【ゆっくり解説】 西周史 武力と儀礼の王朝の誕生(前編) 【周 西周】

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鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

8 ай бұрын

周王朝の成立や殷滅亡後も続いた周初の戦乱について語ります
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
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Пікірлер: 144
@Ehrde
@Ehrde 8 ай бұрын
内容濃い上に分かりやすいから中国史良く知らなくても面白いしちょくちょく挟む茶番も心地良くて好き もっと早くこのチャンネルを知りたかった😂
@user-kr9zt1hz6m
@user-kr9zt1hz6m 7 ай бұрын
もちろん丘くんが唱えているように理想的な文治国家ではないとは思っていたが、思った以上に軍事に重きを置いた体制で、当然ながら殷から引き継いだものも多かったのか。あと、論語の素読が教養の基盤だった頃の知識人は、みんな、孔子スイッチがついてたのだろうか? 二十一世紀になってから読み解かれた地下からの新資料によって、古代王朝がつまびらかにされていくのはロマンだなあ
@FleetWindow
@FleetWindow 7 ай бұрын
中国語を勉強していて東洋史に興味を持たない訳が無かった。とても興味深く拝見することができました。東洋史の授業に顔を出してきます。
@taroa897
@taroa897 8 ай бұрын
丘くん久々で嬉しい
@yutakikuchi7633
@yutakikuchi7633 8 ай бұрын
周が農耕民と遊牧民の両方の生活様式に接触する位置にいたというのが非常に重要なんでしょうね 太伯・虞仲の逸話は遊牧民の末子相続のありかたを農耕民の立場から解釈したものという話はよく聞きますし
@suzupap2008
@suzupap2008 8 ай бұрын
この話、清張の歴史ミステリー本にも指摘がありましたねー
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 8 ай бұрын
しかし後の漢は…
@user-jb1yy5xe6t
@user-jb1yy5xe6t 5 ай бұрын
丘くん周公旦限界オタク概念好き
@user-ux4jh7ic9z
@user-ux4jh7ic9z 8 ай бұрын
ええっ!? あの十二国記シリーズの世界観設定にも多大な影響を与えた西周の実態を丁寧に教えてくれる動画が見られるんですか!? これは見逃せませんね~~!!(テレフォンショッピング風感謝のコメント
@gundamTaro1192
@gundamTaro1192 8 ай бұрын
孔丘(あなおか)君が周推しで再建したとされる儀礼、実際は春秋時代に改変されまくったソレでしか無かったと知った時は悲しくなりましたねえ😅
@murasame_yosiuzi
@murasame_yosiuzi 8 ай бұрын
文王が出てきた時に丘くんがムホホって言いながらハート目になるの好き
@user-jb1yy5xe6t
@user-jb1yy5xe6t 8 ай бұрын
孔子とかいう文王推しの周王朝ヲタク
@user-fo3yr6ql7w
@user-fo3yr6ql7w 8 ай бұрын
長尺でも安定の面白さ、ありがとうございます。 後に戦争の口実(因縁をつけるとも言う)に使われ、「何時の話やねん!」と思いつつお返しに惚けた返事をしたという歴史イベントの口実にされた人が登場する後編も楽しみです。
@kappanouen
@kappanouen 8 ай бұрын
周王朝は建前では800年続いたことになっていてこれまでも「いやいや周が機能してたのは西周の頃だけで実際は300年弱だよ😗」って話になってたんですが 三監の乱が内紛ではなく未だ従わない東方勢力(殷の遺民)との戦争の延長であったり、その後昭王が南西に失敗し周の常備軍(六師)が崩壊したとか、古来思われてたより”更に”周がまともに機能してた期間って短いんですよね
@user-zo2gt2sw1n
@user-zo2gt2sw1n 8 ай бұрын
