何事においても「失敗は成功の母」であり、「成功は失敗の母」となり得ます。日本の旧陸海軍の戦闘機開発の歴史を見ていると、そのことをしみじみ感じます。開発・完成時のゼロ戦は、その時点では、ほぼ完ぺきな(防御能力不足でも、当時の敵国戦闘機相手では小回りの戦闘力がそれを十分にカバーできた)成功モデルだったと思います。しかし、相手方が頑丈な機体で一撃離脱の空戦を仕掛けるようなると、明らかに分が悪くなっています。そこで、陸海軍とも新しい型の戦闘機を開発していくのですが、海外との技術交流が途絶え、しかも資源不足の、当時の日本で新型機の開発が難航するのは必然の流れでしょう。ここで、(今となって)特筆すべきは、イギリスのスピッツファイヤの開発史です。同機の初期型は、1940年の Battle of Britain に間に合った戦闘機で、それをイギリスは何度もバージョンアップしながら大戦末期(厳密にはジェット戦闘機登場)まで使って行き、イギリス上空の制空権をドイツに渡しませんでした。