Пікірлер
@user-eh9jt8de4p
@user-eh9jt8de4p 2 күн бұрын
宇都宮錯乱
@seminosuke
@seminosuke 3 күн бұрын
令和の時代に津軽が南部がってのはやめましょうよ
@user-iv5em8lu6h
@user-iv5em8lu6h 4 күн бұрын
栃木は戦国武将の名前がその地名に残ってるのが凄い。生に涯あれど名に涯は無し。
@Kimcom7
@Kimcom7 5 күн бұрын
近江は河内や摂津とともに、京の都に隣接しているだけあって、室町幕府の争乱・内部分裂に頻繁にでてきますね。 交通の要衝ということもあり、戦国時代末期まで争乱の渦ですね。 彦根に重臣の井伊氏を配置して、京の守りと監視をした徳川幕府の方針も納得できるものです。
@user-xs1yd2jf4w
@user-xs1yd2jf4w 8 күн бұрын
土屋昌恒片手千人斬りは片手を蔦に絡めて狭い山道で切って捨てたらしい… 忠臣だな
@user-jw3je7nl1g
@user-jw3je7nl1g 8 күн бұрын
岩手はかわいそうなのかw 岩手は南部と伊達が上と下にいたから、今でも県の上と下でちょっと色が違うって聞いたことある
@YANAGITAtokinori
@YANAGITAtokinori 10 күн бұрын
一向宗が加賀を乗っとってしまったのか。 武家は天皇や藤原氏の子孫で旧来からの支配者層の血筋だが、一向宗が領国を支配したのはこの血筋ではないから討たれたのか?
@ta-ic3fs
@ta-ic3fs 10 күн бұрын
斎藤義龍と蒲生氏郷はどうしても迫力あるもみあげを注視してまうwww
@rekishitravel
@rekishitravel 10 күн бұрын
コメントありがとうございます! 確かに!笑 豊臣秀次も気になってしまいます笑
@user-sf4mz7kk4p
@user-sf4mz7kk4p 10 күн бұрын
私の祖先は越前の一向一揆の残党です。 田中角栄さんの祖先も一向一揆の残党でしたね。
@yoshihisaseki871
@yoshihisaseki871 11 күн бұрын
佐竹藩が美人をみんな秋田に連れて行ってしまったので水戸はこのようになってしまったと中学の社会科の先生が言ってました。
@kmtsmyoj8713
@kmtsmyoj8713 11 күн бұрын
図を使って説明されているせいか、とてもわかりやすかったです。今まで、両畠山の話は知っていても、時が経つと、どっちがどっちか分からなくなっていたのが、頭により定着出来そうです。 室町から戦国のコンテンツを、より楽しめそうです。ありがとうございます。
@rekishitravel
@rekishitravel 10 күн бұрын
コメントありがとうございます! 楽しんで頂けて嬉しいです!畿内の畠山氏の動きはややこしいですよね^^;
@user-cl7bm7py4e
@user-cl7bm7py4e 11 күн бұрын
こういう知識を持って旅すると楽しいだろーなぁ!
