【ゆっくり解説】ガダルカナル島攻防戦の考察③(消耗戦編)

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ゆっくり海軍放送局

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動画内での解説は、私自身の考察です。
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• ガダルカナル島攻防戦
島嶼戦の動画はこちら
• 【ゆっくり解説】ガダルカナル島攻防戦の考察①...
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〈参考〉
『山本五十六』田中宏巳
【Amazon】www.amazon.co....
『失敗の本質』戸部良一 他
【Amazon】www.amazon.co....
『海戦史に学ぶ』野村實
【Amazon】www.amazon.co....
『戦藻録』宇垣纒
【Amazon】www.amazon.co....
『太平洋島嶼戦』瀬戸利春
【Amazon】www.amazon.co....
『零式艦上戦闘機』清水政彦
【Amazon】www.amazon.co....
『戦史叢書』朝雲新聞社
『歴史群像』学研パブリッシング
※上記URLはAmazonアソシエイトのリンクを使用しています
〈画像〉
いらすとや www.irasutoya....
イラストAC www.ac-illust....
〈映像〉
アメリカ国立公文書館 www.archives.gov/
〈BGM〉
DOVA-SYNDROME dova-s.jp/
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Пікірлер: 116
@マフティー-b2q
@マフティー-b2q Жыл бұрын
単にわかりきった工業力の差、で片付けないで考察しているのは非常に興味深いです。素晴らしい
@gwdapwd16766
@gwdapwd16766 8 ай бұрын
批判しかしないのは左翼。 批判を許さないのは右翼
@kaNKAN-tg1fb
@kaNKAN-tg1fb 2 жыл бұрын
大変興味深い話でした。  戦争史とは直接関係ない話ですが、実は戦前にフォード社が日本に自動車工場を建設しようとしたことがあります。この時日本政府は工場建設を不許可としました。おそらく「市場が奪われる」として財閥系企業の反対があったからではないかと思いますが、この時のフォード本人の感想が自分には印象に残っています。 「わたしには日本政府の決定が理解できない。もし仮に日本とアメリカが戦争になったとしよう。その時、日本は我々の設備、技術、大量生産のノウハウをそのまま手に入れることができるではないか」  つまり「戦争になればアメリカ企業の工場といえども日本政府は強制的に接収して、活用できるではないか、なぜ日本にとってもいい話なのに許可しないのか」という反応だったのです。  当時、安く大量に生産するノウハウはその開発者のフォード社がダントツであり、これが日本市場を席巻していれば、日本の自動車事情も違ったのかなと思いますし、その工場を技術もろとも手に入れていれば、生産現場の事情も違ったのかなと思います。
@とーさか-i8k
@とーさか-i8k 2 жыл бұрын
ka.N KAN 様 >財閥系企業の反対 反対していた財閥は、日産の鮎川財閥ぐらいでしたよ。 フォードが自前の工場を作る前に、既にフォードとGM(シボレー)はノックタウン生産の工場を日本に持っていて、両社の日本市場占有率は90%でした。 市場を奪われる云々以前に、フォードとシボレーが日本の自動車市場を開拓し、市場全体を拡大していたのが現実です。 三菱・三井と言った老舗の財閥も浅野(日本鋼管)のような新興財閥も、むしろアメリカ自動車の日本進出を歓迎してました。 このままどんどん市場を拡大させて、国産車はその「おこぼれ」に預かれば良いという考えです。 何と言っても、性能と価格で勝ち目が無いんです。 この「やる前から勝負が付いている」「勝ち目が無い事業に投資する事は出来ない」と言う産業界の諦めにヤキモキしていたのが軍と商工省で、フォードの新工場潰しはこの2者の画策ですね。 そして面白いのは、当時はベンチャー企業だったトヨタ自動車の社長・喜一郎さんは、この「アメリカ車排斥」に反対してました。 「『勝てないから(フォードに)工場を作らせない』では、いつまで経っても国産車はアメリカ車に勝てない」 と、性能と価格で真っ向勝負を挑むべきと言ってました。 100年勝てなくても101年目に勝てれば良い、トヨタはそれまで(売れなくても)自動車を作り続けると主張してました。 当然というか、この「血反吐を吐くマラソン」論は、軍や商工省から見向きもされませんでした。
@kaNKAN-tg1fb
@kaNKAN-tg1fb 2 жыл бұрын
