衝撃!なぜ邪馬台国「卑弥呼」は日本の歴史書に登場しないのか!?隠された真実とは

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古代ずんだミステリー

古代ずんだミステリー

Күн бұрын

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@shom9289
@shom9289 4 ай бұрын
この手の動画の色々な説を聞くと全部…その通りだ!それが真実だったのか!ってなる自分が悲しい🥺
@tkhr3336
@tkhr3336 6 ай бұрын
「卑」弥呼や「邪」馬台国という呼称は辺境の劣った国として殊更卑しいネーミングがされたもので、倭国内での正式呼称(おそらく偉そうな立派な名前)ではないはず。だからド頭から信じ込んで国内で単語を手がかりにいくら探しても、出てくるはずがない。
@maomao6115
@maomao6115 6 ай бұрын
東大の歴史の教授はアカだからね
@たーけーch
@たーけーch 4 ай бұрын
日巫女やヤマト国の呼称を漢字圏の国が当て字したのでしょうね。
@さいか-c2p
@さいか-c2p Ай бұрын
当時は文字すらないのに、はずもないだろう。
@下記区怪子
@下記区怪子 2 ай бұрын
ぶっちゃけ大和朝廷と邪馬台国を連続する集団とするのも無理があるというか、数少ない痕跡から無理矢理ストーリー組み立ててる感がするんよな
@うすぎぬ
@うすぎぬ Ай бұрын
匈奴の発音では「ピミウォ」という説。台湾学者によれば古音は「ピェッミアーハッ」。いつまで「ヒミコ」という和声発音に囚われた研究者が存在し続けるのだろうか。
@cho-un
@cho-un 3 ай бұрын
いい加減に「魏志倭人伝」の呼称を教科書ではやめて欲しいですね。→ 三国志魏書東夷伝倭人条という正式な名称があるのに。まあ私はたまたま正式名称で書かれた教科書でしたが。
@gilles5082
@gilles5082 Ай бұрын
古事記や日本書紀は700年代の書物。 国記、天皇記は600年代。 卑弥呼は、200年代の人物。 紙も筆も無い時代に400年前の人物の事を歴史書へ記載しても不正確極まりない。
@田中しんじ-h9c
@田中しんじ-h9c 4 ай бұрын
魏書の前の後漢書にも邪馬台国は載ってますよ
@鈴麗リンリー
@鈴麗リンリー 3 ай бұрын
時代的には前だけど書かれたのは三国志より後
@dataunited7796
@dataunited7796 Ай бұрын
日本書紀は天智か天武の祖先の記録書であって、 3世紀に倭国大乱でトップとなった女王国ヤマトは彼等の先祖とは違ったいた。という事でなんら矛盾はない。 新旧唐書とも、日本と倭は別種とあるから、日本書紀は日本種の歴史、 倭としてはそれとは別系統の統治史があったという事だろ。 ①縄文弥生→②倭国大乱からの③女王国ヤマト→④古墳倭王(倭の五王)子孫→⑤大化の改新の天智→⑥白村江以降の天武→⑦光仁帝以降(天智系) 少なくとも7回は史書レベルからも王朝の変更が認められる。
@bandit2007jp
@bandit2007jp 6 ай бұрын
ホツマツタエには天照大神は男性神として記述されているそうです。 なので、大乱を収めた卑弥呼(姫巫女)を神格化する際に最高神である天照大神と置き換えられてしまったのではないかと思っています。
@conspiracy_shine
@conspiracy_shine 6 ай бұрын
それ偽書だぞ
@aku-o8y
@aku-o8y 6 ай бұрын
​@conspiracy_shine  そうそう、「ヒヒイロカネ」の名前が出た『竹内文書』もだね。偽書。
@bandit2007jp
@bandit2007jp 6 ай бұрын
@@conspiracy_shine ホツマツタエを偽書とする説があることは承知していますが、まるっきり嘘を書いているとも思えません。 逆に偽書だと断定できるだけの根拠をお持ちならぜひ教えてください(学者さんがそう言っているというのはナシね)。 正史とされる古事記、日本書紀と内容に食い違いがあるということなら、古事記、日本書紀の間にも内容に違いがあります。 むしろ政治的理由で内容に虚構が入る公式文書よりも、損得勘定抜きの民間伝承の方にこそ信ぴょう性があるのではないかと私は考えています。
@bandit2007jp
@bandit2007jp 6 ай бұрын
@@conspiracy_shine 秀真伝が偽書として評されていることは承知しています。
@たーけーch
@たーけーch 4 ай бұрын
日巫女(天照大神)
@coconuz
@coconuz 4 ай бұрын
日巫女なら天照大御神と意味的にもかさなってくるかな
@たいし-z2f
@たいし-z2f 3 ай бұрын
オオヒルメノムチは小名木説ですね
@anejack7104
@anejack7104 2 ай бұрын
28:00ぐらいからやっと本編😅
@menctyan
@menctyan 14 күн бұрын
日本では別の名前だったんだろうなぁ。
@Vkkk-p1r
@Vkkk-p1r Ай бұрын
発音的には姫子さんらしい
@de-kaode-kao-vu3yj
@de-kaode-kao-vu3yj Ай бұрын
三國志の作者の陳寿は、賄賂で書く内容が変わったらしいので、当時の誰もが知る人物は問題ないが、あまり活躍しなかった人物に関しての記述は微妙かと。卑弥呼も又聞き程度の情報で、『鮮卑地方の巫女』程度の意味で書かれたのかもですね。まぁ当時に巫女と呼ばれていたかは不明ですが。
@de-kaode-kao-vu3yj
@de-kaode-kao-vu3yj Ай бұрын
あと邪馬台もヤマトの当て字って説も捨てがたいし、秦の始皇帝が派遣した徐福が佐賀付近に住み着いて秦氏になったという説を取れば、口伝として多少の中華の話や言葉は残っていたかも知れません。使節派遣の理由としては十分かもですね。
@stepジャンキー
@stepジャンキー 4 ай бұрын
フィギュア予約どうでしょう😂
@lllIllIllIlllIIl
@lllIllIllIlllIIl 5 ай бұрын
別な王朝か、ローマ帝国みたいに邪馬台国から大和国が分裂したんじゃないのかな? 万世一系の天皇というのに都合悪い部分が公表されていない…と信じてる笑
@みんみん-q8k
@みんみん-q8k 4 ай бұрын
それな
@ああああ-v4w3b
@ああああ-v4w3b 6 ай бұрын
魏志倭人伝がデタラメとか
@かかしやまだの
@かかしやまだの 4 ай бұрын
フィクションでしょう。
@ジョンスミス-d9z
@ジョンスミス-d9z 6 ай бұрын
邪馬台国と大和朝廷が全く別の王朝だから、大和朝廷の話を書いた古事記や日本書紀に書いてないんだと思ってたわ。
@Mr.Nobody-rk3eo
@Mr.Nobody-rk3eo 6 ай бұрын
日本書紀の崇神紀に登場する倭迹迹日百襲姫命こそが卑弥呼(姫命=ひめみこ)の正体だろう?
