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哲学心理研究所 哲学者/公認心理師/臨床心理士
哲学者で公認心理師/臨床心理士の所長が哲学の観点から認知療法・認知行動療法(CBT)やマインドフルネスを語ります。また、実践や人生に役立つ弁証法や認識論についても説いていきます。特に、高校生や大学生にとって価値や意義のある、一般教養(リベラルアーツ)や勉強の仕方についても触れていく予定です。
私の専門は弁証法・認識論であり、これを心理臨床に活かす研究を行っています。その際、南郷継正先生の武道論や薄井坦子先生の看護論を大いに参照しています。三浦つとむ先生、滝村隆一先生、庄司和晃先生からも多くを学んできました。
哲学者としては、ゼノン、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、トマス・アクィナス、ベーコン、ロック、バークリー、ヒューム、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ディーツゲン、南郷継正、悠季真理などを研究しています。
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Пікірлер
@seityan123
6 күн бұрын
こんにちは。配信ありがとうございます。「弁証法」検索で貴動画にたどり着きました。独立されたとのこと。娘さんとの交流と仕事の充実、二つが両立致しますよう、お祈り申し上げます。
@tetsugakushinri
6 күн бұрын
ありがとうございます。今後、弁証法関連の動画ももっと配信していく予定ですので、よろしくお願いいたします。
@1010-gx5cy
2 ай бұрын
とても勉強になりました。ありがとうございます。次回、楽しみにしておりますm(_ _)m
@yuzoeyu
2 ай бұрын
15:00 頃のお話に出た仮想的有能感を得たい人たちから攻撃されるので自分を守る方法を知りたいです どこのコミュニティにもこういう人がいて、わざわざ近寄ってこられて攻撃されるのでそこから離れたらどこのコミュニティにもいれなくて一人ぼっちになります あと、個人的にはカウンセリングに来る人はこういう人から攻撃されてきた人が多い気がします 攻撃側はカウンセリングに行きません
@sy6pastoral399
4 ай бұрын
孝徳天皇も、中大兄皇子に天皇にしてもらったような人でも、徳が付いていますね、何があったんでしょう。逆の言葉といえば、スルメをアタリメなんて言うのも言霊由来なんでしょうか。
@user-ue4jm85tjdt
5 ай бұрын
南郷継正氏が説く弁証法的な「論理学」と、集合や記号などを使った一般的な論理学は別のもののような気がするのですが、南郷継正氏は一般的な論理学についてどう捉えているのか教えていただけると幸いです。
@tetsugakushinri
5 ай бұрын
別物なのは間違いないと思いますが、南郷先生が一般的な論理学をどうとらえているかは分かりません。南郷先生の師匠である三浦つとむは、一般的な論理学について、弁証法的な論理学ではない、形而上学的な論理学のことだと言っていたような気がします。
@K.keaton
9 ай бұрын
こんにちは。「弁証法はどういう科学か」を愛読している者です。どのような視聴者を想定して動画を作成されたのか判然といたしませんが、「弁証法はどういう科学か」を何度も読んでいる者としては、もう少し具体的なレベルでの説明が欲しかったです。個人的なリクエストで恐縮ですが、具体的には非敵対的矛盾についてです。例えば、物々交換における「あげると直接のもらう」、ものつくりにおける「(材料の)消費と直接の(製品の)生産」、公務員の「公人の側面と私人の側面の直接的同一性」としての非敵対的矛盾、細胞の代謝にみられる「異化と直接の同化」、もっと一般的には化学反応における「分解と直接の化合」など、ある程度は理解できていますが、運動の構造であるところの「あると同時に無い」という非敵対的矛盾がどうにもピンときません。上記に記載した非敵対的矛盾の例においては対立物が文字通り「同時に」起こっています。しかし、「ある」と「ない」が「同時」というのはどういうことでしょうか?ご教示頂けたら幸いです。
@tetsugakushinri
9 ай бұрын
