【音楽談話77】お願いだから忘れないで!静寂の力!音楽に絶対に欠かす事ができない静寂の力とは?

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車田和寿‐音楽に寄せて

車田和寿‐音楽に寄せて

Күн бұрын

Пікірлер
@m6337
@m6337 Жыл бұрын
この動画を拝見するまで、自分は、声を出すこと、楽器を鳴らすことばかり考えてました。 目からウロコ、音楽は、ベースに「静寂」を置いて楽しむアート、なのですね。 音楽を描くキャンバスは「静寂」、なんですね。
@花木久実
@花木久実 Жыл бұрын
そうですね。 私は音楽に限らず、文学にも美術にも芸術と呼ばれるものすべてに静寂が必要だと思います。 それは芸術とは孤独、孤独とは静寂だと感じるからです。 バッハならばバッハの孤独に触れることが我々がバッハと出会うと言うことではないかと思います。それには我々自身の孤独、静寂が必要です。 その二つが向き合ってこそ何かが生まれるのでしょう。 今は、音も言葉も色も形も溢れかえっているのでそのことを忘れがちです。 絆とかネットとか共感とかと離れてみることも時には必要でしょう。 車田さんたち演奏者の孤独もあるからこそ、様々な作品に取り組めるのだと思います。 頑張ってください。
@captainporkheart3287
@captainporkheart3287 Жыл бұрын
楽曲の消えゆく余韻をかき消すマナーの悪い拍手やブラボーがあると、どんなにいい演奏でも興醒めしてしまう
@fossilest
@fossilest Жыл бұрын
もう何十年とコンサートに通い続けていますが、これは本当に永遠のテーマですね。 コンサートが素晴らしいものになるかどうかは演奏と同じ位、聴衆の質の高さに左右されると思います。 それはほとんど予測のしようがないので運としか言いようがありません。 運が悪い時は本当に嫌な思いをします。 以前ロンドン響でマーラーの9番を聴いた時はあの消えるようなエンディングでまさかのフライング拍手をした方(本当は客でも何でもないと思いますが)のせいで余韻がぶち壊しになりました。 また演奏の直前までおしゃべりしたり、演奏が終わったと思ったらまたおしゃべりを始める方も非常に集中を削がれます。 電子音やハウリングを鳴らすのは勿論論外です。 先日、前半人気ピアニストのコンチェルトのあと、後半で長大で内容的なシンフォニーが演奏された時も聴衆のマナーが酷かったようです。 静寂を作る側と壊す側では後者が圧倒的に力を持っていて、相手が何百人だろうがたった一人で台無しに出来ます。 最近は演奏後の性急な拍手の自粛を促すアナウンスが流れる事もあり、賛否はあるようですが、そんなアナウンスが無い方が理想とは言え、本番でのフライングが減るならその方が良いと思います。 それだけに、なかなか聴けないのですが、例えばブルックナーのシンフォニーの大音響が虚空に消えてゆき静寂が訪れるまでを体験することが稀にあります。 それは永遠を感じさせるような誠に素晴らしい至高の時間で、それまでの音の意味がそこに集約されてゆくようです。 腹の立つことも多いですが、このようなコンサートを経験すると本当に報われる思いがします。
@chrisalex3907
@chrisalex3907 Жыл бұрын
そうですね。永遠を感じさせる至福の時。私も以前にマーラーの3番のコンサートで経験しました。音が鳴り止んだ瞬間、指揮者も演奏者もホール中の聴衆も全てが止まり、誰一人物音ひとつ立てない静寂が続きました。永遠に続いてほしい、と誰もが思っていたのでしょう。こんなコンサートが多くなって、ブラボー野郎がいなくなってほしいですね。
@松原秀樹-e2v
@松原秀樹-e2v Жыл бұрын
とっても良いお話でした。 聴衆と演奏家の間に「感動」は生まれます。その環境のベースとなるのは、整えられた「静寂」ですね。 ありがとうございます。