@olivefuruta
@olivefuruta 5 ай бұрын
自分もそう思う。 唐書だったか、倭国は古の倭奴国で日本は倭の別種と書かれていた。 魏志には邪馬台国の東には海がありその向こうには倭種の別の国があると書かれていたはず。
@竹田信夫-b1h
@竹田信夫-b1h 5 ай бұрын
その推理が妥当だろうね。 記紀の神さまや登場人物の誰かと思うというのは貴方はそう思うのですかという事でしかないからな。五王ですら誰が誰かわからないのにこの神様が卑弥呼だなんて言えるわけない。
@たぬ-w8k
@たぬ-w8k 5 ай бұрын
​@@olivefuruta 唐書には倭国と日本は別種かもしれないし、 あるいは倭国という文字が卑しい意味なので、国号を日本と変更しただけかもしれないと書かれていて、別種と断定しているわけではありません。 また半島最古の正史の『三国史記』では、倭国が国号を日本へと変更したと断定しています。
@kazkaz5055
@kazkaz5055 5 ай бұрын
もう学問でなく宗教だからね 実は帯方郡の位置すら確定してない。遺跡すらゼロなんだから 複数の史書で帯方郡は遼西にあったと書いてるが教科書で習う位置と全然違う 全部無視して邪馬台国論争してる人たちは素人学者ひっくるめて論理なき考古学と海外からバカにされてるの無理ない
@ryosukemachida7168
@ryosukemachida7168 6 ай бұрын
蘇我蝦夷の邸宅跡から、焼け残った「国紀」の一部が出てこないかなぁ。
@たかゆき-u9w
@たかゆき-u9w 6 ай бұрын
卑弥呼という呼称じゃないだけで既知の人物ということもあるかもね
@ミルルン-d4f
@ミルルン-d4f 4 ай бұрын
卑弥呼は名前でなく「姫巫女」のことだとも言われていますね
@Nanashiー774
@Nanashiー774 Ай бұрын
邪馬台国時代の日本には文字は存在しない。 中国の使者が日本の出来事を記録しており、その際にヒミコを卑弥呼と書いた可能性がある。 卑弥呼の本当の文字(意味)は日巫女だった説がある。 理由はヒミコが死去したとされる247~248年には日食が起きていた可能性があり、これが原因でヒミコは死去した。(昔の人々は自然現象=超常現象と誤認し恐れていたため、統治者だった卑弥呼が全責任を負わされ処刑された可能性あり。) この日食とヒミコの在位期間の最後と死去が同時期のため、アマテラスの天岩戸隠れ伝説のモデルになったのではないか?とも言われている。
@Nanashiー774
@Nanashiー774 Ай бұрын
卑弥呼の本当の文字(意味)は日巫女だった説がある。 理由はヒミコが死去したとされる247~248年には日食が起きていた可能性があり、これが原因でヒミコは死去した。(昔の人々は自然現象=超常現象と誤認し恐れていたため、統治者だった卑弥呼が全責任を負わされ処刑された可能性あり。) この日食とヒミコの在位期間の最後と死去が同時期のため、アマテラスの天岩戸隠れ伝説のモデルになったのではないか?とも言われている。
@Nanashiー774
@Nanashiー774 Ай бұрын
卑弥呼=日巫女で、天照大神のモデル説がある。 卑弥呼の死が247~248年。 247年3月24日と248年9月5日に日食が起こっている。 これが天岩戸隠れのモデル説がある。 卑弥呼の死と日食の時期が重なっているのは、日食が原因で統治者として全責任を負わされショケイ(生贄)された可能性がある。 昔の人々は日食や彗星などを超常現象と見なし、混乱や凶事の前兆であると信じ、恐れていたため。
@ラピ-q5h
@ラピ-q5h 3 ай бұрын
邪馬台国が大和朝廷とは別王朝だったからでしょう。
@晴耕雨読-t6c
@晴耕雨読-t6c 4 ай бұрын
日本書紀に神功皇后が卑弥呼らしきことが書かれていることは、日本書紀の編者が魏志倭人伝を知っており、かつ紀年操作をした都合上、神功が卑弥呼であるようなことを言わざるを得なかったと解釈するとすっきりします。紀年操作を元にもどせば卑弥呼は神武天皇の先祖に当たり、天照大御神に比定されますし、卑弥呼が250年頃の人なのですから、神武天皇は3世紀末頃の人と考えられます。
@たーけーch
@たーけーch 4 ай бұрын
同感です。
@cappuccinohiron6170
@cappuccinohiron6170 4 ай бұрын
同感です。宮地嶽神社や宇美八幡宮の御祭神なので実在したのだろうと思います。ちなみに宇美八幡宮近くの志免町(宇美八幡宮で産んだ子のおしめを変えた場所)の町名の語源になったと言われてます。
@nandai_ittei
@nandai_ittei 2 ай бұрын
