【超考察】宮下文書は何故、公開されたのか!?ヤバすぎる秘密をお話します!

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TOLAND VLOG

TOLAND VLOG

Күн бұрын

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@TOLANDVLOG
@TOLANDVLOG 2 жыл бұрын
ご視聴いただき、ありがとうございます!今回の動画はいかがだったでしょうか?いよいよ超考察がスタートしました! お詫び↓ 続日本紀は菅原道真でなく、菅野 真道が作ったものでした!完全に間違えて覚えておりました!申し訳ありません。。 TOLAND VLOGの最新情報が届く公式アカウントはこちら→ lin.ee/RrJArP6 【語り手サムのSNS↓】 linkmix.co/6994400 【聴き手マサキのTwitter↓】 twitter.com/happypunk8 【事務局長くどぅのTwitter↓】 twitter.com/DesignShaft
@ur-a-la
@ur-a-la 2 жыл бұрын
いつもありがとうございます。前々から思っていまして、迷いましたがコメントします。当方は、その血筋であるのでお伝えしておきます。中臣家=藤原姓ではありません。藤原不比等(ふひと)の末裔と、不比等(ふひと)の外戚の尾張氏(外孫に藤原姓を譲った)だけが【藤原姓】を名乗りました。中臣氏の血筋の本家は中臣氏、大中臣氏、分家は、卜部、吉田です。だから、鎌足次男の不比等(ふひと)の末裔だけが「藤原氏」で、尾張氏(物部軍事)という不比等(ふひと)の『外戚』が【藤原姓】を名乗っている、と表現します。「本家」に当たります中臣、大中臣は、藤原氏ではありません。ご参考までによろしくお願い申し上げます。
@ur-a-la
@ur-a-la 2 жыл бұрын
実際に、春日系神社へご訪問されてお話を聞いていただけたら分かると思います。当家はいわゆる「隠された一族」ですが、当方も当家自身のことを訪問して伺いました。不比等(ふひと)の末裔は外孫に【藤原姓】を譲っています。ですから、藤原不比等の末裔だけと、尾張氏のみ、藤原姓を使いました。そのほかの「実際に中臣血筋を継いだもの達」は、藤原姓は名乗っていません。分家して、吉田氏の場合は独自の吉田神道をはじめたり、藤原とは別の姓で活躍をしています。このポイントだけよろしくお願い申し上げます。
@ur-a-la
@ur-a-la 2 жыл бұрын
誤字訂正箇所 中富▶︎中臣 富家と間違いそうな誤字申し訳ありません。ちなみに、当家は吉備卜部(うらべ)であり、吉備隼人(はやと)です。神社関係者にはさらにこの先の事実を伺えました。実際に血族と対話するともっと閃くと思います。頑張ってくださいね。
@ぼーちゃん-y6i
@ぼーちゃん-y6i 2 жыл бұрын
ちょっと情報を精査したいので 簡潔に詳しく聞いても良いですか? 中臣鎌足→藤原に賜姓により改名、 よって息子の不比等も出生時は 中臣姓で父の改名と共に自分も 藤原へ、 だけど中臣家自体は≠藤原家、 藤原家=鎌足、不比等の直属の末裔の 元・中臣家の一部or藤原姓を譲った不比等の外孫 ってことですか? ってことですか?
@ur-a-la
@ur-a-la 2 жыл бұрын
はじめに、天智天皇(中大兄皇子)は、鎌足の死を哀しみ、鎌足の【死後】に、藤原姓を与えました。(正確には亡くなる5日前みたいですが、もうほとんど機能していないです)【死後】に、だから、鎌足が現役で賜ってはいません。それは中臣一族が賜りましたが、【大中臣氏】が初代の氏上として継いでいます。しかも長期間です。何故か、文武天皇時代にわざわざ勅令が出され、不比等(ふひと)末裔のみが「藤原姓」を名乗って良いとされました。文武天皇は不比等の娘婿です。 その時点に、藤原不比等(ふひと)の末裔のみ(中臣氏一部です)【藤原姓】を名乗る決まりになっています。(と伝え効いているし、春日系神社関係者もうなづかれました) その後に、外戚になった尾張氏へ(物部系、海部氏ではないですか、外孫)も藤原姓を名乗って良いとされているので、実質、不比等末裔と外戚のみが【藤原氏】という意味となります。 また、卜部氏(うらべ)の祖の真根子命(まねこのみこと)は、中臣烏賊津使主・雷大臣命(なかとみのいかつのおみ)という「中臣」の御子です。 当家、卜部(うらべ)は、この二人から分家したと松尾大社系図にありますが、ふと見たら、尾張氏が、中臣烏賊津使主・雷大臣命(なかとみのいかつのおみ)を祀ったりしています。 本来では、烏賊津使主や真根子命(まねこのみこと)は「卜部の祖」と言われていますが。 それに烏賊津使主は、後から中臣になっていたりします。そもそも中臣氏は初代が黒田氏の常盤です。 卜部氏があとに発生していません。宮内庁参照の【大中臣氏系図】にも記されている公式な事実ですが、中臣氏は黒田氏で欽明天皇の時代に初めて「中臣氏」を名乗りました。 なぜ、根拠もなく卜部氏(うらべ)が分家になってるかは謎です。 卜部氏(うらべ)とは百済(くだら)との混血、つまりは、もともと先住した百済のフルネ系の出雲人の家系でもあるし、中臣とも血縁でしょう(後からです)。 あとからやってきた白村江の戦い以降の百済(くだら)は、また出雲の百済とは別のグループです。しかし、わたしどもは混血で、当家は【中臣氏(なかとみうじ・なかとみし)系図】にも【秦氏(はたうじ・はたし)本系帳】にも載る家系です。 当家は、高御魂命(たかみむすひ)の御子神の祖神があり、斎部・忌部氏(いんべ)も祖神が兄弟神です。天児屋根命(あめのこやね)は数代後の人物です。 中臣氏は卜部氏(うらべ)から発生し、その後に、宗像の占部などが派生しました。卜部は亀卜、占部は宗像系で骨卜のこと。 宗像系占部も、卜部氏(うらべ)から派生していますから、厳島神社は、原初に卜部氏が祀った【伊弉諾(いざなぎ)】から、宗像の占部の祀る【宗像三女神(沖津島姫・江ノ島姫・市杵島姫)】のうちの市杵島姫命(いちきしまひめ)という女神に変えられました。 中臣氏は黒田氏、そして藤原姓は不比等一族のみと尾張氏です。