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魏志倭人伝「その山に丹あり」弥生時代唯一の朱の王国 ~若杉山辰砂採掘遺跡・加茂宮ノ前遺跡~
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古代史塾
Күн бұрын
Пікірлер: 158
@ANYA-channel
5 ай бұрын
現地取材いつもお疲れ様です、勉強になりますv
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し有難うございました。今後とも情報発信に努めてまいりますのでどうか宜しくお願い致します。
@right-post
5 ай бұрын
動画ありがとうございます。いつか訪れてみたいです。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
是非とも、訪れてみていただければと存じます。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければと存じます。
@富嶽-w9t
5 ай бұрын
暑い中、現地取材お疲れ様です。 若杉山辰砂採掘遺跡、加茂宮ノ前遺跡、二つとも訪れた事が無いので、参考になりました。また涼しい季節に必ず訪れ、何か感じる事が出来ればと思います。ありがとうございました。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し感謝申し上げます。是非とも一度訪れてみて下さいませ。ただ、小川を渡ってミカン畑跡の石垣を登って行かれるのは控えた方が良いかと存じます。 私も県立博物館主催の行事に応募して2度学芸員お二人の先導の下、20数名の方々と上った経験がありますが、急な石段等で危ない箇所もございますし発掘場所を特定するのは学芸員がいないと困難かと思います。採掘場所に表示板等があるわけではありませんので。 どうしても上へ行かれるときは、二人以上で滑らない靴をご用意されたらと思います。今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ有り難く存じます。
@富嶽-w9t
5 ай бұрын
動画で撮られてた辺りから眺めたいと思います。ありがとうございました。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@富嶽-w9t それなら安心です✨ 余計なことを申してスミマセン😅
@玉虫厨子-z8o
4 ай бұрын
猛暑の中ご教唆ありがとうございます。 先生の誠実さ、熱意にはいつも頭が下がります。 本当に、実際に訪れてみなければ解らないことは絶対にあるんですよね。 机の上でいくら書物に齧りついてても現地に行ってみなければ知り得ない事実、真実は確実にあります。 新説、異説を受け付けない学者達はくだらないプライドを捨てて、謙虚に真摯に歴史に向き合っていただきたいと思います。
@藤井栄-t6s
4 ай бұрын
温かく勇気づけられるコメントを頂戴し感謝申し上げます。 正におっしゃるとおりかと存じます。諸学者の先生方には固定観念を排して虚心坦懐に事物を観察して下さいますようお願い致します。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ幸いです。有難うございました。
@古屋公夫-s9s
4 ай бұрын
若杉山遺跡から丹生が採掘されていたのが魏志倭人伝の時代であることは事実ですが、その時代には、既に丹生を流通するネットワークが倭国にあったのです。 箸墓古墳、ホケノ山古墳はいずれも纏向にあり、箸墓古墳には邪馬台国の女王卑弥呼即ち、孝霊天皇の皇女倭母母曽毘売命が葬られました。
@user-hp5om8ug4g
5 ай бұрын
暑い中本当にありがとうございます。鶴林寺と太龍寺の間のお遍路道なのですね 行ってみたいと思うのですが歩かないと行き着かないですね
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
おっしゃるとおり歩きです。軽であれば行けないことはないかもしれませんが、入口で車はダメだと書かれていたと思います。 遍路道を整備されている地元の方は軽で通行を認められていると思いますが。
@ponzu1087
5 ай бұрын
加茂宮ノ前遺跡に行ったら何も無くてビックリでした。加茂宮ノ前遺跡から「あそこが若杉山」と教えて頂きました。 考古学学会が見たくない、認めたく無い遺跡なんでしょうね。次回は行ってみたいです。有難う御座います😮
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
それはそれは!?そうだったんですか。本当に残念でしたねえ。 「加茂宮ノ前遺跡」そのものは、発掘作業が終わって堤防工事が終了したので、動画のとおり立派な堤防の下になってしまっています。なので、現在は堤防上に発掘時の様子等を記した説明板があるだけなんです。 たかだか1ヘクタールの広さの所に、弥生時代の層では国内最古級の鉄器鍛冶炉跡を備えた竪穴住居跡(10件の竪穴住居から鍛冶炉が発見、床面が赤く焼けた鍛冶炉が19箇所)、水銀朱関連出土物も多数出土しております。 弥生の層の下、縄文時代の層からは竪穴住居隣接としては西日本で初めて「円形配石遺構」(ストーンサークル)が発見され、水銀朱関連の石臼・石杵が300点以上出土、辰砂原石も多数出土しており、もちろん国内最大規模です。 「加茂宮ノ前遺跡」からの出土物は全体で、何と100万点を優に超えるのです。(徳島県立埋蔵文化財総合センターの話) 動画をご覧いただければ「若杉山遺跡」と「加茂宮ノ前遺跡」の位置が何とかご理解いただけるのではないかと思いますが、迷ったら地元の方にお訊きいただければと存じます。 ご指摘のとおり、邪馬台国畿内・九州両説の立場に立つ諸学者にとっては不都合な一大遺跡かと思います。 懲りずに今後とも阿波の古代にご関心をお寄せいただければ幸いに存じます。
