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元旦はだし供養 2025年1月1日(水)8時15分、広島平和記念公園の原爆供養塔前に集まりませんか?
講談師の故・緩急車雲助さんが始めた取り組みです(サムネイルは2017年。在りし日の雲助さん。)。
雲助さん亡き後も、有志が8時15分に集まり、核廃絶、平和への決意を固めています。
記事中の写真は2014年元旦、ありし日の緩急車雲助さんと筆者。
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《NO NUKES voice》核兵器禁止・原発ゼロの決意で原爆供養塔前から2022スタート 元旦8時15分は「はだし供養」 さとうしゅういち
2012年以降の毎年元旦の8時15分、筆者は広島市中区平和記念公園内の原爆供養塔前に行き、はだしになって黙祷。公園内の慰霊碑をめぐりながら、核兵器禁止・原発ゼロへの決意をあらたにしています。
ありし日の久保さんと筆者。2014年の元旦はだし供養
「元旦はだし供養」というイベントです。このイベントは、被爆者で元国鉄マン・講談師の緩急車雲助さん(本名・久保浩之さん、2020年逝去)が創始者です。
久保さんと筆者は2003年のイラク戦争反対運動で知り合いました。その後、疎遠になっていたのですが、2011年12月、あるイベントで偶然、再会しました。
「佐藤、よかったら参加しないか?」
そう声をかけていただき、2012年元旦から参加しています。(写真はありし日の久保さんと筆者。2014年の元旦はだし供養)
◆元旦はだし供養の由来
元旦はだし供養は、久保さんが、南アフリカ共和国のマンデラ大統領(故人)がアパルトヘイト廃止への協力を要請するために日本に派遣した使節団の若い女性たちをつれて平和公園を案内したことがきっかけでした。
くつを脱いで歩きはじめたのを見て衝撃を受けたことがきっかけです。
平和公園で久保さんが「地下一メートルには今も人骨が眠っている」と説明すると、南アフリカ共和国の若い女性は一斉に靴を脱いだそうです。
久保さんがびっくりすると彼女たちは「アフリカでは同胞の上を靴では歩きません。」
と答えたそうです。
「彼女たちに頭を殴られたような衝撃を受けた」という久保さん。
彼がそれ以来、せめて元旦の8時15分、はだしで原爆供養塔にお参りし、慰霊碑をめぐろうと呼び掛けたのが始まりです。久保さんがお元気な時代は、終了後、平和公園対岸の本川町集会所をお借りして甘酒を飲みながら新年の展望を語り合いました。
久保さんが体調を崩されてからは、イベント後の交流会はできていません。しかしながら、供養塔参拝、慰霊碑巡りだけは欠かさず有志が、誰から呼び掛けるともなく続いています。