【ゆっくり解説】毛利元就はなぜ天下を目指さなかったのか

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にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】

にっぽんぽん【ゆっくり日本史解説】

Күн бұрын

Пікірлер: 83
@user-ponkotsukakumei
@user-ponkotsukakumei 8 ай бұрын
毛利の財政を一手に支えていた 隆元が死んでから 石見銀山を獲るまで毛利家は深刻な 財政難に陥っている。 隆元は北九州戦線の指揮官でもあったが 隆元存命中は大友と互角に渡り合っていたけど 後任の小早川隆景は財政難も相まって戦線を支えきれず 結局毛利は戦線縮小の為に大友と争う事をやめて北九州領を放棄する道を選んだ。 隆元の死で毛利家の舵取りが大きく変わったのは間違いない。
@まさ-h3l5e
@まさ-h3l5e 8 ай бұрын
素晴らしい内容でした。感服です。
@水野誠一-b9l
@水野誠一-b9l 8 ай бұрын
杉の大方と言うと松坂慶子が演じてたのを思い出すのだが、あの大河で元就を育てた理由は夫の死で寄る辺がなくなった自らの立場を守るしたたかな選択だった。それだけに後に年老いた醜い姿のメイクで再登場し、個性豊かな毛利の女達を鼓舞した姿が劇中で最も美しく見えた思い出がある。
@user-m2f-k3q
@user-m2f-k3q 8 ай бұрын
大河では、井上元盛と井上元兼を すべて元兼に一体化させて 片岡鶴太郎さんが演じてましたね。
@イトーヨーcard
@イトーヨーcard 8 ай бұрын
武田信玄と同じで、京(都)まで遠過ぎる🥶 通り道の大名たちを倒すか同盟するかしなけれはならないので膨大な時間がかかり 年齢から考えて全く現実的でない😢
@ta-ic3fs
@ta-ic3fs 8 ай бұрын
長寿で孫の後見、嫡男の死、大国の太守にのし上がるなど元就と経久ってなんか似てるよね。 まあ元就は経久に畏敬の念を抱いていたし。
@リソリソーン
@リソリソーン 8 ай бұрын
大内家の後始末をしてたら寿命がきてしまった人
@Mitsu.K-u8m
@Mitsu.K-u8m 8 ай бұрын
元就公は優れた武将であり知将でもあったと感じます。もう一度大河でやってもらいたいと願ってしまいます。
@うらやまたぬき
@うらやまたぬき 6 ай бұрын
使用される画像が史実とは事実無根だったり、江戸時代風だったり、中華風(笑)だったりすることに違和感を感じる。 追記:月山富田城「がっさんとだじょう」と読みます。
@Hiro-Kazu
@Hiro-Kazu 8 ай бұрын
月山富田城(つきやまとみたじょう)は笑った。 “がっさんとだじょう”だね。
@佐藤光-e6s
@佐藤光-e6s 8 ай бұрын
そうかぁ。 後に福岡市由来の祖となった黒田官兵衛も、播磨の小大名の家老の時に、家臣たちが毛利氏に仕えるのか、織田氏に仕えるのか揺らいで、官兵衛は毛利氏の内情を知っているから、織田家に仕えると主君に申し出たのかぁ。😮 確かに、毛利氏はこれ以上の天下を望まないなら、織田家の方が得策と官兵衛は判断したと思う。 また、毛利氏は織田信長と家臣であった羽柴秀吉との争いも回避できたと思う。 室町幕府から追放された15代将軍足利義昭公の庇護も出来ました。😮
@ほえほえ-w3x
@ほえほえ-w3x 8 ай бұрын
それは黒田家の創作で、実際は反織田勢力の小寺が織田の圧力に屈したというのが実態。 小寺政職と官兵衛は、史実では信長上洛の直後に将軍足利義昭の側室を拉致したりとか、かなり強引なことをやって木下藤吉郎ら率いる幕府軍の侵攻を招いている・・・
@浩星野-w6h
@浩星野-w6h 8 ай бұрын
小さな小豪族がここまで大きくなれたことを感謝しなさいと言う意味で捉えています😊必要以上に戦に入るとお互いに犠牲者が出る。そうすると必ず恨みが重なり結局は家が潰れる😅それを避けられたかったのだと思います😅すいません