五摂家は、藤原氏、鎌足の子孫ですが、摂関政治の貴族は、さらに限られた藤原姓です。大中臣が藤原姓初代でしたが、大中臣氏は伊勢神宮祭祀家系などのことです。 藤原姓は中臣氏ではない。何らかの目的で「特別に作られたエリート家系」のように把握してます。さらに物部系、海部氏系という事です。 時代的にみたらわかりますね、海部氏系は、大海人皇子、天武天皇ですね。 という事です。 これを当方がはじめて古事記や古史古伝などを読ませていただ後に(当方一時クリスチャン)疑問に思い、春日系神社(今は伏せます)へ確認したら、その通りと頷かれました。 中臣から続く血を実際に引いているという意味での一族多くは、上記の流れから【藤原姓】でなく【中臣ではない別の姓の方々】が多数であると思います。正統な〜家というのは、家的な意味でしょうが、本当の血筋という意味では、藤原姓がその中心ではない様に思っているので、コメントしました。 さらに、鎌足の子は不比等(ふひと)だけではありません。御子息と呼ぶ方々は何人かいらっしゃいます。まず「定恵」と「不比等」です。長男の「定恵」も中大兄皇子(天智)から賜っていると伝えられます。その点があるからのコメントです。 また、当家は卜部(うらべ)ですが、社家系図からも分家とされるから分かりやすい家系です。しかし、それも、天児屋根命(あめのこやね)よりも古い世代の始祖を持ちますから、同血族であると思いますが、果たして本当に卜部が分家なのかは、精査中です。 それ以上については、当家は中臣本家でなく、公には分家とあるため、当家が中臣家の方々の事を公式の様には語れません。しかし、確かに、物部氏(もののべし)とは非常に近しい血脈です。少なくとも古くから混血をしたりはあります。(よく動画主様が日本神話動画にまとめられています。) 後は、どの時代もどこかの氏族が力を一点掌握したりはあります。物部氏台頭の時期の前には【鴨王国】というものが「吉備」にはありました。鴨王国は鴨氏と隼人(はやと)の王国でした。そして、当家は、吉備隼人(はやと)の末裔で、吉備卜部となりました。当家は斎部・忌部氏(いんべし)のほうが近しい世代の血筋です。天児屋根命(あめのこやね)は、天太玉命(あめのふとだまのみこと)よりかなり後の世代です。 当家は 天月神命(あめのつきのみたまのみこと)を祖神にしますが、天太玉命(あめのふとだまのみこと)とは兄弟神です。高御魂命(たかみむすひ)の娘の三穂津姫、つまり、事代主(ことしろぬし)の母も兄妹の世代です。さらに、もっとあとに、天児屋命/天児屋根命(あめのこやねのみこと)は系図に登場します。 忌部と卜部は、同じ様に「隠された」というのはあると思います。 以上しか今は語れません。各社家の御由緒や御祭神を、誰、どの氏族が祀ってきたか?など、注意深く見ながら、考察をしてみてください。動画主様方が紐解いてくださいますでしょう!
@110nari8
@110nari8 2 жыл бұрын
@@ur-a-la 様 中臣家は、本当は卜部家の分家で、最初は中津臣家を名乗っていたようですね。(出雲から嫁さん貰うと臣家になる) 記紀の編纂時は、不比等は「タテカシマの子孫であり、国造家出身の八井耳系(つまり多臣家の安麻呂とは親戚)の父親である鎌足」が中臣家に養子入りした事で、混同が始まったようですが、仲哀天皇は実は九州の豪族である中津臣だったそうですよ。故に、諡号がナカツヒコになったと。 つまり、尾張氏は、村雲や大彦(中曽大根彦)の父系の実家であり、八井耳系の家であるので、藤原氏とは親戚になるんですよね。 鹿島は古くは大彦や出雲系の土地(祭神は、奈良の磯城登美家のミカヅチ)でしたが、後年に入ってきた八井耳により母系尊重でミカヅチはそのまま残された様です。ほどなくして中臣、もしくは卜部氏が神官を務めるようになったと。 その関係で、弓前文書の継承者(中津身)が、藤原でも中臣でも継承できるようになっていたはずです。 出雲系のその土地では、千鹿頭神が居たらしく、それで奈良に鹿が春日から流れていったようです。 中臣家は一説によるとヒボコに近い、息長家とも親戚だったとされますので、律令時代に中央構造線に沿って那賀郡と海部がおかれ藤原体制が確立した際には、海部と同格で非常に重用されたと考えられます。 那賀郡の並びの両端には鹿島がおかれ、何と九州にも鹿島があるわけです。 春日大社の本殿を見れば分かります。本来の欠史八代の母系の出雲系の家(事代主の系統のクシヒカタ)にミカヅチが居ますが、それが真ん中の本殿で祀られ、明らかにコヤネのランクは下がっています。それは、藤原が八井耳系であり、半島の渡来人ではない事を表しているからだと思います。 渡来系と混同されたことにより、鹿島を乗っ取ったと言われる様になっちゃったんですよね。 是非、コヤネに関しての情報を頂きたいです。コヤネは謎の神様で、天神系譜でもいじられ、ホアカリの母親である高木神に注釈が加えられ、高木神はコヤネの奥方であると注釈がある系図があります。 また、本来は出雲系の一族である忌部氏が大陸出身を偽装して系図をいじった時期があり、それがコヤネから繋がる系図になっています。 つまり、コヤネがそうであるのであれば、中臣家や卜部家は半島ではなく大陸系の一族になるわけです。 そうするとヒボコも大陸系になります。(元々辰韓は、秦韓ともいい、大陸系の韓の国でしたが) 半島系譜の鉄素材の輸入にもかかわっており、邪馬台国時代の東征事件に、九州側、つまり西軍を構成する豪族に中臣家が居たと考えています。 是非知っている事をご教授いただきたいです。コヤネより古い代の情報など、滅多に触れる機会はないと思います。
@naokisakamoto1758
@naokisakamoto1758 2 жыл бұрын
サムさんは独学でここまで紐解きして、凄いですね、ありがとうございます🙏
@夜桜ナル-u2z
@夜桜ナル-u2z 2 жыл бұрын
めちゃめちゃ面白い!神回!! 私は記紀に隠されてる物で注目してる物が3つ在ります。富士山、四国、星(星座)です。 ヤマトタケルの尊で富士山が出てこない不自然さ。神武東征に四国が出てこない不自然さ。そして海洋民族の日本人が星座を神話に織り込まない不自然さ。 ここに切り込んでくれるのはこの動画だけだと期待してます!
