大国主命は阿波の実在神 ~徳島県阿南市/徳島市国府町~

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古代史塾

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Күн бұрын

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@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
動画では、間違って一般社団法人は県内に数社と申し上げましたが、県内に崇敬社は何社かありますが、一般社団法人という法人格を取得して活動しているのは当大御和神社だけです。失礼致しました。
@berggalois4937
@berggalois4937 2 ай бұрын
心底、真摯な活動に敬意を表します。動画について、誰か有能な協力者が手伝ってほしい。ご本人の負担を軽くするためにも。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s Ай бұрын
コメントを頂戴し有難うございました。 ご親切なご助言誠に恐縮です。 周りの手慣れた方々からいろいろと扱い方、撮り方を教えていただいているのですが😆 まだまだ見苦しい点があり申し訳ない限りです。 今後とも精進致しますので懲りずに宜しくお願い致します。
@saburoutanba581
@saburoutanba581 2 ай бұрын
徳島県には古代史の登場人物がほとんど集まっているんですね。 ここだけが日本列島から切り離されて自己完結しているようです。「世界の歴史は朝鮮半島から始まった」とする、向こうの歴史とよく似ていますね。 古代阿波国の人達は朝鮮半島からやって来て、阿波から日本を支配したと言う事でしょうか。 勿論、大韓民国慶尚北道高霊郡の加耶大学校内には、日本神話の天津神が住む高天原はここであると言う証拠に、「高天原故地碑(たかまがはらこちひ)」も有りますし。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s Ай бұрын
コメントを頂戴し有難うございました。 そうですね。 いろいろな考え方があろうかと思います。
@KM-hs8fu
@KM-hs8fu 5 ай бұрын
いつも貴重なお話、阿波の風景・史跡・神社の映像を配信していただきありがとうございます。 阿波古代史の書籍をぜひ拝読したいのですが ①道は阿波より始まる ②狐の帰る國 ③大嘗祭 これらの書籍は公益財団法人キョーエイ社会福祉事業団さん?より電話で購入できるのでしょうか?
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
お問合せをいただき有難うございます。 仰るとおり、ご指摘の3冊は、スーパー「キョーエイ」が管理運営されている「公益財団法人 キョーエイ社会福祉議業団」(「(財)京屋社会福祉事業団」を改称)で販売されております。 具体的な購入方法につきましては、以前別の方からのお問合せを受けてキョーエイさんに確認をさせていただいたところ、 1 ネット検索で「スーパー キョーエイ」をご覧いただき、 2 問合せ先の電話番号にお電話をしていただき、 3 「○○○」という本を購入したいのですが? とお訊きいただければ対応していただけるかと存じます。 件の際、確認したところでは、 ①「道は阿波より始まる」(3冊:その一~その三)、②「狐の帰る國」(坂東一男著)、いずれも1冊1,000円+送料であったかと思いますが、ご確認下さい。 (ネット等でプレミアが付いて高額販売されているようですが、ぜひとも直接「キョーエイ」さんにお尋ね下さいませ。何でしたら、「古代史塾の藤井」から教えて貰ったと言っていただいても結構です。) ③大著である「大嘗祭」につきましては、以前は1冊1万円にて販売されていましたが現在は在庫僅少にて販売されていないかと存じます。 (念の為、これもご確認下さいませ。)  以上によってもどうしても購入出来なかった場合には、私の「古代史塾」のメルアド(fujii@kodaishi.org)までご連絡いただければ対応させていただきますので宜しくお願い致します。 (ご参考) 「(財)京屋社会福祉事業団」は、『道は阿波より始まる』の著者「岩利大閑氏」のシンパサイザーであり、強力な支援者であったキョーエイ創業者の埴渕一氏が「好きとくしま大好き」運動の一環として立ち上げ、阿波古代史の研究の広がりと郷土徳島の発展を念願し、もともと岩利氏の自費出版本であり、非売本であった「道は阿波より始まる」を口説き落として一般販売に至ったものです。 埴渕一氏のご熱意がなければ今日のように岩利氏の業績がこのように広く世に知られることはなかったのではないかと存じます。 (この点につきましては、『道は阿波より始まる』の紹介・案内本である小著『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』の最初の方で触れさせていただいております。)
@KM-hs8fu
@KM-hs8fu 5 ай бұрын
お詳しくご案内いただきまことにありがとうございます。 阿波の古代史とても興味深いので、可能であれば先人が遺された貴重な阿波古代史・郷土研究の書籍、 古書、神社伝承、町史などを電子書籍化してデジタルアーカイブ化し 記録遺産として保存していただきたいと願います。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 4 ай бұрын
@@KM-hs8fu 有り難いご支援をいただき感謝です。私達阿波古代史を勉強している者もそれを目指しているのですが、非常に困難な道のりなんです、これが。 そもそも徳島県(知事部局・教育委員会(出先機関を含む。))自体に、私達が書物にし、本動画を始めとするSNS等での発進に理解を示されていないのです。  これが、奈良・出雲や九州と全く違うところです。 通説に歴史や考古学を学んで地方公共団体に就職している関係で、私達が話したり、書いたりしていることに対して非常に冷ややかな態度です。もっと言えば、「歴史を知らない素人が変な戯言を言っている。」としか見ておりません。  この4月には県主導で「公益財団法人」を目指しながら、「一般財団法人」たる「阿波ヤマト財団」を立ち上げておりますが、その名にふさわしい活動をしているわけでもなく非常に不自然で不透明な団体です。 一県民としてその成り行きを注視しなければならないと考えております。 これが非常に歯がゆいところなんですが、今私は岩利大閑氏に学んでおり、間違いない!との信念を持っておりますので「倒れて後やむ」の精神で突き進んでまいりたいと改めて決意をしておりますので、今後とも阿波にご関心をお寄せいただき、ご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
@KM-hs8fu
@KM-hs8fu 4 ай бұрын
ご返信ありがとうございます。 なかなか他者の方々の理解を得られず思うような活動が困難なこと理解しました。 ただ阿波の古代史に注視している人たちも一定数おられることもまた確かだと思いますので今後も活動続けていただけるとありがたいです。 いろいろな支援の仕方があると思いますが、 ①神社の美観保存(町の景観遺産として神社境内の美観保存)境内に入って床石、手水舎、石階段、階段手摺等の修繕、由緒書き看板の新装etc.. 阿波の古代の軌跡を現在まで形として残している神社の保存でしょうか。  ex) 由緒書きがかすれて見えづらい、石階段がでこぼこしており勾配も急で踏面も浅く手すりが左右に無い、 安全性が確保されているとは言えないような状態の場合、それを修繕・リノベーションして景観が保たれれば 一般の人たちもより親しみを感じて阿波の古代史に興味を持つ人も増えてくるのではないでしょうか。 由緒書きがかすれて見えない場合、例えばアクリル板やステンレス板に印字したものであれば半永久的に見やすい状態を保て、その神社の由緒を認知しやすいです。 そのような神社建築を構成する要素(床石、手水舎、石階段、手摺等、由緒書き看板etc)のリフレッシュの支援であれば 県や市の予算・支援等がなされない場合でもクラウドファンディング等で一般の有志から資金を集め修繕・景観保存が可能かと思います。 ご活動応援しております。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 4 ай бұрын