@HIDEHIDE-ol8so
@HIDEHIDE-ol8so 8 ай бұрын
毛利元就は高齢で大身となった為、自国を固めたかっただけだと思っていました。 動画を視聴し『天下を狙って一国の統一』という言葉が心に響きました。現実的は確かにそうであろうと思います。 毛利元就とその後家督を継いだ方達と、信長、秀吉とは思想が全く違っていたのでしょうね。
@ganbare-songokuu
@ganbare-songokuu 5 ай бұрын
国人領主連合の集合体。本国から遠く離れて遠征していれば、有力な領主が反旗をひるがえすかもしれない。また、隣国の巨大な勢力、残党がやまほどいたから、いつ寝首をかかれるか。大内義興もあれだけ栄華をほこっていたのに、京都遠征中に尼子が寝返ったり、いろんなことをやられているから、天下をねらうよりも巨大な勢力の手伝い戦に巻き込まれるな。ということであったのかなと思いました。敵をあざむいて、乗っ取って恨みを買ってばかりいるから、大きなことを狙うのは危険であると思ったからだと思いました。
@人生の目標はニート
@人生の目標はニート 8 ай бұрын
私は、霊夢のオヤジギャグで思わず吹きましたwwww
@yust0000
@yust0000 8 ай бұрын
面白い動画でした(´ω`
@貯金額が1億200万円の者
@貯金額が1億200万円の者 8 ай бұрын
この時代は自国領内の統率が大変なのは皆同じ。徳川時代とは違うんだから。本願寺までが居た信長なんかもっと大変だよ。結局は年齢だよ。
@椎名まふゆ
@椎名まふゆ 8 ай бұрын
「それどころじゃない」 この一言が本当にしっくりくる 領地が多い軍略がすげーからって天下はそんなに簡単に目指せる物でも無いしな
@S.O-f1k
@S.O-f1k 8 ай бұрын
元就と家臣団の関係を示すのが有名な傘連判ですね。だから皆同じ立場だから天下を望まなかったし望めなかった。裏切られた家臣の子、渡辺通も桂元澄も元就の為に尽くします。しかし杉の方の大河ドラマでのイメージが良くも悪くも印象的だったな…
@土光敏夫-d4o
@土光敏夫-d4o 6 ай бұрын
隆元が死んでしまったのがでかかったって思うし、結局地方の有力豪族の寄せ集めの集団でしかないから自分の本領が安堵されていたら一気にやる気がなくなるようなそんなヴィジョンしかないから一代でやる限界値はあのくらいなんだって思うよ。 しかもスタートが一国人の代表レベルから始まってるからあれだけ広げられたのが奇跡のレベルだよな~ ノブができたのは家督相続がないような連中使っていたから広げられたっていうのがあるから、そこが大きく違うって思うよね
@yasunori_suzuki
@yasunori_suzuki 8 ай бұрын
安芸国の領主に成れたのがアラフィフ。さすがに歳かと・・・陶氏を討つ意志を示した、親より先に逝ってしまった嫡男なら天下(畿内)を目指したかも。(阿波三好や駿河今川や越前朝倉や越後長尾に勝てるかは知らん)
@user-k1ry0fo
@user-k1ry0fo 8 ай бұрын
月山富山の戦い時点で70歳くらいだっけ? その後数年は尼子の残党に大友のテコ入れで大内残党対応。 何度も隠居しようとして無理やりやらされてたのにw
@キムサムスン
@キムサムスン 8 ай бұрын
三好&今川と朝倉&長尾には壁があるぞ。前者には勝てないが後者には勝てる
@mocchi2643
@mocchi2643 8 ай бұрын
元就は大内氏の勢力圏だった北九州への進出にはこだわりが強く、晩年まで大友氏と戦っていた。
@siegzeon3382
@siegzeon3382 8 ай бұрын
「がっさんとだじょう」ね。佐東銀山城といい中国地方にはそっちの読みかいという城あるよね
@blackkumasama
@blackkumasama 8 ай бұрын
元就時代に120万石は、すごいですね。開墾をすすめたら300万石は、あったのかな?
