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曹洞宗SotoZen
曹洞宗の公式KZbinチャンネルです。
今から八百年ほど前の鎌倉時代に、
「道元禅師(どうげんぜんじ)」が正伝の仏法を中国から日本に伝え、
「瑩山禅師(けいざんぜんじ)」が全国に広められ、「曹洞宗」の礎を築かれました。
このお二方を両祖と申し上げ、
ご本尊「お釈迦さま(釈迦牟尼仏)」とともに、「一仏両祖(いちぶつりょうそ)」として仰ぎます。
15:48
残念な気持ちを見つめ直す
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毎日お唱え 毎日坐禅
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生きにくさの抜け道~苦しい迷路を抜ける道先案内人とは~
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智慧と慈悲の実践
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曹洞宗法話動画No.021 岩舘裕章師「まっすぐなお線香と、かたよらない心」
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第5章第31節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第5章第30節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第5章第29節
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10分で『修証義』第5章第29節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第5章第28節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第5章第27節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第0節-2 四大綱領について
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第5章第26節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第4章第25節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第4章第24節
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10分で『修証義』第4章第24節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第4章第23節
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宇野さんと近藤の『修証義』トーク 第4章第22節
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10分で『修証義』第4章第21節
Жыл бұрын
Пікірлер
@小林幸子-w8k
7 ай бұрын
わかり易く、分かったような気がしました。 もう一度聞きなおすこともできるので聞きます。
@srimati88
8 ай бұрын
最後まで聴かせていただきました。ありがとうございました。 続きの動画、お待ちしております。
@小板橋京子j
9 ай бұрын
我が家も曹洞宗ですね。釈迦牟尼仏と 3回唱えます。 菩提寺のご住職は 謙虚な方で お母様も素敵な人です 何時も暦を頂いて います。 🧡🦉🦉🧡ふくろうの お守りを持っています。🦉🦉🦉
@srimati88
9 ай бұрын
前回の続きで、(今までやってきたことが)無駄になることはないよ、今から頑張りなさい、というお言葉に勇気づけられました。ありがとうございます。
@srimati88
9 ай бұрын
「手遅れはない」というお言葉に励まされました。そして、それは今すぐやらなければならない、という厳しさも伴う、と理解しました。
@srimati88
10 ай бұрын
修行に入られる方に「何を捨てることができるか」とおっしゃったというお坊さまの話が、素敵だと思いました。さすが曹洞宗さんですね。
@srimati88
10 ай бұрын
「お釈迦様だったらどうするか」という発想はなかったので、すごい!と思いました。すぐ実践できるとは思えませんが、そのような選択肢がある、ことを覚えておきたいです。
@srimati88
10 ай бұрын
仏教がbelieveでなくawake だとおっしゃったことが素敵だと思いました。
@srimati88
10 ай бұрын
「生き死にの中で振り回されるのでなく、生き死にの中にある、自分を揺さぶる何かから離れて、きちんと自分の生き方が自分のものになる、それが、唯一大事因縁と究尽すべし」というお言葉が響きました。
@miyuki6844
10 ай бұрын