ただ同時に、金文の発掘から古公亶父や季歴が実在の人物で、殷王朝の文化をかなり高く取り入れ、“もう一つの王朝”になりうる存在として農業面でも発展したことが分かってきたので、「周」の栄えた時代というのは前にずれ込んだという印象もありますね。
@ravilsan1987
@ravilsan1987 8 ай бұрын
昭王の遠征失敗で武断政治の限界を露呈し、繆王以後は神権政治色を出すようになったと
@user-dw6qm2oh4p
@user-dw6qm2oh4p Ай бұрын
殷と周では青銅器からして大きく異なりますよね。 殷の儀礼的宗教的な壮麗な造形から、周はデザインが大きく簡素化される一方、実用性のため種類も増える。 金文が周代に集中するのも、青銅器の祭器が王家だけでなく諸侯や貴族に汎用化していったから、というのを大学の書道の講義で聞いたことがあります。
@miohayakawa2385
@miohayakawa2385 8 ай бұрын
現代の米中関係によく似てますね。 米国の先端技術や欧米資本を利用して近代化及び高度成長を果たしつつ、米国との良好な関係から対等な関係へ移行し、果ては米国の覇権をうばおうとした。 秀吉政権と家康政権の移行に於いても似たような状況が認められますね。前者はことを急ぎ過ぎ、後者は時間を味方に付けた。(権力構造が集中しているか否かもまた結果に影響しているかとも思われます。)
@suzupap2008
@suzupap2008 8 ай бұрын
この辺の経緯が元になった歴史小説が宮城谷先生のデビュー作、王家の風日ですよね。 紂王暗愚暴君説は宮城谷さんも採ってなくて、 1.受は前王帝乙の三男だったが、生母の位が高く、一番利発で、膂力も強く前王に愛された事から嗣子となった 2.帝乙は殷の国力が衰え、殷王がどちらかというと宗教的アイコン化されがちなことを嘆き、逆に神の言葉を代弁できる立場を使って、絶対的な専制的な存在、帝であろうとした。 2.その父の姿を見て育った受は、言うたら項羽的なスーパー太子でもあり、冷酷なまでに合理的貴族的声質だったため、専制王、帝を政治的武力的に引き継いだと思い込み、諸侯に圧力をかける 3.それは独自の力を蓄えつつあった諸侯には相応にウザい事で各地で反乱が起こる。みかねた前王の弟箕子や、干子が諫言するも、自らは改革者で合理主義者と自負する受は関知しない。 4.そうするうちに西方の大勢力となりつつあった姫昌は、父季歴を弑された恨みをひた隠しで面従腹背を続けつつ、わからないように周辺諸国を切り取りし、自己の力を蓄える。これを崇侯虎にバラされ、息子伯邑考と共に幽閉される。更に伯邑考を煮殺しそのスープを飲ませる。など苦しめるが昌は耐える。 5.危機一髪のところ、太公望の諜報により実は崇侯虎が讒言しただけで姫昌は無実と受王は思わされてしまう。結果、自分の姉の息子でもある姫昌を信用して西伯に任命、諌める干氏を誅殺、箕子は狂人として幽閉する(これらの事にも周側の諜報がある。) 6.そのようにして優秀だけど独りよがりでなんでも自分で決めようとする受王の弱みをうまく揚げ足とった周側の調略勝ちで牧野の戦いは進められ殷は滅ぶ、的な流れをストーリーにしていて、あんな即物的過ぎる金文、史書の類いをどんだけひっくり返せばこんなに中身のあるストーリーになるんだろうと感嘆した覚えがあります
@user-dk4nh6yr6y
@user-dk4nh6yr6y 8 ай бұрын
このチャンネルの初期の頃の周王列伝の動画の実質リメイクですね。 古公亶父や季歴が当時の甲骨文にも刻まれた実在の可能性が高い人物だったのは初めて知りました…。 第二次克殷の時の金文などに周公旦の名前がないのは成王の代理みたいなものだったか、あるいは宰相みたいな感じで諸侯に王の命令を伝える地位にいたためじゃないかと思います。 また、史記に康王の時代は平和な時代だったとありますが、それは単に食糧生産量が上がっただけじゃないかと思います。(この時代にやたらに対外戦争をやっていた事を考えると、戦争できるだけの財力等の蓄えもあったんじゃないかと。)あるいは周の本拠地である中原地域は太平そのものだった事を表していたか。(平和→農民が安心して農業に励める→農作物の生産量増加→人口も増え、国力増強→対外戦争を行う)
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k 8 ай бұрын
丘君久し振りー 0:34 更に「その幻想をぶち壊す」で追い討ちな展開になるのかと思いきや意外と穏当に終わりましたな
@user-gt6sz1gf5d
@user-gt6sz1gf5d 8 ай бұрын
儒教は滅びぬ! 何度でも甦さ!!! 儒教の力こそ中華の夢だからだ!