@巡洋艦筑紫
@巡洋艦筑紫 6 ай бұрын
関が原で敗退し防長37万石に削減された長州藩がその後新田開発を進めて幕末には実高100万石を超えていたという話があるから場合によっては可能性あるかもね。 まあ一朝一夕でできる話ではないだろう。
@那須から来た男
@那須から来た男 8 ай бұрын
結局、中国地方の覇者にはなったが、大内の問題も相続した。九州は敵ばかり、近畿も三好が強かった。国内も纏まったとも言い難い。何より残された時間も無い
@カテジナ
@カテジナ 8 ай бұрын
年齢と畿内(天下)への距離、加えて井上氏誅伐後の領内平定、何より大内義興公の様に何年も畿内に拘束されたらと思うと嫌すぎる
@marinetakono9442
@marinetakono9442 8 ай бұрын
石見銀山はどうやって手に入れたんだっけな。なんか非道な事をした気がするのだが・・・
@royenami4700
@royenami4700 8 ай бұрын
大内義興に義隆、尼子経久に晴久。彼らが上洛したり京都を目指して活動したりしながら、足利幕府との関わりの中でやがて力を失ってゆくさまを見ていただろうから上京のメリットを余り感じなかったのだと思う。
@00rj-28p4ng
@00rj-28p4ng 8 ай бұрын
女性を大切にしたとされる元就。義(継)母、正室と墓がしっかり残っており、妻が亡くなって寂しい、と手紙もある。また、側室も正室が亡くなるまでもうけていない。あの当時の女性観としては極めて奇特なんだと思う。
@岩田直騎
@岩田直騎 8 ай бұрын
光秀、官兵衛、兼続辺りも 奥さんを大事にしてましたね。 最近の大河ドラマは戦国三英傑の焼き回しと一人の女性を大事にした武将を主人公に する傾向があるようです。 島津義弘、立花宗茂も わりと一途ですが、朝鮮出兵 で暴れ回ったせいで、 大人の事情で大河ドラマは 抜擢されないそうな。。。
@00rj-28p4ng
@00rj-28p4ng 8 ай бұрын
@@岩田直騎 ですね。ほとんどの武将の周囲の女性は名前すら不明ですからね。ましてや墓(菩提寺)なんて残っていません。まあ、亡くなった旦那の連れ子を立派に育て上げる杉の大方のほうが奇特もいいところではありますがね(苦笑
@青木健二-n9k
@青木健二-n9k 8 ай бұрын
調略だけでは限界がある、正面戦争で勝つだけの兵の強さが必要だし畿内を目指すには地理的不利だし兵農分離ができてない農兵では天下は無理だし国人衆に気を配る時点で領土を維持するので精一杯だと思うそこが元就の限界点、因みに信長、秀吉は下戸だった。
@ichijikuatama
@ichijikuatama 8 ай бұрын
ただ播磨が手に入らない状態だから信長も毛利領には攻め込めないけどね
@じろうコマ-q7m
@じろうコマ-q7m 8 ай бұрын
元就の天下を望まないという姿勢は毛利家中に浸透していきましたが、これが国人領主の連合体という成り立ちも相まって、関ヶ原の戦いの優柔不断な姿勢につながってしまいます。 次代の輝元が強引にでも豊臣秀頼を旗印にして決戦に挑めば福島正則などの武断派は寝返るか中立化して、徳川家康は美濃で孤立していたでしょう。 結局は天下を望まずに家康と手を結ぶべきとする多数派の意見が通る形になり、家康と密約した上で関ヶ原では戦わずに敗走、さらに秀頼と大坂城を引き渡して本拠地に戻ることになりましたが、家康が一枚上手で事情変更を名目に密約を反故にされて輝元は改易さらには切腹まで要求されます。 最終的には徳川派の吉川広家の忠義に免じて情けをかけられるという形で周防長門の2国へ大減封という形に落ち着きましたが、以後の毛利家では幕末まで正月の度に「そろそろ天下を狙うべきでは」「いやまだ早い」という問答が行われたという話があります。
