【ゆっくり解説】 古代中国最大の大戦車戦 城濮の戦い 【春秋戦国】

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鳥人間 中国史三昧

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Жыл бұрын

大戦車軍団同士が激突した、春秋時代最大の決戦[城濮の戦い]を紹介します。
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Пікірлер: 139
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
狡猾さと仁義が同居するのが春秋の素晴らしさよね
@kix4878
@kix4878 Жыл бұрын
仁義なんぞ欠片も無い権謀術数渦巻く戦国の世もそれはそれで面白い。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
今話題のなんたらポグワーツ(薩摩や鎌倉)は古代中国や日本の戦国がまともに見えるくらい仁義なき戦いですよ。
@reizoukoreizouko
@reizoukoreizouko Жыл бұрын
三舎引くって、単純に約束を守っただけではなかったというのは意外な感じした。 こういうやりとりは春秋の面白いところですね。
@thessalonikimetro5012
@thessalonikimetro5012 Жыл бұрын
外交上の駆け引きで五分以上、成得臣が心理的に引くに引けない状況を作った事で完全勝利、隙の無い戦略でした。
@user-gt6sz1gf5d
@user-gt6sz1gf5d Жыл бұрын
六国の世に先駆ける戦車決戦まさに春秋のクルスク。 そして凄いのが両軍消耗著しくなる決戦を行おうとした晋の文公の判断だろう。孫子にも戦争論にも決戦はなるべく控え外交によって解決せよと書かれているが、天下を賭けた天王山に登り詰める為に敢えてこの決戦を行った文公の判断力は傑物の風貌が伺える。
@user-dk4nh6yr6y
@user-dk4nh6yr6y Жыл бұрын
同じ戦車でも地域によって運用方法が違うのは初めて知りました…。 城濮の戦いは実際の戦闘が始まる前からすでに始まっているとも言えますね。文公は本人も優秀だが、優秀な部下も多かったので、巧みな外交戦や情報収集を元に策を練り上げる事ができたんでしょうね。 後は、楚が最初から実は敵がけっこう多かったのと、急に領土・勢力圏を拡大させすぎたも一因だと思います。事前に緻密な準備があるならまだしも、急な拡大は大体補給の問題等から延び切った戦線を維持できず、崩壊しますからね…。(大日本帝国も第二次大戦時にやらかしている。)
@MUSASI40
@MUSASI40 Жыл бұрын
楚の成王の最期の 要望である熊掌の料理だけど 煮込むのに数日かかる料理で その間に 成王に 援軍が来て 反撃されてしまう為で 穆王が 冷たいわけではない
@katuaki921
@katuaki921 Жыл бұрын
この戦いは晋の文公が覇権を打立てて覇者になった戦いなんだけど その勝ち方が実に小気味よい戦いで楚の成王に約束通り三舎引いた上で鮮やかに勝ったんだけど 楚の令尹子玉の性格を読み切った戦略を立てて楚軍を破った文公とその家臣団の見事さが凄いとしか言いようが無いですね あとこの城濮の戦いは名将士会が文公の車右となって出世していくきっかけになった戦いなのも見逃せないところです(まあ城濮の戦いの帰還時のいざこざが原因ですが😅)😊
@user-ek2qd9px2k
@user-ek2qd9px2k Жыл бұрын
城濮の戦いの事は概略は知っていましたが、ここまで戦略的な展開だったとは思いませんでした。布陣図に文字を足して表記していたのでわかりやすかったです。
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san Жыл бұрын
楚は、結束が弱く各個撃破されがちという連合軍の欠点を戦略的にも戦術的にもつかれましたね。 また、かつての約束すら利用して、自分たちの有利な土地を戦場としたのも流石です。