@@KM-hs8fu ご丁寧に、またご親切に種々ご意見を賜り、深く感謝申し上げます。 おっしゃるとおりかと存じます。ぜひこのコメント欄を徳島県の1人でも多くの方々にご覧をいただきたいと念じております。 出来るところから、一つひとつに地道に取り組む必要があるかと存じます。  その一方で根本的な大きな課題は、徳島県人、特に県を始めとする地方公共団体関係者が私達が情報発信をしている内容について「この阿波がそんなわけがない!」と思い込んでしまい、県外の方々が県や市町村の関係機関に阿波古代史のことを尋ねてもにべなくひややかな対応をされていることです。 私は直接間接に体験談を見聞きするのですが、 県外の方が例えば邪馬台国や天皇家の故里が阿波であるということについての見解を関係機関の職員に訊くと、 「歴史を知らない一部の人達が言っているだけで間違いです。」と返答されるのです。  この行政に属する職員の意識、歴史認識を変えない限り、そしてまた県民の理解が広がらない限り、取り組みはなかなか身を結びませんし、神社等を取り巻く環境作りもご時世もあってなかなか理解を得られないのですよね。 (県民はある意味行政の言うことが正しいと思い込んでありますので。)  加えて、私が毎年全国を車で探訪していてイヤと言うほど思い知らされることは、徳島県の文化意識のレベルがあまりにも低いことです。県勢規模が同じような他県でも文化施設自体、またその来場者に対する提示の仕方においても、「これほど違うのか!」と毎年ショックを受けています。  かつての阿波は何処へ。なぜこんな状況になってしまったのか。  こういう状況を踏まえ、私自身は先ずは先人に学んだ阿波古代のことについて、 ① 主催講座で受講者の方々に古代阿波のスゴさを知っていただき、 ② また、勉強してきたことを本にしてAmazonで電子書籍と印刷媒体で全国の方々に周知させていただき、 ③ ホームページを開設し、写真解説、新着情報、ブログ、そして当動画のようにチャンネルを設けて地道に情報発信を行っているわけです。  このような取り組みの中で、県内外、いやむしろ全国の方々に阿波の古代史のことを広く知っていただき、全国の方々からお寄せいただいたご意見等が徳島県庁や市町村役場の職員の方々の意識変革をもたらし、引いては地方公共団体としての県や市町村における取り組みが積極的に推進されるよう念願している次第です。  そういう意味においては、本動画の「大御和神社」のいろいろな新たな試みは、宮司さんのご理解もあって全国的にも注目されているようで、古代史に勤しんでいる者の一人として嬉しい限りです。 この点、KZbin動画におけるここ2年ほどの「阿波説ブーム」は、大きな変動 “ 山が動く ” かもしれないと私も注目しておりますが、「大御和神社」にも他県の方々が以前よりも格段に多く訪れていただいているとは、宮司さんのお言葉です。  どうか、全国の皆様には今後とも阿波にご注目を賜り、その力を大きなうねりとして地元行政、引いては徳島県民の意識変革を呼び、こぞって阿波古代に大いに関心が寄せられ、大昔阿波が全国の中心としてその力を示していた往時に思いを致し、新たな徳島の発展に繋がりますようご理解、ご協力のほど伏してお願い申し上げます。
@syaga3566
@syaga3566 5 ай бұрын
酷暑の中、誠にご苦労様でございます。 私は、藤井先生、笹田先生の阿波説を支持するものです。 道理と事物に照らして、深く首肯するものです。 どうぞお身体を大切に 益々のご活躍を祈念しております。
@user-hp5om8ug4g
@user-hp5om8ug4g 5 ай бұрын
酷暑中ありがとうございます このように事跡をたどって見せて頂くと 大国主命が実在の神様だということが阿波の地では成立しますね
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し、感謝申し上げます。 また有難いご配意を賜り、猛暑の中元気百倍です。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ嬉しく存じます。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