@yukitingala6480
@yukitingala6480 Жыл бұрын
いつもワクワクする配信をありがとうございます!TolandVlogさんの存在を知って日も浅いですが、すっかりはまって聴きまくっています。私の長年の関心の周辺を解き明かしてくださってるので、とっても面白い!!いつも配信可ギリギリの線まで攻めていただいてありがとうございます。 今回初めてコメントする気になったのは、ふと、岩手南部に藤原姓が多かったことを思い出して気になったからです。中尊寺があるので当たり前かもしれませんが…。 いつかの回で東北には行ったことがないとおっしゃっていましたが、もう行かれましたか? 私は沖縄在住なのですが宮城岩手をうろついていた時期があり、その時期にたまたま遠野で瀬織津姫の存在を知りました。ご存知とは思いますが、岩手宮城は、瀬織津姫の存在がとても色濃く感じられる地域です。巨石や、鬼や巨人の言い伝え、ピラミッド、ストーンサークルもある不思議の地、東北。ぜひ一度は実際に訪ねていただいて、サムさんのインスピレーションと深掘り研究をマサキさんの合いの手とともにお聴きしたいです。もうすでにそういう回があるなら、すみません。そのうち見つけ出して視聴できるのを楽しみにしています! 余談ですが、岩手の伝統行事と、沖縄の伝統行事が似ているとも感じています。なにかつながりがあるんじゃないかな…。
@Koishi288
@Koishi288 2 жыл бұрын
こちらのチャネルの信憑性はかなり高いと思っております。毎回新しい事実を学ばさせて頂き有難うございます❣️👍
@harryharry4263
@harryharry4263 2 жыл бұрын
ああああ早く次の動画をお願いします!!(←TOLAND中毒者) やっぱり富士山って特別なものを感じますよね。誰が見ても圧倒されて姿が見えるだけで声を上げるような山なのに、まるで無かったような扱いは逆に違和感。それを今この時に紐解かれる流れにゾクゾクしています!
@user-737
@user-737 2 жыл бұрын
富士高天原王朝は荒覇吐(アラハバキ)神を祀っていた。アラハバキ神は東北の神で大和王朝とは対立していた。富士吉田の太(だい)神社に行けばわかる。また南朝系と関係があり明治の時に格下げされた。
@水明-c4v
@水明-c4v 2 жыл бұрын
足柄峠は地元。あそこを通って山梨に行ったなら富士山🗻を見ないなんてことは絶対に出来ない。確かに記紀で富士山のことが書かれてないのはおかしいんだな。
@オレンジティー-r5x
@オレンジティー-r5x 2 жыл бұрын
本当に面白い😊 難しい記紀をわかりやすく楽しく理解出来る。これからも楽しみにしてます🌸
@2caful
@2caful 2 жыл бұрын
コヤスタさんの正統竹内文書でこちらに辿り着いてからトゥランドさんの動画にどっぷりです♪ サムさんのマニアックで軽快な語り口が大好きなんですが、 たまにサムさんにおいてかれてる印象のマサキさんが トークライブではうまーくサムさんのトークをアシストしてて場を丸〜くふんわりさせてるのを見てからすっかりマサキさんファンです! マサキさんのポヤポヤした合いの手にめちゃくちゃ癒やされてます〜!
@そそ山そそ次郎
@そそ山そそ次郎 2 жыл бұрын
やべぇ…面白い…‼︎ 藤原家マジで謎だなって思ってたんで 勉強になりました! 藤原系か藤原に近い人に、藤の字が入ってるみたいな話きいたことあったので 今現在も、権力すごそう…! やっぱ日本の歴史って独特で 大陸の歴史とは全く違う 血統がやっぱ鍵なんだなぁ!
@みややち
@みややち 2 жыл бұрын
最近このチャンネルにハマってます😊 ぜひ忌部氏についても調べていただきたいですね
@yuichirohiroi4358
@yuichirohiroi4358 2 жыл бұрын
とても興味深い内容でした。 熱量ある喋り方を見て、グローバルTPSの動画を検索してしまいました(笑) ありがとうございます!これからも楽しみにしています。
@AnneKate-e1l
@AnneKate-e1l 2 жыл бұрын
楽しみにしてましたー!!!!
@hikomasa9209
@hikomasa9209 2 жыл бұрын
楽しかったです!!😀 ありがとうございます! 『続日本紀』は「菅野真道(すがのまみち)らによる編纂です。 「菅原道真(すがわらのみちざね)」ではなかったと思います。。。16:30 確か間違いに気を付けようぜって中学の頃、試験勉強した際に友達に教えてもらった記憶があります。
@あめのみなかぬしみちしるべ神社パワー
@あめのみなかぬしみちしるべ神社パワー 2 жыл бұрын
本当に、命懸けのKZbinrになって来ましたね。 歴史解明の名教授になるか、死体になるか… どちらかですね。
@tsuda-yokoma
@tsuda-yokoma 2 жыл бұрын
最近こちらのチャンネルを知って、まだ全部は見終えてないけど、日本史や文書系のシリーズはある程度見終わっていて、 数あるこのテのチャンネルの中では、こちらがいちばん好きです❤️ サムさんの鋭い考察と語りのテンションに、マサキさんのゆる~い合いの手とくどぅさんの編集、もう完璧です✨ サブチャンネルのロケのほうもめちゃめちゃ楽しいし、こちらも更新してくれてとても嬉しいです😆 公式LINEも登録しますー🎵 (こーゆうのに登録すると、因果関係は判らないけど後から無関係で変なグループトークに招待されたりがあって嫌なんですが、トゥーランドさんはそんなことないと信じます!) もちろん次回のアップも楽しみにしていますね😊✨️ これからも頑張ってください☘️
@優楽-m8w
@優楽-m8w 2 жыл бұрын
「暗号を解き明かして公にして良いのか?」とやはりそこを考えられたんですね。そういうのも聞けて良かったです。公になる時代が来てるんだと思います!(たぶん 「あくまでエンタメ」や「考察の一つ」として、とても楽しみにしてます😊 ただ説得力が有りすぎて、もう、サムさん考察が正解としか思えない所が多々有ります笑。
@c9657s
@c9657s 2 жыл бұрын
感謝!
