殿も知らなかった郡山城!!元就公の墓徹底解説!!

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毛利家歴史チャンネル

毛利家歴史チャンネル

3 ай бұрын

日本の歴史が動くとき、そこに毛利あり。
鎌倉政権樹立
天下分け目の関ヶ原
明治維新 etc…
毛利家は日本の歴史の大きなターニングポイントに深く関与してきた大名家です。
このチャンネルでは、徳山毛利家第14代当主の毛利就慶氏が、当事者ならではの裏話や秘話も織り交ぜながら、日本史への興味を掻き立てるような動画をお届けします。
大名家の当主が現代日本においてどのように暮らし、何を思うのか、等身大でありのままの姿でお伝えしてまいります。
「こんな話を聞きたい」というようなご意見ご要望は、ぜひ各動画のコメント欄にお寄せください。
毛利就慶氏への講演依頼も承ります。
なお、毛利就慶氏は歴史家ではなく、毛利家に伝わる言い伝えや独学の情報を基にお話ししていますので、動画で話す内容の真偽を保証するものではございません。
ご理解の上、楽しくご覧いただけますと幸いです。
当チャンネルを通じて歴史を学ぶことで、日本に関心を持ち、ひいては日本やその先人たちを誇らしく思う、そんな方が1人でも増えれば望外の喜びです。
このチャンネルは小説家の中川秀彦氏のご支援、視聴者様からの投げ銭、Google広告掲載料によって運営されています。応援のほど、よろしくお願いいたします。
『神に選ばれた男 児玉源太郎』中川 秀彦 (著)
この小説の主人公、児玉源太郎大将は、毛利家歴史チャンネルの語り手、毛利就慶氏が当主である徳山藩の武士でした。
ウイルスの概念もない明治末期に「検疫の大切さ」を理解していた軍人がいた。日露戦争を勝利に導いた名将にして、武力に頼らず台湾を近代化に導いた偉大な政治家でもある児玉源太郎。 その活躍と人生を余すことなく語り尽くす。
amzn.to/3aJqNiH
#日本史 #毛利 #山口県 #徳山 #教養 #大名 #末裔 #歴史 #戦国大名 #明治維新 #戦国時代

Пікірлер: 134
@MouriMotomasa
@MouriMotomasa 3 ай бұрын
ご無沙汰しておりました。 スマホデビューで四苦八苦しておりました。 郡山城ですネ 元就公のお墓を聖地化した上で長州藩士に参拝する事は快く認めてくれた浅野家には感謝ですね。更に後には神格化され、観光スポットになっていったとは。ここの石垣は大樹と上手く共存しているんですね。 元就公のお墓に植えられた木が末長くあります様お祈り致します🙏
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ご無沙汰でした。 スマホは如何ですか? なかなか、最近のは扱いが難しいですね。 そう言えば、当家の倉庫から清末の家訓の書物が出てきました。 6月の例の記念日に参りますので、良ければ差し上げます。 右田の毛利さんも参加されるみたいなので、当日久しぶりに楽しみにしています。
@MouriMotomasa
@MouriMotomasa 3 ай бұрын
@@mourihistory徳山殿 先日はありがとうございました。 是非是非頂戴致したいと思います。 創立記念日楽しみにお待ち申し上げます。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
👍👍👍👍👍👍‼️
@user-ve5hl9br3l
@user-ve5hl9br3l 3 ай бұрын
当時の木がのこされてるんですね!すごいです。 次回の新しくなった登山道も楽しみにしてますー
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
そうなんですよ! 400年ものです。 はい、来週から戦国ロマンが始まります👍
@user-ue6dm3tu7f
@user-ue6dm3tu7f 3 ай бұрын
お疲れさまです。今週もじっくり動画拝見させていただきなんだが優雅な気分に浸れております。 背景が大自然まさしく「聖地」かつ秋本館長のご解説がまたナイスマッチです。 来週は「石丸市長」が自慢の街道&郡山城解説楽しみにお待ちしております。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
佐藤さん‼️ 優雅な気持ちなんて、お世辞ても嬉しい。 秋本さんと、来週はいよいよ古城巡りです👍
@fumikami7341
@fumikami7341 3 ай бұрын
こんばんわ 毛利元就墓所の石垣は2様の石垣でしたか。 斜め横から見る石垣は凄いもんです。 石垣の中からニョッキと生えてる樹木が不思議ですね~。 江戸期においても毛利元就の名声は響いていて 芸州浅野氏からもリスペクトされ墓所を保護してくれた。 昔から今に至るまで毛利元就の名声は今後も後世に伝わるんでしょうね、 毛利元就の子息たちは父である毛利元就をどのように見ていたか又孫の毛利輝元もですが。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
フミカミさん! フミカミさんには、少し物足りなかったのでは⁉️(笑) 一応、噛み砕いて再度の元就墓所でした。 これからも、未来永劫、元就の名声だけは皆様の心に留めて欲しいと切に願います。
@user-ez6vc1pv4t
@user-ez6vc1pv4t 3 ай бұрын
秋本副館長が石垣の組み方の説明の時、殿が「穴太衆」と言ったら、秋本副館長が「あははは」と笑い声を出しましたね! 言おうとしたことを先に殿に言われたのでしょう(笑)
