【ゆっくり戦闘機解説】零戦を超える!……はずだった、幻の後継機【烈風/十七試艦上戦闘機】

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日本ウェポン研究所

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Күн бұрын

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@AUAU015
@AUAU015 2 ай бұрын
そもそも時代的に 零戦⇔F4F 烈風⇔F6F なので、F8Fが出現している時期に烈風が出てくる時点で、完全に一時代ズレちゃてるんですよね・・・。
@97tiha27
@97tiha27 2 ай бұрын
戦争が長引いて、五式戦車が実戦投入されていてもM26パーシングには歯が立たなかっただろうし、 烈風が実戦投入されていてもベアキャットが相手では悲惨な目に…
@eiji_kuma
@eiji_kuma 2 ай бұрын
五色戦車はデカすぎる割に砲が貧弱だからなあ・・・ まあ人口も高等教育の程度も技術も工業力も劣ってるんだから負けるのは当然としか。
@呑龍ハルカ
@呑龍ハルカ 2 ай бұрын
そもそも戦車を戦車で潰す発想が馬鹿げてるってドイツが示してるやんw 快進撃してた時は砲兵や爆撃機の見事な連携があって配備された戦車は機銃しかなかった部隊も普通だったし 敵より強い戦車を持った頃にはシュトルモビクとP-47に好き放題やられて もうドイツの戦車は脅威じゃないってM-45にJS-2など榴弾砲を優先されてた
@TO-tz8rf
@TO-tz8rf 2 ай бұрын
両者共時代遅れのデザインで既に負けている。どう見ても高性能には見えんです。折り畳み翼とか空母カタパルトとかが無いので運用でも負けるとです。
@へいへしも-y9w
@へいへしも-y9w 2 ай бұрын
なお防弾性能…まあ言い出したらキリがないですね。欧米の技術協力が途絶えた状態で独力でこの機体を開発できたのは、素直に凄いと思います。この時期の飛行機の進化は凄すぎて1年2年の差が致命的なのは勿論ですが、陸軍の疾風の整備性も保守部品が優先的に届いた部隊ではそう悪い物じゃなかった話もあるし、まだシーレーンが絶望的ではない時期、生産性の悪いゼロ戦を早いうちに機種転換出来ていればなぁと思います。
@bakemonomoke2642
@bakemonomoke2642 2 ай бұрын
「烈風」という貝塚ひろし先生の作品で初めて知った機体ですが、漫画の連載開始も戦記漫画ブームの終わりの頃でしたね。
@ちな-s4m
@ちな-s4m 2 ай бұрын
兵器は必要な時に必要な数がなければただのゴミ
@jimmy-qu7tj
@jimmy-qu7tj 2 ай бұрын
日本ってこういう武器に関してモノを要求するんだけど、その屋台骨の基礎のキを支える物にはお金をかけなかったのがこういう飛行機の性能を悪くした要因と思う。 ガソリンのオクタン価、整備に必要な油、エンジンオイル、通信機用の真空管、金属開発・・・そういう基礎技術開発を怠った気がする。 オクタン価や油はハ42~45の性能低下を招いたし真空管は量産性だけ追ったおかげで八木宇田アンテナ採用できなかったし、金属開発ではターボチャージャーが不安定だった。 (ハ42=飛竜のエンジンで火星の18気筒化エンジン、ハ43=金星の18気筒化エンジン、ハ44=ハ109の18気筒化エンジン、ハ45=誉、栄の18気筒化エンジン) もう一つ言えば、疾風は初めからハ45ありきで設計した機体、烈風はハ43で設計したのに、途中でハ45に変えた機体。性能が発揮できるはずはないと思う。 紫電がダメで紫電改が良かったのは改という割に全面的に機体設計をハ45ありきで変えたと思う。あれ、紫電21型なんだけど、エンジンは誉1xから誉2xに変えているw
@jx6004
@jx6004 2 ай бұрын
「基礎技術開発を怠った」というより、そういう基礎技術が育っていないうちに戦争始めたということでしょう。
@jimmy-qu7tj
@jimmy-qu7tj 2 ай бұрын
@ うん、未発育の技術もありますね。油系や金属系はその可能性が高い。
@miyamiya2237
@miyamiya2237 2 ай бұрын
ハ45が額面通りの出力を発揮していれば、堀越の想定通りの性能が出だろう。 しかし、与えられた量産機の「誉」は頑張って整備しても3割引きの出力しか出ない詐欺エンジンだった。そして、それが当時の誉の実力だった。四式戦も紫電改の性能も激落し、大した活躍はできなくなっていた。
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
さん。誉の指定は海軍主導です。 昭和17年7月の時点では、誉もまだまだ不完全でY20(銀河)に先行搭載してテスト中でした。 一方、三菱が推薦したのが自社のハ43。2200馬力が出せるとして、誉より有望だと三菱は主張したが、ハ43は実機完成直後で試験すらパスしておらず、海軍は一応の審査をパスしていた誉での開発を譲りませんでした。 その後、17年12月までに数回の会合を開き、三菱のハ43推しに根負けしたのか、空技廠側の部員から『ハ43の搭載も考慮しては?』と容認する意見も出され。 更には『エンジン換装に留意する要に』との要求が正式に通達されています。 それでも、海軍側(空技廠も)誉での開発を指示していますが、エンジンサイズの異なるのに『どちらも搭載可能』に設計する事を容認する通達を出す等、曖昧な状態のママ、烈風は三菱製ハ43の搭載が可能なサイズでモックアップ審査を通過。 海軍から、特にクレームも無く試作機が完成、エンジンは海軍の要望で誉のママで完成します。 三菱は、馬力の足りない誉22型での予測性能を610㎞/h程度と推算しましたが、実測値は560~570㎞/hと低いものでしたが。 海軍は誉の不調を認めず、烈風は不採用と決定。 三菱には紫電改の生産を通達しますが、三菱(堀越二郎)は『ハ43ならば予定性能が出せる‼️』と主張。 折しも、対B29用の高高度戦闘機を求めていた海軍は『高高度型のデータ採取』を認めるも、不採用機なのでエンジン換装は三菱負担での実施を許可はしたが、正直なところ烈風には期待していない、何故なら、三菱が主張する誉の馬力低下は事実だったが。 そんな馬力不足の誉で紫電改は、平均して590㎞/h程度は発揮しており、整備良好であれば610~620㎞/hを発揮していた現実から。 実質的に同じ馬力の誉を搭載して570㎞/hしか出せず6000m迄10分を掛かる烈風には微塵も期待していなかったのです。 烈風の失敗は、誉を指定しておきながら、機体サイズが大型になる要因となるハ43の搭載余地を曖昧に容認してしまい、明確なコンセプトが破綻したことにあります。 実は、昭和16年に空技廠は、誉搭載の艦戦の試案を出していて。 そのサイズは零戦22型と殆ど同じであり、予定された重量も3100㎏(防弾ナシ)でした。 おそらく、このサイズで開発されていれば重量は紫電改と同等な防弾装備を施しても、3600~4000㎏程度に収まり、実際の烈風の4700㎏より軽量に仕上がりますから。 馬力不足の誉でも620㎞/h程度は発揮していたでしょう。 皮肉にも、空技廠の試案に近いサイズで完成していたのが紫電改であり、実際に性能は試案に近い性能でしたから、海軍が中途半端に三菱の要求を容認しなければ、紫電改に近い性能の烈風が完成していたのです。 性能は結局、先に開発された紫電改と同等ですから、採用されたかは微妙ですけどね。😮
@ちゃたろう-n3y
@ちゃたろう-n3y 2 ай бұрын
自分はガルパン初期放映当時にそれ繋がりでファインモールドの公式で初めて知ったので認知かなり遅いです。特徴的な主翼で外観カッコよくて一目惚れしました。 試製と11型、72と48合わせてプラモ6個買って全部作りました。 めっちゃカッコいい!!