@らいおん組
@らいおん組 Жыл бұрын
真剣に耳を傾けてお話を聞いてます。
@毛利大五郎-c7e
@毛利大五郎-c7e Жыл бұрын
昔、故古今亭志ん朝師匠の落語をマイク無しの小さな会場で聴いたことがあります。最初のマクラが聞き取りにくいほどの小声で始まり観客がなんとか聞き取ろうと集中して静まり返り、そのままの雰囲気で繰り出される名人芸が凄かったのなんの。やはりどんなジャンルでも本物の芸能・芸術というのは観客の空気が大事なのだと痛感した次第です。小澤征爾さんが1977年にBSOを指揮したグラモフォン盤マーラーの第一交響曲もppの音量が抑えられていて、ダイナミックレンジの広い名盤だと評判になりましたね。
@お気に入り-f9v
@お気に入り-f9v Жыл бұрын
音楽と静寂、本当にそうですね。ドイツのスーパーは静かで日本もこうなら良いのにと思いました。あれは愛すべき静寂です。 家に一人でいるときは音楽を聴かないのですが、静かすぎるのも寂しいのでこのKZbinを見ています。先生のお話しする声量がずっと一定で、リズムも絶妙なので気持ちが落ち着いてよく眠れます。想定していない試聴の仕方かも知れませんが本当に助かっているのです。ありがとうございます😊
@milkcreamaji
@milkcreamaji Жыл бұрын
今回は、音楽の在り方について、真摯に考えるきっかけをつくってくださり、感謝します。 また、美味しいお菓子情報もありがとうございます。 このチャンネルの楽しみのひとつです。
@kazutoshitsukahara3487
@kazutoshitsukahara3487 Жыл бұрын
「音楽の最高の効果は、流れる音の間に来る無音の状態(休止符)だ」と、かつてモーツァルトが言ったそうです。音が生まれ、その響きがすうっと消えてゆく張りつめた空気感は、生演奏でしかなかなか体感できないですね。とても奥が深いお話で、ピカートの『沈黙の世界』という本を思い出しました。
@olivierstrg1326
@olivierstrg1326 Жыл бұрын
コンサートで演奏中にパンフレットをめくる人が結構います。曲や演奏者について良く知らないからなのか? 数メートル以内の人にこれをやられると静寂な中ではうるさくてまいってしまう。 感動的な名演奏を聴いたら、終わっても数秒は身動きさえできないはずなのに 最後の音が消えるか消えないかのうちに拍手と日本語の「ブラボー!』を叫ぶのも… 全然何にも感じて無くても『ブラボー!』を叫びに来てるんだろう? 尚、祝祭的な、大喝采が自然に湧き立つ様な曲の場合は別  それでも圧倒的な名演だと終わってもしばらくは陶然となってしまうかも知れないな…
@まうすみき-r2j
@まうすみき-r2j Жыл бұрын
きんつば手作り! 素敵過ぎます!!
@石川和司
@石川和司 Жыл бұрын
そうですよ!そうですよ! 音楽は、音の強制力あることを悟らねば。 トランペット演奏しますが、聴きたくない人がいたら、楽器で音出すのやめます。 音、音楽は、出した者から独立したパブリック性があり、音を出す人には、出した結果に責任があるとおもいます。 出した音の響きに責任もてる、クオリティー高い音楽をしないといけないなあと、つくづく思います!
@ゆらてぃくゆらてぃく
@ゆらてぃくゆらてぃく Жыл бұрын
「聴きたくない時に聴きたくない曲を聴かされるのはあまり好きではない」と仰る気持ち、とてもよくわかります。 付き合いでカラオケに行った時にどうして苦痛に感じるかと思い返したらこれでした。
@antonk4112
@antonk4112 Жыл бұрын
相対効果、なるほどです。音楽は静寂に始まり静寂に終わる。芥川也寸志さんの言葉ですね。コンサートで演奏が終わって、演奏前の静寂が戻ってきたときに、じわじわと本物の感動が湧き起こってくる、そういうことがよくありますから、早すぎる拍手には本当にガッカリします。ストリートピアノが本物の音楽とは言えない理由がよくわかりました。
