【ゼロからわかるユダヤの歴史】イスラエルの失われた10支族がイギリス王室に!?|茂木誠

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むすび大学チャンネル

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Күн бұрын

Пікірлер: 162
@りゅうすいさん
@りゅうすいさん 2 жыл бұрын
「歴史の色々な解釈を楽しむくらいの余裕が欲しい」 まさに我が意を得たり、です。 皆が先生の様な想いに至ることが出来れば世の争いのほとんどは解決出来ると思います。
@きむら利世
@きむら利世 2 жыл бұрын
色々と先生の話を拝聴してまして ファンに成りましがなぁ〜〜 お話が上手やさかいに👍 おおきに🙇‍♀️
@musashino_103hi
@musashino_103hi 2 жыл бұрын
失われた10支族の行方から、様々な説が生まれていて面白いですね。 仮説の話かもしれないけど、興味を引く話ですよね。
@amami21
@amami21 2 жыл бұрын
先生、このシリーズは面白い。今までの勉強不足を補完してくれています。
@saekowinebrenner620
@saekowinebrenner620 2 жыл бұрын
いつも素晴らしい講義をありがとうございます。茂木先生の講義は無知な私にも理解しやすく、また学校では決して学べなかった事ばかり、本当にありがたいです。 ただ、モルモン経ですが、日本語版が出た当時はモルモン経(けい)と読まれていて今はモルモン書になっているそうです。 これからも客観的な視点での色んな歴史、物事の解説を待っています。とにかく茂木先生の講義は魅力的で楽しい〜〜!!
@th-di1gr
@th-di1gr 2 жыл бұрын
茂木先生お話し素晴らしい🧑‍🏫声に惚れぼれ!お勉強大好き💕
@にゃんぽち-c2w
@にゃんぽち-c2w 2 жыл бұрын
茂木誠先生のお話、毎日拝聴していたい❤️ 先生、大好ーーき
@ベック-m3u
@ベック-m3u 2 жыл бұрын
勉強になります😊 ありがとうございます🤗
@kousitu-tenpan-kaisei
@kousitu-tenpan-kaisei 2 жыл бұрын
古代史に、いろいろな解釈があって良い。違いを楽しみたい。その通りだと思います。
@tanakashigemitsu3029
@tanakashigemitsu3029 2 жыл бұрын
シンプルにまとめていただいて大変参考になります。結びなり。
@niinahina
@niinahina 2 жыл бұрын
とてもわかりやすかったです!
@Wataru6597
@Wataru6597 2 жыл бұрын
非常にわかりやすい解説でした。 ありがとうございます🙇‍♂️
@s28kids
@s28kids 2 жыл бұрын
まってました
@HI-gr8jv
@HI-gr8jv 2 жыл бұрын
このシリーズ面白すぎる
@Naraaogaki
@Naraaogaki 2 жыл бұрын
国境を越えた同祖論の展開にワクワクしました。有り難うございます。 今回のお話を伺って、ユダヤの人々が国を失っても古い伝統を重んじていたことが国際的社会にとってはとても魅力だったんだろうなと思いました。戦争で歴史を断ち切ると稽古出来なくなりますもんね。
@xapaga1
@xapaga1 Жыл бұрын
14:31 「モルモン教徒は民族差別(人種差別)をしない」という特徴に吾輩は疑念を感じる。というのも、彼らモルモン教徒は黒人(アフリカ系)という存在を根源的に忌み嫌っているように見えるからだ。街中で流暢な日本語を駆使して宗教勧誘している小ぎれいなモルモン青年たちも100%白人だ。そしてこれらの白人は黄色人種に対しては融和的だ。とはいえ、吾輩はその事実を批難する意図は毛頭ない。人間の持つごく自然な感情だと思うからだ。日本でも古来から「色の白さは七難隠す」というし、「黒い交際」、「黒星を喫した」、「泥を塗られた」、「ブラック企業」など黒は本質的に不吉なものだ。黒人同士やインド人同士でも色白の方がステータスが高いとされる。それに吾輩の訪米中に常に敵意を持って当たってくるのが黒人だし、親切な人は常に白人だ。だから吾輩は白人を好意的に見ている。そして黄色人種は冷淡だ。
@アマテラス-k1q
@アマテラス-k1q 2 жыл бұрын
待ってました。楽しみです。
@十蘭コメント
@十蘭コメント 2 ай бұрын
発信を、ありがとうございます。
@AdoptedCats
@AdoptedCats 2 жыл бұрын
08:08 日ユ同祖論も明治期に来日したスコットランド人のニコラス・マクラウド(ノーマン・マクラウド)が期限、日本と古代ユダヤとの相似性に気付き、調査を進め、世界で最初に日ユ同祖論を提唱、体系化した。日ユ同祖論の歴史は、彼の日本での英語の著作The Epitome of The Ancient History of Japan(意味は『日本古代史の縮図』 長崎日の出書房、1878年(明治11年) Illustrations to the epitome of the ancient history of Japan 京都)によって始まった。これは、後の1901年、「ユダヤ大百科事典」ニューヨーク版失われた10支族の項目に引用されたという。彼は韓ユ同祖論も唱えていたこともあって、マクラウドはなんでも失われた10支族と結びつけるいい加減な人物であったと結論する者もいる。彼の主張は、10支族の内の主要な部族は、青森戸来村、沖縄奄美、朝鮮半島らを経由して日本へ鞍馬寺へ渡ったのに対して、ダン族など残りの支族は、そのまま朝鮮半島に留まったというものであり、諸説論理上の整合性は取れている。マクラウド自身の素性についてはニシン商人とも宣教師とも言われるが、生没年含め詳細は不明で、現存する著書(第2版)の献辞がスコットランドのフリーチャーチ(スコットランド自由教会)の聖職者になされていることから宗教的には同派に関係すると推測されている。
@佐藤秀-w4m
@佐藤秀-w4m 2 жыл бұрын
チャンネル桜🌸討論番組より、こっちがいいなー、落ち着く。
@mmm-sf5gk
@mmm-sf5gk Жыл бұрын
真面目な話しを聞いて、オカルトミステリー的な物語って頭のいい人はしんじませんよね!