@qoamb410
@qoamb410 8 ай бұрын
「一沐に三たび髪を握り、一飯に三たび哺を吐き、起ちてもって士を待つも、なお天下の賢人を失わんことを恐る。一沐三握髪、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下賢人。」(十八史略 周)なんて話しがありましたね。「握髪吐哺」なんて四字熟語の語源の様ですね。周公旦の息子の伯禽が、新たな領地に封建され赴く際に、周公旦から語られたアドバイスだった様ですね。素人ながら、鳥人間様の史書だけでなく銘文(物証)も追っていく、考古学の考え方はさすが研究者なんだと感じました。面白かったです。長文すみません。
@hirokage9427
@hirokage9427 8 ай бұрын
面白い動画ありがとうございます!
@c-history
@c-history 8 ай бұрын
ありがたや……ありがたや…… お心遣い、大変励みになります!
@user-kk5dz7bu3y
@user-kk5dz7bu3y 8 ай бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 8 ай бұрын
ご支援いただき、感謝感激雨霰でございます!! ありがたきことこの上ありません!!
@hirosat5269
@hirosat5269 8 ай бұрын
殷滅亡後に出てくる三監の乱を起こした彔子聖(武庚祿父)やその終息後に旧殷領を任された微子啓は、彔や微が甲骨文で地名として出てくることから、その地を統治していた人物だとも言われている。つまり 地名 + 子 + 個人名 という構造になっている。
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d 8 ай бұрын
特別ゲスト孔丘氏も早い退場だった(笑)。それはそれとして、殷と周の関係は良好な時期もあったとは意外。ただ、殷を滅ぼしてからも戦いに明け暮れたようで、前途多難に見えてならない。後編を待っている。
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん 8 ай бұрын
いつも解説を聞きながら、頭の中でその当時の光景が繰り広げられている。 そして、殷周時代の解説を聞く度に思う。 この時代にこの設備に装備でこの戦い。 こんな国と戦って勝てる民族他にいるのか? ………騎馬民族がいたか。
@user-hd8bc9wq5d
@user-hd8bc9wq5d 8 ай бұрын
「今度の仕事はなんですかな」「うむ。銭はないがな、黍だけは腹一杯食べられるという仕事よ」「面白そうですなぁ」
@tyourea
@tyourea 8 ай бұрын
この頃、北方の民族は大人しくしてたのかな?ある程度、文明が進まないと寒冷地で繁栄なんて出来ないから殷周の時代は、中央の都市での紛争だったんだろうな。
@user-ts1kp3tb5o
@user-ts1kp3tb5o 8 ай бұрын
周の建国譚を聞く限り。 ①周も元は北方民族。 ②何かしらの事情で中央に居られなくなった人達と北方民が共存していた。 何れにしても、周は中華史の定番である。勢力争い負けた周が一族郎党を引き連れて殷に臣従し、北方民族との国境地域を与えられ。海外でいう所の辺境伯みたいな事をしていたのではないかと😊 そして①ならば、自分達にとっては本来醜態でしか無い父祖の地を追われた話しを建国譚に入れた理由も説明がつきます。 周は後の唐の太宗達の様に、北方民族出身であった事を中央統治の都合状無かった事にする為に、上記の建国譚を作った。 そして孔子の様なインテリ層が、異民族に亜大陸を支配されている事を苦々しく思っていた一派がそれに乗っかったのではないかと😊。
@takashi-aoki
@takashi-aoki 8 ай бұрын
禿頭王シャルル2世的存在?