こんにちは。2024年1月1日能登半島地震に遭遇し、自宅は幸い被害はありませんでしたが、これが生と死を考えるきっかけとなりました。私の家は曹洞宗ですが、亡くなった祖母が熱心に読んでいました修證義を仏壇から取り出しまして、何が書かれてあるのか知りたくなり少しずつ勉強を始めました。48歳の女性です。 やっと第5章31節まで終了しました亡くなった祖母が仏様となり導いてくれたと思っています。 仏様の心でこれからの人生を生きていきます。 ありがとうございました。
@miyuki6844
10 ай бұрын
2024年1月1日能登半島地震に遭遇し48歳にして初めて自分の家の曹洞宗のお経について興味を持ちました。読んでも難しいので、解読して頂きわかりやすかったです。 生と死を考えされました。
@まんまるあやちゃん
Жыл бұрын
やっと本編とトークを全部拝見しました。 でも、まだまだ解ったとは云えない私。 繰り返し見ながら聞きながら、どう生きるか考えたいと思います。 続く新シリーズも楽しみにしております。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
修証義を一度習って少し時間だ経ちました。改めて修証義を聞き直していると、心に染みてくるものがあります。 自分には少し荷が重いかなと思う役目を頂いて、一生懸命、周りの人に教えて貰いながら日日を送ってきました。そのお役目も明日で終わります。 久しぶりに修証義に触れてとても心に染みて、忙しくしている間、お釈迦様の教え、修証義で学んだことが私を励まして、私は周りの人のことを思い、心を乱すこと無くこれたように思います。 お釈迦様がいてくれる、観世音菩薩さまも見ていてくれるという想いが私の心の中にいます。 日日の行いが修行でお釈迦様を近くに感じられるということに、毎日一日一日を大切にしようと思います。 修証義また聴き直していきたいです。 宇野さん、近藤さんのお釈迦様に憧れる姿、修証義を大切する想いが一番の教えで、宝物だと思っています。 いつもありがとうごさいます。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
たんぽぽ
@澤田宗博
Жыл бұрын
By😂
@sotozenkanri
Жыл бұрын
(現代語訳)多くの仏さまがおられますが、それはみなお釈迦さまのことです。お釈迦さまとは即心是仏の仏さまであり、我々の心そのままが仏さまという意味ですが、そっくりそのままというのではなく、仏さまの教えを実践する姿を通して仏さまとなるのです。あらゆる時間、空間におられる多くの仏さまが、実践を通して仏さまとなるとき、それは必ずお釈迦さまになっているのです。それがつまりは、我々の心が仏さまそのものだというとき、それは一体誰のことを指しているのかを、よくよく学ばねばなりません。それがとりもなおさずお釈迦さまへの恩に報いることとなるのです。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
修証義の生死の中、とくに生きている間に安らかな気持ちを持ってどう生きて行くかを問うこと、生きているうちに仏様に会える生き方をしていたら死が特別なものでなくなるのかなと思いました。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
こんにちは。一度10分で修証義をならって、また戻ってきました。 修証義の教えに触れると肩の力が抜けて、今からでも遅すぎるといわれて自分を取り戻せるように思います。 ここに出てくる六趣四生というのは、お釈迦様が説かれた教えにあったもの、そのころからあるものてしょうか? よく聴く言葉ではあるので、どう捉えていいものか迷うことが多いです。 よろしくお願いいたします。
@yurindoh
Жыл бұрын
遅ればせながら「修証義トーク」無魔円了おめでとうございます。71話,7か月にわたりましたがお二人の気さくな語り口で聴取者も多かったようで,この番組経由で禅茶ラジオの宇野和尚さんインタビューを聞いてくださったという嬉しいメールも届き感激してます。 振り返りトークも楽しみにしてます。
@Hozan428
Жыл бұрын
非常に勉強になりました。ありがとうございます。
@まんまるあやちゃん
Жыл бұрын
うわぁ〜…耳が痛いです。 正しく生きられるように、今日も頑張ります。
@Hozan428
Жыл бұрын
先日、北米で在家得度したものです。このチャンネルは勉強になるのでよく聴いております。この漢字2文字で設計されるSyusyogi の美しさは、英語化した時にそれほど実現できていないと感じました。まずは日本語での精密な理解が必要ですね。
@shunnsukemoriya874
Жыл бұрын
古文はなぜこんなに長文なんでしょうか? この文章はもっと句点が多いいのではないでしょうか
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
こんばんは。一通り修証義を習って、ユーチューブの中の法話などを聞いています。 今日は第1節の「宇野さんと近藤さんの修証義トーク」が出てきて、改めて聞いていました。「生死のなかの仏」のところで近藤さんが「魂」と言われて、死んでもさの魂はある?というお話だったかと思います。 「魂」というのは聞いたことはありますが具体的にどんなものか、仏教、修証義とかかわりがあるものでしょうか? また何かの折り教えて頂ければうれしいです。 私は慈愛の心を心がけていつかは自然にしている愛語が出てくるようなりたいです。 長文になって失礼致しました。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
