アイヌ人は100%縄文人の末裔!?【日本人のルーツ】

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Күн бұрын

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@廉太郎-s9n
@廉太郎-s9n 15 күн бұрын
「横浜で行われた:科学で読みとく縄文社会:高橋 龍三郎 先生(早稲田大学名誉教授・山梨県立考古博物館長)」公聴してまいりました。 関東の縄文社会では母系社会でクマや鳥、イノシシなど6程度のトーテム(動植物)を有する氏族の集団に分かれていた可能性があるなど興味深い講義でした。人間と同じ食べ物で育てたイノシシが人間と同じ墓に埋葬されていた例や半人半獣土偶の出土例、同一トーテム集団では婚姻を避けるなど南方文化とも北方文化とも混じりあつた当時の縄文の社会の一端を知ることができてよかったです。
@akisuzu55
@akisuzu55 5 ай бұрын
最新DNA🧬研究ではアイヌ・沖縄・本州の人々は同じ縄文人DNAを持つ同族です。先住民などとする事は偏見です‼️
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
アイヌは調べるほど、色々混血のあとがあって、本州、沖縄と同じですね。肝心の遺伝学の人々がアイヌを持ち上げているというのは違和感を感じますね。
@ewsn.rx33521
@ewsn.rx33521 5 ай бұрын
的場光昭氏(的場塾) のものでも 詳しく説明されているので、そちらの方も参考にされるのも 良いと思われます。
@kokuyo-seki
@kokuyo-seki 5 ай бұрын
以前あった動画の改訂版でしょうか。 元は確かに強いのですが、騎馬民族であることで海を越えてもなお軍事力を発揮できたか疑問に思えます。 元寇の際は船で運ばれてきた馬が使い物にならなかったと言いますし、征服後も「緩い支配」だったためにうまく機能したとも言われています。また、少数民族の居住地の沿海州やハバロフスク地方はタイガが広がりアムールトラやクマ類、オオカミなどが生息しています。恐らく13世紀もあまり変わらない自然環境だったと思われます。 騎馬民族が森林地帯でも戦闘能力が高かったイメージや人口密度が低い地域から少数民族が追い出されるイメージが湧きません。ですのでこの動画の説明には違和感を覚えます。 モンゴルの樺太侵攻で参考にしたWikipediaの該当箇所も見てきましたが、そうは読めませんでした。 また、Wikipediaは誰だも編集が可能で特にアイヌが関係する記事は書き換え合戦になっているようですので、参考にするには注意が必要です。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
以前の動画の改訂版です。 そこは、どうしようか迷った所でしたが、Wikipediaの現在の記述でも元は氷結した海峡を越えて、サハリンからアイヌを追い出したようです。負けているアイヌを美化していると思えたので、その部分のストーリーは変えないことにしました。英語版も読んでみましたが、こちらもアイヌ寄りの見方をしていると思います。 DNAが正しければ、YハプロはC2がそれほど入ってきていないので、それほど沢山のニブフ族が入ってきた訳ではないかも知れませんが、サハリン付近のアイヌのDNAが分かれば事実が分かりそうです。
@supertritonis
@supertritonis 5 күн бұрын
北東北にアイヌ語地名が残っていますが、エミシの古人骨との比較などもできるとよいですね。 個人的には、大和との交易で鉄器を輸入した続縄文の人々(蝦夷)がオホーツク文化人(粛慎)に占領された 失地を回復していき最終的にオホーツク文化人の故地である樺太に進出していき その過程で混血してアイヌ民族・アイヌ文化になった、という説を支持しています。 大和民族が縄文人と渡来人の混血で成立した南東北以南の先住民であるように、 アイヌもまた北海道島の先住民であると言えると考えています。 考古学的に、オホーツク文化の遺跡の真上にアイヌ文化の遺跡が現れることや、 元が樺太にやってくる頃には樺太アイヌが樺太にいて交戦している記録があったり 冊封を受けた樺太アイヌが楊忠貞という名前を元の皇帝から下賜されて ヨーチテアイノという名前を名乗っていたという記録もありますので。 青森県の西部では弥生時代に稲作が行われますが、東部ではその痕跡がなかったり 北東北で寒冷化して稲作ができなくなった時期に、江別発祥の続縄文系の文化が南下してきて アイヌ語地名の残る地域と符合するなど、エミシという概念を中心として 再度検討するのもおもしろいかもしれません。 南方経由の縄文人と、北方経由の縄文人で、初めから言語も違っていたのかもしれませんね。 大和語は膠着語かつ漢語の影響を受けていますが、アイヌ語は北方民族や ネイティブアメリカンの言語に近い抱合語だったりしますので。
