衝撃!日本最古の原住民族「宇佐族」はなぜ滅亡したのか?

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古代ずんだミステリー

古代ずんだミステリー

Күн бұрын

Пікірлер: 80
@沙流汰彦
@沙流汰彦 Ай бұрын
このずんだもんはバラエティー豊富で飽きなくて好きです。
@saika358-11
@saika358-11 Ай бұрын
宇佐神宮も、 白兎神社も 豊玉姫も大好き🎉🎉 素敵なムービーありがとうございます☀
@poipoi6
@poipoi6 Ай бұрын
とうとう宇佐族も知られたか、、、。大分県はたくさん不思議な遺跡があるのに、なぜか有名にならないのよね。
@110nari8
@110nari8 Ай бұрын
その理由は、邪馬台国論争が原因ですよね。 全てが九州で起きた事 全てが奈良で起きた事 此処から離れない限り、本来の九州の歴史にスポットが当たることはないんじゃないでしょうか? 故に、伊都国中心説とか地元の伝承が全く反映されない亜種の説が跋扈するのだと思われます。
@田﨑榛名
@田﨑榛名 20 күн бұрын
陸の孤島なので。 結構、時代を先取りした文化とかありますよね『宇目の子守唄(喧嘩歌?)』なんて世界最古(?)のMCバトルとか… 初めて聞いた時ドン引きしたわ。
@110nari8
@110nari8 20 күн бұрын
不思議と九州の方々は邪馬台国さえ九州にあればよいと考えているのか、金印と安曇以外、どこにもスポットを当てませんよね~。宇佐に留まらず橋本家とか、物部女系の本家筋とかも今でも続いているのに
@okametti_U80
@okametti_U80 Ай бұрын
大元出版って出雲口伝の伝承者という富さんの子息が立ち上げた出版社で、父上から受け継いだ出雲口伝の本を出してますね。だからかよく似た話だなと思いましたw 魏からもらった八つの旗から八幡はよくできた話で面白いよね。私は大分県人なんで宇佐神宮のある亀山が卑弥呼様の陵墓だったら嬉しいなと思ってますw 実際石棺が二つ存在することは確認されているので。
@110nari8
@110nari8 Ай бұрын
おもと山でしたっけ、奥社のある。豊玉姫の遺骨は分散されて、本殿とその奥社に葬られたような事が書かれていたと記憶しています。
@okametti_U80
@okametti_U80 Ай бұрын
@@110nari8大元出版の本の説明を見ると、出典が書かれていないものは古代出雲の旧王家の伝承による、と書いてあります 世界観のよく似た本が出るわけですねー 面白いっす🤣
@talksoldier8059
@talksoldier8059 Ай бұрын
なんかいろいろと引っかかるけど左の子がかわいいからいいや! エンターテイメントだしね!ウサウサ!
@saigyoh
@saigyoh Ай бұрын
宇佐族かどうかは別にして、紀元前7000年頃の興隆窪文化(満州)と三内丸山(青森)の出土品に多くの共通点がある事からも、何らかの民族移動があった可能性はありますね。 ただ興隆窪文化の担い手はコーカソイドで、青い眼をしていたそうですが。
@bobuGsan
@bobuGsan Ай бұрын
月や星を信仰の対象にしていたというところに出自を感じさせますね。 今でこそ神道は一つの宗教となっていますが、かつては氏族毎に信仰がありそれぞれに神がいたと思われます。 日本が八百万の神が存在する国になったのは、自然崇拝の土壌に加えて渡来人が色々な信仰を持ち込んだことが由来していると思います。 話の宇佐族が祀る神が変化することから、他の氏族との離合集散があったのだと推察されますね。
@FukuchiDaizu
@FukuchiDaizu Ай бұрын
色々と怪しいところ(仮説と事実の境界が不明瞭など)はあるように感じられますが、とても面白かったです。 他の仮説にあった、日本側の記録が不明な遣隋使の初回に「日中に政務しないのは非合理的だ」と指摘された話にも月神信仰の側面から繋がりを感じました
@poipoi6
@poipoi6 Ай бұрын
宇佐族は秦氏を誘致して融合したと思う。
@biwa108
@biwa108 Ай бұрын
因幡の白兎の話を聞くとサメやワニがウサギを襲っているので同じ出雲族である和邇氏と戦闘して大国主の仲裁で滅ぼされはしなかったけど敗北したと思う。その後、和邇氏は継体天皇まで和邇氏と娘と多く婚姻関係がある。記紀には和邇氏の娘が多く出てくるが詳細が不明。また和邇氏の中に春日氏がいたが本拠は春日大社のあたりで藤原氏が乗っ取った事を書きわけにもいかず天孫降臨から最初にいた存在にするには和邇氏の記述も詳しくは書けず宇佐氏(宇佐族)も関係性も書けないと考えられる
@keichan1108
@keichan1108 Ай бұрын
こんにちは。六千年前と言えば縄文時代?そんな古くから大活躍の物部一族って、 ひょっとして聖徳太子の飛鳥時代に蘇我氏と戦って破れた物部氏のご先祖なのでしょうか?