神武天皇が実在したとすると、東征の記述から古代大阪の地形を考えると紀元100年くらいのものらしいから、神武天皇の方が過去の人である可能性がある。卑弥呼をアマテラスに比定したいのであれば、神武天皇と欠史八代を存在しないものとして、崇神天皇からスタートするのが適当かと思う。自分は神武天皇は実在したと考えているので、卑弥呼=アマテラスではないと考えていますが。
@麻畠行孝
@麻畠行孝 Ай бұрын
卑弥呼=天照大神、と考えて正解だと思います。 天孫降臨伝説は神武天皇の祖先が、九州北部の邪馬台国本体から宮崎県日向の国に派遣された部隊と考えれば、邪馬台国が本家、天皇家は分家という立場だったのでしょう。 そして卑弥呼の墓は邪馬台国本体から見て太陽の昇る方向、大分県宇佐にあり、それが宇佐八幡神宮が立っている小高い丘だと思います。 魏志倭人伝で示唆された径100余歩の円墳と一致します。 528年に起きた磐井の乱は、磐井氏こそが邪馬台国本体の末裔だった事をしてます。 なぜか磐井氏は、筑紫の「君」と呼ばれ、皇室にしか使われない「君」が使われています。 磐井は、結局、宇佐まで行って最期を遂げており、皇祖神の卑弥呼の墓まで行く動機があります。 さらに不思議な事に、磐井の子は天皇家に土地を屯倉として譲ると、アッサリ許されています。 反乱者に対して異常に超寛大な処分です。 これは磐井家自身が邪馬台国本体の末裔であり、天皇家の本家筋だったからだと思います。
@Nanashiー774
@Nanashiー774 Ай бұрын
卑弥呼=日巫女で、天照大神のモデル説がある。 卑弥呼がシキョした年が247~248年。 247年3月24日と248年9月5日に日食が起こっている。 これが天岩戸隠れのモデル説がある。 卑弥呼のシと日食の時期が重なっているのは、日食が原因で統治者として全責任を負わされショケイ(生贄)された可能性がある。 昔の人々は日食や彗星などを超常現象と見なし、混乱や凶事の前兆であると信じ、恐れていたため。
@kazuoy4
@kazuoy4 5 ай бұрын
魏志倭人伝に書かれているから、日本人から見ても重要人物と言う事自体が思い込みかもしれない。
@アカバケン-e6f
@アカバケン-e6f 4 ай бұрын
そうかもしれん。
@かわ-o2m
@かわ-o2m 4 ай бұрын
たまたま魏に使いを派遣した国ってだけだったのかも
@aya-dh3lh
@aya-dh3lh Ай бұрын
中国人だしな、何も判りませんでしたじゃ、七族八つ裂きにされちまう。普通に周りとあわせて知った話でテキトーな嘘をつくだろうと予測。
@zennin375
@zennin375 6 ай бұрын
消されたのではなく知らないから書けなかっただけかもしれない
@田中しんじ-h9c
@田中しんじ-h9c 4 ай бұрын
意図的に書かなかった☺️
@noteapex5646
@noteapex5646 3 ай бұрын
まあ、知っていたとしても自分達以外の他の部族の事なんて書く必要は無いだけだろう。 古事記や日本書紀は大和朝廷の歴史を書いたものなんだからね。 聖書にブッタは出でこないし仏教の経典にイエスキリストは出てこない
@MON_MOSO_MON
@MON_MOSO_MON 2 ай бұрын
​@@noteapex5646例えのピントがずれまくりw
@すなこ-h1e
@すなこ-h1e 2 ай бұрын
日本書紀の編纂者は『魏志倭人伝』を読んでいるから知っている。
@tono114-theworld
@tono114-theworld Ай бұрын
国記、皇紀だって、卑弥呼が居た時代から400年もあとの書物なんだから、何も書かれていなかっただけでしょう。北九州邪馬台国と畿内大和国が別系統なら特に。
@len-lensrv
@len-lensrv 6 ай бұрын
実は姫巫女って愛称だったりして それがお年を召されても結婚してなかったからいつまでも姫扱い……という悲しい物語を思いつきましたが、色んなところから恨まれそうなのでこれ以上の妄想はやめておきます
@奇囃子キバヤシの都市伝説チ
@奇囃子キバヤシの都市伝説チ 4 ай бұрын
姫というより日巫女だと思う。
@nandai_ittei
@nandai_ittei 2 ай бұрын
簡単に考えると「卑弥呼が大和朝廷の人じゃない」からですね。 大和朝廷:「卑弥呼?うちの家族じゃないし、知らんわ」というだけ。 「東に倭の別種アリ」と書かれている「別種」が大和朝廷なんだろうね。 そして「磐井の乱」で邪馬台国を頂点とした九州王朝は完全に終了。
@KantoShin
@KantoShin Ай бұрын
日本書紀の編纂者は明らかに「卑弥呼=神功皇后」という含意を込めて書いてるだろう? それをそのまま信じちゃいかんのか?