@shoma554
@shoma554 Жыл бұрын
7:07 そこはウェールズですね。 ウェールズといえばイギリスの先住民族であるブリトン人というケルト系民族がいた場所なので、そこに埋めたって言われてるんですねぇ。
@xapaga1
@xapaga1 Жыл бұрын
♫ウソ~を言っては困ります~! 現れ・な・い・のが、アーサーおぉでっす~♪ おっさん、そこはコーンウォール(Cornwall)でっせ。イングランドの一部にされちまってるが、歴としたケルト文化圏。二十世紀末頃にコーンウォール語話者が死に絶えて言語としては絶滅したが、二十一世紀に入り学者と地元民の努力で復活しつつある。あんさんの言うウェールズ(Wales)はもうちょい北な。そっちは四国と同じくらいの面積があり、四国を90度反転させたような感じだ。
@よっしー-p3l
@よっしー-p3l 2 жыл бұрын
面白いです! 勉強になります🤩
@marron_do8781
@marron_do8781 2 жыл бұрын
本当に面白い‼️
@あかり雪
@あかり雪 2 жыл бұрын
日猶同祖論は中川牧師の説明が分かりやすかった。
@chirolchoco9540
@chirolchoco9540 2 жыл бұрын
おはようございます☁️ 先生の話はめっちゃ聞き入れやすく また取り上げられてる話がとても面白くて勉強になります(*^^*)
@YN-fz6df
@YN-fz6df 2 жыл бұрын
アメリカ本土は行った事がないのですが、ハワイでモルモン教というのを知りました。深掘りしたのは初めてです。有難うございます。
@岡洋介-g3g
@岡洋介-g3g 27 күн бұрын
末日聖徒イエスキリスト教会。
@夜通星
@夜通星 2 жыл бұрын
太陽の船っぽい壁画が日本にもあるから太陽の船が九州まで来てたか、その存在を知っている人々が渡来したのかな?呉の太伯の子孫が渡来したという文献もあって本当面白い😀
@渡部健-s3e
@渡部健-s3e 2 жыл бұрын
もつうふすすくつつくす
@渡部健-s3e
@渡部健-s3e 2 жыл бұрын
@渡部健-s3e
@渡部健-s3e 2 жыл бұрын
すふふぬ
@qazmlp9397
@qazmlp9397 2 жыл бұрын
待ってました!
@じふもんぽん
@じふもんぽん 2 жыл бұрын
ここでモルモン教😳ユダヤ教と同じく縛りがやたら多いので何か繋がりあるかなぁと思っていましたが、、いや〜面白い!!
@長谷川良行-w2e
@長谷川良行-w2e 10 ай бұрын
ちなみにそれ以外の11部族は何と、日本に古代から渡来しているそうで。
@muraoku8760
@muraoku8760 2 жыл бұрын
声優みたいに良い声してますね❗️
@アマテラス-k1q
@アマテラス-k1q 2 жыл бұрын
百田尚樹チャンネル見ていて茂木先生が偏ってるとおっしゃってる方がいました。 とこにどう偏ってるんでしょ? 私は茂木先生の動画を1番楽しみに見ています。
@レイライン-s6o
@レイライン-s6o 2 жыл бұрын
嫉妬でしょ!
@すいぶ
@すいぶ 2 жыл бұрын
むっちゃ面白かったです。初めて知りました。
@ベジタリアンバター
@ベジタリアンバター 2 жыл бұрын
☆母系伝承シャーマン(沖縄・鹿児島)の『ユタ』とも語源的に関連性が有りそう。
@きむらしずく-z2s
@きむらしずく-z2s 2 жыл бұрын
日ユ同祖論は、2〜3ヶ月前に事実だと熱弁する人に出会い、興味を持っていました✨✨ 他の国にも、あるのですね✨ 私も、世界のさまざまな宗教の話はわりと好きで、 「いろんな価値観があるんだな」と受け止めています☺️ 神話や経典など、昔から語り継がれてきた物語には、人の魂を揺さぶるものがありますよね。 茂木先生のスタンスには、とても共感します✨ 次回も楽しみにしています😊
@man532
@man532 2 жыл бұрын
私だけかもですが。 「紀元前586」のテンションが意外とツボです。
@安安-c3n
@安安-c3n 2 жыл бұрын
モルモン書は、ジョセフ スミスによって、現代に出現 旧約聖書を補完する書物です。末日聖徒イエス・キリスト 教会です。
@tamaoka00037
@tamaoka00037 2 жыл бұрын
茂木〜が1番カッコイイ わかり易いし声が良いね👍
@とほかみえみため山下白雨-h5g
@とほかみえみため山下白雨-h5g 2 жыл бұрын
『モルモン書』 (モルモンしょ、英: The Book of Mormon)は、キリスト教系の新宗教である末日聖徒イエス・キリスト教会およびコミュニティ・オブ・クライストの聖典のひとつ。 表題は大正時代に『モルモン経』 (ーけい)と訳され、近年まで続いていた。教団外の文献では『モルモン経典』などと訳されている場合もある。 モルモン (Mormon) とは、最後の預言者モロナイの父の名前である。末日聖徒イエス・キリスト教会で使用している聖典のひとつが、モルモン書と呼ばれ、教会が俗称モルモン教と呼ばれるのは、この人物に由来する。 モルモン書の起源 入手および翻訳の経緯 1823年9月21日、ジョセフ・スミス・ジュニアはモロナイと名乗る神の使者に黄金の板の聖なる文書の存在を告げられ、4年後18歳になった時に掘るようにいわれた。 黄金の板は最初の預言者の家族の一人から預言者モルモンまで書き継がれ、死ぬ前にその子最後の預言者モロナイが西暦421年にクモラの丘にそれを隠してから、1827年にジョセフ・スミス・ジュニアが掘り起こすまで、ずっとその丘に埋められていた。 初版が印刷された印刷所 Book of Mormon Lands and Sites2.jpg 1827年9月22日にジョセフ・スミス・ジュニアが古代の変体エジプト語で黄金の板に書かれたイエス・キリストについての聖書とは別の「もうひとつの証(Another Testament)」をニューヨーク州ウエイン郡にある丘に埋められたセメントの箱の中から入手した。なお、箱の中にはほかにウリムとトンミムという道具が入っていた[1]。 ジョセフ・スミス・ジュニアがウリムとトリムを使ってこの文書を翻訳口述しオリバー・カウドリ(英語版)とマーティン・ハリス (1783年生)(英語版)が英語で筆記した。原典である黄金の板は翻訳の後、天使へ返還したとされている。 翻訳された内容は、1830年に出版された。現在は英語だけでなく、色々な言語に翻訳・出版されている。