こんにちは。お彼岸やお盆の法要のときに「回向」という言葉が使われていて、意味もわからないままにしていました。今日のお話しのなかで「読経の功徳」を指していることをしりました。お彼岸のときに回向をお願いするときは、お経をあげて仏様に功徳を巡らして頂くということだったんだなぁと思いました。 修証義を学んで自分のことをいつも反省しながら、教えを意識しながら居るようになってきたように思いました。 私の懴悔を聞いて下さる仏様は忙しくて申し訳ないです。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
おはようございます。因果の道理をわきまえず悪を重ねていると長時の苦を受く、のところでスパイラルに陥るとお話しがありました。スパイラルというのは苦の状態が続くのではなくて、悪から抜け出すことができなくなって、悪を繰り返して泥沼にはまるよう悪いことを重ねてしまう。という意味でスパイラルなのかと思いました。小さな嘘をごまかしているうちに大きな嘘をつかないといけなくなる、みたいなことかとも思いました。 この解釈が間違っていたらどこかのトークでもう一度因果の道理を取り上げて頂けると嬉しいです。 修証義をきちんとわかって、お釈迦様の教えに違わないような人になりたいです。 いつもいつもありがとうございます。
@あおメ
Жыл бұрын
自分ができていないことを子供に教えなければ、その子が自分以上になることはないという言葉にハッとしました!自未得度先度他をとてつもなく端的に説明したお言葉だと思います。 また「熏習」という字を使われていますが、「薫習」という草冠がつく字が馴染みがあります。調べたところ異体字のようですが、他にもたくさん異体字がありその字を使われる理由など、もしあればご教示頂きたいと思います。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
こんばんは。同事はいつも気になっています。誰がと一緒にいるとき、私は自分の中にいる仏様が曇らないよう慈愛の心をもって私の中の仏様に寄り添って相手の中にいる仏様が私の中の仏様に気付いてくれたら、私が一緒にいる相手の人に心を寄せて同事の心を働かせている、と考えていいのでしょうか?まず自分の中の仏様にありのままに背かないのが大切なのかなと思いました。 ここで、人間の如来が人間に同事るのと同じ、とあります。如来は仏様にになろうとしている仏と思っていると、私の中に憧れの仏様と仏様になろうと努力している如来が二人一緒にいることになってしまいます。 布施、愛語、慈愛は素直に入って来るのに、同事では仏様と如来で戸惑っています。 相手の人の身になって慈愛、慈悲心をもって接する。では少し違ってしまいますか? よろしくお願いいたします。
@あおメ
Жыл бұрын
ラジオ感覚で楽しく聞かせていただいてます。ありがとうございます。 行持道環について最近勉強した所だったので進〇ゼミの漫画みたいな気持ちになりました。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
こんばんは。「10分で修証義」を一通り学んで、読めるお経ということで、うっかりすると自分勝手な方向に行ってしまいそうなので、これからも一つ一つお釈迦様の教えに叶っているか頭の中を勢力しなからお釈迦様の教えを正しく身につけていきたいです。まだあやふやに成りそうなところがあるのでこれからも学びを続けていきたいです。 修証義を学ぶ機会を頂いてとてもうれしく感謝しています。これからもよろしくお願い致します。
@yukikosato9535
Жыл бұрын
こんにちは😃 お釈迦様の教えに心掴まれ色々宗派の本を読み、曹洞宗の教えに心掴まれ、菩提寺が曹洞宗だったと言う事もあり、座禅など参加しています。あなただけの修証義と言う既に絶版になっている小学館出版の本を中古で買い、この動画と共にお勉強させていただきました。語弊がありますが…修証義、良いなぁ…道元かっこいいなぁ…とワクワクしながら心にしみました。10分と言う時間、気さくな語り口、とても楽しかったです。 本当にありがとうございました😊繰り返し又見させていただきます。 10分で観音経と言うのも動画にしていただけないでしょうか😊 いつか和尚様に会いに行きたいなぁ…と思っています😊
@zmono
Жыл бұрын
解説、親しみ易く、分かり易かったです。 新シリーズあれば楽しみにしてます。🙂
@こんぶ-h8i
Жыл бұрын
ここまで ありがとうございました。 一番印象的だったのは 解説されながら 「ここの文章、本当に好きなんですよね」と嬉しそうに話されることです。 嬉しさ、ありがたい気持ちが伝わって来て私まで嬉しくなりました。 〈昔の教え〉でなく 受け継がれ生き続けている、 人の心に響き続けているのだなぁととても感じました。 これでおしまいではなく 振り返り動画が続いて良かったです。
@こんぶ-h8i
Жыл бұрын