@関屋祐
@関屋祐 5 ай бұрын
消されたも何もそもそも歴史を残すのが当たり前ってのが違うからね
@佐伯教授ブラックジャズ
@佐伯教授ブラックジャズ 3 күн бұрын
これが事実、天照大神は卑弥呼、トヨは豊受大神宮、つまり伊勢神宮内宮と外宮、日本海ルートで出雲、舞鶴、奈良🎉
@ぷくぷく-s9k
@ぷくぷく-s9k 6 ай бұрын
ヤマタイコクのヒミコなんていうのは、外国語で書かれたものを無理やり現代日本語で読んでるけだから ペケペケ国の女王マルマルさんがいました、と言っているのと全く変わらず、どこの国の誰なのか全くわからない ヒミコというのも名前かどうか不明で、称号だとすると例えば、江戸時代に「ショーグン」という人に贈り物をしたよ、と外国の書に書かれていたとしても、将軍の誰なのかわからない 使者を送ったのも魏側の都合であって、天照や神功皇后のような有名人が治めていたタイミングに都合よく送ったとも限らない。もっとマイナーな女王がいて、その時に送っていたら? ペケペケ国と大和朝廷に直接的なつながりがあったかどうかも不明。まあ特定は不可能に近いかなと
@akaisuzuran
@akaisuzuran 6 ай бұрын
朝鮮の歴史書「三国史記」の新羅本紀にも、一行だけですが卑弥呼の記述があります。
@たろうなは-i3d
@たろうなは-i3d 6 ай бұрын
なんて書いてあるの?
@akaisuzuran
@akaisuzuran 6 ай бұрын
阿達羅(あだつら)王の二十年(西暦173年)夏5月、倭の女王卑弥呼が(新羅に)使者を送り来訪させた、というものです。@@たろうなは-i3d
@akaisuzuran
@akaisuzuran 5 ай бұрын
阿達羅(あだつら)王の二十年(西暦173年)夏五月、倭の女王卑弥呼が(新羅に)使者を送って来訪させた、というものです。
@蓮露廉
@蓮露廉 6 ай бұрын
聖徳太子は蘇我馬子の孫。蘇我馬子がアメタリシヒコで聖徳太子が薩夜麻。倭国王が「君」と呼んでいるのは唯一「筑紫の君薩夜麻」だけ。
@197311shu
@197311shu 4 ай бұрын
聖徳太子は存在してないって通説もあったはずでは? つまり日の巫女で卑弥呼って事かな?と安易に考えたけどw
@かわ-o2m
@かわ-o2m 4 ай бұрын
卑弥呼はあくまで魏での呼び方だからなあ あといくつもある国のひとつにしか過ぎないなら滅亡して歴史から消された可能性もある
@nipiyan
@nipiyan 4 ай бұрын
国記、天皇記、どこかの神社とか、山奥の洞窟の奥とかに残ってたりしないかな~。
@yuki-h5u1u
@yuki-h5u1u 3 ай бұрын
三国志に出てくる、「遁甲天書」みたいな?
@pino623
@pino623 3 ай бұрын
竹内文書とかはロマンですけどねw
@ラスティスマイレージ
@ラスティスマイレージ 6 ай бұрын
元来のアマテラスは古来男性神で習合し乗っ取られたという話もあるけども 真の皇祖神は外戚筋である高木の神こと高皇産霊神ともいわれる 卑弥呼は名前でなく「媛巫女」で王族の女子巫を指して敬称にしていたんじゃないかね
@たーけーch
@たーけーch 4 ай бұрын
日巫女(天照大神)
@ジンジャーエール-g9c
@ジンジャーエール-g9c 3 ай бұрын
実際、高皇産霊尊は「日本書紀」だと「古事記」以上に出しゃばってきてますよね。
@yasu6909
@yasu6909 5 ай бұрын
やはり、邪馬台国と大和朝廷は全く別の国だった、と言う説が一番合ってると思います。 卑弥呼の何年後かはわかりませんが、田油津媛が邪馬台国の最後の王だったと思います。
@KisoJin-oj8yl
@KisoJin-oj8yl 20 күн бұрын
油津姫、吾平姫と関係のある人物をタブラツと称したんでは?
@sasakaakinari5632
@sasakaakinari5632 6 ай бұрын
卑弥呼の独りの人生の話と古代日本全体の歴史を同じような感じでとらえるのは 間違っていると思う
@まみまみ-x7q
@まみまみ-x7q 2 ай бұрын
記紀に「ヒミコ」が出てこないというのは「フジサン」同様に、おそらく「政治的意図や偏向」が関与してるのだろう。 けれど、あちこちのあれこれ身分のごちゃまぜ「万葉集」にもヒミコを謳ったり崇めたり追想したりした挽歌がないのは不思議っちゃ不思議。ひょっとして、違う名前で出てきたりしてないのだろうか?