@user-ps5gx2dc4f
@user-ps5gx2dc4f Жыл бұрын
普段の混沌極まる時代もいいですが、この時代も良いですね。 名将名臣多いですよね。
@user-zu8ox5jg7t
@user-zu8ox5jg7t Жыл бұрын
権謀術数、義理人情、富国強兵、知略戦略…ともかくも色々な策やプレイヤーが入り混じり展開していった春秋時代。今回紹介の「城濮の戦い」での優れた戦略で楚軍を粉砕した晋の文公とその優秀なるブレーンの、冴え渡る知略に感服しきりです。
@user-rm8jn2qd2c
@user-rm8jn2qd2c Жыл бұрын
「五鹿」では農夫に食を乞うて器に土を盛られて怒って後に仕返しに来てるし、曹では入浴を覗かれ攻め込んでるし、「恩には恩で、仇には仇で報いる」を地で行く人だよなぁ。 苦労しながら付き従った家臣も多いし亡命時代に結婚したり、あてがわれた姫はほとんど彼を慕っているから春秋五覇の一人に数えられるだけの人ではあるな
@domesan1
@domesan1 Жыл бұрын
はいはい約束だから下がりますよって自分たちの有利な所に誘き寄せるのえげつない。
@user-vd1jw9nf8u
@user-vd1jw9nf8u Жыл бұрын
「イケるやんけ」の訳語が最適すぎる^ ^
@user-ct1zg6bh8n
@user-ct1zg6bh8n Жыл бұрын
城濮の戦いの経過は知っていましたが、さまざまな戦略や戦車の用法等は知りませんでした。 今回も勉強させていただきました。ありがとうございます。
@chorota
@chorota Жыл бұрын
ここまで詳細に城濮の戦いを解説してもらえるのはありがたいです!ひつの戦い、えんりょうの戦いもお待ちしています!
@user-sh8we3rz2v
@user-sh8we3rz2v Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき、感謝感激ですッ!! あな嬉しや……嬉しやッ……!
@user-ks5yd3jy1n
@user-ks5yd3jy1n Жыл бұрын
今回も動画を閲覧した者です。  今回は【城濮の戦い】なんですね。  晋の文公の部下の活躍、また彼らによって動く外交戦や戦略、戦術は見応えがありました。  また戦車の使用方法が今と同じ【まず戦車が突撃し、その後で歩兵が制圧する】であったことは、意外でした。  この戦いで文公が覇者となって覇道を行くのですが、部下が優秀だったからだと思います。  ましてや長い各国巡りをしてきた【同じ釜の飯を食った同志】なので、動画を視聴して凄いと思いました。  楚の成王には申し訳ありませんが、今回は文公に軍配を挙げたいですね。  文公が楚を訪れた時に【お互いに戦争になったら、こちらは三舎の分だけ軍を引きますね】の約束を実現しましたからね。  この約束のシーンは、史記【横山光輝版】にもありましたね。  今回も良い勉強になりました。ありがとうございました。  いよいよ新年度に入りますが、また寒くなってきました。  投稿者さんにおかれましては、あまり無理はせずに、健康とメンタルに気をつけていただければ、幸いです。  話が長くなりましたので、ここで筆を置きます。
@takashi-aoki
@takashi-aoki Жыл бұрын
横山光輝の史記だと単純に三舎引いてもそれでも勝ったみたいなパーフェクトさを示すような話みたいに書かれていたけど、文公としてはしてやったりだったのね
@chiekoasai
@chiekoasai Жыл бұрын
「イケるやんけ」に、本物の和訳の才をみた
@user-hb8wd3qz2n
@user-hb8wd3qz2n Жыл бұрын
大戦車戦の城濮の戦いを解説する時に、ミ鳥ダテス6世を名乗るセンスが素晴らしい! ローマのスッラには敗れましたが、ミトリダテス6世も戦車部隊を率いてましたからね😄
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
アレキサンダー大王気取りの王でしたからね、ポントス王ミトリダテス(6世)。