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
あら、歴史の大家にそんな失礼なことを、、、。 お恥ずかしい、、、。
@user-mr9ce3gt6d
@user-mr9ce3gt6d 3 ай бұрын
殿、今回も素晴らしい動画配信ありがとうございます。次の動画配信楽しみにしております。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつも、ご視聴ありがとうございます❗ 次回も是非宜しくお願いします。
@user-bg2ko2mq9s
@user-bg2ko2mq9s 3 ай бұрын
元就公の墓所は長州藩士だけでなく浅野家にも大切に守られてたんですね それにしてもなんというか素晴らしく厳かな墓所で感動しました 殿の動画のおかけで自分の見識が広がって感謝しております 福岡の毛利歴史チャンネルファンより
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつも、福岡からありがとうございます! はい、お陰さまで浅野家にも守られて元就の墓所は佇んでおります。 本当に厳かなんですよね。 こちらこそ、素晴らしい刺激を受けて、また、学ばせて頂いてます👍👍👍🙇
@cupcake8370
@cupcake8370 3 ай бұрын
いつか安芸高田市を訪ねたいと思いながら見ています。 このお墓を訪ねて、秋元副館長に一目会えたらいいなあ。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
是非、いつか安芸高田へお見えください👍👍 秋本さんは、気さくにお会いしてくれます。
@user-rq6yo2tw1n
@user-rq6yo2tw1n 3 ай бұрын
吉田郡山城を訪れるたびに思うのですが、よく様々な遺構が残っているなと、改めて名城だなと思います❤😊
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
良く訪れてらっしゃるんですね👍️ 本当に、色々な遺構が散見されますよね。ずっと、原型を留めて欲しいと願うばかりです❗
@ashigaru_the_neighbour
@ashigaru_the_neighbour 3 ай бұрын
すごく面白かったです。仕事がバタバタしていて、全く動画を拝見できていなかったのですが、やはり毛利様のものは興味深くていいなと思いました! 郡山城が浅野家にも保護されていたというのは、毛利元就公の偉大さがよくわかるお話ですね。 これからゆっくりバタバタしていた期間の動画を拝見します!次の動画も楽しみにしております!!
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
お久しぶりです‼️ お元気でしたか? お心遣い、本当にありがとうございます! それと、嬉しい褒め言葉まで頂戴して。 これからも、頑張りますので引き続き宜しくお願いいたします⤵️⤵️
@valkurz962
@valkurz962 3 ай бұрын
百万一心!「一日一力一心」!いつも解説、ありがたいです! 毛利家歴史chも、現代の歴史ガイドブック!
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
うわ‼️凄い褒め言葉👍👍 嬉しいです。 現代史のガイドブック。。。 ナイスネーミング。
@user-qd8pj1nz4t
@user-qd8pj1nz4t 3 ай бұрын
ご苦労様でした。清々しい姿有り難いです。ドクダミの葉っぱを天ぷらに致しました。息子は、毒?などと、旦那様にいわれ、悲しく。私としては、勤勉な息子な為に少なからずお金を渡しました。切なさに懐かしい気分。大名様が蜜柑⛩️🌟🍅
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️ ドクダミは、身体の毒物を排出する有難い野草ですね👍️ お茶にしても良いですね。
@user-zu6tc9mb7s
@user-zu6tc9mb7s 3 ай бұрын
お疲れ様です。 いつの時代もお墓を守るための苦労はあったのですね。墓所のある山を浅野家がきちんと保護していたとは粋な計らいですね。現代は貴重な歴史的な文化財として官民1つになり保護され良い取り組みかと思います。他藩よりもやはり長州は一歩先に動く…。さすがです。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつも、ありがとうございます。 本当に先人の方々に、そして現在も保存に尽力されてることに感謝しかありませんね。 長州人として誇りと感謝です⤵️⤵️⤵️
@user-tf9sw6cu2g
@user-tf9sw6cu2g 3 ай бұрын
郡山城の石垣、見応えがありますね! 行ってみたら歴史的なロマンを感じさせられてしまいそうです。 就慶さん、今回も見ている人にとって嬉しい動画を投稿してくださり、ありがとうございます! このチャンネルが開設されて2年が経ち、やがて動画のネタ切れが生じてしまいそうな気がするのですが、知恵と工夫をこらせば、何とか毛利家の歴史などの魅力を紹介するというコンセプトのままこのチャンネルを長く続けられると思いますので、そうやってこれからも動画投稿を頑張って続けていただいたら嬉しいです。  就慶さんがいつも動画を見ている人のために頑張って動画投稿をしていると、僕も、誰かのために何かをするのを頑張ろうっていう気になって、仕事のモチベーションが高くなります。  見ている人をそんな気持ちにさせてくださる毛利家歴史チャンネルが大好きです!!