コメント、ご質問をありがとうございます。『弁証法はどういう科学か』を熟読・愛読されている方はそう多くないので、この本を一度も読んだことのないような弁証法の初学者や、弁証法を全く知らない方を対象として動画を配信しております。運動についてはまさに、「あると同時にない」としかいいようがないのですが、「ピンとこない」のも無理はないと思います。古代ギリシャでパルメニデスとかゼノンとかがそう説いても、ギリシャ市民は「ピンとこない」状態だったと思いますし、現在でも同様なのかもしれません。私自身も完璧に理解しているわけではありませんが、一つ、私がわかりやすいと思う例としては楕円軌道の矛盾があります。『弁証法はどういう科学か』の281頁に『資本論』からの引用で説かれているものです。惑星の軌道は楕円軌道ですが、これは、「ある物体が絶えず他の一物体に落下し、また同じように絶えずその物体から飛び去る」という矛盾を実現するとともに解決するところの運動形態です。「落下する」だけでもなく「飛び去る」だけでもない。「落下する」だけなら楕円軌道になりませんし、「飛び去る」だけでも楕円軌道にはなりません。これと同じことが運動の矛盾にも言えます。「ある」だけでは運動になりませんし、「ない」だけでも運動にはなりません。「ある」とともに「ない」という矛盾を実現するとともに解決するところの形態が「運動」なのです。まあ、このくらいは『弁証法はどういう科学か』を愛読されていれば、文言としては分かる、ということなのかもしれません。よい宿題をいただきましたので、機会がありましたら、動画にして配信したいと思います。ありがとうございました。
@K.keaton
8 ай бұрын
@@tetsugakushinri ご返信ありがとうございます。続編を楽しみにしております。
@y.kakitani9518
10 ай бұрын
私なりに弁証法をずっと考えてきましたが、それは同じ一つの運動・モノの複数の側面を捉えることではないかと思います。例えば人はニコニコ機嫌のよいときもあれば、仏頂面して機嫌の悪いときもあります。その両方が同じ人ですが、外面だけを見ていると、その人はいつもニコニコ朗らかであると一面判断されてしまいます。一面切り取りの誤りはいたるところで見られます。世界情勢も一人の人物も一面だけで判断されています。これが全面的信用と絶対的服従の土台になっていることは明らかです。善悪二元論などもそうですが、全てのものには良い面と悪い面が必ずあります。どちらか一方と自己同一化したら判断を誤ります。私は唯物論と観念論も弁証法的に同じであると考えます。人は観念にも規定されます。「二項対立」「十把一絡げ」「一面切り取り」に規定されます。M・ウェーバーのプロ倫なども観念による規定で決して間違っているとは思いません。もちろん今の資本主義社会では年収によって生活水準が決まってくるので、この意味では唯物論的に私たちの生活は規定されてもいます。人間は物質と言葉と両方に規定されると考えます。人は個人であると同時に共同体としての存在でもあります。であるからこそ、自由と平等は同時に追及されなくてはなりません。まさにあれもこれもなんだと思います。
@tetsugakushinri
10 ай бұрын
おっしゃることは概ね同意できます。ただ、唯物論か観念論かという世界観の問題だけは別です。人間が観念にも物質にも規定されるのは間違いありませんが、それと世界観としての唯物論・観念論の問題はあまり関係がありません。三浦つとむの『弁証法はどういう科学か』にありますが、世界観の問題は現在、「世界が、永遠の過去から永遠の未来にわたって存在するものか、それとも何らかのかたちで創造されたものか」について、すなわち世界の起源についての問題だと整理されています。唯物論でも、人間が観念に規定されることを、何ら否定するものではありません。
@y.kakitani9518
10 ай бұрын
ご丁寧にお返事ありがとうございます。もう一度読み返してみたいと思います。
@gonsai97
11 ай бұрын
ご説明をありがとうございます。36年前に購買した「弁証法はどういう科学か」を勉強しています。60才を超えましたが、弁証法を仕事に活かす方策を求めているものです 笑
@y.kakitani9518
Жыл бұрын
弁証法というものを正-反ー合の公式思い込んでいましたが、そんな単純なものではないことがこの解説でよくわかりました。物事の運動の本質を解くものであり、東洋思想にも通ずる深い理解が必要ですね。私の中ではソシュールと老荘思想は相通ずると思っていましたが、弁証法も繋がってきました。増々面白いと思うようになりました。
@y.kakitani9518
Жыл бұрын
大変勉強になりました。鈴木大拙の「即非の論理」も弁証法の否定の否定に通ずるところがあるのかも知れないと思いました。
@y.kakitani9518
Жыл бұрын
これこそ意味は差異によって生ずるということであると思います。形容詞(形容動詞)を使用した比較によって初めて意味が生まれますが、そこには実体が存在しません。なぜならBさんはAさんよりも背が低く、Cさんより背が高いとすると、Bさんは背が高いとも低いとも言えるからです。
@y.kakitani9518
Жыл бұрын
弁証法とは絶対的に固定して独立しているという世界観の否定であり、二項対立を包摂するものと捉えて良いでしょうか?