@user-qr3sx7vh6i
@user-qr3sx7vh6i 8 ай бұрын
丘くん「孺子がァ!」 笑った
@user-ch6kg1xe2u
@user-ch6kg1xe2u 8 ай бұрын
もともと「紂王」って名前も後づけだからなあ 逆に紂王が平凡な王で、度重なる戦で殷の国力が衰えたのを見て周が下克上をしたって話があっても面白いな
@user-mg4fu5wq2o
@user-mg4fu5wq2o 8 ай бұрын
丘「空前絶後のォ!!超絶怒涛の聖宰相!!周を愛し、孔丘に愛された男!!」 十万人記念で丘くん回作ったりしませんか?
@user-ryokutya03
@user-ryokutya03 8 ай бұрын
郁郁乎として文なるかな〜 周公旦動画以来ひさびしのオカくん登場に笑い涙が止まりませんww なんなら今回は本物だから初めましてなのかな…w 苗木からまた育てたオカくんの登場も楽しみにしてますww
@akihikomaeda7080
@akihikomaeda7080 8 ай бұрын
お疲れ様でした。今回も素晴らしい動画をありがとうございます。「周」というと多くの場合、東周、つまり春秋戦国時代の諸侯に目が行きがちですが、西周に着目するとはさすが鳥人間さんだと思いました。次の機会には諸侯に翻弄された東周王朝そのものについてご教授ください。あと、北周、武周、後周といった他の周もお願いします。 m(_ _)m
@user-kr7nm3gh2l
@user-kr7nm3gh2l 8 ай бұрын
Thanks!
@c-history
@c-history 8 ай бұрын
いつもご支援いただき、感謝!感激!です!!!! ご厚意痛み入ります~~~!!
@seattleslew2332
@seattleslew2332 8 ай бұрын
「やれそうだからやった」 後世の人間は納得できる理由を求めるけど 案外そんなもんかもね
@hirokage9427
@hirokage9427 8 ай бұрын
本能寺の変も結局それが理由かもしれませんね
@seattleslew2332
@seattleslew2332 8 ай бұрын
@@hirokage9427 まさに本能寺の変を思いながら書きました
@user-sd7wl4zg4z
@user-sd7wl4zg4z 8 ай бұрын
古公亶父を追いやった薫粥は音の同位から匈奴であろうと言われている。また鬼方も北方民族の一派であるらしい。殷周の頃から北方異民族はやばかった。
@user-ij1iv3ck4c
@user-ij1iv3ck4c Ай бұрын
孔子様はきめぇ丸が化けたな?魔理沙の大力作!素晴らしい!
@777hydyy6
@777hydyy6 8 ай бұрын
やれそうだからやった。これに尽きるでしょうけど、成功するのは稀。
@bunny_o312
@bunny_o312 8 ай бұрын
皇帝や重臣の冠(被り物)がどのような構造でどんな意味があるのか気になりました。
@nassakamu518
@nassakamu518 8 ай бұрын
丘くんなら語録だけで会話できそう。
@MrDeha6450
@MrDeha6450 8 ай бұрын
周が譜代大名の立ち位置にある人を封建するあたりは徳川幕府と同じだなーと思いつつ、宗家当主は洛陽にいていわば「老中」の仕事をする、領国は分家に任せるというスタイルは「あ、中国では参勤交代は無理か、でかすぎてw」と感じたものです。また度々「東夷」と呼ばれる敵対勢力が出てきていたのも印象深いです。山東エリアに勢力があったようですが、甲骨文で明らかになった周との戦いに敗れたその後どうなったのか気になります。船で海に漕ぎ出して日本人(弥生人)になったグループもいたのかも?