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
嬉しくて、涙がこぼれそうです。 心から嬉しいな。 二年と少しが経って、動画のネタも無くなりそうかと思いきや、まだまだ、やりたいことあります👍 でも、良かったら色々な提案、リクエスト頂けたら有難いです‼️ 僕の動画が少しでもお役に立てていると思うだけで、やりがいを感じます。 これからも、一緒に頑張っていきましょうね。 僕も頑張ります! 本当にありがとうございます❗
@hidetoshitakimoto9977
@hidetoshitakimoto9977 3 ай бұрын
まるで自分を見ているようなwww 私もあんな感じで廃古城跡に登ってますw
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
うわ‼️いいな。 古城巡りって、本当に楽しいですね。 色々と想いを馳せたりして👍
@user-eo2tq9uc3b
@user-eo2tq9uc3b 3 ай бұрын
郡山城のお墓お参りさせて頂いた事ありますがな静かで、良い環境の場所で、眠られていると言う印象を持ちました。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
コメントありがとうございます。 皆様に足を運んで頂きたいですが、あの厳かな環境も永劫続いて欲しいですね。
@user-go7eh1kh8e
@user-go7eh1kh8e 3 ай бұрын
毎回動画楽しみに拝見しています! 他snsはやっておられますか?
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
嬉しいコメントです‼️ 他では、アカウント?作るだけで、それから先が進んでません(涙) やりたいと思います👍
@hiro.11
@hiro.11 3 ай бұрын
こんばんは遅くなりすいません。 1:20 鳥居は明神鳥居系のようですね。 浅野家の知られざる歴史は日本人らしさを感じますね。 7:36 少数派閥かもしれませんが、「石垣マニア」には勉強になる石垣ですね。私も石垣や土塁を見ながら頭の中で防御や攻め方を考えたりするので。ただ流石に元就公墓所でできませんね😅。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ヒロさん! 勉強になります。鳥居にもあるんですねえ。 ヒロさんらしい、石垣をみて戦術、戦略を考える。 そこまで、到達したいな。。
@user-sh3uz6kh1q
@user-sh3uz6kh1q 3 ай бұрын
20年くらい前に訪れたんですが、ほぼ覚えていないので、この動画で勉強してまた聖地を訪れたいと思います👍
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
コメントありがとうございます! 倒木が酷かったりと、景色も多少変わってるかと思います。 是非、行かれてみてください👍👍
@user-uh5zz1bl3o
@user-uh5zz1bl3o 3 ай бұрын
毛利家が広島→萩に移動しても、長州藩士の墓参を認めた広島藩浅野家の心の広さは感服します。 私もお墓ごと移さずに隣の藩にあるのはどう思っていたのかと思いましたが、浅野家と領民の見えない形での支援があったのですね。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつも、ありがとうございます⤵️⤵️⤵️ 本当に浅野家を始めとした、皆様によって墓所は守られているとつくづく思います。 感謝です⤵️⤵️⤵️
@user-uh5zz1bl3o
@user-uh5zz1bl3o 3 ай бұрын
我が家も小さいですが、あちこちにお墓が点在していたので、亡き母が菩提寺にまとめようとしたのですが、ご先祖様全部を移動しなければいけなかったので、そのままになりました。
@user-hc6eh5lj4y
@user-hc6eh5lj4y 3 ай бұрын
お疲れ様です。いつも楽しく拝見しています。元就公墓標のハリイブキは安古市郷土史会の篠原起昌さんが書かれた「毛利元就とハリイブキ考」という本に書かれているそうです。 伝話によれば「日本に3本しかない木で元就墓所、建長寺、円覚寺のみある。」 「洞春公の御廟を拝み奉れば、石の玉垣のうちに針伊吹の古木有り鎌倉建長寺に有。古木と同木で本朝に只2本有り」 ・本当の名は槇柏(しんぱく)・中国より開祖が持ってきた崑崙山の主木・原種は交互に輪生するか三個輪生する 大内家時代からの勘合貿易で明から輸入されたものなのでしょう。ハリイブキは図鑑にも載っていないような珍しい木でネットで調べても学術的な記事はほとんど見つかりませんでした。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
コメントありがとうございます! ハリイブキは当時日本には、なかなか無い貴重な木だったと聞いてはいたのですが、、、 本当に勉強になりました‼️ その貴重さと、改めて元就の墓所に対する考え方も大きく変わりました。 重ねてありがとうございました。
@user-cz7je6qd1g
@user-cz7je6qd1g 3 ай бұрын
凄い…お墓だけでこれだけの情報があるなんて…さすが副館長さん、勉強になりました~!!
