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鳥人間 中国史三昧
Күн бұрын
Пікірлер: 255
@m袖
Жыл бұрын
Thanks!
@c-history
Жыл бұрын
いつもご支援いただき、感謝……圧倒的感謝でございます……! お陰様で白目を剥きながらも何とか定期投稿ができています……!!
@nekozame_history_fan
Жыл бұрын
英雄のエピソードもいいけれど、こういった軍制の話が大好きです。
@山神新樹
Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
Жыл бұрын
ご厚意、いつも大変励みになっております! 今後も精進いたします~~!!
@納布二六
Жыл бұрын
17:40 自ら東方いいだしてループに陥る霊夢ちゃん大好き
@名無しの権兵衛-t5s
Жыл бұрын
弩やクロスボウの射程は風に左右されるので、曲射が出来る長弓や複合弓より実際の射程は短いと思われます。 しかし、これ程の兵力を食わせるには現地収奪しても足りないので兵站が知りたいですね。
@wp9637
Жыл бұрын
太平記っていう数十万がぶつかり合うイカれた軍記物をもとにした本を幼少期に気に入ってしまったせいで、学生になってから世界史における戦争の規模感をつかむのにしばらく苦労した…
@覇王花-r9u
Жыл бұрын
自分から東方ループに嵌って抜け出せなくなる霊夢ちゃんほんと好き。
@naoki080808
Жыл бұрын
楽毅の斉戦勝記念碑と言われる燕下都遺跡で、埋められた頭骨が推計3万ですから、戦国時代は本気で10万超の軍勢の激突があったようですね。 長平はちと数が多過ぎとは思いますが。 秦は首級で褒賞が決まるので水増しがありそうですが、白起があれだけ破格のキルスコアを記録されているなら、一度に10万人はやってそう
@ハンブラビ法典
Жыл бұрын
ちょうど宮城谷先生の「春秋名臣列伝」「戦国名臣列伝」を読み返していたので、この動画はタイムリーでした。 魏では呉起が、斉では孫臏が軍制改革を行なっていたというところを読み返していましたが、数値で各国の軍事力を示されると、また具体的にイメージできて楽しさが増します。 微妙な国力の燕が斉を滅亡寸前まで追い込んだことを考えると楽毅の統率力の凄さを実感するし、軍制のみならず国家そのものを戦争に向けて変えてしまった商鞅の変法の凄味をあらためて感じます。 その体制に加えて白起や王翦という将星が現れたのだから、それは秦が六国を圧倒するよな…と納得しました。 白起はどの国にいても天才を発揮したでしょうが、王翦は特に秦の軍事力を存分に活用して勝った人という感じがします。
@Gobledeegook_JP
Жыл бұрын
気象学と考古学と農学の連携で、当時のエーカーあたりのカロリー数から軍隊規模とか測れるようになったらイイナー
@xukane0103
Жыл бұрын
可能だとおもう。例えば日本の古代中世の米の生産能力は推定できてるらしいし、気象についても文書記録や木の年輪などで推定できる。 まぁ古代の生産力と技術力で数十万も編成・管理できるかは相当怪しい。 また、軍制改革だけで兵力が10倍になるわけでもないしそんなに動員したら国内生産が崩壊するので(ラザール・カルノーでも不可能)、戦いが激化して数字を大げさに宣伝しただけだと思う。
@風雲丸-w4l
Жыл бұрын
新たな発明が色んな分野で拡大していく事ですか。 解説お疲れさまです。
@谷津邦夫
Жыл бұрын
弘安の役の時の元軍は兵力15万人前後でしたので、近世以前でも十万単位の兵士は普通に運用できそうですね。 中世でも10万人以上が海を渡って日本に到着できたので、陸続きの大陸ではもっと多くの兵士が運用できると思います。
@kamenoko4413
Жыл бұрын
紀元前の頃でも、激しい戦闘に耐えられる位、車輪が実用化されていたのは驚きです。その後の戦車衰退は、農地拡大に伴って用水路が障害になったことも、原因みたいですね。
@tomo4760
Жыл бұрын
動画アップお疲れ様です
@tokishp
Жыл бұрын
春秋戦国時代の兵力は多すぎるので1/10で考えろとは言われますが、 1/10にしても長平の戦いは数万同士の戦いですからね それを支える兵站や武器、指揮系統なども揃っていたわけですから 当時の中国の文明レベルの高さが伺えます
@無暗道人
Жыл бұрын
たまに聞く戦果を10倍にして報告する慣習だけど、あれ後漢か三国時代だったかに「国内の戦で討ち取った首級が多いのは、反乱軍が多いということで恥とすべきだ」と実数を報告した将がいたというから、対異民族戦限定の習慣の気がする。 それも文明化された中華とそれに対する蛮夷という概念を前提にした思想だから、秦漢以前の時代にそういう慣習があったかどうか。
@intelljp
Жыл бұрын
秦の事例ですが、兵糧は徴集兵が動員された地から輸送することが原則だったようです。戦場が遠隔地の場合、非合理的にも見えますが、徴集兵の一部が輸送専門の輜重兵になると考えれば納得はいきます。 また、秦律では、郡・県の軍事輸送への干渉の禁止、軍事輸送の民間委託の禁止が明記されてます。このことから、兵站機能が一般の行政系統や民間から独立して機能してることが推測されます。要は軍の一部として兵站機能があるということです。 動員兵力には輜重兵が含まれ、戦役規模が大きくなればなるほど輜重兵の数も必要とされ、結果的に数十万もの大兵力が動員されるということだと思います。
@みあ-m8g1d
Жыл бұрын
多少、誇張はあったと思うが、司馬遷は嘘を付いていないと思うぞ。兵糧部隊込みで50万人とかなら有り得るだろう。
@you1six
Жыл бұрын
まあ秦一国で100万人の兵力動員とか有り得ないからね。 近代の軍国日本の兵力が700万人。これは人口の10%ってところで国家リソースの大部分を充ててもその辺の数字が限界なんだよ。 この10%をそのまま当時の秦に当てはめて秦が100万人動員できた場合、秦の総人口は1000万人を有していたことになるから、通説の中華総人口が破綻しちゃうんだよね。
@ねおぞえ
Жыл бұрын
常備兵じゃなくて国内の兵役適性年齢の成人男性を総動員かけたら100万人なんじゃないですか?秦は国民皆兵だったはず。戦国時代末期の楚攻めのときに王翦が当時の始皇帝に求めた兵力60万が、秦の動かせる総兵力だったので預けるのに躊躇した話があったはず。斉と楚以外の国を滅ぼしてた秦でそれなら辻褄は合うと思います。
@akihikomaeda7080
Жыл бұрын
お疲れ様です。今回も素晴らしい動画をありがとうございます。視ていて日本の応仁の乱から戦国時代への成り行きが似ていると思いました。我が国も「足軽」の登場により言わば大規模な歩兵戦主体に変わっていったと…… 違うかな。😅
@SpeedyGuy_11451YO
Жыл бұрын
このチャンネルの動画でスーツの紳士を見ると新鮮!