​@@とーさか-i8k 様  ご教示ありがとうございます。その辺はわたしも知らなかったため「おそらく~と思います」と推測で書きましたが、推測はハズレてましたね。すみません。業界の反対ではなく軍と官庁自体が反対していたのですね。  トヨタの姿勢はまさに戦後の「技術立国」の企業の姿勢だなとの感想を持ちました。戦前の日本企業の姿勢はまだまだ「技術立国」のそれとは言えず、商売人としての短期的な損得判断の傾向が強く、それが軍や官庁の期待にそぐわなかったのでしょう。しかしトヨタの姿勢もまた軍や官庁の期待とは違っていたようなので、だとすると軍や商工省の期待は過大だったのかなと思いました。
@とーさか-i8k
@とーさか-i8k 2 жыл бұрын
@@kaNKAN-tg1fb 様 豊田喜一郎さんは、戦後すぐに亡くなってしまったのが残念なことでした。 ちょっと理想家肌のある根っからの技術屋で、経営者としては「?」な点もありましたが。 番頭役の石田退三さん(後にトヨタ社長)がしっかりと手綱を締めてました。 ホンダ創業期の本田・藤沢体制に似たところがあります。 もし喜一郎さんがあと20年生きていれば、本田のオヤジさん(※)と互いに「負けない!」と、面白いことやったんじゃないか と思います。 ※ 浜松時代のオヤジさんはトヨタへ部品を卸していたから面識はあったはず。 2000GTクラスの高級スポーツ車の登場が早くなり、第2回日本GPでポルシェを抜いたのはスカイラインではなくこっちになったと思います。 まぁ、そうなれば今の大トヨタより少しサイズが小さくなっていたかも知れませんが、メーカーとしては面白い会社になっていたでしょうね。 そんな喜一郎さんのDNAを一番濃く受け継いでいるのが、今のモリゾーさんですね。
@prshrine
@prshrine 2 жыл бұрын
完全に新たな切り口ですね。軍事解説の枠を超えて、社会問題にまで踏み込んだw いや総力戦ってそういうものといえばそうなんですけど。 とても面白かったです。
@ゆっくり海軍放送局
@ゆっくり海軍放送局 2 жыл бұрын
ありがとうございます
@zinitou
@zinitou 2 жыл бұрын
これはいい視点ですねー
@菅野裕之
@菅野裕之 2 жыл бұрын
アメリカは、大量生産に関するノウハウも沢山持っていたようですね。大戦後期のアメリカ陸軍の主力戦闘機P51ムスタングも初期型と後期型では製造工程の見直しや部品の簡略化等の努力の結果、製作時間は3分の2程度まで縮まっていたとか。
@ゆっくり海軍放送局
@ゆっくり海軍放送局 2 жыл бұрын
それこそ、民間の中で自動車を筆頭に大量生産のノウハウを貯めた国ですからね フォードの技術も、アメリカの「国力」の原動力だと思っています
@ヤス-l4b
@ヤス-l4b 2 жыл бұрын
戦後になってようやくモータリゼーションが来た国と、すでに1900年代初頭にT型フォードでモータリゼーションを経験済みで民間人でもクルマを運転できた人間の多さがちがったね… まさに戦争とはその国の国力、経済のぶつかり合いですね… だからこそ外交としては最終手段というか本来は簡単にやってはいけないものでしたね…負け戦ほど辛いモノもない
@伊藤雲黒斎
@伊藤雲黒斎 2 жыл бұрын
@@ゆっくり海軍放送局 さん 戦前にフォードは日本国内に工場を持ち「大量生産とはこうやる」ということを教えていたんですが。八木アンテナにしても国内の民生機器に目を向けなかった官僚軍政が諸般の元凶ですな。
@空母瑞穂
@空母瑞穂 Жыл бұрын
@@ゆっくり海軍放送局 工場に託児所を作り、大量生産方式で主婦が兵器を作ってました。
@straker1701
@straker1701 Жыл бұрын
生産管理やマニュアルがしっかりしていて一定基準のラインは出せた。 実際に女性とかが生産に携わり結果出してる。
@BBS335
@BBS335 2 жыл бұрын
40数年前の話ですけど・・・、陸軍航空隊に居た教授曰く、 戦後、空自に入ってカリフォルニアに迎撃ミサイル導入の為の訓練に行ったんだが、何時も晴天なんだよ訓練が天候で遅延する確率は相当少ない筈だ・・・、 日本は天気が変わりやすく飛行訓練なんて年の1/3が限界だったんだ・・・。米国は普通にしてても日本の3倍の操縦士を育成できたんだよ・・・。参った 日本初のレーダーを作ったという教授曰く、 軍艦に乗って艦内電話で指示や命令を出したくても一般兵は電話機に慣れてないから電話に出たがらない、だから一々伝声管で伝言ゲームをしてたよ・・・。 日本人は文字を読み書き出来たが、読み書きできない米国人でも自動車を運転し自宅には電話機が有ったんだ・・・。機械慣れしてる分だけ教えるのは楽だよ
@ヤス-l4b
@ヤス-l4b 2 жыл бұрын
当時日本で自家用車なんて持ってるのは金持ちか軍人の高級士官か、いわゆる貴族かみたいな状況ですもんね ましてやマニュアル車しかないから、普段からバスの運転手してたとかじゃあなきゃあ、軍隊でトラックの運転って必須技能ですけど、育成は大変だったでしょうね
@wings2cb
@wings2cb 2 жыл бұрын
ゆっくりの戦記物の中でも、傑作だな。
@ゆっくり海軍放送局
@ゆっくり海軍放送局 2 жыл бұрын
ありがとうございます
@ヤス-l4b
@ヤス-l4b 2 жыл бұрын
