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「水の都」と呼ばれる、現在の岐阜県大垣市を中心に、1896年、1年にと2度も水害が起きた「明治29年洪水」。
7月は低気圧、9月は台風による豪雨で堤防が決壊し、多くの建物が軒上浸水。
岐阜県全体で実に200人以上が犠牲になりました。
特に9月には、川からあふれた水が大垣城まで達し、石垣には当時「どこまで水が来たか」を示す線が刻まれています。
大垣のように、低い土地を堤防で囲む「輪中」地域が、なぜ大きな被害を受けたのか?
そして今もその土地で暮らす地元の人たちに、どんな「教訓」が伝わっているのか?
名古屋大学減災連携研究センターの田代喬特任教授と斉藤初音アナウンサーが、気になる「7月の水害」のなぞに迫りました。
■CBC防災ステーション宣言
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