私事ですが 心がふるえることに出会えても、日常の中ですぐ いつもの負の力の強い自分に引き戻されてしまい相変わらずの自分を情けなく思う…というあく循環におちいりがちです。 仏弟子として日々を 大切に過ごされている 宇野さんや近藤さん。 修証義を数えきれないほど よまれているでしょうに 心に響いたことをずっとくさらせず、新鮮に抱き続けてらっしゃる。 この方々はなんて純粋な魂を 持っておられるのだろう…。 ものすごくきらきらしたものを感じて度々衝撃でした。 そして『現代の中で生きている修証義』として更に掘り下げて 学び続けて私のような者にも伝えて下さっている。 ありがたいことです。 現代の私たちと同じように 悩みくるしみ、病み、別れも経験された 生身のお釈迦様。 ずっと続いている… お釈迦様たるものを立ち現せることが恩返し 字面を眺めているだけでなく いかにものにして行くか… お話を聴いているとじ~んとして泣きそうになることもあります。 解説していただいても今の私にはまだ難しくて頭が追いつかないこともありますが、親しみやすくてほっとするチャンネルを ありがとうございます。
@YokoIwk
Жыл бұрын
「10分で修証義」というシンプルなタイトルも、同時に下から横からササッと文字が出てくるレイアウトも、そして掛け合いみたいなお二人の解説も、とても新鮮でした。今回の、自分自身が灯火となって次世代に伝えていく、という言葉が心に残りました。有り難うございました。
@rentaro18
Жыл бұрын
これまでお疲れ様でした。ありがとうございます。コメントを入れさせて戴きたいと思っているうちに次の節が配信され、光陰なにがしの如き毎日です。自分を見つめ直す良いきっかけとなるシリーズでした。次回も楽しみにしております😊
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
今日はとてもよくわかりました。ありがとうございます。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
こんばんは。同事になるときは自分の中の仏様にまず私が仏様らしくいて、相手の人の中にいる仏様は普通、相手の人に寄り添っていると思いますが、どちらの仏様もそれぞれの人(自他)に寄り添いながら互いに仏様らしくいることができている、と思っても大丈夫でしょうか? 人である自と他は特にに仲が悪いとか良いとか関係なく自分の中の仏様、その仏様に背くことなく仏様らしくいる。まだまだよくわかっていないところを毎日の生活の中で自分のものにしていきたいとおもいます。 修証義との出会いを大切にしていきたいと思います。よろしくお願いします。
@zmono
Жыл бұрын
うーん、今回は難しいと感じました。 最初の3行の文章と解説が繋がらなくて、頭に入ってこないんです😢
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
今朝、修証義の5章第3節を聞いて、修証義を一とおり習って、第1節に戻って「生をあきらめ死をあきらむ「生死の中に仏あれば生死なし」の分かったようでわかりきっていなかったところが、無理しなくてもうなづける気がして、とても嬉しくて、これからも修証義を声を出して読んで大切にしていきたいと思いました。 ユーチューブがこれからも聞けるようなら、途中で間違った方向に行ってしまわないように聞くことも楽しんでいきたいです。「10分で修証義」の講義ありがとうございました😀
@まんまるあやちゃん
Жыл бұрын
修行中と云えど既に仏なのだから、自分の事はさて置いてまず困ってる人を助けなさい。 この教え〜考え方には感銘を受けました。 と同時に現代社会を見渡すと、実現は難しいのでは?とも思わされます。 ともあれ、自分に出来る範囲で実践したいと考えている次第です。
@sotozenkanri
Жыл бұрын
10:43 「曹洞宗教会」⇒「曹洞教会」、「曹洞宗扶宗会」⇒「曹洞扶宗会」 誤字です。申し訳ございません。
@sotozenkanri
Жыл бұрын
(現代語訳)月日の過ぎるのは実に早く、これは矢よりも早いものです。私たちの命は、草の葉に残る露よりもはかなく、どのような手だてを用いても、過ぎ去りし日を呼び戻すことはできません。無意味に百年の年月を生きても、それはただはかなき一生、つまらぬ形骸というべきでしょう。ですが、その中で一日でも真実の道理に従った生活をすることができれば、その一日の功徳が百年分の価値となり、すばらしい百年間を過ごしたことと同じ得となるのです。真実の道理に従った一日は特別な一日ではなく、きわめて平凡な一日です。輝ける仏さまの手の中で生かされていることに気づき、仏さまの手を借り、仏さまの足を使って歩んでいることに気づく。仏さまのお陰で日々を過ごしていることに気づくと、これまで無駄に過ごしたと感じた歳月が、そのまま仏さまの命の中の営みであったことがわかります。このように、仏さまによって生かされている自らの命は、実は心より敬愛すべき身心でした。私たちの生活の上に、仏さまは常に現れていたのです。何気ない一日にも仏さまがいます。その日一日の行いは仏さまを招く種となるのです。
@sotozenkanri
Жыл бұрын