@いぐちみちよ
@いぐちみちよ 24 күн бұрын
アイヌは大陸北方からモンゴルによって1200年頃に追われて樺太経由で来た渡来人であることが判明している。ミトコンドリアdnaではわからない。アイヌは先住民ではない。残念😢
@nonanepod5280
@nonanepod5280 4 ай бұрын
縄文人度合マップというのが発表されていますが、日本の方言分布と微妙に重なるのが言語分布からすれば自明のようで、また、アイヌ語(縄文語)地名分布も重なるのも非常に合理性がある。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 4 ай бұрын
アイヌの向こう側にはニブフの言葉があって、ニブフ語も古い抱合的なもの、でした。アイヌの言葉が縄文語なのか、もう一度よく調べる必要があるような気がしてきました。
@murt2286
@murt2286 7 күн бұрын
​​@@MIDORI-TV603縄文語の一つと北から来た人たちの言葉が混ざってるのではないか?アイヌ語も一つではないし。 縄文語と言っても方言とか通じないレベルの差があったと思うしね。関東、東北、北海道で話されてた縄文語も似てるけど違うみたいな。 幕末でさえ鹿児島と青森だと日本語なんだけと話が通じないもんね。関東とも無理だよね。 東北、関東に残るアイヌ語なんて話はアイヌ語のもとになった縄文語とは別の縄文語じゃないかと思ってる。共通の語彙とか有っても不思議じゃない。 余談だがその頃に活躍した志士の多くが江戸の剣術道場出身者なのも言葉が通じたからと言うのを聞いたことがあるな。
@konokuzu
@konokuzu 5 ай бұрын
どこかの資料で見たけど現代日本人に古墳人の遺伝子が濃いのを見て驚きました。興味深いです
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
そうなんですよね。ゲノムで見るとそう見えますよね。 Yハプロで見ると古墳人(YハプロO2)は現代人の2割程度で、感覚的にはYハプロの方があたっている気がします。
@13ichirouyuukijun15
@13ichirouyuukijun15 5 ай бұрын
@@asa01053 その説は、極物です。 ユダヤ人が優秀と言う幻想に乗りたい人の誇大妄想でしょう。 この600年、ポグロムにより、ドイツ文化、音楽、化学、物理、金融で優秀な 人が生き残っただけで、この優越思想にかぶれた人物の曲説です。 古代の優秀な文明は、エジプト、シュメール、新大陸の文明です。 フェニキュア、アラムはエジプトに保護され3,300年前は、エジプト文明に教化され 非常に優秀でしたが、ヘブライは、この2民族からオリエント文明を教わり、 エジプト新王国アメンホテップ4世のアマルナ文化のアモンラー一神教に影響を受け シュメール、インドヨーロッパ語族、セム語族の伝承を原始旧約聖書にまとめただけです。 そのため、ユダヤを含めたセム宗教は、一神教に見える無神論です。 ユダヤは、現世利益の宗教で生きているうちに権力を握ることを目標とする、金儲けをし、 他宗教を奴隷とする選民思想です。セム語宗教、マルクス主義は、奴隷を必要とする 文化です。かれらは、建前は旧約聖書を利用しますが、実際は、現世利益のノウハウの書 タムルードを秘読しています。
@masagoro1367
@masagoro1367 Ай бұрын
@@asa01053ユダヤ民族はD系だったと思います。でも、秦氏がO系という話を見たこともありますね。
@ちりめん居坐
@ちりめん居坐 29 күн бұрын
​​​​​​​​​@@masagoro1367 ユダヤは「Y染色体E系統」ですよね? 「D1系統」とは『トバ事変』のボトルネックで7万年以上前に「C1系統」と共に海を渡り進出した民族で、中東からアフリカに残る「Y染色体E」と大陸に広がった「Y染色体のC2、D2」に別れた。 「CF系統」から分派したのが「F系統」でその他の民族の祖先!