現在までの頒布部数は全世界で1億部を超えている。 形態 GOLDEN PLATES.jpg 原典から写されたとされる古代文字 ジョセフ・スミス・ジュニアによるとその金板の大きさは幅15センチメートル、長さ20センチメートル、厚15センチメートルのルーズリーフのような構造で一方を3つの輪でとじてあった。1ページの厚みはブリキ板よりやや薄い金製の板だった。材質は「ブリキ板よりやや薄い」という証言から強度的に考えて18金程度の合金だった可能性が高いと言われている。(純金という記述もあるが分析した結果ではない) 重量については記録はないが運搬には馬が必要だったといわれている。天使から封をしてある部分(全体の約3分の2)は読むことを禁じられ、封のない3分の1の翻訳を命じられていた。そのため封じられた部分と翻訳を命じられた部分に一時的に分解された可能性がある(翻訳中の過失により原稿が紛失したことがきっかけで一部の封を切ることが許され、その部分の翻訳を命じられている)。翻訳は封じられていない部分の70~100ページ分と考えられている。使用されている文字は変形エジプト文字であり、本書の翻訳は普通の対訳ではなく、ウリムとトンミムの助けを借りて、古代文字を鍵として心に浮かんだイメージや文章を口述させたものであり、翻訳書というよりも解説書に近い。 黄金の板についてはジョセフ・スミス・ジュニア以外に11人の人物が、実際に手で触れたという宣誓供述書に署名し、残している。 ジョセフ・スミスの主張 ジョセフの言及によると、1823年9月、17歳になった彼はモロナイという天の使者の訪れを受けた。そしてモロナイはジョセフに、アメリカ大陸の古代の住民の記録が近くの丘に埋められていることを伝えた。また、その記録にはイエス・キリストの完全な福音が載っていることも告げた[2]。 1827年9月、21歳になったジョセフは金版の書を現在のクモラの丘(現在のニューヨーク)から掘り出し、神の霊感によってその書物を英語に翻訳し,この記録を編纂した古代の預言者モルモンの名にちなんでモルモン書と名づけたとされる。この書物はキリストについての(聖書と並ぶ)もう一つの証として,イエス・キリストの神性を証明すると主張している。 モルモン書の最後の預言者モロナイは、モルモン書が真実かどうか知りたいと願うすべての人に、次のような約束を残した。「また,この記録を受けるとき、これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように,あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら、誠心誠意問うならば、神はこれが真実であることを,聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。」(モロナイ10:4)[3] 2010年現在、モルモン書は106以上の言語に翻訳され、教会員は聖書と共に使用している[4]。 公開された英文の内容 モルモン書の初版本(1830年) モルモン書全般にわたって記述されている内容は、大きく分けて歴史的な記録と神の教えである。 内容は紀元前600年頃(預言者エレミヤの時代)、エルサレムからアメリカ大陸へ渡ったリーハイとその家族から始まり、その地において、神に従順なニーファイ人の子孫と神に背くレーマン人の子孫が対立、抗争しながら大陸全土に増え、最終的には慢心したニーファイ人がレーマン人に滅ぼされるまでの「歴史」である。 またそれに加えて、バベルの塔の時代に同様にアメリカ大陸に移動してきた2つの民族の興亡の記述もある。 モルモン書の記述の中には、復活したイエス・キリストが古代アメリカ大陸に訪れたという記述が見られる。
@vacuumcarexpo
@vacuumcarexpo 4 ай бұрын
だから、イギリス王室の紋章にユニコーンとライオンが入っているんですね。
@世界の変化
@世界の変化 9 ай бұрын
イギリスにもユダヤの影響が及んでいる事が面白いです
@kimiobb
@kimiobb Жыл бұрын
モルモン経の金版を発見したのは、ジョセフ・スミス です。
@katzPC
@katzPC 9 ай бұрын
アリマタヤのヨゼフ、有り難や。
@ジャルディーノチャンネル
@ジャルディーノチャンネル 2 жыл бұрын
おもしろい
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 жыл бұрын
イギリス王室と天皇家の紋章がどちらもライオンと一角獣だなあ
@レイライン-s6o
@レイライン-s6o 2 жыл бұрын
歴史的には皇室の方が圧倒していますね。でも日本列島にライオンや一角獣がいたとは思えない。伝播してきたとすれば、いつ誰がどこから?ってことになりますね!
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 жыл бұрын
@@レイライン-s6o 同祖論が正しいってことなんすかね
@酒井結衣-p3y
@酒井結衣-p3y Жыл бұрын
解釈は楽しい方がいいですね!そう、それがキングダムw
@Tosca934
@Tosca934 2 жыл бұрын
興味深いお話を有難う御座います。 ひとつだけ…キリストの最後の晩餐は金曜日では無くて木曜日の夜ではないですか?金曜日の午後3時にはイエス様は息を引き取っておりますよね。
@marron_do8781
@marron_do8781 2 жыл бұрын
先生、最後、「もぎまこ」でしたって聞こえました。良いですね!「もぎまこ」😊
@YASUCHIKAMORITA
@YASUCHIKAMORITA 2 жыл бұрын
日ユ同祖論より人類日本発祥説の方が好きw
@WRC80Evolution-R
@WRC80Evolution-R 2 жыл бұрын
大変勉強になります。ありがとうございました。(^_-)☆
@いぬ-d6s
@いぬ-d6s Жыл бұрын
エリザベスはドイツから来たと聞いてますが??。
@masrao0816
@masrao0816 2 жыл бұрын
日ユ道祖論、楽しみです!👍
@ronkon1000
@ronkon1000 2 жыл бұрын
先生の字、「もぎ書体」として販売してくれないかな。
@masatomo7760
@masatomo7760 2 жыл бұрын
ユダヤ12支族と干支(えと)の十二支とは関係あるんでしょうかね?
@cookiesch.
