【阿波で読解く】事代主命の謎(徳島県)(古事記・日本書記)

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神社ねこ

神社ねこ

Күн бұрын

Пікірлер: 35
@messer-zj1pk
@messer-zj1pk 3 ай бұрын
クマノクスビが勝占神社至近に祀られてるのは不思議な感じですね
@right-post
@right-post 2 ай бұрын
@messer-zj1pk さん 返信遅くなりまして、すみません。 コメントもありがとうございます。 面白い所に気がつかれますね。 その違和感、何かあるのかもしれません。
@fujiuchi
@fujiuchi 2 ай бұрын
ナレーションがしぶくて良い、BGM選曲音量良い。
@right-post
@right-post 2 ай бұрын
ご視聴・コメントありがとうございます。
@ごず-h7m
@ごず-h7m Жыл бұрын
阿波にも、事代主行きつけの「美保」という地があるのですか?
@ぴーちゃんA
@ぴーちゃんA Жыл бұрын
動画ありがとうございます。このことはとても重要ですよね。 事代主命=神倭イワレヒコ(神武天皇) 古事記で事代主が逆柏手を打って隠れる記述の次は神武が登場する章です。つまり逆柏手とは同じ人が名前を変えていると言う暗示。
@ぴーちゃんA
@ぴーちゃんA Жыл бұрын
因みに、兵庫県西宮市にある西宮神社、現在恵比寿さんで一番有名な神社ですが、これは元はすぐ北にある広田神社の海の入り口の境内摂社だったと言われています。広田神社は、瀬織津姫、つまり天照大神か祭神ですが、恵比寿はその親近者の可能性が高いのです。瀬織津姫の孫が恵比寿と私は考えています。そして、恵比寿の父方に饒速日の血が入っていること が、ヤマトの男系直系の慣習からは許し難い事だったために神武の血筋の隠蔽と改竄が始まったと考えています。
@Masaaki-Ito
@Masaaki-Ito Жыл бұрын
神社ねこさんのGoogleマップのプロットの数がいちばん凄すぎw
@right-post
@right-post Жыл бұрын
@Masaaki-Ito (伊藤さん) よく見てらっしゃるw
@Masaaki-Ito
@Masaaki-Ito 10 ай бұрын
@@right-post 神社ねこさんの動画に触発されて、昨日(2/13)徳島の神社を何社かまわってきました。八鉾神社では毎日参拝しているとおっしゃられたお婆ちゃんと20分くらいお話ししできました。地元のご老人の方でも阿波が古事記の舞台だったことをご存知ない方が多いようで、いろいろお話しできて楽しかったです。
@right-post
@right-post 10 ай бұрын
@@Masaaki-Ito さん お参りありがとうございます。神社巡り楽しいですよねー 八鉾神社を毎日参拝されているお婆ちゃんと会話できるって素晴らしいですね~ 私も徳島に行った時に、レンタカー屋さんと会話したら、阿波が古事記の舞台だとは全く知らなかったです。 ただ最近の注目度から徳島・阿波がすごい所だと少しずつ気が付いていかれるのではないでしょうか。
@elelsse
@elelsse Жыл бұрын
徳島県の阿波市と吉野川市の堺にある日本最大の中洲島(善入寺島)に事代主に関する伝承が残っています。その内容は・・・   昔々、粟嶋(善入寺島)に阿波咩(アワメ)という名の娘が、兄の天日鷲命の庇護のもと住んでいました。ある日、建布都神(武御雷)が出雲平定の報告をする為に、事代主を道連れ(捕虜?)にして天照大神のいる阿波へ来たそうです。その際、些細な行き違いから建布都神と天日鷲等忌部族との間で小競り合いが起こったが、それも直ぐに収まり、建布都の神の為に香美(かがみ)現・阿波市市場町香美 に休憩所?が造られ、共にやって来た事代主は阿波咩の住む館で共に暮らすことになった・・・という事だそうです。 話はここで終わっていますが、この後、事代主と阿波咩はどうやら結婚したらしく、その事が 阿波命神社(東京都神津島 祭神 阿波咩命 三島大社の祭神(事代主)の后と伝えられる) や 阿波々神社(静岡県掛川市 祭神 阿波比売命 事代主の后と伝えられる)において伝えられています。 善入寺島周辺にはこの伝承を裏付けるかのように建布都神社や事代主神社が存在しており、阿波咩命を祭る神社も以前は善入寺島内に存在していたそうです(現在は川島神社で合祀)。 現在伝わっている伝承の内容は部分的に欠落したり、歪められたりしているかもしれませんが、記紀には記されていない事代主のその後を伝える貴重な話ですので、今後の研究に ぜひお役立て下さい。
@right-post
@right-post Жыл бұрын
awa kimiさん、貴重なお話ありがとうございます。 伝承の話を聞けて、とても嬉しいし、有難いです。 阿波咩(アワメ)の存在気になっていました。そのような経緯で事代主と結婚されたのですね。 事代主は、とても1回では語りきれない命だと思っていますので、更に勉強していこうと思います。 また、何かありましたら、教えて頂けると嬉しいです。 ありがとうございました。
@hoaotu
@hoaotu 6 ай бұрын
徳島県の吉野川と奈良県の吉野川はどうして似ているのでしょうか?