@佐藤正文-k2b
5 ай бұрын
🌞暑い最中の動画ロケお疲れ様です。現場ロケ動画なので、リアル感があり現場状況が分かりやすかったです。見どころ満載な所で一度は行ってみたいですね、若杉山辰砂採掘遺跡も一級品の証拠ですけどね‼️藤井節聞けて良かったです。🙏✨
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し有難うございました。日本の古代を検証し語るためには、考古学・魏志倭人伝・記紀・万葉集など様々な分野における検討が必要かと思いますが、今回は魏志倭人伝の記述に注目して動画配信をさせていただきました。動画を通して阿波の古代に思いを馳せていただければ幸いです。 暑さに疲れて、いつも以上に早口になってしまいました(苦笑) 今後は気を付けたいと思います。変わらぬご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
@佐藤正文-k2b
5 ай бұрын
返信ありがとうございます。藤井さん相当暑かっようですね😵💫これからが夏本番です🌞無理せず体調を整えて下さい、皆さんも同じだと思います‼️阿波説の方々からもコメント届いてましたね、感謝ですね🙏✨
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@佐藤正文-k2b m(_ _)m
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@佐藤正文-k2b 有難うございますm(_ _) m
@麺五郎
5 ай бұрын
何時も見てます。その山に丹ありで阿波説で決まりですね。 ただ香川県に昔から丹生(にぶ)と言う所があるのが気になっています。駅もあります。 調査はされてないのですが。阿波と讃岐の繋がり大国(邪馬台国)を感じます。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@麺五郎 コメントを頂戴し感謝申し上げます。おっしゃるとおりかと存じます。 讃岐は阿波と深い繋がりがあり、もっと申し上げれば同じ「積石塚」文化圏になります。 大変興味深いことは、あの巻向遺跡の「箸墓古墳」(5段築成)の最上段は阿波や讃岐と同じ " 積み石塚 " になっているのです。 諸学者は相も変わらず不都合な真実なので触れようとしませんが。 私は平成28年に鳴門・板野古墳群が国史跡に指定されたのを記念して開催されたシンポジウムで畿内説第一人者のお一人石野博信氏が資料を示してご説明をされたのをお聞き致しました。 なので、箸墓古墳は阿波・讃岐の古墳文化の影響を受けた阿波の積石墓などより後世の古墳であると考えています。 もっと申し上げれば、結晶片岩(阿波の青石)が畿内の多くの古墳築成に使用され、阿波の土器(東阿波型土器、小型丸底土器)が畿内全域の遺跡からおびただしい数出土していることを考え合わせると、いつも私が申し上げているように、巻向遺跡をはじめ畿内は阿波の古代人(倭人)が開拓したと確信しております。 決定的なのは、巻向遺跡の導水施設という祭祀的施設の下層の溝から東阿波型土器がたくさん出土していることです。 (奈良県香芝市・二上山博物館編「邪馬台国時代の阿波・讃岐・播磨と大和」(学生社)) 如何でしょうか。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければと存じます。
@阿波の古代史探索
5 ай бұрын
考古学調査された現場を紹介してくれる動画はありがたいです。藤井さんの書籍は参考にさせてもらっています。 ただ、三世紀卑弥呼の時代に一致し、画文帯神獣鏡を副葬するのは萩原1号墓しかないのに、気延山・前山古墳あたりに固執すると考古学界からは相手にされなくなるのが残念です。 何代目かのヒミコが気延山あたりにいたことはあり得ると思っています。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@阿波の古代史探索 コメント有難うございます。 必ずしもそうとは言い切れないと思います。 小著2冊にも書かせていただきましたが、阿波には「西山谷2号墳」も「宮谷古墳」もございますし、また「萩原2号墓」も、「丹田古墳」注目すべき古墳ですので。 諸学者は不都合ゆえに取り上げませんが。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければと存じます。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
なお申し上げれば、三角縁神獣鏡、内向花文鏡、斜縁上方作銘獣帯鏡なども検討の対象とすべきかと考えます。
@幕張メッセンジャー
3 ай бұрын
コロナ禍以前に加茂谷の一宿寺からかも道を登り太龍寺に至りました。 多くの人は古代史と関係ないとお考えだと思いますが、太龍寺と阿波古代史の関係は深い様に体感しました。(お大師様もその事を踏まえて彼の地に巨大な城壁を 有する様な寺を作られたのかも‥)帰りは反対側の道を下り若杉山辰砂遺跡を 通り水井町に降りました。 辰砂採掘跡ですが、最近 若杉山から程近い津乃峰山中腹でそれらしき採掘坑道跡が見つかったそうですね!
