追伸:「Jesu, Joy of Man's Desiring ,-J.S.Bach Arr. David Qualey 」がタイトルで、背景は「夕陽がすれすれの水平線の海辺」の静止画で、動画の「Qualey さん」は瑞々しい変奏で「一日の初め」を祈っているように聴こえます(ヘブライ文化では日没が寂しいじゃなく、第一日の始りだそうですね)youtubeでのアップロードは「細やかな配慮が必要で限界がある」とか聞いてますが「車田さん」も、ご自分自身の個人的感想は遠慮なさって「すれすれまで引っ張って」るようですが、喉迄出て来てる「車田さんのお気持ち」とてもとても、よく察することが出来てますよ、ご心配いりませんよ。
神様と会話、アーメン(その通り)ですね。だからこそSoli Deo Gloriaなのでしょう。先日高校クリスマス礼拝で、学院宗教委員の一員として3年生の礼拝のお話を担当した際、本学院に連なって礼拝で始まり礼拝で終わる学校生活を送った諸君の人生も、宗教の違いを超えてSoli Deo Gloriaだよという話をしました。私は大学の部活で第九アルトトロンボーンを吹いてから宗教音楽に興味を持ち、モーツァルトのレクイエムや、車田先生が紹介されていたアヴェ・ヴェルム・コルプス、あるいはベートーヴェンのミサ・ソレムニス等でますます傾倒し、卒業論文(教育学)で科学と宗教の問題を深めて社会に出てから教会(何も知らずにそこはプロテスタント)に通うようになり2001年に洗礼を受けました。年明けた今は聖公会の高校奉職10年目。関係を築く中で2017年に聖公会に転入、洗礼名を決める際、迷わずゼバスティアンからいただきました。一般に分かりやすいよう、また私が英語教師であることから、実際には英語読みのセバスチャンとしています。本当にバッハは私の人生に多くの影響を与えてくれています。車田先生のBWV147の動画にもコメントを残しましたので、そちらもよろしくお願いします。セバスチャン