@sawanaga3417
@sawanaga3417 2 жыл бұрын
いつも楽しく拝聴しております!富士山というと、役小角なども関係してくるのでしょうか?続きを楽しみにしています。
@terasoulsb
@terasoulsb 2 жыл бұрын
右のボケ役の人がボケながら説明するのが重要
@スターシードしおり
@スターシードしおり Жыл бұрын
なんとなく流れは理解している時はありすが、古事記とか多少知っている部分があってから聞いていても、細かい部分は覚えていなかったりして、何十回が同じものを聞いていないと神様や登場人物の名前についていけないことは多々あります。 サムさんの頭?おそらく守護神や守護霊様、指導霊のような存在と一緒になり紐解いているのかもですね。 一つの動画を何十回も繰り返し繰り返し聞いたらやっとついていけそうなレベルですね。😁 日本のルーツの縄文時代の話のとき、 相方さんが、「弥生めー」と言ったときマジ共感しました。 日本人は虫の鳴き声などがわかるが外国人は雑音だと、虫の鳴き声がわかる日本人はYAP遺伝子持ってる訳ではないのですよね? 日本人はほとんど虫の鳴き声わかるけど、YAP遺伝子がある4割の日本人は優しい遺伝子持ってかどうか?は遺伝子調べるしかわからないですか?
@555koneko4
@555koneko4 2 жыл бұрын
めちゃくちゃ興奮です!次回楽しみ!考察知識エグ過ぎて尊敬✨ 今日、札幌で開催中の法隆寺展行ってきたんですが…飛鳥時代の小さな仏像の裏に「漱加大臣の為に作った」内容が書かれていた、と。漱加大臣=蘇我大臣、かなぁ?
@ななこぷりん
@ななこぷりん 2 жыл бұрын
サムさんの熱量で、27分あっという間の回でした!めっちゃ面白いです! 記紀は作らなければいけないものとして作られたんだろうな… 確かに初めて日本史習った時に、蘇我氏突然出てきた…と思いました。 次回も楽しみにしてます! いつもありがとうございます😊
@S春香
@S春香 2 жыл бұрын
私は神奈川県在住ですが、足柄峠は富士山の撮影スポットでもあります😁 何度か行きましたが、めっちゃ良く見えます。天気が悪いと見えない可能性はありますが、酒折宮まで徒歩ならかなり時間もかかるでしょうし、気がつかずに通り過ぎるというのはありえないと思います。
@ytsnn3
@ytsnn3 2 жыл бұрын
俺の聞いた話では、藤原姓は、藤ともいい、トウと読めば、唐で、唐の人らしいです。時期的に白村江の戦いの少し前あたりに現れているので、唐からの密偵で、敗戦後は、権力を奪取して日本を支配したという筋書きでした。まあ、専門外なので真偽のほどは確認しようもありませんが。
@spvol2mongen778
@spvol2mongen778 2 жыл бұрын
可能性はあると思います(^^) 副書作製が『665年』中臣藤原物部麿呂(^^) 『663年』唐 新羅連合軍に白村江で大敗 太宰府も占領されています。 事実、熱田神宮に納められていた『村雲ノ剣』が‘新羅‘の僧?により奪われ 巡り天武天皇の手に渡り祟りによる病の占いにより熱田神宮に返ってきた事が秘祭『笑酔人神事』として今に伝えられています。 戦勝国による検閲、改ざんがあったはずです。 太宰府では『679年』南海トラフ大地震の前震『筑紫地震』で倒壊数多 甚大な被害がありました。 『681年~』藤原不比等(藤原史)が記紀の編纂開始。※日本書紀は漢文 この頃大和言葉の5母音から8母音の句が万葉集に出現。 鎌足の伝記を『籐家花伝』不比等の娘達は『籐三娘』 極めは中華を模した『平城京』は古墳を破壊し その上に建造しています。
@kireinakubikazari
@kireinakubikazari 2 жыл бұрын
言いにくいですがコヤッキースタジオの方が国葬に反対していたので、どこの国の方が神話系の動画を作っているか理解したうえで、もしかしたら半島系に有利な解釈に持っていく可能性もあり、注意深く見ていく必要はあるかと思います。
@weyfey
@weyfey 2 жыл бұрын
忌部氏は阿波で海部氏と仲がいい あと忌部氏はアジスキタカヒコネの賀茂氏と同じ民族でエラム王国から誕生した
@amnelice
@amnelice 2 жыл бұрын
待ってました超超超考察!暗号は逆に言えば解ける人は解いて良いって事ですものね!また藤原氏か!wと楽しくなってきましたw次回も期待しています(*^_^*)
@ねこむすめ-y2x
@ねこむすめ-y2x 2 жыл бұрын
宮下文書、地元ですので、とても面白く、聞いています。不ニ阿祖山大神宮は、珍しい三柱鳥居のある神社ですね。何回か行きましたが、お二人のお話で益々興味が湧いてきました! ぜひ、一度参拝しに来て頂きたいです🐾
@mitukiy.
