【ゆっくり解説】 商鞅 戦国最強国[秦]を創り 天下統一への道を拓いた男 【秦 春秋戦国】

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鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

Жыл бұрын

秦を七雄最強の国家にした戦国時代最大の改革者、商鞅について語ります。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
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Пікірлер: 211
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
伝承では、商鞅の処刑後、弟子たちが彼の遺体を集めて、故国の衛で葬ろうとしたんですが、国境で警備兵に咎められて、現地の農民に埋葬を依頼したそうです。陕西省合陽県、秦玉山の麓に墓がありましたが、文革で破壊されました。
@user-qy7kl5cu1x
@user-qy7kl5cu1x Жыл бұрын
文革ェ…
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
文革は万物を破壊するッッ…
@ojk22f
@ojk22f Жыл бұрын
@@user-qy7kl5cu1x 文革って日本人が思っている以上に世界の歴史をぶち壊した大惨事なんだよね。 ほんと大大大損失。
@mikionakata7921
@mikionakata7921 Жыл бұрын
皮肉ですね‥ 文革で弾圧されたのは儒学だったのですが‥ 儒学の天敵であったはずの刑名学派も巻き添えを食ってしまうとは‥ 共産主義と刑名学は学派・主義など共通するところが多いいんですがね‥
@user-ur4yn3xv2v
@user-ur4yn3xv2v Жыл бұрын
いつぞやの戦国名臣ランキング1位の商鞅ですか 劉邦軍が咸陽占領した時、蕭何がどんな財宝よりも秦のデータベース押さえたのも頷けますね
@myym7900
@myym7900 Жыл бұрын
商鞅に強烈な恨みを持ちながらも その法治主義は継続させた恵文王も只者ではないな
@yuten1992
@yuten1992 Жыл бұрын
第一次変法から始まって20年が経ってる。商鞅の変法は民衆に定着しており、商鞅の諸改革により秦を西方の辺境から西方の強国に変わった。だから、恵文王は商鞅に恨みはあっても、法(社会制度)を変える必要がなかったんだ。
@user-jr3px8zk5e
@user-jr3px8zk5e Жыл бұрын
いや、始皇帝やその子供の 末路を考えたら・・・・王族は、法を無視してきた もし守ってきたのなら、趙高の専横は、 無かったはず・・・・
@yuten1992
@yuten1992 Жыл бұрын
@@user-jr3px8zk5e 統治者の立場からすると枉法って簡単なのよ。当然、法治の是は人を選ばないこと。しかし、人によって恣意的に運用されれば内実をともなった法治は簡単に崩壊する。
@qoamb410
@qoamb410 Жыл бұрын
「疑行は名なく、疑事は功無し。疑行無名、疑事無功。」(史記 商君列伝)なんて言葉を思い出しますね。何事も、確信をもって行えなんて意味の様ですね。世代を経て秦を王者にした功績は、絶大ですね、私は好きです。改革者が現れないか、心の中で期待してると言ってしまいますが、実は商鞅の様な苛烈さを伴う人物、革命家の様な人物が本当の改革者なのかもしれませんね。お話し面白かったです。長文すみません。
@user-cn2jl2kp7t
@user-cn2jl2kp7t Жыл бұрын
高校の時、この人物の話を読んだ時は衝撃的だったな……。 自分が確信した政治思想によって、中華最強の国家を創り上げた。しかし、自身が確信した政治思想によって自身が滅んだ……。 事実というより、史実は小説よりも奇なりだよな。
@user-nk5de8wd8s
@user-nk5de8wd8s Жыл бұрын
40分以上も中国史に浸れるとかご褒美が過ぎる
@user-lb7yy4iq2b
@user-lb7yy4iq2b Жыл бұрын
すよ
@user-xo3fs4mu3i
@user-xo3fs4mu3i 8 ай бұрын
それな!