@kopepeboninn
@kopepeboninn 5 ай бұрын
文化人類学的な研究はいろいろ論争があるようです。例えば日本語とアイヌ語では共通する単語が極端に少ないという説と、繋ぎを考えると多くあるという意見があるようです。どちらも思いが強くある気もします。数値化が難しいと擦りあわせも困難になるんですね。ちょっと悲しいです。 今回の円グラフも見やすいと思いました。 これからも楽しく見させていただきます。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
最近、比較言語学の動画を見ていたところ、日本語とアイヌ語、さらに朝鮮語も、借用語などを丁寧に外していくと同系統になるようですね。このあたりはY-DNAで考えても確かに縄文語があるはずなので説明がつきそうですね。 言語学は最近興味を持ち始めた所なので、細かい所は分かりませんが、その上にどんな語族が混じったかで、弥生人のルーツも推測できそうに思いました。そこは今、動画作成中です。
@杉浦重信-p9m
@杉浦重信-p9m 3 ай бұрын
船泊遺跡は利尻島ではなく、礼文島の北部にあります。縄文時代後期の遺跡です。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 2 ай бұрын
失礼しました。そうですね。
@crowold3025
@crowold3025 4 ай бұрын
古墳時代の末期か奈良時代の初期、樺太から大勢のニブフ人(粛慎)が北海道、青森、秋田、さらに新潟の佐渡、能登半島まで南下をしてきた。奈良時代、阿倍比羅夫は朝廷軍を率いて彼等を日本から退治したが、それは北海道の南部までで、それ以外の地域は放置された。北海道の約半分はニブフに占領されたという。北海道の続縄文人はそれにより東北地方にかなり移住したという。そしてニブフと縄文人の混血が進みアイヌ人とアイヌ文化が成立した。しかしニブフより続縄文人の人口が多く、縄文優位で混血、またニブフとアイヌは相性が悪く、やがて今度はアイヌがニブフを北海道から追い出し、さらに樺太に進出を開始、さらに大陸の沿海州まで侵攻しニブフを圧迫するようになった。そこでモンゴルとの戦いが始まり30年も続く、一時、アイヌは北海道に退くが、戦いを続行、再び樺太に上陸を開始、樺太南部に居住を続けて樺太アイヌとなる。
@hirouchida3068
@hirouchida3068 5 ай бұрын
ヤマト人についてですが、今のところ大陸系ゲノムのみの人骨が列島で見つかっていないという点と 縄文と現代日本のゲノムを比べると10-20%くらいしか引き継いでいないけれどあまり断片化されていないことから、縄文男性が半島に進出して現地で混血、その子孫が渡来系弥生人として列島に戻ってきたというストーリーが現状で一番納得できるかなと個人的に考えています。今後の調査次第で変わる可能性がありますが。。。 混血がどこで起こってヤマト人のゲノム構成が生まれたのかが分かると面白いですね。 オホーツク人がすでに縄文系と混血していれば、アイヌの縄文度は高く出るというやつですね。 個人的に東北蝦夷が縄文直系なのかそれとも渡来系or在来系弥生人と似たゲノム構成なのかが気になっています。その調査が進めばアイヌと縄文との関係がある程度わかって来る気がしています。 個人的には縄文のゲノムが10-20%残っているだけですごいことだと思ってます!
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
朝鮮半島には縄文系の人々がいたので、混血しても大体同じ所にきますね。6000年前でも2000年前でも大体同じ場所に来るところが少し不思議ですけど。 アイヌは縄文人よりも縄文度が高く出ている、と考えています。主成分分析のデータによりますが、縄文度といっているものは北方のツングースを含めた北方成分の可能性が高く、縄文度ではないと思います。
@hirouchida3068
@hirouchida3068 5 ай бұрын
@@MIDORI-TV603 AMIは縄文人から抽出したゲノムを使っていないのでその可能性はありますね。ただ縄文人の全ゲノム解析は完了していると学会は認識していて、縄文人の対立遺伝子頻度から、一応、縄文人由来を保証しているっぽくはあるようです。もう少し研究が深まればわかってくるのでしょうかね。
@toshio6z
@toshio6z 5 ай бұрын
アイヌ人を北海道の先住民族という主張には納得できない。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
そうですね。私もそう思います。植民地で無ければ先住民は意味ないと思います。
@murt2286
@murt2286 5 ай бұрын
海を何千キロも渡った先なら分かるけどね。あとでかい山脈。ヒマラヤやらウラルやら。後デカい砂漠かな。 アメリカとかオーストラリアとかね。津軽海峡程度で無いわ〜。 北アイルランドは先住民かな?