@yutakikuchi7633
@yutakikuchi7633 Жыл бұрын
ミトリダテスと戦ったスッラとかポンペイウスが共和政ローマの後期で、だいたい前漢の宣帝あたりの時期の筈だから… 春秋時代は大昔じゃないですかー! やだーーーーーー
@user-hi8px1oy7v
@user-hi8px1oy7v Жыл бұрын
楚はここのミスがなければ、後の秦より早く天下統一した可能性あったかもね。
@user-kr9zt1hz6m
@user-kr9zt1hz6m Жыл бұрын
単に戦いの推移だけでなく、その背景や外交状況まで詳しく語ってもらえて楽しめましたしかし、相槌の「宋」、「曹」まではきそうだなとは思ったが「楚う」は読めなかった
@mukutinausagi
@mukutinausagi Жыл бұрын
自軍にとって地の利があるところで戦ったのが大きいですね
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
アレキサンダー大王とアケメネス朝ペルシャが戦ったガウガメラの戦いでは、ペルシャ側が圧倒的に有利(戦車を活用するため整地した)にも関わらずペルシャ王が逃げ出し大敗を喫しましたね。
@user-ml9lk1zg6t
@user-ml9lk1zg6t Жыл бұрын
ついに動画化してしまわれましたか!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援いただき感謝感激ィ! 大変励みになります!!
@LoopyQp
@LoopyQp Жыл бұрын
ほんとに宋の襄公好きなんだよな、
@うにいくら
@うにいくら Жыл бұрын
パンツァーフォーで吹いたwwwガルパン最終章上映日決定おめでとうございます
@kix4878
@kix4878 Жыл бұрын
オープニングBGMにパンツァー・リートが欲しかった。
@user-kf9hy5fr9s
@user-kf9hy5fr9s Жыл бұрын
面白かった😊
@user-ly6wt9xm1c
@user-ly6wt9xm1c Жыл бұрын
城濮の戦いは、楚が完全に晋に翻弄された戦いだったと考える。 文公側が外交戦略に優れていたのは投稿主の解説の通りだが、その戦略の中で放浪生活の時の恩義を返していき名声を上げていくことも行なっている。 敵対している楚にも三舎下げるという恩義を返したが、これも晋側に有利になる戦略を根底に敷いた上で行っている。 結果として地の利を活かして機動性の高い編成で楚軍を撃破している。 楚は文公側の覇者になるための踏台とされてしまった感が強い。 成王は晋との交戦前に主力を楚国内に戻すなど有能ではあった。 しかし、子玉の暴走を許してしまうなど統率面では多少劣っていたかも知れない。
@user-kr7nm3gh2l
@user-kr7nm3gh2l Жыл бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき、感謝感激!雨霰!!でございます!! とっても励みになっております~~~~!
@kappanouen
@kappanouen Жыл бұрын
『戦車1乗に兵100人』というのは後世(唐以降)に書かれた『李衛公問対(の中で李衛が『新書(三国志の曹操の兵法とされる。現存しない)』を引用する形で紹介)』における定員かと思われます(たぶん😗) また『李衛公問対』中で李衛は『左伝』(前漢末期に”発見”された古歴史書とされる)に触れる形で周制での戦車の随伴兵を『72人』ともしています(左伝の該当部分と戦車編成がどう関係するのかいまいちわからん・・・と、李衛公文対の解説の方が悩んでおられました😃
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
中国は誇大表現だらけですからね。桁を(わざと)間違えるのは日常茶飯事ですし、敵対していた匈奴すら真似していた(数千未満の兵を率いる部隊にも数千と言わせていたとか)わけですし。
@MrDeha6450
@MrDeha6450 Жыл бұрын