@Claude_Beaumont13
@Claude_Beaumont13 Жыл бұрын
16:51 クラウディウス「その慣習だってかつては皆、新しかったんだよ」
@nm9539
@nm9539 Жыл бұрын
政府と人民は法(契約)で結ばれてるって自由主義下でも大事な概念なのに愛国心高まりすぎると伝わらなくなるんだよねえ、自分と国を一体化させちゃう
@user-vc6ps5tg1d
@user-vc6ps5tg1d Жыл бұрын
次期トップの恨みを買い、代替わり後に失脚というのはよくある話ですねえ……出処進退は難しい。
@comiru1
@comiru1 2 ай бұрын
鳥人間様の中国古典の動画を勉強として拝聴しています。20:17の画面の什伍組の処刑の様子がわかる写真を掲載されていますが、中国国内の博物館で撮られたのですか?この博物館の名称を教えてください。私も見てみたいです。
@user-kr9zt1hz6m
@user-kr9zt1hz6m Жыл бұрын
太子の恨みを買えば、代替わりしたときにしっぺ返しが来るのはわかりそうなものなのに、それでもあえて自説を曲げずに改革を進めたのは、思想家兼実践的な為政者としての凄みを感じる
@user-jr3px8zk5e
@user-jr3px8zk5e Жыл бұрын
この大子のせいで、秦の民や将軍、大臣、役人が、 必死で法守って生活しているのに・・・・ 秦の王族は、法を無視するようになり⁉️ 当然その家臣達も守らなくなった・・・・ その為・・・・始皇帝が、天下統一を果たしたたが⁉️ 秦帝国は・・・・ 半世紀も経たないうちに二世皇帝とその家来趙高に 滅ぼされた。
@mikionakata7921
@mikionakata7921 Жыл бұрын
ある意味… 刑名学者の典型的な生き方ですね… ですがこの学派で天寿を全うした人はほとんどいない…
@yuten1992
@yuten1992 Жыл бұрын
商鞅が追い詰められたときにも秦国内にきちんと法治システムが機能してたのはさすが。宰相の任にあるうちに近代にも通じる弾劾主義的な司法システムをつくっておくべきだったな。
@KOUMORIish
@KOUMORIish Жыл бұрын
商鞅の成功・失敗があり、それが漢・宣帝や宋・王安石等が有るのだろう。有能だがネット小説等のチートキャラではないのだから。
@shiso_tempura
@shiso_tempura Жыл бұрын
秦の動画を見れるだけで幸せです
@comiru1
@comiru1 2 ай бұрын
Thanks!いつもありがとうございます。
@c-history
@c-history 2 ай бұрын
ご厚意、大変励みになります~~!!
@SuiSuiGaming
@SuiSuiGaming Жыл бұрын
商鞅自身も凄いが、100年後の始皇帝の時代まで改革が継続・発展していったことも凄い
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
実際、商鞅の変法の成果が出るのは、後の時代の話ですね。商鞅の1世代、約20年ではたいした成果は出てないです。農業生産は、新領土を獲得するか、灌漑で開拓しない限り、急激に拡大するものではないです。 秦孝公の時代だと、魏1国に対峙できる程度です。魏に対する勝利も、斉(孫臏)が魏(龐涓)を破ってくれたことによる棚ぼたでしかないです。公子卬を騙まし討ちにしたのも、兵力の損耗を避ける必要性があったからだと思います。
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon 11 ай бұрын
商鞅は自身の法の弊害で宿に泊めてもらえなかったとされるけど、宿の主人も相手が商鞅だと理解していれば、ヤベー自体が起きている事ぐらい察せられるだろうし、適当な言い訳して拒否するのは自然な流れだろうね。 衣服や物腰や従者などから相当の貴人である事ぐらい分かるし、そんな人物が場末の宿を求めるなんてあり得ない。 泊めれば法があろうと無かろうと、権力者の逆恨みで宿の主人と一族も八つ裂きにされてしまう。
@ravilsan1987
@ravilsan1987 Жыл бұрын
わたしは しんけんしょうぶで がんばる秦を そんけいしています だからまい日 てんかをねらっています たけうち あい 小2
@user-kf9hy5fr9s
@user-kf9hy5fr9s Жыл бұрын
43分があっという間に過ぎた。 内容がすばらしい!