@cookiesch. 2 жыл бұрын
ハワイのアトラクションのポリネシア文化センターはモルモン教徒のBYUの学生が働いていて園内ではお酒を提供していない。
@romiko39
@romiko39 2 жыл бұрын
私モルモン教やってました。😄 黒人は蛇の子孫だと言ってました。色々と変なのでやめました。
@early3
@early3 2 жыл бұрын
私はモルモン教やってますが、黒人は蛇の子孫だなんて言ってませんよー。人類は皆平等です。
@romiko39
@romiko39 2 жыл бұрын
@@early3 さん。40年前は言ってました。
@early3
@early3 2 жыл бұрын
そうですか、40年前にそのようなことを聞いたのですね。それを話した人は何か勘違いしていたのかもしれません。それはとても残念なことでした。末日聖徒イエス・キリスト教会の公式ホームページに正しい教えが載っていますので、よろしければ訪れてみてください。返信ありがとうございました。
@岡洋介-g3g
@岡洋介-g3g Ай бұрын
蛇の子孫じゃなくて、カインの子孫ね? カインは人類初めて男のアベルを殺した人殺しだ。そのカインの子孫に当たるのが、黒人である。
@浮華麗雲
@浮華麗雲 2 жыл бұрын
レーマン人はその後どうなりましたか?
@ff-ff-ff-ff
@ff-ff-ff-ff 2 жыл бұрын
茂木センセのよもやま話楽しすぎます。また是非お願いします。 いがぐり頭さんは少し茂木センセを見習った方がいいよ。
@gogo-cv9pg
@gogo-cv9pg Жыл бұрын
DNA的にはどうなんでしょうか?
@野口慎介-v8y
@野口慎介-v8y 2 жыл бұрын
いいね 一回じゃ足りない 今回(≧∇≦)これぞ、考古学
@rock69dynamite
@rock69dynamite 2 жыл бұрын
配信、感謝します。 ユダヤとしての恣意頒布への執念を感じます。 それは、正史()では計れませんが、世界のあらゆる場所にユダヤだよと。 東インドじゃなく翻って、モルモン教の現地土着は虐げられる人はいなかった
@bluedog8154
@bluedog8154 2 жыл бұрын
天孫人種六千年史の研究【第1巻】読むとまた世界観が変わりますよ。
@tama1343
@tama1343 2 жыл бұрын
こんなに世界史が面白いとはーーー 興味深く拝見しています。
@ピーソニ
@ピーソニ Жыл бұрын
フランスがイギリスをのっとったのは、どうなったのですか?
@leimau2739
@leimau2739 2 жыл бұрын
遺伝子とか調べてみたら祖先が解るかもね~。フィクションとしては面白い。
@user-iu3ci7hd3w
@user-iu3ci7hd3w Жыл бұрын
視聴済み。
@mitis9feel
@mitis9feel 2 жыл бұрын
米猶同祖論ではロックフェラーが出てくるとおもったんだが。
@taiyonoboru1192
@taiyonoboru1192 2 жыл бұрын
ロックフェラーは、非ユダヤ人論多いし、どっちかいうとロスチャイルドだと思うけど
@とほかみえみため山下白雨-h5g
@とほかみえみため山下白雨-h5g 2 жыл бұрын
アーサー王ー3 ・トリスタン (英: Tristan)またはトリストラム(英: Tristram)は、『トリスタンとイゾルデ』や『アーサー王物語』などに登場する伝説の人物。アーサー王伝説においては「円卓の騎士」の一人となっている。「トリスタン」という名前がピクト系であり、またトリスタンの父親の名前もピクト系であることからトリスタンの起源はピクト人の伝承にあるのではないかと思われている。そして、この物語がコーンウォールを経て、ブルターニュへ、そして西洋の各地に移ったと見られる。フィリップ・ヴァルテール『アーサー王神話大事典』(渡邉浩司・渡邉裕美子訳)は、トリスタン像を、<ドラゴン殺し><狩人><狡知にたけた者><メランコリー><楽師>というキーワードを用いて表し、その多面性を指摘している(関連書籍 268-270頁)。中世ヨーロッパの散文『トリスタンとイゾルデ』、または『トリスタン物語』の主要人物である。もともと『アーサー王伝説』とは別の伝説であったが、『散文のトリスタン』以後、アーサー王物語にも組み込まれた。 ・『トリスタンとイゾルデ』 または『トリスタン物語』は、中世に宮廷詩人たちが広く語り伝えた恋愛物語。騎士トリスタン(Tristan)と、主君マルク王の妃となったイゾルデ(Isolde)の悲恋を描く。イゾルデはドイツ語の音訳で[1]、英語では『トリスタン(あるいはトリストラムTristram)とイスールト(Iseult)』、フランス語では『トリスタンとイズー(Iseut または Iseult, Yseut, Yseult)』と表記される。 ・グィネヴィア (Guinevere)はアーサー王物語の登場人物で、アーサー王の王妃。グニエーヴル、ギネヴィア、グェネヴィア、グィナヴィーア、グウィニヴィア、グインネヴィア、グウィネヴィアなど多数の表記がある。グィネヴィアで最も有名な話は、円卓の騎士長ランスロットとの不倫で、その話が最初に出てくるのは、フランスの吟遊詩人クレティアン・ド・トロワの『ランスロまたは荷車の騎士』(1165-1195年頃)の中である。この題材は、13世紀初期のランスロ=聖杯サイクルにはじまって、後期流布本サイクル、トマス・マロリーの『アーサー王の死』まで、アーサー王物語の中で繰り返し取り上げられた。2人のアーサー王への裏切りが王国を滅亡させるという筋である。 ・アンブローズ・マーリン (英語: Ambrose Merlin)通称マーリンは、12世紀の偽史『ブリタニア列王史』に登場する魔術師。グレートブリテン島の未来について予言を行い、ブリテン王ユーサー・ペンドラゴンを導き、ストーンヘンジを建築した。