合戦に至るまでの外交交渉と前哨戦、いかにして自国優位の状況を作るか。ベン・ハーみたいな戦車戦の派手さ以上に、外交・作戦行動両面での晋の文公とその家臣団の努力が光ります。その後どうなったかの明暗のコントラストにも注目したいです。
@pomelove9502
@pomelove9502 Жыл бұрын
地形と戦術の連携が見事だった城濮の戦いだけじゃなく、鮮やかな政治外交の勝利でもあり、威信がものを言う春秋時代にたった一つの戦いで楚を追い落とし覇者に至った君臣の有能さ。はちみつくまさんは残念
@user-wb3qi2ew6l
@user-wb3qi2ew6l Жыл бұрын
15:45 五鹿であるところに、文公には重要な意味があったんだよな。婆ぁが土塊をくれた地だ
@user-dn5gk8ez2r
@user-dn5gk8ez2r Жыл бұрын
春秋時代の闘いも今現在進行形のウクライナvsロシアとの闘いも闘いの本質は変わっていないという事実を再確認した想いです。
@user-tp1im1py9m
@user-tp1im1py9m Жыл бұрын
かつて流転の我が身を厚遇してくれた楚を相手に、覇権を賭けて戦うに至った重耳の心境はどうだったんだろうね。
@chip1259
@chip1259 Жыл бұрын
文公が凄いってか家臣がスゲーんだよな晋は😆 そういうとこ劉邦軍団感ある
@bwjbb475
@bwjbb475 Жыл бұрын
こんばんは。ミトリダス6世と来るとは!拡張時代の共和制ローマに挑んで勝ったり負けたりであんまりパッとしない人ですが、その不屈のガッツは評価したいと思う。 城濮の戦いだけで丸々やってしまうとは何とも豪華ですねえ。それにしても如何に戦う前に行う外交戦が大事であるか分かりますねえ。血を流さない戦争とはよく言ったものだ。 まず外交を有利に運び、初めて実際の戦いに臨む。そしてその時は上手く自分らの有利な場所に誘い込む。こりゃ孫氏呉氏の兵法なみに理にかなった戦略・戦術だ。 で、実際の戦場でやってることって、釣り野伏せとか金床戦術ですな。そう言った面からみても興味深いなあ。この頃から普通にやってたのね。
@my-eg8ge
@my-eg8ge Жыл бұрын
宋は攻めに弱いけど、守りには強いんだよなあ。この時もかなり長い時間にわたって楚の攻撃に耐えて晋の勝利を呼び込んでいるし、のちに晋がヒツの戦いに破れた後も楚に対して長い時間籠城して意地を見せた。
@kazunsikazunsi1329
@kazunsikazunsi1329 Жыл бұрын
これは渋い戦い!
@user-wi6pu3lb9i
@user-wi6pu3lb9i Жыл бұрын
「三舎を退く」はオレの好きな故事の一つ。この時代の戦いは儀礼的なものも含んでいたんだなと理解できた。文公重耳見てると「情けは人の為ならず」の本当の意味を痛感する。
@user-ep6gr3ns2z
@user-ep6gr3ns2z Жыл бұрын
歩兵約百人も引き連れていたなら古代中国の戦車とは突破用というよりも移動指揮車みたいな使い方だったのね。
@user-oj2fj3kw3s
@user-oj2fj3kw3s Жыл бұрын
19:38 唐突な鎌倉殿ふいた
@user-mz4sy9vh1j
@user-mz4sy9vh1j Жыл бұрын
お疲れ様です 新年度なので普段お世話になっているチャンネル登録させて頂いて居るYou Tubeの方々に少ないですが送らせて頂きます🙇
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援いただき、有り難き幸せッ!! 今後もご期待に違わぬ面白い動画を出せるよう精進していきます!!
@takey0urhands
@takey0urhands Жыл бұрын
皮肉なもので、この戦いが普の絶頂であり、これが終わって文公も没すると そのあとを継いだ公たちは文公の功臣の後継者たちの台頭を食い止められず 最終的に三普分裂まで進んじゃうんだよね
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k Жыл бұрын
戦車戦!!パンツァーフォー!!
