Пікірлер
@user-yx2eq4bf7x
@user-yx2eq4bf7x 2 күн бұрын
素晴らしい
@user-yh9qs6gz3s
@user-yh9qs6gz3s 6 күн бұрын
「吉原雑話」に続いての一席でしょうか? 聴きたかったので、とても嬉しいです!
@dadanxlpsdpgj
@dadanxlpsdpgj 11 күн бұрын
¨̮⃝
@user-sr6ew9sh7l
@user-sr6ew9sh7l 12 күн бұрын
この義太夫最後元禄花見踊りで幕になるんですね
@桑野好正
@桑野好正 23 күн бұрын
0:24
@wurry77
@wurry77 Ай бұрын
唸ってる時と素の声にギャップがありすぎるw 素の声、なんて渋くていい声なんだw この演目の聴き所は何といっても最後の道中付ですね。それより前のやり取りはこの道中付のためにある、といったら言い過ぎでしょうか。現役の浪曲師だと多少筋が違っていますが国本はる乃が演じます。
@user-ic4hh4ue8q
@user-ic4hh4ue8q Ай бұрын
噺家への評価は、学者先生と噺家でも異なり、皮田の春団治を「落語を壊した」と評論家は、言いましたが、三代目米朝は、噺を短くするにもきちんと筋立てが通るように演っていたと評しています。志ん生(先輩に対して生意気)、金馬(米朝:なぜ、この人が評価されなかったのか との談)、柳好(噺をきちんと演じながらも受けるのが、先輩たちには気に入らなかったのでは?)・・そういった意味で、東で、談志は、客観的に噺家をとらえていたと思います。また、客受けするからというので、三平を爆笑王とするのは如何なものかとも思います。貴重な、音源有難うございました。
@user-yy5ci4uh1h
@user-yy5ci4uh1h Ай бұрын
綱造先生…😢
@kpo1870
@kpo1870 Ай бұрын
「六代目死んで友達たんと出来」という皮肉な戯れ句を残したのは左團次でした。親父と正反対な奇妙キテレツな芸風でガタイもでかかった倅の四代目も、今はもういない。半世紀を超す時の流れを痛感します。
@cEd4rw00d2
@cEd4rw00d2 Ай бұрын
吾輩は猫であるに出てくる摂津大掾はこの人ですね〜貴重なものを公開してくださってありがとうございます
@user-yd2bn8zz9y
@user-yd2bn8zz9y Ай бұрын
先日岐阜にハワイ大学歌舞伎公演がありました‼️尾上九郎右衛門さんがずっと歌舞伎の講座を持っておられ、今日まで継続しているとのことで弁天小僧役の台詞回しなど、今の若い役者衆に聴かせてあげたい位迫力でした❣️欧米人も文化として共有の心を持っておられたのは嬉しいですね‼️❤
@kpo1870
@kpo1870 Ай бұрын
大木豊氏はこの収録のわずか7か月後、51歳の若さで没。それにしても、舞台の梅の木だの小道具にとことん拘り、一点もゆるがせにさせないところは、まさに五代目菊五郎の再来。
@user-px8yv9hk6c
@user-px8yv9hk6c Ай бұрын
22:09
@kpo1870
@kpo1870 Ай бұрын
「花柳十種」のうち「大つごもり」のおみねは、花柳自身の最後の舞台となった。1965年正月、演舞場の初芝居で初日、おみねを演ずると、終演後楽屋で倒れ、明朝東大病院小石川分院に入院。一説によれば厳冬なのに暖房も設備していない個室で数日放置され、わずか4日後の1月8日、肺炎に心筋梗塞を併発して死去。享年七十。おみねの役は井戸のつるべを汲み上げるのに重い本水を使い、その上ばたばたと舞台を動き回ることが多いため、高齢の花柳の心臓には致命的に堪えたのだろう。実の娘のようにかわいがっていた朝丘雪路が入院を聞いて駆けつけると花柳は「雪絵、舞台があるんだろう。早く帰れ」と追い返し、それが今生の別れとなったという。
@kpo1870
@kpo1870 Ай бұрын
明治41年3?月、新富座で書下ろしのお蔦を演じた喜多村が、それから半世紀近くも経って、八十を越してまだテレビや舞台でお蔦を演っていたのだから、ある意味化け物ですな(笑)。この演舞場に関しては、どう見ても伊志井の主税はミスキャストでしょう。花柳が気の毒です。
@user-ho6dc9pk6e
@user-ho6dc9pk6e Ай бұрын
うまいねー
@edipore2013
@edipore2013 Ай бұрын
人物の演じ分け、テンポの良さ、ともに第一級の芸と感じます。雷名のみ轟きながら忘れかけていた芸が残るのはうれしい限りです。  またお父上観翁氏には、歌舞伎座のイヤホンガイドでもお世話になりました。その節はありがとうございました…。
@user-sr6ew9sh7l
@user-sr6ew9sh7l Ай бұрын
三浦屋白玉、髭の意休、くわんぺら門兵衛、朝顔仙平、は誰がやったとかは不明ですか?