@heiho_ita
@heiho_ita Жыл бұрын
法の弊害で商鞅が倒されたと世界史Bの資料集に書いてあったな。
@show_kazitani
@show_kazitani Жыл бұрын
秦から逃れようとして、 身分証明無かった為、宿に泊まれなくて 自分の作った法律に嘆くの好き
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
農業を重視する一方、商業に対しては抑制策を採り、秦国内での宿泊は許可制にされてたのです。
@user-qo8bp1hh9v
@user-qo8bp1hh9v Жыл бұрын
そこは「私は罪なくして暗君と奸臣に殺されていくけれど、私が断行した政治改革は民衆にしっかりと根付いたから満足だ」と格好よく死ぬべき場面ではないのだろうか? さすがに族誅は勘弁して欲しいが。
@user-vd1jw9nf8u
@user-vd1jw9nf8u Жыл бұрын
@@user-qo8bp1hh9vそれな。
@taka4469
@taka4469 Жыл бұрын
宿に泊まれなくて嘆くのは司馬遷など後の歴史家たちの願望のような気もするなぁ まあ、商鞅が『私の作った法律がよく行き届いている。』と満足したと思いたいのは自分の願望だけど。
@yuten1992
@yuten1992 Жыл бұрын
@@taka4469 司馬遷も商鞅には批判的だからなあ。反秦意識と儒家思想の影響があると思ってる。
@user-ln9bw6cp9p
@user-ln9bw6cp9p Жыл бұрын
大ボリュームの動画、感謝感激‼️
@user-qo8bp1hh9v
@user-qo8bp1hh9v Жыл бұрын
時の流れがスローだった2000年前でさえ「惰性で働く公務員に現状維持させてもじわじわと衰退していくだけや!愚昧なネット民のコメントに右往左往せず国勢を上向きにできる大胆な政策で改革断行せぇや!」というスピード感のある政治家がおったんやなぁ、、、 ※但し、政策や処世に失敗したら首が飛ぶ(物理)模様
@user-pc3yi6kq9i
@user-pc3yi6kq9i Жыл бұрын
それやったのが橋下徹。 テレビからめっちゃ嫌われてるけど財政健全化改革とか大阪維新は偉大 まぁ大阪だから東京始めメディアから嫌われたのもあるけど、いつの時代も改革者って嫌われるんだろうな・・・
@user-fn5nm5jq3l
@user-fn5nm5jq3l Жыл бұрын
​@@user-pc3yi6kq9i改革者かな?
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d Жыл бұрын
@@user-fn5nm5jq3l 天寿を全うしそうです。
@user-ld8mz1bf4w
@user-ld8mz1bf4w Жыл бұрын
​@@user-pc3yi6kq9i ハニトラにヤラれちゃったな。
@Taka18782
@Taka18782 Жыл бұрын
@@user-pc3yi6kq9i 例えるなら、橋下は趙高あたりだろう。権力を握るのがうまかったことは認める。
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d Жыл бұрын
実績以上に盛られるのはそれだけ傑物であったことの証し。彼の政策は既得権益にしがみつく者達との争いでもあったし、大ナタを振るう多少の強引さも必要だったのだろう。趙良(商鞅に引退を勧めた者)の忠告を容れるくらいなら初めから断行せず、歴史に名を残すことはなかっただろう(その代わりに非業の死を避けれらただろうが)。
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
魏の恵王は因果応報ながら色々悲しすぎんよォ… 商鞅と孫臏の二大巨頭を逃した結果あまりに手痛いしっぺ返しをくらい、それでいて祖父と父が築いた覇権が雲散霧消するのを見届けきることが出来る程度には長生きしてしまう 改めて、キングダム戦国の七雄の魏篇の題名が「士人達の呪い」なのは卓越したセンスを感じる
@KOUMORIish
@KOUMORIish Жыл бұрын
恵王でないかもしれないが、呉起に范雎もいるでしょう。悪徳令嬢驪姫の意思でも受け継いだのだろうか?と思う。
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w Жыл бұрын
⁠​呉起も范雎も恵王時代ではないけれど、かのドラマでメインキャラの一角として大活躍してたなぁ 呉起はとてもブチギレて津山30人殺しを決行したとは思えない凛々しさがあったし、范雎の復讐のくだりはなんだかとっても楽しそうで良かった(?)
@nianiamu9452
@nianiamu9452 Жыл бұрын
商鞅が全てやった訳じゃないにしても、彼の実行力やその後の中国各王朝や東アジア諸国へ与えた影響は凄いと思います。比肩できるのって誰だろう?!
