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0:49 お直し 37:51 鈴振り 1:12:47 鰻の幇間
「お直し」
近頃、お茶をひくことが多くなった吉原の花魁。見世の主人はいい顔をせず朋輩からも馬鹿にされ、くやしくて涙を拭いていると客を引いている若い衆が「めそめそしていれば客はどんどん逃げちまうよ。笑って明るくしていればそのうちにまたいいことがあるよ」なんて、慰めの言葉をかけてくれたものだから・・・
「鈴振り」
遊行寺の大僧正は後継者を誰にしたらよいか悩んでいた。やっと一計が浮かんでいよいよ跡取りを決める日になって大勢の若い僧が遊行寺に集合した。千人もの若い僧が客殿に集められ息子に白い紐のついた小さな鈴を結ばれて奥の大広間へと送られて行く。一体これはどういうことなのかと皆が訝しがっている。全員が揃ったところで大僧正「今日は特別な日によって酒、魚、料理を食するように・・・」との五戒破りの意外なお言葉が・・・
「鰻の幇間」
夏真っ盛りの昼間、野幇間の一八は、通りがかりのどこかで見たような男に必死で食い下がり首尾よく近くの鰻屋に連れて行ってもらう運びとなる。近くの小汚い店に入ると2階から子どもが手習いの机を抱えて下りてきた。どう見ても繁盛している店ではない汚くてまずい鰻屋の二階で、男は便所に行くと言ってなかなか戻ってこない・・・
五代目 古今亭 志ん生
1890年6月5日東京生まれ
本人曰く4代目橘家圓喬の弟子
6代目圓生は志ん生について「芸の幅が五十をすぎて、パーッと開けちゃった」「人間はズボラだったが、芸にウソはなかった」「志ん生の芸は傷だらけ(中略)その芸も完璧なものじゃなかったわけで、人間描写もいい加減なところがあった」「小さく固まらなかったから、いつかその芸がなんともいえない独特の芸風にふくらんでしまった」口演の出来不出来が激しかったが、「そこがいかにも志ん生らしいところで」「志ん生さんにはフラがありましたが、あれも型があっての上での自在な間なんです。型のないものは芸じゃありません。」と評している。「完成した5代目志ん生」を見ると「天衣無縫」と思えるが、実際は売れない時代が長く、芸について苦労して非常に考えた上であの芸風を苦心して作り上げたことが窺える。
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