【ゆっくり歴史解説】紂王の真実【殷】ゆっくり中国古代史語り

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鳥人間 中国史三昧

鳥人間 中国史三昧

4 жыл бұрын

殷最後の王、紂王について金文や甲骨の記述をもとに、史書の出鱈目を剥ぎ取った紂王の実態について、ゆっくり語ります。
※紂王の名は紂王で統一しています。
※畢を反殷勢力と表現しましたが、畢は周の一部としてとらえるべきであり、一つの勢力と数えることは誤りだと分かりました。訂正します。申し訳ありませんでした。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
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Пікірлер: 159
@TheHaimani
@TheHaimani Жыл бұрын
徳川慶喜もそうだけど、最後の王って大きな時代の流れや王朝数百年の負債を背負わされ、頑張ったけど力及ばずってなるな。いかに権力者といえど、個人ではどうにもならない時代の流れってあるからなぁ。
@tometomo
@tometomo Жыл бұрын
自分もこの動画見て「徳川慶喜もこれに近い感じだなー」って思いました 慶喜公はギリギリのところで命と徳川家の存続を果たせましたけど
@user-tk5hk3qd6k
@user-tk5hk3qd6k Жыл бұрын
「大政奉還」って歴史的にもすごく奇跡的で平和的な事業だったのかもしれない。
@akiogoto9469
@akiogoto9469 3 жыл бұрын
大半のKZbin動画は面白いけど考察の浅いものばかりですが、このチャンネルはしっかりした視点で史実を掘り下げて、それを分かりやすく語ってくれていると思います。真摯な制作姿勢に強く共感します。
@user-unetaro
@user-unetaro Жыл бұрын
いやーしかし金文と甲骨文が残ってて本当に良かった。司馬遷大先生を馬鹿にする訳じゃないけど史料が史記その他の殷周時代より数百年も経った後世に書かれたものしか無かったら、もう『当時の声』が聞こえてくる事はなかったんだから..
@naniuro
@naniuro 2 жыл бұрын
末代の君主が最終決戦に自ら挑んで自決するのは中華史上で意外と稀だと思う。やはり良き君主だったのでは。
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
周の文王は、紂王とその二人の妃をつるし上げて弓の的にしたとの逸話も残されているのよ これを読み解く限りは、文王が優れた指導者であっても、過度に理想化する理由はないと思いますよ
@user-pr1dh9ew6z
@user-pr1dh9ew6z 8 ай бұрын
@@user-ke1xz7lw3m文王じゃなくて武王では?
@user-vg1ry6jg6h
@user-vg1ry6jg6h 3 ай бұрын
​@@user-pr1dh9ew6z そうですね… 確か、文王(西伯昌)は、子の武王・発が殷を攻め込む前に亡くなっていたと思います。 で、もし、そういう人に対してひどいことをやっていたのが武王だったとしたら、とんでもない話ですね。😅武王非道っ! 古来より中国では、禹湯文武と言って、聖王の代表格だと言われてるのに… やっぱ、勝てば官軍、なんでしょうかね。😢 紂王(帝辛)は、実際に殉死やいけにえの習慣を辞めさせているので、本当はいい王様だったのかもしれません。
@Kotchan66
@Kotchan66 Жыл бұрын
紂王の中央集権志向、秦の始皇帝の先駆けだったように思えますが如何せん余りにも早すぎたと言える。次の周の封建制度は紂王の失敗を教訓にして地方分権的だったようです。
@user-hz7dk4xo1v
@user-hz7dk4xo1v 3 жыл бұрын
最近ゆっくり歴史解説の中でまったりした音楽の中で中国史を聴けるこのチャンネルにハマってる。
@user-gx7cr2rh4b
@user-gx7cr2rh4b 2 жыл бұрын
文明水準の向上の結果、多くの人が知性に目覚めてしまい、王族の神権主張では権威を認められなくなってしまったんでしょうねえ。生贄を周辺国から集めた国はさぞかし恨まれたでしょうね…
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
殷の時代に文字があったことは知られるが 甲骨文字は殷の王都からは幾らでも発見されるが その周辺の地域からは一切、発見されないそうだ。 文字はこの当時、支配層など限られた人達だけのものだったらしい こうした状況だけに発掘しても当然のように当時の記録も少なく 詳しい事はわからない