@arthurc5497
@arthurc5497 2 ай бұрын
この機材めちゃくちゃでかいんだよね 50年以上前に1/72スケールのプラモ作って零戦と並べてみたことがあるけど、絶対縮尺間違ってると思ったもん
@大東亜解放神-d8p
@大東亜解放神-d8p 2 ай бұрын
肥満化した戦闘機なんですよね。 「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトを打ち出した段階で肥満化は決定してましたね。
@三浦英則
@三浦英則 2 ай бұрын
​@@大東亜解放神-d8p空技廠の試算した、零戦サイズの16試艦戦ならば、予定性能は確実だったと思います。  中島飛行機が大嫌いな、堀越二郎が三菱エンジンハ-43 、2200馬力の搭載にこだわったから無駄にデカイ機体になっている。 太い機体で設計したから重量が増える、増えた重量を130㎏/㎡翼面荷重に抑える為に、30㎡のデカイ主翼になるから。 速度は出ない。  そこまでムダな努力をして、結局は翼面荷重は150㎏/㎡。 しかも、この翼面荷重、実戦装備の防弾鋼板、防弾タンク、武装ナシでの数値と言われているから。 全部実装したら、170㎏/㎡程度に増大。 627㎞/hの速度も610㎞/hに落ちた可能性もある。 もちろん、6000m迄の上昇時間も8分程度に落ちただろう😰。 黙って、紫電改を生産した方がましだし、何なら、疾風の量産に海軍が協力した方が良い。 烈風は、堀越二郎の自己満です。
@のらくろ-i4o
@のらくろ-i4o 2 ай бұрын
模型で比べると改めて技術や設計思想の違いを感じれて面白いよね。
@fefffffffffefe
@fefffffffffefe 2 ай бұрын
F6Fより全幅、全長共に1mもデカい。。。 F8Fには手も足も出ないだろうな・・・
@AUAU015
@AUAU015 2 ай бұрын
50年前の1/72というとアオシマのキットですかね!?
@janjapan1689
@janjapan1689 Ай бұрын
烈風よりもF-80の方が初飛行も量産開始も早いのには、絶望しか感じない。
@猫大好き-c9g
@猫大好き-c9g Ай бұрын
戦場に間に合ってもF8Fが待機していたから無理。
@つかっちへっぽこぴー
@つかっちへっぽこぴー Ай бұрын
零戦ですら半世代の周回遅れなのに、十七試じゃそもそも間に合わんよね
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
零戦が実用化された時期にはアメリカでP-38やF4Uが640㎞/hで実用試験中。 ドイツではFw190が実用化されている。 日本海軍(陸軍も)海外情報は入手してるし、当時の航空雑誌ですらP-38やF4Uの存在を知ってるからね。 技術レベルが追い付いていないのは関係者は知ってるんだけどね。 上が無能なんだよ。 本来は、昭和15年には零戦の後継機の開発が必要なんだけど、チーム堀越は14試局戦と零戦の改修指示で忙しい。 32型で馬力向上余地が大きい金星への換装を三菱は考えてはいたが、栄21型がタイミングよく試験をクリアしたから金星換装は廃案。 ゴタゴタの中で、陸上基地用の主力戦闘機は14試(雷電)に決定。 性能不足の14試のエンジンを馬力向上型に換装して1943年に実用化する計画が大失敗。 17年にやっと烈風の計画がスタートするが完成予定が20年。 しかも、要求が二転三転して、エンジンも三菱がプッシュするハ43と海軍がプッシュする誉との板挟みで、意見統一が曖昧な状態で設計開始。 海軍がハ43搭載を容認する様な発言もしていたものだから。 三菱(チーム堀越)は機体サイズをハ43換装前提で設計して行く。 明らかに誉の馬力に対してオーバーサイズなのに、海軍側は強く否定もせず試作機完成。 案の定、最大速度は560㎞/hと零戦52型レベル😰6000mまで10分で零戦より3分も遅いし、運動性能は零戦52型以下😱。 バカデカイウスノロ戦闘機が爆誕したのです。 諦め切れない堀越君が『ハ43なら性能出せるもん‼️』と必死に海軍にクリンチ。 三菱の自腹で換装するのを条件に烈風の改造を承諾。 テスト結果。 627㎞/h(要求630㎞/h)6000mまで6分(要求6分)となり要求をほとんどクリア🎉。 三菱(堀越君)歓喜‼️。 でもね、この性能だけど、防弾装備ゼロ(烈風は防弾の要求がない)主翼の20ミリ4丁は未装備での性能。 計画では防弾装備や20ミリ4丁装備を要求されていたから。 実際の性能は下がる予測でした。 しかも、この時期に海軍横須賀航空隊では紫電改をテストしていて。 最大速度620㎞/h 6000mまで7分の性能を確認していて。 防弾も強力、火力も強力、運動性能も優秀とジャッジ。 A7(烈風)よりも優秀と報告、A7を中止して紫電改を増産するべきと進言してます。 これが烈風の真実です。
@大東亜解放神-d8p
@大東亜解放神-d8p 2 ай бұрын
まあ、肥満化した戦闘機でしたね。 零戦に金星を積んだ方が現実的でしたね。 「零戦に勝る格闘性能」というコンセプトそのものが間違いでした。 想定すべき敵機は米軍機であり、零戦ではなかったのです。 零戦をライバル視した段階で既に終わってました。
@eiji_kuma
@eiji_kuma 2 ай бұрын
海軍の「零戦22型に準じる格闘戦能力」っていう、頭が97式戦から進化してない要求が問題の根幹だからね。 源田とその弟子たちに問題の9割がある。
@三浦英則
@三浦英則 2 ай бұрын
​@@eiji_kumaさん。 目標とされた運動性能は零戦32型。 32型は零戦の中で一番ロール性能が良かったとされていますから、旋回性能とロール性能を32型並みに要求したのです。 あと、97戦は陸軍の戦闘機ですよ。
@mady_game_channel
@mady_game_channel 2 ай бұрын
強いかどうかは一旦置いておいて、機体が巨大化した件は後々の汎用性を考えれば、結果論として時代に則した形だったのではないかと思います。 (すぐに終戦でその先を考える必要も無いとか技術的にどうだったかも一旦置いて) F8Fが高性能を誇りながら機体の小ささ・汎用性の低さで早晩戦力としては陳腐化し、逆に設計年数が古いにもかかわらず大型のF4Uがその汎用性の高さと大型な故に強力なエンジン載せ替えを許容できる寛容さがあって長年活躍したのを考えれば、別にそれを狙って設計したのでは無いと思いますが、後々レシプロ戦闘機が戦闘爆撃機化する時代の流れを考えて、汎用性・寛容性のある巨大な機体はあながち間違えでは無かった気がします。 ま、本当に後々が無かったのでこういったお話も今では「無駄な議論」ではありますが。
@2001banekuro
@2001banekuro 2 ай бұрын
「雷電」で露呈したが、堀越は胴体設計に関してはまるでセンスが無かった。 というかもともと堀越は計算屋であって、実際に図面を書く作業を製図工にに丸投げしていたことが、詰めの甘さに繋がっていた。 これは当時の日本の工業界に蔓延っていた悪習と言っても良い。 とにかく色々デリケートな部分が多い航空機の場合、設計主務者がどこまで細部に拘るか、というのは重要なこと。特にこの時代は。 やはり欧米の著名な設計者は、自ら図面を書きまくる方が殆どだ。 そういう作業をする事で、本当に合理的な設計が出来るものらしい。 「烈婦」の図面を見ていて、何とも引き締まりの悪さを感じてしまうのは、海軍の過剰な要求のせいばかりではないと思う。
@keifu-mz8kz
@keifu-mz8kz Ай бұрын
堀越二郎のセンスが無いのは胴体設計だけじゃないぞ。 零戦の成功は、人命や機体強度の規定を無視したど外れた軽量化という、誰でも思いつくが決してやらない姉歯マンションのようなもので、決して優れた設計じゃないからね。
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