@ravilsan1987
@ravilsan1987 8 ай бұрын
周というのは元々後世犬戎西戎獫允と呼ばれるような西方の牧畜民の同系統の人々だったという説がある。
@intelljp
@intelljp 8 ай бұрын
西周王族の遺骨調査では、Y-DNAがNになってます。北からやってきた可能性はありますね。 伝承だと、黄土高原北西部から遊牧民に追われて中原に来たことになってます。
@kappanouen
@kappanouen 8 ай бұрын
『シュウ』も『ジュウ』の一つだった可能性はありますね それを殷王朝側の認識で「(殷と)言葉が伝わる(『口』と『用』で『周』)」勢力を”周(シュウ)” 「兵器を用いて相対する(『戈』と『甲』で『戎』)」勢力を”戎(ジュウ)” と(元々は殷王朝側の都合で)当てる文字を変えた結果の果てに別個と現在認識されてるのかもしれません
@user-rz2bg5pi4h
@user-rz2bg5pi4h 8 ай бұрын
歴史が後世ねじ曲がって伝わるというのはままある。 その場合、「権力者が自分に都合の良いように歴史を書き換えたんだ」という人が多いけど、そういう場合もあるだろうが、殷周革命等もだけどどっちかというと、権力者云々以前に後世の人間が自分が理解しやすいようなストーリーに当てはめたってのが正解に気がする。 現代の人も今の価値観で解釈してるわけで、そういう傾向は多分にあるし、殊更「我こそ歴史の真実を発見した!」と言いたがる在野の歴史家にその傾向の人に多い気がする。
@user-ee8db2cv6c
@user-ee8db2cv6c 8 ай бұрын
西周の故地は、後の歴代王朝の繁栄を約束したのも、何かしらの運命ですね。
@user-sb7jv8kh7n
@user-sb7jv8kh7n 8 ай бұрын
この時代の後 衛の武公や鄭の荘公が出てくると思うと胸熱w
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 8 ай бұрын
奇妙丸や茶筅丸や捨て拾いなど、幼名の言霊的なつけ方が 面白いすね。嚔の後のちくしょう!や老人が霊場を案内する時に取り憑かれないように 罵詈雑言を言い続ける逸話から2ch発祥の退魔術まで。 我々は長く漢字由来の言霊の 文化にいるのがわかりますね。
@user-mn5di9pi7n
@user-mn5di9pi7n 8 ай бұрын
昭王〜!💦 流されてる💦😱 次も見なくちゃ! 楽しみです! 丘くんの前歯2本🦷 可愛い😍🤣
@user-ij1iv3ck4c
@user-ij1iv3ck4c Күн бұрын
丘君の理想と夢想のおかげで、周って一切争い事も無く民は安穏であったと思ってたぜ。とんでもない!戦に行った王様が川で流され消えさるほど毎日戦してたとは?
@user-kf9hy5fr9s
@user-kf9hy5fr9s 8 ай бұрын
紀元前1000年ごろの記録が残ってるのがすごいわ!
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 8 ай бұрын
まあそれよりさらに2000古い記録がエジプトやメソポタミアなどにはザラにありますけどね。
@roseqingjiao4626
@roseqingjiao4626 8 ай бұрын
@@FREEDOM-vv3wuこれ何のマウント?
@user-ek2qd9px2k
@user-ek2qd9px2k 8 ай бұрын
黍大盛りで来てくれる孔子が素敵w
@madmotor
@madmotor 8 ай бұрын
次回は丘くんが憤死するんでは。 いつか丘くんや儒教についてもやって欲しいです。
@user-ye9xg9mo4z
@user-ye9xg9mo4z 2 ай бұрын
周公・旦、召公・セキ、畢公・高ときて、太公・望なら、太て国名の可能性はないんですかね。一人だけ諡的な使われ方で太公てのも。不思議。
@Legendary_mapo_tofu
@Legendary_mapo_tofu 8 ай бұрын
横山光輝、殷周伝説を読んで待ってました!