​@@user-hp5om8ug4g 早速コメントを頂戴し、感謝申し上げます。 おっしゃるとおりかと存じます。 出雲などでは辿れない阿波古代の神々の本願地であり鎮座地です。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ有り難いです。有難うございます。
@まうす-m3f
@まうす-m3f 5 ай бұрын
八桙神社素晴らしい神社ですよね。 初めて行った翌日に親戚から縁談の話がきてびっくりした経験がありますw 古代出雲が島根ではない以上、大国主は阿波の神と考えるしか説明がつきませんね。 豊受皇太神御鎮座本紀には 「素戔嗚尊子氷沼道主、亦名粟ノ御子神、亦名大己貴命、亦名大國魂神、亦名大国主、亦名宇賀霊(宇迦之御魂)」 と書かれています。 伊勢国に粟皇子神社 祭神:淡海子神がありますが神社覈録に、粟皇子は阿波美古と訓べし、祭神道主命とあります。 (淡海あふみ・おうみは阿波宇美が縮まったものと本居宣長が述べています。卜部兼方は淡郡を阿波国としていますし、淡海は阿波海であり淡海大津宮は阿波以外にありえないということです。) 大日本神名辞書より、素戔嗚尊子氷沼道主(粟御子)は素戔嗚の子孫の総称と考えることができます。 大国主や五十猛神(天村雲命)をはじめとする子孫が粟御子なわけです。 実際、天照大神に御饌を供えたのは阿波にしかいない天村雲命です。 倭大國魂神社も阿波にしかありません。 粟御子の意味は、食事係であり阿波の御子ということでしょう。 「亦名宇賀霊」が引っかかるわけですが、大国主は世襲制と私は考えております。 大国主の娘(誰かはご存じでしょう)に名を譲ったと考えると辻褄は合うわけです。 御鎭座本記鈔に宇賀霊は誰かとしっかり書かれているわけですから、すべて阿波に繋がります。 藤井先生は大国主の名は世襲制であると考えておりますでしょうか、意見をいただきたく思います。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
コメントを頂戴し感謝申し上げます。 そうでしたか!?それはそれは、正に霊験あらたかということでしょうか。  よくお勉強をされていて感服致しました。 仰るとおり、伊勢は阿波と深い繋がりがあると考えられます。私は車で毎年「古代阿波“倭(ヤマト)”人全国進出の足跡」を尋ねて探訪旅行をしておりますが、何年も前、ご指摘の伊勢国(現、伊勢市)の「粟皇子(王子)神社」をはじめ、伊賀国(現、伊賀市)の「阿波神社」、志摩国(現、志摩市)の「粟島坐乎多乃御子神社」を尋ねたことがございました。 阿波の先覚岩利大閑氏によれば、みな阿波から行った式内社だそうです。  さて、お問合せの件、<大国主の名は世襲制であると考えるかどうか>という点ですが、結論から申しますと私にはハッキリとは分かりません。 また、あまりこだわる必要もないのではないかと考えております。少し長くなりますが、  要は、阿波には大国主命と呼ばれた海人族の大人(うし)、大王がいて国土を拓いて治め、その後を継いだ、これまた海人族の大王、事代主命が国を治めるとともに大国主同様全国へ進出して諸国を開拓したと考えているのです。 (念の為、大国主と事代主は古事記の物語では父子とされていますが、この点についても歴史上どうであったのかは不明かと。) このような考えは、俄には受け入れられないかもしれませんが、勉強を重ねるうちに段々とその思いが強くなっております。  私は私の配信する動画についていろんな方からいわゆる古記録といわれるものをあれこれ引き合いに出して批判をされることが多いのですが、私自身は古記録に拘泥しすぎると返って真実の歴史を見失う恐れなしとしないと考えているからです。 あまりに記録にばかりに囚われ、またロゴスにばかり眼を奪われると大局が見えなくなる恐れがあり、俯瞰が出来なくなった経験があるからです。 かつて私が学んだ方で岩利大閑氏に学んで40数年勉強を重ねられた方がいらっしゃいますが、いつの間にか軸足が古事記から日本書紀や古記録に移って細かな字句に囚われるあまり、ダイナミックな見方が出来なくなって矮小化された見立てしか出来なくなっている方を存じております。  