@bbbbbb5369
@bbbbbb5369 5 ай бұрын
関ヶ原のあれは毛利親族の間でも一枚岩じゃなかったからでしょ。
@じろうコマ-q7m
@じろうコマ-q7m 5 ай бұрын
@@bbbbbb5369 家督を継いで間もないというならともかく、元就が亡くなってからでも30年近い時間があったのに家中をまとめきれないこと自体に当主として問題があります。 確かに秀吉から毛利家中を直臣として取り込もうとする動きがあったのは事実ですが、似たようなことは徳川氏や上杉氏などの他家でもあり、毛利家だけが分裂して動けなくなるというのは、やはり輝元自身の器量によるものと考えざるを得ません。
@てつ-g4l
@てつ-g4l 8 ай бұрын
尼子経久 尼子晴久を見てたから? 勢力拡大の為に戦ばかり繰り返し同族同士 親子同士 一族同士の争いが絶えない尼子家を見て興味が無くなったのかも
@ほえほえ-w3x
@ほえほえ-w3x 8 ай бұрын
元就の壮年・熟年期は尼子の勢力が強いうえに、三好長慶の全盛時だったので、毛利の力では天下を争うのは無理。 晩年になって三好家が分裂したので、反三好勢力の支援を受けて織田信長が上洛できたが、三好分裂という権力の空白ができたから。 このとき毛利は織田信長の上洛に協力して、信長と連携して反毛利勢力を討とうとしたが失敗している。 毛利は北九州の支配も満足にできなかったし、天下を取る実力がなかった。元就は冷静に毛利の力を評価している。
@pontarou01
@pontarou01 8 ай бұрын
元就が尼子の一族を殺さなかったのは、尼子の先祖が夢枕に立って「わが子孫を殺したらお前を呪い殺す」と脅されたからだそうです。
@刀禰元彦
@刀禰元彦 8 ай бұрын
元就公は天下に号令するどころか自国領土を統制も困難だった。つまり反抗勢力の家臣団の力が強力で尼子の残党にも手こずっている。毛利家が完全に領土と家臣を統制できたのは江戸時代の輝元公になってからである。適度な領地と家臣団のリストラと粛清ができたのはつまり毛利家にとっては関ヶ原で負けたお蔭と言っても過言ではない。
@貯金額が1億200万円の者
@貯金額が1億200万円の者 8 ай бұрын
自国内の国人衆の統率に腐心してたのはどの大名も皆同じだよ。本願寺が居た信長なんかもっと大変だよ。年齢的なモノも大きいよ
@刀禰元彦
@刀禰元彦 8 ай бұрын
@@貯金額が1億200万円の者 家康も元就も74才まで生存しているけど?年齢は関係ないのでは?どの武将も反抗家臣団を抱えてあたが、起請文を唐笠にした有名な戦国武将はおるんかいな?殆どの武将は短期間でかたずけている。信長しかり。山中鹿之助みたいな人物は元就以外にはいない。
@刀禰元彦
@刀禰元彦 8 ай бұрын
@@貯金額が1億200万円の者 家康も元就も74才まで生存。元就だけ年齢うんぬんはないでしょ。また、領内の抵抗勢力はどこも同じというが山中鹿之助みたいにしつこいのはどこにいるのだ?信長しかり本願寺とは短期間で処理してる。家臣団と起請文を唐笠にする有名な戦国武将ているのか?元就の領国支配は綱渡り。