​@@keifu-mz8kzさん。 零戦の設計強度に関しては誤解があるようですね、基準となる荷重は1,8倍で設計されています。 荷重負荷試験では12,6Gまで耐えているんですよ。 試作機と実用初期型の空中分解の原因は、一回目はエレベーターマスバランス腕の亀裂断裂によるフラッターで墜落。 2回目はエルロンタブバランスを装備した初期機体に発生したのですが、発生した降下速度が想定より低かったのでエルロンタブバランスの撤去と主翼補強で対応して解決しています。 どちらも動翼部品の強度不足が原因であり、機体や主翼の強度不足ではありませんでした。 この空中分解事故を理由に『機体強度が無い‼️』とアンチサイトでは叩いてますけど、原因は動翼関連であり、改修後は空中分解もしていませんし、なんなら急降下制限速度を超えて空戦をしています。 343空のエピソードで紫電改の胴体が捻れる事故が複数発生したのですが、原因が制限速度の超過と急操作の過負荷で胴体が捻れたのですが。  343空のパイロットに制限速度の厳守を技術者が説明したら『零戦は制限速度を超えても壊れなかったのに🤔』と納得しなかった話しがあります。 彼らが紫電改に乗る前は零戦52型を経験しているはずですから、制限速度670㎞/hを超過して飛行していたのは明らかです。 さらに言えば、ソロモン諸島方面でのアメリカ陸、海軍パイロットの証言でも、急降下性能が低いとされた零戦が『いつまでも追いかけてきた‼️』『なかなか振り切れなかった‼️』と驚嘆する証言もありますから。 強度不足はアンチサイトの捏造ですよ。 最近は、隼を過大評価する方々が零戦を悪く過小評価してますが。 隼の方が機体強度が脆弱で1型は『急旋回で主翼が折れる』欠陥機なのに、アンチ零戦の方々は隼の欠陥は無視しています。 また、隼の12,7ミリは腔内爆発を頻発しており多数の隼パイロットが死亡しています。 零戦は20ミリの初期不良には苦戦していますが腔内爆発で自滅は聞いたこともないですね。 20ミリが『当たらない‼️』も過小評価ですね、初期の高G飛行中の給弾不良は零戦を最初に実戦運用した12空で不具合が概ね改善されていて。 空戦で戦果を上げてからは称賛されています。 確かに、急旋回時に主翼の撓みで命中精度は落ちましたが。 主翼に機銃を装備した戦闘機全般の弱点であり零戦だけが命中精度が低いのではないのです。そもそもですが、命中しない20ミリだったら流石に海軍も20ミリを辞めるでしょう。 零戦関連の書籍を読めばわかりますが、パイロットの大半が20ミリの威力を認めていて、初期の20ミリの改善要求は命中精度の向上ではなく『威力向上と弾数増加』なんですよ。 ほとんど同じ形式のMGFF20ミリを搭載したBf109Eのパイロットも命中精度にそれほどクレームは入れていません。 20ミリが当たらないではなく、20ミリを当てる技量がないが真実です。
@denjiko1372
@denjiko1372 2 ай бұрын
後知恵で言えば、雷電があれほど遅延せずに1942年ごろに投入できてればなあと思わずにはいられない
@三浦英則
@三浦英則 2 ай бұрын
14試。 順調に行けば17~18年に雷電が陸上基地専用機として配備予定でしたからね。 零戦の金星換装計画が最終的に頓挫したのも、雷電に期待したからなんだけど、、😢
@呑龍ハルカ
@呑龍ハルカ 2 ай бұрын
鍾馗使えで終了
@keifu-mz8kz
@keifu-mz8kz Ай бұрын
世間のイメージと違って、堀越二郎ってあまり優秀な設計者じゃない。 零戦だって、ほとんどは海外技術の模倣なうえ、強度設計でかなりインチキをかましてるからね。 雷電の開発を遅らせた紡錘型の胴体も、鍾馗を見ればわかる通り意味はなかったしね。
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
@@keifu-mz8kz さん。 強度計算はインチキはしてませんよ。 『三菱海軍戦闘機設計の真実 曽根嘉年技師の秘蔵レポート』と言う書籍があります。 一読して見て下さい、零戦アンチサイトこそインチキ歪曲捏造なのが理解できますよ。
@二見裕司-r6t
@二見裕司-r6t Ай бұрын
​@@呑龍ハルカエンジン不調の機体や、主翼が薄く20ミリ機関砲の搭載出来ない機体を採用しない。
@ガンジー-w4v
@ガンジー-w4v 2 ай бұрын
昔、烈風をモデルにした漫画が有ったね!!
@鳥海誠-i4o
@鳥海誠-i4o 16 күн бұрын
貝塚ひろし先生の『烈風』ですね、先生の戦闘機作品で好きなのは『ゼロ戦レッド』でしたね。
@gk76a3260
@gk76a3260 2 ай бұрын
震電と一緒で実機の写真が有って机上空論でないのがロマンを掻き立てられるよ。 現実には制式採用されてものせる空母は作戦行動は既に出来ず、搭乗員の熟練度は下がり、工場は空襲の標的になりで厳しかったでしょうねぇ。 性能的にヘルキャット並で優位は微妙でしたでしょうが、改造零戦よりは現場ではマシだったのかな。 後継機種の開発が出来なかった、開発力が低かったのがアメリカと戦うには厳しかった。
@SSGB
@SSGB 2 ай бұрын
烈風の外翼側は6.9度の上反角がつけられているけど内翼側は水平だから、内翼に下反角が付く逆ガル翼じゃないぞ
@eiji_kuma
@eiji_kuma 2 ай бұрын
生産性考えていない翼型だな
@グラット
@グラット 2 ай бұрын
終戦間際に実戦配備されても、F8Fには惨敗、F6Fにも苦戦しただろうね。
@三浦英則
@三浦英則 2 ай бұрын
戦わないから、伝説でいられる。  ロマンだけの戦闘機😢。     戦後に、設計者の堀越二郎氏が『自画自賛』。    痛い戦闘機なんですよ。
@呑龍ハルカ
@呑龍ハルカ 2 ай бұрын
隼より使えない機体を末期も末期に運用しようって方が無茶よw 運動性能に加速力も52丙<F6F<隼3型になっちゃったしな 三菱は1970年代には三菱F-1戦闘機が飛んでたくらいアメリカから警戒されてなかったけれど 中島はスバルとなってから今なお監視対象
@aky.dinghy45
@aky.dinghy45 2 ай бұрын
何事においても「失敗は成功の母」であり、「成功は失敗の母」となり得ます。日本の旧陸海軍の戦闘機開発の歴史を見ていると、そのことをしみじみ感じます。開発・完成時のゼロ戦は、その時点では、ほぼ完ぺきな(防御能力不足でも、当時の敵国戦闘機相手では小回りの戦闘力がそれを十分にカバーできた)成功モデルだったと思います。しかし、相手方が頑丈な機体で一撃離脱の空戦を仕掛けるようなると、明らかに分が悪くなっています。そこで、陸海軍とも新しい型の戦闘機を開発していくのですが、海外との技術交流が途絶え、しかも資源不足の、当時の日本で新型機の開発が難航するのは必然の流れでしょう。ここで、(今となって)特筆すべきは、イギリスのスピッツファイヤの開発史です。同機の初期型は、1940年の Battle of Britain に間に合った戦闘機で、それをイギリスは何度もバージョンアップしながら大戦末期(厳密にはジェット戦闘機登場)まで使って行き、イギリス上空の制空権をドイツに渡しませんでした。
@伊達孔明
@伊達孔明 2 ай бұрын
成功と失敗は、登場時期も大事です。スピットファイアは、島国である自国上空での迎撃戦闘には良かったが、反攻時の重爆護衛任務が出来ず、侵攻には役立たずでした。欧州の戦闘機思想から抜けるのが遅すぎたですね。  結局、1943年以降は、相手をどれだけ殺しても平気な夜間爆撃だった英国だから、ドイツまで飛んでいけなくてもスピットファイアは、愛想をつかれなかったですね。V1迎撃がありましたからね。 でもアメリカは議会が(米国人20%の故郷/出身国ドイツ民間人への誤爆を防ぐために)ヨーロッパ戦線での夜間爆撃を禁止したので、B17の被害が大きかろうが、護衛戦闘機付きでのドイツ昼間爆撃しか駄目だったから、航続距離が無いイギリス製戦闘機は全く相手にしなかった。  日本もアメリカも、戦闘機の航続距離は大事でした。
@aky.dinghy45
@aky.dinghy45 2 ай бұрын
@@伊達孔明 イギリス空軍は、スピットファイアを防空(局地)戦闘機として開発・運用しており、長距離護衛戦闘機はアメリカのノースアメリカン社へ開発を依頼しました。出来上がったのがP51ムスタングの原型で、(御存知とは思いますが)これのエンジンをロールス・ロイス製マーリンエンジンへ換装したのが、あの、名機のムスタングとなりました。こうした流れで見ると、スピットファイアは、局地戦闘機として活躍できればよいわけで、その役割を果たしたのではないでしょうか?