そもそも、日本書紀をはじめとする平城遷都後に積み上げられた膨大な古記録が、どれほど真実を伝えたものか信頼しかねることが多いのですよね。 (日本書紀はもとより古事記も撰修までにあれこれ改竄されている点あり、というのはつとに諸学者の指摘するところで、改竄という点においては日本書紀の方が古事記よりも圧倒的に改竄箇所が多いと言われていますね。)  私は主催講座で次のように申し上げております。 「どの道もそうだと思いますが、古代史についてもどうか先ずは大きな視点で骨格(バックボーン)を描いてから必要に応じて六国史や風土記等の古記録に手を広げて下さい。そして、あまり細部に拘らずにゆるゆるとした見方を養って下さい。」と。 一つひとつの文言に囚われすぎると、その捉まえた文言の意味に逆に縛られて身動きが取れなくなってしまい、引いては俯瞰が出来なくなると考えているのです。  意が通じているかどうか分かりませんが、またお問合せに対する答えになっているかどうか分かりませんが、お答えするとすれば上述のようなことになるかと存じます。  今後とも、阿波にご関心をお持ちいただき、またお考えをお寄せいただけると有り難いです。有難うございました。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
後先になりましたが、私はもとより「先生」とお呼びいただけるほどの者ではございません。 勉強を始めてまだ10年ほどの阿波古代史学徒ですので、宜しくお願い致します。
@まうす-m3f
@まうす-m3f 5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s 稚拙なコメントにも関わらず、素晴らしく愛のある返答をしていただきありがとうございます。 たしかに古文献に執着してしまっていた点があったと反省しております。 飛鳥時代に存在したであろう記録をすべて廃棄し、平城の地へ遷都後に作られた文章に真実が書かれているかと言われれば怪しいですね。 不比等がなぜそんなことをしたのかを考えれば、古都倭(飛鳥)がどこであるかは自然と想像がつきますね。 ただ、この改竄されているであろう内容からも自然と阿波に繋がるのもまた事実。 例に挙げられました事代主を考えると、本后は阿波の神なわけです。 続日本後紀やホツマツタエなんかにも繋がるのです。 釈日本紀に至っては倭の読み方をストレートに書いているわけです。 話は逸れましたが、もう少しリラックスして考えようと思います。 改竄が不可能な、風土記や万葉集の歌などから考察するのも面白いですね。 万葉学者の折口信夫氏のように自然と阿波に繋がります。 阿波国風土記が読めれば何も迷うことはないのですが・・・ (ちなみに私は道は阿波より始まるをほぼ読んでおりませんが、岩利大閑氏のように阿波に繋がっております。 何年後かはわかりませんが、答え合わせのようにこの本を読むことを楽しみにしている次第です) 大国主【於保(あふ/おう)奈牟知】の名前は、阿波国の主の意であるということ。 今後も動画楽しみにしております。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
​@@まうす-m3f お答えになったかどうか分からない返信に対して誠実に向き合って下さり、感謝申し上げます。 岩利大閑氏も、仰るように改竄されていないので風土記、万葉集を重視されていました。 宜しければ、大閑氏とともに、盟友坂東一夫氏の「狐の帰る國」もご一読いただければ阿波のことが万葉集の観点から浮き彫りになってくるかと存じます。 ネットで、スーパー「キョーエイ」を検索し、問い合わせれば千円+税で入手出来るかと思います。 今後とも阿波にご関心のほど、宜しくお願い申し上げますm(_ _)m
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
当動画についてもまた、アンチアワ氏が例によって揶揄するコメントを繰り返し投稿してきましたので、改めて注意を喚起すべく返信の形でコメントをさせていただきましたが、何故か消えてしまいましたので、皆様にもご一読賜りたく改めてその内容をお示し致します。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