@ネルソン-m9f
@ネルソン-m9f 5 ай бұрын
アイヌもヤマトも先住民だよ、」
@浄門道場
@浄門道場 4 ай бұрын
@@toshio6z 私は純粋に人類学を楽しむ者で先住民族とか先住民族じゃないとかどうでも良いですが、「アイヌは鎌倉時代に大陸から侵入してきて先住民の縄文人を滅ぼした」という謎の言説はいかがなものかなと思います。縄文人が滅ぼされたのだったら、アイヌのy染色体ハプログループの多くが縄文人由来なのの説明がつかないです。 あと、樺太ニヴフ族ですが、父系がかぶるのを避けるため、女性は異民族男性とさかんに結婚したそうです。なので、ミトコンドリアyがアイヌに多くなってるのはそのためかなと思っています。 なお、古人骨の形態比較ですが、オホーツク人が飛び抜けて異質で、続縄文文化男性と近世アイヌ男性の人骨は形態的に近いとのことでした。擦文文化人骨は綺麗に頭蓋骨が残っているものが少なく、女性のものになってしまいますが、数値的には続縄文人とアイヌのものにちかいそうです。あとで論文貼り付けます。
@crowold3025
@crowold3025 4 ай бұрын
@@浄門道場 私もそう思います。まるで樺太の大地からアイヌ人が、突然に鎌倉時代に沸いてでてきたような話は、物理的に不可能な話です。
@chanlee99
@chanlee99 4 ай бұрын
DNA解析が無い時代の鳥居龍蔵博士(人類学者)が生きてたらビックリの研究結果だと思う。昔のアイヌの人々の古写真では、北海道という寒い環境であっても高床式の住まいだったりと南方にあるような家があったのも珍しい。 アイヌの人々は武器特に刃物製造はできなく、日本(松前藩)との交易で手に入れる刃物類を大切に使っていたこと。読み書きよりも口伝で代々伝えていたこと。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 4 ай бұрын
アイヌについては勉強するほど、怪しくなってきますね。ネットで見ても、全部きれいに書き換えられているので、あまり信用できない気がします。ゲノムもやっぱり信用できない気がしてきました。
@安拓-t3n
@安拓-t3n 5 ай бұрын
現代アイヌの遺伝子検査のサンブルの遺骨は平取町周辺。北海道全域のアイヌの遺骨ではないということは重要と思います。 アイヌが拒否してるので調べようがないようです。北海道アイヌには地域集団があり、それぞれ出自が違うようです。平取町周辺はシュムクル(サルアイヌ)ではないかと思います。「本州から移住してきた」奥州のエミシ(和人)を祖先にしてます。また、この周辺は江戸時代初期に金鉱の採掘を行う和人が多数移住し、アイヌの養子になり混血してます。 したがって、縄文の遺伝子を受け継いでるということが当たり前と言えば当たり前なのです。アイヌと縄文の関係については、今のところ不明、研究途上という言い方が正確と思います。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
そうですね。確か血縁関係があって、上手く扱わないと主成分分析が出来ないのだとか… でも江戸時代のアイヌのDNAがあって、ミトコンドリアHgでは、それと大きく違わないため、地域差はあっても大体こんな所かな、と思います。 でもやっぱり次に更新する時は、地域の偏りも指摘すべきですね。
@ubayuri
@ubayuri 5 ай бұрын
アイヌが和人の子供を自分の子供として迎えるのが名誉だったという話もあるし、遺伝子だけじゃわからないよ。
@ewsn.rx33521
@ewsn.rx33521 5 ай бұрын
和人と混血が進んでいるから 当然のこととして、縄文人のDNAはあるのが普通でしょう。 そのことを無視したレフト方面の学術研究なんて、そもそもおかしいと思われます。 そこに注意する必要があるでしょう。
@ewsn.rx33521
@ewsn.rx33521 5 ай бұрын
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@ootayuji7318
@ootayuji7318 5 ай бұрын
国連の決議から始まり国会でアイヌが先住民と認められた。これは現在、静かに暮らしてたアイヌにとって迷惑な話しなのかもしれない。先住民とかより明治から昭和にかけて差別が酷かった事を知って欲しい。この縄文人云々で今またアイヌに対して攻撃的且つ否定的なコメントに溢れている事に心が痛む。 文化継承にも支障を来す段階に入っている。元道議会議員が公にアイヌ民族を侮蔑するような発言も許されてしまう社会の雰囲気が醸成されつつある。本当に生きているのが辛くなる。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
先住民というのは欧米の価値観から出てきた言葉ですよね。 それに乗って一部のアイヌの人々や文化にお金が出るようになった。 それにしてもアイヌ語話者が10人というのは少ないですね。縄文語の痕跡を残した唯一の言語かも知れないのに残念なことです。
@ootayuji7318
@ootayuji7318 5 ай бұрын
@@MIDORI-TV603 返信ありがとうございます。DNAの遺伝情報を論拠にし解説されてるのでご存じかも知れませんがHTLV-1というレトロウイルスはATLという病気を発症します。このウイルスは医者が言うには縄文系日本人が多く発症する病気とのことです。北海道ではアイヌを先祖に持つ人に多くみられるそうです。私もその病気と闘病しているひとりです。 できればHTLV-1と縄文人との関係性について分かった事があれば動画で説明して頂きたいと思っています。最近この病気の発症者が顕著に増えて来ていると聞き及んでおります。日本では沖縄九州などの南と北の青森とアイヌ民族に多くみられます。このウイルスを追うことは縄文人研究にも役立つと思います。