エンジン、まあひいていえばあの頃の日本の工業力ってことになっちゃうんだけど、大馬力エンジンを作れなかった時点で、いつか零戦の限界がくることは見えてたなあ… 非力なエンジンで性能確保するなら軽量化しかなくそれにはすぐ限界が来た
@7kyuubey197
@7kyuubey197 Жыл бұрын
当時の日本は工業技術力が貧弱だったしね
@straker1701
@straker1701 Жыл бұрын
零戦も栄エンジンも発展性に乏しく限界来て息切れ。
@ironaxe9278
@ironaxe9278 Жыл бұрын
「短期戦で勝つ」ことに失敗した場合のシナリオを持たなかったんでしょうね。「失敗の本質」で論ぜられたコンティンジェンシープランの欠如。負けた場合のことを考えること自体が負けにつながるとして全否定され、勝つことだけを考えることしか許されなかった。それはそれで一理ある気もするが、勝つことに集中することと、負けた場合も考えておくことのバランスをコントロールすることが大事かも。 まあ当時の日本で、1年戦ってうまくいかなかったら、負けを認めて不利でも講和する、という選択肢は無かったでしょうね。ただ、そういう選択肢も含めて考えていれば、はじめから米国相手に戦争をしないという判断ができたかも。
@高田健一-l7l
@高田健一-l7l 9 ай бұрын
ガダルカナル輸送船団に珍しくゼロ戦の護衛についた。 最初にB17が高高度でやってきた。そこでゼロ戦は上に向かった。 しかし、これはけん制であり、その後低高度でB25がやってきた。 ゼロ戦には無線が積んでないので船団から連絡する手段がなく輸送船団は全滅してしまった。
@天草屋
@天草屋 Жыл бұрын
陸軍は曲がりなりにもルーデンドルフの総力戦を前提に戦争をした。 それに対して、海軍はWW1の海上での持久戦的な戦訓を本質のところで理解せず、決戦戦略で戦争をしていた。
@伊藤雲黒斎
@伊藤雲黒斎 2 жыл бұрын
戦闘機・兵器の開発思想もさることながら同じ口径・同じコピー元の機銃でも陸海軍で弾薬の互換性がない、歩兵銃では部隊ごとに弾薬に互換性がない等の技術以前の問題が元凶でしょう。欧米の薬莢は回収すればわずかな手間で再使用可。日本の薬莢は使い捨てで回収したら雷管の問題で溶かすしかない。全く消耗戦に向かない軍隊でした。
@TheNoridons
@TheNoridons Жыл бұрын
今でも、日本の会社などは職人芸に頼る部分が欧米より多いかなと感じますね。例えが適切ではないかもですが、ごく少数の有能社員が全体を支えているみたいな構図が多いように感じます。 そしてノウハウが共有されにくい。根本的には雇用システム(雇用の流動性の違い)が大きいのかなと思いますが、民族も多様で教育水準が日本ほど画一的ではないので、どんな人が来てもそれなりに使える様にする教育システムが割と昔から整備されてた様に感じます。 (IT系で30年前くらいですが、米国行った時に割と小さな会社でもちゃんとした教育プログラム(10日でマスターできる)があって、更に専用のプログラミング言語まで自社開発しててビックリしました) 戦時では工場労働者だけでなく、パイロット養成などでもシッカリしたシミュレータが用意してあったり、B29では有名な偏差射撃の精度向上にいわば職人技を必要としないシステムを開発したり、人向けにも惜しみなく技術やリソースを振り向けてる所に、現代日本でもまだまだお手本とすべき所があるのではないかなと思ったりします。 突き詰めていくと、言語の構造がそもそも違うという点なんかにも波及しそうですが、それはまた別のお話(英語を社内公用語にするのは一定の合理性があると感じます。嫌ですけど🤣)
@jx6004
@jx6004 Жыл бұрын
零戦に比べると隼の方が生産性に配慮した作りになっていた。工程数で言うと零戦15000に隼10000というほども差があった。疾風の設計時も隼や鐘馗の部品や生産設備を流用できるよう、生産性を考えていた。加えて防弾装備で乗員の保護も隼から配慮されていた。
@天草屋
@天草屋 Жыл бұрын
それについては、零戦が「艦上戦闘機」だと言うことを忘れてはいけません。 常識的に考えれば、艦戦をそんな数作るはずないわけで… なんで艦戦みたいなニッチなものを主力戦闘機にしてるんだ?と冷静になってみると無茶苦茶ですよね。
@jx6004
@jx6004 Жыл бұрын
@@天草屋 零戦11型は陸上機仕様ですよ。艦上機の用途に限るなんて考えちゃいない。 紫電改だって零戦の後継機にするために艦上機に改修する計画だった。実際試作機作って信濃に着艦テストまでやってる。 隼の艦上機仕様が50機作られたという話もある。こちらは何に使った記録はないらしいが。 零戦と言えば「艦上機だから」というが、そこまでハンデがあったとは思えませんな。
@天草屋
@天草屋 Жыл бұрын