@Aetius25
@Aetius25 Жыл бұрын
面白いので、以前のものも見返しています。論語に「子貢曰、紂之不善、不如是之甚也。是以君子惡居下流。天下之惡皆歸焉。」とあるので、この時代には、既に、紂王=暴君の認識が一般的であったが、一部の「知識人」は「そこまで甚だしくはなかったこと」を知っていた、ということでしょうね。
@madmotor
@madmotor 3 жыл бұрын
孔子の一番弟子の子貢も、「紂の不善はかくの如くこれ甚だしからざる」と、実際よりも悪逆さが盛られているのだろうと指摘していた。
@ulojjyu
@ulojjyu 3 жыл бұрын
古代史が好きな理系出身ですが、史記が当時の常識で過去を観ている下りは非常に共感を持てます。 現代でも、例えば邪馬台国の比定などで魏志を読み解く際に現代の常識に立って導いている説が多いなぁと思っていました。 当時の人にとって常識的なことは記述されないのでは?とか、方位や距離なども正確なものではなく当時の人々の中の常識として存在している地図と合致した記述なのでは?などなど・・・ それとはまた少し異なりますが、同時代資料を最重要視するのはとても共感できます。 興味はあってもお堅いものばかりで手が出なかった中国古代史、大変楽しく学ばせていただいております。 今後のご活躍を期待しています!
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
司馬遷は優れた人物で、歴史を客観的に見る事を重視していたが しかし殷の時代からは司馬遷の時代には1000年を経ている。 いまの時代から平安時代の事を調べるのが如何に大変か考えればわかるでしょう さらに史記は司馬遷一人が書いたものだから、さすたに遺跡の調査までは出来なかったでしょう。 殷墟の発掘で、史記の記述はかなり正しい事が確認はされていますが その全てを信じるのは難しいとは思いますよ。
@user-eg7fc9mk9s
@user-eg7fc9mk9s 3 жыл бұрын
周が、殷の独占してた文字をうまく使って諸侯を仲間にした説ありますよね。
@sunsun2181
@sunsun2181 3 жыл бұрын
あー、がんばったけど、ダメでした系王様なんですね。フランスのルイ16世みたいなもんですな。がんばっても、暗愚な王様といわれて、後世からはぼろくそ。当人の力量以上の困難な事態がおきたら、名君でも解決するのは難しいのでしょうねえ。
@pontarou01
@pontarou01 3 жыл бұрын
ルイ16世は改革派で墓穴掘っちゃったみたいですね。農民達には愛されてたから、革命軍はほんとは彼を殺したく無かったそうで。
@user-pp1qx4nk5d
@user-pp1qx4nk5d 3 жыл бұрын
溜め息が出ます もし僕がいずれ 遠い時代に 現在最先端の殷観を覆す成果とその内容に出会ったとしても それを理解出来るのはこの動画成果物が下敷きになってくれたおかげだと 確信できます
@user-tg4kj5xt8f
@user-tg4kj5xt8f 3 жыл бұрын
日本でも北条高時は愚将であった証拠が何もない。 滅亡の際、400人以上の殉職者があったということは家臣から慕われていた証拠でもある。 負けてしまうと勝った方から言われ放題になるのは仕方がない。
@Kojiro_4832
@Kojiro_4832 3 жыл бұрын
9分頃~ 宮城谷昌光さんの小説をメインに参考して私が考察しますと、甲骨(亀の甲羅)が紂王の後半に減るのは、中央集権化と諸侯の力が弱まることによって、本来甲骨は諸侯からの献上品として納められていたが手に入れづらくなった事と、輸送の困難などで激減したと思われます。
@user-wx9tx8ez4y
@user-wx9tx8ez4y 3 жыл бұрын
世界史を授業で受けている高校生ですがめちゃくちゃおもろしろいです!
@user-lx2ve3ws4z
@user-lx2ve3ws4z 3 жыл бұрын
めちゃくちゃ為になります。高校生の時に知りたかった…
@tesaka465
@tesaka465 3 жыл бұрын
横山先生の殷周伝説ぐらいしか知識が無かったので面白かったです
@simonu-oj8lk
@simonu-oj8lk 4 жыл бұрын
他の方とはまた違った切り口で面白いです。もっと伸びてほしいチャンネルですね
@c-history
@c-history 4 жыл бұрын
嬉しいお言葉です! 頑張って更新していきますので、これからもよろしくお願いします!