@浄門道場
@浄門道場 4 ай бұрын
アイヌへの間違った知識と偏見が最近酷すぎます。 簡潔にいうとオホーツク文化は今の樺太ニブフ族です。で、擦文文化がアイヌになっています。 「アイヌは鎌倉時代に大陸から侵入してきて先住民の縄文人を滅ぼした」というのはデマです。
@オチビーヌ
@オチビーヌ 4 ай бұрын
私は、アイヌも沖縄もアフリカやアメリカ、アジアなどの先住民の皆さん、皆大好きです❤一番落ち着きます
@浄門道場
@浄門道場 4 ай бұрын
アイヌは北海道縄文人、続縄文人、擦文文化人の末裔、樺太ニブフ族(ギリヤーク)はオホーツク文化人の末裔だと考えています。それは、両者混血、遺伝子交流の痕跡がありますが、アイヌのメインは擦文文化だと思います。 ニブフ族の言い伝えですが、「ニブフのトーテムは犬、オロチョンのトーテムはトナカイ、アイヌのトーテムは熊」だと言います。 熊信仰は北方から来た説がありますが、もともと続縄文、擦文文化人が持っていたものだと思います。 あと、ニブフ語の古語にブタが残っていて、今はニブフはブタを飼って居ませんがオホーツク文化時代は飼っていたみたいです。
@murt2286
@murt2286 7 күн бұрын
大西洋・インド洋を越えた先で出会った民族を支配したとかなら先住民なんだろうけど、お隣さんで同じ縄文人の子孫なのに先住民と言われてもな。旧石器時代からの付き合いだぞ。
@sean2540
@sean2540 16 күн бұрын
アイヌとは人種では無く生き方だ。というのは誰が言った言葉でしょうか。縄文が生き方だと言うのであれば、私たちも それを受け継いでいると思います。和を以て貴しとなすと言ったあのお方も縄文の精神を受け継いでいると思います。
@qwerty-td6qt
@qwerty-td6qt 5 ай бұрын
なるほど、あくまでも科学的な分析をありがとうございます アイヌに触れると、政治思想的な反発から批判的なコメントが溢れそうですが、頭を冷やして科学的な事実に目を向けて欲しいと思います 難解かも知れませんが、科学的にはヤマトもアイヌも縄文以降に異なる混血過程を経て変化した親類だと言う話で、これを違う部分に注目して先住民だの外来人だのと思想信条的なレッテルを貼っているだけなんだと思います
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
作者自身はアイヌに対して、どうこうということは無いのですが、DNAを研究している学者がアイヌを変に持ち上げるのはまずいと思いました。 レッテルを張るのは良くないですし、それに科学者が絡んでいることは日本の遺伝学のレヴェルを示していると思いますね。
@ewsn.rx33521
@ewsn.rx33521 5 ай бұрын
小野寺まさる氏(元道議会議員) 等が 問題提起されています。その方の情報にも 関心を持って貰えたらと 願っています。
@babotaro12
@babotaro12 4 ай бұрын
「諏訪大明神絵詞(1356年)」によれば蝦夷調査の結果、北西に「唐子」、北東に「日ノ本」、南部に「渡党」が住んでいると記述されています。 北部の二者は見た目が「夜叉」のようで言葉も通じず、何人もの通訳を必要としたのに対し、南部の渡党は見た目が「和種(※和国の人に似てはいるが毛深く、と記載)」で言葉も何とか通じたそうです。また、渡党は頻繁に船で本州に渡って貿易をしていたそうです。 ※北東と北西まがえたので訂正編集🤣
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 4 ай бұрын
渡党には倭人が混じっていたのではないですかね?それで他の2部族と大和の交易を橋渡ししていたようですね。
@TATANKA-nf4ck
@TATANKA-nf4ck 4 ай бұрын
もののけ姫っぽいね。
@iriyaanko4783
@iriyaanko4783 5 ай бұрын
縄文人は縄文後期から急激に人口を減らしているので、稲作文化もたらした人が多くやってきた地域は縄文人由来のDNAを持った人の割合は相対体に下がる。一部北に移住した人がいたにせよDNAの割合だけで縄文人(先住民)が北に逃げたとするのは無理があるのでは?実際稲作を始めても縄文文化を維持した例が残っている。(神奈川県中里遺跡など)
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
そもそもO1b2の渡来系弥生人も朝鮮半島で雑穀農耕するまでは人数はかなり少なかったと考えています。ヤマト人に関しては縄文系は、渡来系と同様、再度人数を増やしています。 東日本の縄文人は阿倍比羅夫の蝦夷討伐などにより、北に移動した人々が多いと考えています。 続縄文人は、食料もヤマト人との交易で得ていて、必ずしも困窮しているわけではなかったようです。北海道の動物の毛皮が交易品になるので、それもあって北海道に移動したようです。 N9bを見るとやはり北に移動したと見るのが自然な気がしますね。もちろん、現地で農業を始めた人々も多かったかも知れませんけれど。
@minilove4321
@minilove4321 5 ай бұрын
