初めてお便りさせていただきます。ずっと以前よりチャンネルは存じ上げており、数多く視聴させておりました。心よりお礼申し上げます。今日はお母様のことをかなり詳しく記していらっしゃいますので、2010年3月に他界いたしました私の母のことを思い出し、ご返事を差し上げたくこうして拙文を綴っているところです。私は長く母と二人暮らしで、従って母が85歳で腰痛を発症してほぼ一人での行動ができなくなって以降は私が一人で母の世話をせざるをを得ませんでした。病院にも施設にも母はなじむことがなく家に帰るとばかり言うので病院の主治医の先生とご相談の上自宅療養が可能と判断されましたら直ちに家に連れて帰りヘルパーさんたちや訪問看護師の方々のご支援もいただきながら自宅で過ごさせました。母はC型肝炎に感染しておりましたので30年ほど前に肝臓内科の先生からは肝硬変の状態から肝不全になり最終的には肝臓がんを発症するという経過を辿っていくでしょうと言われておりました。最終的にはそのような経過を辿ることになったわけですが、腰痛が大腿骨頚部骨折と判明して手術を受けることになりました。母が88歳の時です。手術の前には全身の病状の検査がありますが、その結果腹部大動脈りゅうがあることと重篤な心臓弁膜症にり患していて早急な手術の必要性が心臓血管外科の先生から指摘されました。母はなくなるまで図等は明晰でしたので帰宅して対応について二人で相談をしたわけですが次の診察の時に母が自ら「手術を受けます。命は先生にあずけます。」と告げ90歳で心臓手術を受けました。主術は成功し体力の回復を待って自宅に連れて帰りました。寝たきりの生活ではありましたが、そして日に日に体力の衰えが増すばかりの生活でしたが2年ほどは何とか命を保っていましたが次第に食物を受け付けなくなり、今度は肝臓内科を受診させました。診断結果は肝臓がんの末期で医学的には手の施しようがないということで家で看取ることを覚悟して自宅に連れて帰りました。そして2010年3月19日に 93歳の誕生日を2週間後に控えながら穏やかにそして静かに息をすることを止め、この世を去りました。もうあれから15年という月日が経過しようとしているわけですがあり頃の日々を忘れることはありません。お世話になった病院の先生方のご尽力といただいたご親切も忘れ難いものです。国の財政がひっ迫し費用対効果という観点が重視される現在の医療現場では考えられないほどの医療を母は受けることができたのではないかと考えています。私は母と広島市に住んでおりましたが母が生前に海辺の温かいところで暮らししてみたいと言っておりましたが 2011年に隣県の山口県の周防大島という瀬戸内海の島に農家が売りに出ているのを知り見に行ったところ瀬戸の海を一望できる立地で母はこのような所で暮らしたかったのかなと思い周囲の蜜柑畑と共に購入し今私は広島と周防大島を行き来しながらひっそりと暮らしています。すいません。長くなってしまいました。お母様を大事になさってください。ご活躍を心よりお祈り申し上げます。広島市杉並台にて。2025/01/03 francesco (francescoはカトリックとしての私のクリスチャンネームです。)