@渡邊秀一-d2c
@渡邊秀一-d2c Ай бұрын
埼玉県浦和市の調(つき)神社の祭神はウサギ。
@Do_Na_306
@Do_Na_306 Ай бұрын
月信仰と星信仰 まるで月と星を国旗に持つ月の国トルコみたいな
@カルパ-j2r
@カルパ-j2r Ай бұрын
トルコと言えばタガーマハランとヤマァド王国
@Richlind-ws7yt
@Richlind-ws7yt Ай бұрын
日輪信仰と月信仰(クマ信仰)の対立は古代朝鮮半島にもあったそうだね。
@user-me5ie4my9p
@user-me5ie4my9p Ай бұрын
半島の最古の土器が縄文土器だから、列島から半島に人々が移り住んだときに、日神信仰とかも定着したのでは。
@ネギトロー
@ネギトロー Ай бұрын
「ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち」というイギリス児童文学の話にちょっと似ている。 兎達が予言を受けて軍事勢力の侵略を受けながらも自分達の理想郷を求めて旅をする話で、兎達は月は魔力がある恐ろしいものと考えてる。
@コープスボンスピマン
@コープスボンスピマン Ай бұрын
キャラデザかわいくなってますねぇ🎉
@katsunhassyarn6582
@katsunhassyarn6582 Ай бұрын
面白い。
@アルトアラタ
@アルトアラタ Ай бұрын
新潟に出雲崎という地名があったけど出雲王国の名残りなのかな そういえば宇佐美って越後の戦国武将もいたねぇ(本当に実在していたのか不明)
@bobuGsan
@bobuGsan Ай бұрын
@@アルトアラタ 出雲という地名はあちこちに残っていますね。 主なところでは奈良県桜井市の出雲、京都府北区の出雲路など。 大和朝廷が成立する前は日本海沿岸の他にも丹波から大阪、奈良は出雲族の支配地域だったと思うんですよね。 地名の他にも出雲神話に登場する国津神の大物主が三輪山に祀られている点とか、長髄彦の別名が登美彦で出雲族の名(トミ)が使われていることなどが根拠ですかね。
@すなこ-h1e
@すなこ-h1e Ай бұрын
出雲族と日本海側、コシの国との行き来は神話の中から頻繁にありますね
@ryukyuteada2911
@ryukyuteada2911 Ай бұрын
宇佐には確か宇佐高校があって、そこの野球部のユニのロゴがUSAだったから、アメリカ味があるってちょっと話題なったな😅
@うさけんちゅーば
@うさけんちゅーば Ай бұрын
宇佐八幡宮に行くと 仁徳天皇のお社も ありますね 御許山に誕生したので その向かい側にある山は 宇宙船が降り立つのに 便利良さそうな 山もあるし 地形も 分かり易い 歩いてまわると 納得できそうです
@user-me5ie4my9p
@user-me5ie4my9p Ай бұрын
応神天皇の間違いでは?