@tetsugakushinri
Жыл бұрын
いろいろとコメント、ありがとうございます。おっしゃるとおりかと思います。
@y.kakitani9518
Жыл бұрын
「あれ」か「これ」かについては荘子の斉物論第二(9)でも全く同じことが述べられています。老子道徳経の第二章(養身第二)においても二項対立する概念は相手があってこそ成立すると述べています。弁証法的な考え方は紀元前の昔から存在していたようですね。ソシュールやデリダなども二項対立概念が物差しを当てはめたもので実体がないことを指摘していました。ソシュールは意味は差異によって生じると言ってました。
@ちゃんロッキー-e2v
Жыл бұрын
質問です。 自由とは必然性の洞察、とのストレートな短文は、エンゲルスの文章ですか、ヘーゲルですか? 原文を知りたくて、ヘーゲルのエンチュクロペディー(河出書房)を購入しましたが、どの箇所に記載しているのか探せません。 第1編倫理学の第2部本質論のC現実性のc交互作用、あたりでしょうか?
@tetsugakushinri
Жыл бұрын
ヘーゲル哲学を要約したエンゲルスの文章です。『反デューリング論』という著作に載っています。
@ちゃんロッキー-e2v
Жыл бұрын
@@tetsugakushinri 返信ありがとうございます。ただ、エンゲルスがヘーゲルの文献(文献はエンチュクロペディーだと思います)のどの箇所を指して「自由とは、、、」と要約したのかを知りたいのです。反デューリング論の該当箇所は知っています。
@tetsugakushinri
Жыл бұрын
なるほど、そういう意味でしたか。私の解釈では、ヘーゲルの特定の文献の特定の箇所を指して要約したというより、エンゲルスなりの実力で、ヘーゲル哲学全体を射程に入れて端的に説いた内容だと思います。お役に立てずスミマセン。
@ちゃんロッキー-e2v
Жыл бұрын
@@tetsugakushinri いえいえ、ありがとうございました。私なりに解読してみます。
@気付き発見わくわくなるほどなど
Жыл бұрын
アウトプットが大事は知っていましたが、今回講義で、整理だけでなく、アウトプット中にそれらの事から新しい発見が見られるのが分かり、益々アウトプット大切なんだなと。何故赤ちゃんに話しかけてあげるとその子の脳が発達するのかの疑問が、アウトプットによる新しい発見、ソガイによって起こっているんだなと結び付けることが出来ました。アウトプットの自走が出来るまでの間は他者の引き出しが必要なんだと。逆に、高齢になるとアウトプット力が衰退するのを防止するためにも話しかけや語り合いでアウトプット力自走の維持が出来るんだなぁと。貴重なお話有難うございました。
@masumi1045
Жыл бұрын
三浦つとむさんを積極的に読んでおられる方がいるのを知ってびっくりしました。「対象→認識→表現」(ということばをKZbinで聞くとは)は、ものを考えるとき逸脱して転落するや否やを押しとどめる洞察として、何度思い返したか知れません。今だって水と油のように違う(最近読み始めた)ラカンを読むのに「対象→認識→表現」がどれだけ重要な交差する認識か、三浦つとむさんとラカンをセットのように読んでいます。まだ僅かばかり読んでいるだけですが。 三浦さんは外界を対象としていますが、この対象に内界というか身体をも入れると、認識が像であることがよりはっきりするように思います。