@もふもふ-x4p
@もふもふ-x4p 8 ай бұрын
目指さんかっただけやろ 息子や孫にも「天下を狙うな」と言ってるし
@ichijikuatama
@ichijikuatama 8 ай бұрын
13:29 信長はそういうのがあったからなるべく攻め込む時領土を傷つけないようにしてたんだな
@鷹狩陽向
@鷹狩陽向 8 ай бұрын
あ~私も最初「つきやまとみたじょう」って読んだw
@サダおじさん闘病中
@サダおじさん闘病中 8 ай бұрын
武田さんはバイでもあり、途中でお亡くなりなりましたね。😅 腐おじさんとしては、この時代どうだったのか?を知りたいわ(笑)
@kh2895
@kh2895 6 ай бұрын
元就しろ、信玄にしろ確実に勝てる戦を勝ちきれるけど、その分時間がかかる。信長や秀吉との違いがそこなんかな?って思います。
@とらねこ-v3h
@とらねこ-v3h 8 ай бұрын
なるほど、元就の領土になかったのは金くらいか。銀と鉄があれば貿易には困らないから、無理に版図を広げる必要はないよね。🤔
@木花咲耶姫-f5w
@木花咲耶姫-f5w 8 ай бұрын
石見銀山があっても博多を抑えて明や朝鮮と貿易できないと利益は出ないんですよね。 大内氏は明と朝鮮との貿易利権の独占をしていたのと銀を明、朝鮮に輸出することによって莫大な財力、武力を得ていた。
@とらねこ-v3h
@とらねこ-v3h 8 ай бұрын
絵が中国風なんだけど、オヤジギャグ?😏 つきやまとみた城🤣🤣🤣
@やなわらばー-g6c
@やなわらばー-g6c 8 ай бұрын
隆元が生きていたら秀吉の侵攻に対してどう対応していたかは見てみたかった。
@reizoukoreizouko
@reizoukoreizouko 8 ай бұрын
さすがに残り時間がなさすぎる。もっとも、あと50年くらい時間があったとしても、天下を目指したかというと疑問だけど。
@万城目J
@万城目J 8 ай бұрын
カッコよく「嘗ての大内氏の路線引き継いだ」とか「天下統一よりも尊皇思想を優先した」そういう事にして上げてください。
@ヴェルサス-c2l
@ヴェルサス-c2l 8 ай бұрын
上方にお上りしたことないよな! 天下なんぞ、取れるわけない
@matukawatositane
@matukawatositane 8 ай бұрын
大内尼子を下し石見銀山制圧してってあたりで寿命がきてて時間が足りない あと地味に博多を押さえられてないものデカい(大内の富の源泉は石見の銀を博多で輸出なので 毛利に現実的なチャンスがあったのは1579付近にあった輝元上洛計画の時じゃなかろうか
@木花咲耶姫-f5w
@木花咲耶姫-f5w 8 ай бұрын
大内家があそこまでの力を持てたのも博多を抑えていて明と朝鮮との強い繋がりがあったことが大きいですからね。
@ほうぢ茶-w8s
@ほうぢ茶-w8s 8 ай бұрын
結局は力を付けた織田・豊臣には勝てず降る羽目になったけどね
@岩田直騎
@岩田直騎 8 ай бұрын
大名として、滅びた織田や 家そのものが消滅した豊臣 と違い、幕末期まで生き残り 最後は、薩摩藩と共に 幕府を引きずり降ろして 近代化を達成するレガシーを 残したから大局的にものを 見たら元就の戦略は正しかったんじゃない?