@masuo64
Жыл бұрын
サムネで毎回雑コラしてくれるのが、割と好きだったりします。
@濱本貴寛
Жыл бұрын
春秋時代から戦国時代へ、戦車戦から歩兵中心の集団戦法へ変えた武器が『弩』と『連弩』 一応、戈を縦に三つ付けた長柄武器も有りましたが、弩や連弩の威力には敵いませんね。
@蒼い月-j2g
9 ай бұрын
戦国時代、鉄製農具が普及したのは知ってたが、鉄製の武器はあまり使われていないのは知らんかったな… 普通にガンガン鉄製武器使いまくってると思ってた
@話ズ
6 ай бұрын
@user-zx1kv7bs8r 鉄製っつっても弱いからなあ。でっかい鉄の塊みたいな鈍器なら作れるけど、重くて疲れるだけで全く戦えないし、細い剣みたいな物を作るとこの時代の鋳造では折れちゃうんだよなぁ。農具なら精巧じゃなくても生産数で圧倒できるし。 加工のし易さは青銅の方が格上だし、丈夫さや殺傷力で言えばめちゃくちゃ強いんだよねえ。
@engawanoneko2435
Жыл бұрын
前提として時代によって数字の盛り方にもトレンドが有ると思います (日本でも南北朝時代と戦国末期の数字の盛り方には明らかに違いがあります)
@alwen2600
Жыл бұрын
2:21 サブリミナル岡野
@奈良岡昭宏
Жыл бұрын
殷や周、春秋戦国になっていくにつれて、国家の形態も「都市国家」から「領域国家」へ移っていったとか、胡服騎射にあるような異民族の戦い方などの、いわゆる「環境」の変化によって変わっていったと思います。
@前原勇介
Жыл бұрын
浸透襲撃さんの動画で、軍の補給について勉強した後だと、この春秋戦国時代の数十万規模の大軍の軍事行動で、どのように補給がなされたのか、気になってしまう。漢の全盛期でも人口は5000万程度のはずなのに、本当に記録にある数の兵が動員できたのか?
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
これが匈奴なら可能(誇張はあるにしろ、人口の大半を軍に割ける)ですがね。
@harigane4773
Жыл бұрын
秦嶺山脈を徒歩でガンガン越えてくるイカれた敵国に、 横の当たり判定が広い曹真。懐かしい…
@KOUMORIish
Жыл бұрын
@@FREEDOM-vv3wu「いつかやる 」さんの戦術解説によると後世のモンゴル軍でさえ一度の戦いに動員していたのは多くても10万程度なのだが。ホラズムやイスラム諸国や欧州の戦闘では2万から8万だったと思う。それを踏まえた上で当時の単于はチンギス・ハーンより多くの兵員を動員できたのだろうか? 自分はチンギス・ハーンからオゴタイ・モンケ等の時の方が多く動員出来ていただろうと思う。
@新党司馬遷
Жыл бұрын
兵役に該当する成人男子の総数=総動員時の動員可能兵力 と、実際に戦力として戦う数は別物なのだと考えられます。 紀元前216年当時ではイタリア半島1000万人程度でしかないローマが、カンナエだけで8万6000兵、その後のポエニ戦争では20個軍団=20万人を10年以上動員し続けたことを考えると、街道に代表される戦争インフラの賜物なのでしょう。秦は「国家を軍隊化させた」ことにより、六国を制したわけだから、軍隊のゆくところすなわち、隧道が作られ、食糧倉庫が築かれた。ローマのみならず、『秦もまたツルハシで勝つ』でしょうか。
@fx9374
Жыл бұрын
これ見ると壊滅状態になった趙の兵力と代の兵力で秦に2度勝った李牧はマジで化け物だな…
@伝説の麻婆豆腐
Жыл бұрын
それだけ動員できる人口と食料の生産力が有ったのかはともかく 戦力の拡大の過程、素人を運用できる弩などの兵器の開発。面白い 日本では戦う人は弓を引けて当り前且つ、弩を真似るだけの技術が無くて、輸入するしかない高級品だったため 日本では弩は普及しなかった説もありますね。名乗りを上げて、一騎打ちとかで、戦い方も根本的に違ったのも有るでしょうけど
@yo-sea-private
Жыл бұрын
ずっと見てると時間軸がバグり気味になるけど、この100万人とかいうとんでもない規模の戦争が紀元前なんすよねー
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
プラス年月ですね。10年単位で戦争なんては当たり前でしたし。
@Saaaaasseee
Жыл бұрын
中華やばすぎぃ
@ゆっくりさん-j5i
Жыл бұрын
17:40 れいむしっかりw
@portero76
Жыл бұрын
個々の動画で紹介された軍制を、横断的に見ると秦の覇業に納得がいきますね🤔
@坂田火魯志
Жыл бұрын
秦の為したことは非常に大きいですし史記にも書かれていますが流石に百万の大軍は当時なくて長平の戦いも実際はその十分の一位の数だったでしょうね。当時それだけの軍を長時間対峙させられるだけの国力があった国は世界になかったかと。
@lan-lw5qu
Жыл бұрын