@user-gd2vf6el5v
@user-gd2vf6el5v Жыл бұрын
商鞅は、秦が自分の思想を一番活かすことができると考えることができたのでしょうね。秦から「不要」と判断された時が、彼の終わりの時だったと……
@nekozame_history_fan
@nekozame_history_fan Жыл бұрын
戦国時代の流れを変える重要な人物です。その動画を40分以上も見れるとは、大変ありがたいことです。
@mikionakata7921
@mikionakata7921 Жыл бұрын
刑名学で納めた秦と斉が国が生き残り‥ 春秋初期にかわした遠交近攻が成るとはだれも予想しなかったでしょうね‥ 初期には二つの国の間には大小100近くの国があったわけですから‥
@user-ps5gx2dc4f
@user-ps5gx2dc4f Жыл бұрын
処刑法特集からの商鞅の流れ。 点を線でつなげる素晴らしい回。 商鞅と秦の諸侯との議論は、直近では守旧派の大阪自民党対そこから分派する時の改革派大阪自民党後の維新の会の議論が似てるんですよね。 あ、ワタクシハ商鞅に論破された守旧派支持してたカタブツですけど(汗) 商鞅、絶頂期に引退しておけば、、、。
@user-pc3yi6kq9i
@user-pc3yi6kq9i Жыл бұрын
改革派は嫌われるけど、維新は大阪府民からの支持率がどうだったかを裏付けてるよね。 なぜか都民やメディアは認めないけど。ヤバい政治なら誰も支持しないのにね。日本の首相みたいに。
@user-nc3zl8up5e
@user-nc3zl8up5e Жыл бұрын
秦が滅亡するとき、秦の民ですら劉邦が秦の法を廃止するのを喜んだから。秦が成長したのも法なら滅亡したのも法。 ローマ帝国が滅亡しても、ローマ法は残ったし、鎌倉幕府が滅亡しても御成敗式目は残った。優れた法は政府が滅亡しても残る。 商鞅は政治家としては超一流だったが、アクセルばかりでブレーキを考えなかったという点で法律家としては根本的に間違っている。
@Yosakoi_akiko
@Yosakoi_akiko 10 ай бұрын
自分が作った法に殺される商鞅の末路、最近は「逆に美しいじゃんこの最期 思想家としては本望では?」とか思い始めた
@user-wi6pu3lb9i
@user-wi6pu3lb9i Жыл бұрын
徹底したリアリズムと着実な理想主義で秦を覇者に導いた大功労者なんだが、末路があまりにも哀れだよなぁ。政治・軍事・外交に長けた彼が自身の地位の保全に失敗したというのが皮肉。因果は巡るんだなと実感する。大作、楽しかったです。
@user-yr9od6dz9s
@user-yr9od6dz9s Жыл бұрын
行き過ぎた法治主義のように見えるけど上のものにも法を適用するところが好き。
@user-nc4je3th5w
@user-nc4je3th5w Жыл бұрын
商鞅の時点で軍事、外交、内政すべての面で後々の秦に繋がるエッセンスが全部もれなく揃ってるの面白い 商鞅自身の末路まで含めて商鞅以降の秦って商鞅的な要素を徹底して煮詰めていったって印象だけど、その秦を徹底して自分の利益のために秦を利用し尽くした上に勝ち逃げした襄公・魏冉の異質さと器量も凄いよな
@user-kx7np2wk8d
@user-kx7np2wk8d Жыл бұрын
21:02 この法は現代でもっとも必要な法ではなかろうか
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Жыл бұрын
めちゃ面白かた。感謝。
@TaroG2
@TaroG2 Жыл бұрын
まさに今の日本に商鞅が必要だと思う動画でした。
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援いただき恐悦至極に存じます~! ビジョンを持った改革者は社会に必要な人材ですね!
@user-rb6is8oc7r
@user-rb6is8oc7r Жыл бұрын
ナイスパ!しかし、『商君書』を原文のまま読んだことがある中国古典学を学んでいるものですが、はっきり言って古典の内容は酷いですよ。一言で言ったら愚民政策の塊です。他にも、過酷な刑罰を肯定するように洗脳する思想(このような洗脳は術などと呼ばれたりします。)も語られているなど例を挙げたらキリがありません😢
@user-wb4gn6ys7x
@user-wb4gn6ys7x Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
いつもご支援いただき、まこと感謝感激雨霰でございます……!! 圧倒的POWERをいただいております!!!
@user-gp4uy4ng7l
@user-gp4uy4ng7l Жыл бұрын
久しぶりに人物の単独動画を見た気がする。
@SPK024
@SPK024 Жыл бұрын
商鞅がもし衛で採用されていたら、鄭子産と並べて小国の法家宰相とか言われていたのかな。
@O-mega51
@O-mega51 Жыл бұрын
商鞅自体が非業の最後なのがまた戦国時代をリアルに物語ってますな😅
@user-kr7nm3gh2l
@user-kr7nm3gh2l Жыл бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
まこと有り難きことこの上ありません!! いつもお力をいただいておりますッ!!