@User16674
@User16674 4 ай бұрын
昔、モーツアルトの歌曲で創作したオペラをフランスのとある街の歌劇場に聴きに行ったことがあります。 最後の曲が終わりに近づくにつれて、次第に会場の照明が暗くなっていき、最後に劇場全体が真っ暗闇になりました。 そして、手元のプログラムさえ見えないような暗闇の中、どのくらいの時間だったのか、とても長い時間、演奏者と1,000人以上の観客が、物音ひとつ立てず、拍手さえせずに演奏の余韻に浸っていたのは本当に感動しました。
@micchan344
@micchan344 Жыл бұрын
すごく良くわかります😂良い聴き手がいてくれることは本当に幸せなことで、どんどん集中し重心が下がってくるのがわかります。
@野上妙子-v5l
@野上妙子-v5l Жыл бұрын
音楽を職業にしている方は、職業以外では、あまり音楽に接したくない、よくわかりますね。私自身も自分がクラブ活動で音楽をしていた時は、それ以外のところでは、音楽のない静かな時間が必要でした。 今は、音楽は、聴きたい時に聴ければ良いと思っています。なかなか、難しいお話だと思います。音楽家の気持ちがよくわかりますね。昔の音楽家は、まわりの騒音が今ほどなかったこともありますね。そういう意味で、現代は、騒音だらけだから、違いも大きいですね。
@hahauesama
@hahauesama Жыл бұрын
コンサートの静寂・・・非常に大事ですよね 子供の頃、親が「民音」とかいう組織の役員でノルマがあるらしく、よくチケットを買わされて、おかげで私はクラシックコンサートに行けたのだけど 民音系コンサートに来る客というのは、これまたノルマでチケットを買う羽目になったオバチャンばかりで、クラシックコンサートを聴くマナーがなってなくて ものを食べるガサゴソ音、突拍子もないところで拍手、嫌な記憶が蘇ってしまった。
@よつ葉-m6l
@よつ葉-m6l Жыл бұрын
人に大事なことを伝える時は、小さな声で言いなさいと教わったことを思い出しました。
@さくら子-b1j
@さくら子-b1j Жыл бұрын
素晴らしい👏✨
@みけ-s6q
@みけ-s6q Жыл бұрын
毎回とても楽しみにしています。
@NO-td4hm
@NO-td4hm Жыл бұрын
このテーマはクラシック音楽のハードルの高さの核心かもしれませんね。 演奏が終わった直後の静寂が必要な場合と、必ずしもそうでない場合の判断はなかなか難しくて、たくさん経験しないと分からないですよね。 有名どころだと、ショパンコンクールのコンチェルトなんか演奏が終わる前から拍手と歓声が始まりますが、全てこういう物だと思われても困りますし。 車田さんがおっしゃられた「息を呑むような体験」が出来て比較的演奏機会の多い曲といえばやはりチャイコフスキーの交響曲第6番《悲愴》ですね。冒頭のコントラバスの和音、そして終楽章の最後。あそこでガサゴソ出来る人はなかなかのツワモノです😂
@HIUTI_ISHI
@HIUTI_ISHI Жыл бұрын
本日は背景音楽も静寂ですね。より説得力が増します!
@1567092
@1567092 Жыл бұрын
BGMは要らない。気が散る。
@chrisalex3907
@chrisalex3907 Жыл бұрын
音楽が鳴り止んだ時の静寂はその音楽全体の価値と等価である・・・
@kitahoshitou
@kitahoshitou Жыл бұрын
音楽を聴くときに大切な要素について、とてもわかりやすいお話でした。マーラーの交響曲第1番・第9番やブルックナーの交響曲の冒頭ではいかに静寂が欠かせないか、を考えると思わずうなずいてしまいます。 ところで、きんつばまでお作りになるんですね!