@mitukiy. 2 жыл бұрын
面白いです。祭祀王にも関わってきそうです。わくわくがとまらないです。これからも楽しみにしています。
@あを-t4l
@あを-t4l 2 жыл бұрын
アメノフトタマノミコトとアメノコヤネノミコトの件は説得力があって腑に落ちる気がします 記紀の物語風は宮島文書を参考にしてるのかも。 考察めちゃくちゃワクワクします♬
@jumbo_jumbo_jumbo
@jumbo_jumbo_jumbo 2 жыл бұрын
久しぶりに見たらオープニングのクオリティやべぇことなってるw(褒め言葉)
@舞浜-x4q
@舞浜-x4q 2 жыл бұрын
非常に興味深い考察でした。とても楽しく拝見しています。今後も楽しみです。
@ぶよぶよ-k5l
@ぶよぶよ-k5l 2 жыл бұрын
素晴らしい。
@鯛-i4s
@鯛-i4s 2 жыл бұрын
最高っす
@anarcheologist
@anarcheologist 2 жыл бұрын
宮下文書の解説、とても感慨深く拝聴しました。面白いですね。富士古代王朝が富士山を崇敬しつつ、諸族共和を保っていた平和の時代があったとのこと。三輪義熈氏が、第一次世界対戦終結し、日本が戦勝国側で国家国民が好戦的に浮かれいた時代、中国を制圧しようと考え始めたこの時代に、この文書を出版したことに意味がある気がします。富士山周辺の美しい自然の中にいた平和を愛する徐福の子孫たち、起源が中国にある移民の子孫たちが、この時期に世の中の風潮に暗に疑問を投げ掛けたことに、この出版の意味がある気がします。
@26c62626yamashita
@26c62626yamashita 2 жыл бұрын
季節の変わり目でありますね。一日の寒暖差に 注意をして無理はせずに  がんばってほしいです。
@ritsuko4921
@ritsuko4921 2 жыл бұрын
はじめまして😊 コヤスタさんとのコラボからコチラを知り、いろいろ拝見させていただいております。とても面白い考察、楽しませていただき、ありがとうございます🙏✨ 色々な考察をされていらっしゃいますが、どの文献を参考にされての考察なのでしょうか? 例えばこちらの「宮下文書」、動画中にそれっぽい画像がいくつもでてきますがサムさんが読まれたのは「神皇紀」なのですか?「開闢神代歴代記」なのですか?それとも原本なのでしょうか? 他にもさまざまな考察動画を見ると、どこにそれが書いてあるの?と思います。 参考までに教えていただけましたらありがたいです🤗💕
@河内屋菊水丸
@河内屋菊水丸 2 жыл бұрын
カナン人藤原氏と元ニホン人物部氏の密かな闘い
@juppin2588
@juppin2588 2 жыл бұрын
ワクワクが止まりませんっっ😄
@金田和子-o3m
@金田和子-o3m 2 жыл бұрын
動画配信お疲れ様でございます😘
@dachisa8808
@dachisa8808 Жыл бұрын
いつもありがとうございます。 TOLANDさんの考察に毎回サブイボしています👍✨ 富士山と同じく記紀に出てこない四国のことについて、政府に爆破された神社が2箇所もある阿波国のことについて、忌部氏のことについて考察していただきたいです。 TOLANDさんお願い🙏🥺✨
@wizardlyazjito9276
@wizardlyazjito9276 2 жыл бұрын
ヤマトタケルは静岡県静岡市の草薙の剣を振るった伝説があり場所は日本平近辺なので富士山は一望に出来る場所です。あと近くの久能山東照宮には家康の墓があるのに、その後に建設された日光東照宮が家康を祀られているのも日本史の謎ですね。
@amanominaka
@amanominaka 2 жыл бұрын
紀紀において富士の描写が完璧に排除されてるのは意図的で、これは「みえない暗号」じゃないかな。 つまり紀紀の編者は宮下文書を否定いるのではなく、逆に残そうとしたのではないかな。
@tektek-lz4nb
@tektek-lz4nb 2 жыл бұрын
北口本宮冨士浅間神社の側の大塚丘で日本武尊が富士山を遥拝したという言伝えはありますね。
@侑子-s5m
@侑子-s5m 2 жыл бұрын
イティハーサという、少女漫画をご存じですか? とても興味深い作品で、今回のお話にも絡んでくる可能性もあります。 作者は見える人だったらしく、天啓を得て描いたようです。
@nagaotakahiro803
@nagaotakahiro803 2 жыл бұрын
記紀は戦後GHQさんが正史としているだけで怪しいです。 仮に内容が全部本当であっても、まぁ普通に読んで納得出来る内容でない。 やはり偽書と呼ばれる物も含めて歴史を考察するのが⭕️やと思います。
@ひなたさくら-u5i
@ひなたさくら-u5i 2 жыл бұрын
蘇我氏や中臣氏なんかの豪族を神と繋がる様に記紀で系図を弄ってるとかなんとか聞いた事がありますし、 中臣氏は本当は徐福に繋がり、中臣氏に非常にとって大切であり、同時に都合が悪いものでもあったから書き換えたのかなとも思いますね。
@小林義和絵画ちゃんねる
@小林義和絵画ちゃんねる 2 жыл бұрын
富士の樹海ってあるけど、あそこ掘ったらめっちゃ遺跡出てきたりして
@タックル真吾
@タックル真吾 2 жыл бұрын
それは難しいと思いますね!富士山噴火の際何度も燃えてますから
@中川良一-w3i
@中川良一-w3i 2 жыл бұрын
忌部と物部の繋がりは籠神社の宮司が忌部で奥院の真名井神社のマナイが メソポタミアで物部が統治してた都市の名前だから繋がりわかるけど蘇我がわからんな
@えびせん-j5g
@えびせん-j5g Жыл бұрын
💝凄い内容ですね🥰知ることができて嬉しいです😘何でだろう!九州の話しのように思えるのは私だけでしょうか?不思議です
@terasoulsb
@terasoulsb 2 жыл бұрын
逆にコメント目当てにこういう演出ならば凄い
@pro-kc7pn
@pro-kc7pn 2 жыл бұрын
宮下文書の考察は面白いですね。思わず引き込まれました!(お見事です!)
