえば、平家の落ち武者が逃げた、四国の祖谷渓に行ったことがある。平家屋敷が残っていた。多くの武将の家は消えて行って、一軒だけが残っていたようだ。
@norihana8666
@norihana8666 Жыл бұрын
平家の末裔(残党)と言い伝えられる五箇山や白川郷地域に時々行ってましたが、祭事の衣装や楽器などが独特で、周辺地域とは異質なほど違っていて。 深く考えたことはなかったのですが、滅亡した文化勢力の名残だと思うとなるほどな、と興味深く感じました。
@user-vd5pz8fm7i
@user-vd5pz8fm7i 2 жыл бұрын
平家物語がアニメでやってて 最終回のシーンだったので感慨深い
@user-ir5xo2qc2o
@user-ir5xo2qc2o 2 жыл бұрын
平氏ー2 50代桓武天皇の子・葛原親王、万多親王、仲野親王及び賀陽親王の子孫。 葛原親王流 第三皇子葛原親王の流れ。平安時代初期の天長2年(825年)3月5日に葛原親王が子女を臣籍降下させ平朝臣姓の賜姓を上表するがこの時は許されず、7月6日に再度上表して許されたのを始まるとする[6]。諸系図では、葛原親王の子息で平朝臣姓となった者として後述の高棟王・善棟王・高望王がいたとされる。一方で、天長5年(830年)従五位下に叙爵した平清人[7]、同じく承和7年(840年)に叙爵した平春香[8]も葛原親王の子孫である可能性もある。 高棟王流 葛原親王長男の高棟王子孫。高棟王は天長2年(825年)に賜姓を受けて平高棟となった。 この流れは公家として京に残り、平安時代前期には高棟王の子・孫が公卿に昇進している。平安中期になると藤原氏の隆盛とともに中・下級貴族にとどまるが、執政の藤原兼家・道長親子に能力を認められた平惟仲が、従二位中納言大宰帥まで栄達した。また平安末期に平清盛の正室平時子(二位尼)と、その弟で清盛の威勢によって正二位権大納言にのぼった平時忠、異母妹の建春門院平滋子が出た。時忠は壇ノ浦の戦いの後、能登に流され没落したが、時忠の弟親宗の子孫(唐橋家)や叔父信範の子孫(西洞院家・安居院家・烏丸家)は鎌倉時代以降も公家として続いた。歴史物語の今鏡に、「日記の家」と紹介されているように平記・兵範記をはじめ多くの古記録を残す。江戸時代には西洞院家・平松家・長谷家・交野家・石井家という5家の堂上家を出した。さらに地下家の生島家もこの系統である。 なお、時忠の子時国の子孫と称する家が能登半島で豪農(上時国家、下時国家)となり、現在も続いている。 善棟王流 葛原親王二男の善棟王子孫。善棟王は天長2年(825年)高棟王とともに賜姓を受けて平善棟となった。 兄弟の高棟、高見王らとは異なり、記録に残る子孫はいない。 高望王流 葛原親王三男の高見王の子・高望王子孫。高望王が賜姓を受けて平高望となったのに始まる。 但し、高見王の名は同時代の史料に名前が見えないので系譜には疑問も残る。(「望」と「見」は両方とも名読みで「み」と読める。)寛平元年(889年)に皇族5名が平朝臣を賜姓されたとの記録(個々の名前は伝わらない)があるので、高望王はそのうちの一人と推定されている。 坂東平氏 高望は、昌泰元年(898年)に上総介に任じられ遥任国司が多いなか、子の国香・良兼・良将を伴い任地に下向した。そして任期が過ぎても帰京せず、国香は常陸大掾(大掾氏)、良将は鎮守府将軍を勤めるなどし、上総国ばかりでなく常陸国や下総国にも勢力を拡大、坂東に武士団を形成し武家平氏の基盤を固めた。熊谷氏や鎌倉幕府の実権を握った北条氏は、国香の子孫である直方の末裔と称している。また、高望の側室の子良文もその後坂東に下り、良文の子孫も坂東に散らばって三浦氏・土肥氏・秩父氏・千葉氏などの武家となった。