三浦さんにはたしかフロイトに関する一章があって、以前読んだとき全然理解できなくて内容を覚えていないのですが、このように像をとらえると、抵抗とか抑圧とか無意識とか超自我は重要な個体を理解するための、経済論的に備給された像概念あるいは像を結ばない行為概念として理解の端緒につけるような気がします。うろ覚えで申し訳ないのですが、三浦さんのフロイト論はこれらの概念を無化するようなものではなかったのかなと思います。ただ自閉的神経症的な私からすれば、「対象→認識→表現」はロシアの文芸批評家のベリンスキーの、作品は対象(現実)を表すものであるというような間に認識をサンドウィッチできない文学論を批判し、ベリンスキーと一緒に思考の転落に陥るのを防いでくれます。従って、フロイト云々を三浦さんに求めても筋違いで、三浦さんの言語論·認識論を学んだうえで、それは自分の問題として追求することです。 「王様は裸だ」と率直に言ってくれる三浦さんから学んでいる人がいるのだと知ってびっくりしてしまい、だらだらと思いつくまま書いてしまいました。失礼します。
@tetsugakushinri
Жыл бұрын
コメント、ありがとうございます。学生時代以来、かれこれ20年以上、三浦つとむさんと南郷継正先生一筋で勉強しています。臨床心理士でもあるので、三浦さんのフロイト論(『認識と言語の理論第一部』の最終章)もしっかり復習していきたいと思っているところです。「対象→認識→表現」というのは我々にとってもはや当たり前の枠組みですが、確かに貴重な文化遺産だという気がしました。ありがとうございました。
@RaymondYan007
Жыл бұрын
身を粉(こ)にしてですね。
@mmmm-zo1kk
2 жыл бұрын
特に本の認識については、この本に対しての若井さんの個別の認識を説明してくれた方が、分かりやすかったのではないでしょうか?
@hiroyuki2107
2 жыл бұрын
再生回数が伸びないということですが、非常に勉強になり知識が深まります。良い内容の動画を発信されていると思います。
@大迫次郎-r5e
2 жыл бұрын
法華経方便品第二にある十如是の一端ですね
@baviagalab4944
2 жыл бұрын
おぉぉ、超お久しぶりです。
@masai8301
2 жыл бұрын
小室直樹_博士♬\(^_^)/♬
@racbase
3 жыл бұрын
1. 運動と変化と転化は動画の中で同じように使っているように思います。各々具体的な定義が異なるのでは。 2. 全体は部分の集合ではないので、全体を理解することが可能、もしくはしなければいけない、ということが理解出来ません。
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
1.「運動」や「変化」などは、確かにそれぞれ意義が異なりますが、初心のレベルでは同じと捉えて問題ありません。 2.「群盲、象を評す」の金言を調べてみてください。
@racbase
3 жыл бұрын
@@tetsugakushinri 1. わかりました。 万物/全事象は運動なり変化なりしている、と定義しているのはなぜ?変化してはじめて認識できているからでは?と感じましたが、初心ということで置いておきます。 2. すみません。動画の解説では、弁証法が"群盲、象を評す"ことであるように聞こえるのです。 おそらく実際の弁証法は違うのでしょう。しかしそうでないことを解説して欲しいのです。 Aがある、対立するものとしてBを知った、アウフヘーベンしてアルファベットというものを理解した!ではないのですよね?