@nabe-ik6xr
@nabe-ik6xr 3 жыл бұрын
@@c-history HhhHHhhhhkjhhってことっhっh
@panda688
@panda688 3 жыл бұрын
王朝は王とその僕と利害関係者で出来てますから、たとえ王個人が問題の急所を認識していたとしても方向転換は難しい。 三代の念願かなって姻戚になったというような相手がいたとして「~~というわけであの特権は無しね」なんて言えるわけがない。それは上から下まで同じこと。
@user-rs4ci3xo3v
@user-rs4ci3xo3v 3 жыл бұрын
紂王は暗君の話しを鵜呑みにしてたので面白かったです。 上手く言えないけど、甲骨文字や金文からも情報を読み解けるんですね
@xyzmylife1947
@xyzmylife1947 3 жыл бұрын
全てが戦国時代に作られた姿とは、いい勉強になりました。
@yumekaryuudo99
@yumekaryuudo99 2 жыл бұрын
中国の滅びたラストエンペラーはことごとく暗君とされてますからね>基本的には
@user-jl9gv8dw2f
@user-jl9gv8dw2f 3 жыл бұрын
同時代でもモンゴル帝国とか大元とかの評価も元史とか中国の史書だけだと実態がよく分からんっていう話もあるから史書の読み方って気を付けないといけないんだな
@ideonjapan
@ideonjapan 3 жыл бұрын
妲己が存在しないってのは三国志の貂蝉が存在しないのと同じで話を面白くする為か。
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Жыл бұрын
横山光輝三国志の芙蓉姫と同じ
@user-tk5hk3qd6k
@user-tk5hk3qd6k Жыл бұрын
祖父に言わせれば、中国では男性は元々素晴らしい聖人のようなもので間違いなんかしないから、その中国の男性及び国が間違って傾いて滅びるのは“女のせい”という事になっていたらしい、だそうです。
@griankay
@griankay 3 жыл бұрын
殷周が都市国家というのを初めて知りました。なるほど、滅亡パターンは若干違いますが、アステカ帝国が滅んだのと似ていますね。
@bhagavad679
@bhagavad679 3 жыл бұрын
大変興味深い内容で、とても勉強になりました。ありがとうございます!
@KK-qi5gn
@KK-qi5gn 2 жыл бұрын
中国上古史は、元来女性の姓名に関する記述をほとんど残さないのが常であって、始皇帝ほど重要な人物の生母ですら、姓名が記録されていません。趙姫だというのは、あくまでも後世の俗称ですね。ゆえに、当時の記録がないからといって、妲己あるいはそれに相当する人物がいなかったと考えるのは、早計だと思います。そもそも金文にも甲骨文にも女性と思しき人物の姓名の記録は、一例もありません(解読できている部分に関していえば。)また、甲骨文は元来神々に捧げる儀式に用いられるものであり、そこに王の悪行が記録されることはありません。たとえ紂王がなんらか悪行を行ったとしても、記録には残らないのです。わずか十数年で滅んだことから考えば、その治世に何らかの問題があったと考えるのが自然でしょう。統一後の秦もわずか十数年で滅びましたが、それは始皇帝死後の内輪もめのごたごたが大きく関係しています。しかし、紂王は在位中にもかかわらず、十数年で滅んでいるわけで、それなりのことが起きたと考えるのが当然でしょう。
@user-jy6kd4xq2q
@user-jy6kd4xq2q 11 ай бұрын
当たり前ですが新しい時代の甲骨ほど浅い地層に埋まってると考えれば 漢方として消費された甲骨のほとんどが 殷周革命期の甲骨じゃないのかと考えると(ノД`)・゜・。
@KM-rh5xv
@KM-rh5xv 3 жыл бұрын
やっぱ古代王朝はロマンがある
@user-fq9zw1dt1o
@user-fq9zw1dt1o 3 жыл бұрын
中央集権で地方の離反・・・ 集権するために旗本の軍勢に徴兵しすぎたのか、はたまた戦費が嵩んで徴税をし過ぎたか。 傾いた原因は今となっては分からんな。