@jakoneko2
@jakoneko2 11 күн бұрын
Google Mapに歴史に詳しい方々がいろんな城跡を記録していてくれて、栃木にも戦国時代に小さな城がいっぱいあったことが分かる。荻野目洋子・慶子で有名な荻野目姓が現在の大田原市にいた荻野目氏が由来で、その拠点の荻野目城が大田原市にあった、なんてことを知ったのもGoogleMapだった。
@jakoneko2
@jakoneko2 11 күн бұрын
後半に出てくる宇都宮氏(国綱)と那須氏の間で薄葉ヶ原の戦いというのがあり、ここで宇都宮氏側についていた山田氏の山田城が落城。城主・山田辰業の正室・菊の前と11人の侍女らは那須勢の追手から逃げたが最後に箒川沿いの崖から身投げした。身投げした場所は十二御前と呼ばれ、現在は住所に小字名として残っている。
@user-qi8gd2dk4v
@user-qi8gd2dk4v 11 күн бұрын
宇都宮頼綱の血をひくものです。とはいえ私は庶家の血筋ですが。 動画の続きとしては秀吉の朝鮮出兵に一族が駆り出され、戦死者も出しています。 本家の宇都宮氏が衰えると庶家のほとんどが帰農し少し力の強い程度の農家になりました。 その後私の先祖は残っていた財も小学校を立てる費用や用水路や道の整備に出資したりしたそうです。 最終的に宇都宮市内に一族の地名と城跡が残る程度で他に文化財になるようなものはほぼ残らなかったと聞いております。
@TakahiroIwata-vw6qm
@TakahiroIwata-vw6qm 9 күн бұрын
宇都宮の礎となられたのですね。
@heysayts
@heysayts 12 күн бұрын
栃木内乱しかしてないから有名じゃないんだな(笑)
@user-gs2xg5tl8q
@user-gs2xg5tl8q 12 күн бұрын
おもろいです。
@kujou-tamanegi
@kujou-tamanegi 15 күн бұрын
うちの家紋が戸沢氏と同じだからワンチャン関係あったりしないかな
@user-jp6om4hg1o
@user-jp6om4hg1o 17 күн бұрын
いつの時代も東北は中央政権に最後まで抵抗し、結局最後には敗れ去り、それを繰り返した結果、東北全域の開発は、日本で一番最後に回されてしまった。
@junjun-mf3il
@junjun-mf3il 18 күн бұрын
オープニング直後の根来寺は「和歌山市」にあるのでなく「岩出市」です。
@rekishitravel
@rekishitravel 17 күн бұрын
コメントありがとうございます! おっしゃる通りですね!ご指摘頂きありがとうございます!!
@user-gc4lu1ur2p
@user-gc4lu1ur2p 21 күн бұрын
そもそも、長野県は山に囲まれている為、扇状地が多い その為、現在では果樹が多いが、その昔は水保ちが悪くて田んぼを作るのが難しい土地柄(だから、名産が畑で作れる蕎麦) その上、松本は東西南から川が流れ込んで出来た平地だから、治水が完了するまでは水害が多かった 長野は松本に集った水+上田佐久地域の水が千曲川として流れ込む場所だから、更に水害多い 木曽谷や伊那谷は「谷」と呼ばれるくらいだから、木曽川や天竜川から農業用水取るのは無理で、沢筋から取水しても冷たくて稲作は難しかった なので、収穫で養える人口はそれほど多く無かった その上、峠が多くて流通は厳しく、街道を整備する程の労力も負担できなかったから、大規模な軍事行動を起こせるほどの余力はどこにも無かった 結局、発展したのは温暖だった縄文期と政情が安定して余力が生まれた江戸期以降になる
@user-ld1tg9mr3t
@user-ld1tg9mr3t 18 күн бұрын
地政学最高!
@nobu313
@nobu313 22 күн бұрын
弘前市出身です
@user-tx1xx8or2w
@user-tx1xx8or2w 26 күн бұрын
千葉(馬加)康胤の居城だった幕張の「馬加城址」に立つマンションに住んでます! 高台の高層なので、将に天守閣の眺め(笑)近くの由緒ある寺に康胤の首塚も有る。 馬加(マクワリ)転じて「幕張」になったと思うが・良かったヨ(笑)さもないと?