三国志の時代で蜀の戸籍人口が80万人弱だったことを鑑みても「100万の軍勢」は多く見ても10万実際は5万人ぐらいだろうな。だいたい食い物がないわ。
@茅野カエデ-l4g
Жыл бұрын
補給線がどう考えても持ちませんからね。(水運使ったとしても当時の船なら限界がある)
@hal8079
Жыл бұрын
戦国時代は三国志の時代よりも遥かに豊かで人口も多い 魏の全ての富を集めても全盛期の斉の富には及ばないかもしれない 漢の時代には人口は5000万を数える
@奈良岡昭宏
Жыл бұрын
三国志の赤壁の戦いでも「曹操軍100万」とあるけど、実際は20万ぐらいだったとか。 まあ、敵対勢力の戦意を挫く目的として兵力を誇張する、というのは有りとは思いますけど。
@どじゃーん-u9z
Жыл бұрын
共和制ローマがポエニ戦争で動員した兵力はヨーロッパの資料を信じるなら100万人以上 古代ギリシャの歴史家のヘロドトスの記録を信じるならペルシア帝国ですら対ギリシャに100万人以上の兵力を投入している また蒸気機関による輸送が発達していないナポレオン戦争時にもたった3000万人しかいないフランス本土だけでも何十万人規模で動員しているので大規模な水運を使用できる中国の記録を誇張と断言するのはどうかと思います
@naoki080808
Жыл бұрын
後漢の益州は700万人おり、南部は豪族私有民が多いので総人口はもっとあるよ 補給に関して、秦は魏とか韓とか先進地域に攻め込むから、現地調達が有利なのがズルい
@よう15さん
Жыл бұрын
戦国のすぐ後の、統一後の秦の推定人口2千万を考えると、最大中国全土で50万人の兵力動員なんで、 合戦に実際に動員した兵力は、最大でも敵味方合わせて10万ぐらいだったと思うよ。 まあ、漢籍の言う兵力百万と言うのは、凄く大軍ぐらいな意味なんで、実数では無い事に留意(日本の太平記などもやたら兵力が多いけどw)。 三国志の曹操軍百万と言う感じも、実際の赤壁の曹操軍の推計ではせいぜい15万と言われてるからね。
@邦明鈴木
Жыл бұрын
秦の軍制改革成功の要因は商鞅の変法もそうだっただろうが、一番は戸籍の整備だったんだろう。 秦は詳細な戸籍を作るのが好みだったそうだが、戸籍ほど国の状況を把握でき、国の運営をするのに必要不可欠なものはない。 秦滅亡時、咸陽に入った劉邦は行政・法律文書と戸籍を得た。 最終的に、戸籍から得た情報で異民族を含めた大軍を編成し楚漢戦争に勝った。 戸籍の整備の重要さが分かるし、それを推し進めた秦は正しかったと感じた。
@邦明鈴木
Жыл бұрын
なお、周勃の墓から発掘された俑には軍団を模したものがあるが、服装などから、元・秦の兵士、江南地域の兵士、陝西省地域の遊牧民、少数民族の混成部隊だったことが分かるらしい。
@武闘派のび太
Жыл бұрын
戦車はただでさえ最低馬二頭は必要なうえに高度な運転の技術も求められた。そのうえ地面の凸凹が多い所では使い辛く、山地ではお手上げだったから廃れるのは時間の問題だったと言えよう。それにしても、古今東西、戦は兵の多寡と飛び道具の威力がものを言うようだ。
@尾張の髭
Жыл бұрын
こう話を聞くと秦が勝ち抜いたのは理由が明確だわなあ。身分制度をぶち壊してたからこその郡県制の中央集権が見事に成立してたってことだし
@aaa-zh4wt
Жыл бұрын
結構数十万動員して数万埋めてってのがありますけどそんな事が実際この時代可能だったんですかね? いや、今の時代でもキツすぎますけど
@KOUMORIish
Жыл бұрын
作家の伊藤勢先生は天竺熱風録のあとがきで「中国史書において数字の誇張は文飾のうち」と言っているけど司馬遷が2番目に泣いたのは粉飾された報告書や記録みてだろう。為政者として成功した名君賢臣は誇張された報告書をみて実態に近い状態を想像できるかそれができる腹心がいることだろう。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
唐の時代では前漢など数百年近く前の歴史を見直し、場合によっては修正や指摘(史記の匈奴の記述に対し考察を付ける)をしていたともされます。突厥やアッバース朝など敵対勢力はあったにしろ、やはりそれまでも最大版図を更新、平和が一応長く続いたからこそ出来た芸当でしょうね。
@ざっぱごう
Жыл бұрын
歌は世につれではないが、国の一大事である戦争も国の体制によって、その様相も変わってくるということか、趙兵四十万を生き埋めと言うのは、白髪三千丈的な修辞上の誇張もあるにせよ、長平の古戦場の発掘で大量の人骨が出てきたりはしてないのか(今後の地下からの新死霊に期待したい)あと、野人岡野は、さすがになつい
@bhagavad679
Жыл бұрын
今回もとても面白かったです! ありがとうございます! 「強力なトップによる中央集権・統制管理体制が至高」という意識の根は、戦国時代に形作られた訳ですね 確かにこの時代を抜きにして「中華文明」を語れないのも頷けます