@koukan_geinouman
@koukan_geinouman Ай бұрын
ニッポノホンレコード「助六由縁江戸櫻」(1926年4月発売) 市村羽左衛門(助六)、四代目片岡市蔵(門兵衛) ポリドールレコード「助六由縁江戸櫻」(1931年1月発売)尾上梅幸(揚巻)、六代目彦三郎(意休)、七代目市村家橘(白玉)、二代目市川荒次郎(子分)
@user-lt9gr8eh5p
@user-lt9gr8eh5p Ай бұрын
まずは自分で調べーや、求め屋(笑)
@user-xt8yy5vl6d
@user-xt8yy5vl6d Ай бұрын
この師匠が長命でなかったら、上方落語の復興も違ったものになったでしょうね。
@user-sr6ew9sh7l
@user-sr6ew9sh7l 2 ай бұрын
ばかや”ろ”う”〜早く食わねぇからだ〜!!
@user-zs3ge6qb3v
@user-zs3ge6qb3v 2 ай бұрын
昨日,映画 碁盤斬り を観て来ました落語の話しのあらすじを知っていたので楽しく観て来ましたよ、話しの途中で 文七元結 の話しも出ていましたね😊
@user-sr6ew9sh7l
@user-sr6ew9sh7l 2 ай бұрын
六代目三遊亭圓生師匠の師匠で五代目三遊亭圓楽師匠からして大師匠にあたる人ですね!
@user-to2un1cx5l
@user-to2un1cx5l 2 ай бұрын
さすが金馬。 親父と子どもの会話を、これほど見事に演じるのは金馬以外にはいないだろう。 本当に親子の会話を聞いているようだ。感服!
@user-jr8fw1xq1q
@user-jr8fw1xq1q 2 ай бұрын
ん〜たまらないですね〜馬生師匠!人間国宝馬生師匠!
@user-jr8fw1xq1q
@user-jr8fw1xq1q 2 ай бұрын
この日の演目は2席とありますが一席を聞かせて下さい〜また2席後の馬生師匠の語りがたまらなく味があり馬生師匠ファンはたまりません〜アップありがとうございます
@観翁撰集_小山泰生編
@観翁撰集_小山泰生編 2 ай бұрын
kzbin.info/www/bejne/q6u4eadprqhggbMsi=zilOLZoTZkTh35yw
@観翁撰集_小山泰生編
@観翁撰集_小山泰生編 2 ай бұрын
コメントありがとうございます。 『粗忽長屋』です。
@user-wg9es5sc2e
@user-wg9es5sc2e 2 ай бұрын
落語を聴いて居ると、今のドタバタ芸人?只只!芸人と呼ぶ事すらおくがましい!