@@jx6004 紫電改は局地戦闘機として開発して出来が良かったので空母に積むことにした。 零戦は艦上戦闘機として開発され、出来が良かったので陸上でも運用されました。 これは大きな違いです。 正式採用された名称区分は飾りではありません。そもそもの開発時の海軍からの性能要求「十二試艦戦」や、開発者の回想などからもこれは明らかです。 零戦11型が陸上配備型だったり大量に陸上配備されたのは、単に用兵側の都合であり、開発時の想定は完全に艦戦です(厳密に言えば陸上運用も出来る艦戦ですが) ※ちなみに96式艦戦は開発要求が九試単発戦闘機となっており、公式の制限なしに良い戦闘機をという要求でした。 なお、艦上戦闘機の制限とは本質的に「サイズと離発着距離」となります。零戦のエンジン選定で最初に金星エンジン系が候補に挙がりつつ採用されなかったのは、一つには機体が巨大化する恐れがあったからでした。 小型高性能で、離発着距離も良好…という要求に対し、生産性を犠牲にせざるを得なかったのが零戦です。 あと、これは海軍機と陸軍機の違いですが、海軍機は落水時に「一定時間浮いていられること」も要求されていました。この辺も部品数の違いに影響しました。 これらの条件の違いが「たいした違いではない」というのは、言葉遊びですよ。
@Chu2007pae
@Chu2007pae Жыл бұрын
艦上戦闘機は高高度での戦闘などは配慮されていない。戦闘機はそれぞれの用途に応じて作られるべきものであって一機で何でも使える万能機ではないし、万能機にしてしまったら単能機に必ず負ける。
@櫻井克己-e2r
@櫻井克己-e2r 10 ай бұрын
零戦の長大な航続距離はパイロットの人権を考えてない。レーシングカーで東京から鈴鹿まで走って給油や休憩無しでレースをしてそのまま東京に帰るみたいなものだと思う。
@makotonezumi277
@makotonezumi277 2 жыл бұрын
負けないとやめない戦争。
@tadashiiiiii
@tadashiiiiii 2 жыл бұрын
ゼロ戦を試験飛行させるのに 分解した機体を工場から飛行場まで牛や馬で曳いて運んだのは 有名な話。
@ヤス-l4b
@ヤス-l4b 2 жыл бұрын
一方アメリカは工場の隣に滑走路を作った。 土地の広さと工事の機械化力の差か…
@ogikubo15
@ogikubo15 Жыл бұрын
試飛行だけの話ではないですよ。基本的に名古屋工場で生産された機体は各務原飛行場までいつも牛車で運ばれていました。吉村昭氏の『零式戦闘機』(昭和43年、新潮社刊)には「48キロの道のりを24時間で運んでいた」と記述されています。
@nagoyashimin569
@nagoyashimin569 Жыл бұрын
@@ogikubo15 舗装道路なんて無いから車で運ぶと揺れて壊れるからね。
@bokoboko446
@bokoboko446 7 ай бұрын
バックトゥーザフーチャーで博士が日本製だからダメなんだって言うセリフがあるけど、東海岸に船で運ぶのに赤道直下を通過するから本当にダメだったんですよね。 ソニーがトランジスタラジオでアメリカ進出した時の有名な苦労話。 西海岸から鉄道輸送する事で解決。 戦後しばらく経ってもこれなんだから。。。
@Kazuyuki_Iwakami_JK1NWD
@Kazuyuki_Iwakami_JK1NWD 2 жыл бұрын
島嶼戦・消耗戦という細論はその通り、最後段部分の民需による国力の充実、というマクロの指摘もまたその通りだと思いますが、その先(大本)に踏み込んだ議論が戦後の検証を経てもまだ足りていないのではないのでしょうか。 その民需がどのようにして開発されたのかといえば、やはりエネルギー(石油)を抜いて語れないわけで、米国はこの時代に幸運にも自国内で石油を開発できたということが、根本的な勝因(経済大国への発展、第二次大戦の勝利、戦後体制での覇権)だったわけです。まさにエネルギーの供給のみが国家を作ったわけです。 もちろん日本においても、戦前だってそもそもの太平洋戦争の発端はエネルギー問題だったわけであり危機感を持って注力され、戦後もますますその部分を補うべく諸政策が行われてきたわけですが、この失われた30年を鑑みるに、またもや方向が違っていたのではないかと思わされるところですね。  これは『戦後』も、太平洋戦争と同様に一時期は勝っていた(人並みな人口ボーナスによる経済発展は成し遂げた)けど結論として「負け戦」だった、という視点(評価)からのものですが。
@sa-oq7ci
@sa-oq7ci Жыл бұрын
当時自国で石油が全く取れないことを見越して第一次大戦でトランスヨルダンを獲得し石油をゲットした英国はやはりすごい。日本は対華二十一条なんぞで中国にかかずらわっているより英国を全面支援して中東の石油利権を獲得しに行った方がよかった。
@sakura-zl5qt
@sakura-zl5qt Жыл бұрын
結局日本は今も昔も機材の性能向上やシステムの改善以上に現場の人間の血のにじむような努力を強いるって所よな
@へーデルヨッシャーブッハ
@へーデルヨッシャーブッハ Жыл бұрын
うむ〜、面白い!! アタマの体操だが、露は長期戦向きで弱い(人口が多く次々と新兵充当が可能だが訓練不足、ストックがあり次々と古い戦車を投入可能だがポンコツ)、ウは本来短期戦向き(人口少ない、兵器の余力なし)なのを、兵士の訓練を重視しながら前線兵士の損耗を抑制して経験値を高めたり、外交で他国から兵器を調達して長期戦対応をしている、といえるかなあ?