@うさけんちゅーば
@うさけんちゅーば Ай бұрын
@user-me5ie4my9p 何回もおまいりしないと わからんでしょうね
@いちごみるく-d2g2c
@いちごみるく-d2g2c Ай бұрын
まさかの出雲大国とは😳 ̖́-︎ 攻めますねぇ~ずんだもん🫛
@htNk65gh89
@htNk65gh89 Ай бұрын
興味深い…
@izumo4283
@izumo4283 Ай бұрын
9000年前というのでピンときたけど、2021年にネイチャーに載った、トランスユーラシア語族のルーツは農業にあったという論文も参考にしてんのかな。 その研究では、9000年前に今の中国の北部の西遼河流域でキビ農耕をしていた民族が、分散して日本、朝鮮、マンゴル、トルコ、ツングースなどの共通の語順を持つ語族の祖先になった。朝鮮半島には6500年前、日本列島には2900年前に伝わった。それとは別に水耕稲作についても同時に研究していて、水耕稲作が今の中国の遼東半島まで北上し、3300年前に遼東半島や山東半島から朝鮮半島に渡った。そこでトランスユーラシア語族と水耕稲作が出会い、2900年前の縄文末期の日本列島に渡ってきた。言語学、考古学、DNA解析を使った43名による共同研究。日本人も14名。非常に面白いので全文を読むのをお勧めします。主筆のMartine Robbeetsはドイツのマックス・プランク人類史科学研究所。
@高田修次-k1f
@高田修次-k1f 29 күн бұрын
ガソリンスタンドの宇佐美様、お疲れ様です😊
@naonao1083
@naonao1083 Ай бұрын
うさぎかわいい
@チーコ先生
@チーコ先生 26 күн бұрын
八幡しゃまのルーツになるお話ね!
@Sage-kf7eg
@Sage-kf7eg Ай бұрын
兎が闇落ちして鬼に、、 いや、漢字の字面的にだけど
@ダークサイドX
@ダークサイドX Ай бұрын
まあおいらの家は宇佐市だから知ってるよ宇佐平野は海にも山にも近く今でも大規模な稲作が主で風土記の丘には遺跡があるし宇佐八幡宮から出雲へという流れは歴史に残ってるしね。
@森岩光
@森岩光 Ай бұрын
兎族→兎佐族 (宇佐族) 故に、古事記は 兎佐(宇佐)族を 素兎と表記して 素兎。を シロウサギ。 とよませた。 彼らはある程度素性が解っている 西日本最古の大族。 中心地域は今の吉備(岡山)辺りだったらしい
@たかまる-v3u
@たかまる-v3u Ай бұрын
なぜ月の模様がうさぎのもちつきなのか。 ウサ族が太陰暦を司っていたことから、満月=望月の模様といえば、うさぎのもちつきになった、ということか。
@ky4034
@ky4034 Ай бұрын
宇佐に天津って地域あるよね
@五尾の狐
@五尾の狐 Ай бұрын
日巫女たくさんいたのかな?
@ヤチニク
@ヤチニク Ай бұрын
MMR味が良いね
@fxdbgogo
@fxdbgogo Ай бұрын
年代ガバガバ 距離感ガバガバ ホント酒を飲む時のツマミにピッタリ
@天草後日には
@天草後日には Ай бұрын
今居りますわ😅
@snack-gon
@snack-gon Ай бұрын
じゃあ、セーラームーンってもしかしたら・・・。
@qptsutara
@qptsutara Ай бұрын
まぁ、楽しければ良い、、訳あるかーい。
@winlaurels244
@winlaurels244 Ай бұрын
兎 兔 どっちもウサギだけど、ツノが生えてますね🐇が鬼👹に
@yahootaroo
@yahootaroo 10 күн бұрын
宇佐族は太平洋を渡ってUSA族に・・・なりませんよね、やっぱり
@ひきがえる-e8i
@ひきがえる-e8i Ай бұрын
「宇佐族」がもしあったとすれば、「日本書紀」に記載の応神天皇の時代に「弓月の君」に率いられた一団で、「宗像族」に連れられ海を渡って来たと思われます。そこは「隋書俀国伝」に記載の「秦王国」と呼ばれ、後の「豊前国」になると考えられます。卑弥呼の時代、邪馬壹国の領域にはなると思いますが、時代が合わないと思います。そこの人たちは「秦氏」を名乗り、後に山城国に移動したのではないでしょうか。