@Shiny-user-cb8ti8le8h
@Shiny-user-cb8ti8le8h 3 жыл бұрын
武田勝頼を思い出した😔 今では名誉回復がなされつつありますね☺️ 周囲から人が居なくなり いよいよの時裏切りにあってしまう でも 全て そいつらの 酒飲み過ぎが原因では?🥺 合掌🙏
@user-tk5hk3qd6k
@user-tk5hk3qd6k Жыл бұрын
武田勝頼は元々後継者じゃなかったし、父親が勝頼を家の後継にすることに否定的だったし、家臣達もあまり良く思われてなかったから勝頼公は相当にがんばって成果を出してアピールもして周知してもらわないと信頼を作り築き上げる事ができなかったし、努力すればするほど成功したらしたで反感買われて、一つミスすれば相当に不満持たれて反感買われて、大きいミスでかなりの失敗して追い込まれて追い詰められて滅亡してしまったからなあ。 武田勝頼個人がそんなに人望築けない性格なのかと言うと、あまりそういう印象はないけど父親と母親が結ばれるまでの経緯や社会情勢や背景が殺伐としてるし、権威という意味でものすごく権謀術数をめぐらせてたみたいだしで、あまり幸せじゃないというか穏やかさが皆無。
@Ukahu_k
@Ukahu_k 3 жыл бұрын
大学の授業で、教授が「酒池肉林」に関する白文を丁寧に読み下して、紂王は暴君ではなかったと説明していた事を思い出しました。まぁだからと言って紂王はいい君主だったとは言えないんでしょうけど……
@pontarou01
@pontarou01 3 жыл бұрын
人間生贄の儀式をやめさせようとしたって話がありますね
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m Жыл бұрын
殷から周へと移り変わる時代は超古代から古代への歴史的転換点だった。 殷で行われたような極端な神権政治は周の時代には無くなり。 政治の権限が神から人へと移譲された
@user-bq4rp2zm2h
@user-bq4rp2zm2h 3 жыл бұрын
詳しくてわかりやすく 素晴らしいです。
@panda688
@panda688 3 жыл бұрын
戦争より酒の席での懐柔を重要視していた(ホントか?)とすると意外と現代の日本的な価値観に近いかも?
@user-vg1ry6jg6h
@user-vg1ry6jg6h 3 ай бұрын
なるほど、青銅器の酒器が多数発掘されているのは、そういう訳だったのですね! いわゆる、飲みニケーションは、殷代が起源だった……! そして、王様ゲームで醜態をさらしてしまった武王が、それを根に持って殷の都に攻め込み、滅亡につながったのかもしれません。😂❤🎉
@user-ke1xz7lw3m
@user-ke1xz7lw3m 3 жыл бұрын
殷墟(殷王朝の遺跡)を調べる限り、紂王の時代に特に衰退した様子はなかったそうだ。 周の台頭によって殷が滅ぼされたが、史記などに語られるように紂王の時代に悪政で殷が衰退したような事はなかったようだ 敗北した側が悪く言われるのは歴史の常だし。周の聖王が殷の悪王を倒したとした方が孔子など、後の学者たちも都合が良いから強調されたのだろうな 紂王の時代は殷の国力は充実していた。ただ、殷の軍隊は奴隷たちを使っていたから。それも極端な神権政治で占いのために奴隷のクビが跳ねられるような王朝だった 周の軍が迫ってくると、奴隷兵たちは周に従った方が良いと、殷から周に乗り換え、一機に殷が崩れたのだろう
@tikkioono5097
@tikkioono5097 3 жыл бұрын
殷の前の夏王朝滅亡の桀王も殷に滅ぼされたからな因果応報とは
@serfdom221
@serfdom221 3 жыл бұрын
中華英雄列伝も良いけど今回みたいに一般に知られている知識の誤りをガンガン指摘していって欲しいです
@user-on3iz2if8k
@user-on3iz2if8k 2 жыл бұрын