@naoki080808
@naoki080808 Жыл бұрын
中規模の国家群の動向が面白いですね。両翼をあえて下げる戦法も独創的で、成得臣は相手が悪かったすな
@user-cr2pv6xr4w
@user-cr2pv6xr4w Жыл бұрын
成得臣、少し間違えたらカンネーの ローマ軍になってたのか。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
ハンニバルのあの戦い、第一次大戦まで一度の戦で7万も兵が壊滅したのは無いと言われるほどですからね。
@shou-sho
@shou-sho Жыл бұрын
馬に虎の皮を被せたのは、敵の馬を怯えさせるためということでいいのかな?  文公の諸国遍歴と同じく説話っぽいけど。
@user-hb8wd3qz2n
@user-hb8wd3qz2n Жыл бұрын
そんなに大量に虎の皮があるのか疑わしいですし、作り話の可能性が高いですね。 しかしもし事実なら、怯えた敵の馬の心にはトラウマが残ったでしょう。
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u Жыл бұрын
胥臣隊の事ですか? 開戦当初の突撃で、陳や蔡の軍勢が怯えて退却しました。
@yasufilooqula5051
@yasufilooqula5051 Жыл бұрын
この戦いは晋が他の強国である秦・斉を上手く引き入れる外交策も含めて、見事南の超大国楚に勝利した戦い。国際外交と戦争の関係性の原型が垣間見える。
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Жыл бұрын
春秋時代の中国 中心周辺外縁の概念が どのように共有されていたかが気になりますね イデアとしての中国より こうゆう状況だとロゴスが先にあるのかな。権威や秩序の構造も含めて気になりますね。3分してしまう前の晋が先に秦を抑えられれば始皇帝は晋のになり得たように地図上では見えますが。最終秦と楚が残るのは 外縁に開拓開発の余地があったからか、そもそもこの2国が開かれた外側から来て背後を心配せずに戦えたからか。長い春秋戦国を考えると後進地だけに伸び代があったからか。
@renngekisouhei8303
@renngekisouhei8303 Жыл бұрын
まってた
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d Жыл бұрын
戦車戦としてより頭脳戦として印象深い。楚は君主と成得臣(光栄(現コーエーテクモゲームス)の『爆笑史記列伝2』では字の子玉で記されている)のチームワークがなっていなかったのも敗因の一つと言えよう。それにしても、この戦いまでの各国のやり取りの目まぐるしさ。それだけ油断ならぬ時代であったということだろう。
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d Жыл бұрын
戦車隊一ユニットには、サブの車、替え馬もあり行軍時は所帯道具積んでいた、なんて想像は許されるでしょう。
@user-kt8fe8vf9c
@user-kt8fe8vf9c Жыл бұрын
先々代頃は戦車決戦で秦にあえなく大敗してしまった普がこの強さ…(まあ、君主がポカやらかさなかったら勝てたかもしれませんが)
@monoris2008
@monoris2008 Жыл бұрын
自軍に有利な状況に敵を誘い込むのが勝利の秘訣ってことね。 あと亡命中に冷遇されたとか処刑を進言されとかの伏線エピソードは、後年の脚色じゃないかと思う。
@t-2892
@t-2892 Жыл бұрын
楚が王で、他の諸国のトップが公なので中原諸国とオリジンは異なるのでしょうね。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
黄河文明の流れをくむ中原諸国とは違う、長江文明の後継らしいですからね。
@seattleslew2332
@seattleslew2332 Жыл бұрын
成王が曖昧な態度をとらず強く撤退を命じれば流石に成得臣も従っただろう 外交的敗北を決戦で挽回しようとした人が19世紀初頭のフランスにもいたなあ
@kix4878
@kix4878 Жыл бұрын
「余の辞書に不可能という文字は無い」。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
トラファルガーの大敗、大勝だと勘違いしてましたよね(味方がやられた炎を勘違いし勝利の炎と言ったとか)
@eiji112
@eiji112 Жыл бұрын
中国史、初心者向けの動画はありますか?