@保坂諒
@保坂諒 2 жыл бұрын
なるほど、平時と戦時かあ。その発想はなかった。ここで疑問なのは、日本海軍の「航空機に対する信頼」が変な方向へ向かっていったのはなぜか、ということですねえ。
@ゆっくり海軍放送局
@ゆっくり海軍放送局 2 жыл бұрын
「変な方向」が具体的に分からないので、この視点であっているかどうかは分かりませんが、研究者ではなく元・海軍参謀が振り返って書いた書籍の中に「日本の航空派の歪み」が指摘されています この方は、山本五十六ー大西瀧治郎ー源田実の航空派のラインを批判していて「彼ら急進的な航空論者は、大艦巨砲主義批判の最先鋒でもある。航空機を妄信するあまり「戦艦は浮桟橋にでもしてしまえ」とまでいう始末。戦線から戦艦は排除して、有効活用しようともしなかった。空母の護衛のための対空艦や、島嶼戦の補助としての陸上砲撃の役割を持たせたアメリカとは大違いである」として、航空派の意見を「航空機を盲信しすぎている」と批判する一節があります。 私としては、いささか論が飛躍していて、他の研究者も取り上げているのをみたことがない上に、この方自身が全体的に「源田憎し」で感情的になっている部分も見受けられたので、あまり重視していない資料ですが、よければどうぞ
@ソニー株主
@ソニー株主 2 жыл бұрын
俺は自衛隊の兵器も平時の装備で、持久消耗戦になれば野原から兵士が生まれてくる中国に負けると思っている
@ヤス-l4b
@ヤス-l4b 2 жыл бұрын
@@ソニー株主 もともと、資源のない我が国に現状長期戦は無理やからね… 防衛戦をやるならともかく、まあ勝てない戦はしないに限りますな あと自衛隊は確かに練度も高く強いけど、弾が持たないのと隊員に死者がたくさん出た場合、民間人を徴発したとしてもいきなりは役に立たないし、補充が効かないのがなんとも
@7kyuubey197
@7kyuubey197 Жыл бұрын
@@ソニー株主 同じくというか最近では軍事技術でも中国は侮れないから中国と日本が戦争すれば普通に日本が負けると思う
@7kyuubey197
@7kyuubey197 Жыл бұрын
@@ヤス-l4b 今の日本は戦前の日本と比べて気合と根性がいい意味でも悪い意味でもないですしね
@JTMDPHD
@JTMDPHD Жыл бұрын
アメリカの対Gスーツを思い出しました。
@古川信-w7x
@古川信-w7x 2 жыл бұрын
いつも目から鱗です。「動乱」という映画を見ると貧しい国民の生活を軍の力で国を豊かしようとした時代。既に1920年代の狂乱のバブルを経験したアメリカ。戦後アメリカ指導の元、民主主義国家になった日本は、戦後20年で高度経済成長を迎える。
@bokoboko446
@bokoboko446 7 ай бұрын
一戦ごとに入念な整備が必要で、かつデリケートなドライビング技術を持ったドライバーでこそ本領発揮出来るレーシングカーと、適当な整備で雑なドライビング操作でもそこそこ走れるスポーツカーの違いですね。 レースならレーシングカーを5台出せばスポーツカーを20台100台出した相手に表彰台独占も出来るでしょう。 どっちみち大量生産では分が無いから少数精鋭。 機体は幾らでも変えが効くから搭乗員の生存率・育成期間の短縮を優先。 じゃ無いかな? 平時用戦時用と分けた論理は無理がある。 防弾板を採用しなかったのだから。 搭乗員の生存率だけを考えても、大陸での戦闘ならもっと小さくなったかも知れないけど、大海では絶望的な差ですね。 エンジン技術と精油技術の絶望的な差が大きい。 戦後に接収された機体がアメリカの燃料でテストされた結果を見れば明らか。 製品化の生産性を上げても基礎生産力がボトルネックになる。
@鬼伏見
@鬼伏見 2 жыл бұрын
確か陸軍と海軍とで部品の規格が違ったりしてましたかね?だから生産性が悪かったみたいな話を聞いたこと有ります。
@prshrine
@prshrine 2 жыл бұрын
例えば同じ7.7mmの口径でも、海軍の九七式機銃と陸軍の八九式機銃では弾薬が違いますから融通することができません。 それどころか同じ海軍でも、中島の工場で作った零戦と三菱の工場で作った零戦では微妙に規格が違っていて部品をそれぞれ用意しないといけなかったという話まであります。
@鬼伏見
@鬼伏見 2 жыл бұрын
@@prshrine ありがとうございます。為になります。
@ヤス-l4b
@ヤス-l4b 2 жыл бұрын
@@prshrine あまりにも非効率ですな…規格って大事ですわ
@hira5391