@藤井栄-t6s
17 күн бұрын
コメントをいただき有難うございました。仰るとおりかと存じます。空海は皇都阿波もご存じだったと考えております。 阿波に対して藤原への警戒心から「向こう千年言挙げするべからず」と仰ったそうですから。言挙げしたら藤原に潰される、という思いがあったそうです。 弥生時代の辰砂採掘遺跡は、若杉山遺跡だけではなくご指摘のとおり、「津乃峰山洞窟遺跡群、中野遺跡、寒谷遺跡、丹波抗口、野尻石灰岩採掘跡、奥ノ谷遺跡」の刑6箇所の遺跡が確認されております。(阿南市教育委員会提供資料にて確認:小著『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』テーマ46「朱の王国」(2)203頁以下をご一読下さいませ。) 私はまだ他にもあったと考えております。山の森林の中で発見は何かのきっかけがなければ見つからないかと思いますが。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ幸いです。
@都-d9g
5 ай бұрын
動画ありがとうございます。 大井小学校、加茂谷中学校卒です。中学3年間水井橋を渡って通っていました。我が故郷がそんなすごい所だったなんてわくわくしています。今は大井町から遠く離れて住んでいますが実家はまだあるので年に2、3回は帰りますが残念ながら家族にすごい所やでといっても反応は薄かったです。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
コメントをいただき感謝申し上げます。 やはりそうですか。全国に誇るこれだけの宝が有りながら、地元は元より県民そのものが殆どその価値に気付いていないのが残念至極なんですよね。 もっと申し上げれば、古代に於ける阿波国がどれだけ凄かったのかということについて、県民の殆どが無関心で「この阿波がそんなわけが訳がない。」と否定しているのが現状です。(県も教育委員会(出先機関)も同じ) 私達阿波の古代史を勉強している者は、それにもめげずに地道にこうして全国に情報発信を続けている次第です。 どうか、身の回りの方々に阿波が如何に凄いのかを広めて下さるよう、宜しくお願い申し上げます。 宜しければ、小著『古代史入門』、『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をご一読賜ればと存じます。 (Amazonからは電子書籍・印刷本で販売中です。徳島県内であれば、紀伊國屋書店駅前店、HIRASOH(平惣)各店舗にて販売しております。)
@rikko116
5 ай бұрын
現地からの貴重な動画と解説をありがとうございます。 いつも楽しみにしています。 ”その山に丹あり”と距離1万2000里だけで決定的で、議論の余地は無いと思うのですが。 徳島で出てきたものが、軽くあしらわれすぎに思います。発掘が進まないのは何故なのでしょうね。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し感謝申し上げます。おっしゃるとおりかと存じます。 空海が当時「向こう千年言挙げすべからず。」とおっしゃったとかで、その趣旨は言挙げをすれば藤原にやられる、とのことだったそうですが、以来隠国(こもりく)とされ歴史から消された阿波をようやく幕末以来の勤皇国学者の先人の方々が日本の本つ国は阿波であると唱え始め、その流れを踏まえて岩利大閑氏が「道は阿波より始まる」と喝破して我々はその業績の上に道を進まんとしているわけです。 いつかは行政を動かし、引いては歴史教科書を塗り替える、との熱い思いで日々活動に取り組んでいる次第です。 どうか今後とも変わらぬご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
@ラッキー純-h2x
5 ай бұрын
@user-uw6kp9uk6m 千年言挙げ 藤原にやられる すごい話ですね イマジネーションが掻き立てられます
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@ラッキー純-h2xコメント有難うございます。 律令時代の始まりの頃に何があったのか、おっしゃるとおり想像を掻き立てられる話ですよね。 唐突ですが、万葉髄一の歌人人麻呂(阿波の人)は阿波から奈良への遷都(平城遷都)に抗したため藤原不比等に流刑死させられたと考えております。 詳細は小著「古代史入門」、「甦る皇都阿波(ヤマト)への旅」をご一読下さいませ。
@ラッキー純-h2x
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s なんと。目から鱗のお話ばかり。キーマンは藤原。白村江の戦いで倭国は一度、唐人の藤原に乗っ取られたのでしょうかね。小生の稚拙なイマジネーションですが。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
コメントを頂戴した方とのやり取りをしている中に第三者の方がコメントで入ってきたことがきっかけで、やり取りをしていただいていた方が私に対して述べておられたご自分の県や教育委員会についてのご意見までご自身で削除されてしまいました。私はやり取りの中で県や教育委員会の行っていることがすべて正しいとは限らないと申し上げていましたが、大事なことを含んでいますので再度掲げさせていただきます。 1 今兵庫県で起こっているようなことが何年も前に本県でも起きました。当時、ある管理職職員(課長)が知事に追い詰められて自死されました。精神を病んで休職を余儀なくされたり、従前のような仕事が出来なくなった方も少なくありません。 2 もっと大きな問題も起こりました。知事に招かれて県の特別職に就いた東京の女性音楽プロデューサーの実施した大きなイベントについて、同女氏が知事の威光を背景に県職員を意のままに指示し、公益財団法人を通じて億単位の県民の血税を不正に受取り、国税庁の指摘するところとなって東京地検に逮捕されました。 この一件は、住民監査請求を経て住民訴訟が提起され係争中のはずです。 3 現政権になっても、首をかしげる事案が生じております。 ・ 本年4月14日(日)に徳島駅前のホテルクレメントで「阿波ヤマト財団」が設立され、県内の主だった古代史活動グループ・個人が加わって活動を開始していますが、設立に至る経緯も極めて不透明で、活動自体も財団を立ち上げてまで行うような活動は為されておりません。(このような活動実態であるにもかかわらずなぜ県が関わったのでしょうか。) ・ 私は当該財団の中心にいる常軌を逸した言動を繰り返した特定非営利活動法人代表者S氏(財団座○)とのいきさつがあり、事前に関係者から「参加して欲しい。」