@ttt-mq4ei
@ttt-mq4ei 2 ай бұрын
しつもんすいません 書き出してみたのですが これに明らかにおかしい文字や間違いはありますか 志ん生 五目講釈 大将この日の出で立ち見てあらば、黒糸威 の大鎧、鹿角の脇立て、銀獅噛の前立て、打ったる兜を、猪首にきなし・・・・・・ 田原正真が、七日に七日また七日、三×七、二十一日の間、精進潔斎にて、鍛いあげたる、蜻蛉切と名付けたる、大身の槍を、馬の膝頭に、ひきつけーっ・・・・ やーあやーあ、遠からん者は、音にも聞け、近くば寄って、目にも見よ、我こそは、駿遠参、三ヵ国にて、然る者ありと知られたる、淳和、奨学、両院の別当、源氏の棟梁、武門の長者あっ・・・・ 征夷大将軍、徳川家、三河の上、家康、身内にしてっー・・ 本多平八郎とは、我が事なり、我と思わん、者あらば、いざ、見参、見参と、鐙、踏み止め、鞍の背に、突っ立ちあがりーいっ・・大音声に、呼ばわったりいっ・・   これを聞いたる、城中の、有志の面々、憎っくき、本田の一言、かな 目にもの見せてくれんと 大手の門を、さっと、八文字に、開いたあっ・・・・ 中より、踊り出でたるのは、後藤又兵衛基次、伴団右衛門直之、薄田隼人正兼相 亀井、片岡、伊勢、駿河、 武蔵坊弁慶、 由井正雪 、藪原検校・・・・ 我も、我も、と、乗り、出だしたが、本田、一人の働きのため、秋の木の葉の散る如くっ・・ ムラムラ パッと、逃げ去ったりっ・  逃ぐる者には、目は、かけず、目指すは、時政、ただ一人と、馬コマの頭カシラを立て直しっ・・  やあーやあーあ それに、討たせたもうは、桓武天皇、九代の皇胤 、平親王、平の知盛と見受けたりっ・・・・敵に後ろを、見せるは卑怯なりっ・ 返カーエーしーて、見参ゲンザン、見参と、扇を上げて、隙間、見ればっ・敵に声をば、かけられて、何の猶予のあるべきやっ、 敦盛、馬コマを、ひっ返せば、熊谷も、進みよりっ・・ えいや、ふんずと、組み合ううち、兜の錏/錣シコロを、引っちぎられ、こわ(強)、敵わじと、朝比奈は、浜辺を指して、逃げて、行くっ・  ほん一つの不思議と言うは、頃しも、六月、末つ方っ  四方の山々、雪、解けて、   川の狼、かわのかみ、 霜を、彷徨う、その内に遥か、彼方の、たにがいにて、  塩の付きし、白布を、流れに、洗う、女あり  綱は、フンと金剛杖を、岩角に突き、汝なに故あって、その絹を洗えしぞやと問われた時に、かの女両眼に涙を浮かべっ 何を、お隠し申しましょう、わたくし夫と申しまするは、先年、大江山にて酒呑童子と相撲を取り、踏み、潰されし、河津三郎祐泰が、忘れ形見、やすと申す、者にて、候   そなたが、おやす殿で、有りし日には我も思えば六年前、信太の森にて、悪右衛門 に狩りに出され、 死ぬる命を、保名殿に助けられ、再び花咲く乱菊の千歳を経ヘたる雌狐雄狐・ 初音の鼓、尋ねんと、遥々ここへ紀伊の国、今、道心は、御座ずやと 登って聞けば、その人は、東の住まいと聞く悲しさ またも都を、迷い出イで、すごすご帰る道すがら、山越す、猪に出会い・・ やー、慮外リョガイ無礼の雲助共っ・  命を取るは、殺生とっ、思った、なれど、付け上がり 面ツラに受けたる看板の、傷を、もっけの重宝と、切られの良さと異名を取りっ・  そんなら、お前が与三さんか、お富であったか、積もる話は、船にとせんと 海の深間、十反、余り漕ぎに、出ば・・うしーろーの方カタより追っての声っ・やーあやーあーあ・ その女こそ、源氏の白旗、持ったるなり、早や、奪い、取ったれと言う声 