@neverland554
@neverland554 8 ай бұрын
プレステの決戦懐かしすぎるな
@user-rn1os6lv1c
@user-rn1os6lv1c Жыл бұрын
今日の動画S音から始まる名称が多いな
@user-si9hf9kg4c
@user-si9hf9kg4c Жыл бұрын
面白かったです。 三国志演義の馬謖処刑直前に、あの蒋琬から馬謖擁護で引き合いに出された子玉こと成得臣将軍。有能で晋の文公にとっても脅威だったことがよく分かりました。
@user-ee8db2cv6c
@user-ee8db2cv6c Жыл бұрын
楚の君主の号が王号を名乗っている事から、彼らなりの独自のアイデンティティを有していた証でしょう。
@user-mg4fu5wq2o
@user-mg4fu5wq2o Жыл бұрын
これ本当に前回の動画と同じ人が作ったの?w 鳥人間~久々に中国史ガチャ回したいからまたそのうち頼むよ~。
@akirakitahara3752
@akirakitahara3752 Жыл бұрын
もしかしたらもうすでに出てるかもしれませんが朱買臣をリクエストします😄
@NobuhitoMiyagawa
@NobuhitoMiyagawa Жыл бұрын
晋の最高の正卿、士会!! 介子推はどうなった!
@Yosakoi_akiko
@Yosakoi_akiko 4 ай бұрын
1:20 その戦車じゃないんだよなぁ…(マジレス)
@Legendary_mapo_tofu
@Legendary_mapo_tofu Жыл бұрын
三舎を避くは、そんな裏の意味も有ったのか 良い話にしかなってない😅
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u Жыл бұрын
三舎退いた地が城濮でしたので、後年『城濮の戦い』と呼ばれる様になりました。
@maidminori
@maidminori Жыл бұрын
バトル・オブ・ジョーボク・・・総大将は肉屋と伍長?
@user-sd5br1zz8w
@user-sd5br1zz8w Жыл бұрын
古代世界のクルスクの戦いですね この戦力があれば、当時の欧州・小アジア・インドは征服できたでしょうね
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
紀元前7世紀ならオリエントはアッシリアが弱体化し滅亡、新バビロニアが強かった頃でしょうか。 数なら勝てたかもしれませんが、中国以上に混沌としているオリエントで支配体制を維持は難しいと思いますね。
@tanakayuto148
@tanakayuto148 Жыл бұрын
馬版クルスク!
@WickedTkl
@WickedTkl Жыл бұрын
どなたかこの動画のBGMのタイトルを教えていただけませんま
@kugui1009
@kugui1009 Жыл бұрын
三國志好きからすると、楚があんまり南方じゃないのに驚く。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
楚の本拠地って、荊州辺りだものね。
@harigane4773
@harigane4773 Жыл бұрын
この後どんどん東に重心が移っていき、最終的に項羽が三国志のころだと徐州のあたりで「西楚の覇王」を名乗る。 この流れにずっと頭に?マークついて回ってます。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
@@harigane4773 本来の楚の場所より東に領地持っているのに、「西楚」って!?wって思うよね……
@user-iq1to3mx4t
@user-iq1to3mx4t Жыл бұрын
SOとSAYが多すぎるw
@user-wc4jd3ry8x
@user-wc4jd3ry8x Жыл бұрын
15:04 支援と私怨は どっちも重いからシカタナイヨネ(Hahahahahahahahaha
@harigane4773
@harigane4773 Жыл бұрын
24:37 闘勃!ここで新しい「勃」が補充されるとは!