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
@@racbase ちょっと、質問の意味がよく分かりません。 「群盲、象を評す」というのは、目の見えない人が象の一部分だけを触って、象とは何かということを誤って判断してしまったという故事から来ていますよね。たとえば、象の尻尾を触った人は、「象とはホウキのようなものだ」と判断してしまいました。これは、全体像をアバウトにでも把握することなしに、部分から入ってしまうと判断を誤るという教訓です。象とはこういう動物だという全体像をアバウトにでも把握していれば、その尻尾を触った人は、「象の一部分の尻尾はこういうものだ」と、部分を全体の中に適切に位置づけて把握できます。 弁証法は、世界全体の一般的な運動を研究する学問ですから、これで世界全体の運動を抑えてから、部分の運動の研究をしないと、「群盲、象を評す」のような誤った判断をしてしまいかねない、ということがいいたいわけです。 一般教養も同じで、一般教養とは、いってみれば学問全体の世界地図を描くようなもので、それを描いてから、たとえば日本列島の四国を研究する、というように部分に入ってくべきです。すなわち、大学1,2年生の間に学問の全体像をアバウトであっても押さえてから、世界の部分たる、自分の専門領域に突入しないと、「群盲、象を評す」のような誤謬に陥りかねないのです。 そもそもの質問の意味を取り違えている可能性がありますので、とりあえずこのあたりにします。
@racbase
3 жыл бұрын
@@tetsugakushinri ご返事ありがとうございます。 出だしが初心者の癖に非常に雑で、大変な失礼をしたのに、 コメントを頂きありがたく思います。 私がここでこのコメントをした理由は、本編と前編を視聴し、 --- 心理士における弁証法・認識論・一般教養の必要性(上)(kzbin.info/www/bejne/eWrNfphug7-gjpI) --- (5:55) 世界全体としては1. 自然, 2. 社会, 3. 精神がある (8:10, 9:25) 全て運動変化している/ 運動には3つの法則が抽出 1. 対立物の相互浸透, 2. 量質転化. 3. 否定の否定 ----- →これらがそもそも理解できません。 なぜ3つのカテゴリー(自然,社会,精神)があると限定できるのか なぜ運動の法則を3つに限定できるのか(3法則が各々直交している証明はあるか?)。 モデルとして公理系を定義した、というのであれば理解はできます。 (弁証法という)公理系では以下のように定めるー、のように。 --- 心理士における弁証法・認識論・一般教養の必要性(下)--- (0:50) (看護や心理臨床など)対人職において必要なものは、 1. 一般的な運動を扱うので弁証法 2. 人間を扱うので認識論 3. 社会の中にいるので一般教養 --- ここで認識論一般教養が唐突に出てきたように感じました。 弁証法がカバーするのは、1. 自然, 2. 社会, 3. 精神ではないのですか。 認識論=精神の理解、一般教養=社会の理解と(やや強引ですがあえて置くとして)、 そうなると弁証法は自然の理解しかカバーしない、ということになります。 ここまで来た段階で、 そもそもここまでの解説は、個々の分類(自然/社会/個人, 運動の法則など)が あまり明確に定義、その定義の根拠となるだけの証明がされていないのではないか、と感じてしまったのです。 つまり個々の事例とその共通性/対立性の抽出のみで、抽出された各事項の全体における完全性の証明なしに、 全体を考察しようとしているのではないか、と感じたのです。 長文大変失礼しました。
@racbase
3 жыл бұрын
弁証法を持ち上げる理由がよくわからん。 いろいろな例を挙げてましたが、ゼノンに関しても、そりゃ言葉の定義が不十分だから矛盾するわな、と思いました。 定義の不十分さに突っ込んで行く学問なんでしょうか。それともその不十分さをあげつらって、自分が偉く感じる学問なんでしょうか。
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
弁証法を持ち上げているのは、三浦つとむ先生や南郷継正先生が、弁証法を武器として使って、理論的な壁を突破されたからです。失礼ながら、あなた自身に「その不十分さをあげつらって、自分が偉く感じる学問」などという意識があるのではないでしょうか。弁証法がそのような学問であるはずがありません。