董作賓の殷暦譜によると紂王の治世は65年程(現在の夏商周年表プロジェクトでは約30年と比定)と推定されているので、これが事実と仮定すると当時としてはかなりの長寿で、何時死んでもおかしくない年齢で克殷を迎えたと考えられます。殷の王墓は後の歴代皇帝の墓と異なり、竪穴式に掘って地上には施設を殆ど作らなかったそうなので、生前から十数年掛けて準備する必要もなく、既に墓穴の準備が出来ていたという事はもう長くは生きられない身体になっていたと予測できます。 また紂王暴君説に懐疑的な陳舜臣も『老害によるボケか性格破綻』の可能性は否定出来ないと述べていたりします。
@Bear-hug
@Bear-hug Жыл бұрын
紂王の余命が余り無く、周の武王に政権を委譲した可能性も考えられる。🤔 時代の変化に因り最早、政権維持が不可能と思った可能性も。 信頼(人望)の厚い、文王に任せたかったのでは?🤔
@user-vg1ry6jg6h
@user-vg1ry6jg6h 3 ай бұрын
おお! するとこれは、禅譲と言えなくもないですね! 王朝は変わってしまいますけど…(^_^;)
@user-up5dd7rs6w
@user-up5dd7rs6w Жыл бұрын
殷王朝が天命を失ったのは、一重に文明水準が上がって皆賢くなってしまったことでしょう。 今まで神様のためなら生け贄は大切と思っていたけど、必要ないじゃんと気づいたり殷ばっかり贅沢してたのを諸侯が疎んだのが理由だと思う。 殷の紂王は暴君じゃなくて、崇禎帝タイプだったんだろうなぁ。
@user-od5bt7de1s
@user-od5bt7de1s 2 жыл бұрын
現代の記録も数百年後とかには全く違った価値観で解釈されたりするんだろうか こういうことを考えるのも浪漫なのかしら
@Ni-xy5tx
@Ni-xy5tx 3 жыл бұрын
孟子とか自分の思想を語るのに紂王を引き合いに出すから、真偽によらず暴君の印象がいまだに強いのかな
@user-fb3oq9jq3d
@user-fb3oq9jq3d 2 жыл бұрын
「絵に描いたような悪役」。これは嘘ですよお、という史家のサイン。最近こう考えることにしております。
@user-fs1lk2ls2b
@user-fs1lk2ls2b 3 жыл бұрын
改革しようとして、周中心の反対派に負けたと言う感じですかね。 宮城谷先生の「太公望」の紂王が近いのかな?
@user-nf4md7lk7z
@user-nf4md7lk7z Жыл бұрын
所詮本当のところなんてわからんね、現代の人物でさえ善人なのか悪人なのかわからなかったりするんだから。
@user-ow7rk7th9s
@user-ow7rk7th9s 3 жыл бұрын
「時代が悪すぎた」これに尽きますね。 フランスのルイ16世やロシアのニコライ2世にも同じことがいえます。
@BlueReef69
@BlueReef69 9 ай бұрын
最近見始めましたが、時代性を意識した解説は素晴らしい! 近年やたらと「昔はホント、クソゲーだった!」系の社会進化論者が跋扈しているので困ります。 応援していますよ。
@user-qr2re2eg3x
@user-qr2re2eg3x 3 жыл бұрын
古代中国のことって知りたくても、情報が殆どないので非常に参考になったのだが、こういう学者レベルの知識と情報ってどこで手に入れてるの? 趣味レベルじゃないよね。恐らく、大学(院)で専攻して学習したんだろうけど。中国史を知るにおススメの書籍があれば、いくつかピックアップして動画にして欲しいです。それと動画制作の参考にした書籍があればそれも動画の最後に載せてほしい。
@user-vp1cq6ez1r
@user-vp1cq6ez1r 3 жыл бұрын
暴君の代名詞・董卓 暗愚の代名詞・劉禅 も実はイィ奴またはそこそこ為政者とか言いますもんねェ😁
@user-eg4be2ln9m
@user-eg4be2ln9m 3 жыл бұрын
なんとー。私は封神演義の知識しかなかったので、本来の紂王のことを全くといっていいほど、知りませんでした。動画作成ありがとうございます。(^o^)
@user-wb3qi2ew6l
@user-wb3qi2ew6l 3 жыл бұрын
酒を呑んで酔っ払うのが、神が憑依したと解釈してたのかな?