@elelsse
@elelsse 6 ай бұрын
@@hoaotu 私としては「吉野川」のオリジナルは徳島で、奈良を始め全国各地に吉野川が存在する理由は古代に徳島から全国各地に移住して行った人々が 故国(徳島)を偲んで移住先に在った河川に吉野川と名付けたのだろう・・と思っています。
@ジョージアS
@ジョージアS Жыл бұрын
大宮売神(おおみやのめのかみ)の説明は それで合っているのでしょうか ?
@right-post
@right-post Жыл бұрын
ジョージアSさんコメントありがとうございます。 そうですね通説とは違いますよね。 本動画の参考文献「道は阿波より始まる。著:岩利大閑」では、大宮売神は阿波国気延山の天石門別八倉比賣神社で祀られている大日靈命と同一神とされています。また天石門別八倉比賣神社御本記では大日靈命の別称が天照大神と記載されています。日本書紀同様です。 また時間のある時に追調査してみますね〜
@ジョージアS
@ジョージアS Жыл бұрын
@@right-post 天照大神と 大日孁命は 同じと思いますが、大宮売神は 別では ?
@DIKOKUKEN
@DIKOKUKEN Жыл бұрын
こんばんは🌙😃❗!✌️🆗⤴️出だしの三船敏郎❗仲代達矢❗びっくり👀(笑)🎵!👍️いいですねぇ‼️❕☝️勝占神社ありがとう😉👍️🎶ございました‼️私も行った事有りますが、凄く立派ですよ神紋(丸に左卍紋)❕☝️は阿淡二ヶ国の大守蜂須賀治昭寄進ですね❗ここの狛犬さん‼️凄くユニークですから一度行って下さいませ❗!(*≧∇≦)ノ それと、余談ですが❕岩利大閑まだです❕(笑)待ち遠しい😃です!✌️🆗⤴️配信ありがと😆💕✨うございました‼️
@right-post
@right-post Жыл бұрын
大黒軒さん いつもご視聴とコメント頂き、ありがとうございます。 出雲の神様の絵コンテが、島根の出雲に由来するものが多かったので 少しイメージを変えて遊んでみました(笑) はい、勝占神社はすごく良さそうです。次行った際は必ず行きます。 岩利大閑先生はまだですか。でも必ず届きますから大丈夫だと思いますよ。
@DIKOKUKEN
@DIKOKUKEN Жыл бұрын
そうなんですよ❗謎の大爆破❕善入寺島の浮島八幡神社(アメノヒワシノミコト)❕☝️これも爆破❕二つです❕実に不可思議な事です❕☝️!(*≧∇≦)ノ
@right-post
@right-post Жыл бұрын
はい、浮嶋八幡宮の爆破、とても気になりますね。
@西原泰治
@西原泰治 Жыл бұрын
樫原神社が、嵯峨天皇の命で建てられたことは、驚きました。 余談ですが、嵯峨天皇は、乳母 神野宿祢によって育てられて、彼女は、天智天皇の末裔で秦氏の娘ということになってます、 神野宿祢の出身地である、愛媛県新居浜市の一宮神社は、式内社ではありませんが、嵯峨天皇の時代には、正一位を与えられていたそうです。
@森岩光
@森岩光 Жыл бұрын
コトシロ主。 は、 元来、古代出雲王国 (紀元前660年頃成立(王政に移行)~紀元3世紀末に渡来人勢力により滅亡した。) の歴代副王の御称号(別称)の1つ。 正式には少名彦、少彦(いずれも、スクナヒコ)。 これには 出雲王国の統治システムに由来していて、 出雲王国は初代出雲王の 菅の八耳命と同后(かつ、姫巫女)の稲田姫命には 二方の御子がいらっしゃいました。 お二方の御子はそれぞれ独立して 王家を創設なさりました。 この際、重要な取り決め(約束)をなさった。 両王家は対等であること。 両王家が協力し共同で出雲王国を統治運営していくこと。 両王家の当主の内、年長者が主王の大穴持(オホナモチ(帝))となり、 他方の年少の当主は 副王の少名彦(意味は(大穴持に対し)年少の殿(王)様)にそれぞれ就任。 大穴持。