と何度も強く勧誘されましたが、いきさつのある当該人物が私にキチンと筋を通した詫びを入れない限り参加しないと拒絶致しました。 参加者各々の活動に何らの理解もなく、主催講座で他団体の考え・解釈を厳しく批判し、生来の強い自己顕示欲で目立たしい役職に執心するかかる人物に県主導で設立した財団に参加をする資格が果たしてあるのでしょうか。財団の活動が団結して行われているとはとても思えません。 ・ そもそも当該財団は、もともと東京の著名なプロデューサー O氏の企画を東京の知人T氏(知事とも旧知)が丸ごと横取りして知事に提案し、県主導で公益財団法人設立を目指していましたが、結果として「公益」ではなく「一般」財団法人の設立となったのです。 (詳しい経緯は承知していませんが、迷走しました。知事応接室での参加者全員の集合写真で推測できます。) ・ 設立に際しても、本来ならば県が主導で設立しているのですから、広くマスコミに呼びかけて大々的に県内外にアピールするはずのところ、 奇妙なことに4月上旬に県の幹部から各報道機関に対し、 「今回の財団設立はリリース(公開)したくないので報道を控えて欲しい。」という趣旨の依頼をしているのです。 なので、当日夕方のテレビニュースはもちろん、翌日の各新聞にも報道記事はありませんでした。 (後日、当日の様子の動画が流れたぐらいです。) 参加した人の話では、各ユーチューバーが来徳されて盛り上がっていたとのことでしたが、このようなやり方でまともな財団と本当に言えるのか、私は根本的に大きな疑問を持っています。 4 私は、古代史を文化政策、観光政策に活かすという公約を掲げた現知事さんを立候補を表明された時から東京のO氏とともに支援してまいりましたが、この一件で大いなる疑問を持っています。 県として取り組むべき古代史の活動とは、 「全国古墳文化の発祥地」の鳴門市・板野町や邪馬台国時代の全国唯一の辰砂採掘・精製遺跡「若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡」を有する阿南市をはじめ、全国にアピールする題材を有する関係市町村とスクラムを組み、県・市町村が一体となって我が県を全国にアピールする活動を展開することではないでしょうか。 今回の財団のように、各グループ等がそれぞれに行っている現状の活動を寄せ集めたところで何ら新しい展望は開けません。これで良しとするのは座○氏ぐらいではないでしょうか。 阿波の大先覚、岩利大閑氏が喝破されたように「道は阿波より始まる」のスローガンの下、漁業、織物、焼き物、地名、言葉などあらゆる文化が阿波から全国へ広がっていることを古代阿波人の全国進出の証しとして県民一丸となって取り組み邁進することこそ、今県が取り組むべきことです。 これこそが、新知事さんの唱えられる「新時代へ躍りだそう」というキャッチフレーズにふさわしいことではないでしょうか。 関西万博も絶好のアピールの機会かと存じます。 古巣県に対しては、古代史に勤しんでいる者として、また一県民としてブローバルな視点でのダイナミックな取り組みに大いに期待する次第です。
@dry301
5 ай бұрын
阿波に住む人たち全員が阿波説を信じるまであの世で待ちましょう!
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
有難うございます❗️ 阿波は元より全国の皆様が阿波を日本の元つ国であるとご認識いただくまで真摯に精進を重ねたいと存じます。 今後とも変わらぬご支援のほどどうか宜しくお願い申し上げます。
@佐藤正文-k2b
5 ай бұрын
お疲れ様です。コメント拝見させてもらいました。色々あって大変ですね😮💨一本気で自分に厳しい人柄が表れてますね‼️『心は熱く、頭は冷静に』の言葉通りマイペース❗で動画配信お願いします🙇
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@佐藤正文-k2b 暖かいご助言身に沁みます。 自分を見失わず一歩一歩、歩を進めたいと思います。感謝です。
@berggalois4937
Ай бұрын
若杉山の湧水で仙人になろう。 神武東征は辰砂採掘が動機という説もありますね。
@藤井栄-t6s
17 күн бұрын
コメントをいただき有難うございました。 なるほど!そういうお考えもあるのですね。また視野に入れて考えてみたいと思います。今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ有り難く存じます。
@古屋公夫-s9s
4 ай бұрын
天照大御神と須佐之男命には争いはありませんでした。 水銀朱は阿波の若杉山、加茂宮の前から採掘されたことは事実ですが、その時代には水銀朱の流通ネットワークがあったと言うことです。
@kn-jk4lk
5 ай бұрын
暑い中ありがとうございます。なかなか現地に行くことができないのでとても参考になりました。 ところで、一つ気になったことがあちます。 魏志倭人伝の参考資料となった後漢書東夷伝には、 倭の「山に丹あり」と書かれているけど、 邪馬台国の「山に丹あり」とは明記されていないと聞きました。 つまり、若杉山が唯一の水銀朱の採れるところであったとしても それだけで阿波が邪馬台国とは言えないように思います。 実際のところ、後漢書に、邪馬台国の「山に丹あり」という記述はあるのでしょうか? 私は阿波が大和王権の元であると信じていますが、気になりました。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