@racbase
3 жыл бұрын
@@tetsugakushinri >> あなた自身に「その不十分さをあげつらって、自分が偉く感じる学問」などという意識があるのではないでしょうか。 そうかも知れません。反省します。言葉と思考が雑でした。 改めて伺っても良いでしょうか(無視していただいても構いません)。 >> 三浦つとむ先生や南郷継正先生が、弁証法を武器として使って、理論的な壁を突破されたからです。 弁証法の前にどのような壁があり、壁を突破した先に何があったのか、それを知りたいのです。これでは偉い人が言ったから偉いのだ、になってしまいます。 (例えば)記号論理学などではカバーできないこういう問題があり、それを突破することにより、具体的にこれを解決した、というように。 もしこの本を読め、ということであればこの動画を見るのを止めてそれを読みます。 ”弁証法はどういう科学か”は購入し読み始めました。ただ最初に特定の宗教を批判しはじめたのを見て、うへーと感じています。もう少し頑張って読むつもりですが。
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
@@racbase フィードバック、ありがとうございます。 分かりやすいのは、南郷継正先生の初期の業績かと思います。南郷先生は武道、特に武道空手を実践されていましたが、そこで大きく問題となって立ちはだかったのは、上達とは何か、どのようにすれば上達できるのか、という問題でした。この問題を、弁証法を適用して解かれたのが南郷先生です。 三浦つとむ先生は、言語とは何かという問題に取り組まれて、言語や、その背景にある認識の矛盾を丁寧にたぐって理論化されました。南郷継正『武道への道』、三浦つとむ『認識と言語の理論 第一部』あたりがそれらについて説いている著作になります。 哲学にご関心があるなら、南郷先生の弟子が書かれた悠季真理『哲学・論理学研究 第二巻』が、今のところ一番のお勧めです。弁証法の威力を非常に分かりやすく説いている書物としては、瀬江千史『医学原論 上巻』が、現時点では私の一番のお勧めです。 『弁証法はどういう科学か』を読み始められたとのこと、私としては大歓迎ですが、なぜ特定の宗教を批判するのが「うへー」なのですか? まあ、私が進めた本か、この動画か、あれかこれかではなく、あれもこれもという弁証法的な姿勢で、私の動画も見ていただければありがたいです。今後、フィードバックいただいたような内容についても、動画として作成していきたいです。
@racbase
3 жыл бұрын
@@tetsugakushinri 私自身も下手の横好きなりに武術愛好者なので(空手ではないですが)、南郷継正先生の著作も中学生ぐらいの頃に手にとった覚えがあります。ピンとこなかった記憶しかないのですが。もう一度追ってみたいと思います。特に弟子や孫弟子の動向に興味があります。 書籍について紹介していただいたのは大変ありがたいです。 早速購入しました。積ん読がまた増えましたががんばります。 >> 私としては大歓迎ですが、なぜ特定の宗教を批判するのが「うへー」なのですか? 私には関係ない話だよなー、と感じてしまったためです。パリサイ人への批判を云々書かれても、会ったことこともないのに知らんがな、という気持ちでしょうか。論を追うのに必要であれば頑張りますが、腑に落ちないのでしんどいのです。
@caremarbow4535
3 жыл бұрын
私は幼いころから、南郷先生の主催する日本空手道玄和会に所属し、手をとって教えてもらっていました。娘さんとも同級生で、小さいころはよく一緒に娘とも遊んでいましたよ。
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
それはうらやましいですね。機会がありましたら、またいろいろ教えてください。
@estheticmens456
3 жыл бұрын
大変参考になりました。 3時間以上のオンラインセミナー予定なのですが、 USBストリーミングではなく、キャプチャーボード経由で取り組んでみたいと思います。 その場合に、 ・キャプチャーボード ・クイックチャージさせるためのケーブル オススメは何かありますでしょうか?