@user-qb5ji3qw9b
@user-qb5ji3qw9b 3 жыл бұрын
素直に面白かったです!ありがとうございました^_^
@noakaon
@noakaon Жыл бұрын
面白いです❤良いとりあいの歴史観と理の歴史観ととりあえず会えよかったぜです
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん 2 жыл бұрын
2周目拝見しております。 最初に見たときは、紂王哀れなりと、生まれてきたタイミングの悪さを思いました。 今回は特に盛者必衰の理を強く感じました。 現在の世界情勢と重なる部分が多い気がします。 特に、諸侯の殷からの離反は、欧州連合の内紛とよく似ている気がします。 また、紂王が人身供儀をやめた辺りは、現代の習近平と胡錦濤の違いと重なる気がします。 その先はあまり考えたくない気もしますが。
@user-ks1nx8qx6y
@user-ks1nx8qx6y 3 жыл бұрын
歴史というのは、負けた者に厳しい。
@rokuemu114
@rokuemu114 3 жыл бұрын
大日本帝国(笑)
@user-tk5hk3qd6k
@user-tk5hk3qd6k Жыл бұрын
勝てば官軍負ければ賊軍
@oshyas4789
@oshyas4789 3 жыл бұрын
戦国時代はまだ領域国家とは言えなかったのでは? 漢代においてさえ、都市国家の集合体の要素がかなり強かったと記憶しているのだけれど。 さらに、第二次世界大戦においても、日本が点と線を抑えただけというのは、中国が点(都市)と線(交通網)で成り立っていただけという説も聞いたことがあるくらいなのだが。
@user-ow6gt4lq9o
@user-ow6gt4lq9o Жыл бұрын
「卯(ぼう)」という文字も生贄の胴体を二つに引き裂くを表していますね!
@user-vg1ry6jg6h
@user-vg1ry6jg6h 3 ай бұрын
ひ、ひどい…😅 卯年生まれの人は、そんなこと知る由もないですよね。😢
@user-jk6dn2ov2c
@user-jk6dn2ov2c Жыл бұрын
この時代の2万ってそこそこ大きい都市ぐらいじゃない?流石に生贄しすぎでしょ…
@user-tk1ii4mi3h
@user-tk1ii4mi3h 3 жыл бұрын
本当はわからない 紂王は暴君暗君ではなかったのですね❗
@laozionoff
@laozionoff 3 жыл бұрын
恐れ入ります。帝辛さんも報われるでしょう。
@user-vg1ry6jg6h
@user-vg1ry6jg6h 3 ай бұрын
殷代版、『栄光なき天才たち』だと思います。😢
@user-md5qn2cs9s
@user-md5qn2cs9s Жыл бұрын
ありがとうございます!
@c-history
@c-history Жыл бұрын
ご支援いただき、まことにありがとうございます……! 有り難き……有り難き幸せにございますッ!!
@user-dx9st6bd4q
@user-dx9st6bd4q 3 жыл бұрын
湯武放伐のダシにされた桀王紂王カワイソス
@pontarou01
@pontarou01 3 жыл бұрын
うちの先祖は最後の百済王だったって、 言い伝えがあるんですが、滅びる直前にヤケ起したのか酒池肉林に走ったらしい。
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Жыл бұрын
それが本当ならば、髙(句)麗(こま)神社の家系や天皇家に並ぶ、由緒正しい家系ですよ!もしかして犬上家?(火の鳥太陽編から)
@pontarou01
@pontarou01 Жыл бұрын
@@tokuchan0525 その百済王の二人の息子が日本に、人質に来てて、そのうちの一人が日本に残ったのです。その人があるお寺の創建者では無いのか?という説があって、その坐像見ると朝鮮式の服着てます(顔が私の大伯父にそっくり)
@5assimer972
@5assimer972 3 жыл бұрын
明の崇禎帝って感じですね。いつの時代もどこでも同じパターンというか。
@user-ly2jz3ed9k
@user-ly2jz3ed9k 2 жыл бұрын
何事も一概には言えないのですが紂王に人徳・人望があり配下が優秀であればこれほどまでに敵が増えたとは思えません。やはり何かしらの欠点があったのだろうと思います。
@panda688
@panda688 3 жыл бұрын
『総理大臣 織田信長』ってマンガが昔あったりする。
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 2 жыл бұрын
こんなに中華史に詳しい 金髪魔女っ子が居たら 一生面倒見るんだが.......