@rekishitravel
@rekishitravel 26 күн бұрын
コメントありがとうございます! なんと!現役の城主さんですね!笑
@user-tx1xx8or2w
@user-tx1xx8or2w 25 күн бұрын
@@rekishitravel 草加氏・馬加氏は頼朝から安房で 功績により頂戴した名「そうか馬鹿ダナ」とかW 褒美の安房一国を粟1石と誤解し苗字を呉れ・と
@ミスター仙臺シロウ
@ミスター仙臺シロウ 27 күн бұрын
歴史の後知恵になりますが、津軽為信を中国地方か九州辺りに領地替えしておけば良かったかも…………
@wearenotborn4ourselv
@wearenotborn4ourselv 28 күн бұрын
南部藩の武士の家でしたので、津軽は狡くて嫌いです。
@shoheii-nl2oq
@shoheii-nl2oq 28 күн бұрын
ん~~中途半端
@user-cz7kz5we7w
@user-cz7kz5we7w Ай бұрын
年配の秋田県民は今でも県知事を佐竹の殿様って言ってるらしいね
@VEGA-0324
@VEGA-0324 Ай бұрын
こんな一地方の場所でも昔は戦で明け暮れていたのですね
@user-lc4di1qm5t
@user-lc4di1qm5t Ай бұрын
聞きづらいです。
@user-zt1nd9bb2l
@user-zt1nd9bb2l Ай бұрын
私は富士郡上井出、名字は井出です。井出郷には父親の親戚が多く、お墓参りが大変です。
@coffeelove8734
@coffeelove8734 Ай бұрын
歴史好きだけどこの人の説明が本当に分かりやすい
@rekishitravel
@rekishitravel Ай бұрын
コメントありがとうございます! とても励みになります!感謝です^ ^
@tomokazus14
@tomokazus14 Ай бұрын
真名城跡近くに住んでます。長柄町の上野地区は平将門にも関わりがあると言われてますが、よく分からないみたいです。良かったら調べてみて欲しいです。
@ak47andak74
@ak47andak74 Ай бұрын
うちのご先祖は皆川広照公の家臣だったらしいです。 天正十三年の北条氏照との太平山の戦いで、当主が討ち死にして山伝いに落ち延びて、佐野(旧田沼町)の山奥で土着したらしい。 あと本当かどうかわかりませんが、祖母の祖先に那須氏にルーツを持つ薙刀使いの武士がいたなんて話を聞いたことがありますねw
@user-cp8nx9gn8e
@user-cp8nx9gn8e 23 күн бұрын
うちの実家は足利なんですが、戸籍謄本で調べてみたら5代前の先祖は田沼から来た人だそうです。 もしかしたらたどっていけば同族かもしれませんねw
@ak47andak74
@ak47andak74 23 күн бұрын
@@user-cp8nx9gn8e 同族じゃ!(戦国自衛隊) 現在足利在住です。ただいま花火大会から帰ってきましたw
@user-cp8nx9gn8e
@user-cp8nx9gn8e 23 күн бұрын
@@ak47andak74 おー今日は花火大会の日でしたか~!お疲れ様でした! もう何十年も見てないですが、久しぶりに見たいですね~!足利の花火は調べてみると日本でも指折りの長い歴史を持つ花火大会だそうですね~ しかし、戦国自衛隊とはまたw
@ak47andak74
@ak47andak74 Ай бұрын
佐野生まれの足利市民です。 地元の歴史と寺社巡りが好きで、横瀬氏墓所のある桐生鳳仙寺とか太田金龍寺などに参拝した後、たまたま次に旅行した茨城県の牛久で太田山金龍寺というお寺を見つけ、おや?と思って入ってみたら、そこが牛久改易後の横瀬氏の菩提寺で何か因縁めいたものを感じてゾクッとしたことがありましたw
@user-sn7kz6iu7b
@user-sn7kz6iu7b Ай бұрын
最上義光の家臣・新関因幡の功績も取り上げて欲しかったです🏯
@DELTA-xz9qf
@DELTA-xz9qf Ай бұрын
※ネタバレ 明治まで続いた黒羽藩の礎を築いた大関氏が一番の勝ち組
@user-uw7mr1cu9i
@user-uw7mr1cu9i Ай бұрын
江戸時代から明治にかけては、航路経由地で栄えたとあるな 陸路が中心になるまでは人口も産業も栄えていたらしい
@mildsevenstars40
@mildsevenstars40 Ай бұрын
福島県民です。地名が戦国大名の名前からだったなんて初めて知りました。若い時にもっと歴史の勉強してたらって後悔です😢
@tetsushi7102
@tetsushi7102 Ай бұрын
上杉さんは関東を荒らすだけの迷惑な人…。 下野国は終始周囲の大勢力に翻弄され続けてたのね。
@user-pp4ng9qt6s
@user-pp4ng9qt6s Ай бұрын
大浦城ではなく尾浦城の間違いではないですか?