​ @anti2awa796 アンチアワ氏へ 1 私が貴方のコメントに対して他の方とは異なる言葉使い、辛口になるのは理由があるからです。 当動画をご覧になっていただいている方々はこのことをご存じないと思いますので、この際皆様にも事情を知っていただきましょう。  令和3年某エフエム番組でのゲスト出演時の私の発言に対して揚げ足とりばかりをしてきたことは貴方自身が一番よく知っている筈ですね。 例えば「得度山」→「得道山」 まともな方であれば、言い間違えだと理解していただいて単純に済む話です。それを事あるごとに攻撃したり、揶揄したり‥‥このようなことを何度繰り返してきましたか。 2 そもそも貴方は殊更に「アンチアワ」と称して “ 動画荒し ” を展開し(一部は他の方の動画でたまたま見てしまいました。)「阿波を否定する」・「阿波を攻撃する」・「阿波を罵倒」して溜飲を下げるということを延々と繰り返しています。  あまつさえ、私はアナログ人間ゆえよく知りませんが 当局から指摘?を受ける度に“2チャンネル”、“4チャンネル”、“5チャンネル”と看板を変えては阿波に関する動画等を歯牙にかけたつもりになってきています。(最近新たに動画を開設して阿波非難を繰り返しているようですね。)  私は見るつもりもありませんでしたが、詳しい方に一度だけアンチアワ氏の○チャンネルとやらを見せて貰いましたが、コメントをやり取りをしているアンチアワ氏、貴方の品性下劣で読むに堪えない言葉使いに絶句してしまいました。この人はどんな人格形成過程を経て今日に至っているんだろう? 件の番組の返信コメントで、貴方のこのような眼をそむけるような発言に対して何度も苦言を呈してきたところです。    申し上げておきますが、私は現職時代から、いえ、学生時代から法に親しみ、本務としても長年法律業務に携わってまいりました。 なので、アンチアワ氏、貴方が一線を超えれば、令和4年10月から改正法が施行されたいわゆる「プロバイダ責任制限法」に基づき、貴方を特定した上で法的措置を取ることが出来ることも十分承知をしているのです。 3 アンチアワ氏もこういう点だけ感が働くと見え、私が配信を始めた動画に対しては、少しく品性下劣な言葉使いを押さえながらも、相手の述べていることに対しては、しつこく言葉尻を捉えて批判を繰り返していることは以前と全く変わっておりません。  折しも、今SNSの世界では “ アンチコメント ” がクローズアップされて大問題になっております。 4 アンチアワ氏、貴方が「アンチアワ」の看板を下ろし、普通の物言いが出来るようになれば私はいつでも貴方の問いかけに応じる用意がありますが、言葉を押さえて(ごまかして)本性を隠したつもりでも私には見え見えです。揶揄の仕方に手が込んで来ました。 反対のための反対を繰り返す、もっと言うならば最初から「反対のための反対」というゼッケンを付けている人に対して他の方と同じような誠実な返信をさせていただくほど私はまだ人間修行が出来ておりませんので悪しからずご了承下さい。 これが私が貴方に対して辛口になる所以です。 5 老婆心ながら申し上げておきます。 古代史、特に阿波の古代に関することについては、何度も申し上げているように、アンチアワ氏、貴方のように平城遷都後に膨大に新たに作り上げられた古記録をいくら持ち出して阿波を批判しても批判し得ないのですよ。貴方の今のやり方では何も得られません。  阿波の古記録でも間違いはあるのです。その中で歴史の真実は何なのかということを日々勉強させていただいているのです。  お分かりですか。このことが分からない限り阿波の古代は理解できません。 もう少し頭を冷やして片意地を張らず、また前のめりになって阿波を罵倒したりせずに、例えば折口信夫をジックリと読んでみることです。 岩利大閑も理解出来ないようなので折口信夫もなかなか困難かと思いますが。 重要なのは民俗学です。為政者が後に作り上げた膨大な文字群には、一歩引いて俯瞰をしながら考えなければなりません。 6 私に対して、以後「逃げた」・「ごまかした」だのと挑発してきてもスルーさせていただきますのでご承知おきくださいませ。ご研鑽を祈ります。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