コメントを頂戴し有難うございました。 私は朱に着目して後漢書東夷伝を読んだことはございません。私の動画を否定するような記述があるのであればご教示いただければ検討させていただきます。 三国志、魏書第30巻の烏丸鮮卑東夷伝倭人条に「其山有丹」との記述があり私は邪馬台国のことだと解していますが、諸学者の多くも邪馬台国のこととして議論をされていますね。またこれを邪馬台国ではなく「倭」、つまり当時の列島全体を指すんだと解する学者の方々もいらっしゃいます。 その真偽は一つ置くとして、お考えいただきたいのは、「倭」であっても「邪馬台国」であってもどちらにしても「其の山に丹あり」との記述があるのですから、ではその「丹の取れる地」は何処であろうか、と検討すれば、弥生時代の後期から終末期、そして古墳時代初頭にかけて実際に「丹」、辰砂(水銀朱)が採掘されている遺跡は阿波阿南市水井町の「若杉山遺跡」しかないということです。 (動画でご説明したとおり、徳島県阿南市教育委員会によれば、阿南市では若杉山遺跡以外にも計6箇所の弥生時代の辰砂採掘遺跡が確認されているのです。) 動画で私がご説明していることについて疑問を呈される方は、最初から最後までキチンと動画を見ていただけていないのが残念ですが、 「若杉山」に加えて阿南市加茂町宮ノ前の「加茂宮ノ前遺跡」では、若杉山遺跡よりも確実に古い時期の弥生時代中期末から後期初頭に辰砂を利用して貴重な水銀朱の生産を行っていたことが確認されたのです。(徳島県立埋蔵文化財総合センターの現地説明会資料NO.76より。) さらには、弥生時代の層の下の層、つまりは縄文時代後期(約4千年~3千年前)の層からは水銀朱を生産するための道具類、水銀朱付着石杵・石臼が300点以上、辰砂原石も多量に出土しているのです。もちろん国内最大規模です。(同センター説明会資料NO.77) 発掘調査をしたたかだか約1ヘクタールの広さの遺跡から、弥生・縄文両期を合わせて百万点を優に超える出土物があるのです。 上掲倭人条の少し前の記述には、「以朱丹塗其身體」(朱丹をもってその身体を塗る)とあります。 日常的に人々が “ 朱を身体に塗ることが出来る ” ほど豊富に「丹(朱)」が採れた地が阿波以外にどこにあるのでしょうか。 文献を検証する上で重要なことは事実を虚心坦懐に見つめることではないでしょうか。 ご指摘の後漢書東夷伝、 烏丸鮮卑東夷伝倭人条の時代に実際に採掘された事が確認されている遺跡が阿波以外にあるのでしたら教えて下さい。 動画でも申し上げましたが、弥生時代の辰砂鉱床は、大和(奈良)、阿波、北九州、南九州の4箇所あると学者が指摘しておられますが、実際に採掘されたことが確認できているのは、ただ1箇所、阿波だけなのです。他の3箇所のどこかから実績として採掘が確認されている遺跡、阿波を超える遺跡があればご教示願います。 ご質問についてのお答えとしては以上で十分過ぎるかと存じますが如何でしょうか。
@kn-jk4lk
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s お返事いただきありがとうございます。 当時の水銀朱は貴重でしょうから、 その唯一の生産地の阿波は、 倭の国々の中で大事な地域であり、 それで巨利を得ていたのは理解しております。 ただ 倭人伝の「以朱丹塗其身體」を、 邪馬台国の人々だけが日常的に朱を身体に塗っていると解釈するのではなく、 倭の人々が日常的に朱(ベンガラ)を身体に塗っていると解釈するのはいかがで しょうか? 倭で唯一採れる水銀朱を、いくら生産地だからといって、 阿波の人々だけが日常的に塗っているとうのも疑問です。 ましてや、毒性のある水銀朱を 埋葬する人にではなく生きている人に日常的に塗っていたというのも疑問です。 邪馬台国の人だけでなく、倭の他の国々の人々は、 倭の各地で容易に採れるベンガラを 身体に塗っていたとは考えにくいでしょうか? 極めて貴重な辰砂(水銀朱)は、生きた身体ではなく、 葬式や土器などに使われていたということではないでしょうか。 そもそも、魏志倭人伝が参考にしたと思われる 後漢書東夷伝には、「其山有丹土」と書かれています。 つまり「其の山に丹あり」ではなく、 元ネタは「其の山に丹土あり」と記述されています。 後漢書東夷伝の文を書き写す時に、丹土を丹としてしまったと思います。 丹土は赤土です。辰砂(水銀朱)は鉱石鉱物です。 赤い土を鉱石鉱物とは呼ばないと思います。 中国語で「丹」は赤・朱色です。 元文では「丹土あり」となっている以上、 素直に倭国には「赤土あり」と解釈してもいいのではないでしょうか? 私は、阿波が古代倭国においての重要な信仰地とみなしておりますが、 若杉山の辰砂が、邪馬台国の阿波説の決定打にはならないように思えて仕方あり ません。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@kn-jk4lk それはそれで一つのご意見かと思います。 私の見立ては返信のとおりです。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
一つだけご指摘致します。 県外の方からのご意見でいつも感じることですが、「ああ、やはり阿波の事がご理解いただけていない。」ということです。 水銀朱(HgS)とベンガラ(Fe2O3)では全く価値が違うのです。お分かりでしょうか。朱に対する根本的な見方に間違いがあります。 この水銀朱(辰砂)が前述の如く豊富に採掘されていたのは阿波だけです。その証拠に、阿波の神社の礎石等をご覧いただければ、あちらこちらで本当によく窪んだ石が使われていることに気付くはずですが、これらはみな辰砂をすりつぶしていた跡なんです。他県の方には分からないことですが。 私は毎年車で全国各地へ古代史探訪の旅(古代阿波倭人全国進出の足跡を訪ねて)へ出かけていますが、他県の神社等では見かけることの出来ない情景です。 一度、阿波へ旅して神社を回って見て下さい。 このように豊富な辰砂をすりつぶして使用していた旧国と他県は比較にならないのです。気軽に手に入るような物ではなくダイヤモンドよりも貴重であったとも云われているものを古代の他県の方々が日常的に使えるわけがないのです。 宜しければ動画でもご紹介している小著『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をご一読下さいませ。どのような使用の仕方がなされているのかを説明させていただいておりますので。これは、埋蔵文化財センターや教育委員会の学芸員でも知らないことです。
@kn-jk4lk
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s 私の説明で誤解を与えてしまったのであれば申訳ございません。 決して、邪馬台国が阿波になかったとか、 水銀朱が阿波には無かったと言っているのではありません。 魏志倭人伝で「其山有丹」は、 後漢書東夷伝の「其山有丹土」の箇所を 魏志倭人伝の編者が、書き写し間違えているということ。 つまり、倭に赤土の山があるということしか記されていないということ。 それを、「其山有丹」の4文字だけで、 邪馬台国の山に水銀朱の鉱物が採れると解釈するのは、 もう少し根拠が必要と感じました。 それと話はそれますが、 魏志倭人伝に、卑弥呼からの使者に、 魏の皇帝から、金印や銅鏡だけでなく、 多くの赤色顔料(眞珠と鉛丹)なども卑弥呼に下賜されています。 ※眞珠とは朱色顔料のことです。 もしも邪馬台国が阿波でないとすると、 魏の皇帝が、邪馬台国が赤土しか無いことを知り、 卑弥呼に鉛丹を送ったというのは考え過ぎでしょうか?