@ROSAHACHI25
@ROSAHACHI25 Ай бұрын
ハ43が出来ないのでいくら機体の開発を早めても搭乗を早めるのは無理 誉でもっと機体の小型化していないと戦力化出来なかった
@彩雲雷鳴
@彩雲雷鳴 2 ай бұрын
計画だけでなく試作機まで完成していたので、震電、橘花と同じく「惜しい戦闘機」「間に合っていれば」と思わせる機体。 仮に実戦化された場合の評価様々あるけど「仮想戦記」では大活躍。それはそれで幸福だったのかもね。
@メルリンス-t7m
@メルリンス-t7m 2 ай бұрын
エンジンが完成してればね。肝心の三菱エンジンがこの段階でもまだ試作段階。どんなに頑張っても年内に試作を終えれたか微妙だった。誉ですらトラブル続きだったのに、試作エンジンでは尚更ね
@takhyde8208
@takhyde8208 2 ай бұрын
烈風の動画でいつも気になるのは、元々ハ43の搭載を考えて機体が設計されていた、みたいな記述ですね。 海軍からは誉を指定されていた筈なのにいつ出来るかわからないエンジンを待っていた訳になるので海軍の方からすれば、抗命という様な印象を受けた可能性も高いのでは? そら、川西の紫電改に負けるよね。川西の本命の陣風が出てきたらもう絶対に敵わない あとね、ハ43積んだ飛行機は1つも実用化されていない。量産化された誉の足下にも及ばない、と思う
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
海軍と三菱のやり取りの中で、既に三菱からハ-43の搭載を提案されていました。 空技廠は難色を示していましたが、参加した海軍側の提案でハ-43の搭載も視野に入れた機体が良いのではないか?と提案されています。 17試艦戦の仕様を決定する席上で三菱(堀越二郎)は自社エンジンを強く推薦していた事実から、烈風は明らかハ-43の搭載を前提とした機体サイズで設計されているのです。 誉は、21型以降は2000馬力を予定されていたのですが、実質的には1800~1900馬力、2速全開で1570馬力だったのは三菱も知っていた筈ですから、明らかに確信犯的な機体設計なのです。 しかも、採用したエンジンは強制冷却ファン式の誉22型。 強制冷却ファンは100馬力以上の馬力損失のリスクがありますがら、三菱の測定で1200馬力程度なのは当然です。 三菱(堀越二郎)は最初から『誉では性能が出せない戦闘機』を設計したとしか思えないのです。
@中川智博-z9z
@中川智博-z9z 18 күн бұрын
@@三浦英則 現在唯一残っている写真をよく見てください。 明らかに瑞星から栄にエンジンを換装した零戦同様に段差がある事が気になりませんか? 零戦・雷電・烈風と機体形状を見ればわかるように、堀越技師は異常なまでに紡錘形に拘ります。 写真を見る限り烈風は明らかに誉搭載を前提に設計されていたのです。 因みに烈風で延長軸を使用しなかったのは海軍にぶっとい釘を刺されたからだそうですw
@三浦英則
@三浦英則 18 күн бұрын
@@中川智博-z9z 誉の搭載に関しては、海軍が譲らなかったからですね。 当然ではあります、なんせハ43は審査すら通過してませんからね。 烈風の仕様を検討する段階で、航空本部側も『どちらも搭載したい』との意見もでたのですが、審査を通過していた誉での試作で決定します。 ところが、最終的な補足事項打ち合わせで、胴体前方をエンジン換装が可能な様にする事を指示されています。 海軍側もブレブレなんですよ。
@中川智博-z9z
@中川智博-z9z 17 күн бұрын
@@三浦英則 海軍がブレブレなのは何時もの事ですよね。 そもそも紫電改が次期主力戦闘機に決まった時に、 三菱に烈風の開発を強制的にでも中止させて紫電改の量産を押し付けていれば少しはマシだったと思うのですが。(苦笑)
@三浦英則
@三浦英則 17 күн бұрын
@中川智博-z9z 烈風は資料が少ないですけど、その少ない資料だけ読んでも。 エンジン選定段階でグダグダのブレブレ。 誉の不調に付け入る様に三菱(堀越チーム)が自社製ハ43をプッシュ(審査すら通過して無いのに😑)。 誉の不具合多発に苦慮していた海軍航空本部側が、あろうことかハ43も積みたい(積める様にしたい)と意見を述べたり。 結局、三菱に押されて根負けしたのか?最終的な仕様決定には『胴体前方はエンジン換装が容易な様にする事』と明記する始末。 これで、堀越チームはハ43に合わせて設計する理由ができた訳でね。 そりゃ失敗しますわ。
@spitfiremk99rr
@spitfiremk99rr 29 күн бұрын
それにしてもこの巨体は戦闘機として異常だよなあ。紫電改の最高速度が600km/hなので、誉装備の烈風がゼロ戦なみの速度なのはむしろ当然。堀越はエンジンのせいにしてるが明らかに機体設計の失敗よな。大馬力のレシプロ艦戦としてはシーフューリーあたりの機体規模がベストなんじゃないかね。
@三浦英則
@三浦英則 2 күн бұрын
サイズはF6Fと同等(少し烈風が大きい)。 重量はF6Fより約1t軽量ではある。 エンジンの馬力は、どちらも互角ではあるが。 100オクタン価に水メタ噴射を加えたP&W2800は5分間限定で2速全開高度6100mで1975馬力を発生する。 三菱のハ43は92オクタン価に水メタ噴射30分の条件で2速全開高5000mで1930馬力と数値的には近似してはいる。 重量の軽い烈風がF6Fより10㎞/h程度優速で6000m迄の上昇時間は約6~7分でF6Fよりも2分程度早い。 急降下速度も互角(烈風は最終速テストを実施したか不明だけど)スペック的には互角だが、、、F6Fは1943年8月には実戦配備された戦闘機、烈風は2年送れてF6Fに追い付いたに過ぎない。 しかも、烈風11型の発揮した性能は、海軍が追加要求した防弾装備ナシ、20ミリ機銃4丁ナシの軽量状態での測定(ーдー)。 実戦装備を装着したら性能低下は必至。 しかも、ハ43で烈風が出した性能程度ならば既に『馬力不足』の誉21型を装備した紫電改が『全備重量』で出した性能と互角。 しかも、紫電改は20ミリ機銃4丁を通常装備、防弾燃料タンク自動消火装置、風防前面防弾ガラスを装備した状態で620㎞/hを横空の実測で発揮している。 これだけで考察しても烈風は要らない戦闘機だったのは明白です。
@川藤猫村
@川藤猫村 2 ай бұрын
問題はパイロットの育成やけどな。
@伊藤雲黒斎
@伊藤雲黒斎 2 ай бұрын
新造せず零戦を拡大改良しハ43を積めば生産ラインも大変更せずに済み実用化は少しは早くなっただろうに。ME109などは初期と後期では馬力倍増してたもんな。
@三浦英則
@三浦英則 2 ай бұрын