後の文学作品ではユーサーの子アーサーの助言者としても登場するようになった。アーサー王伝説の登場人物としては比較的新しい創作ではあるものの、15世紀テューダー朝の初代ヘンリー7世が自らをマーリン伝説に言う「予言の子」「赤い竜」と位置付けたため、ブリテンを代表する魔術師と見なされるようになった。 ・『アーサー王の死』(アーサーおうのし、Le Morte d'Arthur) は、15世紀後半にウェールズ人の騎士トマス・マロリーによって書かれた長編作品。内容はアーサー王の出生にはじまり、円卓の騎士たちの活躍、ランスロットとグィネヴィアの不義、最後の戦い、アーサー王の死までを含む、中世のアーサー王文学の集大成ともいえる作品である。 作者トマス・マロリーは、1450年代初期からこの長大な作品の制作を開始し、1450年代のたびたびの投獄中にもこの大作の執筆を続け、出獄後、早くとも死(1471年3月14日)の2年前より遅い時期、かつ1470年までにこの大作を完成したとされている。 著者トマス・マロリーが1470年までに書き上げた段階では本書は『アーサー王と高貴な円卓の騎士』(The Hoole Book of Kyng Arthur and of His Noble Knyghtes of The Rounde Table)という題であったが、出版業者ウィリアム・キャクストンが1485年にこれを出版する際、『アーサー王の死』(中世フランス語で Le Morte Darthur)と改題した[1]。 現代英語圏では、トマス・マロリーの意思と構成を尊重し、様々な作家が、原題に準ずる題名で、アーサー王伝説、円卓の騎士物語、トリスタンとイゾルデ伝説、聖杯伝説などを脚色した作品を主に若者向けに出版している。1953年に Puffin Books(英語版) で出版された児童向けのロジャー・ランセリン・グリーン(英語版)の本[2]はその後何度も復刻されている。 1892-93年に J.M.Dent(英語版), London が1800冊限定で出版した2冊本[3]は オーブリー・ビアズリーが挿絵を手掛けており、井村君江による日本語訳の表紙でもそれらが使用されている。 日本語訳 井村君江訳 『アーサー王物語』 筑摩書房(全5巻)、2004~2007年。ISBN 4480831975 キャクストン版の完訳。 サー・トマス・マロリー、中島邦男・小川睦子・遠藤幸子訳 『完訳 アーサー王物語 上』 青山社、1995年12月20日、655頁。ISBN 978-4915865633。 サー・トマス・マロリー、中島邦男・小川睦子・遠藤幸子訳 『完訳 アーサー王物語 下』 青山社、1995年12月20日、622頁。ISBN 978-4915865640。 ウィンチェスター写本版での完訳。中島邦男(なかじまくにお、1925-2014年)は、日本大学名誉教授。 厨川文夫・厨川圭子編訳 『アーサー王の死 中世文学集1』 ちくま文庫、1986年。ISBN 4480020756 キャクストン版の抄訳。トリスタン挿話や聖杯伝説は未収録。 ・教皇 概要 アーサー王物語には教皇がときどき登場する。ガウェインを騎士に叙したのは、架空の教皇スルピシウスである。ひょっとしてこれは教皇シンプリシウス(在位468-483)の別名であったのかもしれない。アーサーをローマ皇帝に任命したのも教皇であるし、また、グウィネヴィアをめぐって戦うアーサーとランスロットの仲裁をすべくロチェスターの司教を派遣したのも教皇であった。 『ザルツブルグ年代記』およびジャン・ド・プレ(1338-1400)は、アーサーが教皇ヒラリー(在位461-8)と同時代人であったと主張している。アーサー王伝説の時代に生きたとされる教皇としては、フェリックス3世、ゲラシウス1世、アナスタシウス2世、シマクス、ホルミスダス、ヨハネ1世、フェリックス4世、ボニファス2世、ヨハネ2世、アガピトゥス1世、シルベリウス、ヴィジリウスなどの名前があげられる。
@mitaro5695
@mitaro5695 2 жыл бұрын
聖書ってお説教の本じゃなくて未来の予言集って設は本当なの?先生に扱って頂きたいです。
@郷士土佐
@郷士土佐 2 жыл бұрын
ハラノタイムズにて先生の名前が上がってましたね。 同祖論が本当ならどれ位、距離と時間が掛かってるのかな? 他に ハラノタイムズ、DEEP MAX、🐻 闇のクマさん、トッサンTV、カッパ園長 各氏もご覧頂きたいです。
@xapaga1
@xapaga1 Жыл бұрын
日猶同祖論は、日本語がうまいイスラエル人(少なくとも2名のユーチューバー)が必死に否定している。その必死さが逆に怪しい。つまりイスラエル人は自分らが実はニセ猶太であり、本当はテュルク(トルコ人)系のハザール王国の末裔であり、大部分は欧州の白人と混血しているという事実を認めたくないわけだ。DNA的に最も近似しているのが旧ソ連のグルジア人(ジョージア人)だ。二ヶ月前(2023年8月)にイスラエルを訪れて現地の英語ニュースチャンネル i24News を視ていたら、「イスラエル人は白人なのか」という議論が俎上に上っていた。実際TVに出てくる者、街中で出喰わす者の大部分は白人の風貌だった。ところで西暦2000年に千年紀(ミレニアム)転換期の記念に発表された「真のキリスト像」の顔は、若き日のアラファト議長(パレスティナ人)の顔によく似ていた。そう、つまり現在のパレスティナ人こそが宗教こそ違えどもDNA的には古代猶太の真の末裔なのだ。
@ここどこ-t5u
@ここどこ-t5u Жыл бұрын
ユダヤの家系は、男子で繋ぐのが正当な家系ですよね。 イギリス王室、ざんね~んでした。
@河内屋菊水丸
@河内屋菊水丸 2 жыл бұрын
ダビデソロモン王統ってアジア人でしょどう見ても血がつながってるとは見えませんが
@藤原晴晴
@藤原晴晴 9 ай бұрын