@305fmio8
@305fmio8 Жыл бұрын
クラシック音楽ではたしかに静寂は大事ですね。一方、ジャズは騒音の中で演奏することを強いられながら発展してきたので、騒音の中でも「あ、なんかいい演奏している」って要素が散りばめられていて、また別の魅力があります。きんつば美味しそうですね。
@ムーミン-h4m
@ムーミン-h4m Жыл бұрын
静寂の力 と聞いて わたしが一番に思いつくのは ピアニスト アルゲリッチの バッハ パルティータ2番です。 重苦しい序奏のあと ごくごく小さな声で語りはじめられるモノローグのようなメロディーが続きます。 この録音にであったときは ストレートに心に染み渡り あまりの美しさに泣きました。 (こういう出会いがあると バッハの時代の音楽を 現代のすばらしいピアノで聴くことができる幸せを感じます。) 次に思い出すのは 30年以上前に聴いた ハンガリーのピアニスト 故ゾルタン・コチシュさんの演奏会です。 このかたは、勢いよく歩いて舞台上に現れ、ピアノ前に座ると同時に弾き始めました。 わたしは もちろん 全身耳と化した聴衆の一人としてコンサートに臨んでおりましたが、それでも こちら(聴く側)の心の準備が整わないうちに弾き始められたので 慌てました。 始まった曲はドビュッシーの映像でした。 いきなり始まってしまった演奏でしたが、 微弱で 揺らめく 繊細なパッセージは しっかり耳に届いてきたので、おそらく会場にいた聴衆はすぐに集中して耳をすまし 曲に引き込まれていたんだとおもいます。 その後の演目であったシューベルトソナタも とても微弱な音がめんめんと続く 悲しくも美しい曲だったことをはっきり覚えています。 おそらく このかたは 自分の演奏に 聴衆を引き込むことができる自信に満ちあふれてたのかなあ・・・と 今にして思います。
@lavendermint8308
@lavendermint8308 Жыл бұрын
音楽における静寂の大切さを教えてくださりありがとうございます。 また「聞きたくない時に聞きたくない曲を聞かされるのはあまり好きではない」同感です。街中では至る所で音楽が過剰に流れていて、しばしば不快感を覚えることもあります。 きんつばを手作りされるなんて、すごいですね😃👏👏👏きっと美味しいことでしょう💐💐💐
@ヒロヤン-x4t
@ヒロヤン-x4t Жыл бұрын
先生のお話で真っ先に思い浮かんだのがベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の冒頭のティンパニです。凄く小さな音なので耳をそばだてさせられます。後、ドビュッシーの夜想曲の中の祭りですね。自分は神輿が遠くから(小さな音)目の前を通り過ぎていく(大音量)の幻影を見ている様な気分になります。
@micchan344
@micchan344 Жыл бұрын
市民オーケストラでアルトサックスのセカンドでしたが、周りが大きな音でいるなか、楽譜のピアノを保って吹いていたら指揮者もわかりました。セカンドなので余計に周りの音を良く聴いて、最適な音を出すよう心掛けます。そんなときは、だいたい集中力が高まります。
@ムーミン-h4m
@ムーミン-h4m Жыл бұрын
満願堂の芋きん 美味しいですよね東京へ行くと よく買います!
@akko7975
@akko7975 Жыл бұрын
きんつば作れるのすごすぎます😂
@susanVc
@susanVc Жыл бұрын
今日の演奏会では自分も静寂の力の一助となるべく、集中して耳を澄ませました。演奏家と聴衆の相互作用、わずかながら感じられたような感じもあり、新しい体験でした。普段の聴き方は受け身的だったのかも知れないな、と思いました。車田先生ありがとうございます。
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
😊😊
@daiamonken
@daiamonken Жыл бұрын
嘗てピアニストのアファナシエフは、音楽は常に静寂を意識していなければならないと言いました。昨今、忙しない音楽ばかり増えて居ますが、もっと「間」や「余韻」と言う物を大切にしてほしいですね。
@ryorinmoe
@ryorinmoe Жыл бұрын
静寂の重要性については、芥川 也寸志先生が著書「音楽の基礎」で述べられてますね。
@sakabe9672
@sakabe9672 Жыл бұрын
二十数年前ですが、とある地方都市に住んでいて、その地にある国立大学のオーケストラの演奏会を聴きに行きました。 会場はその都市の発展に寄与した人物を記念する会館で、おそらくオーケストラが演奏できる唯一のホールだったと思います。 メインはベートーヴェンの交響曲第5番でしたが、演奏中に外を走る救急車の音がかなりハッキリと聴こえてきて、ものすごく興醒めしたことを覚えています。 その後、改修されたのかは分かりませんが、首都圏のコンサートホールとの違いを実感しました……。
@TI-nb2uy
@TI-nb2uy Жыл бұрын
先生もご存知かもしれませんが…。 我が街では朝の時報替わりに大音量でシューベルトの『野ばら』が流れます。朝の静寂を打ち砕くようにスピーカーから流されると本当に迷惑だしシューベルトが気の毒でたまりません。何を勘違いしてるのか『東北のウィーン』『楽都』と大々的にアピールしていますが残念ながら聴衆やホールの質は恥ずかしいとしか言えません。 だいぶ前にチャイコフスキーの『悲愴』を聴きましたが出だしから最後まで静寂の力を全く感じられず以降地元での生の公演には行かないようになりました。音楽を語る街としての本質が欠けている状況は本当に残念です。都内の演奏会で最初の演目が始まる際に指揮者が中々棒を振りおろさず長い沈黙の中、会場の僅かなノイズが消えた瞬間に振りだし始めた意味も理解出来ます。エンターテイメント傾向が強い公演やストリートピアノの問題も静寂の力の意味を理解したうえで改善していけばまた良い方向に進むと思っています。先生の問題提起の切り口、いつもながらNiceです!