そもそもの試案(空技廠)の機体サイズは、零戦22型に近いサイズ。 重量も3100㎏。    この重量で約23㎡の主翼にて『翼面荷重130㎏/㎡』なんですよ。    エンジンは勿論、誉。 堀越二郎がハ-43に固執しなければ。 普通に、疾風か紫電改程度の戦闘機が出来たのです。
@miyamiya2237
@miyamiya2237 2 ай бұрын
海軍の要求を満たしたら、そんな重量・サイズに収まるわけないでしょ。紫電改も短い航続距離で翼面荷重は170ぐらいですからね。おまけに当時の誉の実力はカタログ値の3割引きの詐欺エンジンだ。
@三浦英則
@三浦英則 2 ай бұрын
@miyamiya2237 さん。結局、海軍の要求した翼面荷重では収まっていないのです。 それであるならば、誉のサイズに合わせた方が正解です。 おそらく、空技廠の思案に近い設計をしたら重量や性能は紫電改や疾風に近い数値になるでしょう。ついでに言えば、紫電改も疾風もテスト時点での航続性能は2000㎞を越えていますから、烈風に要求された性能に近似しています。 実際に巡航速度360~370㎞/hの疾風は翼面荷重180以上の機体ですが南九州~沖縄まで飛んで帰って来ています。 紫電改は343空が沖縄まで飛べないとしていますが、疑問が残ります。 当時、343空は南九州防空戦に参加、喜界島までの援護と迎撃任務に出撃していますが、巡航速度を370㎞/hから400㎞/hに上げて飛んでいますから燃料消費量が上がっています。 もっとも、沖縄~南九州の距離は直線距離で片道約960㎞ですから、貴重な戦力である紫電改を損失させるリスクが多い任務を避けた可能性は否定できません。 また、誉の馬力が1200~1300馬力に低下していた時期が丁度、烈風11型を試験した時期と重なります。 その後、馬力低下原因を究明して2速全開馬力を1500~1600馬力に改善しています。 この馬力は、疾風初期型が搭載した誉21型(特)の2速全開馬力1450馬力よりも上です。
@Miki_Nanase
@Miki_Nanase 2 ай бұрын
1種類の兵器が戦局に及ぼす影響なんて微々たるものでしょ? 核兵器って反論があるでしょうが、それを大量に落とせる戦局の有利さそのものが核を使用する側にあるということ。 艦上戦闘機レベルならなおのこと。
@りり-i7s6l
@りり-i7s6l 2 ай бұрын
「戦争に負けているのは海軍が主役をしている海上戦に負けているからである。海上戦に負けるのは航空戦で圧倒されているからである。航空戦が有利に展開しない原因は、わが戦闘機が制空権を獲得出来ないからだ。つまり、戦闘機が負けるから戦争に負けるのだ。」という思考もあってね?上記の論を吐いたのは賛否両論ある源田実氏だけど、近代戦では海でも陸でも空を押さえられたら勝てないのは当たり前なので、高性能レーダーや対空誘導ミサイルなんてものもない時代なんだし、強い戦闘機を欲するのは必然なんですよ。
@keifu-mz8kz
@keifu-mz8kz Ай бұрын
@@りり-i7s6l そもそも真珠湾攻撃をしなければ、アメリカが堂々と参戦することはできなかった。 対米交渉などずるずる引き伸ばしながら、仏印だけ抑えて石油を確保しとけばいいものを、絶対的強者に不意打ちをしかけて本気で怒らせるという大バカ者が海軍だ。 のび太が昼寝しているジャイアンの頭を蹴とばしたら、早期講和なんて出来る訳が無いという、小学生でも分かる事が理解できなかったのが山本五十六な。 そして、圧倒的に数で勝り、次々と高速一撃離脱を繰り出す米軍機に、紙装甲の機体で未熟な搭乗員が格闘戦を挑むとどうなるか、最後まで気が付かなかったのが源田実な。
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
​@@keifu-mz8kz確かに、その可能性を模索するべきでした。 ですが、既にアメリカは日本に対して禁輸を実施しており、アメリカに戦略物資を依存していた日本は、持って一年の原油と鉱物資材の備蓄しか無く。 対米交渉に時間を取られるほどに『じり貧』が明白でした。 真珠湾攻撃の前に、仏印進駐がアメリカ国民の対日感情を悪化させています。 この行動が更にアメリカとの交渉の難易度を上げます。 元々、欧州戦争に加担したいアメリカ政府は世論の『不干渉主義』に配慮していてイギリスへの支援にも反対意見もあり、内政的には戦争参加は困難でした。 そこで、もうひとつの仮装敵である日本に矛先を向けます。 国際連盟から離脱して中国で暴れる日本のネガキャンを展開、国際的孤立を確実にさせ。 ドイツとの同盟を締結後に。 日本への経済制裁を強め日本の対米感情を煽ります。 それでも日本政府や軍部の良識派は対アメリカ戦争回避を模索しますが。 アメリカの『ハルノート』の内容に『要求に従えば日本は自活不能となる』と、陸海軍は戦争を決意します。 山本五十六は米国駐在武官を務めた経験もあり、海軍内部では『親米派』時折、アメリカとの戦争を批判する動きを見せますが。 発言が問題視され政務に意見が難しくなる連合艦隊指令長官に付され、内政から離れます。 その中で、対米作戦として黒島参謀を筆頭にして。 対米奇襲作戦を考案それが真珠湾奇襲となります。  目的は、対外戦争不介入のアメリカ国民に対する精神的圧力を与え、厭戦機運を高め。アメリカ政府を交渉のテーブルに乗せること。 同時に、南方資源を確保して長期自給体制を構築して。 アメリカ軍に出血を強いて短期講和を目指すことだが。 駐米外務官僚の職務怠慢で宣戦布告が遅延、アメリカ政府に反日アピールの口実を与えて、長期間の戦争が確実となる。 結果、日本は当初の自給体制確率による防衛作戦から、拡大路線に転換。 陸軍は反対するも海軍は米豪遮断を理由に戦域を拡大、日本のロジスティックス能力を越えてしまいます。 山本五十六の構想は宣戦布告で失敗した時点で破綻していました。 戦争の負けを元々確信していた山本は戦場視察を名目に最前線に無防備で訪問を実施。 これは、明らかに『自殺』目的でしょうね。 些か身勝手ですが。
@comete5d361
@comete5d361 Ай бұрын