@20qs0O0rUXULFa
@20qs0O0rUXULFa Ай бұрын
封神演義ですら前半は名君として描かれてるのが多い紂王
@cassisnk
@cassisnk 3 жыл бұрын
このチャンネル、歴史描写の解像度が高すぎる笑 中の人、中国史の博士号持ってたりする??笑
@user-ud6xx6hl7x
@user-ud6xx6hl7x 3 жыл бұрын
じつは民放のテレビ時代劇が全滅した理由もその辺にあるとおもう、大名格の大岡越前と小者の辰蔵が居酒屋でじかに会話なんかできるはずがなかったに。
@user-ve5hl9br3l
@user-ve5hl9br3l 3 жыл бұрын
信長が選挙で・・・内閣総理大臣織田信長が史実になったような感じか・・・
@taronanami9849
@taronanami9849 3 жыл бұрын
おもしろかった
@naojan110
@naojan110 Жыл бұрын
酒の飲み過ぎと犠牲で人を殺し過ぎたのが衰退して行った主な原因なのでしょうね。 ある時期から祭祀を記録した甲骨文が減ったのは、占卜に使う甲羅等が枯渇したという側面もあるでしょう。東方へ征伐に向かったのは亀などの一大生息地帯だったというのもあると思います。
@user-xp8wp8ox9j
@user-xp8wp8ox9j 4 жыл бұрын
イメージが変わりました
@user-ri3pt8yc9d
@user-ri3pt8yc9d 3 жыл бұрын
昔の漫画ですが、内閣総理大臣 織田信長ってのがあったなぁw
@00simaya40
@00simaya40 3 жыл бұрын
これが、契丹古伝にある「殷これ倭国に・・」続く歴史ですね。
@ericlai1659
@ericlai1659 3 жыл бұрын
韓国人のように空想しないでください
@user-jq3hh7nm4q
@user-jq3hh7nm4q 3 жыл бұрын
興味深い話ですが、やっぱり酒池肉林や天智玉衣なほうが面白いから支持です。 まぁこの辺は時の大勢に従います。この情報操作こそまさに六韜の太公望
@KInoNIWATORI
@KInoNIWATORI 3 жыл бұрын
話聞いてる限り、実際に暴君暗君であった可能性も十分ありそうだけどなぁ。 優秀な王の代で滅びる国も珍しいし。
@user-xc2fk3kp6l
@user-xc2fk3kp6l 2 жыл бұрын
妲己はインドの荼枳尼天(ダキーニ)が由来なんでしょうか?
@midoren
@midoren 3 жыл бұрын
センセー。中国における貨幣制度の原型も殷にある(だから商売には”商”の文字が使われてる)と聞いたことがあるんですけど、ホントですか?
@hirokoohganona6578
@hirokoohganona6578 2 жыл бұрын
14:05 なんてレベルが高い!
@user-pz3yr8pc1w
@user-pz3yr8pc1w 3 жыл бұрын
つまり本当の紂王は悲劇の英雄だったのか?
@nnnmmm8648
@nnnmmm8648 3 жыл бұрын
佐藤博文 ひょっとしたら蘇我入鹿もその悲劇の英雄の1人だったのかもね
@user-qd7no4mv9s
@user-qd7no4mv9s 3 жыл бұрын
ただまともな政治を行っていた割には反乱が多すぎるような。酒池肉林はともかく何かしらの失政か天変地異で殷自体の国力が落ちていたのではないだろうか
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Жыл бұрын
紂王は、能力は良くも悪くも平凡で、殷の国力と影響力自体が低下していたから、周辺の勢力(都市国家郡?)から反乱というか攻撃を受ける様になったのでは?紂王以前の生贄や侵略に対する反発等が遠因になり、それが紂王の生贄廃止にも少なからず影響を及ぼしたかも。本当の暗君ならば、反乱頻発から7~8年も頑張れないので、悪政ではなかったのだろう。ただ、状況を打開出来る超優秀な人材も居なかった事が滅亡を決定づけたのだろう。
@user-tk5hk3qd6k
@user-tk5hk3qd6k Жыл бұрын
殷王朝の代々の因果が紂王の代で払わなければいけなくなったんでしょうか。
@miroku1429
@miroku1429 2 жыл бұрын
周武王に敗れ、紂王が自焚した際に、遺品として天智玉が遺った。壬申の乱では勝者である天武天皇が、天智天皇を倒す大義名分、活躍がこれでもかというほど日本書紀に記述されている。天武が中国古代史に精通していたのは興味深い。
@Harryshreck
@Harryshreck 3 жыл бұрын
武田勝頼っぽい
@user-dw6dc7ju4f
@user-dw6dc7ju4f 3 жыл бұрын