@トミヤマサキオ
5 ай бұрын
弥生時代どころか伊勢の丹生鉱山は縄文時代から産出して使用していた形跡がありますよ。 弥生時代末期、邪馬台国の時代だと丹波の赤坂今井墳丘墓にはガラス玉、碧玉他非常に豪華な出土品の中に、水銀朱も含まれています。 その水銀朱は伊勢の丹生鉱山の物ですからね。伊勢の多気辺りを丹生の聖地としていたのは他でもない四国産まれの空海です。 それに魏志倭人伝の記述、丹山ありとは邪馬台国ではなく倭国の事だと忘れてはダメです。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
コメント有難うございます。 「其の山」は「倭国」だとは、諸学者が苦し紛れに言うことですね。 他県で出土しているとされる、あるかないか市毛氏でさえ確認出来ていないような所と阿波は比較になりません。 もう一度思い込みを排して動画をご覧下さい。 これだけのものが出土している所があれば教えて下さい。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
「形跡」とは何でしょう?抽象的で根拠にはならないかと。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
「水銀朱が含まれている」ものなどは、他の箇所からもたくさん出ていますね。 その程度の物しか出土していないということですね。
@トミヤマサキオ
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s もしかして、丹波の赤坂今井墳丘墓の事ご存知ないのですか?だとすれば申し訳無いですが貴方の勉強不足ですよ。重要なのはここの弥生時代末期の水銀朱は伊勢の丹生鉱山の物、つまりハッキリと阿波の水銀朱ではない事も確定している事ですね。 しかもここは発掘されているのはメインの部分ではありません。 ちなみに松阪天白遺跡からは縄文時代の辰砂原石から精製に使われた物等も確認されております。
@トミヤマサキオ
5 ай бұрын
もう一つ追加しますと、邪馬台国に関しては七万戸という巨大な国である点、それと卑弥呼が都としていたと同時に鬼道で支配してあたという点。この二つが最大の条件であるはずです。 まず戸数は七万戸、これは魏志東夷伝においては馬韓国10万戸、辰国4万から5万戸と比較して見ると阿波ではとても無理な数字なのは誰でも判ります。勿論これは広大な広さがないと無理です。 また鬼道は三国志において初期道教ですから、神仙思想を具現化してる神獣鏡の出土分布は重要な証拠になります。そうなるとやはり畿内辺りが有力な候補になるという事ですよ。
@犬塚ワン太郎
5 ай бұрын
スサノオとは朱砂の王ですか?真珠とは自然水銀のことかも、水銀の流動的な動きが不老不死の薬と思われていたようです。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
どのようなところからそのようなことが言えるのでしょうか? 思い付きですか?
@古屋公夫-s9s
4 ай бұрын
天手力男は紀元前258年に生まれ192年に65歳で崩御され、熊本県の弁慶ヶ穴古墳に葬られました。 阿波にはいらっしゃいませんでした。 邪馬台国はヤマト国と発音して、現在の奈良県を指します。 当時奈良県では崇神天皇を中心ですする政治及び祭祀が行われていました。 都が京都に遷るまで天皇間、天皇制が続いていました。
@藤井栄-t6s
4 ай бұрын
コメント拝見致しました。 支離滅裂のご意見は理解の他です。 紀元前の日本の状況をもっともっと考古学を含めて見つめないとこのようなトンデモ意見になります。 そのような大間違いを正すべく日々精進をして情報発信をさせていただいております。
@鷹の爪団員ジャステス
4 ай бұрын
朱=丹は日本で5箇所が有名 特に有名なのは今の奈良と三重 奈良吉野から三重多気群[旧丹生村]に丹生川が流れている 丹=朱を生む=産する川で在る多気[旧丹生村]には日本最大の丹鉱山が あった 他には 福井県丹生鉱山 長崎県丹生川鉱山 徳島県若杉山辰砂採掘所 奈良大和宇陀水銀鉱山丹は大仏の造営[鍍金]に使われ平城京の塗装に防腐として使われた 青丹よし[青色瓦と朱色の柱]奈良の都は咲く花の 匂うが如く 今盛りなり
@藤井栄-t6s
4 ай бұрын
コメントをいただき有難うございました。 動画でも申し上げているとおり、辰砂の鉱床は全国に大きく4箇所あるのですが、邪馬台国卑弥呼の時代に現実に採掘されていたのは阿波だけなのです。 本動画のテーマは魏志倭人伝に書かれた「其の山に丹あり」ですので。
@レブル1号
5 ай бұрын
早く「邪馬台国は阿波だった」と認知されることを願っています。 書籍二冊、本日注文致しました。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し感謝申し上げます。 何と、小著をご購読いただけるとは望外の喜びです。邪馬台国のみならず「日本の本つ国は阿波である」との熱い思いで日々精進致しております。 どうか今後とも変わらぬご支援のほど宜しくお願い申し上げます。
@古屋公夫-s9s
5 ай бұрын
動画興味深く拝見しました。 熊本県山鹿市にあるチブサン古墳は伊邪那岐命の古墳です。 伊邪那岐命は紀元前240年に崩御されていますが、装飾古墳であり、鮮やかな朱が使われています。 先生のいわれる加茂遺跡から採掘された辰砂であると思います。 その時代すでに辰砂が流通するネットワークがあったのでしよう。 ただし、先生がいわれた天照大御神と須佐之男命との争いが辰砂の権益をめぐるものであるとは思えません。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
コメントを頂戴し有難うございました。そのようなお考えがあるのか、いろいろな考えがあるものだと改めて感じました。 伊邪那岐命は、古事記では「淡海の多賀に坐すなり」とあり、 岩波古典文学大系『古事記 祝詞』頭注では「近江の多賀神社に鎮座されている意。」とあり、 小学館の日本古典文学全集『古事記 上代歌謡』頭注では「滋賀県犬上郡多賀町にある多賀神社に鎮座されている意。伊邪那岐命の終焉地をいう。『日本書紀』および『古事記』の道祥本・道果本は「淡海」を「淡路」と記す。「淡路」とすれば兵庫県津名郡(淡路島)一宮町多賀の伊弉諾神宮となる。国生みの時に淡路島が最初に生まれた点などを考えると「淡路」のほうを古伝とすべきである。」と記されております。 私は上記後段のとおり、伊邪那岐命は最後は淡路島の伊弉諾神宮の地でお隠れになり、したがって伊弉諾神宮で祀られていると解しています。(古事記の物語の流れとして滋賀は考えられません。) なので、伊邪那岐命・伊邪那美命の物語の流れからしても九州のチブサン古墳は伊邪那岐命とは関係がないものと考えております。 また、古事記の物語の天照大神と須佐之男命との争いの歴史的背景は、私一己の見立てですが、やはり朱の権益争いが歴史上の出来事としてあり、それが古事記であのような物語になったのではないかと考えているわけです。 長くなるので、そう考える背景は宜しかったら小著『甦る皇都阿波(ヤマト)への旅』をご一読いただければと思います。