@@三浦英則 さん あけおめです。新年早々何ですがちょっとだけ違うんです。これは指摘させてもらいます。 ハワイをやめても日米間で戦争は始まっていたでしょう。山本長官は日米戦争の推進者ではありませんし、西進論などはSNSでしか通用せず、最近は陰謀論者すら語らない空論。参考までに事実関係を以下に示しておきます。 政府と大本営陸海軍部は元々「比島で」対米開戦する想定で、その大方針は41年9月6日の御前会議において国策として決定済み。比島に手を出せば米国と戦争になる旨、反対意見が挙がっていたものの。資源海運の制空制海権が重要として陸海合議済み。陸軍部内は服部卓四郎作戦課長が場を制した様子が大本営機密戦争日誌に記録されている。 一方、山本長官のハワイ作戦が大本営レベルの公式な海軍作戦計画案として俎上に上ったのは同9月24日。海軍軍令部における特別討議でこの時「投機的にすぎる」として却下されたため、山本長官の職を賭する発言に繋がった。したがってあくまで政府大本営の開戦判断が先、ハワイ攻撃案の採用は後。そも山本長官には国策決定機関である大本営連絡会議や御前会議への列席すら認められていない。 比島、グアム、ウェーキ、ミッドウェイ、香港、マレー。開戦初日の攻勢が如何に大規模な侵攻であったかは「地図で見る」という動画chが詳しい。41年4月から続いていた日米和平交渉のテーブルの下でこれだけ大規模な侵攻作戦が現実化すればハワイ奇襲が無くとも米国民が怒り立ち上がるのはごく当然。FDRの開戦演説「恥辱の日」もその観点で訴求されているし、米国世論もそれ以前にすでに反戦多数なんかじゃない。比島の独立も名目的なもので、アジアにおける米国の利権は「パリティ権」としてしっかり確保。米国民が笑って許したりしないことは世論調査記録でも明らか。 この方、各所でヘイトを撒き散らかしている立派なアンチと見え、ショートの方ではかなり私に絡んでくるキルレ信者です。でも何と言うかヘイトの方向性が良くないですね。海自につながる海軍の名誉を不当に毀損すれば、間接的に某海洋覇権国家に益するから外患援助と見えなくもない。もちろん言論の自由はあるにしても個人の名誉を毀損し、戦争犯罪人のように扱うのならもう少し正確を期するべきなんです。
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
​@@comete5d361あけおめです。 ご指摘、解説ありがとう。 彼が、如何にも『山本五十六』が戦争を始めたと言ったのでね、ザックリと流れを説明したしだい。 大日本帝国の自活には石油や鉱物資源は必須ですからね。 南方侵攻が主で、真珠湾は後出しなんですよね、意外と、この事実が無視されてます。 アンチ系統の方々は『山本五十六』が主導したなんて平気で言いますが。 先コメでも書いた様に、山本五十六は軍政から弾かれてますからねぇ。 真珠湾攻撃だけを切り抜くと、如何にも『愚か者』となりますが。 彼の意図は、アメリカ大平洋艦隊に大打撃を与えて、講和の糸口を引き出す考え(絶望的な希望だけど)もありましたからね。 いずれにせよ、山本五十六が真珠湾奇襲をしなくても、日米関係は拗れてますから(アメリカの世界戦略も含めて)。 史実とあまり変わらず戦争になっていたでしょうけどね。 追伸、確かに若干拗れた方ですよね。 キルレだったり、零戦や海軍に対してのアタリが強いかなとは思ってます。 書籍を読んだり、時系列を見たりすれば良くなるとは思うかなぁ。
@judok5880
@judok5880 2 ай бұрын
欧米の総合力に敵わなかったと云う事。
@早部健
@早部健 2 ай бұрын
零戦の後継機と言うまぼろしを追ってしまった海軍の愚行
@user-lu5bk6ps6r
@user-lu5bk6ps6r 2 ай бұрын
「烈風」と言い「震電」と言い、もし実戦に参戦していたらどんな戦果をあげたろうか。
@三浦英則
@三浦英則 2 ай бұрын
烈風。 P-51H、P-47H、そしてF8Fに叩き落とされる    震電。 冷却不足で実用不可能(数回の飛行テストで、速度290㎞/h程度でオーバーヒートしてますからね、全開運転したら、、、😑)      キビシイけど、コレが現実。 疾風と紫電改の方がマシ。 誉も23型で馬力が2000馬力以上が目前だったからね(誉21型は実質的に1800馬力だったからね)     そうなると、馬力アップした疾風と紫電改の速度は20㎞/hは底上げされる。 疾風だと660~680㎞/hは期待できるし、紫電改でも630~650㎞/hは期待できるからね。 烈風より遥かにマトモです。
@takhyde8208
@takhyde8208 Ай бұрын
震電は、カナードのサイズ不足と迎角不足、インテークのサイズ不足などかなり機体改修しないとまともに飛ぶのが難しい状態で開発中止寸前だったらしいので、烈風の方がまだ活躍の可能性があったと思います。
@user-lu5bk6ps6r
@user-lu5bk6ps6r Ай бұрын
ありがとうございます。 震電はゴジラ映画で活躍したり、押井守監督の「スカイ・クロラ」で震電をオマージュしたような機体が出ていたのでなかなかのものと思っていましたがそうだったんですね。勉強になりました。
@Landscape01
@Landscape01 24 күн бұрын
そう言う数値がゴチャゴチャ引っ掻き回してたのって源田だろう。奴が全部ダメにしたんじゃないかと思ってる
@user-xn8xl4xx4e
@user-xn8xl4xx4e 5 күн бұрын
17試は源田さん関係ないです。 誉の二次試験が16年8月に通ったので、試作要請が出した。 同じころに四式戦の発注出されてます。
@keifu-mz8kz
@keifu-mz8kz Ай бұрын
圧倒的に数の多い敵に格闘戦で後ろを取るという戦い方は、もたもたしてると簡単に他の敵に後ろを取られるので、紙装甲の日本機は一撃で火だるまにされる。 高速で次々と一撃離脱を駆使する米軍に、未熟なパイロットが格闘戦で対抗するのは愚の骨頂なんだが、結局海軍は陸軍と違って終戦まで戦闘機の戦い方を理解することが出来なかった。 ま、真珠湾攻撃をしてアメリカを本格的に参戦させたり、ミッドウエーでどっちつかずの戦い方をして大敗したり、おとり部隊が敵前逃亡したりと、海軍は頭の悪い作戦ばかりだったな。
@user-xn8xl4xx4e
@user-xn8xl4xx4e 5 күн бұрын
旋回運動は旋回率と旋回半径があり。旋回半径は低速でバンクが深い程に小さく回れる(低速で深いバンク角度では失速の危険性が。)。速い速度では浅いバンクに成りやすく、速い速度に成る程に大きく回る事に。 零戦の軽さからの測定から。バンク角度に劣る、上昇力に劣る、バッファロー、P40。F4F-3は軽さと主翼の薄さから結構に縦旋回半径は劣るが、横旋回半径は零戦二一に肉薄したとか。 速度が低速だとバンク角度が深いと失速する。揚力が稼げないので。 旋回率は速い速度でも深いバンクなら速く回れる。 F6Fは速力で零戦を上回るので、速力と深いバンクで零戦より横旋回率が上回る。F6Fは零戦より上昇力が劣るが横速度が勝るので、横旋回率が勝る。零戦より横旋回半径は大きく成るが、速く小さく回れる。 十七試は。 旋回性能は良く出来ているが。速力、上昇力が劣る。 小福田少佐は、3000㎏超える機体で防弾が無いと。 志賀少佐は、零戦二一のデカイのは要らない。欲しいのは速力と上昇力。
@themuraoka
@themuraoka 2 ай бұрын
雷撃機に転用すれば?