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつも、ありがとうございます‼️ そして、お心遣いまで、、(涙) 何回訪れても発見がありますよね👍️ 7月にお会い出来たら一緒に巡りましょう。
@user-ji3ly5xe8s
@user-ji3ly5xe8s Ай бұрын
こんばんは。今日、毛利元就公の墓所に、そして郡山城本丸に行って来ました。😊 博物館の職員さんから倒木で墓所の灯篭が‥お気をつけて行かれてください。と伺っていたので、そこまでびっくりしませんでしたが結構倒れてました。 ただ、市職員⁈の方や造園の方がいらっしゃったので 近々元に戻るのかなと期待して帰って来ました。
@mourihistory
@mourihistory Ай бұрын
お久しぶりです‼️ 行かれたんですね。しかも、このタイミングで、、、。やはり、酷かったんですね。 でも、なんのトラブルもなくお戻りになれて良かった良かった👍👍👍
@user-hv8gm4qq4q
@user-hv8gm4qq4q 3 ай бұрын
吉田郡山城、歴史の詰まった大変に由緒ある城跡なのですね!昔、若いころに歴史小説が好きで陳舜臣著作「戦国海商伝」という小説を読んだ際に、この元就公の居城が出てきて、どのような城だったのだろうと想像を巡らした事もありましたが、山も谷もない、平らなオランダでは先ず出会う事の無い凄い山城、お墓に巨木が植わって何百年もの時を経ているというのも何も知らない私には驚きでした😮続きがとても気になります! 夏にはまた德山に帰ります🐸
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
佐々木さん! お久しぶりです。 オランダとはやはり、歴史的なものも違いますね。 でも、オランダも歴史的遺構が多いでしょうね👍️ お帰りを待ってます‼️
@oekazuichi8595
@oekazuichi8595 3 ай бұрын
大変興味深く拝見させて頂きました! 石垣の違いは気づかなかったです。今度行く機会があったら、しっかり見てみたいと思います。 来週の本丸編、楽しみに致します。 1990年前後に2回ほど本丸まで行ったことがありますが、その時は荒れ気味でしたね。 草が生い茂っていて登山道が分からなくなっていたところもありましたし、本丸も雑然としていたような印象が残っています。今は見違えるようにきれいになっているのでしょうね。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
大江さん! 大江さんでも気づかなかったですか。 ちょっとした、発見ですよね👍️ やはり、台風など来たら荒れたりしてますが、登山道は解りやすかった!です。 一緒に登りたいですね。
@user-pn2hz1ft4s
@user-pn2hz1ft4s 3 ай бұрын
現地に行ってみたいのう😊
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
是非、おいでませ😁👍
@user-pn2hz1ft4s
@user-pn2hz1ft4s 3 ай бұрын
@@mourihistory 有難う御座います!
@user-gw6ks4ob8q
@user-gw6ks4ob8q 3 ай бұрын
元就公の墓所は、江戸時代後期には観光名所みたいになってたんだね😲 やはり、それだけ大きな功績を残した証拠だね。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
福島‼️ そうなの。 やはり、毛利家の中興の祖と言われる所以なんだね👍️
@user-lo5gq7qc1m
@user-lo5gq7qc1m 3 ай бұрын
大名の方々は、領地替えで菩提寺や墓所の管理が大変そうですね!
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
仰る通りですね。 毛利家も長州に移ってから大変になりましたが、大名でも配置転換を何度も余儀なくされた家は更に大変だったと思います。
@user-je8qi6rn8k
@user-je8qi6rn8k 3 ай бұрын
江戸時代から既に観光ビジネス化していたとは😲‼️ 元就公の墓にハリイブキが植えられたのならば、他の歴代当主も同じように葬られたという事でよろしいのでしょうか? そして、山のあちこちに歴代当主の墓を利用した防御機能が備わっていたのかなと見ていて思いました。😮 もしそうならば、長年に渡ってかなり計算して墓を作っていたんだろうなと驚くばかりです😅
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつもありがとうございます! 歴代の当主に関しては、恐らく土饅頭のお墓だったかと。 ハリイブキは当時は外国の木だったみたいなので、貴重なので元就だけかなと。。。 墓所の作り方については、秋本さんに聞いてみましょうね👍️ 面白い発想です。
@user-pq6pn8bw2p
@user-pq6pn8bw2p 3 ай бұрын
秋本さんのお蔭で、事前に墓前祭に参加した気になりました。ガイドがないと気づかない石垣の積み方の違いなど、今後のお城巡りに役だちそうです。右側の石垣は、野面積みで、左は、少し打ち込んでましたね。技術が進歩したんでしょうね!それから、元就公の墓の、土饅頭にハリイブキの組み合わせは、まさに、質実剛健で未来を見据えている元就公を象徴しているかの様です。長い階段ご苦労様でした‼️
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
すずさん‼️ いつもありがとうございます。 最後の質実剛健で、、、と言う所に感動。素晴らしいです。
@user-tk5cn1bu5x
@user-tk5cn1bu5x 3 ай бұрын
「毛利」先生様、「秋本副館長」様、今回も動画を楽しく拝見しました。 「安芸郡山」の知らない話題を発見できて良かったと思います! 内容を観て思った事は、「茶店」があった話に興味があります。 どの時代に「茶店」が営業してたのでしょうか? 「毛利 輝元」公が建立しました「毛利 元就」公の「お墓」は立派で、「雰囲気」が良いと思います。 「石垣」の歪な所が味があって素晴らしいと考えました。 「何百年前に存在した瓦」が登場する来週の「安芸郡山城本丸編」を楽しみにしています!