@user-vc6iq9pm8k
@user-vc6iq9pm8k 8 ай бұрын
『三監の乱』は三監が起こした反乱じゃなかったかもしれないとは。。。。。『地下からの新発見』恐るべし!! 丘くんVS金文、金文の圧勝劇だったのでしょうかね♪
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん 8 ай бұрын
丘君は殷周時代から大分後の時代の方だし、案外と新発見を喜んでいるかも知れませんよ?
@user-vc6iq9pm8k
@user-vc6iq9pm8k 8 ай бұрын
丘くんは彼の政治思想を多分に、歴史としてブチ込んできたであろうから。。。 不都合な事実がいっぱいあるんじゃないでしょうか。
@user-dm4eo6tp7n
@user-dm4eo6tp7n 8 ай бұрын
孔子さんの頭からきびをたくさん入れるとお腹からポップコーン出す機械ありましたね、なかったか
@mukutinausagi
@mukutinausagi 8 ай бұрын
孔子がBIG LOVEとか英語で興奮してて、シュールで面白かったです
@O-mega51
@O-mega51 8 ай бұрын
秀吉の子に『捨』と付けたのもこの后稷の故事が関係してるとかかな?
@suwakaji1
@suwakaji1 8 ай бұрын
次回、「褒姒が笑う」 幽王の涙をみる!
@bwjbb475
@bwjbb475 8 ай бұрын
こんばんは。サッカー好きな鳥人間さんだからいつか来るだろうと思ってたロドリゴ・シウバ・デ・ゴエス。ネイマールの後継者。まだ22歳! 今日の番組のテーマは西周。スペシャルゲストは丘くんでお送りします。その時不思議な事が起こった?太陽の使者なのか?后稷! なんか殷と周の関係って豊臣家と徳川家ですな。姻戚関係だけどやれる時にやったとか特に。確かに身長2m超えのオジサンが号泣してるとか怖いw アッガイたんじゃありません。周公旦ですww色々と発掘されると史書だけではない物が浮かびあがるね。大変勉強になるなる!!後編に期待。中編もある? そうか日本の朝廷のある都(平安京など京都とか)の周辺を畿内というのも周から来てたのか。
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 8 ай бұрын
孔子は身長247サンチ体重47貫の中国思想史上の大巨人で 周王に襲いかかった河馬🦛を 正拳突き一撃で倒したことにより太公望と呼ばれたんですよね彼の宝貝パオペイは体重を乗せた踵落としで第二回K1グランプリでアーツを倒して優勝したとか。
@user-rb1eg8qj6s
@user-rb1eg8qj6s 8 ай бұрын
いつも楽しみに観ております。実を言うと五胡十六国時代とか南北朝時代にあまり詳しくないのですが、ヤベー奴が沢山出てくるのでビックリしながら観ています。初心者にも優しい動画があるととても助かります。リクエストなのですが、印綬や駅鈴の種類や歴史について取り上げて頂けたら嬉しいです。長文失礼致しました。
@taknar4020
@taknar4020 5 ай бұрын
こっそり「コココココ…」って言いそうな唇大将軍が右下に現れたり 荊蛮の地に行くのに軽バンが走ったりw
@user-pf1ii4mg1q
@user-pf1ii4mg1q 8 ай бұрын
孔丘をあなおか君呼びジワる🤣
@user-dk8kk6wl8q
@user-dk8kk6wl8q Ай бұрын
平安時代を上回るのがすごい
@kayakugohan350
@kayakugohan350 8 ай бұрын
孔子「三監・・・さんかん・・・三桓・・・うっ頭が」
@user-yz9vb6sc7e
@user-yz9vb6sc7e 8 ай бұрын
チャンネルマスコットキャラクター丘くんの再登場に視聴者歓喜
@hietahappousai
@hietahappousai 8 ай бұрын
🐌孔子くん!バイアスはかたよらせたらいけないぞ!!
@ikojiku
@ikojiku 8 ай бұрын
案外、この頃の中華世界より縄文世界の方が平和だったのかな さすがは丘くん、悠久の時を超えて饅頭の解説にも参加されるとは
@user-id8es8hi5o
@user-id8es8hi5o 8 ай бұрын
近年では周の成立がちょうど弥生時代の始まりであるとされ、前2000年(竜山文化末期)に頃には日本でも農耕が始まっていたという研究があるようです もしかしたら、渡来人とは敗北した国の臣民なのかも?