は、王国を代表する象徴、 政治(マツリゴト)を照覧し王国を統治 (大穴持后は王国の姫巫女として国の祭祀を司り、大穴持と共にマツリゴト(コチラは祭祀)を行い、神託により王国を導くこと (大穴持と言えども神々と不離一体とされた姫巫女の大穴持后(皇后)の言動(神々のソレ)は絶対)) 少名彦(副王)は王国の外交、軍事警察権を照覧し統帥。 等。 2代目より最期の17代にまで 歴代、大穴持と少名彦(コトシロ主)が存在した。 古事記が 言う、コトシロ主(大物主に同じ)は 第8代の富王家の八重波津身命(皇室の直系祖先) 先般渡来した徐福ら渡来人勢力が起したクーデターに遭して 第8代大穴持の神門臣王家の八千矛命(所謂、大国主命。出雲大社の主祭神)と共に ほぼ同時期に 暗殺された。 (洞窟に幽閉されての餓死)
@right-post
@right-post Жыл бұрын
森岩光さん、コメントありがとうございます。 この内容はこれですかね。 あっていたら、時間のある時に見てみようと思いますが… ■偲フ花 omouhana.com/2022/11/18/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E3%81%A8%E8%98%87%E6%88%91%E7%8E%8B%E5%9B%BD/
@鷹の爪団員ジャステス
@鷹の爪団員ジャステス Жыл бұрын
事代主神の本宮は美保神社 島根県松江市美保関町美保関 祭神は 事代主神[大国主の御子] 大国主の妃、三穂津姫命 の二柱、 式内社、旧国幣中社、別表神社 創建年代、不詳 *奈良県桜井市、三輪恵比寿神社不詳 *兵庫県神戸市、長田神社201年 *兵庫県神戸市、有間神社不詳 *徳島県阿波市、事代主神社不詳 *徳島県勝浦郡、生夷神社不詳 *京都府東山区、京都ゑびす神社1202年 *大阪市浪速区、今宮戎神社600年 *大阪市平野区、志紀長吉神社794年 *栃木県真岡市、大前恵比寿神社不詳 *北海道稚内市、北門神社1785年 など多数、 ●兵庫県西宮市、西宮神社は  蛭子系えびす神の総本社、  創建年代不詳、
@elelsse
@elelsse Жыл бұрын
神武天皇=事代主・・。実を言うと私もこれにかなり近い考えを持っていまして、まず最初に事代主とは実は渡来人だったんじゃないか? と考えています。 up主様であれば理解できると思いますが、記紀はプロパガンダ的な性格を強く持った書物ですのでその内容は必ずしも正しい事が書かれてはおらず、事実から歪められてしまっている部分も数多く存在していると考えられます。ですので事代主が大国主の子というのは自分としてはかなり怪しんでいます。勝浦町の事代主が生まれたと伝わる生夷神社は、本当は夷(事代主)が漂着した場所だったのではないでしょうか? (エビスはそもそも漂着神・外来神の意味を持つ) 前回お話しした善入寺島の伝承も、本当は阿波の海岸に漂着した事代主が現地人に捕えられ阿波忌部の本拠である吉野川市(旧・麻植郡)に連れてこられた話だったんじゃないか・・? と思えるんです(伝承では出雲から連れて来られた事になっていますが・・)。 それでは、事代主は一体どこから来たのかというと、実はローマ帝国からだったんじゃないだろうか・・? と思っています。そんな馬鹿な! と思われるかもしれませんがこれには根拠があり、「ローマ文化王国新羅」著 由水常雄 という本によると、4世紀~6世紀代の新羅はローマ文化を全面的に受容した国であった・・と書かれています。新羅時代の古墳からは夥しいローマ由来の品々が発掘されているそうで、朝鮮半島の他の国々とは明らかに異質な国家であったそうです。一般的にはローマ帝国と東アジアはシルクロードによる陸路での交易が行われていたとされていますが、不思議なことに新羅の北部にある高句麗の古墳からはローマ製品はほとんど発掘されていはいないそうです。