@キンケイド-l9r
Жыл бұрын
平地では戦車が強く 戦車一両の後に約50人の歩兵が続き、戦車が敵陣に突入し相手の戦列が乱した所を歩兵が突入する、 だったはず…
@mukutinausagi
Жыл бұрын
戸籍の整備は重要ですね というか商鞅の改革がチートすぎる
@agegolden1318
Жыл бұрын
食料と兵器のロジスティクスはどうなっとるんじゃ、とか思うよなあ 食料は現地での略奪があったとしても百万人が一挙に来たらあっという間に枯渇するだろうし どうやって長期間戦ったのか
@intelljp
Жыл бұрын
長平の戦いでも、両軍とも兵站線は河川を利用してますね。秦は沁水・秦川水、趙は丹水・蒲水。白起の別働隊も、秦川水を遡上して趙軍の背後に回りこんでます。華北でも、河川機動はかなり重要です。
@中村毅彦-d4e
Жыл бұрын
一書あげれば 増補新版-補給戦-ヴァレンシュタインからパットンまでのロジスティクスの歴史
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
そのために屯田兵がいます。日本なら屯田兵と聞いたら確実に北海道開拓を思い浮かぶでしょうが本来の屯田兵は古代中国における、戦時中陣地内で田を作る兵の事です。10年以上普通に戦をするので、米つまり田が必要になるのです。
@GUMi-mq8bz
Жыл бұрын
中国も、邑や城ごとで居住エリアや勢力範囲が決まって、少し離れると農地や広野だったりの未開エリアが広がってて点と点の移動だったりそれを結んでの支配エリアで未開エリアが山賊の住処とか違法者の逃げた先だったりと住居や活動エリアはすごく狭いものだったと思います。 戦争大規模化というよりは 室町幕府の応仁の乱前後の武家の争いくらいの違いかと。
@KAWACHI102
Жыл бұрын
新兵器によっていままで戦場の主役だった兵種が衰退して戦争規模が拡大していく流れがパイク登場後の欧州や鉄砲伝来後の日本、第一次世界大戦と同じで人間の本質は変わらんのやなぁ・・・と。
@MrDeha6450
Жыл бұрын
生産能力の向上、社会の変化、そして弩(これはほんと光栄三国志をやると猛威をふるいます!信長の野望の鉄砲とどっちが、ってレベルで。そんなもんが日本でいうところの弥生時代にすでにあったというだけで震え上がります..かの始皇帝の兵馬俑にも弩兵いますね!)の出現。あまりにも多くのファクターで、頭が混乱する情報量の多い動画でした。
@まんまるあやちゃん
Жыл бұрын
人間食い詰めれば盗賊とか反社会的団体に加入するか、坊さんになるか、軍人になるしか食べられなくなるよね。 古今東西、戦争の記録は規模を多めにに持って、敵将を優れた強敵と飾るが、取るに足らんと評価し勝ちだよね。 戦争の実像を掘り起こすのは、今も昔も難しい。 ついでにどうでもいい事を一つ。 日本人に大人気の上杉景勝と直江兼続。 北の関ヶ原の合戦の際、兵糧を現地調達したお陰で、四百年後の今も、調達された人々の子孫から恨まれてます。
@tyourea
Жыл бұрын
秦は、西から攻められず東からの攻めは、天然の要害と砦で防げるから首都と首都周辺の経済を回しつつ他国を攻めれる。戦国時代にチンギスハンもティムールもいないから勢いづかせると止められないね。そう考えると項籍は、強いね。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
敵が同じ中国式で戦うならまだしも、山を簡単に越えてくる異民族には、城など陸上競技のハードル程度にしかなりませんでしたね。
@lera7468
Жыл бұрын
これのヤバいところは、本来なら近代に入る過程で行われてきた数々の改革を 中国は古代にやってるところ どんだけー
@尚諸葛
Жыл бұрын
三国志の時代の国淵と曹操との会話が出てくるまで、10倍報告は当然に近い状態だったのではないかなぁ。 少なくとも、過大報告が山ほどあったと考えると、そこまででもないのでは?とも思う。 ただ、人数が多いことには変わりはないけど。
@四国の寝不足たぬき
Жыл бұрын
楠木正成が籠る千早城を幕府軍百万が包囲したそうです…。
@sepa3435
Жыл бұрын
わいは30年前、河合塾で「農機具が発達して農耕地が拡大した結果」と習ったで・・・かなり眉唾だがw
@ぱちゅみりんン
Жыл бұрын
ベアリングなしで、しかも舗装もされていない道を、戦車が進めるのはせいぜい数km?
@話ズ
6 ай бұрын
@user-pi4sf8hi6x そこはかなり不思議ですよね。スプリングも無い座席にゴムタイヤも無いとなると乗員の体も馬車の車体も一瞬でぶっ壊れそう。
@KOUMORIish
Жыл бұрын
非株式会社いつかやるさんがモンゴル軍の戦闘を解説してしていて、それによると一つの戦場で動員した兵員は多くても10万ぐらいなのだが、当時の匈奴の単于はチンギス・ハーンより勢力はあったのだろうか?