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん 8 ай бұрын
もしかしたら、戦乱を嫌って中原から逃げ出し、平和な縄文世界に行き着いた。 そんな人もいたかもしれませんね。
@zu_n_i
@zu_n_i 8 ай бұрын
うおおおおおおおおお🎉🎉🎉
@alien_kids
@alien_kids 8 ай бұрын
オカくん大人気(かくいう私も周公旦動画でハマったくち)
@user-zo6ll6eq1x
@user-zo6ll6eq1x 8 ай бұрын
前から疑問なんですが、肖像画ってどの時代から本人を基に書いてるんでしょうか。 流石に孔子は後世の想像ですよね?
@user-ch6rg1bt3v
@user-ch6rg1bt3v 8 ай бұрын
僕らの戦い😊
@user-zd6jk4vf9r
@user-zd6jk4vf9r 8 ай бұрын
管叔鮮は反逆者じゃなかった… 苗字で散々いじられてた管仲に教えてあげたいよ…
@daikon_yakusha
@daikon_yakusha 8 ай бұрын
周王朝連載シリーズの総集編であったか。 しかし丘くん、呼ばれた割に扱いが不憫w
@user-br5ln8wu5w
@user-br5ln8wu5w 8 ай бұрын
丘くん、なんか某普通のゆっくり解説の普通の仏教徒みたくなってきたな😂
@enchopicopico
@enchopicopico 8 ай бұрын
どっかのチャンネルのハゲシャルルとも重なる
@servantofJ
@servantofJ 8 ай бұрын
奴らに比べればレア感は保たれてるけどな
@japyellowmonkey3736
@japyellowmonkey3736 8 ай бұрын
パイモン
@user-vn5qx3kk7z
@user-vn5qx3kk7z 8 ай бұрын
某普通の仏教徒も某シャルルも知ってる自分がいる・・・
@japyellowmonkey3736
@japyellowmonkey3736 8 ай бұрын
@@user-vn5qx3kk7z me too
@user-fh4wh7gx7s
@user-fh4wh7gx7s 8 ай бұрын
やれそうだからやった そりゃそうだ。明智光秀だっていろいろ考察されてるけどやれそうだったからやったんだろうよ。 見積もりが甘すぎたけど
@TY-pf8bd
@TY-pf8bd 8 ай бұрын
丘君www 現代に丘君がいたら本当にこんな偏愛の激しい人物だったかもしれませんねwww
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 8 ай бұрын
丘、エースをねらえ!
@user-fw9qr5ru5o
@user-fw9qr5ru5o 4 ай бұрын
孔子が周を理想としたって言っても見た事も無い周の幻を追ってただけで、周の何を知ってたと言うのかなぁ?儀礼的で何も生産的な事をしないで孔子さんは如何やって生きて行けると思ってたのかね?