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
お役に立ててよかったです。キャプチャーボードは初めは1000円台のものを試し、次に6000円台のものを使いましたが、どちらも問題なかったです。 amzn.to/3c9DmSg amzn.to/3raDpBe 後者は、クーポン付きで3000円台にまで値下げされていますね。 ケーブルは、スマホかタブレットについていたものを使っていますが、問題は生じていないです。ご参考までに。
@chanya9715
3 жыл бұрын
早速の回答ありがとうございます! 参考にさせて頂きます。
@takku1030
3 жыл бұрын
いつも拝見しております。 弁証法的な見方というのは、色々な面で応用できる考え方ですね。私は、三浦つとむの認識論を知って、考え方が変わりました。…多分。 「点」は、点を表わした時点で「点」ではない。これも矛盾ですよね。 言語でも、「これ」という客体的表現が「これ、これ」という主体的表現に転化する。(私の研究テーマです) 弁証法的に世界を捉えると「あれもこれも」ですね。…諸々の問題は変化発展していくと思います。
@takku1030
3 жыл бұрын
いつも拝見しております。 学校教育における小説文、物語文は、私の考えで言うと、「文章選定者」や「問題作成者」の認識を辿る必要があると思います。 私は塾で若井さんと同じように国語を教えていましたが、入試や問題において、なぜその心情になり、それ以外の心情は答えとして不適当なのかということを追求しました。そうして至った結論です。
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
いつもありがとうございます。まさにそうですね。話がややこしくなりますが、入試の国語では、小説の作者と、問題作成者という、二人の人間に二重化しないといけないですね。さらにいうと、作者の認識と、問題制作者の認識は、相対的に独立しており、時によってはかなり乖離することがあるので、作者がその問題を解いても間違ってしまうという事態が生じうる、ということですよね。
@takku1030
3 жыл бұрын
はい、そうです。特に問題作成者は、学校道徳とでも言うできか、さらに学習指導要領の思想を通して出題レベルや解答の方向性を決めますね。 そうすると、いわゆる”大人”である子どもが断然有利な訳ですね。二重化の経験が乏しい子どもは「わからない」訳です。そう考えると、国語の問題…強いては読解というのは、巷で言われている「論理力」とは違った力が必要になる訳ですね。 でも、学校の先生はそんなこと教えません。あくまで作者がそう思っている、お話の主人公がそう考えているということで教えます。ルールを知らない…二重化が乏しい子どもは、「どうして○○と思ってはいけないのか」ということを思い、…嫌いになっていく訳です。
@takku1030
3 жыл бұрын
ご丁寧にお答えいただきありがとうございました。 なかなか割り切られた答えというのは難しいものですね。しかし、思索を重ねることによって真理に近づいていくのだと思いますので、今後も色々なヒントとして取り上げていただければと思います。 私も考えましたところ、「認知」とは、認知言語学で考えた場合、あくまでも人間の認知能力がまず前提にあって、それによって結果としてある、表現された結果としての言語から、どれだけの人間の認識が可能なのかということに関心があるのかと思います。 なので、認知言語学において は「言語」というものが一体何なのかということよりも、あくまで人間の認知能力の可能性に関心があるのかと。 反対に、「認識」とは、ここでは言語過程説を取り上げて言いますが、類型化された認識がどのような表現となっているかを、対象→認識→表現というプロセスを重視しているのではないかと思います。 端的に述べますと、「認知」は、認知能力というアプリオリな人間の能力から、いかに言語表現を認識できるかというと、そしてそれを探ろうとすることに関心があり、「認識」は、表現の本質は一体どこからくるものなのかという疑いから、従来の前提というものを批判検討し、過程を探っていくことに関心があるのかなと思いました。 すみません、うまく伝えられていないかもしれません。
@takku1030
3 жыл бұрын
観念的自己分裂と認知心理学でいうメタ認知と何が違いますか。
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
ご質問、ありがとうございます。こちらについても、また動画で詳細を説明しますが、メタ認知の方が狭い概念だと思います。観点的自己分裂(観念的二重化)の特殊性として、メタ認知がある、という形です。
@takku1030
3 жыл бұрын
認識と認知はどう違いますか。
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
ご質問、ありがとうございます。こういう似たような概念を比較するというのは、頭の中を整序するのに非常に役立ちそうで、ありがたいです。少し検討して、動画でお答えしようと思います。
@takku1030
3 жыл бұрын
いつも楽しく拝見しております。 三浦つとむやそれに関する「認識」「弁証法」「唯物論」など…についての動画も作っていただければと思います。
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
今年はそういう動画をどんどん出していく予定です。よろしくお願いします。
@知識の森心と暮らしのヒントをお
4 жыл бұрын
分かりやすくて参考になりました(^^)
@tetsugakushinri
3 жыл бұрын
遅くなってしまいましたが、ありがとうございます。