辺りを見れば人は無し、ひとまず、ここを落ち延びて、時節を待って、おお詫びせんっとっ・ 共に、と、取り縋スガるを、 おう、労しの、今若、乙若、すやすや眠る幼子のっ、顔を見つめて、これ、久松 それ程、嫌な、身ずからを、女房にすると何故、言うたっ・  例ーえ、この身ーは、うろ屑の餌食となると言えども、この川、越えず、おくべきかと、日高の川へと、ざんぶりと、道成寺へとっ、つきにけりっ・・  このー釣ー鐘ーの、中こそ、怪しやっと、きーんりー、きーんりーと、七巻半、残りし首は、江州、瀬田の唐橋に、にょっきと、現れたりっ・・   これを眺めし、併称/並称平清盛うーううん、憎っくき百足の振舞いかなあ  多足タソある、あれを、打ち取れっと、下司の一声、心得候ーなれども、ばーらばっらっと現れたのはっ・ これなん、下野の国の住人、那須与一宗高はっ 村重等の弓を、満月の如くに、引き絞り、のっぴき、ひゅーと、切って放てば、過またずっ・  継信殿の胸板へ、はしっと、立って、真っ逆さま、落ち行く先は、九州相良っ・  村の小名おば金置き村よ、鈴木主水と言う侍は女房、持ちにて二人の子供っ、姉が、宮城野、妹が、信夫、親の仇、工藤左衛門祐経を討たんとっ・ 頃は、元久の四年の中の八日の五月雨にっ・ ・富ー士ーのー裾野っへ忍び込む・・ この者元に、播州、赤穂の主、塩谷判官高貞の家来、堀部安兵衛武庸は 関の孫六、三本杉の一刀の裏と表の目釘を示しっ・・ 千里ー一時、虎の子走りっ・高田の馬場へと駆け付ける夫の後を、慕えし、松浦佐用姫 これ、のう、待った稲川殿っ・ 呼べど叫べど雲、霞、夫の命に係わる大事、私もこれから相撲場へとっ・ 帯引き締めて、出会い頭に現れ、出でたる、一人イチニンはっ・ これ南部衆、川越の主っ・ 太田道灌っ・ その時に、読まれし、一首コンっ・ 石川や浜の真砂は尽きずとも、宜 山風を嵐と言うらんっ・ これを聞いて一同の者が・関心を、致して、今、引き上げんとする所へっ・ 遅ればせに、駆け付けて参りました、清水の次郎長に加藤清正っ・妲己のお百に日蓮上人っ・ この寄ったりの者が、飛行機に乗りまして・南極 探検をすると言う・お馴染みのお話で・ 河津三郎祐泰が、忘れ形見、やすと申す、者にて、候   そなたが、おやす殿で、有りし日には やすが何者か不明 川の狼 川の神 出典が不明です 分かりますでしょうか
@redpine3255
@redpine3255 2 ай бұрын
柳橋師匠にしては珍しく何度もとっちて(舌がもつれている)いますね。
@user-pq2qy2pb3o
@user-pq2qy2pb3o 2 ай бұрын
11:55
@user-xs5tr6cx8u
@user-xs5tr6cx8u 2 ай бұрын
ついに、映画に成るそうです。🎉
@galleryTOKU
@galleryTOKU 2 ай бұрын
なんだかこんど何んにもできないのに新内公演のお手伝いをすることになり雰囲気を得るために参考にさせていただきます。ありがとうございます😊
@NENE-KEN18
@NENE-KEN18 3 ай бұрын
落語というより、漫才みたいですね😊
@tukikagehyougoful
@tukikagehyougoful 3 ай бұрын
大阪人でありながら…初代春団治のもとを出て…東京に出て…六代目三遊亭圓生師匠に助けられ…東京で上方落語を語り評価された隠れた名人…二代目三遊亭百生師匠…!!