@intelljp
Жыл бұрын
白登山の戦いでは、漢軍は32万動員して、4万の匈奴に包囲されてる。バカ丸出しですけど、騎兵には手も足も出なかった状況が目に浮かびます。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
平城(白登山)の戦いでは匈奴の罠(騎馬や弩が活用しにくい山に加え寒さ)に加え、劉邦の驕りが漢を戦わず苦戦させましたね。
@ikojiku
Жыл бұрын
我々は家族を戦場に送らずに戦争が出来る時代を目の前にしているが、 戦争になっても我々は家族が敵兵に頭を撃たれて死に、瓦礫で潰されて死ぬのを見ることになるのは変わらないなぁ
@コーッケッコ
Жыл бұрын
神話だけど大規模な戦いといえば10万の軍が出てくるトロイア戦争がトップかなと思ったら、一億の軍が出てくるインドのマハーバラタがあった
@intelljp
Жыл бұрын
ペルシャのクセルクセス1世が528万3千を動員。
@sabudaku703
Жыл бұрын
マハーバーラタって確か神話では生存者数名ですよね… こわ
@コーッケッコ
Жыл бұрын
@@sabudaku7035王子とクリシュナ、アシュヴァったーマンぐらいしか知らない……
@コーッケッコ
Жыл бұрын
@@intelljp 兵站壊れる
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
@intelljp アケメネス朝ペルシャは最盛期5000万も人口を誇ったとか。
@ちっちゃいちゃん-g6s
Жыл бұрын
斉の資料が少ないのは、「覇王」が斉のあちこちで暴れ回ったのも原因の一つかもよ
@吉原正宗
Жыл бұрын
大雑把に言って士官数に相当する戦車の数が変化せずに兵員の数だけ圧倒的に増加するのはナポレオン戦争以降の徴兵制度の導入のようで、マクニール先生の受け売りもありますが中国はやはりヨーロッパの様に群雄割拠していた時代の方が各方面で進歩していたんじゃないかと思わされます
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
しかし、結局東西は戦の仕方を変えなくてはならない事態には陥りますがね(フランスはほぼ中世の装備でナチスに挑み大敗、清は日本含めた列強に支配)
@チャンマンライス
Жыл бұрын
なんか中国って古代から中央集権制をとってたり、科挙みたいに一応平等な官吏登用試験をしてたり妙な所で先進的
@dekamega999
Жыл бұрын
フハハ!凄かろう! しかも脳波でコントロールできる!
@shou-sho
Жыл бұрын
戦車から歩兵への変化って戦場も変わるんですよね。 戦車と違って歩兵は坂道でも隘路でも通行できるので。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
戦車も弩も、いずれも鍛錬に劣る兵の強さを補うのに不可欠(他国はもちろん、騎馬遊牧民や夷狄に必須)でしたね。
@くりぽん-o5d
Жыл бұрын
このシステムが下手したらその後の楚漢戦争でその領域受け継いだ漢とその他の継戦能力の差に及んだ可能性・・・
@シュゼイ
Жыл бұрын
1905年の奉天会戦でも日露両軍合わせて約60万人だから誇張しているのは間違いないですね
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
これがギリシャやローマなら、一万いれば国を滅ぼせるくらいの大軍レベルですからね。
@新党司馬遷
Жыл бұрын
その理屈だけだと、「21世紀のイラク戦争でも連合軍は17万6000だったのだから、20世紀の独ソ戦で両軍合わせて100万を越えてたのは誇張で間違いないですね」になっちゃうな。 科学技術の発展と人口の増加=戦争の動員数の増加とは限らないのは注意が必要だと思う。
@無暗道人
Жыл бұрын
近代戦は食料よりも銃砲弾の補給能力で動員兵力が左右されるから、比較対象として不適切かと。食料と違って銃砲弾は現地調達できないので、もろに国内工業力に依存しますし。前近代は豊臣秀吉の刀狩りに見られるように、庶民でも武器の一つくらい持っているので、武器と食糧自弁でかき集めれば、瞬間的にはかなりの大兵力が動員できる。
@話ズ
6 ай бұрын
@user-zo2gt2sw1n 大戦期の独ソ戦はドイツにとってもソ連にとっても国家の総力を注ぎ込む総力戦です。イラク戦争時の連合軍は企業国民の全体に動員をかけて戦時体制なんてしていません。しかも独ソ戦は地続きで陸軍の大兵力をそのままぶつけた数で、イラク戦争の主力米国ははるかに海を越えて地球の裏側まで海路空路で渡って来た海兵隊が十数万人です。
@mocchi2643
Жыл бұрын
春秋時代は魯で編纂された「春秋」という書物から、戦国時代は前漢の時代に劉向が編纂した「戦国策」という書物から名付けられた。
@intelljp
Жыл бұрын
常備軍については疑義があります。 郡単位で部隊があったのは確かですが、守備・治安用の戦力(5千以下)でしかなく、まとめて運用できるものでもないです。 秦末期に反乱が起きた時、国境警備には王離の30万がいましたが、咸陽周辺はすっからかんなのです。だから、急遽囚人20万を解放して兵士にしました。 大規模な戦役の前には、やはり徴集兵を動員する必要があり、秦王政も李信と王翦の意見を聞いてますね。経済に与える影響を考えれば、徴集兵は少ないに越したことはないわけです。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
常備軍は言わば親衛隊みたいな存在、やはり大部分を占める兵はかき集めなければなりません。これがオリエント(アッシリア、ペルシャ、ローマ)や中世の日本(荘園、または戦国以降)なら各地の領土から兵を招集、徴兵出来ましたからね。
@nekono_mimikon
Жыл бұрын
源頼朝の奥州征伐でも、30万近い総兵力の内、武士など戦闘員は一割ぐらいで、後は兵站その他雑役に従事する非戦闘員だと言う説を聞いた事があります。 春秋戦国の動員数も誇張は当然として、更に非戦闘員も含めた数字なのでしょうかね。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
確かに、アレは総数みたいですね。アケメネス朝ペルシャのギリシャ遠征は100万もいたとされますが、やはり非戦闘員込みでした。
@無暗道人
Жыл бұрын
しかし、非戦闘員でも飯は食うのだ。
@n小太郎-w8h
Жыл бұрын
鳥人間とは三才図絵の地皇から取ったものですか?