@ceciliaday
@ceciliaday Жыл бұрын
演奏会の二部の最後の曲が終わった瞬間に席を立って帰る人もいますよね。ドゥダメルの演奏会の時それをやられて、アンコール曲が演奏されずガックリしました。 あの静寂も含めて音楽を織り成しているのに自分の終電の都合か走っていく人たち、音楽を壊した自覚を持ってもらいたいです。
@まるごん-l9x
@まるごん-l9x Жыл бұрын
世の中には、良くない音楽やタイミングはあるね 才能なくても作れる歌える時代です。 私もフアンや聴く耳のある人の前でしか歌いたくない時もありました。 今も変わりませんが、スターでも同じことかもしれない。 そしてそのスーパースターならこの空間をどう切り開くのかなと。 どのように伝えれるのか、楽しむことにしています。 仕事にしなかっただけマシだなと思います。
@toruishihara3369
@toruishihara3369 Жыл бұрын
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を家で聴くとき、最初のティンパニの4音がなかなか聴き取れないと思っています。静寂って本当に大事ですね。 交響曲7番の第2楽章は、映画「英国王のスピーチ」の最も重要なシーンで使われていますね。「ここは真剣に聴かなければならない」と思います。この曲が映画の進行と驚くほどシンクロしているのが印象的です。
@さくら子-b1j
@さくら子-b1j Жыл бұрын
なるほど。
@肉小屋やっさん
@肉小屋やっさん Жыл бұрын
ジョン・ケージが作曲した4分33秒は、静寂の中でも起こりうる雑音・騒音ですら音楽であると考えられていますね。
@HG-qj1us
@HG-qj1us Жыл бұрын
つい先週だったと思いますが、ツイッター記事で見たのですが、あるホールで事件があったらしく、演奏中にポケットスコアをめくりながら聞いている人が居て、お隣さんが「静かに」と「目障りになります」と注意したらしい、スコアをめくっている人が逆切れして、騒ぎ始めたので、指揮者が演奏を中断したそうです。こうなると、演奏家も聴衆もせっかくの時間を台無しにしてしまう。聴衆と演奏家は静寂も聴いているんだという事が理解できない人がたまに居ますね。
@hannahlover4949
@hannahlover4949 Жыл бұрын
「音楽が然るべき場所、然るべき音楽が流れでなければいけない」と仰る気持ちも分かります。私自身もストリートピアノはあんま好きじゃないけど、都会の中心でアーティストやアイドルの広告として音楽が流れてたり、音楽が流れてるツアートラックが走ったりすると割と興味を示すタイプなので、そういうのが嫌な人もいるんですかね😅?
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
😊😊
@cosmos99
@cosmos99 Жыл бұрын
”音、沈黙と測りあえるほどに” 武満徹 作、新潮社 刊、1971年
@amd890714
@amd890714 Жыл бұрын
残響が消え去る前に拍手やブラボーされると一挙に興醒めします。なので、サントリーなどに足が遠のいて久しいです。😢
@キャロットスネーク
@キャロットスネーク Жыл бұрын
私の師匠はよく「もっと休符をしっかり聴かせて」という指導をしてくれました。 話は変わりますが最近、コロナが第五類に移行されたのを機に、ポップス系のライブでは声出しが解禁されています。 ライブの楽しみ方は人それぞれだとは思いますが、私は演者の声を聴きに行っているのであって、観客の声を聞きたいとは思っていないので声出しライブには少し否定的です。 クラシックコンサートでは空調の音すら気になってしまうので、静寂は必須ですね。
@satoshimatsuyama4086
@satoshimatsuyama4086 Жыл бұрын
Quiet Fire!
