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宇陀地方では谷脇古墳とともに、初期の横穴式石室に位置する古墳ですが、交通の不便さもあってか、あまり知られていない古墳です。
昭和43年発行の菟田野町史にこんな記事があります。(一部加筆)
「明治11年3月7日~10日の4日間にわたり、当地方の水銀鉱山の行政監督で出張してきた堺県属の吉田弘蔵氏によって発掘?されたことが薄木家所蔵の書類から読み取ることが出来る。その後、宮内庁に納めるとの名目で、吉田氏が持ち帰った出土品が、明治12年4月の奈良博覧会で私有品として出品されていることを知って、吉田氏を追及している1件の文書があり、明治時代の官吏による盗掘と記録されています。この時盗掘されたのは中央(1号墳?)と西側(2号墳?)の2基で、記録では.金環頭(1個)付属金銀金物(5個)鉄刀(1振)槍(3本)矢銀(8本)埴輪壺(5個)土器献供器(23個)・・・とあり、ほかにも盗掘品があった可能性があるようです。
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