@wakasakoji
@wakasakoji 2 жыл бұрын
日高見国 日(太陽)を高い所(山)から見る国 =富士王朝 ではなかろうか。。。 ロマンや。
@reizoukoreizouko
@reizoukoreizouko 2 жыл бұрын
スサノオが大蛇を退治したのって、出雲やなかったですか? あんまり知らんので、そこらへんでドンパチやったんかもしれませんが。
@隆志龍見
@隆志龍見 2 жыл бұрын
藤原氏→富士原氏?日本書紀なら記述が無いのは外国に蓬莱山を隠す為とも思えますが古事記にも無い理由になりませんね
@lebaronde3204
@lebaronde3204 2 жыл бұрын
超超超考察、楽しみです。 卑弥呼の墓と言われる纒向の箸墓が最初期の前方後円墳で、纒向の遺跡では東国の土器が見つかっている(関裕二氏いわく)ことから、3世紀以前の王朝は近畿に存在しなかったか、少なくとも現天皇家はその頃近畿入りしたと個人的に考えます。 ①纒向の土器が東国由来であることをふまえると、富士王朝は3世紀に近畿入りした現天皇家もしくは有力豪族の出自である可能性は十分考えられますが、紀元前600年頃から大和で朝廷が続いていたことを主張したい天皇家には不都合なのでしょう。 ②また、紀元前600年という時期は事実の可能性はありますが、中国の統一王朝である秦・漢の歴史は当時の大和にもおそらく伝わっており(短命だった秦はまだしも400年続いた漢の歴史は確実に伝わっていたものと思えば)、それよりも長い歴史があることを主張するために細工がされた可能性はあると思います。 ③しかし、完全な嘘だと後生に暴かれる可能性を考え、各豪族の史書を上手いこと繋げて、一つの史書にまとめあげたのが、日本書紀・古事記なのでは無いでしょうか。
@teraetomiko1506
@teraetomiko1506 2 жыл бұрын
出雲王朝は富家と呼ばれ、富士山は[富に仕える山]と聞いたたことがあります。徐福はBC 219にやってきて、出雲の8代目王を暗殺後勢力をのばして海部氏の祖となり、帰国後再度BC 210に佐賀に到着して物部氏の祖となりました。徐福は自国である斉を秦に滅ぼされ、数千人の子供達を始め沢山の民を日本に迎えました。ニギハヤヒは徐福の別名です。
@まちゃ-o8d
@まちゃ-o8d 2 жыл бұрын
神武天皇がかなりの巨人だったとか 角がはえていたとか(ドラゴニアン?竜人?)だったとか そのあたりのところが、なおさら偽書扱いされたりするのかもですね。 ↑宮下文書だったか、他の文献だったか忘れてしまいましたが… キリストやモーセも日本に学びに来ていたとか そーゆー所とかも、時代設定にずれがあるとか ツッコミどころもおおいんですよね ですが私は、宮下文書とかの偽書扱いされている物こそ本当の事が隠されている気がします。
@松葉光-p7v
@松葉光-p7v 2 жыл бұрын
面白いです!よく調べて勉強しているなと感心しました🎉点にして行きたいと思いました。     感謝✨🌏🌱
@小林義和絵画ちゃんねる
@小林義和絵画ちゃんねる 2 күн бұрын
富士山が載ってない理由… 個人的に考えてみましたが…たとえば縄文から古墳時代など大昔は土地や道など開拓されてないでしょうし…移動はほぼ林を抜けていくような感じだったのかなあ?と… ということは、多少遠く(肉眼で大きな山だと確認できる距離)にあったとしても、手前の森が邪魔で、山の存在に気付かない可能性はなかったのかなぁ?と ヤマトタケルの移動経路など…地図で見た時に思いました。 逆にもっと遠くの丘などから、遠景を見た時に、周りより明らかに高く形の綺麗な山があるなぁと見ることはできたでしょうが… それだとさすがに日本一大きな山かどうかまでは、判断できたかな?という感じがします。 とくに富士山には手前に樹海が今でもあるくらいですし…当時はもっと見にくい環境にあったんじゃないかなぁと思いました。 万葉集くらいの頃になると多少土地の整備も進んできたら、富士山の存在感がハッキリしてきても不思議じゃないのかな… それこそ富士山の噴火などがあれば、森などで見にくい状態でも存在感が大きくなったでしょうが… 意図的に富士山を書かなかったのか?富士山をそこまで凄い山だと気付いてなかったのか?樹海の中に危険をおかしてまでわざわざ入る人もいなかったでしょうし… 隠したのか?気付かなかったのか?どっちかな?という気持ちです
@千種各務
@千種各務 2 жыл бұрын
1から研究しなおすのが嫌だから偽書と言ってるんですよね
@yamatotakeru2008
@yamatotakeru2008 2 жыл бұрын
面白かった。
@御神苗-n8b
@御神苗-n8b 2 жыл бұрын
偽書は、普通に趣味で二次創作物を書き記した書物が現在にまで残ってた可能性が高いと思う。
@m41-h7e
@m41-h7e 2 жыл бұрын
溶岩に埋まった富士山の阿祖山大神宮が、見つかることはあるのかな?
@110nari8
@110nari8 2 жыл бұрын
今回のお話も大変楽しめましたです。出雲口伝でも一貫して藤原≠中臣だったかと思います。尾張氏の子孫、村雲の家にはクニクルの代で物部の血が入っています。それが開化の息子のフツオシマコトとその子である武内宿祢に繋がりました。宮下文書は正に自分の家の箔を強調した文書と思われます。奈良入りしたウマシマジ系の物部や、武内家より古いんだぞという事を象徴的に書いている印象です。 一度脱線しますが、出雲口伝が、口伝者の歴史の中で一つだけ異なる伝承があります。それが本動画にもある様にもうひとつのテーマ、山辺赤人関連です。 現在の伝承者は、万葉集などの和歌に非常に詳しく、誰が書いたか、誰の語り口なのかにまで切り込んでいますが、太安万侶=山辺赤人という結論を出されています。 伝承者の立ち上げた出版社の本の初期の物は非常に難解であり、飲み込むのに大変です。 ただ、最近出された本ですが、大元出版社のHPでも出ていない、分かりやすい本がひとつだけあります。 五條桐彦先生の書かれた「人麿古事記と安万侶書紀」で、知っている人同士の口コミの本です。個人で調べようとしてもたどり着けない本なのですが、ここに概要が分かりやすく書かれています。 「柿本人麿が万葉仮名で古事記を書き、太安万侶が漢文で日本書紀を書いた。だが、いざ古事記と日本書紀が世に出されることになったとき、人麿も安万侶も執筆者として名前を残すことはできなかった…。」 古事記は採用されない方針が早くから決められ、やる気をなくした人麿は後半は適当に仕上げたそうですが、どのあたりからやる気をなくしたかという事すら、字面から分かるそうです。 大陸に我が国の独自性を主張する古い歴史の或るきちんとした国だよと主張するのに、漢文で書かれた日本書紀の下書きとして人麿が呼ばれ、古事記が書かれたという判断をしています。 大陸側が記述した邪馬台国や卑弥呼の時代の属国の歴史を隠すアイデアは、おそらく石見国庁近くで漢文に幼少のころから触れていた人麿が考え付いたのではないでしょうか? 人麿の母親は、柿本家の親戚、小野家から、トヨの子孫を名乗る稗田流口伝を伝える仕事を請け負っていました。 人麿の流刑を見て危機感を感じた安麻呂も密かに安古事記の写本をつくり秘匿したと思われ、後年、序文が加えられたバージョンの古事記がリークされました。 これは太安万侶の母親の実家、山辺家の名を名乗ってから年月が経ってから子孫が公開した可能性が非常に高いとされます。 正に公開の動機が正当性であったり、リベンジであったりするわけですね。 それこそ大彦系と出雲系が最初に入って開拓した日高見国=日本国の描写が、武内文書の様な空間や時間の嘘によってひとつに纏められたと考えられます。 大和を中心に、西に九州の鹿島。東に上総の鹿島があります。これを嘘によってひとつに纏めて日本としたのが記紀ではないでしょうか?