@話ズ
6 ай бұрын
@user-ok6tp9up8l 古い映画のタイトルじゃないですか?
@スナフキン-f2k
Жыл бұрын
この動画は、大学の中国史の教材に使えるレベルでしょ!すごすぎる
@ドラゴンツッチー
Жыл бұрын
まず最初に鉄製農具の出現というような技術革新により、農業効率が上がり、食料の生産量も増えたため人口が増える。増えた人口は兵士(主に歩兵)となる。そういった歩兵でも使えるような弩という殺傷能力の高い武器が発明される。それにより戦争の主役が貴族の戦車から庶民の歩兵に変わる。それに伴い、より効率的に徴兵できるようにするため戸籍制度の整備や軍功や罰則を含めた軍法の整備も行われる。これらの条件が春秋時代から戦国時代にかけて整っていったため、戦争の規模がだんだん大規模化した。 ……といったような感じでしょうか。 個人的にはやはり農業効率の上昇と食糧生産量が増えた事による食糧事情の改善と人口増が根源にあると思います。結局戦争をやるのは人だし、人を戦争に駆り出して戦わせるには食糧が第一ですし。
@ムッシュビーン
Жыл бұрын
春秋時代は北斗宗家がまだ分派してなくて、戦国時代は受け技を極められて無敵の拳法では無くなった説
@dekamega999
Жыл бұрын
40万50万という規模の陸軍を数カ月間行軍させることは、たとえ略奪を行っていたとしても水運を使わないと不可能だと思われますので、当時の戦場は河川に沿った非常に限定的な地域でしか行われていなかったんじゃあなかろうか?
@dekamega999
Жыл бұрын
自分が兵站について参考にしているクレフェルトの『補給戦』によれば、16-17世紀のヨーロッパの陸運能力でも、3万人を超える軍隊が一度に集まって行軍するだけで略奪を行っても直ちに兵站に支障をきたすと書かれています。無論戦国時代の中国の軍隊よりも馬の数が多かったり(水と飼葉を大量に消費する)、重い大砲を引きずっているという側面もありますが… あと、これは単純に思い付きなんですが、当時の庶民って栄養状態が悪くて小さい人(それこそ身長140センチ前後)がかなり多かったんじゃないかとも思います。純粋に消費する食料が少なかったみたいな部分もあるのかな?
@maidminori
Жыл бұрын
流れがナポレオン戦争からWWI、WWⅡへの流れとやってること変わらない
@phase-next5.1
Жыл бұрын
独ソ戦なんか両軍合わせて1000万人も動員していた年もありますし、人権ぎ皆無に等しい古代ならそこまでおかしい動員数でもない気はします
@影森治-e1h
Жыл бұрын
A城包囲に3万、B街道の輸送護衛に1万、C砦の防衛に5000、D地方の鎮定と慰撫に~と小分けに運用して合計ウン十万が必要、という形ならわかるが、趙軍丸ごと包囲されて20万人が生き埋めされるほどの戦場って、、、
@ケナッシー-v1m
Жыл бұрын
まさか最初?
@bwjbb475
Жыл бұрын
こんばんは。うちの地元にはサイゼリヤないんだよなあ(泣) まあ戦乱が続くとそりゃ規模も大きくなるのは当たり前かなと。やっぱ数百年単位で続いたってとこが原因でしょうね。数十年位ならそうはならなかったでしょう。 日本の戦国時代もたかだか150年程度ですがその150年ですら色んな劇的な事が起こったりやったりして江戸時代に至るわけですし。 ホント数百年もやってりゃ根本から違って来るでしょうし大勢力同士の一大決戦なんてあちこちでやるようになるのだと思います。もっと親の顔を見ろ!霊夢!!w
@gc8zacc3
Жыл бұрын
青銅の武器では破損しまくりそう。予備の装備とかどうしてたんだろ?壊れた武具の鋳直しとか、システム化されてたと思うんだけど
@intelljp
Жыл бұрын
十二金人
@gc8zacc3
Жыл бұрын
ああ、ありましたね!
@話ズ
6 ай бұрын
@gc8zacc3 より低い温度で加工できる青銅器は鉄よりもメンテし易く、現地調達で即席の炉を作っても、おそらく炉が壊れるような事もなく普通に直せてしかも強度も高い。 鉄は頑丈な製品を造るには難易度が高く、マトモな物はそう作れない。どちらかと言うと祖製品を10倍、100倍の量を作るのに向いている。
@船木祥啓
Жыл бұрын
まぁ結構盛ってるのもあると思う
@renngekisouhei8303
Жыл бұрын
まってた
@東洋鬼子
Жыл бұрын
斉に関しては北方の騎馬民族と領地を接していなかったため、大規模な騎兵を擁することができなかったと推察します。
@花巻の農家
Жыл бұрын
鋳鉄製造のタメわざわざ燐を添加したチャイナクオリティ 湯の流動性は向上するが耐久性や耐食性はダメになる
@user-ash_owl
Жыл бұрын
兵力はいても1/100くらいなんだろうな。
@harigane4773
Жыл бұрын
西洋の人がヘロドトるのと同様、東洋の人々も盛りまくるからなあ。
@harigane4773
Жыл бұрын
造語するとしたら「史記る」?