縄文旅団と言う言葉をハッキリと認識しないと大間違いをしてしまうと感じています。縄文の大噴火約7000年前より縄文人は、世界に旅立っている可能性が非常に高いのです。葦の船を編みこんで、航海しています。日本近海では、小笠原諸島や八女島!沖ノ島!北海道等々です。黒曜石の流れを見れば立証できます。シュメールの地まで何世紀もかけて到達したグループがいるのです。途中遭遇する民族と混血をしながら「定住組」と「旅団実行組み」が分かれながら「日の沈む台地」を目指したのです。陸と海のシルクロードです。たそり付いた時には、お互いの風貌も変わっています。お互いリーダーに伝え得られた「勾玉」の確認で「仲間」だと認識します。お互いの技術を持ち合い造った文明が「シュメール文明」です。アーリア人の出現で「大量殺戮」が行われました。戦いながらも敗戦します。教えに従い「東へ東へ」と里帰りを始めます。各途中で「文明」を作りながらです。旅立った時には存在していたはずの大地の多くは海に沈んでおり!残っている日本列島に海流に乗り入ったのが、瀬戸内海だとわかっています。始まりは日本列島在住の縄文人グループから形成された「旅人」です。そして大噴火により。朝鮮半島やインドや中国大陸沿岸部へと移住したのです、稲作は日本列島経由で伝わったのが事実です。科学的にも解明されています。カタカムナや神代文字により「文字」も、日本列島発だったのですよ。
@とほかみえみため山下白雨-h5g
@とほかみえみため山下白雨-h5g 2 жыл бұрын
アーサー王ー2 ・ランスロット (Sir Lancelot、ラーンスロット、ランスロ、ランスローとも)は、アーサー王物語等に登場する伝説の人物で、円卓の騎士の成員。主君アーサー王の王妃グィネヴィアとの不義の恋と、それにより円卓の騎士の分裂の一因となった人物である。現存する文献の中ではクレチアン・ド・トロワの『ランスロまたは荷車の騎士』で、初めて彼の詳しい冒険が語られるが、クレチアンのそれ以前の作品である『エレックとエニード』や『クリジェス』にもすでに登場している。ウルリヒ・フォン・ツァツィクホーフェン(ドイツ語版)による翻案本『ランツェレト』では彼とグィネヴィアとの関係が言及されないため、より初期の物に近い形で伝説が残されていると考えられている[1]。 ・ガラハッド卿(Sir Galahad、ギャラハッド、ガラハド、ガラードとも) はアーサー王伝説や聖杯伝説に登場する円卓の騎士の1人。聖杯を見つけた3人の騎士のうちの1人でもある。 ガラハッドの物語の概要 ガラハッドは、ランスロット卿とペレス王の娘エレインの子供。エレインは魔法によってランスロット卿を騙して結婚し、ガラハッドを産むが、正気を取り戻したランスロット卿にエレインは捨てられ、ガラハッドは修道院に預けられて育てられる。まだガラハッドが幼い時に、マーリンは「彼は父であるランスロット卿を凌ぐ武勇を身につけ、聖杯を発見する。」と予言した。大人になるとガラハッドは父であるランスロット卿のもとに行く。そしてキャメロットのアーサー王に引き合わされ、様々な試験を受けることになる。彼はそれらの試験を容易に達成し、アーサー王から「世界で最も偉大な騎士」と称され、円卓の騎士に加えられ、聖杯探索の任務を与えられる。そして、遂に聖杯を見つけたガラハッドは最も穢れの無い騎士として神々のもとに召されることになった。 ・ガウェイン (Gawain)は、アーサー王物語に登場する伝説上の人物。フランス語名はゴーヴァン(Gauvain)。 「円卓の騎士」の1人で、アーサー王の甥に当たる。オークニー王ロトとアーサーの異父姉モルゴースの子。弟にガヘリス、ガレス、アグラヴェイン、異父弟にモルドレッドがおり、息子にはフローレンス卿、ロヴェル卿、ガングラン卿がいる。初期の伝説によれば、アーサー王の甥として最も優秀な騎士として活躍した。朝から正午までは力が3倍になるという特性をもつという。強情で勇猛果敢ゆえの失敗も少なくないが、そればかりでなく、アーサー王の片腕として分別を働かせることもある。「ガウェイン卿と緑の騎士」、「ガウェインの結婚」など、逸話が多い。 ・モードレッド (Mordred、/ˈmɔːdrɛd/[1])あるいはモウドリッド(Modred、/ˈməʊdrɪd/[2])は、アーサー王伝説に登場する主要登場人物の1人。おおよその文献で一致するのは、カムランの戦いでアーサー王と共に戦死した勇猛な騎士だったということである。『ブリタニア列王史』『アーサー王の死』などでは裏切り者として登場し、アーサー王の親族(甥または息子)で、王に対して謀反を起こし、カムランの戦いでアーサー王に致命傷を負わせるも、討ち取られる。『アーサー王の死』ではアーサー王の異父姉モルゴースの子で、異父兄にガウェイン、ガヘリス、ガレス、アグラヴェインがいる。
@likotamori4427
@likotamori4427 2 жыл бұрын
日本を学ぶ講座で聖書の客観的あらすじを知れるとは。幾重にもお得な。しかし我々は異教徒に良いようにあしらわれて憤慨だ。まず敵を知るところから。
@本田健一-i4u
@本田健一-i4u 2 жыл бұрын
アメリカ先ジウ民はどうなんだ。漫画だな。
@こたやまさん
@こたやまさん 2 жыл бұрын
同祖論、という発想を世界が持てば、もっと平和になるのになあ....と少し思いました。 今日、たまたま他にも、CGSの渡辺さんと茂木さんの出演されてる動画と、D出版の河添恵子さんの講座の動画を観て、今のウク◯イナとロ◯アの、めっちゃ古くからのユーラシアの土地を巡る、様々な他国や人種を巡る因縁の過去を知って、ため息(*´Д`*)が出ました。グルジア(現ジョージアとかも絡んでた><) NWOの動きは止めないといけませんが、それとは少し別に、因縁のながーーい領土争いの繰り返しが、今起きているんだなって。 でも正直、無関係な国を巻き込まないでくれーーと私の本音は叫んでます涙
@自宅用タブレット-u6b
@自宅用タブレット-u6b 2 жыл бұрын
平家の落ち武者伝説みたいな?