@rekishitravel
@rekishitravel Ай бұрын
コメントありがとうございます! 戦国時代は大浦ですが、慶長8年に大山と改名されていますね!今も大山公園として名を残していますね^ ^
@shumaikun8915
@shumaikun8915 Ай бұрын
久々に南北朝シリーズありがとうございます🙏 他の県も楽しみにしてます!
@rekishitravel
@rekishitravel Ай бұрын
コメントありがとうございます! 他県も検討していきますね^ ^
@user-we6pm9ms7b
@user-we6pm9ms7b Ай бұрын
会津四家に触れられてなくて泣き
@rekishitravel
@rekishitravel Ай бұрын
コメントありがとうございます! まさにそれが心残りでしたので、別動画「蘆名氏の戦い〜」で少し触れました!
@user-ds6or4kc2b
@user-ds6or4kc2b Ай бұрын
一点、ぜひお伺いします。 県北部、今の深谷市あたりに、「血洗島」(川の中洲)、「手墓」(今は「手計」と書きます)といった地名があります。 古戦場跡と伝わっていますが、いつ頃の、どの勢力間の戦いか、までは伝わっていません。 解明していただけませんでしょうか?
@user-ds6or4kc2b
@user-ds6or4kc2b Ай бұрын
初めの方、すなわち北条・長尾(上杉)・武田の三つ巴になる前の部分が、よくわからなかった。 もう少し全体の枠組み・基本構図の説明があるとよかった。
@user-pr5uf4ho5s
@user-pr5uf4ho5s Ай бұрын
静岡県の南北朝もお願いします!
@rekishitravel
@rekishitravel Ай бұрын
コメントありがとうございます! 静岡県熱いですね!畠山国清の乱もじっくり描けそうです!リクエスト感謝です^ ^
@user-iw2wl2rr1l
@user-iw2wl2rr1l Ай бұрын
蛇と百足の戦争やっけ
@user-cp8nx9gn8e
@user-cp8nx9gn8e 23 күн бұрын
戦場ヶ原の由来かな?
@user-pk2cf4el1d
@user-pk2cf4el1d Ай бұрын
がっつり地元の話で嬉しい 高坂館跡のすぐそばに住んでます
@rekishitravel
@rekishitravel Ай бұрын
コメントありがとうございます! なんと!高坂館は戦国時代にも使われていますし、このエリアは特に重要な場所ですね^ ^
@user-ez9it2kb3f
@user-ez9it2kb3f Ай бұрын
聞き取りにくい
@masanobuokuda5837
@masanobuokuda5837 Ай бұрын
一揆というと百姓一揆や一向一揆などから反乱や暴動のことだと思っていましたが、もとは小領主の同志的な集団のことだったのですね。 埼玉の歴史は、上杉禅秀の乱以降ならだいたい知っているつもりでしたが、それ以前の南北朝時代にこんな目まぐるしい動きがあったとは知らず、勉強になりました。ありがとうございます😊
@rekishitravel
@rekishitravel Ай бұрын
コメントありがとうございます! 上杉禅秀の乱から享徳の乱までの流れも面白いですよね^ ^ いずれ特集してみたいです!
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u Ай бұрын
ここで我が地元の芳賀氏が出てくるとは!!
@rekishitravel
@rekishitravel Ай бұрын
コメントありがとうございます! 他にも越後だったり意外と色々な場所で出てきますね^ ^