やはりコメントが見えません。 友人が教えてくれました。 コメント冒頭上欄の2つ横に並んだ「人気順」・「新しい順」のうちの「新しい順」をタップしていただければご覧いただけますので宜しくお願い致します。
@anti2awa796
@anti2awa796 3 ай бұрын
>例えば「得度山」→「得道山」 >まともな方であれば、言い間違えだと理解していただいて単純に済む話です。 藤井さん、ちょっと目を離したらこんな言い訳は無理ですよ。 あなたが聖典としている「道は阿波より始まる」には約するに天武天皇が得度した事に由来するのだろうと書いてありますよ。あなたが聖典と言っている本です。この本にはこのような事実ではない創作がつまっているのです。
@鷹の爪団員ジャステス
@鷹の爪団員ジャステス 5 ай бұрын
大国主命を祀る神社は全国にあり総社は出雲大社
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 4 ай бұрын
コメントをいただき有難うございました。 出雲と阿波の古代史を少しでもお勉強いただくとご理解いただけることですが、出雲は古事記神話の国でもなければ“ 出雲神話 ” の舞台でもございません。出雲大社なる神社が鎮座して諸学者も“ 出雲神話 ”の舞台であるかのように話したり書いたりされているので皆さんがそのように思い込んでおられるだけなのです。  記紀神話の葦原中つ国の物語は、“ 出雲神話 ” とも呼ばれ、須佐之男命が中つ国の開拓者で支配者ですが、『出雲国風土記』では、冒頭意宇郡の条に「八束水臣津野命」が国土を治める物語が展開されており、主人公は須佐之男命ではないのです。笹田孝至氏も指摘されているようにこれは致命的ではないかと思います。  また大国主命国土を造り支配した物語・伝承全くなく、記紀の物語の大国主命の片鱗すら見当たらないのです。 歴史の舞台は出雲(島根)ではないということです。 笹田氏の指摘によれば、出雲国風土記には当時知られていたすべての神社399社が記され、うち延喜式内社の元となる184社が官社として列記されていますが、これら神社の殆どは記紀神話とはおよそ関係のない“ 土着 ”の神々を祀る神社なのです。  さらに、『出雲国風土記』成立(西暦733年)から200年後の出雲国の延喜式内社を見ると、驚くことに15社が土着の神々を祀る神社から記紀神話に登場する神の神社に変更された上に、あろうことか今まで無かった次の3社が新たに加えられているのです。 ・「神産魂命子午日命神社」 ・「鑑冶日子命御子焼大刀天穂日子命神社」 ・「天穂日命神社」  このように、風土記成立から延喜式(927年)までの間に記紀に関する神社が新たに勧請加増されているのです。  いかがでしょうか。言葉は悪いですが捏造ですね。  では、記紀の“ 出雲神話 ” の舞台とは一体どこの地方の物語なのか。阿波なんです。 阿波の“ 中つ国地方 ” の伝承に「出雲」の地名が差し込まれたのが記紀の物語なのです。  また別の根拠を申し上げれば、古事記の天照大神と須佐之男命の物語(誓約(うけひ))の中に、誓約の御子「天菩比能命(アメノホヒノミコト)」の子「建比良鳥命(タケヒラトリノミコト)」が、この新出雲国の国造りの祖であるとハッキリ記されています。 須佐之男命の孫が国祖と明記された新出雲国に須佐之男命の物語がないのは当然のことなのです。  これで、出雲や「出雲大社」が記紀神話の大国主命に関する国ではないことがご理解いただけたものと存じます。 ちなみに申し上げれば、皆さんは古代から「出雲大社(いずもたいしゃ)」であると思っていらっしゃるかもしれませんが、「出雲大社」と名付けられたのは、ほんの最近明治4年(1871年)のことなんですよ。 同社は、古来「杵築大社(きずきのおおやしろ)」と呼ばれた土着の神を祀った神社です。  お勉強を進めていただければ、出雲と阿波のもっと凄いことがご理解頂けるようになるかと存じます。 他の動画のコメントでも申し上げましたが、折口信夫(国文学者・万葉学者・歌人(釈迢空)・民俗学者)は「出雲及び元の国阿波」と喝破され、阿波は「旧国中の旧国」であると述べておられます。(『日本文学の発生 序説』角川文庫)  なお、宜しければ動画冒頭でご紹介させていただいた小著『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』(Amazon出版本)のテーマ48(211頁以下)、同49(217頁以下)をご一読いただければ返信コメント全般に亘ることがなおよくご理解いただけようかと存じますので宜しくお願い致します。