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
黒田さん! いつも、ありがとうございます。 そして、お心遣いいつも感謝です❗ 茶店は恐らく、江戸後期だと思います。 そんな、ツアーがあったとはビックリですよね。 墓所は本当に静かで、厳かです。
@user-tk5cn1bu5x
@user-tk5cn1bu5x 3 ай бұрын
「毛利」先生様、回答ありがとうございます! 「茶店」の話には驚きました。。。。 「江戸時代」にも、良い話題を考える賢い方は多いと考えると感動しました。 「厳かな場所」ですか。。。。 「神聖な場所」だと考えます。
@user-cu8uh7yn8f
@user-cu8uh7yn8f 3 ай бұрын
殿様、うちの地元厚木市毛利地区に来てください、毛利氏発祥の地って学校で習いました
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
毛利元就の大河ドラマの際には、厚木に表敬訪問したんですよ。 でも、動画を撮りたいので、是非、行かせてくださいね👍️その際にはご案内お願いいたします‼️
@user-cd2mq8pp4s
@user-cd2mq8pp4s 3 ай бұрын
元就公の墓は有名ですが妻 成室妙玖の墓地が不明とお聞きしました。見つかるといいですね。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
コメントありがとうございます。 元就が愛し、追慕した彼女の墓ですね(涙) 一応、萩城にも彼女の菩提寺、妙玖寺は建立されてるんです。 是非、見つかることを願って止みません。
@user-fy5cg8zd7z
@user-fy5cg8zd7z 3 ай бұрын
郡山城本丸編楽しみにしています
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ありがとうございます!
@user-tg6ug9nz8q
@user-tg6ug9nz8q 3 ай бұрын
立派な木とか、苔とか、とても神々しいです。 なんか、空気が凛としてる感じがして、観光でお参りしては、失礼のような気がしますね😊
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつも、ありがとうございます! いつか、息子さんと来て下さいね👍️ 本当に凛としていて荘厳です。
@user-jm2lv8vl2i
@user-jm2lv8vl2i 3 ай бұрын
殿、投稿お疲れ様です。コメントが少し遅れてしまいました。申し訳ございません。動画を見ながら思っていたのですが、元就公の墓所が移されておらず、かつ浅野家が郡山全体を聖域にしていたということは、元就公を本当に神様としても崇拝し、敬っていたからなのではと思います。そういうこともあって、毛利家歴代の藩主に郡山参詣を許可していたのだとも思いました。そして、殿がおっしゃっていた茶屋が、郡山にあったことにはすごく驚きました。それほど、安芸国だけではなく全国でも元就公を信仰されていたのだとも思いました。 石垣が違うことにも、明治時代でも元就公が信仰されていることを象徴するものだと思いました。右側の石垣を作ったのも、殿がおっしゃっていた穴太衆が作成を担ったのも、私は本当だと信じます。 そしてそして、郡山城の本丸へと登る道が整備されていたこと、確かに石丸市長がおっしゃっていました。どんな道になっているのか、ものすごく楽しみです!
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いえいえ! いつも、コメントありがとうございます。 本当に浅野家の厚情により、元就の墓所が守られたことは紛れもない事実で、改めて敬意を感じます。 戦後、教育が変わり戦国武将も忘れつつある現状が寂しいですが、このように石丸市長を始めとして、後世に伝えていこうとされていることが何より有難いことです。
@user-jm2lv8vl2i
@user-jm2lv8vl2i 3 ай бұрын
@@mourihistory 本当にこの時代は厳しすぎて、本来忘れてはならない方々を、すっかりわすれてしまう世の中になってきました。でも、忘れないように、殿や殿の家臣T様、徳山毛利家ご一族様が毛利家のことを後世に伝えるために、このチャンネルを開いてくださって、勉強になることがたくさんありました。今後とも、毛利家ご一族様、石丸市長、秋本さんの益々のご活躍を、心よりお祈りいたします。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ありがとうございます‼️
@user-vy2vl1rw1z
@user-vy2vl1rw1z 3 ай бұрын
以前の動画にも浅野家が誠意を持ってしてくれたお話されてましたね。 何百年経ってもこのようになっているんですね😢 あと殿の立ち位置(ウロウロ?)動く為、カメラマンの方が大変そう😅💦 少〜しだけ気にかけてあげて下さいね😊 ※↑すいません、また文章がグチャグチャでした(編集し直し)
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
本当に浅野家には心から敬意と感謝です⤵️⤵️⤵️ そして、気づかなかった、、、。 カメラマン泣かせだったとは。 これからは、ちゃんとそれも、含めて撮影しますね🙋
@user-vy2vl1rw1z
@user-vy2vl1rw1z 3 ай бұрын
@@mourihistory それだけ「毛利家の事を伝えたい」と言う思いがあるからだと思いますし、それが殿の良さだと思います( ー`дー´)キリッ👍