もし陸路でローマ製品が新羅まで持ち込まれたのならその途中にある高句麗からも多くのローマ製品が発掘されていると考えられます。 これの意味するところは新羅とローマ帝国の間では陸路でなく海路による交流が行われていたんじゃないだろうか・・という事です。 私が想定している状況は、事代主(この名は後の時代に付けられた名で本名ではない)は新羅に向かっていたあるローマ船の船員で、航海の途上で船が黒潮に捕まり航路を大きく外れて流された結果、日本の阿波の海岸に漂着する羽目になったのだろう・・という物です。 善入寺島の伝承は私の推察では、恐らく3世紀中庸~後半の出来事だっただろうと思われ、時代的には調度、新羅がローマ化していった時代に重なっています。 文章が長くなってしまったので、一旦ここで置いておこうと思います。続きは後程書かせてもらおうと思いますが、これまでの事で質問があればご自由にどうぞ。 ちなみに当説は私独自の物で一般的阿波説とは大きくかけ離れた物ですのでそこはご了承ください。
@right-post
@right-post Жыл бұрын
@awakimi6098 さん 記紀がプロパガンダ的な性格をもった書物であることアグリーです。 とても面白いです。 ローマ帝国とは、今までに聞いたことのなかったです。 お言葉に甘えて質問させて頂きます。 <質問> ユダヤ、インド辺りの話しはよく聞きますが、 ローマ帝国とは今まで見聞きした事ありませんでした。 ちなみにユダヤ由来だと磐境神明神社や倭大国魂神社の神紋がメノラーに似ている等や、 インドだとガンジス川の消えた種族ナーガ族(「道は阿波より始まる」での仮説)が 出雲国である長国(ながこく)を作ったなど、各地に由来した痕跡みたいのが見えたりしますが、 ローマ帝国由来だとすると何か、痕跡みたいなものが、阿波・徳島に見えたりするものでしょうか。 補足で一点。 大毛島に新羅神社があるので新羅との関係性はあるとは思っています。
@elelsse
@elelsse Жыл бұрын
@@right-post 私が古代日本とローマ帝国の関係に気づいたのは、日本の古代の鎧である「短甲」とローマ帝国で使われていた鎧「ロリカ・セグメンタタ」の類似性に気が付いたからです。この短甲の構造は同時代の中国の物とは大きく異なっており中国の鎧とは全く別系統の物であろうと感じました。かといって日本独自に何も参考にする物が無い所から創り出したとも思えず、どこかにこの短甲とよく似た造りをした鎧がないだろうか・・? と探していた所、目に映ったのが古代ローマの鎧だった訳です。 短甲とロリカ・セグメンタタを画像で良く見比べてもらえば解ると思えますが、その構造やデザイン、コンセプト(上半身のみ防護し、対して下半身は無防備で機動力重視)は、とても偶然とは思えないほどにそっくりに思えました。そしてその後、先述の「ローマ文化国家新羅」という本に出会い、新羅~ローマ帝国間での直接的交流があった事を確信し、そうであれば日本にもローマ帝国が来ていても全然おかしくは無いはず・・と考えた所存です。つまり短甲とはロリカ・セグメンタタの製法が古代日本に伝わり、そこから更に発展した物だろうと推測したわけです。ようは倭製ロリカ・セグメンタタという訳です。 短甲は阿波に限らず全国で発見されているので、阿波とローマの繋がりを示す物にはなりませんが、私が阿波とローマを繋ぐ物と考えているのは「麁服(あらたえ)」です。この麁服は一枚布を体に巻き付けて衣服とする所謂、長衣で、このタイプの衣服は古代ローマ帝国で着られていた「トーガ」と同類の物です。 現在、up主様は神武天皇と事代主が同一人物かもしれないと予想していますが、私の推測通り事代主がローマから来た人間だったなら、このトーガを身にまとっていた可能性は非常に高いと思います。そして後に彼が初代天皇と成ったのであれば、大嘗祭の儀式で阿波で造られた麁服を新天皇が身にまとう理由とは、このトーガを纏った神武天皇(事代主)の姿を模すという理由からじゃないでしょうか? 