殷滅亡後殷の遺民の国として宋が作られた事、これは劉裕の宋とも趙匡胤の宋とも違う、つー記述も欲しいです(^_^;)
@pontarou01
@pontarou01 3 жыл бұрын
宋襄の仁ってのはそこから来てますね
@arktkm
@arktkm 3 жыл бұрын
地政学的な内容希望
@user-ny9qw2ir6z
@user-ny9qw2ir6z 4 жыл бұрын
up主、この動画を中国のビリビリ動画に伝載したいけど、いいですか?いま自分で日本語を勉強しますから、何か翻訳したいです。その動画が興味深いです。ぜひを願いします。
@c-history
@c-history 4 жыл бұрын
当チャンネルの宣伝をしてくれるならいいですよ~
@SINZAEMON1000
@SINZAEMON1000 3 жыл бұрын
殷は神の助けで負けたことないです。 殷子孫は中臣氏です。
@user-rf7gw8ty6e
@user-rf7gw8ty6e 7 ай бұрын
殷の国を「商」と言う…。現在使われている商人とは殷の人と同じ事であり、先祖を祀る際、よく肉食、飲酒を伴う事が知られている…。 「酒池肉林」の話しの起こりは、この先祖祀りの様子を周の人が見て思いこんだ様だ…。
@RGX-cu2lx
@RGX-cu2lx 3 жыл бұрын
本当に暴君なら自殺なんてしない 必ず誰かに殺されるのが運命
@user-vg1ry6jg6h
@user-vg1ry6jg6h 8 ай бұрын
そういえば、ネロ帝も最終的に親衛隊に愛想をつかされ、殺されていますよね。 紂王は、皆さんが推測されているように、実は結構優秀で徳の高い人だったのかもしれません。生贄や殉死の習慣を廃止及び禁止してますし。 多分、他の都市国家や異民族への政策に時間と労力を割いている隙をつかれて、西伯昌や子の武王発を中心とした新興勢力に滅ぼされてしまったというのが実情なのかもしれません。 また、紂王は牧野の戦いに敗れた後、鹿台という宮殿に立て籠もり、火を放って自害したと伝えられていますが、実際は武王率いる周の連合軍や周に寝返った殷の奴隷兵により、一方的に虐殺されたのかもしれません。 いずれにせよ、この動画を見て、紂王に対する見方が変わりました。 紂王 forever!(合掌)😢
@user-lb7yy4iq2b
@user-lb7yy4iq2b Жыл бұрын
紂王やるじゃない😏
@tokuchan0525
@tokuchan0525 Жыл бұрын
某世紀末喧嘩殺法の使い手「お前(紂王)、女(妲己)はいるかい?」
@user-tk1ii4mi3h
@user-tk1ii4mi3h 3 жыл бұрын
歴史は わからない
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p 2 жыл бұрын
聖フランチェスカやんか 殷の初代王。
@user-tintin1919
@user-tintin1919 3 жыл бұрын
なるほど殷の生贄にはもしかして人口増加に対する対策があったのかな。
@pontarou01
@pontarou01 3 жыл бұрын
もしかすると、障害ある人が対象だったのかもですね
@hideanazawa2155
@hideanazawa2155 4 ай бұрын
11:05「国語という史書は戦国末期に書かれた」と疑問を呈するが、この動画自体が戦国末期(紀元前3~4世紀頃)よりも二千数百年後に作られている以上、「後の時代になればなるほど、書いてあることが事実から遠ざかる」という単純結論には大いに疑問。他の意見があるならばきちんと検証すべき。
@bokichi62
@bokichi62 8 ай бұрын
強く宗教に支配された時代だね、、、今も少し考えた方が良いね。
@tevalleyluckman8746
@tevalleyluckman8746 2 жыл бұрын
紂王はやはり名君型だったか・・・ 色々な角度で歴史的証拠を積み重ねるとどうも、立派な人物の気配があったので「もしかしたら・・・」と感じてはいたが・・・
@user-fs1ix7cw3e
@user-fs1ix7cw3e 3 жыл бұрын
多分、韓非の記述は散逸している何らかの元本があると思う(>.
@SINZAEMON1000
@SINZAEMON1000 Жыл бұрын
中王子孫本家は私だ。 周子孫本家は天皇だ。
@ranpiko
@ranpiko Жыл бұрын
結局歴史は勝者の歴史 負けた方は悪事を捏造される
Vivaan  Tanya once again pranked Papa 🤣😇🤣
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seema lamba
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