特に良文流の坂東平氏を坂東八平氏と呼ばれる。 伊勢平氏と平家 国香の孫維衡よりはじまる一族が伊勢平氏である。平氏の中でも伊勢平氏、特に正盛の系統(六波羅流・六波羅家)は「平家」と呼ばれている。正盛の子忠盛が初めて昇殿を許され、忠盛の子清盛は平氏政権を樹立し栄華を誇ったが、清盛の晩年には各地で平氏政権に対する反乱(治承・寿永の乱)が起き、最終的には壇ノ浦の戦いで滅亡した。 伊勢氏と後北条氏 伊勢平氏の他に室町時代に有力な幕臣となる伊勢氏が平維衡の子孫を称しており、伊勢氏は代々政所執事を世襲した。伊勢貞親は第8代将軍足利義政の養育係を務め、義政の成人後も幕政に大きな影響力を持った。第13代将軍足利義輝の時代の政所執事・伊勢貞孝は幕政を壟断するまでになったが、三好氏と対立して戦死した。貞孝の死後、伊勢氏は力を失ったが江戸時代には旗本として続いた。また伊勢氏の傍流備中伊勢氏出身といわれる伊勢盛時は一代で伊豆・相模を平定し、戦国大名・後北条氏(小田原北条氏)の祖となった。 平家の落人 各地に散らばって隠れ住んだ「平家の落人」の子孫を自称する武家は大変多く、代表的なものとして薩摩の種子島氏、対馬の宗氏、尾張の織田氏などが挙げられる。しかし、これらは子孫だとしても伊勢平氏の子孫ではなく、「平家に仕えた郎党の子孫」というべきだろう(織田氏については藤原氏説もあり)。ただし、前述のように伊勢平氏に仕えていた郎党を他氏出身者も含めて一括して「平家」と呼んだ用例もあるため、その意味においては「平家の落人」という言葉も全くの誤りではない。 熊本県の五家荘や富山県の五箇山などは平家の落人の隠れ里と伝えられる。これら平家の落武者およびその家族、使用人等の隠れ里と伝わる地を「平家谷」と通称する。 室町時代に入ると『平家物語』が完成し、今日まで広く愛される軍記物語となった。 万多親王流 第九皇子万多親王の流れ。 貞観4年(862年)に正躬王の子住世王以下12名が平姓を賜姓されて臣籍に下り、その後正行王の子3名、雄風王の子2名も平姓を賜姓された。 仲野親王流 第十二皇子仲野親王の流れ。 仲野親王の子の茂世王・利世王・惟世王などが平朝臣姓を賜姓されて臣籍に下ることによって成立した氏族。 賀陽親王流 第十皇子賀陽親王の流れ。 元慶2年(878年)に賀陽親王の六男利基王の子潔行王が、賜姓を受け平潔行となった。 桓武天皇皇子系図 桓武天皇皇子系図[表示] 桓武平氏(高棟流)系図 高棟流系図[表示] 桓武平氏(高望流)系図 -1 高望流系図[表示] 桓武平氏(高望流)系図 -2 (伊勢平氏(平家)) 伊勢平氏系図[表示] 桓武平氏(高望流)系図 -3 (伊勢平氏(平経盛・平教盛・平頼盛子孫)) 平経盛・教盛・頼盛子孫系図[表示] 仁明平氏 54代仁明天皇の孫・雅望王、行忠王及び惟時王の子孫。 「仁明天皇の皇子・本康親王の子孫が「平朝臣」を賜姓されて臣籍に下ることによって成立した氏族」を仁明平氏と定義している文献もあるが、本康親王の皇子でも源兼似・源兼仁・源朝鑑・源朝憲・源保望・源由道のように源朝臣を賜姓されて仁明源氏となった者もいるため、正確には雅望王・行忠王・惟時王の子孫が仁明平氏である。 仁明平氏系図[表示] 文徳平氏 55代文徳天皇の皇子・惟彦親王の子孫。 文徳平氏系図[表示] 光孝平氏 58代光孝天皇の孫・式膽王、興我王及び忠望王の子孫。 「光孝天皇の皇子・是忠親王の子孫が「平朝臣」を賜姓されて臣籍に下ることによって成立した氏族」を光孝平氏と定義している文献もあるが、是忠親王の子孫でも源清平・源宗于(以上是忠親王の子)・源康行(英我王の子で康尚の父。英我王は是忠親王の子)のように源朝臣を賜姓されて光孝源氏となった者もいるため、正確には式膽王・興我王・忠望王の子孫が光孝平氏である。また、平高棟の孫・平中興は是忠親王の子・忠望王の養子になったため、血筋からみると高棟王流桓武平氏だが中興の子孫は光孝平氏である。従って平元規(中興の子)も光孝平氏である。