こう言う系の動画を見ると、日本人は核ゲノムでは10%くらいしか縄文成分が無いのにそこに執着してる人が時々いて不思議な気持ちになります。 我々の90%は大陸由来で、極寒シベリアで顔がのっぺりするまで耐え、適応し、南下したあとは水田稲作など複雑な作業を習得した、努力家で頭の良い祖先を誇って欲しいです😢 中国や韓国と違うんだって言いたくて縄文人を利用してるようで悲しいです。 遺伝的には大陸と大差がなくても、民族が違うのは明白です。 もっと日本に自信を持って欲しい。 「我々の祖先が大陸から水田稲作や青銅器、鉄を持ってきてあげて、一万年も文化が停滞してた縄文人に色々教えてあげたんだよ」と言うぐらいになって欲しいな。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
特に渡来人をどうこう言っている訳ではありませんけど、作者のハプロも古墳系渡来人ですし。 「渡来人が縄文人を駆逐してほぼ置換した」みたいな言われ方をするのは、ちょっとどうかと思っています。
@jutenmu
@jutenmu 4 ай бұрын
まるで縄文人がマヌケみたいな 言い方だね? 「我々が教えてあげた」? どっかで聞いた台詞だなぁ😒チラ
@jutenmu
@jutenmu 2 ай бұрын
@@AB-lz3ot 様 逆じゃないの?
@minilove4321
@minilove4321 Ай бұрын
混血の末、渡来人の繁殖が強すぎて結果置換された、じゃないかなと思います。 渡来人が来てすぐ縄文人を吸収したわけでなく、爆発的に人口を増やした後混血したから、縄文成分が極端に低くなったのかなと。 水田稲作がいかに多くの子孫を残し、多くの家族を安定的に養っていたのかを物語ってます。 あと、我々の主要祖先は縄文人に比べて好戦的ですね、、、 異民族の縄文人と戦争せず渡来人同士で戦争してましたし。 縄文人ももしかしたら当時は呆れ返ってとばっちり喰らわないために距離を置いてたのかな?など想像したりします。 クルド人以上の迷惑外人ですね
@masagoro1367
@masagoro1367 Ай бұрын
縄文系の割合が、Y染色体での割合と、全ゲノム解析での割合が極端に違うのは、鬼界カルデラの爆発で日本を離れた縄文人の子孫が大陸でかなり混血しまくってから戻ってきた場合も多いといえると思います。 ただ、サンプル数が極端に少なく、地域に偏りがありそうなのが気になります。 特に現代人などは遺伝子検査の会社とかも大量に全国レベルの情報を持っているはずですし、大量に統計を取ったら何か不都合なことがあるのだろうかと思います。 年々調査はしやすくなってくるのでしょうし費用も安くなってくるのでしょうから、より信頼性のあるデータが公表されることを期待します。
@栄大平
@栄大平 4 ай бұрын
アイヌのY染色体は、オホーツク人。縄文人の遺伝子もあるが、重要なのは、Y染色体だ。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 4 ай бұрын
アイヌのY染色体は割合が低めながらC2も入っていますね。だから、オホーツク人やサハリンのニブフと混血していると思います。
@yoshitani5821
@yoshitani5821 2 ай бұрын
アイヌは縄文人の生き残りじゃないかと思ってたわ 個人の仮説だから大っぴらには言わなかったが
@公一-k7s
@公一-k7s 20 күн бұрын
アイヌは、シベリア(タルタリア)で、…❤
@murt2286
@murt2286 18 күн бұрын
一世代30年は長過ぎるような。
@sdlkg32
@sdlkg32 5 ай бұрын
そもそも、北海道の縄文人と九州の縄文人のDNAは同じようなものなの?あくまで同じ文化圏ということで、縄文人と一まとめにしていただけで、北と南ではDNA的にかなりの違うと思っていたのだが。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
世界の他の地域と比べると、日本列島の縄文人はゲノムで一か所にクラスターするので同じようなものである可能性が高いです。もちろん、多少の差はあります。 ただ、アイヌと沖縄のゲノムを混血分析すると少し異なることが分かります。これはアイヌとオホーツク人の混血によるものかな、と思います。
@sdlkg32
@sdlkg32 5 ай бұрын
@@MIDORI-TV603 ド素人の疑問に丁寧に答えてくれてありがとうございます。
@なむ-u2k
@なむ-u2k 3 ай бұрын
アイヌの文化って何故か越人と共通点多いんですよね。台湾先住民もそうですが ちなみに黄色人種の起源は北方民族なのは100%です。直毛、蒙古襞、頬骨があり、鼻が低い、体毛が少ない、生肉食を好みます
@user-mx7md3
@user-mx7md3 2 ай бұрын
アイヌの 文化はアムール川下流域、樺太の先住民と似ている。
@マル-n7z
@マル-n7z 24 күн бұрын
アイヌは差別だwの人達が自分達が成り代わろうとして、現在もアイヌは差別されているを展開して政治利用されてますので、そういう背景から混血が進んだのではないかと😅 古事記などでは国譲りと言って話し合いで縄文人から渡来人に政権を渡したような書き方ですけど、縄文人の話によると騙し討ちなど民族が無くなってしまうんじゃないかと心配したほどの戦いがあったらしいです そして北へと移り住んでいったようです
@chitake2370
@chitake2370 4 ай бұрын
沖縄は南九州から渡った人たち? もともと沖縄にも人住んでるだろ!