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
嬉しい‼️ありがとうございます⤵️⤵️⤵️
@gunsin-pipisuke
@gunsin-pipisuke 3 ай бұрын
毛利元就公墓所の樹齢300年の木がまだ現存しているのはかなり凄いですね😳🌳✨️ そして、次回もまだまだ続くんですね‼️楽しみにしています😊
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
いつもありがとうございます⤵️⤵️⤵️ 相当、枯れてきていて、支えられながらのハリイブキです。。。 上杉祭りは、これからでしたかね⁉️
@gunsin-pipisuke
@gunsin-pipisuke 3 ай бұрын
@@mourihistory 枯れてきているのはちょっと残念ですがやっぱりこればかりはどうしようもないんですかね?😅 はい!上杉まつりは来月の初旬ですよ😊🎵
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
また、コメントで教えてくださいね👍️
@user-li5nz3yz1r
@user-li5nz3yz1r 3 ай бұрын
島根県安来市在住です。 郡山城の山体自体がとても大きな山で、簡単に攻めきれない巨大なものになりますね。 月山富田城はこの郡山城と比較すると、見た目の美しさは有りますが、この広大な郡山城と周りの城等、とても簡単には攻めきれない山域だなぁと思いました。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
コメントありがとうございます。 とても、貴重なご意見です。 月山富田城には、実際に足を運んでいませんが、頭のなかには難攻不落の城と言うイメージが占めています。 そんな中で、地元の方からその様な意見を聞いて、半信半疑。 ごめんなさい、悪い意味では無くて、やはり、一度、足を運んで月山富田城を歩いてみたくなりました。と、同時に郡山城の大きさにも改めて教えられました⤵️⤵️⤵️🙇
@user-li5nz3yz1r
@user-li5nz3yz1r 3 ай бұрын
​​@@mourihistory さま ご返信ありがとうございます。 月山富田城の城址は一昨年前に、日本国内の『山城』の城址として第一回目の『山城サミット』の催しが行われましたが、地元の者にとっては誇らしいイベントだったなぁと思っております。 尼子氏が毛利家の家臣として迎えられて、萩市の奈古の寺で墓所を構えて毛利家の家臣として弔われていることは、月山富田城のある町の旧能義郡広瀬町の人々には、それほど知られてはいないのでは?と思います。 広瀬の街も江戸徳川幕府開闢後、交通の利便性等を徳川家の堀尾氏が広瀬の町を訪れて、城下の町域の狭さ等を考えて、現在の松江市に松江城とその城下町を開いて今日に至ります。 堀尾家は嗣子が無かった為に新たに信濃の国の松本城城主の越前松平家が新たな藩主と決まり、松江に来られました。 松本市の西側に遠く並び立つ飛騨山脈の麓の安曇野(あずみの)周辺で作られていた蕎麦の種子を出雲の国の南端に在る高原の町仁多の郡(にたのこほり):『仁多郡』で栽培を試みて、無事に成功して、『出雲蕎麦』として今日まで続いています。 山を切り崩して水路に流して、比重の重たい砂鉄を採取するという作業を繰り返した土地は真砂土と言われる砂ばかりの土壌ですが、蕎麦の栽培には最適な土壌だったようです。 現在の仁多郡奥出雲町は、鑪(たたら)製鉄を行って、刀剣類や、包丁類、農耕用の鍬や鎌等の原材料用の『鋼(はがね)』を作り続けられて来た町になります。 (奥出雲町横田) その鋼の刃物で木材を削って作り出された算盤:そろばんは『温州算盤(うんしゅうそろばん)』の産地となっています。 (仁多郡奥出雲町亀嵩:かめだけ) 松本清張氏の『砂の器』の舞台となった町です。 亀嵩の集落から西側に約2km離れた場所にJR木次線の亀嵩駅が在ってこの駅舎は無人駅ですが、駅舎の隣りにある仕出し屋さんが駅長を任せられており、亀嵩駅は、駅舎の中で『出雲蕎麦』を摂ることが出来る駅として知られていて、ツーリングの単車や車で沢山、来客される駅です。 あっ、忘れるところでした、この仁多郡奥出雲町一帯で作られるお米は西日本お米の名産品の『仁多米:にたまい』の産地になります。 書きたいことが沢山有りまして、ちゃんと分かり易く書ききれていなくて申し訳ありませんでした。
@user-li5nz3yz1r
@user-li5nz3yz1r 3 ай бұрын
毛利元就氏が月山富田城をぐるりと取り囲んだ城攻めをする時に、広瀬の町の西側に京羅木山(きょうらぎさん)と言う山が聳え立っていますが、ここに陣を設けて城攻めをしたのは毛利元就氏だけではありません。 大内氏も月山富田城を取り囲んで城攻めを行いましたが、攻めあぐねて退却して、東出雲町揖屋(いや)の中海から乗船する際に海に落ちて亡くなられたとの逸話と、東出雲町揖屋の山中に四国の金毘羅さんの神社を建立されて、月山富田城攻めに臨まれたこと。 金比羅神社として今も残っていること、航海の神様ですから、中海周辺で行き来する船乗りさんの信仰の対象となっているから、続いているとおもわれます。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ありがとうございます! とても、勉強になりましたし。 次回の撮影のヒントを頂きました。 ゆっくり拝読して勉強してみますね👍️
@user-li5nz3yz1r
@user-li5nz3yz1r 3 ай бұрын