@murkymurk8305
@murkymurk8305 Жыл бұрын
お疲れ様です&ありがとうございます。ネタが多いこの人の場合当然かもしれませんが、昔ののんび~りした語り口も好きなので時々お願いしま~す。7:30弱冠...
@user-dk7sg5mm8m
@user-dk7sg5mm8m Жыл бұрын
今回の解説、特に面白かったです。いかに富国強兵策が軍事強化・拡張を中心としてその目的を達するための手段として各制度が制定されていったかがよく分かる 解説でした。春秋戦国時代が戦争と拡張の時代であったとはいえ、ここまで軍事を中心とした統治システムを意識的に構築した国は中国でも異色であると思います。 おそらく商鞅以後の秦と諸葛孔明の蜀ぐらいなものだったのではないでしょうか
@hwainkim6101
@hwainkim6101 Жыл бұрын
魏が商鞅や呉起を重用していたら歴史はどうなっていたか気になる
@user-sd3hm8lj5f
@user-sd3hm8lj5f Жыл бұрын
秦が中華統一して商鞅は草葉の陰で喜んでいたかも…。彼が道筋をつけた強国秦が最大限の成果を挙げたのだから✨ 間違いなく商鞅は中華統一の根源的な方向性を示した人物だ。
@user-pf2mb5cc9i
@user-pf2mb5cc9i Жыл бұрын
王の寵愛を盾に強引にやった末路が後の范雎さんそれを学んで王が死ぬ前に引退したお話は好き
@user-pc3yi6kq9i
@user-pc3yi6kq9i Жыл бұрын
范雎さんどうやら史実では引退せずに処刑されたっぽいらしい
@user-qo8bp1hh9v
@user-qo8bp1hh9v Жыл бұрын
21:01 的確過ぎる引きこもりニート撲滅政策に戦慄を禁じ得ない
@yuten1992
@yuten1992 Жыл бұрын
人口=生産力=兵力の時代だからな。もしかしたら、世界初のニート、子どおじ対策をやった世界初の政治家ではないだろうか?
@user-mg4fu5wq2o
@user-mg4fu5wq2o Жыл бұрын
24:58 これ知ってるぅ わぁい度量衡の統一 霊夢度量衡の統一大好き。 まぁ栄光の絶頂期に自ら引退できるかといえば難しいよね…。呉起と違ってその後も改革が続き後世に名声が残ったのは救いですかね。
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
@user-Gifu_no_Zoukinya_san Жыл бұрын
とても面白かったです。 しかし、連座制などの現代でも使われている軍国主義のシステムが紀元前の時代にすでに生み出され、運用されていたというのは脅威ですね。 今風に言うならチートと言ってもよく、そりゃ他国は「近代化」された国家相手に、どうしようもない状況に置かれるわけですね。 軍事分野でも、戦術と言うより戦略に重きを置いたもので、将兵の力というより国家の力で勝つ、の感があります。 以前の動画で、蕭何が秦のシステムを吸収したことで楚漢戦争に勝利できた、という考察があったと思いますが、兵士の補充や兵站を途切れさせないことで、圧倒的強者である項羽に打ち勝った、という点では、漢王朝もやはり商鞅のレガシーを受け継いたと言えますね。 「法家」というとどうしても庶民をルールで雁字搦めにして苦しめるシステム、という印象がありましたが、考えてみれば法というものはその成り立ちからして権力側にもルールを押し付けるもので、それまで自分の感情の赴くまま恣意的に権力を行使してきた貴族階級が「法家」のいちばんのターゲットだった、と言えますね。 だから、後ろ盾を失った後、保守派の反動によって葬られた、ということですね。(この辺りは同郷の呉起と同じ) あと、簡単 → 邯鄲の定番の「誤字」シリーズで、紹介 → 鐘会は見つけました。たぶん、他にもあるんでしょうねw
@noriaki4927
@noriaki4927 Жыл бұрын
商鞅と孫臏に挟まれた魏がお気の毒。 しかし、秦の宰相は必ず悲惨な最後を遂げてるけど、皆よく働(改革)くよね。『自分だけは大丈夫』って思ってるのかな?