@hira5391 2 жыл бұрын
アメリカでは自動車免許どころか女性パイロットですら珍しくなかった。そうです
@ヤス-l4b
@ヤス-l4b 2 жыл бұрын
さすがライト兄弟の国ですな あと国土が広いんで、飛行機の発達が早かったのも戦争にはメリットだったんですね
@bokoboko446
@bokoboko446 7 ай бұрын
零戦乗りでも、撃墜王って基本一撃離脱なんですよね。
@user-tikyuboueigun
@user-tikyuboueigun Жыл бұрын
すでに飛行場作っても配置する飛行機がない、パイロットもいない…それでもオーストラリア占領を主張して戦線拡大をぶち上げるヤンマモトイソロクは究極のアホだと思います…
@megane-tetugaku
@megane-tetugaku Жыл бұрын
戦前は自転車さえ高級品だったからね。😅 商売用に乗ったりするぐらい。
@mooh-td6ny
@mooh-td6ny Жыл бұрын
WW2時、主に米国でオペレーションズ・リサーチが本格運用されましたが、 日本人にはこの手の発想が希薄、もしくは評価しようとしないDNAがあるのでは? この辺には大いに興味がありますね。
@TH-ul4gd
@TH-ul4gd 3 ай бұрын
準備が済んだ後に分かっても仕方がない
@UTubehiroshi2790014
@UTubehiroshi2790014 Жыл бұрын
米軍の評価はもっと簡単です。250㎏爆弾しか詰めないのでは小型船舶しか攻撃できない、実際そうでした、一番被害多いのが漁船 点数稼ぎ。フォード島の航空博物館に実機があります。ケガキと無頭リベットは正確ですがこれは軽量化のため構造のリム幅が狭いということでペラペラです。米軍機のアルミ削り出しに比べると模型飛行機。電装も配線が絹巻ゴム電線で昔アイロンや炬燵に使われていたもの、小碍子で機体内側に括り付けられた単純明快なものです。尾灯照明とかその程度。また基本12V鉛電池で無線機用の48Vは中で直流モーター回して直流モーターで昇圧する凝ったというかアッパレです。ジャングルに不時着した機体が高湿度と火山性酸性水で雨に当たった凧みたいに急速に溶けていたという写真もありました。一度見てみるとよいと思います、米軍機ですが触れる機体もありますよ(非公認)。社長さんの話や工場の見学ラインだけ見て記事書く日経記者みたいな記述は注意が必要です。
@sa-oq7ci
@sa-oq7ci Жыл бұрын
絹巻電線懐かしい
@田伏滉佑
@田伏滉佑 2 жыл бұрын
heinkel氏の動画で零戦を解説したものがありますが、そこに詳しく解説されていましたね。
@友之森田
@友之森田 Жыл бұрын
運用やアップデートがしやすい機体でなかった?、工業力にも限界は有り過ぎたかもねぇ?。無線電話の品質がかなり悪かったらしい、攻勢終末点を踏み違えたのも有るかも知れない
@intman6317
@intman6317 Жыл бұрын
戦略重心を敵戦力において、その撃滅を追求して失敗した事は、ドイツ軍と通じますね。 日本は詭道戦思想や作戦術思想が広まらなかった事も大きいでしょうが。(現代も
@ゼロタイガー-d3x
@ゼロタイガー-d3x 2 жыл бұрын
私は叔父が終戦を、中国青島で、むかえた時、アメリカ進駐軍が、ブルドーザーを持って来て1日にて、簡易飛行場を作った時、これは日本が負けるわと 子供心に思ったそうです。日本では当時飛行場を作るのに何人も費やして1ヶ月かかってようやくできたそうで、しかも凸あり、それを専用機械てあっという間に、これ程国力差が、あったとはおもわなかったそうです。
@siosyosyo
@siosyosyo 2 жыл бұрын
ブルドーザ以前に、馬で曳くランドスクレーパーがすでに20世紀初頭、鉄道建設現場で使われていた。島嶼での飛行場建設には小型のランドスクレーパーがあったし、グレーダーもあった。レド公路もそんな機材で造られたような。 マンザナー収容所の建設時の写真では、ブルで押してトラックから製材をおろしてた。金門橋'(1937完工)の建設の土木機材もすごい。同時代の国内の橋なら、勝どき橋。56年竣工の佐久間ダムは間組だが、金門橋レベルの米製の機材に技術顧問まで付いてきて造られたはず。
@ソニー株主
@ソニー株主 2 жыл бұрын
私の父も同じ事を言ってたな。ブルドーザーで1日で飛行場造るから、そら負けるわと
@southfield-os7sk
@southfield-os7sk Жыл бұрын