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 4 ай бұрын
沖縄はずっと人々が住んでいたでしょうけど、完新世に島の大きさが小さくなって人口が減ってしまったようです。でもアカホヤの大噴火で渡った人々が多く遺跡を残しています。
@JIRO-FX3150
@JIRO-FX3150 5 ай бұрын
大和人は沖縄にいた民族が祖先で、それに黄河のDNAが混ざって現代日本人になったということか。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
マーティン・ロベーツのトランスユーラシア語族の研究だと、沖縄の縄文人=六通貝塚の縄文人が祖先で、西遼河の夏家店上層文化の雑穀栽培の農民が弥生人、ということのようです。でも少し異論があって、夏家店上層文化は遊牧中心なので、 別の研究で、遼河の南にいた農民のゲノムが黄河流域の農民のゲノムと一緒ということだったので、そちらの方が弥生人の可能性があるんじゃないか、と思いました。 西遼河仮説でなく、南遼河仮説(いま名付けました)です。
@海原かもめ
@海原かもめ 5 ай бұрын
100%なんてあり得ない。90%くらいでしょ
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
7割くらいと言われていますね。S氏がなぜ100%と言ったか分かりませんけど。
@安拓-t3n
@安拓-t3n 5 ай бұрын
11:40 「不自然なのは、アイヌ人の一番上の人々は、縄文人よりも縄文度が高いんです。これはトリッキーです。」 12:50 「アイヌの縄文度が高く見えるのは、ニブフやウルチなどのツングース民族と混血した結果なんです。」
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
アイヌの主成分分析はいろいろ不思議なところがあると思いました。
@user-pb7Qr3vH5j
@user-pb7Qr3vH5j 5 ай бұрын
弥生時代に稲作が入ってきて、争いが始まったという説を唱える者がいるが、稲作は縄文時代から始まっている。争いと稲作は関係ない。弥生時代に、春秋戦国時代の旧漢民族(黄河沿岸系)が九州以外の西日本・中部に入ってきたからだと思う。瀬戸内海沿岸や中部地方に畑作で下戸の北部中国からの難民が多い。神武天皇が神武東征において広島辺りで稲作の技術指導をしながら、時間をかけけて、味方を増やした。奈良辺りからの住民の要請に従い、暴君の奈良辺りの権力者を成敗した。中国のように武力で統一したわけではない。武力は1回しか使っていない。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
弥生時代はだんだん始まりましたが、それほど争いは増えなかったのかも知れませんね。ヤマト政権は従う者には平和的でしたし。
@浄門道場
@浄門道場 4 ай бұрын
弥生時代、東日本なんかは縄文系弥生人がいて縄文ゴテゴテの弥生土器を作って、水田稲作やらないで狩猟採集メインの人達がいました。だから弥生時代は地域によって文化が全然違う。
@西川重久
@西川重久 4 ай бұрын
そもそもアイヌは民族ですか? 教えて下さい❢
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 4 ай бұрын
どうなんでしょう?遺伝子的には違うので民族といえば言えなくもないですが、クラスターしておらず、ヤマト人と混血している所、に見えます。
@白砂青松-m4o
@白砂青松-m4o 5 ай бұрын
(大別して)沖縄アイヌと北海道アイヌを一色単にアイヌと定義している所に間違いがあると思う。 北海道アイヌは(モンゴル帝国)元の時代に樺太から南下してきた主にニブフと思います。 (「ニブフ」で検索して調べ画像表示すると納得すると思います) 白人が先住民アボリジニーの土地を奪った様に日本人(縄文人の子孫)はアイヌの土地を奪ったと言えるでしょうか? ウポポイは正しい歴史を語るのでしょうか? アイヌ利権が成立した今、新たなアイヌ差別が起こらない事を祈るばかりです。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