@dekamega999
@dekamega999 Жыл бұрын
商鞅の最後はさすがに寓話的すぎて創作っぽくはありますな
@user-sp1jv4fq2j
@user-sp1jv4fq2j 2 ай бұрын
@Yosakoi_akiko 寓話的どころか軍人や軍国思想家がいつもやってる事では?中華の軍人は色んなのが居るからこのタイプも時々見かけるし。そして半分以上は似たような末路。
@panda688
@panda688 Жыл бұрын
因習にまみれた中原の小国で育ち君権のままならない所を見ていたら君主の前で論破したところで方針が決まるのはさぞかし気持ち良かったろう。
@shou-sho
@shou-sho Жыл бұрын
まあ商鞅の逸話はどれも面白すぎるし、特に宿泊を断られた話なんかは完全に作り話だよね、とは宮崎市定もいってますね。 ただし、当時最先端の魏の政治家が後進国の秦で全権を奮った影響の大きさは確かだったんでしょう。
@user-oj8sk6qj6o
@user-oj8sk6qj6o Жыл бұрын
いやー孫臏の臏を書くのは無理ー 長い中国史動画ありがとうございます。これで明日も頑張れる。
@user-is5kp4ky7n
@user-is5kp4ky7n Жыл бұрын
このままの勢いで始皇帝を取り上げてくれたら嬉しいね
@Legendary_mapo_tofu
@Legendary_mapo_tofu Жыл бұрын
三顧の礼とか、2回断わって3回目で受けて簒奪するみたいに、3回目に中華のロマンが有るのかな
@reizoukoreizouko
@reizoukoreizouko Жыл бұрын
(太子の法への反逆事件で)太子の恨みを買ってしまうことになる のはそうなんだけど、現代の感覚からすると逆恨みもええとこよね。 改革直後、あるいは真っ最中なら、今まで罷免されていた特権がなくなったわけだから、多分理解できなかったんだろうなぁとは。
@user-vd1jw9nf8u
@user-vd1jw9nf8u Жыл бұрын
宮城谷さんの『孟嘗君』で一番印象的だった人物が商鞅だったなあ。
@user-fk3nx3pm1o
@user-fk3nx3pm1o Жыл бұрын
厳格な法治主義の開祖、商鞅。 商鞅なくして中華統一なし、は識者の一致するところ。 最後、人の恨みと理不尽を考えられなかったのだけは惜しい。
@fox37812
@fox37812 Жыл бұрын
でも秦も完成した瞬間から崩壊するを地で行くような最後だったからなあ....(秦の場合ちょっと極端すぎるが...) そういう意味ではビスマルクとも被るかも
@user-fx9zh8ec2d
@user-fx9zh8ec2d Жыл бұрын
商鞅、尊敬してます。 大秦帝国ってドラマで主人公だったかな?
@Taka18782
@Taka18782 Жыл бұрын
商鞅の語る兵法って、孫子の兵法まんまだね。十分に論理的なら、誰が論じても同じ内容になる。つまり両者とも優れて正しいという証か。
@user-uc6hw3mz2d
@user-uc6hw3mz2d Жыл бұрын
蕭皇后より動画の尺が短いことにびっくり普通に1時間ぐらい行くかと思ってた
@user-hn3yc6ht7v
@user-hn3yc6ht7v Жыл бұрын
実際問題、楚で呉起の改革が継続されたらどうなったんだろうとは思う
@domesan1
@domesan1 Жыл бұрын
商鞅衛鞅公孫鞅の語呂の良さ。
@denchu1523
@denchu1523 Жыл бұрын
戦国時代きっての人材流出国って悲しすぎる。やはり人材は外から連れてきたほうがいいね。切る時はサクッと切れるし。
@mukutinausagi
@mukutinausagi Жыл бұрын
当時の価値観的に、秦の配下に入りたくないと、後々占領地域の住民達が言い出すのがわかりますね
@Michaelviii288
@Michaelviii288 Жыл бұрын
いや、実際犠牲0で勝てるなら騙し打ちでもなんでもしなくちゃダメよ 我が軍の場合、大将直々に出てくるのは危険だから配下の兵に偽投降させて撹乱させるのが定番の伝統芸能です()
@Claude_Beaumont13
@Claude_Beaumont13 Жыл бұрын
14:11 まあそうだよな。第一、孝公の出方次第では二度と面会の機会を与えられない可能性もあったのだから。
@user-op8rq1jv1t
@user-op8rq1jv1t Жыл бұрын
商鞅ってまだやってなかったのか、意外 多分秦記で詳しく触れてたからかな 商鞅の重要さは中国史で随一だよね、始皇帝の中華統一や法治国家、度量衡統一、中央集権的皇帝独裁の創始といった業績も商鞅の諸改革が礎になってるし 商鞅がいなければ、中華領域は一つの文化圏にならず、政権も弱体なままで、あれほどの強勢を誇れなかったかもしれない
@renngekisouhei8303
@renngekisouhei8303 Жыл бұрын
まってた
@user-xn9co2bb8u
@user-xn9co2bb8u Жыл бұрын
商鞅の軍事思想って孫子っぽいな。 どこかで接する機会があったのかも。
@user-ep2bj2cs4w
@user-ep2bj2cs4w Жыл бұрын