太平洋戦争は、それまでの戦争とは様相を一変した。 限定から全面へ、低速から超高速へ、近接から遠距離へ、少数精鋭から圧倒的物量へ。 日本は、この移り変わりに対応出来る資源力も工業力もなかった。
@友之森田
@友之森田 Жыл бұрын
起こさないんじゃ無く、起こせない、工業力を含めての、戦略思想か、しかしまぁ、一番欠けてたのは、生産性かも知れないんですね?。とっとと講和に踏み切らないと、でもこの手 11:03 10:49 ❤
@おさむポケ
@おさむポケ Жыл бұрын
細かくて申し訳ないが被弾事故のが逆な気がする
@SSGB
@SSGB 2 жыл бұрын
いやBf109はF型から、スピットファイアはMk.XIVから、それ以前のタイプとは設計の変更点が多くなり、同名だけど発展型の別機みたいになってますな これらが用いられ続けたのは拡張性があったのではなく、単に予定していた後継機の開発に失敗した結果でしょう
@ゆっくり海軍放送局
@ゆっくり海軍放送局 2 жыл бұрын
なるほど、ありがとうございます そうなると、動画の趣旨的には失敗した後継機のコンセプトが気になるところですね
@jx6004
@jx6004 9 ай бұрын
零戦が旋回性能優秀と言ってもそれは低速での話で、400キロ以上ならF6Fのほうが勝っていた。米軍は1944年後半には耐Gスーツを全員に配布し始めたはずで、特別な人間でなくても空戦に耐えられるようになっていった。
@山高-m1o
@山高-m1o 2 жыл бұрын
昭和17年の時点で零戦は発動機を金星に切り替えるべきだったと思います。
@straker1701
@straker1701 Жыл бұрын
それに反対した一人が源田実
@miyamiya2237
@miyamiya2237 Жыл бұрын
最初に瑞星を選んだ堀越の失敗だ。瑞星を選択したために中島と癒着している海軍に栄への換装を命じられてしまった。栄が大して性能向上しなかったから、零戦も性能向上できなかった。最初から金星にしておけば、栄への換装は不可能だし40型、50型、60型と換装して性能向上させることができたはずだ。堀越も「我、過てり。」と述べている。
@straker1701
@straker1701 Жыл бұрын
@@miyamiya2237 さん 金星も考えたが直径が大きく機体が大きくなるので候補から外した。 コンパクトな瑞星搭載のモックアップで艦攻や艦爆みたいに鈍重そうだと言われた。 メーカーとしては注文主の海軍の要望に答え買って貰わないといけない不採用のリスク避ける意味でも瑞星の選択になった。
@bokoboko446
@bokoboko446 7 ай бұрын
いきなりレーシングカーに乗せてベテランの後に続けと言ってもまったく無理。 スポーツカーならカットしながらそこそこついていける。
@清水肇-c2k
@清水肇-c2k Жыл бұрын
国力の差はやはり、歴然としたものだ。
@猫大好き-c9g
@猫大好き-c9g Жыл бұрын
後継機がなかったからさ。パイロットの不足もね
@wan6347
@wan6347 10 ай бұрын
まぁ、工場などの熟練の工員を兵士にしてしまうようなお馬鹿な軍は負けますよ。
@gwdapwd16766
@gwdapwd16766 8 ай бұрын
チャイナが圧倒的な軍事費を投じて米国と対抗できる軍事力を持った今、日本は過去の戦争を批判ばかりしていないで正しく総括して台湾有事に備えなければならない。
@Chu2007pae
@Chu2007pae Жыл бұрын
1人の天才が生み出したゼロ戦が多くの頭脳を結集してゼロ戦の欠陥を探って作られ改良され続けた戦闘機に負けるのは当然だろ。結局最後までゼロ戦の欠陥は改良されず小手先の改良しかできなかったことが敗因である。
@異端ネロ
@異端ネロ Жыл бұрын
ジープの運転。上官から狙い撃ちされますからね、合理的。でも、今の日本人も合理的な思考は出来ないまま。
@合掌仙人
@合掌仙人 Жыл бұрын
山本五十六は出鱈目の博打やろうと言われるが 米国と戦争する事態が博打なのでこれしかなかった訳だ。
@コクヨかパイロットか
@コクヨかパイロットか 5 ай бұрын
無印良品とトヨタのビジネスメソッドを見てると日本軍がわかる。
@こんどうかずなり
@こんどうかずなり 2 жыл бұрын
ソロモンのきーわーて
@ルナギター
@ルナギター 9 ай бұрын
アメリカが不利な状況で講和に持ち込める訳無い! 戦略が甘すぎる。楽観的、希望的観測に基づきすぎた。
@gwdapwd16766