@山城政次
@山城政次 2 жыл бұрын
モルモン書は聖書と同じ神の書物です。イザヤが預言しています。茂木氏は広く学んでいることが容易にりかりできますね。
@majihen
@majihen 10 ай бұрын
宗教はその周囲に壁を作るので世界中にユダヤの長城が張り巡らされて、壁の内外で戦いが繰り返されております。チャンチャン
@maasan5521
@maasan5521 2 жыл бұрын
四国邪馬台国に似てます。
@雨に唄えば-w7f
@雨に唄えば-w7f 2 жыл бұрын
そりゃあ、人類はアフリカからスタートしたんだから大体が同祖。
@川村充昌
@川村充昌 2 жыл бұрын
ラストコメントが、正に、歴史を、正しく解釈するキーポイント 過度な思い込み固定観念は、自分の思考回路を、狭めてしまう 歴史は、新たな発見こそ、面白い 自分は、歴史は、数学より奥が、深いと思う 以上
@jm-ms2ri
@jm-ms2ri 2 жыл бұрын
古代は皆超能力があったので 小舟で何度も日本まで来ていたらしいです。 現代の常識ではわからない。
@tomiyoshifuruta2700
@tomiyoshifuruta2700 6 ай бұрын
日ユ同祖論というものは日本に箔をつけたいだけか。道理でこうけいむとうだ。
@シャマシュガジュ
@シャマシュガジュ 2 жыл бұрын
各国に散らばってる〜
@yamasakuranokiki
@yamasakuranokiki 2 жыл бұрын
モルモン教はキリスト教じゃなくユダヤ教? どちらもユダヤ人発だから、キリスト教で差し支えない?
@岡洋介-g3g
@岡洋介-g3g Ай бұрын
末日聖徒イエス・キリスト教会は名前の通りキリスト教です。教会の人はクリスチャンという言葉を使わない。教会の名前の通り聖徒という名前を使っている。クリスチャンは世間一般で広い意味で使われている?ため聖徒といって区別しているのだ。
@田中健三-x5p
@田中健三-x5p 2 жыл бұрын
モルモン教がどこでキリスト教に変わったのか解りません、はじめはユダヤ教じゃなかったのでしょうか
@田中健三-x5p
@田中健三-x5p 2 жыл бұрын
再生リスト全部見れば解決しそうですね、モーセの十戒みたいなポジションかな?失礼しました
@岡洋介-g3g
@岡洋介-g3g Ай бұрын
末日聖徒イエス・キリスト教会のモルモン書はもう一つのイエス・キリストの証の書物の聖典である。アメリカ大陸に渡った神の預言者、聖徒たちの記録である。アメリカの先住民の先祖に当たるのが、リーハイという預言者で紀元前600年にユダ王国がバビロンの捕囚で滅ばれる前に神の啓示を受けてアメリカ大陸に渡った記録である。プロテスタントやカトリックの人が末日聖徒を異端と見るのは1830年にジョセフ・スミスがこの教会を設立している若い宗教団体と見なしていて教えられていることが異端と見ていることにある? 世界での会員数は約1700万人である。日本では約26万人だ。アメリカ合衆国は一番多い。詳しいことはモルモン書と教義と誓約を参照。
@シニアのよっちゃん
@シニアのよっちゃん 2 жыл бұрын
いつも有難うございます。 私の同祖論はこうです。宇宙人が数種の方々おり、ドイツ(ゲルマン)はある宇宙人、ロシア(ブルー)はある宇宙人、 日本(カグヤ)ある宇宙人、アフリカ(ゴンダアナ)ある宇宙人、南アメリカ(インカ)ある宇宙人、これで白、青、黄、黒、赤と5色の民族が揃いますがこうした陰謀論はどう考えますか。
@user-zipangcode81
@user-zipangcode81 2 жыл бұрын
あんまりジパングの国家機密追究しない様にしてね🌟うひょひょひょ 〜
@ピッピ-e4p
@ピッピ-e4p 2 жыл бұрын
皇室も渡来系ですが、ニニギの天照大御神は不思議と言うか、随分と高度な技術を持っていたと思うんですが、侵略ではなくって縄文系の婿養子に10代に渡って入ったんです。なんかすぐに妊娠したらしくって、やはり疑いますでしょうから、そうしたらば女性が怒って火を放ってドアを閉めてしまい、そこでお子さんが産まれてきたとか言われていますよね。そういうところから大和が出てきたのだろうと言いますけれども・・ 皇室の菊の紋章ですが、菊と言うのは、一輪咲かせるために大変に丁寧な手入れが必要なお花ですからね。秋には大変に見事なお花を咲かせます。香りも大変に良いものです
@LOVE-dz6gz
@LOVE-dz6gz Ай бұрын
だから結局ユダヤ人は日本にもヨーロッパにもアチコチに散らばったからヨーロッパに散らばったアシュケナージが偽物と言えないという事で良いですか?
@NN-ry6zs
@NN-ry6zs 2 жыл бұрын
日猶同祖論は、言い出しっぺが居たんですね。怪しげな話だと思ってました。
@とほかみえみため山下白雨-h5g
@とほかみえみため山下白雨-h5g 2 жыл бұрын
末日聖徒イエス・キリスト教会 (まつじつせいと イエス・キリストきょうかい、英: The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints, 略称: LDS)は、1830年にジョセフ・スミス・ジュニアによって立ち上げられた、イエス・キリストが生きていた時代の福音が回復されたと主張する、キリスト教を標榜するアメリカ合衆国の新宗教。通称のモルモン教は聖典の一つである『モルモン書』に由来する。ただし教会の指導部は「モルモン教」という呼称について、信徒に対し「使用を推奨していない」[1]。本部はアメリカ合衆国ユタ州ソルトレイクシティにある。 本部のあるユタ州を中心に多くの信徒を持ち、アメリカではカトリック教会、ルーテル教会、バプティスト派、メソジスト派、ディサイプルスとともにキリスト教の6大教派の一つとされている[2]。宗教学上ではキリスト教系の新宗教に分類されている[3][4][5]。「プロテスタントの一派」[注 2]と定義する見解もあり、日本の文化庁が発行する宗教年鑑では「末日聖徒イエス・キリスト教会」はキリスト教の中に数えられている[6]。一方、教義の違いから一般的に正教会とカトリック教会およびプロテスタント教会諸教派によって、末日聖徒イエス・キリスト教会は主流のキリスト教とは区別され[7][8][9][10][11][12][13]「「異端」視される」[14]。 創始者であるジョセフ・スミス・ジュニアによれば、スミスが受けた神の啓示によって原始キリスト教会が現代に回復されたという[LDS 3]。