@takeocello
@takeocello Ай бұрын
思われる、は主語貴方ね? と考えられる。考えることが出来るってだけの話? そもそもこの動画も広い意味での「考えられる」て説を面白がってるだけじゃん。
@ちりめん居坐
@ちりめん居坐 Ай бұрын
@@takeocello 色々考えられるのが本当の多様性、今の多様性は偏った勢力を利用してその他を迫害する。
@ひきがえる-e8i
@ひきがえる-e8i Ай бұрын
返信ありがとうございます。 可能性を追求したら、私にはこのように考えることができる、ということですね。過去において地名や遺跡は移されているようなので。これも私が考えるだけなのかもしれませんが。
@user-me5ie4my9p
@user-me5ie4my9p Ай бұрын
宇佐一族については、もっと古い記録があります。 神武東征のときに神武天皇を宇佐一族がもてなし、家臣に娘を嫁がせています。 大阪湾の形状の地質調査の結果から、神武東征があったとすれば紀元前くらいのこととおもわれます。
@宮壱
@宮壱 26 күн бұрын
残念ながら機会音が聞き取りにくく話が入ってきにくいです😢
@hidekatsu1215
@hidekatsu1215 Ай бұрын
いろいろといなくなる、参加しないのにサンカとかなんだよ日本
@ちりめん居坐
@ちりめん居坐 Ай бұрын
@@hidekatsu1215 サンカは7万年以上前にアラブ半島で発祥した民族で、日本最古の先住民(4万年以上前)で最古の磨製石器を使ってた狩猟民族の末裔、山岳信仰(続縄文文化)の祖で(国津神)。 国津神には、水運漁労民「ワダツミ(綿津見)」の民もいる。 Y染色体的には(CとD)で、日本男性の約3分の1。
@enigma0307
@enigma0307 Ай бұрын
ウソやろ? 我々はアメリカの子孫のはず…… USA!USA!
@やまこていのっち
@やまこていのっち Ай бұрын
市の入口に、自由の女神立ってますしね👍
@bankstone8666
@bankstone8666 Ай бұрын
そうだ!ISSA神宮に、お参りせよ!
@ipn-g
@ipn-g Ай бұрын
アメリカ人なんですね、日本人は。
@真夏のまなったん
@真夏のまなったん Ай бұрын
なんや 民明書房なみの胡散臭い書物は
@Harutoshi86104
@Harutoshi86104 Ай бұрын
宇佐族がいて そんなに古いのなら なぜ宇佐八幡宮の主祭神が1世紀頃生没の応神天皇なのかな 応神天皇は後に宇佐八幡神に成り代わった天津神系の乗っ取り神だよ 伊勢神宮の主祭神・伊勢大神も 熱田神宮の熱田大神も 古くからいった地元の神で 日本を統一するために 天照大神が成り代わったのだ この成り代わりを最初に行ったのが天照大神であって 宇佐八幡神の応神天皇成り代わりはその後のこと しかし宇佐八幡宮はそれ以前からある 宇佐氏が宇佐八幡宮の神官として繁栄したのは事実として それ以前の宇佐八幡神と宇佐氏の関係はない 応神天皇以後の神官なのだから 宇佐族というのは 創作だな
@iooqooq1791
@iooqooq1791 Ай бұрын
だったら宇佐神宮の神様の並び、何であんななの?すごく不自然なんだけど。知ってて言ってるのか俺は知らんけど。
@110nari8
@110nari8 Ай бұрын
これには記紀上の記述のルールがあって、それに反しない限り、各々の主張は許されるという事を逆手に取った設定です。 記紀は同じような事を繰り返し約3回書いて、都合の悪い事(朝貢の事実など)を上書きして消していますが 神武は3人の人物をあてて架空化されています。①海部家の村雲②磐余彦(物部佐野命):一度目の東征③物部イニエ(崇神):二度目の東征 宇佐族は、イニエを神武とする設定で伝承を残しているだけです。イニエと豊玉姫の子の血筋が上州の上毛野家。(つまり応仁すり替え説に関連します)上州に居た毛野部は、もののべをもじったものです。 