@gwdapwd16766 8 ай бұрын
批判をしないのは右翼。批判しかしないのは左翼。 じゃあどうする。 台湾や沖縄への武力侵攻を捨てていない中国、ウクライナを侵略し続けるロシア、核実験を辞めず朝鮮半島統一の野望を捨てない北朝鮮に対抗するためにはどう活かすかまで議論すべきである。
@無縄自縛のセツナ
@無縄自縛のセツナ Жыл бұрын
昔、テレビ番組で、大家政子さんが、自動車の運転とパイロットの関係を話してましたね。聞いた記憶があります。  国力の差は絶望的ですね。戦争末期、アメリカでは、奥様向けに、新製品の家庭用電化製品の広告が、雑誌にあったりしますからね。余裕があります。
@asaki337
@asaki337 Жыл бұрын
要は、日本は今も昔も、資源も、工業力も、戦術思想もオワコンだということ。
@gwdapwd16766
@gwdapwd16766 8 ай бұрын
今の自衛隊や政府はかなり過去の反省を活かしていると思うけど。 だからこそ安倍政権はインド太平洋構想を勧めて平和安全法制を制定、菅義偉政権はクアッドを進め、岸田政権で防衛3文書の改正や集団安全保障体制の構築や次世代戦闘機の開発をしているのでは。
@howardrick3781
@howardrick3781 4 ай бұрын
アクタン島で鹵獲されてバレたのは痛かった、せっかく無敵の名機も原材料不足とアップデート出来ないでは…ね。
@miyamiya2237
@miyamiya2237 Жыл бұрын
日本海軍は、戦闘機無用論のせいでもともと戦闘機パイロットが少なかった。搭乗員の訓練も「格闘戦」中心だ。時間がかかる。しかし、実戦ではベテランたちも格闘戦はそんなにやらないし、敵も格闘戦にのってこなければ成立しない。つまり、実戦であまり使わない技能ばかり訓練していたわけだ。さらに訓練では20mm機銃を撃たない。20mmの弾道を知らないから、実戦ではなかなか命中しないし、すぐに弾がなくなる。そうなると7.7mm機銃が頼りだが、こいつで撃墜するのは難しい時代にはいっていた。3式13mm機銃は陸軍のホ103より高威力で弾道もよかった。この機銃の開発をもっと早めて、13mm機銃4丁仕様にしていればとあと知恵で思う。
@rokuroku214
@rokuroku214 2 жыл бұрын
人材を消耗した事が一番の敗因ですよ?
@ベテルギウスタウ
@ベテルギウスタウ 2 жыл бұрын
海軍機なら浮袋が最低限入っていれば着水しても沈没しないでパイロットは助かったはず。
@jx6004
@jx6004 9 ай бұрын
救助してまわる体制があればね。零戦もすぐ沈まないよう浮袋はあったが、パイロットが脱出するまで2・3分の時間が稼げれば良いというものだった。
@利弘樋口
@利弘樋口 2 жыл бұрын
その時歴史が、時に1942年、運命の日、無傷零戦手に入れる、徹底的に調べられ弱点が、最強神話崩壊、連日出撃、まずい状況、もはや零戦では、ライバル機登場、レーダー待ち伏せ、対空砲火激しい、これらを踏まえ、打開するには?
@momosuki8372
@momosuki8372 2 жыл бұрын
戦況が逼迫してきて、新しい戦闘機が完成できなかったのが、原因 余裕のある連合軍が、余裕のある機体を作れたのは、当たり前だ!  メッサーシュミットも、やはり、機体に余裕がなく、新しい戦闘機を完成させる余裕がなかった。国力と資源力の違いが原因であって、ごちゃごちゃ言っても始まらない!
@momosuki8372
@momosuki8372 2 жыл бұрын
国力工業力が桁違いだったから、一つ一つの兵器を優秀化することしか方法がなかった。それを、80年以上も後の私たちが、指摘するのはお門違い。結局、国力の差を埋めようと努力した、当時の日本軍の判断は、正しいと言える。後代の人間が、先輩たちのケチをつけるというのは、よほどの考察が必要であるだろう!浅薄な思考と言わざるおえないでだろう!
@momosuki8372
@momosuki8372 2 жыл бұрын
決戦主義に凝り固まっていたのは、アメリカも同じで、かなり遅くまで、アリゾナ級モンタナ級などの戦艦が決戦を仕切るという考えがあったのも事実、内容に、細かい配慮を感じるが、日本が、決戦主義に凝り固まっていたという結論は、どうだろうか?日本が緒戦で快進撃をできたのも、島嶼戦という考え方が、進んでいたと考えられるだろう!問題を決戦主義のみに押し付けすぎ。
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