九州と近畿にはごまかしの為か、全く同じ地名が付けられています。高天原もヤマトと九州にあります。 「もしかしたら関東には、九州やヤマトと同じ地名が偽装の為に付けられたものがある可能性があります」 人麿と安麻呂は各地を転々と流され、藤原氏の祖であるタテカシマの命が移住した、上総の国に居た事もあるようです。後年、人麿から和歌などの資料を託された安麻呂が万葉集をまとめたようですね。読み人知らずと人麿と、赤人の歌が多すぎてバランスをとるためにあえて作者が隠された歌が非常に多いようです。 つまり、記紀の暗号を解くのに、彼ら二人が編んだ歌は非常に参考になるわけです。 菅原道真は、実は出雲系(事代主系)の人物で、富家にも伝承が伝わっています。当然に尾張氏や、村雲(神武)の家の系譜である大彦や息子のヌナガワワケとは仲が良い一族で、蘇我系の継体帝の時代には、関東安倍勢力は北陸蘇我との経済圏を形成していました。 また、海部は、村雲の息子の代で分かれた天御蔭(大和宿祢に名を変えられた)からの分家で、当然に協力関係となっていたでしょうね。 それと利害がぶつかっていたのが、神道系の中臣家、物部家と、息長家です。記紀が編まれる直前には、藤原家と、三国国造家の争いが下地になっていました。それが天皇の系譜にも現れています。天智天皇は、天武天皇と父親違いの兄弟だそうです。 天智天皇は最終的に上総近くの白山神社まで流れてきてそこで自害したようですね。これは中臣や藤原の地盤を頼って逃げたのでしょう。 天武天皇は蘇我臣石川の子孫とタカラ姫の子供なので、結局三国国造家系統が最終的に勝つわけです。 あの辺りの天皇は、タカラや、息長を表すタラシだったりする諡号が付くんですよね。
@YES-ke3yo
@YES-ke3yo 2 жыл бұрын
追伸 もう以前に考察はされていると思いますが、大祓祝詞は中臣祓なのか?物部氏や大伴氏や卜部氏などやはり、勝てば官軍なんでしょうか?サムさん、マサキさんお願い申し上げます。
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 жыл бұрын
自分ちで見つかったらどんなことが書いてあるのか知りたいもんな。誰か解読してくれって言うと思うよ
@noriberlin2684
@noriberlin2684 Жыл бұрын
めちゃくちゃ面白い!
@user-737
@user-737 2 жыл бұрын
大明見北東本宮小室浅間神社が宮下文献を伝承された神社です。宮下宮司はその子孫の方です。
@くろへび
@くろへび 2 жыл бұрын
いやーーーー、おもしろ過ぎる! これはホント過ぎてる!(笑) サムさん、マサキさん、イイ!! ボク的には、当たり前ですが、当時の中国は日本にとって大脅威だったと思うんですよね。 だから、日本的には中国の皇帝にあんまり日本に興味持って欲しくないって思ってたと思うんです。 蓬莱山が日本にある…なぁーんてまともに書いてもーたら、それこそめちゃくちゃ注目されてしまうでしょうから、普通は外交的に書かない方が無難だと思うんですよねー。 しかしながら、ちょっと下心的な目論見で『ウチら大和の国の祖先と、貴国(中国)のご先祖はビミョーに関係あるんですよ。なので遠い親戚じゃないですか、我々は…。あの…攻めてこないでね。ある意味仲間なんですから…。』的な感じを、日本書記では中国的に判る人が読めば判るよーな書き方をしている気がしますねー。 なんならボク的には古代メソポタミア、ユダヤとか、ギリシャとか、どことなく似たよーな古い話をあっこっちにちりばめて、どこの国にも、ウチらちょっと関係あるんです…的な感じをワザと演出してるよーにすら感じますね、特に日本書紀は。 本当の古代から日本を開拓したニギハヤヒをはじめとするグループ達からすれば、『そんな他の国に媚び売るよーな書き方せんでも、俺らの歴史は超古くからあるがな!』って思うでしょーけど、もしも時の大和政権が、実は途中から横入りしてきた古代日本民族とほとんど関係無いグループで、彼らが何らかの漁夫の利的に中央政権になってしまったとしたら… まさに日本書紀のよーな書き方になるやろーな…っとボク的には考察してます。(笑)
@ekaz-93
@ekaz-93 2 жыл бұрын
こんにちは!群馬県の妙義神社の祭神はヤマトタケルです。 妙義神社の御神体は妙義山かと思いますが 岩の山です。 何か秘密があるかもと思い報告ですーはー❤
@山椒らーめん専門店tv
@山椒らーめん専門店tv 2 жыл бұрын
昨日の小浜の動画見たかった😭😭
@nabekura4029
@nabekura4029 2 жыл бұрын
記紀は藤原氏が監修し、藤原氏に都合の悪い内容は伏せられた可能性があると! 富士山が全く出てこない辺りにも謎が隠されていそうですね。 その辺は他の歴史文献や伝承と照らし合わせて見えてくる真実もありそうですね。
@masayone8249
@masayone8249 2 жыл бұрын
北陸(富山、石川)の平野部からは富士山は見えませんよ。。 立山に登って晴れてれば超遠目に見えるようですが、、
@omeg1028haku
@omeg1028haku 2 жыл бұрын
中臣藤原物部麿はツタンカーメンとかイスラエルと同じ 共同体をひとつにまとめて表すやり方と同じ匂いがしますね 考え方の学校っていうチャンネルで最近知りました つーか日本恐すぎる・・ブッタキリスト・モーセとかが来てたっていう逸話もあながち間違ってないのかも
@TY-vt2yo
@TY-vt2yo 2 жыл бұрын
「考え方の学校」私も最近知って過去からの動画を夢中になってみています 面白いですね!理路整然とした説明を聴いているとなるほどと納得してしまいます 日本人とは何者か・・に答えをもらったような内容ですね ここの動画とあわせて楽しみにしています
@terasoulsb
@terasoulsb 2 жыл бұрын
伏線多すぎて多少は一配信で回収しないとジャンプ理論で言うと2巻位で打ち切りなるパターン
@ayumi3259
@ayumi3259 Жыл бұрын
蘇我氏と物部氏の祖先神の話はかなりやばいですね😱宮下文書をどうやってそんなに深く読み込んだのか…😅
@姫路-b6x
@姫路-b6x 2 жыл бұрын
富士山とその信仰の阿祖山大神宮を記紀が無視したかった理由と重なってきて凄くロマンです笑
@orz3510
@orz3510 2 жыл бұрын
フェイスラインがスッキリしてきたようですね。お陰様でしっかり動画に集中できました!(やかましいわw) などという冗談はさておき、謎のハイブリッド人物は不比等だと無理があるんですね。遣唐使から戻った長男はすぐに亡くなったそうですし、誰なんだろー笑 あー早く次が聞きたいのでございます〜ナモナモ
@YES-ke3yo
@YES-ke3yo 2 жыл бұрын
ここまできたー!! 古事記は藤原史(不比等)が関与し、日本書紀にもとなると、(勝手な私の意思です)持統天皇の正統性を出す為に、内には古事記で外向け(当時の中国、唐もしくは随)作られたんじゃないのと?出来上がりがたしか天正天皇(間違えたらすみません)には完璧に出来上がりしていて、藤原不比等に繋がる孝謙天皇(女)が天皇になり細い事はいいですが、ちょっと前迄、天皇は勿論で皇后も天皇の血(血統と言うのか)じゃないと駄目なのに、なんでと思いました。
@赤飯は甘い派
@赤飯は甘い派 2 жыл бұрын
御坂峠を越えたら富士山なんて見えないんですよ。 1,600m級の御坂山地が邪魔してるので酒折付近でも見えないか、やっと富士山の頭が見えるくらいかと思います。 ヤマトタケル東征の中で若彦路を抜け花鳥山の一本杉にも来てますが、当然富士山なんて絶対に見えるはずがないです。
@ニコライ-k4h
@ニコライ-k4h 2 жыл бұрын
足柄峠で見えるじゃん。まずそこに寄ってるわけで。途中で見えなくなるから何?