決まりに厳しい人物は、反対派からは冷たくて融通の効かない人物だと思われて恨みを買いやすいわな…… ( =Φ人Φ=)
@hietahappousai
@hietahappousai Жыл бұрын
孝公が3つの道の内別の道を選んだ世界を見てみたくもある
@chip1259
@chip1259 Жыл бұрын
やってるもんだと思ったら今まで商鞅やってなかったのか
@miamiyu-R
@miamiyu-R 9 ай бұрын
痤瘡(にきび)のざの字がランク低いらしく、電子カルテだと「尋常性ざ瘡」なのよ。 で、「痤」ってどんな使い方をしてたのか調べたところ、「公叔痤」に行き着いた、と。
@KM-rh5xv
@KM-rh5xv Жыл бұрын
法家大好きです!応援してます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
法家愛好家の方からのご厚意、この上なく嬉しいです……!! いずれバキバキの法家動画も作りたいものですねェ……。
@user-xd3bk1uu8f
@user-xd3bk1uu8f Жыл бұрын
法家の著名人の最期は他の諸子の著名人と比較しても軒並み悲惨なのが興味深い
@bingosaru
@bingosaru Жыл бұрын
法家は「リアリスト」だから、温情派な多くの人達から“恨み”を買ってしまいますので…仕方ないね(汗
@user-xd3bk1uu8f
@user-xd3bk1uu8f Жыл бұрын
@@bingosaru 「法家はリアリスト」というのは我々現代の法家的価値観に基づいたかなり肯定的な評価な気がします 少し見方を変えれば法家は「中央集権国家に固執した理想主義者」であるという評価もあるかと思います 20世紀の社会主義国の独裁者に近い部分も多いですし
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
曹操「こやつめ!ハハハ」 諸葛亮「ハハハ」
@bingosaru
@bingosaru Жыл бұрын
@@user-xd3bk1uu8f さま 『20世紀の社会主義独裁国家』とは…言い得て妙。 当時の理想的な統治体制が「徳と礼」による『徳治国家』だった事を考えると「法と令」による『法治国家』は現実的な考え方…リアリスト…と思う次第です。
@user-xd3bk1uu8f
@user-xd3bk1uu8f Жыл бұрын
@@bingosaru 時代が変われば「現実的」という言葉の意味も変わるわけで、動画内の議論にもあるとおり当時の民衆を相手にするのであればリアリストな視点に立てばむしろ徳治の政治のほうを選ぶという選択肢になると思われます 現実に当時の法治国家は多くの弾圧による民衆の犠牲を要するものであり、リアリストではなくロマンチストでなければ当時の民衆相手に法治という政治は選べないのではと思うのです
@marieiru
@marieiru 5 ай бұрын
商鞅版「三顧の礼」、戦略家として才覚があったのね。
@user-kh6sf9hw6u
@user-kh6sf9hw6u Жыл бұрын
商鞅の考え方もマキャベリと考え方が一緒で現実的に見えるのだが、権力者も法律を守らないと賞罰を受けるというこの一点だけは、絶対に守られることはないし致命的な欠点なんだよなー。
@2n29s
@2n29s Жыл бұрын
最近オランダのライデンあたり行ってきたから、最後の最後で笑ってしまった😂
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Жыл бұрын
司馬遼太郎氏が江藤について同じ事書いてる。きっと嬉々として書いたんだろうな。確かに似てるし2人は
@user-us2kh9xo7x
@user-us2kh9xo7x Жыл бұрын
孫ピンね楽勝だわとか思ってたら記述とか言う難問出されて泣いてる
@user-jy6kd4xq2q
@user-jy6kd4xq2q Жыл бұрын
魏無知に出会うより景監こそ出会うべき傑物
@user-po6rj6td9r
@user-po6rj6td9r Жыл бұрын
すまじきものは宮仕え。大国でも小国でも仕官することそのものが罰ゲームだ!(って生き方もあるのが中華世界の魅力)
@user-ch6kg1xe2u
@user-ch6kg1xe2u Жыл бұрын
なんぼ法を学んだとはいえ、周囲の人々と一線を画する人物が、どういう風に生まれてくるのかなあ そういう人物だからこそ、周囲の無理解で悲惨な最期を遂げてしまうのは、なんつーか悲しいというかもったいないというか..(;'ω')
@user-sd7wl4zg4z
@user-sd7wl4zg4z Жыл бұрын
紀伝体は同時代の横のつながりが見えにくくなるのが欠点だよなぁ
@toriaezu9964
@toriaezu9964 Жыл бұрын
改革を断行して強勢になったのは秦で改革を続けて弱体化したのは日本と言う落ちでした( 一一)、
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k Жыл бұрын
そしてエクゾディア状態に
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Жыл бұрын
ゆっくり解説界の覇王から へ いまこそひやくのとき!