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
😊😊
@mcroygunn
@mcroygunn Жыл бұрын
く、今日は見る動画食べ物が多くて腹が減るなー。 ピアノ曲か何かにすべて休符の曲があったような。演奏者は鍵盤蓋を開けて閉じる動作をしていた記憶が。
@prof.h.okumura3185
@prof.h.okumura3185 Жыл бұрын
演奏が終わったあとに、余韻を少し楽しむ余裕が欲しいと思います。 もちろん、素晴らしい演奏に即リアクションしたくなる気持ちも分かりますが。 指揮者が脱力してオケメンバーの顔を見たタイミングで拍手をしています。
@ryuryuichip
@ryuryuichip Жыл бұрын
いつもクラシック音楽のお話ありがとうございます。 いい内容のお話で毎回ありがたいのですが、実際の音楽を少し例として流していただけるとより分かりやすいです。 例に挙げる曲のサビの部分を少し聞かせてくれれば、クラシックの愛好者がより増えると思います。
@kazuhisakurumada
@kazuhisakurumada Жыл бұрын
著作権を考慮した上で運営してます。
@カーク船長-m2n
@カーク船長-m2n Жыл бұрын
ドイツ出身のEckhart Tolleの言う「Voice in the head」までも、沈黙が訪れ、演奏者と観客が一体となるような演奏、体験したいです。 思い出しました、80年頃のリヒテルのコンサートが、そのような印象でした。
@ムーミン-h4m
@ムーミン-h4m Жыл бұрын
今回のお話の中にでてきたベートーヴェンの交響曲第7番の2楽章、 『外事警察』というテレビドラマの中で知りました。 訳あって植物状態になってしまったお父さんを 息子が 手をかけて殺そうとする 台詞のない 緊迫した場面で流れていました。 あとになって この曲が ベートーヴェンのものだったと知り、ベートーヴェンって なんて凄い!! と嬉しくなりました(感動を うまく言語化できず 申し訳ありません)。 舞台で演奏を聴かせてくれる方々の一挙手一投足まで、私は 集中して観て(聴いて)ますよ!
@ムナカタシンジロウ
@ムナカタシンジロウ Жыл бұрын
言い尽くされたことですが改めていいます。コンサートの最後、まだ指揮者がタクトを下ろしていないのに、拍手するひとが絶えない。これはものすごく迷惑です。曲の余韻が残らなくなります。静寂というのは、音が出る前だけじゃなく出た後も大事だと思います。こういう、いわばフライング拍手を無くすいい方法ないものでしょうか? 拍手がなんでもいけないわけじゃなくて、曲の途中でもアリアが終わったあととかの拍手とかは良いと思います。クラシックファンって、じつはわたしもそうだけど「おれは詳しいんだよ」アピール大好きで、聞かれもしないうんちくしゃべりだすKY野郎が絶えないけど、せめて他人のめいわくにならないように、ということくらい考えたい。
@RS-vp1fr
@RS-vp1fr Жыл бұрын
私も騒音が苦手です。ちょっとの音でも気になって、演奏に集中できません。他の方々も書かれているように、無造作にプログラムをめくる人(とくに歌曲など)などいると、今この暗闇で読む必要があるんだろうかと思ってしまいます。ホールでのプロのコンサートはいうまでもないでしょうが、家庭コンサートなどでも小さな子供連れでくる方もおられて演奏者にも他の人にも大変迷惑です。まだ静かに座っていることもできない年齢の子供を、クラシックの音楽会に連れてくるのは、その子にとっても拷問に等しいものです。ドイツではいかなるコンサートであれ、あまりイラついた記憶はありません。時々すごい音で鼻をかむ人がいるのには仰天しましたが... ブレンデルは誰かがクシャミをした時、演奏をしてその人のほうを睨んだという話は本当でしょうか?
@lfelfe463
@lfelfe463 Жыл бұрын
各楽章間に毎回又は大きく咳する人本当に迷惑。
@どスケベ大王
@どスケベ大王 Жыл бұрын
たまに、演奏中に紙袋?か何かを ガサガサさせてる人、いますよね。 そういう人の神経、ホントに理解 できないです。🤣
@1567092
@1567092 Жыл бұрын
もうね、今は無理。わざと咳するようなのがいっぱいいる。 クリスチアン・ツィマーマンの弱音の美。 みんなでぶち壊している。 今年も来日しているんだけど、どうしよう・・・
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