@yousanize
@yousanize 8 ай бұрын
主人公やん
@かつよし-v2y
@かつよし-v2y 8 ай бұрын
良かったよ!❤ 元就は天下統一なんて信長を見るまで思いつかなかったと思うよ。天下統一なんて思ったら20歳くらいから行動しないと。でも、20歳のときにイメージできそうにないでしょ? 元就に限らず、信長を見る前に天下統一なんて考えた人はいないのではないかな?秀吉も家康も信長見て考えたろうし、信玄や謙信でもそうだと思う。三好長慶は戦っていたら、天下人になってしまったという感じじゃないかな? 思うだけならば、足利将軍はみんな天下統一って思っていたかも。
@777hydyy6
@777hydyy6 8 ай бұрын
信長や信玄は「天下」を目指してたの?そもそも「天下」って何?問題もあるけどw最初の天下人は三好長慶と言われてるね。
@yoshii871
@yoshii871 29 күн бұрын
この辺の天下ってのは、京を支配することと思うな、秀吉や信長の天下と別の意味だよね。
@森伯
@森伯 8 ай бұрын
毛利元就は大友義鎮に勝てずに博多を攻め取れなかったしちょっと持ち上げすぎな気がする 天下を望まずじゃなくてもし仮に時間が十分にあってもあのあたりが成長の限界だったと思う
@kamirubidan2681
@kamirubidan2681 5 ай бұрын
少し納得できんわ。そもそも高橋家の領土を奪った時は自分の実の娘を人質に出して高橋家が石見に出陣中に奇襲攻撃して高橋家な領土半分を奪った。残りの半分は石見から高橋家の軍が引き返して来て1年以上戦ってる。最後は高橋家の一族の人間を調略して領土安堵と引き換えに高橋家の当主の首を取らせる。裏切らせといて当主を裏切るやつは信用できないと処断した。毛利元就の実の娘は最初高橋家を奇襲した時に高橋家にハリ○ケにされてる。小豪族が生き残りの為に鞍替えして人質が処断される事例は戦国時代やしあったけど自分の領土欲求の為に実の娘を斬○される様な事をやったの毛利元就ぐらいしか事例が無いよな?吉川家、小早川家の養子も吉川家は吉川興経を処断して乗っ取りやってる。興経は毛利元就の姉の子?どっちにしても親戚や。小早川家も竹原小早川、沼田小早川でもめてたとこを利用して沼田小早川家で内乱起こさせて乗っ取りやってる。大寧寺の変の時は確実に毛利元就は陶晴賢の謀反を知ってて謀反に合わせて安芸の大内家の銀山城、桜尾城、鏡山城、厳島をどさくさ紛れに大内家から奪ってる。さらに備後、備中南部の大内家の領土も掠め取ってるよな。陶晴賢から備後、備中の元大内家の領土だったのを返せって言われたのを拒否したから厳島合戦になってる。毛利元就が聖人君子で野望が無かったは言いすぎやで
@黑き史
@黑き史 8 ай бұрын
ちょっと下らないことだが...挿入される絵画像が中華風なのが凄い違和感があるのだが?
@岩田直騎
@岩田直騎 8 ай бұрын
所詮はAI絵画だから。
@お気楽ご酒楽
@お気楽ご酒楽 8 ай бұрын
元就は神業のような戦を数回やって政治、謀略も深謀遠慮……半兵衛官兵衛でさえ霞むかもしれない……ただ……本人自体が過小評価だからなぁ……
@マヤ平
@マヤ平 8 ай бұрын
今の日本。大国に挟まれて、どっかずの状態。
@ゆっくりモンスト辞典
@ゆっくりモンスト辞典 6 ай бұрын
がっさん
@umaaba0233
@umaaba0233 8 ай бұрын
つかその頃は三好長慶が天下人だったし 目指す意味も大義名分もないわけで
@あきばめぐりん
@あきばめぐりん 8 ай бұрын
継母をグリム童話とかで比定するから当てはまらないんじゃね? グリム=ヨーロッパ肉食人種なんだから、日本みたいに野菜食多めの民族と一緒にすると齟齬が生まれるっしょ!
@866083
@866083 8 ай бұрын
「つきやまとみたじょう」はひどい
@フォルロング
@フォルロング 8 ай бұрын
元就が天下を目指さなかった理由…それは孫の輝元の器量がアレだったから。
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