@negiseiroman
@negiseiroman Жыл бұрын
桂陵・馬陵の戦いの後、さらなる一押しで呉起が治めた河西の地を奪い、覇権国魏を没落させた公孫鞅。 呉起・范蠡と共に憧れです。
@Kaito5327
@Kaito5327 Жыл бұрын
商鞅なくして・・・・・・皇帝なし、そして畏れ多いことだが天皇の尊号もなかったであろう。
@user-dm4eo6tp7n
@user-dm4eo6tp7n Жыл бұрын
すんげえ多才能ですんげえ有能だけどすんげえ性格悪いイメージがある
@user-gx7cr2rh4b
@user-gx7cr2rh4b Жыл бұрын
変法改革は俺が完成させたッッ!! 秦紀300年コーナーからの刺客、公孫鞅の入場だーッ!!
@nomuknk
@nomuknk Жыл бұрын
自分が作った方に殺される商鞅ほんと好き
@user-tq7tm3mi7b
@user-tq7tm3mi7b Жыл бұрын
この動画の内容の出典を教えていただけないでしょうか?
@user-qw4xc7gt8m
@user-qw4xc7gt8m Жыл бұрын
公叔座って公 叔座なのか公叔 座なのか、はたまた公叔がなんかの役職?立場の名称で名が座なのか。 ずっと気になっているのですが、この辺りどうなんでしょうか...
@amirt.2310
@amirt.2310 Жыл бұрын
公(君主)の叔父の痤で「公叔・痤」ですね。商鞅は「(衛の)公孫・鞅」、伍子胥や孫武が仕えた呉王闔閭は王になる前は「(呉の)公子・光」
@user-qw4xc7gt8m
@user-qw4xc7gt8m Жыл бұрын
@@amirt.2310 あぁ、やっぱり公叔は2字姓って訳ではないですよね。今まで読んだ本では公叔痤の表記ばかりで劉備の皇叔みたいに身分なんじゃねーの?とか思ってた謎が解けました。有り難うございます( 'ω')ノ
@amirt.2310
@amirt.2310 Жыл бұрын
@@user-qw4xc7gt8m 公叔痤は、魏の公主が妻なので「公の(義理の)叔父」ということかも。劉備も、献帝の祖の長沙定王劉発が劉備の祖とされる中山靖王劉勝の兄なので、系統的に「皇帝の叔父的存在」で皇叔とされているので似たようなものだと思います。「公子」は「公の子」だけど、「公孫」は「公の孫」から2字姓化して「公の子孫」くらいの意味になったから大量発生してる。公孫竜・公孫起(白起)・公孫瓚・公孫淵などなど
@user-qw4xc7gt8m
@user-qw4xc7gt8m Жыл бұрын
@@amirt.2310 そうですね。公孫氏がおるもんで痤に関してももしかして公叔が姓なんかこれ?って昔から悩んでおりました。お陰様でスッキリですヽ(゚∀゚ )/
@intelljp
@intelljp Жыл бұрын
@@amirt.2310 『戦国策』では、公孫座表記も見られます。
@ntatanohu1214
@ntatanohu1214 Жыл бұрын
大日本帝国の昭和始めの軍人達は商鞅の教えを学ぶべきでしたね。
@KOUMORIish
@KOUMORIish Жыл бұрын
韓非子の『説難』を読んだ後だとより深いと思う。
@NobuhitoMiyagawa
@NobuhitoMiyagawa Жыл бұрын
どういうわけか子産を思い出す。 もう一回資産の動画を見ようと思う。
@coldexp7189
@coldexp7189 Жыл бұрын
あれ?いつもの曜日じゃないのに上がってる?
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