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
ヘロドトスも司馬遷も、やたら敵に詳しいどころか憧れているのかとすら思う記述(ヘロドトスは敵であるはずのペルシャを良き人、司馬遷は匈奴を夏候氏の末裔とまで言っている)がありますね。
@ヨーク公リチャードプランタジネット
Жыл бұрын
小ネタ回で20分かぁ…リストの交響詩が1曲まるまる終わる長さの小ネタ回とは一体?ウゴゴゴ…
@戸田賢司
Жыл бұрын
ハンニバルにカンネーで壊滅させられた時のローマ軍が約8万人だな。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
その数が1回の戦いで壊滅したのは第一次大戦まで無いとすら言われますね。誇張かもしれませんが、それくらいローマを滅亡の淵に追いやったのがハンニバルですからね。
@旧世代の遺物
Жыл бұрын
ヨーロッパの方でもローマ帝国以外は近代まで正確な自軍の兵数なんて把握してなくて、実際は非戦闘員が戦闘員の3倍なんてことが当たり前だったらしい 三国志なんかで5万とか10万とかいたらその大半以上が補給要因と考えたほうがいいだろうね
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
兵が千に満たなくても千と見なしたりが日常茶飯事ですよ。
@旧世代の遺物
Жыл бұрын
@@FREEDOM-vv3wu 軍閥が群雄割拠する時代ならなお集権的な組織化、分業化なんてできませんからねえ…… まさしく兵匪一体、雇われ農民兵と盗賊なんて区別もできませんし、非戦闘員と戦闘員の境界も曖昧ですもの
@あっきーさん-r8t
Жыл бұрын
始皇帝の兵馬俑の数が推計8000体だから、そのくらいの後世の禁裏軍というか親衛隊的な常備軍が始皇帝の周辺にいたことは間違いないと思う。戦国末期だと数万の常備軍+動員兵で決戦していたのではないか。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
ちなみに、私の例は匈奴です。敵ですらこうなのだから、中国王朝は言わずもがなです。
@旧世代の遺物
Жыл бұрын
@@FREEDOM-vv3wu まあ中央集権国家でさえ装備が回せる常備軍の分しか正確にカウントしませんから、遊牧民なんて文字通り「パッと見た限り」でしかないでしょうね…… 集合離散が激しく、明確な指揮系統がない部族軍が単純な突撃退却を繰り返すのも、まず兵数すら把握できないから細かい指示なんてやってられんからでしょう
@中村毅彦-d4e
Жыл бұрын
クロスボウも東方由来?
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
Жыл бұрын
国家体制、武器、兵站、この辺りでしょうね。 国家体制は、動画で語られている通り、いち早く中央集権化、軍国主義化に成功した秦が最強となったと。 そうやって大量に動員した兵士は、馬に乗るなどの特殊技能をもっているわけではないので、一般兵士が簡単に扱うことができ、かつ殺傷力の高い武器が弩であったと。 始皇帝暗殺という映画では、秦の弩兵部隊による一斉射撃が脅威として描写されていますね。 あとは、兵站でしょう。 大きな軍は集まって移動するだけでも、人が〇にますから、食料、水、衣類、武器等のスムーズな供給や疫病の蔓延を防ぐ防疫などのテクノロジーが発達したんでしょうね。
@huihui1842
Жыл бұрын
大規模化したて割には 関ヶ原の戦いは半日で 終わってたりするよな😂
@pandapan9278
Жыл бұрын
東方ループは仕方ないね
@user-et6vx6gz4b
Жыл бұрын
戦国時代から少し後の漢代では儀仗の際に皇帝と大将軍が1台の車に同乗し、御者は太僕が務めたという。 太僕は九卿(大臣)クラスの官職である。つまり戦車に乗るのはそれだけ社会的地位が高いことだった。 現代では戦闘機の搭乗員のような感じだろうか? また、これだけ大兵力を動員したにもかかわらず兵糧が不足したり兵站の問題が発生したというのはあまり聞かない。 兵士たちの食糧事情は一体どのようなものだったのだろうか? 過去の動画で韓や魏は都市部として発展したがために各都市の自立性が強くそれぞれの守備隊は充実したが、 王に直属する機動部隊を大規模編成で無かったと学んだ。生まれ故郷の都城周辺で機動するのであれば兵站は それ程難しくない。しかし秦の様に大陸全土に進軍する場合はそうもいかないだろう。 軍隊は胃袋で動くというナポレオンの箴言がある通り、秦軍には余程優秀な兵站システムがあったのだろうか? 略奪に頼った補給では不安定で(20世紀の南方戦線の日本軍の様に飢餓が蔓延するリスクが高い)、 秦には必ず安定した糧秣輸送のしくみがあったはず。蕭何のような能吏がいたのだろうか? また、軍功爵についても面白い。 左庶長や不更といった由来の気になる名称が多いのである。 公乗などの戦車関連と思わせる爵 簪裊という服飾に関するらしい爵 民に与えられるのに官大夫という不思議な爵もある 他にもいろいろあって非常に興味深い。商鞅はいったいどうやってこれを考えて定めたのだろう? しかも庶人にも賜爵するのはかなり斬新である。 軍制は実に面白い
@mithrilfan
Жыл бұрын
大軍を統率するには緻密な意思疎通が必要だが、当時の中国ってそんなに言語が統一されていたのだろうか?手旗とか銅鑼で動けるようにしていたのだろうか?