@jx6004
@jx6004 2 ай бұрын
載せる空母が既になかったんじゃ?
@呑龍ハルカ
@呑龍ハルカ 2 ай бұрын
@@jx6004 雲竜級をはじめ空母はあるよ 搭乗員も余計な重油もないからクソの役にも立たなかったけれど
@takhyde8208
@takhyde8208 Ай бұрын
流星の立場は?
@themuraoka
@themuraoka Ай бұрын
アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMに出てるね、、、@@takhyde8208
@user-xn8xl4xx4e
@user-xn8xl4xx4e 5 күн бұрын
16年8月の誉の二次試験に通って、17試試作要請が出て。同じころに四式戦の発注が出されて。四式戦は間に合って。烈風は名前のみで、予定20年には。 十二試も、十四年三月の試作1号からの手直しは、曽根さんだし。設計ミスの尻拭いは曽根さん。十六年の主翼フラッターからのエルロン脱落の直しも曽根さん。 お陰で、二一型は速力が4000mで288ノットに成った。 降下速度は650mに制限されたが。 曽根さん設計の改良型の三二型、二二型の方が強度も増して降下速度は730ノットに、ましているし、エルロンの縮小からロール性は良くなっいる。二二型は、主翼先の折れるに戻して(艦載機)も、二一型を中島に作らしているのは、二二型は海軍に不満が有ったのか。 一二試だけでも堀越氏の設計は大した事無い。 九試を自信作と言うが、単座戦闘機だし。中島の九七単座戦闘機方が性能良いし。 艦上機に成るまでに二型から四型までかかっている。 剛性低下は、本庄技師が八試特殊偵察でハインケルンのワイヤーを使ったら伸びてエルロン、エレベーターの動きが半減したのが好評だった。それを本庄技術が九試に使ったら。曽根さんが説明してますし。それで博士号取るとは。 雷電は三菱の発動機が震動対策して無かっただけで、特許取得したP&Wには、付いていたが、特許と工作(銀メルケット、ダンバー)から無視しただけだし。そんな知識もない、堀越氏が延長して余計に悪化さした。 瑞星は栄に敵わなかっただけ。金星が1300馬力に成るのは5×から。ウェートレシオンからは、栄一二型と同等に成るのが金星5×型。ただし機体重量3000㎏になる。 三菱の戦闘機は堀越氏の設計ミスと、三菱の発動機の問題。 18年には彗星の一部も火星に変換も無くなってます。19年末に金星6×に成りましたが。
@miyamiya2237
@miyamiya2237 2 ай бұрын
日本版F6Fみたいなものだが、誉という詐欺エンジンに騙されて性能が出なかった。クルマで言えば、2Lエンジン搭載のはずが、実際は1.5lLぐらいのイメージになる。それぐらい出力がでなかった。四式戦も紫電改も彩雲も性能は激落して、大した活躍はできなかった。整備すれば飛べるのだけどね。
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
そうでしょうか?。 馬力不足のハ-45(特)1800馬力、2速6000mで1450馬力の疾風は、620~650㎞/hの速度を発揮。  初実戦の中支方面でP-51C、P-47Bと互角な空戦を展開しています。 また、海軍の紫電ですら誉の性能が安定していた時期には602㎞/hを発揮していましたし、紫電改は横空の雷電21型との比較テストで実測で610~620㎞/hを出していて、雷電よりも優秀である事を証明しています。 また、343空のパイロットの証言から610㎞/h以上は発揮していたのは確実です。  彩雲も初期試作機が発揮した635㎞/hが最高で、プロペラを3翅にした実用機体の解体公式データの609㎞/hが最大速度とされていますが。 数少ない彩雲パイロットの証言から実際は610㎞/h以上の速度を発揮していたのは確実です。 誉は確かに昭和19年の一時期、仕様変更に伴う馬力低下があったのは事実ですが昭和20年1月には原因を解明して馬力が回復しています。 烈風が試験飛行を実施した時期は、まさしく誉が馬力不足に直面した時期にあたります。 それと、烈風が搭載した『誉22型』は強制冷却ファン装備型、強制冷却ファンは馬力損失を招きますから、馬力不足が酷くなるのは必然です。   そんな馬力不足の誉21型でも疾風は610~620㎞/h、紫電580㎞/h、紫電改590㎞/h、彩雲609㎞/h、流星56 0㎞/h、銀河550㎞/hを発揮しています。 答えは明白、烈風が誉には合っていないと言うことです。
@ROSAHACHI25
@ROSAHACHI25 18 күн бұрын
@@三浦英則 海軍は誉21型の2000馬力を約束していたのですよ? 三菱も実際は1800馬力しか出ない海軍の要求する翼面荷重では速度が出ないと反論するでしょう。 疾風や紫電改は陸上戦闘機で空母からの運用を考慮する必要はなかったですからね。 更に提供された試作機の馬力は実測で1300馬力では話にならないでしょう。
@三浦英則
@三浦英則 17 күн бұрын
​@@ROSAHACHI25 約束どおりの馬力の誉でなかったのは事実。 原因は、仕様変更したシリンダーヘッドの排気バルブ位置が設計より5ミリずれていた事でした。 中島では原因究明中で、解決したのが昭和20年1月頃でした。 実際のところ、誉22型が予定どおりの馬力を発揮しても要求性能は未達と計算されていました。 仕様決定の最終段階で翼面荷重を海軍のテストパイロットの意見で130㎏/㎡に下げて旋回性能を上げて欲しいと唐突な仕様変更意見が何故か採用され。 主翼面積が増大する事が決定、速度が低下する事を海軍側が容認して開発がスタートしています。 その時に出された推定速度は610㎞/h程度とされていました。 仕様を決める段階で、サイズの大きいハ43への換装前提とすることを曖昧に海軍側が容認(胴体寸法増大)、翼面荷重150㎏/㎡で仕様が決定していたのに唐突な翼面荷重130㎏/㎡への変更(主翼面積増大)。 これでは額面馬力が1800~1900馬力の誉では計画速度648㎞/hは不可能なのです。 昭和16年(日時不明)だが、空技廠の次期艦戦の試案がありました。 誉(2000馬力)の搭載を前提とした試案でしたが、その推定機体サイズは零戦22型と同程度としており、予定重量を3100㎏程度としていました。 勿論試案ですから、戦訓による装備追加や仕様変更で3700~4000㎏に増大する可能性も張らんではいますけどね。 この零戦22型に近いサイズの誉搭載の戦闘機が皮肉な事に紫電改なんですよ。 しかも、紫電改はフラップの少々の改造と後部胴体の着艦フック取り付け補強だけで艦戦に化けてしまった😑。 フラップ下げの離着陸時の翼面荷重は130㎡/㎏程度になっていましたから、海軍が烈風に求めた要求もクリアしてしまいます。 それで着艦性能が悪ければ不合格ですが、地上での空母着艦想定試験では問題なしと判定、空母信濃への着艦試験を実施。 テストパイロットは海軍の山本少佐、彼は元々空母戦闘機隊のベテラン零戦乗り。 彼の紫電改2の着艦の模様は『空のカケラ』と言う個人サイトでインタビュー記事が閲覧可能だが、要約すると『零戦より楽、これなら初心者でも容易に着艦できる』と語っています。 更に言えば、誉搭載の戦闘機にしては太目の紫電改はハ43も搭載可能であり、計画速度は660㎞/hと推定。 1900馬力程度の誉でも610~620㎞/hの横空実測データから、2200馬力のハ43に換装すれば660㎞/hは出ると予測されていましたから。 仮に烈風がハ43で完成していても630㎞/hですし、しかも、あの性能は予定した20ミリ4丁ナシ、防弾装備ナシでの性能。 一方、紫電改は20ミリ4丁アリ、防弾タンク、防弾ガラス、自動消火装置アリ。 更に計画では何故か装備されていなかった背部防弾鋼板も搭載予定された馬力不足の紫電改は610㎞/h以上を発揮してるんですから。 総合的に烈風は、艦戦としても局戦としても不出来なんです。 川西が自由に設計したらソコソコ万能な戦闘機が出来てしまったんですよ。