@shou-sho
@shou-sho 8 ай бұрын
甲骨文は亀に書くから文字も少なめだけど、金文は青銅器に書くから長文も多くて歴史を塗り替える発見も多いですね
@tatchstone695
@tatchstone695 8 ай бұрын
鳥人間さん・・・すげぇよ
@karashi88
@karashi88 8 ай бұрын
最近暴君ラッシュを見るのが好きです
@intelljp
@intelljp 8 ай бұрын
孔氏は、殷(商)湯王の子孫ですね。湯王は、子姓で天乙、子+乙で「孔」です。 漢代に孔氏一族が優遇されたのも、前々王朝の代表者という側面もあります。
@user-we9ju9fk6l
@user-we9ju9fk6l 8 ай бұрын
現在孔家過的也不錯,大陸台灣還有孔家人,就是孔子後人在大陸名聲不太好現在
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん 8 ай бұрын
孔氏の出自、初めて知りました。 また、現在の台湾では評価が高く、中国本土では評価が低いと云うのは文化大革命以降の事情の為でしょうか。 このチャンネルはコメントも勉強になります。
@user-we9ju9fk6l
@user-we9ju9fk6l 8 ай бұрын
​​@@まんまるあやちゃん有點文革和共產黨的原因,但其實現在大陸每年仍然有祭孔的典禮(今年我這個小城市都有),還有中共官員出席和主持。這個時代的共產黨和毛澤東的共產黨時代不可同日而語😂。也就嘴巴上說個共產了😂
@recordam
@recordam 8 ай бұрын
おか君て聞くと何か学年成績トップのサッカー部のキャプテンのような気がするw
@user-ok6tp9up8l
@user-ok6tp9up8l 8 ай бұрын
荊蛮に軽バン(エブリィかな)を持ってくるセンスが最高(笑)
@user-yi2tk4du5d
@user-yi2tk4du5d 8 ай бұрын
畿外が転じて化外の地になったんか?
@heiho_ita
@heiho_ita 8 ай бұрын
王莽も目指した周の時代😃
@user-gp4uy4ng7l
@user-gp4uy4ng7l 8 ай бұрын
周の武王「討っちゃうんだなぁ、これがぁ!!」
@user-tx5ge2nw7t
@user-tx5ge2nw7t 8 ай бұрын
ーコメです、西周
@user-rv3ov9oe1y
@user-rv3ov9oe1y 8 ай бұрын
空気扱いの東周史もお願いします!
@user-do2xm4oc9n
@user-do2xm4oc9n 8 ай бұрын
とんだ「シュン」違いとおもいきゃ舜は俊とも書くというのはこのチャンネルの視聴者には初級編
@user-ji7sj9tf6i
@user-ji7sj9tf6i 8 ай бұрын
中国という言葉が初めて出てきたとありますが本当にまるで空からみたような位置をなんで分かるんだろ?ぶっとんだ俯瞰能力としか思えない(笑)
@satosin2660
@satosin2660 8 ай бұрын
『西周』と書いてあると、どうしても『にしあまね』と読んでしまう
@kappanouen
@kappanouen 8 ай бұрын
黍大盛は草😆🍚
@mamakurono7386
@mamakurono7386 8 ай бұрын
軽バンかい😂
@tanakayuto148
@tanakayuto148 8 ай бұрын
にしあまねきたああああああ
@ROMsen-LurkingLamb
@ROMsen-LurkingLamb 8 ай бұрын
困ったらロドリゴよね。
@user-gt6sz1gf5d
@user-gt6sz1gf5d 8 ай бұрын
お久しぶりです。丘くん! あ、でも前回塩漬け肉を投げつけられて爆散したから二代目丘君か。 20:29 調べてみましたが、孺子って青二才って意味があるんですね…じゃあ前漢最後の皇帝の孺子嬰は青二才のクソガキって意味じゃないですか!? 史書に書いてあったことが当時の文献と合致して初めて歴史として認定されるから金文のようなものが残ってない日本の神話を認定するのは難しいな…日本も土からなにか史料がでてくるのを待つしかないのがなんとももどかしい。 追記、丘くんへ❤ 今回は爆散せずに地下の国に帰れて良かったね😊でも、次回は犬戎に鎬京がNTRされるから私と一緒に脳を爆発させようね💥
@suzupap2008
@suzupap2008 8 ай бұрын
これは他には無いコンテンツ。孔子が理想とする成王からの西周時代が、結構無骨な鶏卵時代であった事踏まえたら儒教壊滅的じゃんね
@yo-sea-private
@yo-sea-private 8 ай бұрын
予定通り前編😂
@yanman09
@yanman09 8 ай бұрын
孔子「吾いらなくね?」 笑うわ
@user-se4ts5gl2x
@user-se4ts5gl2x 8 ай бұрын
天命を受け(自己申告)は草。
@user-yj7bd4kg5n
@user-yj7bd4kg5n 8 ай бұрын
孔子君はいらないかな😂
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