@ラッキー純-h2x
5 ай бұрын
失礼します。 天照大御神と須佐之男命との争いが辰砂の権益をめぐるものであるとは思えない理由は何ですか? また天照大御神と須佐之男命との争いの原因は何だとお考えですか?
@ともさん-j9d
5 ай бұрын
他に朱が見つからなければ徳島で間違いない!
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@ともさん-j9d 早速コメントを頂戴し感謝申し上げます。 おっしゃるとおりかと存じます。 諸学者の方々には固定観念を排して現実を直視していただきたく思っております。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ有り難く存じます。
@ラッキー純-h2x
5 ай бұрын
単に朱が見つかるだけではダメですね。 「邪馬台国の時代」の「採掘遺跡」でないと。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@ラッキー純-h2xおっしゃるとおりですね。 古代における辰砂(水銀朱)の鉱床は大和、九州(2ヶ所)にもあるのですが、邪馬台国時代に実際に採掘されたことが出土物で明らかになっているのは阿波の若杉山遺跡だけです。
@ラッキー純-h2x
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s 少し質問があるのですが、大和、九州(2ヶ所)の鉱床というのは、邪馬台国時代の地層にあった鉱床が「近代に見つかった」という話でしょうか。 若杉山遺跡のように「採掘の証拠が出土している」のではなく、「邪馬台国時代に確認されているかどうかも分からない鉱床」という感じで宜しいでしょうか。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@ラッキー純-h2x 私は朱の関係書やシンポジウムで全国に4ヵ所辰砂(水銀朱)鉱床があることを知りましたが、お問い合わせのような具体的なことは承知しておりません。 本にもあまり具体的なことは書かれておりません。 ただ、鉱床の存在は分かっていても邪馬台国時代をはじめとしてどの時代においても採掘された跡が見つかっていないということではないかと思います。 もし、採掘された跡が確認されたなら、それこそ自分の所が邪馬台国だとマスコミ等に大々的に売り込んで阿波に対抗してくる筈だからです。 畿内・九州が共に「朱」に関して沈黙せざるを得ないのはいつの時代においても採掘された跡が無いからだと考えております。
@yoshitome6648
5 ай бұрын
「其の山」は佐賀県と解釈しています。 或いは「其の」は日本の、とも解釈出来ます。 辰砂は中央構造線沿いに「日本全国で」採掘できる訳ですが。 若杉山は「現存する丹砂が採掘できる工程が残る唯一の炭鉱」です。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
コメント有難うございます。 佐賀は苦しいかと思います。根拠に乏しいかと。 「其の」の解釈も無理があります。 再度よく記述の前後をお読みいただければご理解いただけるかと思います。
@yoshitome6648
5 ай бұрын
「其の」は勝手に解釈出来る正に都合の良い解釈です。 徳島県は縄文弥生時代の遺跡数が全国三番目に少ない県です。 遺跡数はそのまま人口です。七万余戸の邪馬台国は現実的にありません。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@yoshitome6648 残念ながら阿波の基本的なことがご理解いただけていないようです。 完全に認識不足かと。 他の動画も含めてお勉強をなさった上でまたコメントを読み直して下さいませ。
@Masaaki-Ito
5 ай бұрын
暑い中、動画撮影ありがとうございます。綺麗な場所ですね。若杉山遺跡はこんなところにあったんですね。加茂宮ノ前遺跡と合わせて一度行ってみたいです。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し感謝申し上げます。是非とも一度は訪れてみていただければと存じます。貴方様の故里阿波は古代このようなスゴイところだったのです。 地元の殆どの方は行政も含めて自虐史観で「この阿波がそんな訳がない」などと見向きもされませんが‥‥ 今後とも積極的に “ 言挙げ ” をして阿波の歴史の真実と信じるところを情報発信をしてまいりたいと思いますのでどうか宜しくお願い致します。
@Masaaki-Ito
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s ホント阿波はスゴイところですよね!高校生の頃に「徳島にはなんもない」と思って東京の大学に進学し、すぐに実家がなくなってしまったので故郷へ帰る意味もなくなり、そのまま東京に居着いてしまいましたが、阿波古代史を勉強するにつれて郷愁が爆上がりしているところです。今では徳島にはスゴイものが「あるでないで」と思っています。これからも先生の動画に期待するとともに、今年中に先生の塾へも一度参加してみようと思っています。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@Masaaki-Ito私も県庁を退職するまでは徳島は何が有るんだろう?と思っておりましたが、岩利大閑氏の名著「道は阿波より始まる」に出会ってから阿波に対する見方が根本から変わりました。 とてつもない凄い所で生を受けた意味を日々噛み締めながら活動に勤しんでいる次第です。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
私の講座にお運びいただけるかもしれないとのこと。 誠に有り難いことです。機会があってタイミングが合えばどうぞ宜しくお願い致します。 私のホームページ(Google検索で「古代史塾」と入力し、「新着情報」をご覧いただければ毎月、向こう3ヶ月の講座内容の予定をお知らせしております。)をご覧下さいませ。 それから私は先生とお呼びいただけるほどの者ではございません。 受講者の方々と共に学んでいる「阿波古代史学徒」です(苦笑) どうか「藤井さん」とお呼びいただければと存じますm(_ _) m
@Masaaki-Ito
5 ай бұрын
それではこれからは親しみをこめて藤井さんとお呼びいたします😊 もうすでに古代史塾の予定日は毎月チェックしてますよ!