この動画は北海道アイヌですね。北海道アイヌの遺伝子も調べていて、縄文人との混血であり、縄文人のほうが多かったことも分かっています。ただ、オホーツク海沿岸がどうだったか?は分かりませんけど。 ヤマト人がアイヌの土地を奪ったか、といえば、明治以降の政策はそういう面が全くないとはいえないですね。土地を所有する、という概念がなさそうですからね。北にはロシアがいるし、時代が時代なので仕方ないですけどね。
@ootayuji7318
@ootayuji7318 4 ай бұрын
まず最初に沖縄アイヌというのは聞いた事ないです。あと土地を奪ったか、どうかは日本として移住者を大量に送り込み開拓者に優先して平地を与え先住民族アイヌにも土地の権利は与えましたが元々狩猟採集で暮らしていたアイヌには農業は出来ません。しかも今までの狩猟採集生活を禁止された為に食べるものに困り、その分け与えられた土地を安価で移住者に売って飢えをしのいだ。 時代が時代なので、このような事は世界各地で起こっていたでしょう。制度として奪ったというのは事実だと思います。ただオーストラリアほど酷くはなかったというだけです。同時に同化政策により言葉と文化も奪い人権などあってないようなもので扱いは奴隷一歩手前の安価な労働力として酷使されていたのは事実です。 アイヌがニブフとか正直それほど重要視しなければならないとは思いません。当時北海道には後にアイヌ民族と勝手に幕府がカテゴライズした人達が先住し生活していた。 ウポポイが正しいの歴史を語るのか?語られないでしょう、土人保護法で本当に救われたアイヌは皆無とは言わないが大半は救われなかったと思いますが当時のイデオロギーではマイノリティが犠牲になる事は、さほど問題にはならなかったでしょう。 アイヌ利権という言葉事態が現在普通に生きているアイヌにとって凶器となっています。文化継承活動団体や関連施設で働く人達が、あたかも国民の血税でイイ思いをしていると印象づけるものです。現在公表されているアイヌ民族の人口は1万3千人ほどですが差別されない為にアイヌを名乗れずアイデンティティに苦しむ人が個人的には何万人も実際はいると思います。長文となり申し訳ないです。
@bokichi62
@bokichi62 5 ай бұрын
弥生人はどこからの移民?
@konokuzu
@konokuzu 5 ай бұрын
下戸遺伝子持ってるから特定できそうですね
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
今の所、みどりTVでは長江河口の北岸あたり、と考えています。これは以下の動画で調べたことです。そこから山東半島経由で朝鮮に入っただろうと。 kzbin.info/www/bejne/bJakm4ikd8aNjq8
@hinomaruo
@hinomaruo 5 ай бұрын
あのね水田稲作は中国から日本に伝わったのではないよ。逆。毎回引っ掛かるが、縄文人は最低でも3万年以上前から日本から始まり世界中に文明を切り開いていった遺跡や神代文字のペトログリフ群が既に多数出土されてるんだから、そこを起源ベースとした解析を進めてくれないと、話しがどんどん整理つかなくなるよ。つじつまが合わない事例がどんどん増えていくことになるので、注意願いたし。
@MIDORI-TV603
@MIDORI-TV603 5 ай бұрын
最も古い縄文文明が始まりの可能性も、もちろんあると思います。ゲノムや他の研究を参照しながら説を組み立てていきたいので、遠回りですがこういうやり方をしています。
@13ichirouyuukijun15
@13ichirouyuukijun15 5 ай бұрын
米は、シャム湾からアンダマン諸島、ボルネオ、ルソンにあったスンダランドから東南アジア、江南地方に広まった、長米浮稲とルソン島当たりの品種短米ジャパニカ(インディカの一種)が、現在海面下のスンダランドの淡水で増えた植物でしょう。そのあと、ジャポニカ種(ジャパニカとは違います)である中米が発達したと思います。 チャオプラヤー川やメコン川で繁殖し、スンダランドに広がった熱帯イネ科(長米)の種がもとでしょう。
@浄門道場
@浄門道場 4 ай бұрын
何故縄文人が水田稲作をしなくてはならないのですか? 米食べてたら、糞石から判ると思うが、縄文人はその痕跡がありません。
@hinomaruo
@hinomaruo 4 ай бұрын
@@浄門道場 発掘されていないだけ。稲作は約16,000年前から小口水田方式。これは稲について幣立神社ヒエログリフに神代文字で書かれている。天照大神も稲をニニギノミコトに渡している。また、縄文時代の米と同じ遺伝子の種が長江で発見された。
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