神武天皇(事代主)が阿波で居たがゆえに麁服(トーガ)も阿波で造られねばならないという事なのでしょう。 これが私が麁服が阿波とローマの繋がりを示す物だと考える理由です。up主様は具体的な遺跡のような物を期待していたかもしれませんが、現代も行われている皇室儀式(大嘗祭)の中で、実は初代天皇の真相が伝えられていた・・というのは実に歴史ロマンを感じますよね。 あと一つ、神武天皇を描いた絵では必ずと言っていいほど描かれるのは、神武天皇が背丈よりも長い弓を持ち、その上に金色の鷲が止まっているという構図ですが、 この構図がある物に酷似していると思えるんです。up主様はどう思われますか↓ www.caerleon.net/history/army/page5.html romanlegionmilitarystandards.weebly.com/the-aquila.html
@right-post
@right-post Жыл бұрын
@awakimi6098 さん Aquila。アクイラ。ローマ軍の象徴ですか・・・ これは衝撃の写真ですね。神武天皇が持っている弓上の金鵄と、同じに見えます。 また衣類と鎧から倭とローマ帝国の類似性を導き出されるとは素晴らしい着眼点です。 確か旧唐書の倭国伝の「人々は裸足で、ひと幅の布で身体の前後を覆っている。衣服の制(つくり)は新羅にとても似ている。」と記述がありました。(himeluna.exblog.jp/18047954/) 倭奈国の人々はトーラを模した服を着ていたのかもしれません。 そして現代まで続く大嘗祭で麁服にまでおよび、それを阿波で作っているというストーリー。 awakimiさんの考えを一度まとめてお聞きしたいぐらいです。 とても興味深い話をありがとうございます。大変勉強になりました。
@elelsse
@elelsse Жыл бұрын
@@right-post 絵画で描かれる神武天皇の姿はまさに鷲旗(アクィラ)を持つローマ軍の指揮官その物ですよね。 この様な神武天皇の絵姿が描かれ世に流布されている理由は、恐らくは神武の真実を知る人々が居るという事なんでしょう(皇室や政府の中に)。 きっと彼らは世間に対して密かにメッセージを送っているのでしょうね。 私の自説は阿波説研究者の中では完全に浮いた説ですが、もしご納得頂けた部分があるのであれば、こちらとしては感無量の思いです。 実は神武天皇に対してはまだ少し思う所があるのですが、その事はまたいつかの機会に・・・。 それでは今後も研究頑張ってください。そしていつか現地(徳島)の研究者たちをも驚愕させるような研究成果を打ち立てて下さいね。
@nihontaro9
@nihontaro9 Жыл бұрын
天皇の祖先神の一座とされたのは、初代大君の奥さん蹈鞴五十鈴姫のお父さんだったからでしょう。あまりにも小さくて、葉っぱに飛ばされて何処かに消えたって、そんな訳ないだろ。と思います。事代主は阿波にもルーツがある様ですが、出雲の事代主は第8代副王少名彦ヤエナミツミさんで大和では大物主とも恵比寿様とも呼ばれている様です。そんな神様が古事記で、国譲りの際には、ああ、良いよどうせ俺はいなくなるし。というのは後世の捏造だろうと思います。
@森岩光
@森岩光 Жыл бұрын
コトシロ主。 スクナヒコ ↑は出雲王国の副王の役職名。 渡来人が出雲王国に侵攻、滅亡させた(3世紀末) 徐福がやってきて 出雲王と副王を暗殺するなどして 、出雲王国を引っ掻き回して簒奪を謀った 話がごちゃ混ぜ
@MIOWEST-s4v
@MIOWEST-s4v 7 ай бұрын
阿波の事代主は味耜高彦根命です。安寧天皇の御代に西出雲王家は阿波に逃げて来ました。事代主を名乗る方が都合が良かったからです。
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