物部氏(女系アタツ姫)である垂仁は物部氏(女系豊玉姫・宇佐族)を裏切ってヤマトから追い出しました。故に、崇神を神武とし、垂仁系を認めない立場から、応神の父を神武としています。 出雲口伝の先代継承者であるマサオ氏は村雲から欠史八代を神武とする設定で一部口伝を公開 和歌山の橋本家は本来の物部総本家(亡くなった物部五瀬)ですが、磐余彦を神武とする設定で口伝を公開 出石神社の旧社家である神床家は物部氏による2度にわたる東征の伝承を保持しています(渡来系であるため、神武の設定を保持していない) 宇佐古伝でも2度にわたる物部東征に言及 弓前文書でも東征は複数回が臭わされています 記紀は、一人の人物を別の名に変えて時代を変えて事績を書くことで胡麻化しているそうです。 故に、ナガスネヒコ(実際には大彦)や架空の神スサノオが出てくる伝承は、記紀の影響を受けた書物という事になります。 ナガスネヒコ(神代)大彦(紀元後2世紀)は同一人物で、事績を分散して書かれています。本当の名は中曽大根彦。これが二つに分けられ、中曽根彦(ナガスネヒコ)と大彦に分かれ、万世一系の設定の為、ボコボコにやられた事実を隠し、皇室の部下である将軍にされました。 万世一系にすると、敵と味方が逆転するので、神武の特異点において政権交代時にそれが発生します。 つまりA東征してない神武、B東征した神武(一回目目東征)、C東征した神武(二回目東征) 故に明らかに前政権の事が書かれているのに、敗れたナガスネヒコの政権の王様が出てこない訳です。 ナガスネヒコは東征してない神武のやられちゃった海部家の人物で、紀元後2世紀から神代に飛ばされました。 神代の設定にが必要になった理由は出雲の国が存在した時期にかぶせて出雲国を神話化して分からなくするためです。故に、海部家が出来る4世紀も前に天孫(神武)が国譲りを云々の形になり、3度繰り返される最初の設定になったわけです。 記紀は、恐らく後年の中心となる部分を最初に決めた後にそれぞれの上書きの時代にコピペし、書き始められていると考えられます。(つまり、古くからあり、大陸に提出するのに有利だった古い王権をあえて消して、設定上、出雲の王様を皇室から外し、自分らの先祖を出雲の時代にかぶせて古く見せかけ、大陸に日本書紀を提出した)                                  宇佐も同じように記紀服属で、元から九州に居た氏族なのに、書かれなかったことにより、分らなくなってるだけです。
@Harutoshi86104
@Harutoshi86104 Ай бұрын
@@iooqooq1791 1・左=応神天皇 2・中央=比売神(宗像三女神) 3・右=神功皇后 宗像三女神は八幡神の母だからです
@mik5703
@mik5703 Ай бұрын
@@110nari8よく整理してくださいました。ファンタジー要素の排除でだんだん見えてきますね。
@110nari8
@110nari8 Ай бұрын
@@Harutoshi86104 宇佐神宮の本殿の配置は、応神がイニエの後妻、つまり女系豊玉姫(ウサツ姫)の血筋であることを後年に知ったから。あとになって配置が変更されたとされています。         元々は社稷神、宇賀の御霊系の、月神信仰だったらしいですね。 宇佐神宮は途中で応仁が自分の先祖であるという話を聞いて喜んだのだそうです。 ただ、記紀のルール、とりわけ日本書紀の書き方には従わないといけませんので、上毛野君ではなく、応神と神功皇后を一緒に祭る形にしたらしい。 現在でも真ん中の本殿の下には古墳の石室のような物があるとされていますので、本殿下が宇佐族の元々の信仰の中心、先祖の遺骨がある場所ではないでしょうか?           現在でも真ん中の本殿と拝殿では中心線がずれるらしいですが、どんなことがあっても真ん中の本殿は場所をずらしてはならないとされているそうですね。 それを正そうとしたら下から石室の様魔物が出てきたので手つかずでそのまま同じ配置で修理したそうですよ~
@abeyoshihiro0921
@abeyoshihiro0921 Ай бұрын
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