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病気を治すはずの療養所で、患者に「懲罰」が加えられていました。
瀬戸内市邑久町にある、国のハンセン病療養所長島愛生園につくられた懲罰施設「監房」は、今では痛みが激しく、劣化が進んでいます。
差別と人権侵害の歴史を後世に伝えようと、修復・保存に向けた調査にNPOが取り組んでいます。
その意義とは。
「監房に 罵りわらふ もの狂ひ 夜深く醒めて その聲を聴く」
昭和初期、長島愛生園に暮らした明石海人は、夜の監房から聞こえるうめき声をこう詠みました。
こんな証言も残っています。
(長島愛生園で見つかった証言テープから)
「逃走したとき途中で捕まって、監房に5人とも入れられたわな。」
当時の園長には、園から逃げようとした人や、風紀を乱したとされる人などを監禁できる権限が与えられていました。
愛生園に残る資料では、戦後まもない4年間だけで、のべ158人が監禁され、約1か月にわたった人も。
食事も飲み水も減らされ、治療も一切行われなかったといいます。
(長島愛生園で見つかった証言テープから)
「捕まったで監房。釣りだけで監房で。海から見張っとったわけやな。そんですぐに放り込まれた」
「Nは昭和十七年、逃走処分として二十八日間監禁された」
「監禁室の庭に死んだ人が引っぱり出してあるのを見た。死んだ人を見たことは二回あった」
国の療養所のひとつ、長島愛生園です。
現在は治療法が確立されているハンセン病ですが、明治後期から、祖国浄化の思想とあいまって医学的根拠のない絶対隔離、患者撲滅の政策が強まりました。
昭和5年の開園と同時につくられた監房は、園内の秩序を保つためだったと考えられていますが、高さ3mの壁は、入所者を威圧するものでした。
(長島愛生園 入所者自治会 中尾伸治 会長)
「留置所のような感じだったもんね。こんなところへおったら、入れられたらいややなあという感じ」
戦後まもなく14歳で入所した中尾伸治さんも、子どもごころにこの施設への違和感を感じ取りました。
(長島愛生園 入所者自治会 中尾伸治 会長)
「"あれは何や?"っていう話になるわね。この監房は住宅のそばにあった。ほんまに監房かなと思うような感じだけど、作りは頑丈だったから、コンクリートで。こんなに頑丈なものがいったんかどうかということですね」
懲罰施設の存在は問題視され、1953年に廃止。
療養所内の整備に伴って現在は埋め立てられ、西側の外壁しか見ることはできません。
(NPO法人 ハンセン病療養所 世界遺産登録推進協議会 釜井大資 事務局長)
「これがだいたいイメージとしては、小学校の25メートルプールと同じくらいのものがこの下に埋まっているんです。中には8つの独房がありました」
ハンセン病の差別の歴史を後世に残そうと活動するNPOは、監房がこれ以上劣化、破損しないようにと保存し、活用するための設計案を練っています。
(NPO法人 ハンセン病療養所 世界遺産登録推進協議会 釜井大資 事務局長)
「土の圧力がこの監房の外壁に大きな影響を及ぼしている。あれが設計時の図面より1メートルくらい、最大でせり出しているという状態。山から下りてきている水もうまく排水できていなくて、この中に滞留しているということもわかってきています。まずこれを保存するためには、土と水を抜かないことにはどんどん劣化していく」
昨年11月から12月に行われた監房跡のボーリング調査です。
2つの独房について天井の一部を切り出して調べたところ、ひとつは大量の水がたまっているものの独房の形を留めていましたが、もうひとつは土砂が流れ込み劣化していることがわかりました。
NPOは、監房跡の保存には、埋め立てられた経緯も大切にしなければならないと考えています。
(NPO法人 ハンセン病療養所 世界遺産登録推進協議会 釜井大資 事務局長)
「結局入所者にとっては、この施設というのは忌まわしくて見たくないものだから、埋めてくれということがあって埋まったという歴史があります。この歴史の流れを考えますと、これも技術的には全面発掘は可能だということもわかっているんですが、埋められてしまった歴史というのも大切になってくるのかなあと考えていますので。今の計画としましては、土を一部取り除いて、中にある8つの部屋のうち、1つないし2つくらいが見えるようにすると。あと、ここに中に入るための扉があったということも古い写真でわかっていますので、扉から中に入ると、ひょっとしたら落書きとかも昔あったというのも古い写真でわかっているんで、落書きみたいなものも見えるのかなあと。あと、トイレとかもありましたので、そういうところも発掘していったら、当時どういうものを食べていたか、遺物みたいなものも出てくる可能性があるということで学術的に非常に価値が出てくるのかなあと」
長島愛生園にはもうひとつ、存在そのものが貴重な遺構があります。
船で連れてこられたかつての患者が降り立った、収容桟橋です。
波に洗われて年月を重ね、今では原型をとどめていません。
NPOは、療養所で一生を過ごすことを強いられた象徴的な場所として橋脚の土台を補強して残し、見学用のデッキも設けたい考えです。
入所者が海から療養所を見た記憶を継承したいという思いも込められています。
(長島愛生園 入所者自治会 中尾伸治 会長)
「何もなくなってから説明したって、初めての人はわからんもんね。どんなものがあったとか、どんな気持ちだったかなあとか、わかれって言ったって。思い出すものがなくなってしまったら空想もできなくなるという気がするから。なんとかしておいてほしい」
国の誤った政策で強制的に隔離され理不尽に虐げられた歴史を生き抜いた、人々の力強さも伝えるために。
修復・保存にむけた大切な議論がこれから始まります。
(2022年2月22日放送)
RSKニュース:www.rsk.co.jp/...
RSK山陽放送:www.rsk.co.jp/
#長島愛生園 #ハンセン病 #監房