@おりこみ
@おりこみ 5 ай бұрын
冒頭から中盤までの、推測じゃ無い部分は勉強になりました。魏志倭人伝て書物があるわけじゃなかったのですね。
@wmdajtpg96325
@wmdajtpg96325 6 ай бұрын
歴史は勝者によって作られますもんね
@conspiracy_shine
@conspiracy_shine 6 ай бұрын
敗者も普通に作るぞ
@みんみん-q8k
@みんみん-q8k 4 ай бұрын
そんなスタンスの国だからFみたいなやつがゴロゴロ輩出されるのか
@pino623
@pino623 3 ай бұрын
​@@みんみん-q8k 古代からどの国でも歴史書はそんなもん
@miki-t5i
@miki-t5i 3 ай бұрын
それだけ藤原の影響力がすごかったと
@ケンちゃん-h8d
@ケンちゃん-h8d 26 күн бұрын
天照大神=卑弥呼だからだよ!
@巌流島男
@巌流島男 6 ай бұрын
日子山の.日巫女
@cecjlcjack7630
@cecjlcjack7630 3 ай бұрын
まぁ…色んな見解があるけど、外国から見る(捏造された)歴史と、我々が知りうる歴史では大きな隔たりがあるんだけど、それを言い出したら中国の歴史だって『本当にそうだった』と言えるかも判らないモノがあるからねw 本当は全然別の人がトップだったのかも知れないし…
@岡田勝則-l2f
@岡田勝則-l2f 5 ай бұрын
その昔、とあるTV番組が「卑弥呼」を当時の中華語で読んだらどうなるのか?と研究者に取材したところ、「へぇ、めぇ、はぁ」(「呼(はぁ)」の部分は「敬称」だったのではないか?とも)だったってことがありましたねぇ。 原始「ヤマト」の「外交府」を任されていた「姫様」だったってことなんですかね卑弥呼。 ま、TV番組は昔から胡散臭いんですけどね(笑)
@稲光電
@稲光電 6 ай бұрын
投稿日にNHKでやっていた卑弥呼についての番組より、こっちの方が面白いわ。
@conspiracy_shine
@conspiracy_shine 6 ай бұрын
バカには難しかったか
@yon4988
@yon4988 6 ай бұрын
最近のNHKはワイドショー化していて偏向報道がひどいからな。 九州説の詳細や畿内説が否定されている論点も同時に報じない制作スタンスからして論外なんだよな。 だから説得力に欠ける。
@conspiracy_shine
@conspiracy_shine 6 ай бұрын
@@yon4988 お前みたいな素人にはプロが携わった番組は難しかったか
@稲光電
@稲光電 6 ай бұрын
あんな内容の薄い番組を、ありがたがる方がバカだとおもうがね。@@conspiracy_shine
@稲光電
@稲光電 6 ай бұрын
@@conspiracy_shine あんな内容の薄い番組を、ありがたがる方がバカだと思うがね。
@そうこん-x4u
@そうこん-x4u 2 ай бұрын
ボクの勝手な考察なんですが、 中国と交流を持ちやすい地域を卑弥呼が治めていて中国からしたら卑弥呼は面識あったんだけど、 日本全体からしたら邪馬台国は中国寄りの一部でしかなくて、日本国内では卑弥呼は名前が挙がらないレベルでマイナーだったんじゃないかな? 「卑弥呼、中国だとメジャー。日本だと無名だった説。」 これどうスかね?
@中村俊就-t8g
@中村俊就-t8g 4 ай бұрын
古事記や日本書紀は720年〜750年、卑弥呼の時から約500年経ってるから、死後の呼び名も変わったのかもね
@TopForce-te1jp
@TopForce-te1jp 4 ай бұрын
いた、いない、ではなく、いたと魏志倭人伝に書かれている、と正確に今の歴史書に書けばいいだけなのに。
@ごー力
@ごー力 4 ай бұрын
美術史研究者の田中英道氏によれば魏志倭人伝の著者は日本に来たわけではなく噂話を聞いただけではないかと言われている。その理由は古墳が発見されてない事です。日本の古代歴史は決定的な証拠がないと正式には認められないと思う。今でも卑弥呼の子孫であろう蘇我氏系の古墳の所在がハッキリしていないので。
@フルット
@フルット 6 ай бұрын
アチシ、忘れられたのー?
@ruizi7491
@ruizi7491 6 ай бұрын
ヒミコさまー!!😭
@初級トレーダーK
@初級トレーダーK 6 ай бұрын
大陸にそそのかされて反乱を起こした地方豪族だからなのでは?