@user-im1ef3wj2p
@user-im1ef3wj2p Жыл бұрын
そのうちA「明日朝8時に決戦ね!」B「分かった!(なわけねぇだろw夜襲かけたろww)」とかになってくのか
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
鬬宜申は、敗戦後も楚成王に徴用され、商公、後に工尹に任命されます。が、楚穆王の即位後、身の危険を感じて前617年に王の暗殺を謀りますが、暴露して処刑されました。
@user-hb8wd3qz2n
@user-hb8wd3qz2n Жыл бұрын
闘一族は楚の王家の分家だったでしょうか? 呉に攻め込まれた楚の昭王が逃げ込んで来たときに、昭王を手厚く保護していますね。
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
@@user-hb8wd3qz2n 闘氏も、王族と同じ羋姓ですね。第18代君主、熊儀(成王の6代前)の息子、闘(熊)伯比が闘邑に封じられたのが始まりです。代々、大臣の家系です。ちなみに昭王を匿った闘辛の父親も平王に殺されており、弟たちが仇として昭王を殺そうとするのをなんとかなだめてます。
@user-hb8wd3qz2n
@user-hb8wd3qz2n Жыл бұрын
@@intelljp さん 闘辛は次弟の懐の挙動を制止しましたが、まだ安心はしなかったのか、昭王を奉じて随に逃亡してますね。 昭王は戦後の論功行賞で、闘辛だけでなく懐も賞しています。 父親が平王に死を賜っているのに、自分を守り続けた闘辛の忠義に報いたのでしょう。 昭王も、自分を殺そうとした懐までも賞するとは、なかなか器量の大きい人物でしたね。
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
@@user-hb8wd3qz2n 闘懐が賞されたことについて、子西が昭王に質問したところ、「親の仇を討とうとするほどの孝子なら、忠臣になるのも難しくはあるまい」と粋な回答をしました。
@ashimojanaiyo2481
@ashimojanaiyo2481 Жыл бұрын
風下(かざしも)
@yuka-youtube
@yuka-youtube Жыл бұрын
3倍ゆっくり走るという魔理沙専用古代戦車
@---nt5tf
@---nt5tf Жыл бұрын
「いけるやんけ」wwwwww
@lookglacial6325
@lookglacial6325 Жыл бұрын
戦車にのってますねサムネ。
@nohohon722
@nohohon722 Жыл бұрын
バトル・オブ・ジョーボクの次はバトル・オブ・ヒツ、邲の戦いをお願いします
@user-lw5sd7lb4u
@user-lw5sd7lb4u Жыл бұрын
荀林父「城濮の戦いでは文公の御者を務め、楚軍に勝利したが…まさか35年後、あんな惨めな敗北を喫するとは思いもしなかった」
@akindo70
@akindo70 Жыл бұрын
介子推は?
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
成得臣は、自分の馬を玉で作った冠などで飾ってましたが、戦いの前、河の神が夢に現れてそれをくれれば助けてやると言いましたが、成得臣は拒否しました。彼の息子も説得しましたが、それでも拒否しました。地の利を活かせなかった例え話のように思えます。 敗戦後、楚成王は彼に使いを送り、「楚に帰国した時、申・息県(恐らく、徴集兵の故郷)の父母にどう説明するつもりだ?」と詰問され自殺しました。
@user-hb8wd3qz2n
@user-hb8wd3qz2n Жыл бұрын
史書にはそう記録されているわけですが、実際のところはどうなのでしょう。 楚の成王が成得臣の将才ならばと、晋軍に勝利することを期待していたようにも思えます。 ただ国のトップである王が、外交的包囲を無視して力押しするようでは 支配下に置いた国も動揺させると判断したので、成得臣の独断専行という形にしたのではないでしょうか? 成得臣は楚の成王の威信を傷つけないために、敗戦の汚名を一身に引き受けたようにも思えます。 そういう人物だったからこそ、晋の文公は彼を恐れ、かつその死を知って喜んだのではないでしょうか?