@masayoshiyoshino8020
@masayoshiyoshino8020 2 жыл бұрын
義経の部下の四将の一人は紀州の水軍だと何かで読んだ。
@user-is3fi4zo9w
@user-is3fi4zo9w 2 жыл бұрын
頼朝の部下が平氏だったのは北条氏などで知っていましたが、平家の下にいたのが源氏だったのは知りませんでした。
@user-rc8bc8hw5j
@user-rc8bc8hw5j 2 жыл бұрын
大変解りやすくて良い解説ですね😃だからどの政権も三代目までしか続かないですね😃源、北条、徳川、今の総理?
@user-lr3lg2gh5e
@user-lr3lg2gh5e 2 жыл бұрын
敦盛の”人間”は「にんげん」では無く「じんかん」って読むって聞いたことがあるのですが違うのでしょうか? 人の50年ではなく、地上世界の50年。 地上世界の50年など天界からみれば夢幻のような物だ。 って意味だと聞きました。
@user-th3gb8di3g
@user-th3gb8di3g 2 жыл бұрын
平家は治水事業を行ってますよ!
@yukimasasugimoto9836
@yukimasasugimoto9836 2 жыл бұрын
今の国会の対立は文化や思想で争っているのかなぁ~??? 単なる利権で争っているとしか思えない…(  ̄- ̄)???
@klkl852011
@klkl852011 2 жыл бұрын
僧兵が山に逃げ帰った、比叡山延暦寺か
@catch7381
@catch7381 2 жыл бұрын
源氏、平氏の誕生の話に合点できました。
@leimau2739
@leimau2739 2 жыл бұрын
しかし、負けは負け…運も実力の内…源氏は三種神器は奪い戻すことはできなかったのは残念でしたね。
@user-wo9oy8vb2r
@user-wo9oy8vb2r 2 жыл бұрын
三種の神器(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣)の内、回収できなかったのは、草薙の剣だけですね。 しかも、「草薙の剣」の本体は「熱田神宮」にご神体として祀られていて、天皇がそばに置いているのは形代(レプリカ)だと思います(ただし、本体は天皇ですら見る事が出来ないので、形代を作り直すのも容易な事ではないと思いますが)。 同様に「八咫鏡」も本体は伊勢神宮に祀られていて、天皇が所有するのは形代です。 現在も「八尺瓊勾玉」のみ本体、他二種は形代を宮中で保管しています。
@user-tj5es7fb7b
@user-tj5es7fb7b 2 жыл бұрын
船から射かけるのはかなり難しいのも考慮していただけたい。
@user-sr6ok7uz2n
@user-sr6ok7uz2n 2 жыл бұрын
今日は 土竜は少数です 螻蛄の被害の方が多かった 今の畔はコンクリートで固めてありますので
@user-bz3gl2ed4k
@user-bz3gl2ed4k 2 жыл бұрын
実家 の 母方 は 桓武 平氏 五十代 桓武 天皇 の 子孫 家紋 は 元 首相 細川 氏 東北 の 伊達 政宗 と 同じ です
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