キリスト教の聖書の他に『モルモン書』など独自の聖典を持ち、教義においては三位一体説の否認、キリストおよび死者の復活、キリストの再臨、千年王国(至福千年)を説いている[2]。また人の運命(救い)を決めるのは本人の自由に任されていると主張している点はメソジスト、バプティスト派に類似すると指摘されている[2]。 独自の聖典の中心である『モルモン書』は、『旧約聖書』、『新約聖書』と共に「イエス・キリストについてのもう一つの証」であり「聖書より正確」としている[LDS 4]。また現代のキリスト教の多くのキリスト教教派が重視する三位一体とは異なり、神、イエス・キリスト、聖霊は別個独立の人格神であることは認めているが、「神は以前は人間であった」「神には妻(天母)がいる」「救われた人間は死後、天で現在の神のようになる」[LDS 5][LDS 6][LDS 7]などという神概念を持つ。 概略 末日聖徒イエス・キリスト教会の創始者であるジョセフ・スミス・ジュニア 「最初の示現」 作者不詳 (1913年) 末日聖徒イエス・キリスト教会 教会歴史芸術博物館所蔵 末日聖徒イエス・キリスト教会は、ジョセフ・スミス・ジュニア(1805年 - 1844年)によって、1830年4月6日、アメリカ合衆国にて設立された。 ジョセフ・スミス・ジュニアによれば、彼は14歳の時(1820年)、当時激化した教派間の争いや矛盾に疑問を抱き、新約聖書『ヤコブの手紙』1章5節を読み、どの教会が真実であるかを神に祈り求めたところ、父なる神とその子イエス・キリストが現れる示現を示され[15]、言葉を交わしたとされる。スミスによれば、イエスは「(既存の)いずれの教会もことごとく誤っているため、あなたはどの教会にも加わってはいけない」[15]とジョセフに告げ、イエス・キリストの教会を再び地上に回復するためにジョセフを預言者として選んだとされる。教会の信条によると、回復が必要であったのは、イエス・キリストと12使徒(イエスの弟子)の死後、神の神聖な儀式を行うための神権(神の権能)が地上から失われ、完全なる教義や儀式も聖書の人の解釈によって失われていたからだとされている。神権は1832年のサスケハナ川のほとりで、イエス・キリストの弟子であるペテロ、ヤコブ、ヨハネがジョセフ・スミスとオリバー・カウドリーに天使として現われ、按手により再び回復されてから現在まで受け継がれており、そのことにより現在に至るまで預言者による神の啓示は続いていると信じられている。 この宗教は、アメリカ合衆国建国(1776年)、合衆国憲法制定(1789年)、憲法修正第1条-第10条制定(1791年)、憲法修正第1条では、宗教・信条の自由が史上初めて権利として認められた合衆国草創期に設立され、西部への入植の歴史があることから、「開拓期を象徴する宗教」とも言われる。 通称の「モルモン教」という名前は教典とするモルモン書から由来しており、書の名前である「モルモン」とは古代アメリカ大陸に住み、当時の民の歴史を記録し、要約した預言者の名前であると信じられている。ジョセフ・スミスはこの書物を改良エジプト文字から英語に翻訳したとされ、1830年に発行された。 設立後、創始者であるジョセフ・スミス・ジュニアの死去や、一時的な(1852年から1890年の)[16]一夫多妻制の経過(多妻婚を禁じるさまざまな法を無視)[16]に伴う議論を経、いくつかの教派に分かれたが、当該教会はその中の最大会派であり、設立時の名前を引き継いでいる。 2010年8月現在、教会の公式発表では全世界に1500万人の会員を擁する(ただしバプテスマとよばれる洗礼を受けていない8歳未満の末日聖徒家族の子供も含めた数)。そのうちの14%はユタ州に住み、教会員の半数以上はアメリカ合衆国外に居住している。数多くの宣教師(約8万人;2013年10月現在)が166か国で伝道活動を行っていることが教会の国際的な成長の理由として挙げられている。2006年には、教会員の半数以上がアメリカ外に居住していることが報告された。 2010年8月現在、全世界で約2万8500箇所の礼拝施設を構え、日本国内には約340箇所ある。また、神の儀式を執行するとされる神殿は世界に170(2014年1月現在)あり、日本には東京と福岡と札幌にある。合衆国の宗派としては4位の規模としているが、2001年のニューヨーク市立大学の調査では、10位に留まると推定している。 教会の本部はアメリカ合衆国のユタ州ソルトレイクシティにある。ジョセフ・スミス・ジュニアから続く歴代16代目の教会の最高指導者はトーマス・スペンサー・モンソンであったが、彼は2018年1月2日に死去した。 2018年に教会の指導部は「モルモン教」という呼称について、信徒に対し、通称の「モルモン教」という名称を使用しないよう求める見解を発表した。「イエス・キリスト教会(Church of Jesus Christ)」あるいは「教会(Church)」と呼ぶべきと推奨し、通称「モルモン教会」は公認されたものではなく、「使用を推奨していない」とした[1]。
@岡洋介-g3g
@岡洋介-g3g Ай бұрын
現在2024年は約世界で1700万人である。
@twocheersfordemocracy4642
@twocheersfordemocracy4642 2 жыл бұрын
英王室の起源は、フランスでしょ。
@自警団
@自警団 Жыл бұрын
みんなアフリカ祖論😀
@yasuu9882
@yasuu9882 2 жыл бұрын
事件日本とは?って言われるけど大丈夫?
@コニワク
@コニワク 2 жыл бұрын
ロマノフ王朝のDNAがイギリス王室の方に繋がっているみたいですが、私の祖母がそんな感じなんですよね。 奈良の龍田大社とか初代日本天皇筋のDNAともし似ているなら日本建国史はユダヤ人ではないですか? 伊勢神宮や出雲大社とかエホバやイエスを神さまにたてているのもわかります。 残念ですが、今の皇室から私たちの筋は排除されている対象です。 イギリス王室と日本の今の皇室はDNAの観点なら仲良くできないはずだし、ロシアとの関係もいいはずです。 私の両親は上皇后から経歴入れ替えられ、大清帝国の溥儀と同様な扱いを受けていました。 なかなか複雑な現実です。 松浦はDNAがロマノフだから、イギリスもアヘンからある国から変えられていくのでしょうか。  今の皇室が中国人であるという事が戦後特に世界を中国化にされてきて、イギリスも中国共産党が強くなってきたのでしょうか。 やはり、領土問題でしょうか。
@shin-venus00
@shin-venus00 2 жыл бұрын
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