@heiho_ita
@heiho_ita Жыл бұрын
これは北伐したのが悪い🤔
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
7国以外夷狄との戦いもあるので仕方ないには仕方ない部分はありますよ。
@karashi88
@karashi88 Жыл бұрын
すいません何故戦車は廃れてしまったんでしょうか
@shuichiuchida2008
@shuichiuchida2008 Жыл бұрын
鐙が発明され直接馬に騎乗出来るようになると、騎馬の方が戦車より機動に優れるので 廃れていったんじゃなかったっけ?
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
@@shuichiuchida2008 騎馬の方が起伏の激しい場所でも使えるし、小回りも効くしね。
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
やはり鞍や鐙でしょう。元々戦車チャリオットは、直接乗れない馬を活用するための物でしたからね。
@kappanouen
@kappanouen Жыл бұрын
他の方も挙げられてますが騎兵の登場が大きいでしょうか(※ただ鐙の登場は騎乗戦闘を容易にしただけでそれ以前、例えば中国では胡服騎射の時代から騎兵戦闘は導入されていました) ・簡単にいくつか(特に中華における戦車衰退の)理由を挙げておくと ①上記の様『同じような役割(重突撃・ヒット&アウェイ)』を果たす兵科でよりコストパフォーマンスがよく小回りもきく騎兵が登場した ②春秋時代の戦闘が「外交上の問題決着(儀礼としての決闘)」という政治的側面が強かったのに対し戦国時代以降は「相手国の粉砕(ガチ)」までが目的になったり、そのため”攻城戦”まで視野に入れる必要が出てきたため(戦車は城攻めには使えない。逆に防衛側にとっても籠城では戦車は戦力にならない) ③これまで中原(比較的平坦)中心の勢力争いであった戦乱が更に領域を拡大し戦闘が(戦車の運用可能な)平地部以外でも行われるようになった(山岳、森林、湿地帯、水上・・・・・・つまり平たく言えば三国志の『赤壁』や『北伐』で戦車は使えたでしょうか?という点ですね) ④上記③とも関係がある話ですが戦車の文化をあまり持たない辺境の新興国(例えば呉越の地帯は現在よりはるかに海岸線が後方で湿地帯が多かった)が勃興してきたため ⑤戦争に”工夫”が求められる時代、つまり『兵法の時代(戦国期~)』に入り、戦術レベル(というか戦闘レベル)での小回りが利かない戦車のデメリットが目立つようになった。軍師や将軍が「右や左や」指揮しても”いったん戦闘が始まる”と戦車は即応しにくい。特に戦闘中の『後退』は(『馬車』である特質上)絶望的に難しかった(※余談だが故に戦車戦での策は開戦前、今回動画のよう『どこで戦闘を開始するか?布陣するか?(つまり開戦前にいい場所をとる)』に全力が割かれることになる(←基本的には当時はこういう事もたぶん卑怯って言われるんですけどね・・・それをうまく体裁を整えてやった人がいたとかいないとか笑)😗
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Жыл бұрын
古代ギリシャやローマの場合、鞍はあっても鐙が無く馬の扱いは至難の業でした。 騎兵は専門部隊、またはマケドニアやテッサリア地方(アレキサンダー大王の故郷古代マケドニア自体騎馬に長けていた、テッサリアはギリシャ最強とまで言われるほど騎兵が強かった)のように馬の産地または使用頻度に左右されてしまいます。
@kialo720
@kialo720 Жыл бұрын
宋のJK
@user-tx5ge2nw7t
@user-tx5ge2nw7t Жыл бұрын
ーコメです
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Жыл бұрын
全然関係ないけど 原神て何?中華ゲームだけどついたフォロワがウマ娘の2倍(国内)資料にあるんだが全くぴんとこないオッさんだから。
@user-ru1hi1mj4q
@user-ru1hi1mj4q Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき、本当に感謝しております!! 励みになりまくりですッ!!
@user-wb4gn6ys7x
@user-wb4gn6ys7x Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき感謝……圧倒的感謝でございます……! まっこと嬉Cですッ!!
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