@佐藤正文-k2b
@佐藤正文-k2b 5 ай бұрын
✨お疲れ様です。もう1ヶ月猛暑続くと思いますが、お体に気をつけて頑張って下さい‼️今回の動画拝見しました、きめ細かい所までの撮影、写真などの組み合わせが良かったです‼️皇太子殿下が八桙神社に御参拝されたと言うことは宮内庁、天皇家などの裏付けがあるんでしようね‼️阿波古代史ファンから見れば、やっぱり‼️そうだったか‼️となりますね。大御和神社と大神神社(奈良)が明治中頃、同時期に2つの神社名が変更されたとお聞きしたのですが、魔訶不思議ですね~😱
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し、有難うございます。 大御和神社は、古来より「府中(こう)の宮」と呼ばれて親しまれて来たようです。 また国璽(こくじ)の印と国庫の鑰(やく)を守護してきた神徳によって「印鑰大明神」とも称したと伝えられています。 改訂 徳島県神社誌によると、「大御和神社」と奉称したたのは明治三年とのことです。 古事記主役神を祀る阿波の古社は、なべて戦前から甍に菊のご紋がならんでいるのですが、ここ大御和神社も見上げればすぐに菊のご紋の並んでいるのが分かります。阿波ならではの神社の佇まいかと存じます。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
なお、徳島藩の歴史書『阿波志』には「大御和祠、延喜式亦小祀と為す、府中村在り即ち大己貴命、今府中宮と称す。又印鑰と称す。」と記され、『阿波志』よりも古い『阿府志』には「大御和神社同郡府中村に在り府中は古の夷の都なり、俗に印鑰大明神と伝ふ、別当瑠璃山長徳院千福寺、祭礼に流鏑馬・角力等を献、按大和国三輪と同神也」と記されています。また、『寛保改神社帳』には「府中村印鑰大明神 社僧同村大坊」と書かれています。 戦前には、県内でも数少ない県社に列せられておりました。
@佐藤正文-k2b
@佐藤正文-k2b 5 ай бұрын
丁寧な返信コメント、いつも有難うございます🙏返信コメントでは明治三年に大御和神社になってますが阿府史では印鑰大明神、大御和神社と言われ「古の夷の都」でいにしえの都だったのですね。聖徳太子も大御和神社辺りに府中の宮があったとお聞きしました。どれだけ古いのか分かりませんが、すでに6〜7世紀には、神社⛩️が実在してたのですね。桜井市の「大神神社」は当神社がモデルとされ、勧請されたとお聞きしました。びっくり😱ですね‼️藤井さんの知識量、半端ないですね、歩く阿波説百科事典ですね✨凄すぎ‼️失礼しました。
@藤井栄-t6s
@藤井栄-t6s 5 ай бұрын
​@@佐藤正文-k2b過分なお言葉、恐縮至極です。とんでもございません。古代史の勉強を本格的に始めてまだ10年ほどの駆け出しの阿波古代史学徒です😅 大御和神社辺りは、阿波の先覚岩利大閑氏によれば聖徳太子の「上つ宮」であったところだそうです。 奈良の大神神社は、当大御和神社をモデルに、平城遷都の象徴として新たに建立されたとのことです。 機会がございましたら同氏著『道は阿波より始まる』(3冊)をご一読いただければと思います。 因みに申し上げれば、国文学者、万葉学者、民俗学者の折口信夫は、ご自身のルーツ、天皇家のルーツを奈良で辿っていましたが、7世紀以前のことになるとどうしても先へ進めることが出来ず、何かでふと阿波に目を転じると何もかも阿波に有る、と驚きつつ阿波について研究を深められていったそうです。 今後ともご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
@佐藤正文-k2b
@佐藤正文-k2b 5 ай бұрын
藤井さんならではの返信コメント、聞けるだけでも感謝しきりです。今後のご活躍を期待しております。😃✨
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