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
漢字です。
@KreuzZwei
Жыл бұрын
くっそどうでもいいんですが、鋼は加工じゃなくて成分(鉄以外に含ませたもの)なので、原理的には鍛造の鉄もあり得なくはなく、現代の鋳鉄は基本的に極少なくとも3%を超える炭素が含まれた炭素鋼ですね…
@KreuzZwei
Жыл бұрын
孫子は実戦的な戦術が多いので春秋時代の書ではないとされたこともありましたが、「城を攻めてはならない」「稚拙を聞くも巧久を聞かず」といった内容は逆に春秋時代だから言えたのか?となりました
@seattleslew2332
Жыл бұрын
青銅器で鉄器と戦えたということはまだ製鉄技術が低かったのかな? それとも装備よりも兵の練度ということかな? 練度が重要だとすると社会制度が違う秦が強かったのは納得できる
@intelljp
Жыл бұрын
検証動画見たことがありますが、非金属相手だと切れ味に遜色はないです。が、銅剣で鉄剣を打てば刃こぼれが生じ、鉄剣で銅剣を打てば銅剣が曲がりました。古代の剣術を研究してる人が、銅剣では受け流しの技は使えないとか言ってました。 秦では武器が規格化され、品質保証もなされてたので、すでに集団戦に移行していた戦国時代では大きな問題にならなかったと思います。
@万城目J
Жыл бұрын
もしも晋が魏趙韓に分かれていなければ、あるいは秦に対抗出来たのか?
@princ2024
5 ай бұрын
可以,三家分晋之前秦国沉默了三百多年,那段时间是晋和楚争霸
@茶聖
Жыл бұрын
楊寛先生の兵数の考察はとても素晴らしい功績だと思うのですが…中国史を学ぶ学徒として疑問なのが前回の動画で楚は半中央集権的な郡国制国家であったと解説されているのに、秦と同程度の兵力を有していたのかという点がどうも疑問に残ります。 秦は商鞅の改革によって兵士を根こそぎ動員ができますが、卿大夫などの貴族が有していた土地もあった楚国では人口減による税収の低下を恐れる貴族層によって人数を誤魔化すなどの行為が横行していたので、士卒百万はちと言い過ぎなのでは無いですかね…?
@新党司馬遷
Жыл бұрын
それわりと簡単でない? 「楚は半中央集権的な郡国制国家であった」⇒「国民数や有する兵力は多いのに、兵站を含む軍隊の総合力で劣った」 何も矛盾していないし、分かりやすい文脈だよ。 「兵力を有していた」≠「兵力を活用できていた」ということでしょう。一言で言えば、宝の持ち腐れ。
@やなわらばー-g6c
7 ай бұрын
リアル歴史ではキングダムのような相手真っ二つのような事はほぼほぼないって事だよね。
@九郎判官義経源
2 ай бұрын
それにしてもキングダムの戦闘シーンでは弩弓が出てこないがこれは何故か😂
@johnsmith92eq2
Жыл бұрын
そりゃ名前がわるいよ。戦国時代なんて名前にしたら戦争が増えるに決まってるじゃんアゼルバイジャン
@seattleslew2332
Жыл бұрын
幕末って言うから倒幕されたのと一緒だな
@user-Gifu_no_Zoukinya_san
Жыл бұрын
日本史でも戦前って時代区分にしたから、戦争やっちゃったし
@jnkd3
Жыл бұрын
こういった伝統や創意工夫をブローニングm2やクラスター砲弾で叩くまでが時代の面白さだと思います
@イトウマサミ-m5v
Жыл бұрын
中華の兵の動員力は凄いな。今もかなりの兵数がいるらしいし。これだけ兵がいたら戦術の多種化、新兵器、外交の発達が進むわな。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
一騎当千ならの話ですがね。
@六原六
Жыл бұрын
なんか補給がどうとか数値が過大とか、今の戦争の感覚で当時を見てるコメントが多いけど、戦国時代も三國志も、古代中国の兵士は基本棄民であり、食い扶持を求めて兵士稼業についた連中だから、百万の兵力は戸籍外の人口そのもので誇張でも何でも無い 戦に勝てば略奪乱取りし放題なんだから、国王も自国の領土を広げるより余剰兵力を常に他国領土へ侵略させてた方が、自国利益を守れる 始皇帝が現れるまで、ほとんどの国の領土は増えも減りもしてないのが、ずっと疑問だった むしろ農民とか商人とか、国の土地や職に就いてる方が贅沢な立場
@聡福地
Жыл бұрын
多分Up主に反論するなんて始めてのことだと思うが、本当にそんなに動員できたのか?ローマと漢は同時代でおおよそ5000万程度だが、ハンニバルもスピキオもカエサルも5万程度だと思うんだ。西欧だと50万とかは国民総動員制度ができたナポレオン位になって初めて動員できたと思うぞ。兵站や連絡連携のシステムを考慮して古代中国でそれだけ運用できるとは思えん。ぶっちゃけ10万以上なんて日露戦争でも厳しいしまして50万は通信機器の発達した現在でも至難の業(その証拠に今のウクライナ戦争全然10万単位での作戦できてないよね)他の方が言っているように資料の×0.1くらいが現実的でないのか。もし本当に考古学的に10万単位が普通に運用出来ていたらどのように運用していた(兵站や各部隊の連絡など)のか専門的に取り扱ってご教授いただきたい。
@FREEDOM-vv3wu
Жыл бұрын
あ、中国王朝は兵数は誇張があるの前提ですよ。
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