@あいぽん-s1y
@あいぽん-s1y 3 ай бұрын
卑しいという文字が入ってて嫌だなあ。
@novy121
@novy121 6 ай бұрын
古代日本に想いを馳せる時、この『邪馬台国』は私たち日本人には“永遠のテーマ”である事は間違いなく、興味さえ有れば、本居宣長や新井白石と言った超偉人とも肩を並べて語ることが出来る魅力が有ります。 私もその魅力にひかれるひとりですが、戦後教育にどっぷり浸りきった世代である以上、自分で興味を持ち、日本の神話を知ることから始めて得た、日本人の“気質”を再確認する時間が増えました。 つまりは『日本人とは?』と言う単純な、自分に対する“アイデンティティ”への問いです。 この動画に対しコメントを寄せる方々は、少なくとも私と同じ“日本人とは?”についての問いに、それぞれの興味がお有りなはずです。 私は…『邪馬台国』は『ヤマトコク』 ヤマトコクとは、“倭国”“大和国”そして“日本(ヤマト)国”と、信じて疑わない一人の日本人(ヤマト人)です。 そして『卑弥呼』とは“巫女”であり、“皇女”です! つまりは“日の巫女”であり、時の祭祀王であると考えています。
@jangle999
@jangle999 5 ай бұрын
太陽の巫女とは天照大神としか思えないですね
@novy121
@novy121 5 ай бұрын
@@jangle999 その通りです。 “日の巫女”とは“太陽の巫女”であり、巫女とは『天照大御神』の“依代”となる役目を受けた“祭祀王”のことだと、私は確信しています。
@manbaken879
@manbaken879 4 ай бұрын
大和国でも十分良い名前なのに日本に変更したのはもったいなかった
@remy777slot
@remy777slot 3 ай бұрын
神功皇后=卑弥呼説は無理があり過ぎるw そもそもそれだともっと天皇話として書くでしょ
@man-10
@man-10 3 ай бұрын
位の高い人って昔からその名前をみだりに呼ぶことはしないのがルールだから、卑弥呼は日の巫女様とでも呼ばれていたのではと思う。 天皇を昔は天子様と呼んで名前は呼んでなかったし、今でも今上陛下のことを徳仁様とは呼ばないのと同じじゃないのかな。
@simlug
@simlug Ай бұрын
アダム・カダモン→ 人(アダム)門(かど、もん)、間とは人の根源=魂 古代日本で女は子を作るとき四人の男と交配した。(交配の期間は離れてよい) 女は「火=気性、水=体力、風=技能、土=佳=美形」を選んで交配した。 交配する男を選ぶ優先順位は女が決める。男に拒否権は無い(据え膳食わねば男の恥) 土精=Gnome 遺伝子=Genome ← e が精となる。
@simlug
@simlug Ай бұрын
神と神の違い。江戸時代まで七夕の短冊は母が書いて子が叶えた。 母が示し申す神であり子=ネが叶え申す。この儀式で神と神が成長する。 古代日本で日が三つで晶(ひみこ)で、男=ロ→品(みろく)となる。 軀=身+品、人間=人+間(晶を上下逆にする)、後に品格=霊格となった。
@古澤功-c7e
@古澤功-c7e 6 ай бұрын
う〜ん、卑弥呼は人名ではなく、役職のようだね。そしてその役職はヒメミコとか。倭は、九州方面らしく、邪馬台国はヤマト王権。倭国大乱とは、奈良地方出雲王家数家の長きに渡る分裂紛争、この説好きだね。魏志倭人伝、古代中国にとって倭もヤマト王権も違いが分からなかったくらいらしい。
@simlug
@simlug Ай бұрын
古代日本は人を十と書き女=巾(おふくろ)、男=力、魂=Ψ 味噌は三十(みそ)、三を「さんずい」に変えて汁とした。 十戒は人と神との約束(日本語が主語を省くから命令形となる) 豊を意味する三と、人を意味する十で三十汁となる。丰=豊
@MasumiHijirikawa
@MasumiHijirikawa Ай бұрын
この手の動画は多いですね。実際どこにあっても生活が良くなるわけではありません、どうでも良い話です。真実を知りたいならタイムマシンで過去に行かないとわかりません、無理ですけど。
@yu-kitamu2017
@yu-kitamu2017 3 ай бұрын
卑弥呼 -> ひみこ = 日の御子 = 太陽の御子の意 じゃないのかねぇとは思う あと、名前が残ってないのは単に当時の邪馬台国が大和の敵国だったからじゃないの? 邪馬台国が九州の佐賀県?にあって本州の大和に滅ばされ2つの国が併合 敵国だったから国の名前も卑弥呼という名前も特段書き残す必要性が低いから結果的に残らなかった 後の歴史で中国の魏志倭人伝に邪馬台国と卑弥呼の名前が = 古代日本 という認識になって真実が判りにくくなってる という感じではないんかねぇ…と勝手に思ってる
@爆弾鬼斬り
@爆弾鬼斬り 3 ай бұрын
姫子とかの可能性もあるからなんとも...。流石に列島にある共にデカい勢力であるヤマトと邪馬台が関係無いとは思えないので東征した分派組と九州に残留した組の2つのヤマトがあったんじゃ無いかな?南朝北朝みたいに。魏志に載ってるのは九州のヤマト国のことで近畿のヤマトは関係ないと思う。  邪馬台国は東に海があるという記述から場所は九州東海岸に面していたことがほぼ確定なので古来から隼人の住む鹿児島を除けば大分、宮崎しかありえない。その中でもヤマトが分派したという仮説が正しいなら宮崎が可能性高い。  大国を養えるほど立地が良いのなら、今現在も人が住み続けて遺跡として残らない方が現実的だから佐賀の遺跡みたいにしっかり残らないと思う
@oniwakamarukumano8328
@oniwakamarukumano8328 6 ай бұрын
記紀はヤマト王朝の歴史書なんやさか、無関係の国の事なんか記さんよな。 戦争したとか、国交を結んでいたとかなら、登場するかも知れんけど。
@じょん太郎山田
@じょん太郎山田 Ай бұрын
日巫女って呼ぶと都合悪い国が、当て字で印象操作したって話かと思ってたよ 大和の大国もそれなのかなーと。 わざわざ、卑とか邪の漢字を使う意味よ。。。
@daragana
@daragana 3 ай бұрын
大和朝廷の歴史は意外と浅いし最初からそんなに権力がなかったのかも知れないわね。
@ひろ-x8y3t
@ひろ-x8y3t 5 ай бұрын
古事記也日本書紀をまとめる際、諸王家の文書をことごとく提出させて都合の悪いのはすべて燃やしたからね。
@Saitama-kenmin
@Saitama-kenmin 6 ай бұрын
富雄丸山古墳、チト気になりますな?(疑) 🙄🤔🤨🧐
@funasanlibra
@funasanlibra Ай бұрын
ひめみこが、ひみこと聞こえたんだろうね。ひめみこは中国人には聞きづらいだろうから。
@ヤマト-d5v
@ヤマト-d5v 6 ай бұрын
卑弥呼って呼ばれておらず、外交上の官位なんじゃないか?ウチの岸田がって言っても岸田って誰?えっとウチのトップですよ、女性?じゃ卑弥呼って呼ぶわぐらいなものでしょ。
@UzubeWashinya
@UzubeWashinya 5 ай бұрын
「大日霊女貴尊」(天照大神) 「撞賢木厳御魂天疎向津毘売尊」 おおひみこむちのみこと     つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと    正しい呼び名を~~~
@リノホス
@リノホス 6 ай бұрын
「天皇記」と「国記」はどうして蘇我氏宗家の館「だけ」にあったんでしょうね?