@赤飯は甘い派
@赤飯は甘い派 2 жыл бұрын
@@ニコライ-k4h 富士山見えないんだからそんな記述もないでしょうね。 という意見です。
@ニコライ-k4h
@ニコライ-k4h 2 жыл бұрын
@@赤飯は甘い派 ん?だから足柄峠で見えるじゃん
@津島ヒカリ
@津島ヒカリ Жыл бұрын
素晴らしいエンターテインメントです。楽しく拝見しました。でも、真実は小説より奇なり。今も尚、受継ぐ者はシビアだなぁと思います。
@hikari4593
@hikari4593 2 жыл бұрын
竹下文書と宮下文書がごっちゃになってパラレルワールドに迷い込んだかとおもた
@ミナトヤマト
@ミナトヤマト 2 жыл бұрын
「そそういうストーリー」でしたねw
@ナオ-s6d
@ナオ-s6d 2 жыл бұрын
あくまで「〜ではないか」という推論だからね。検証はされるのかな?
@マイキーの黒い衝動
@マイキーの黒い衝動 2 жыл бұрын
古事記はオノコロ島と阿波の國の話ですよ!今から約2600年前が神武天皇ですよね?←徳島市内渋野町ですよ!文献資料もあります。 古事記は日本国のバイブルなんです! 歴史は繰り返されている。時代が違えど、時代の節目にはソレになぞらえた子孫が活躍しています! 例えば、弘法大師空海様は須佐之男の血統因子です! 源九郎義経もまたそうです! 明治天皇、いや、大室寅之助は伊藤博文が送り込んだ偽物だよ!北白川宮能久親王を調べてください! 徳島県の吉野川と和歌山県の紀の川は双龍です。千年後の君へ!がヒントになります! イチかゼロで考えず、もっと柔らかく、時間軸を考慮して、考察したら面白いと思いますよ!😊✌
@togokazuhiko9150
@togokazuhiko9150 2 жыл бұрын
武部は「もののふべ」と読ませるのではなかろうか… 「もののふべ」から“ふ”が抜けて「もののべ」…『腑抜け(ふぬけ)』の語源だと仄聞したことあり。 また、その腑抜け達が天皇家に近づいて、源平武士になったという説もある。 また、藤原系の武家もあり、藤原=物部とする説もある。 宮下文書の伝承侮り難し。
@moge-moge3318
@moge-moge3318 2 жыл бұрын
天皇家からの臣籍降下なので源平が腑抜けとは言いたくないな、平将門もいるし。 中臣氏は何故ナカトミと読むか不思議、本当は中冨又は中富で物部氏かと。 トミノナガスネヒコやタケミナカタノトミヒコ等、富氏は隠された最重要氏。 あの三輪山の大神神社のオオタタネコのいくつかある漢字表記の一つも意富多多泥古命と富の字が含まれているんですよ。 富士山は富氏の山かも、龍神信仰の大本山であり女神が地下に住まう秘境か?
@ymnise
@ymnise 2 жыл бұрын
内容熱量はいいですがBGMはもう少し選んだほうがいいですね
@ぐち-p1x
@ぐち-p1x 2 жыл бұрын
がっつり考察楽しみです 偽書認定されてるのはかえって都合がいいですね 危なくなったら偽書ですしと言えばいいしw
@中川良一-w3i
@中川良一-w3i 2 жыл бұрын
民明書房じゃなかったのか
@藤井慎也-z1g
@藤井慎也-z1g 2 жыл бұрын
宮下だけに
@冨永省吾
@冨永省吾 Жыл бұрын
富士山が、活火山であった可能性は?😅
@bikonasukuna
@bikonasukuna 2 жыл бұрын
コメントもクォリタテイタカかイワァ~✨
@たーぼー-k1p
@たーぼー-k1p 2 жыл бұрын
加茂氏天皇説はタブーなんだろーな。加茂伊呂久の嫡流なんだが神なのか(≧▽≦)
@ララ-x8i
@ララ-x8i Жыл бұрын
サムさんの記憶力は、アレ氏レベル、いや、それ以上、アッパレ🙆
@Mr9user
@Mr9user Жыл бұрын
サムさん…全て話していませんね…笑 そりゃ怖いですもんね…笑
@yamatosakura6319
@yamatosakura6319 Жыл бұрын
歴史ロマンあふれる素晴らしい動画をありがとうございます。むっちゃんは、縄文の氷河期に人間が生き延びるには、火山の近くしかない、と言ってましたね。また、不比等は史とのことです。ところで。不比等と菅原道真がライバル同士というのは興味深いです。あと、日本人は、権力者が呪いという事を恐れていた、という感じがありますね。大国主命とか、自分が滅した後に祀ったり。よければ、呪いに対する古代の権力者がの見解についての考察なんかもお願いします。ちなみに織田信長は忌部氏と言いますね。
@マヤ平
@マヤ平 2 жыл бұрын
徳川家は、源氏の子孫ではないのかは明らか
@kazuimai1178
@kazuimai1178 2 жыл бұрын
忌部氏の子孫が信長です。
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