(現代語訳)そのご恩に報いるため、何か特別な方法があるわけではありません。ただひたすらに日々の生活の中で仏の教えを実践し、持続すること、それこそが仏さまへの恩返しとなるのです。毎日の暮らしを大切にし、勝手気ままに時を費やさないように過ごすことです。
@sotozenkanri
Жыл бұрын
(現代語訳)今このように、いつ何時も仏さまを拝し、その教えを聞くことができるのは、お釈迦さまと歴代の祖師方が修行を通して教えを持続してこられたおかげに他なりません。そこに少しでも間違いがあれば、どうして今日、仏法を見聞することができたでしょうか。これまで伝えられた一句に対して感謝して、恩に報いましょう。これまで伝えられた一つの教えに対しても感謝して、恩に報いましょう。ましてやこの上ない『正法眼蔵』を受けた大恩に対して、どうして報いないことがありましょうか。雀も亀も、恩を忘れないたとえがありました。犬や牛といった動物も感謝の心があるのに、人として生を受けた私たちは、なおさらご恩を知らないことがあってはなりません。
@sotozenkanri
Жыл бұрын
(現代語訳)静かに思いを巡らせましょう。正しい教えに従い、身を委ねるのです。それは自らの見解を捨て去り、教えのままに進むことですが、正しい教えがこの世で行われていなければ、願いがどんなに強くてもどうすることもできません。幸いにして、今は正しい教えに出会えることができました。そのことを喜び、お釈迦さまの示すことをしっかりと受け止めましょう。師の前では、出自や家柄、外見などは関係ありません。他人の欠点を拾い上げたり、その行いの是非を論じたりしてはなりません。ただひたすらに師の教えを尊重し、毎日三度の礼拝をつとめ、思いわずらう必要はありません。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
修証義を正しく学ぶ機会を与えて頂いたことは本当に幸せで、感謝でいっぱいです。生きている内にほとけ樣らしくなるにはまだまだ一歩踏み出したくらいですが、確かな揺るがない道標になっています。 読めるお経の修証義、終わりまで楽しみにしています。もし後から聞き直せるようならまた何回でも聞いていきたいお経です。 いつも楽しく分かりやすい解説、トークありがとうございます。◕‿◕。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
こんにちは。宇野さんと近藤さんのお話を何回聞いたことでしょう。修証義を習い始めるころ、生身のお釈迦様の教えであること、生きている内に·"ほとけ"になれる教え、仏教です。と話されていました。 それまでも家、私の中に仏教はありました。でもそれは遠いところで先祖供養の文化の中にあったように思います。 今は違います。私の中にお釈迦様がいらして、その教えを学んで、毎日の私の中に考えたり、することに活かして、仏様らしい、穏やかな私になりたいと思っています。 このコメントを書いている時、とても穏やかな静かな気持ちになっているのも不思議です。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
こんにちは。修証義トークでお話しを聞のは一人でお経を読むときより修証義の持っでいる温かさが感じられて心が落ち着く気がします。 「見仏聞法は仏祖面々の行持より来たれる慈恩なり」とあるのはお釈迦様から今私が聞く時まで何代もの祖師が慈愛の心を4つの大切な教え重ね伝えて下さったおかげ、ご恩のような気がします。 このようにして修証義を学ぶことができて幸せだなぁと思います。 ありがとうございます。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
おはようございます。正法眼蔵無上大法というのは、修証義も入りますか?何か大切な一つのお経があってそのお教のことでしょうか?お釈迦様の教えに今触れられること、ありがたいです。読んで分かる修証義を作ってくださったことに感謝したいです。10分で修証義、楽しく学んでいます。ありがとうございます。
@千葉隆典
Жыл бұрын
世界中で最も難解と云われる『正法眼蔵』道元禅師著をベースに編纂された『修証義』は、宗門の僧侶でも難解であり、それを在家信者にただ読ませているだけで、無責任過ぎませんか…。 江戸時代には何処のお寺にも『正法眼蔵』は存在せず、有っても難解過ぎるので「読むことはせず、拝むもの」として須弥壇にお供えしていた。出家至上主義の道元禅師は、一箇半箇の弟子を育むことを考えていた。難解な『修証義』をどうやって在家信者に理解させるのか、出家至上主義を求める道元禅師の思想を『修証義』を用いて在家にどうやって修業させようとしているのか。
@user-cj6qv4m
Жыл бұрын
患悩の心を起こすことなかれ、は今の私にぴったりでした。 ずっと懺悔滅罪に出てくる三世、生き変わり死に変り、と現実の人の死は別の次元で捉えるべきことと思いました。 修証義は今すぐ償うことがあったりして、命は何らかの形で生まれたり死んだりしながら命が繋がれていく、というふうに思ったら違ってしまうでしょうか? なかなか難しいことですが、修証義の中では命が受け継がれていくようなところが良く出てきているように思いました。 この次の世に石ころに生まれたら、石ころの仏様がいらっしゃって、人間はどのようにみえるのかな、と想像します。 間違った方向に解釈が向かっているようでしたら、正しい方向にお導き頂きたく、お願い申し上げます。