@user-me7il4js2v
@user-me7il4js2v 3 ай бұрын
素晴らしい程の気合いを感じます。声の調子からして1920年代でしょうね。 なので喇叭吹き込みですね。大正期のニッポノフォンのレコードには、その組み合わせの録音も結構在りますから、そんな感じがします。元ネタが人形浄瑠璃なのが、よく解る演じ方です。音だけでも舞台の動きを彷彿とさせる名演だと思います。
@okut.3914
@okut.3914 3 ай бұрын
kzbin.info/www/bejne/fXbbmGynodCNmZI
@user-hu8gy8go2s
@user-hu8gy8go2s 3 ай бұрын
後半、仲蔵は雨の食堂で鞍馬天狗?みたいな男性に会いますよね、その時仲蔵が「いい、あーいい、いい」って言うんだけどそれが何とも言えずいいんです。圓生師匠ってやっぱ天才かもと思ってしまう。
@erikkoch6117
@erikkoch6117 3 ай бұрын
シェアしてくれてありがとうございます。何回聴いても楽しめます😊
@user-lt3et7on9u
@user-lt3et7on9u 3 ай бұрын
大好きな金馬師匠に東京に来て百生になったと言われた楽しい師匠にブキウギの笠置さん!素晴らしい録音さすがです!
@user-yy5ci4uh1h
@user-yy5ci4uh1h 3 ай бұрын
小文治師のおかみさん、『尻餅』も面白かった。
@huna27huna27
@huna27huna27 3 ай бұрын
後半に出てくるのは談志か。
@user-po5vy7ko4i
@user-po5vy7ko4i 3 ай бұрын
20:10 落付く先は九州相良、九州相良。道中筋は参州の吉田で逢うた、と人の噂。 👏👏👏
@user-yy5ci4uh1h
@user-yy5ci4uh1h 3 ай бұрын
三味線は、綱の時は十代弥七かな?他はわかりますか?
@user-rm8kr5ki3s
@user-rm8kr5ki3s 4 ай бұрын
1こめ もう五年か
@user-mt9nt6iy1y
@user-mt9nt6iy1y 4 ай бұрын
昭和の文楽は七世土佐太夫なしに興行は成り立ちませんでした。松竹の大谷竹次郎社長がご存命でしたら。七世土佐太夫こそ、文化勲章を受け、人間国宝であり、
@user-mt9nt6iy1y
@user-mt9nt6iy1y 4 ай бұрын
人間国宝の推挙を受けたでしょう。素人から、吉田文五郎さん、桐竹紋十郎、このお二人の人間国宝の人形遣いの出演の時の、太夫はすべて七世土佐太夫、若いときは伊達太夫を名乗っていました。あっという間に一番良いところを語る太夫になり人気も高かったので他の太夫さんから嫉妬されておりました。時が移り文楽が松竹の手を離れ国の管理下に置かれるようになり、晩年になり体力もなくなった、七世土佐太夫は、昭和年代文楽を支え続けた。一番の功労者だったにも関わらず、文化勲章も受けず、芸術祭賞も受けず、人間国宝にもならずになくなりました。彼の業績がこのまま評価されないまま埋もれてしまうのはあまりに残念です。現在もレコードや、CD、が売れつづけているのは、七世土佐太夫の作品だけです。どうか彼の業績が再評価されることを願ってやみません。
@user-il1yq8zj3b
@user-il1yq8zj3b 4 ай бұрын
山のアナが懐かしい。
@sankekatu
@sankekatu 4 ай бұрын
自分だけ楽しんでどうするの? 見ているほうは分からない? 動画に流すな。
@user-vg5tb5sk2i
@user-vg5tb5sk2i 4 ай бұрын
三代目三遊亭円歌は、兎に角面白い! 涙を流し声を立てて笑える😮
@user-rf2fm9se9h
@user-rf2fm9se9h 4 ай бұрын
、らま😅
@Tokiwaaaaaaa
@Tokiwaaaaaaa 5 ай бұрын
大変貴重な音源
@user-um3lt1qc6w
@user-um3lt1qc6w 5 ай бұрын
黙れ!小山!
@tukikagehyougoful
@tukikagehyougoful 5 ай бұрын
あの立川談志師匠が人目おいていた…大名人漫談師ですね…弟子も牧伸二さんやポール牧さんら凄いお弟子さんを育成されていて…いずれにしろ凄い方でしたね…!!