@ryosukemachida7168
@ryosukemachida7168 6 ай бұрын
それだけ重要な歴史書ならば、なぜ写本をしなかったのかと、疑問に思います。 紙が貴重すぎた?
@conspiracy_shine
@conspiracy_shine 6 ай бұрын
編纂途中だったからだろ 日本書紀読め
@リノホス
@リノホス 6 ай бұрын
@@conspiracy_shine 日本書紀に天皇記等は編纂中だったとの記載があるのですか? そんな記載は無いようですが…。 推古天皇28年に献上された書が編纂中であって、更に天皇家に原本又は写本が存在しないとはちょっと考えにくいかな。
@zennin375
@zennin375 6 ай бұрын
普通に焚書だろうね たぶん写本狩りもやってる 火災で焼失なんてのは事実の一部を切り取った演出的な記述だと思う
@山田耕栄
@山田耕栄 6 ай бұрын
ただ音に当て字しただけだしね 卑弥呼 日ノ御子 ヒノミコだと 思うんだよね 神功皇后が卑弥呼かなあってのは 編纂者がそう勘違いしてくれないかなあってミスリードに引っ掛かってるよな
@MIYAMOTODAISUKE
@MIYAMOTODAISUKE Ай бұрын
卑弥呼は知らんが、ヒムコならいるよ。 (σ・∀・)σふふふ
@user-hidesato
@user-hidesato Ай бұрын
卑弥呼は実存してないのでは、神社がありません⛩️❤
@アンゴラうさぎ
@アンゴラうさぎ Ай бұрын
邪馬台国と卑弥呼は中国の創作の気がしてきました。
@oomorisoumen
@oomorisoumen 6 ай бұрын
おんなじ様な国が無数にあっただろうな。
@かかしやまだの
@かかしやまだの 4 ай бұрын
元寇のころは60余国 秀吉の天下統一が100余国 3世紀なら30以下❓❓
@forteonly
@forteonly 3 ай бұрын
国記、見つからないかしら?
@pino623
@pino623 3 ай бұрын
ヒミコ→アマテラス トヨ(イヨ)→トヨウケ かと思った
@takumi1999
@takumi1999 6 ай бұрын
個人的には別王朝だからだと思う。そして、日本には当時複数の王朝が有ったのではないかと思う。九州王朝や機内王朝他。で、魏とお付き合いの長い九州王朝の話を魏志倭人伝で書いた。同時期に機内で王朝が有ってもお付き合いが無ければ書かれない。不思議なのが神武天皇は宮崎からスタート。現代でも陸の孤島。神武東征も北九州あたりまで行って、現福岡市あたりまで行ってない。玄界灘沿岸は古来から栄えた場所だろうに。宮崎や宇佐があるから九州から東征した連続した王朝という方も居るけど、地図しか見ていないと思う。
@たぬ-w8k
@たぬ-w8k 5 ай бұрын
九州に王朝はないと思います
@保川駿
@保川駿 5 ай бұрын
日向はヒムカと呼びますが、宮崎以外に筑紫にもヒムカと言う場所があったみたいですよ。私も神武東征は筑紫から始まったと思う。
@しゃおろん-e9h
@しゃおろん-e9h 5 ай бұрын
とても興味深く視聴させていただきました。 後の政権にとって都合の悪い事を無視するというのはありうる話ですね。 そもそも邪馬台国が九州の一地方政権で、大和朝廷とは無関係である可能性。 配下が我が主とか我が王という感じで「ひめみこ(姫巫女)」と呼んでいたのを、中国人が卑弥呼と記録したのであって、名前は別にあった可能性。 考えれば考えるほど可能性は広がりますね。 「国記」は存在が確認できないだけで喪失が確認できている訳では無いので、いつか出てくるかもしれませんね。もし存在するのなら、私の存命中にお願いしたいものです♪
@たーけーch
@たーけーch 4 ай бұрын
日巫女(天照大神)
@SHINOSHINTAROU
@SHINOSHINTAROU Ай бұрын
鋼鉄ジーグの悪役だからって訳ねーだろw
@30-06
@30-06 6 ай бұрын
邪馬台国「ヤマタイコク」ってヤマト国と読むべきじゃないのかと常々思うのです。「卑弥呼」と大超賎人たる47人が書いてたとしても日巫女なり日御子なりって称号じゃないかとも思うのです。
@abcdef-f9c5b
@abcdef-f9c5b 6 ай бұрын
戦前は卑弥呼の存在すら教えなかった。 日本の開祖である天皇以前に、卑弥呼女王が存在しては、天皇制に矛盾があったのでは? 最も歴史学者は卑弥呼女王を研究してはいたが。
@qzp01467
@qzp01467 6 ай бұрын
九州説をとると邪馬台国の正統な系譜を継ぐのは滅ぼされた磐井のような気がするんだよな。 何となくだが。
@たぬ-w8k
@たぬ-w8k 6 ай бұрын
九州に王朝はありません
@KARAMAZOV_3
@KARAMAZOV_3 6 ай бұрын
@@たぬ-w8k いまだに近畿説な人もおるんすね
@たぬ-w8k
@たぬ-w8k 6 ай бұрын
@@KARAMAZOV_3 違うよ。 畿内説ではない。 実は魏志倭人伝には邪馬台国の位置について、会稽の東にあるってハッキリ書いてあって、現在の沖縄か台湾あたりになる。 気候風土も亜熱帯気候の中国の海南島に似ていると書かれている。 邪馬台国は刺青の文化だと書いてあるけど、沖縄は明治あたりまで刺青の風習があった。 どう考えても九州ではない。
@保川駿
@保川駿 5 ай бұрын
@@たぬ-w8k 神功皇后もヤマト王権の九州王朝をつくった。のちに近畿王権にクーデターを起こして、本家を乗っ取ったが。
@たぬ-w8k
@たぬ-w8k 5 ай бұрын
@@保川駿 九州に王朝はありません 隋書には九州から東はみな倭国の領土だと書いてある 前方後円墳の分布状況や稲荷山古墳と江田船山古墳の金石文から考えても、倭国とは大和朝廷に他ならない
@デューク西郷-r5n
@デューク西郷-r5n Ай бұрын
ありがとうございます!