​​@@mourihistory 私の書き込みが下手くそな部分を見つけました。 『金比羅宮(こんぴらぐう)』を建立されたのは毛利元就氏でした。 1回目の城攻めの時は大内氏が中心になっての城攻めで、撤退時に東出雲町揖屋(いや)から乗船する時に、中海に落ちて死亡 二回目の城攻めは毛利氏の本格的な城攻めで 京羅木山の裏側(西側)に在る 〒699-0103 島根県松江市東出雲町上意東719 の位置に金比羅宮を建立されて望んだ月山富田城攻め となり、本気でこの戦に望まれたんだと思います。
@user-iu5vo7ig8i
@user-iu5vo7ig8i 3 ай бұрын
大河ドラマ良かったですね。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
良かったですよね👍️ いまでも、時々見たりしてます(笑)
@user-th8bi9ib8s
@user-th8bi9ib8s 3 ай бұрын
なるほどねえ。毛利藩自ら倒幕して吉田の墓所を気兼ねなく修繕改築できるようになったんですね。 元就公もさどお喜びになっておられることでしょう。(*^-^*) 300回忌ってすごいね。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️ 浅野家の計らいのお陰で墓所も維持されました。 倒幕の際は、真っ先にお味方頂きました。 未来永劫、なんとか残って欲しいですね。 幕末に300回忌って、確かに凄いかもですね👍️
@user-hj8ms6qk6s
@user-hj8ms6qk6s 3 ай бұрын
複雑な石垣ですね
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ですね、なんか理路整然としてなくても、かえって頑丈だったりするので面白いですね👍️
@user-xz3lf5vq8o
@user-xz3lf5vq8o 3 ай бұрын
元就公のお墓は今日の私ども庶民の樹木葬の原点ではないかと思った次第であります。又、元就公のお墓で野面積みの石組みと近代の石組みの対比ができるとは・・・。野面積みの石組みの面白さは、見た目はさほど大きくない石も奥行きが長いモノがあるところです。この長石が石組みの要所々に使用され大石並びに裏込栗石との摩擦を高めることで石組み全体の強度を高めています。私は、野面積みの石組みの方がコンクリート擁壁よりも耐用年数は遥かに上回ると思っています。最新の地中探査機器と人工知能で野面積み石組みの強度が立証されることを期待しております。  徳山毛利公 御座下
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
林さん! いつもの素晴らしいコメントありがとうございます。 なるほどね👍️樹木葬の原点とは言い得て妙です。 そして、そうかあ石垣の積みかたで様々な事が解るけど、更に現代にも匹敵する頑強さを備えているとは、先人の知恵は素晴らしい。
@romeojuliet793
@romeojuliet793 3 ай бұрын
こんばんは。 郡山城第二段ですね! 郡山自体が聖地に。 刷物や茶店もあったとのご説明…もしかして川通り餅でしょうか???🏞😊 元就公が当時長生きだったのはお餅好きだったからだとか…家臣や人々に会う時もお酒とお餅両方用意し相手を尊重し、あげていたと。 お墓も古墳タイプで、 墓標木ハリイブキも枯れそうな木と今の木を結んで繋いでいかれ、 また石丸市長も登山道も皆様が怪我等ない様にしっかりした足場を作って下さり、皆で力を合わせて守り受継いでいかれているお姿は元就公やゆかりの方皆様が喜んでくれているはずです! 現代人が心を持って歴史とその場所を訪れる事は昔と今を繋ぐ素晴らしい事ですね。😊❤🏞
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
先日は、調べて頂いてありがとうございました! あ、東屋で提供されていたのは、そうかも知れませんね👍️ 下戸と上戸の逸話、ありましたねえ。 そんな元就の墓所を通して、未来と過去を繋ぐ、、、良い言葉ですね‼️‼️
@user-ue5tc3mo1w
@user-ue5tc3mo1w 3 ай бұрын
吉田だなあ🎉🎉🎉🎉
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
吉田ですねえ👍👍👍👍👍
@user-if3bs3dv3o
@user-if3bs3dv3o Ай бұрын
司馬遼太郎の「街道をゆく」の「芸備の道」で、元就の墓を訪れた司馬遼太郎は、墓標となっているハリイブキを見て、「元就の枯骨だ」と表現していたのを読んだ記憶があります。
@mourihistory
@mourihistory Ай бұрын
コメントありがとうございます‼️ 読んだけど覚えてなかったですね。 言い得て妙とは、その事ですね👍️
@user-li2md4gb4t
@user-li2md4gb4t 3 ай бұрын
我御先祖様の御屋形様の墓所は流石に御立派ですね
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ご縁のある方ですね! コメントありがとうございます⤵️⤵️⤵️
@user-li2md4gb4t
@user-li2md4gb4t 3 ай бұрын
武功を立てて毛利家の家紋の半分を頂いています
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
それはそれは‼️ 嬉しいです。 家紋も気になります!
@MK-tr1zp
@MK-tr1zp 3 ай бұрын
テレビで放送して
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
あ、して欲しい!