@ROSAHACHI25
@ROSAHACHI25 17 күн бұрын
@@三浦英則 見逃している点があります。 航続距離は烈風の方が優れており、紫電改がハ43に交換すると更に航続距離は縮みますし、ハ43搭載による自重の増加が150kg以上あるので、その分翼面荷重も悪化し、カタパルトを持たない日本の空母では発艦距離が伸びてしまいます。 その時期の日本の空母は急造した雲龍型が主体ですから甲板に並べられる航空機が制限を受けますし、攻撃隊の航続距離に随伴出来ない艦載戦闘機になってしまいます。 空母で使えても攻撃運用が難しい戦闘機でしかありません。 アメリカは油圧カタパルトを装備していたので翼面荷重の制約はありませんでしたから。 そして信濃への着艦は空技廠の山本重久少佐では? 民間のパイロットを空母の着艦試験を行うのはあり得るのか疑問です。 航空母艦信濃と艦上戦闘機に回想された紫電改について記す。 昭和19年11月11、12日 船体が完成した信濃の公試運転が東京湾で行われた。その折、信濃の飛行甲板に 着艦したのが「艦上戦闘機紫電改二(試作)」である。 この特別な機体は 紫電三一型(試製紫電改二)と称され、この時、紫電改で信濃に 着艦を行ったテストパイロットは 山本重久少佐(海兵66期)で、 紫電改着艦テスト前には、零戦や天山、彩雲、流星改などの着艦テストが 完了していた。 元来、航空母艦に搭載する艦上戦闘機としては ゼロ戦の純後継機である 「烈風」が開発中であり、堀越二郎が寝る間を 惜しんで 完成を目指していたが、戦局悪化は甚だしく事態は 急を要する。 そこで、局地戦闘機「紫電改」を急遽、艦上戦闘機に改造する 案件が まとまり、早々に試験機が一機製作された。 試験飛行当日、天気は快晴、 追浜飛行場を離陸した黄色い試作機色の 紫電改は、単機、青い空へ 吸い込まれるように消えて行った。 間も無く、山本の眼下、東京湾を南下する 「信濃」が認められた。 真珠湾攻撃、インド洋では赤城に乗り組み活躍、 後に翔鶴のパイロットとして転戦した経験を持つ山本であったが 信濃の巨大さには驚いたという。    山本少佐の操縦する紫電改二は初めに二度タッチアンドゴー (接艦テスト)を行ったのち、いよいよ三度目で着艦を試みることになった。 低空で誘導コースに入り、着艦フックをおろし 随伴する駆逐艦の上空で ファイナルターン(第四旋回)をおわり アプローチをして着艦パスに入った。 山本はこのときの印象として 「零戦より視界良好で、赤と青の誘導灯も飛行甲板もよく見えた。 パスに乗るのも左右の修正も容易である。スロットルを絞り操縦桿を 一杯に引くと、スーッと 尾部がさがって、三点の姿勢になり、着艦 フックがワイヤーを拘束した。これなら経験の浅いパイロットでも 着艦できるであろう。零戦よりやさしいと思った」 と記している。
@三浦英則
@三浦英則 17 күн бұрын
@ROSAHACHI25 あ~いい忘れてましたね。紫電改5は艦戦仕様では無いですから、航続性能は差ほどに重要ではないでしょう。 誉搭載型の紫電改2であればカタログ上の航続性能は烈風と同等(少し劣る程度)ですから当時の空母同士の海戦であれば半径400㎞程度で行われていますから許容範囲でしょう。 実際に、マリアナ海戦でアウトレンジ戦法として500㎞を越える攻撃を実施しましたが、当時の現場将校からも未帰還機が増えるとして海戦直前まで揉めていて、妥協案として帰還時間に合わせて艦隊の距離を詰める様にしていました。 アメリカ海軍も同様で、400㎞内外の行動半径でしたから、紫電改2でも充分な航続性能でしょう。(ちなみに、マリアナ海戦では日本艦隊を追いかけて500㎞を飛行したF6Fは80機も未帰還になったそうですよ) マァ、1945年には日本機動部隊は実質的に壊滅ですから意味の薄い改造ではありますね。 烈風なんですが、試作中に着艦フックを一度も装備して無かったんですよ。 当時の日本海軍は空母運用を諦めていて、主要な戦闘機は陸軍と統合する方向で。 海軍の甲戦(対戦闘機及び艦戦)は陸軍のキ94やキ83になる計画でした。 実際の既存戦闘機は生産中の機体になりますから、仮に烈風11型が量産されても陸上戦闘機(甲戦)としての運用となっていたでしょうけど。 海軍戦闘機の御意見番である横空は『M7は見込みなしK2を量産すべし』でしたから、もう少し戦争が継続したらハ43は紫電改に回されて烈風は廃案だったでしょうね。
@まーくん-x6y
@まーくん-x6y Ай бұрын
こんな無駄遣いするより、陸軍に頭下げて四式戦共同使用してれば稼働率も上がり戦果拡大出来たんやで。 振動発生装置付きの雷電もそうや、二式単座戦闘機鍾馗を共同で使えば良かったんや。 月光もそう、二式複座戦闘機屠竜で充分。 欠陥機零戦だって一式戦使ってれば性能向上していったんや。 零戦は欠陥機だから基本設計が間違っており、後期型は性能落としてまで防弾装備したり迷走したわけ。 下駄履き改造の紫電改?笑 これも陸軍に頭下げて四式戦使えば良かったんよ。 ホンマに海軍は能無しの塊で無駄遣いばかりよ。 何故陸軍が空母運用して潜水艦作って運用せなあかんねん。 ところで、一式戦は空母離発着出来ないというアホがおるから説明しとくけど、翼面荷重から考えると全く問題ない。 着艦フック付けるなど簡単な改修で充分対応可能なわけよ。 何なら四式戦でも大丈夫なぐらいやしな。
@三浦英則
@三浦英則 Ай бұрын
また妄想か?。 艦上戦闘機の着艦衝撃は陸上に着陸するのとは訳が違う。 隼が性能向上?。水メタ噴射して1944年9月でやっと零戦52型に追い付いたのを知らんのかな?。 時系列を無視しては駄目。 主翼に12,7すら入らない隼を主力戦闘機にしたら、もっと悲惨な歴史になってるぞ。 都合の良い部分だけピックアップする詐欺的な主張をよくもできるな。
@呑龍ハルカ
@呑龍ハルカ 2 ай бұрын
こんなのに資金と資材回すなら疾風3型に回すほうがずっと良い 空母はあっても重油も搭乗員もないんだから
@arthurc5497
@arthurc5497 2 ай бұрын
海軍と陸軍は別予算なので・・
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