@44.5X2
@44.5X2 Ай бұрын
天皇家が簒奪者になるからだろ
@凡人-y8k
@凡人-y8k Ай бұрын
日本の歴史は世界に影響する
@hirohiro1770
@hirohiro1770 2 ай бұрын
考古学的には古事記、日本書紀どちらもファンタジーです。好き放題書いてあるだけで何ら物証はない(天皇の年齢が明らかにおかしいし、古墳だって江戸時代の山陵記を鵜呑みにして指定してるだけ。流石に継体天皇以降はある程度事実だと思うが、統一国家日本が2600年も続いているはずがない)。 卑弥呼については単なる一地方政権の長だから他国(大和朝廷)は知らなかった、大和朝廷の誰かに比定できる、てとこでは?
@kiyoshisato7390
@kiyoshisato7390 Ай бұрын
鋼鉄ジーグに滅ぼされたか?
@口うるさいが嘘はつかないおっさん
@口うるさいが嘘はつかないおっさん 6 ай бұрын
大和政権とは無関係の国のことだから
@simlug
@simlug Ай бұрын
霊を見る力は腸内細菌の酵母の力を借ります。 酵母とは母と赤ちゃんをつなぐ力 昔は縁日に甘酒を配って「つなぐ力」を強化しました。 他人の痛みが分かれば争いも減るからです。
@yamorij1997
@yamorij1997 3 ай бұрын
邪馬台国も、やまとのたいこくとすると、大和政権?みたいな感じだし 卑弥呼も、ひのみこさまとすると日の皇女(みこ)だしねえ。 音だけ拾って漢字を当てるとすると、当時の中国語の発音が正しく解る必要があるけどね。
@tadano1zinnminn
@tadano1zinnminn 5 ай бұрын
蘇我氏のルーツはスサノオだと聞いたコトある❗🤔 スサノオが建国した出雲の地にはスサノオに似た発音の場所があるらしい❗🤔
@hideyuki4736
@hideyuki4736 Ай бұрын
「ヒミコ」が役職名だとする説もありますよね。 そして、魏志倭人伝の記載の通り道順を辿ると邪馬台国は阿波にあったと、浪漫ですね~
@ryohkchan910
@ryohkchan910 Ай бұрын
三國志自体が偽書だと作者本人が明かして一度取下げてたのを 後に出された物と 魏志倭人伝についても 書の通りに辿っても何処にも着かないから罪はないと 書かれてる書を昔読みました
@auaua-c6u
@auaua-c6u Ай бұрын
卑弥呼はグローバルにおいては知名度があり魔王とも呼ばれている一方で、国内では覇権が取れなかった、そう、ピコ太郎みたいなもんだったのです。
@希望匿名-r6j
@希望匿名-r6j Ай бұрын
普通に考えて、奈良時代の人が500年も前の話なんて知りようがなかったんでしょう。現代は中国の歴史書が読めるからわかるだけで。
@みい-f3o
@みい-f3o 2 ай бұрын
男で誰か一人が出しゃばると国が乱れ、女王を立てて占いで「神がこう仰せである」っつって纏めてたの、どこの国だか分からんけどやりそうだなとは思う
@MickCorgi
@MickCorgi 2 ай бұрын
なるほどつまりアマテラスの時代から日本はヤマト国だったのですね!
@tadano1zinnminn
@tadano1zinnminn 5 ай бұрын
物部氏が編纂したとされる先代旧事本紀や武内宿禰命が編纂したとされる正当竹内文書からは卑弥呼の存在は分からないモノなのか❗❓🤔
@dkakf8078
@dkakf8078 6 ай бұрын
邪馬台国もなんか大和国の発音に似てる気がする 当時の日本ではどんな発音で自国名を呼んでいたのか? 三国志で語られる当時の魏国人にはどのように聞こえていたのか?(これはヤマタイコクか) 訛りが酷くてヤマトコクがヤマタイコクに聞こえてただけのような気がする 知らんけどな
@wayamato9226
@wayamato9226 6 ай бұрын
卑弥呼の邪馬台国と⚔戦争していたのは南側にあった卑弥弓呼と言う男王
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