@user-yk7wk2yy7k
@user-yk7wk2yy7k 3 ай бұрын
おいらが登った時 結構お年寄りものぼっちょったばい キョロ(・ω・`三′・ω・)キョロ
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ちゃんと登れたと⁉️ お年寄りに負けたんじゃなかとね?(笑)
@user-yk7wk2yy7k
@user-yk7wk2yy7k 3 ай бұрын
@@mourihistory おいらが負けるわけなか ̑̑દ=๑๑(੭•̀ᴗ•́)੭ 百万一心の石があったよ〜な……
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
あっちょるばい‼️👍👍👍
@user-yk7wk2yy7k
@user-yk7wk2yy7k 3 ай бұрын
@@mourihistory (〃´・ω・`)ゞえへへっ♪ 意外と記憶力よか
@fumikami7341
@fumikami7341 3 ай бұрын
やれやればいさんと毛利様のやり取りウケル〜。 いつも楽しく読んでます。 やり取りが毛利家歴史CHの一種の清涼感なのかなと。
@user-pg5wu5vl8i
@user-pg5wu5vl8i 3 ай бұрын
毛利家現当主様に質問します。良ければご返信ください。 毛利輝元公はなぜ吉見家を冷遇したのでしょうか?何か伝承されてませんでしょうか? 吉見広長が討たれたのは彼の行動を見てて仕方ないと思いますが、彼がグレるきっかけになった吉見家冷遇の原因がわかりません。益田家は家宝の刀を献上したりしてたそうですが、吉見家はそれが無かったからでしょうか?良ければご返信ください。よろしくお願いします。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
ご質問ありがとうございます。 私も歴史家ではないので、満足いくお答えかどうか。 先ず、吉見は名族であり、大内と縁戚であったこと。そして、何より毛利家がのしあがる、厳島合戦への火蓋を切ったのは吉見であって、その功労者たるプライドは広長にも受け継がれていて、きっとそれは輝元の心証に良く映らなかったのではないか。 それと、酷な事ですが、大国から長州一国になった時点で、毛利家を一枚岩にするためには、信賞必罰。見せしめの意味合いが大きかったと思います。 それから、広長が出奔してからの就職活動は知ると事だと思いますが、そんなところが、事の顛末だったと自分は認識しています。 付け加えわますが、広長は武勇優れた武将です。 関ヶ原で減封がなければ、そのまま残れたと思います。 ただ、その後の大野毛利家にその広長の血が残された事に救いも感じています。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
追伸、、、気になって返信を急いだために、誤字脱字が多くてごめんない。 当家の飛び地に、吉見の墓所があることは縁だと思っています。心からのお参りをして参ります。
@user-pg5wu5vl8i
@user-pg5wu5vl8i 3 ай бұрын
@@mourihistory ご返事ありがとうございます。ご意見参考になります。 やはり頼朝公の弟の家系だという点や毛利家以前の支配者だった大内家と婚戚だったというプライドが新しい中国地方の支配者になった輝元公には印象悪く写ってしまったんですね。その点、益田家は家宝の舞草刀房女を献上したりするなど、かなり賢く立ち回ってますもんね。納得の結果であると思います。
@user-pg5wu5vl8i
@user-pg5wu5vl8i 3 ай бұрын
@@mourihistory ご返事いただけるだけで嬉しいです。ありがとうございます。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
こちらこそ! ありがとうございます‼️
@user-rz7oy1vn7z
@user-rz7oy1vn7z 3 ай бұрын
至るところに貴重な話がうかがえますね。長岡外史の名前は元徳公が日本外史はばかり読んでいたからつけたそうですが、頼山陽が元就公の墓参にきていたのですね。なにかしらの因縁ですね。郡山城は輝元公時代に大拡張され元就公当時とは比べ物にならないくらいになったと思いますが、その中で当時の城を想像するとよくまあ尼子が攻めてきた時籠城できたなあとつくづく驚嘆します。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
刀禰さん‼️ そうかあ。外史はそこから付けたんですね👍️ そう、頼山陽が来てたみたい。彼の書物を見ると毛利家贔屓みたいですね。 そして、小さい郡山で良く頑張ったけど、それが、萩城の築城にも活かされてたらいいなあ。 緯度も同じだし。
@user-rz7oy1vn7z
@user-rz7oy1vn7z 3 ай бұрын
@@mourihistory 様 緯度がおなじなのは萩城と広島城ですよ。(笑)しかしながら輝元公は生涯に三つの堅牢なお城を造ったのですね。やはりただ者ではないですね。
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
あ、怒られちゃった。 ごめんなさい❗ 広島城でしたね👍️
@user-wb3oz6sr3h
@user-wb3oz6sr3h 3 ай бұрын
就慶殿こんばんはでござる、郡山城跡でござるな、模擬天守、あったら、観光に、なりそうでござる😊
@mourihistory
@mourihistory 3 ай бұрын
こんばんわでござる! それは、良いアイデアにござる👍 来週は、いよいよ本丸に登るでごさるから、期待して欲しいでござる。
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