@りんりん-k3m
5 ай бұрын
弥生時代唯一なんだ、、、? ちなみに他の時代にはどうだったのかな? 他に採れた場所はあったのかな?
@ラッキー純-h2x
5 ай бұрын
九州・畿内説にだまされるかたの典型
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
私の知る限り若杉山遺跡以外にはないのではないかと思います。 なお、「加茂宮ノ前遺跡」では弥生時代の層の下の縄文時代後期(約4,000~3,000年前)の層からも水銀朱の付着した石杵・石臼が300点以上、原料となった辰砂原石も多量に出土していることは動画でご紹介させていただいたとおりです。なので、弥生時代の「若杉山遺跡」以外にも阿波ではもっと古い採掘遺跡があったということですね。今一度動画をご確認下さい。
@dry301
5 ай бұрын
ここまでは同感です。後は100人余りの卑弥呼の本当の殉葬墓地を発見して下さい!
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
早速コメントを頂戴し有難うございます。 「100人余り?」これは魏志倭人伝の記述「卑弥呼以て死す。大いなる冢を作る。径百余歩。徇葬者奴婢百余人。」のことでしょうか。 「徇葬者奴婢百余人」については学者間でも議論がありますね。奈良箸墓古墳でも佐賀吉野ヶ里遺跡でも見つかっていませんし、そもそも「徇葬者百余人」というのが実際に行われたことなのかということについても議論がございます。 私のような門外漢にはとても荷が重い問題ですね。考古学者、学芸員の成果に待ちたいと思います。今後とも阿波にご注目をいただければと思います。
@dry301
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s 畿内でも九州でもなく四国に卑弥呼の墓が必ず有ると思います生きてるうちに発見されることを期待してます。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@dry301コメント有難うございます。 私達阿波古代史を勉強している者は、岩利大閑氏の「道は阿波より始まる」に書かれているとおり、徳島市国府町の阿波史跡公園の上に鎮座する「天石門別八倉比売神社」上方の円墳(八倉比売神社古墳群第1号墳)が卑弥呼のお墓であると考えております。 機会がございましたら一度訪ねてみていただければと存じます。 今後とも阿波にご関心をお寄せいただければ有り難いです。
@dry301
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s 八倉比売神社の伝承が本当なのか証明される事を期待してます。
@ラッキー純-h2x
5 ай бұрын
@@dry301 他人に期待せずに発掘調査などを政府自民党にご自分で働きかけては? ついでに近隣諸国条項の改定もお願いします。
@peaojaru3626
4 ай бұрын
カメラマンとしての腕前は上がってませんなぁ~ 目が回ります・・・
@藤井栄-t6s
4 ай бұрын
仰るとおりです。誠に申し訳ございません。 学生時代の成績と同じでなかなか上がりません(苦笑) 精進を致しますので、懲りずに見てやっていただければ有り難いです。
@つるやすひろ
5 ай бұрын
徳島の人に言っても無駄でしょうが徳島は普通に人が住んでいただけで魏志倭人伝の邪馬台国とは無関係と思いますよ。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
大体奈良や九州に思いのある方々はそうおっしゃいますね。 これだけの出土物があっても固定観念から離れられないのですよね。 だから、何の反対の根拠もなくただ違うというようなご意見が出てくるわけです。 こういう方々は既存の教科書に書かれていることしか信じられないという呪縛に囚われているということかと思います。 虚心坦懐に事物を見ないと歴史の真実は見えてまいりません。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
無関係と言わないと自分の気持ちが落ち着かないという心理状態ですね。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
歴史の真実を見る勇気のない方は、このように根拠なく否定コメントをされます。
@つるやすひろ
5 ай бұрын
@@藤井栄-t6s郷土を特別視したい気持ちやロマンはわからないでもないが、あまりに弱い。 九州説も畿内説も似たり寄ったり郷土愛の産物ですよ。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
@@つるやすひろ 徳島を否定される根拠は何でしょう? 弱いとは具体的にどういうことでしょう? もっともっとお勉強をしないとダメですね。 単なる独りよがりの自己満足です。
@委の國
5 ай бұрын
ありがとうございます。動画を待ちかねてました。
@藤井栄-t6s
5 ай бұрын
早速のコメントを頂戴し感謝申し上げます❗️ これからも次々に動画を配信予定ですので、阿波にご関心をお寄せいただければと存じます。
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